本日、俺が一年五組の教室に入ってはじめにやったことは、後ろの奴への挨拶と、その直後仰け反って頭を打つことだった。
ハルヒ、そのユカイな格好は一体なんだ?
しかしハルヒはいつぞやの鳩の呪いか、豆鉄砲を喰らったような表情で、
「あんた何言ってんの?」
何ってお前、そりゃビビりもするだろう。
体中に旗をおっ立ててる奴なんか見たらな。
昼休み。結局、ハルヒもクラスの連中も旗のことはついに言い出さなかった。どうやら、あれは本気だ。
またトンデモパワーを発現させたんだろうが、ありゃ一体何の意味があるんだ。
長門にはなるべく負担をかけまいと心がけている俺はその辺を練り歩いていた超能力者を呼び止め、癪ではあるが意見を求めた。
古泉自身も頭部に一本、でっかい旗を掲げていたが、言及はよしておいた。
「旗……ですか。それはそれは」
なにっ、知っているのか古泉。
「涼宮さんらしい、ストレートな表現ですね」
と言って古泉は笑う。いつものニヤケ顔とは違い、本当におかしくてたまらないといった様子で。
しかしハンサムスマイルも頭頂部に旗が立ってちゃあ台無しだな。本人は気にしてないようだから、俺にしか見えないらしいが。
「で、あの旗は何だ。何かのメタファーか」
「ええ、いかにも」
適当に言ったのだが、当たるものだな。知っているのなら話は早い。早く教えろ。
「それは“フラグ”の隠喩でしょう」
俺は停止した。
まんまじゃねーか。隠喩どころか、実直すぎて比喩に分類することすらおこがましい。
「いえ“フラグ”という単語自体が比喩になっているんですよ。そうですね、例えば――」
『ああ、約束だ。必ず守る』
『なあに、すぐ戻る。あとのことは頼んだぞ』
『ここは俺に任せて先に行け!』
『メガンテ』
「――これらを死亡フラグといいます」
嫌な例を出すな。あと、最後のは何か違うだろ。
「要するに、特定のイベントを起こす為の伏線のことですよ」
イベント、ねえ。ハルヒの旗は、少なく見積もっても両の指を何度か使いまわしても数え切れないほどあった。
まあハルヒだしな、あれだけの量の旗=イベントを謀略していても特に不思議は無い。
「あれは貴方が立てたものですよ」
「平たく言えば、恋愛フラグです」
「涼宮さんはいつまでも鈍感な貴方に痺れを切らして――」
恋愛フラグ――古泉の言葉の意味を理解すると同時に、俺は背を向けて走り出した。決して振り向かずに。
古泉、その頭に、突っ立ってる、フラグは、違うよな――?
泣きそうだった。もちろん恐怖で。
「キョンくん、よかったら一緒にお弁当食べませんか?」
朝比奈さん、誠に感極まる申し出ですが、生憎と今の俺は不特定多数の旗が立っている人と一緒にいると落ち着かないんです。
「やあっ、キョンくん! んん? 元気がないなあ、どうかしたのかいっ?」
鶴屋さん、あなたもでしたか。だがおかしい、俺はこの人とそんなに親密に関わった覚えは――
「あれ、キョン、早かったね。弁当食べてないの?」
国木田、その控えめに立ってる旗をどっかにやってくれ。明日も同じ調子で会話する自信が無くなる。
「忘れたのか? ノロノロしてたらめぼしい学食も売り切れちまうぜ」
……何故だろう。谷口のアホ面でも、旗が立ってないというだけで物凄く安心する。
「キョンくん? 涼宮さんなら、まだ帰ってないのね」
……驚いた。大穴だよ阪中、うん、驚いた。自暴自棄になりそうだ。
もう限界だ。憑かれた。決して誤変換ではなく、間違いなく俺はフラグの化身的なモノに憑かれている。
あんなに多くの伏線、回収できるわけがない。
無自覚だったとはいえ、自分の無節操さを大いに悔いた。
だがしかし、奴なら、奴ならなんとかしてくれる。ついさっき負担はかけまいとか言ってたりしたが、背に腹は代えられない。
正直に自白してこれは俺の手に余る。ここは宇宙規模の掌でないと事態を丸く収めることはできないだろう。
よし、言い訳もバッチリだ。
深呼吸して、俺は文芸部の部室の扉を――
開けた。
閉じた。
長門がハリネズミになっていた。
俺は、あんなになるまで、伏線を、放置し続けたと、言うのか――!
頭を抱えてうずくまっていると、部室のドアが音も無く開き、長門が顔を覗かせた。
寡黙な宇宙人は「いつでも攻略可能」と、俺を部室に入るように促した。
――誘われてます?