予兆らしいものはあったと思う。多分、昨日の夕方のことじゃないかな。  
 
 SOS団の定期課外活動。いつもの喫茶店でのくじ引きを引いてパートナーを決める事になった。  
この日は結局二回ともあたしが印入りでキョンは印なしをひいた。なんかムカつくのは何故かし  
ら?まぁそこは関係ないわね。  
 
 結局その日は、あたしと有希とで不思議探索をすることになった。  
 
 その日はまだ結構寒冷前線が頑張ってくれてるみたいで山おろしも冷たかったし、何か意地で  
もキョンの馬鹿の鼻を明かすような不思議を見つけてやると気合をいれて走り回った。がんばっ  
って必死に走り回り、結局いつものように珍しい体験は何もできず・・・。  
 
 んで、翌朝。  
 
 あたしの場合、風邪はまず真っ先にセキからやってくる。セキがとまらなくなったら次に熱。  
もうこうなると最悪。ちょっと立ち上がれない場合も珍しくない。  
 
 最近はこんな風に風邪を引くこともなかったのに。なんでだろ?気でも緩んでいたのかな?  
 
   
 ホームヘルパーとあたしはあまり折り合いがよろしくない。親父と母さんは新しい仕事が余程  
面白いらしく仕事の虫になってて、ここ半年以上は電話越しに話すことしかない。  
 
 定期義務である親父への電話・・・といっても仕事中だから留守電サービスに繋がるんだけど・・・  
をぱぱっと済ませる。  
 
 たかが風邪で動けなくなるなんて、ホント。  
 
 最近のあたしはどうかしてるわ・・・SOS団の活動、どうしよう・・・。  
 
 
 
 遠くでホームヘルパーのおばさんが、こっちに極力近寄らないように、詮議しないように仕事  
をしてるらしい気配だけがわかって癪に障る。金目当てのおせっかい。正直ちょっと鬱陶しい。  
 
 ・・・風邪にかかるのも、久しぶりかな・・・。  
 
 小さいころ、小学校低学年のころはあたしもよく季節の節目に風邪をひいた。でもその頃から  
両親は仕事が大好きになって「ハルヒは偉いから一人でも大丈夫だよね」と言うようになった。  
 
   
 
 一人で寝込むのが嫌だから、風邪だけはかからないようにしたのに・・・不覚だったなぁ。寝台  
の枕にぱふっと顔を埋めて、しばし時間の過ぎるのを待つ。  
 
 
・・・SOS団、大丈夫かな?  
 
 ・・・いっしょに走り回った有希は、風邪とかひいてないかな?  
 
 ・・・昨日あの馬鹿と組んだみくるちゃんと古泉君は今日どーしてるんだろう?  
 
 
 ・・・キョン、今ごろ学校かな・・・。  
 
 
 
 
 ・・・・・・・・・寂しい、なんて考えたのは気の迷いよ。でも・・・一回考えてしまうと、もう抑えが  
まるで効かなくなってしまう。  
 
 そんなときの、あたしなりの気分転換。枕もとの棚にひとつだけある鍵つきの引出しを開け  
ると、そこには小さな額に入れた、どっかの馬鹿の間抜けた寝顔が写った写真が入ってる。  
 
 なんか、こんなのでもさ。眺めてると気がまぎれるのよね。  
 
 別にキョンなんか・・・どーでもいい筈なのに。まぁあれよ!毎日毎日背中を見てたりするし  
日常風景の一幕としてキョンの姿があたしの日常に刻まれてるから、見ていないと落ち着かな  
いとか、そう!そういうものなの!  
 
 
 ・・・ってあたし誰にモノいってるんだろ。ホント、なんか馬鹿みたい。でもまぁ、折角だした  
ものをいちいち仕舞うのも面倒だし・・・ほかに見るものが手近にないし。まぁ眺めててあげるわ  
よ。暇つぶし程度にはなるでしょ、こんなのでも。  
 
 
 ちなみにあたしの部屋には、結構な数の偉大なるSOS団の活動の記録写真とかが飾られてる  
わ。やっぱり、日々の積み重ねをこうやって目に届くところにおいて歴史を確認するのは大事な  
作業だとあたしは思うわけよ。  
 
 
 その写真の大半に、あの馬鹿の間抜け面が写ってるのは・・・偶然、そう!偶然なの!大体あいつ  
は毎回毎回あたしの傍で溜息ついたり苦笑いしたりやれやれとか生意気な事をいったり全然あたし  
のいう事を素直に聞かなかったりするし!  
 
 みくるちゃんとか有希には意味ありげな視線を何気に向けてたりするし!・・・あれ?何か今ムカ  
ついたわね?何でだろ・・・まぁいっか。  
 
それにしても・・・正直に言うわね。  
 
 あたしは昔から、この風邪が大嫌いだった。  
 
 風邪で倒れると、完治するまでどこにもいけない。  
 
 誰も、そばにいてくれない。「ハルヒは強い子だからだいじょうぶ」って、両親は言ってる。  
 
 ただ静かに流れる時間。ひとりぼっちの部屋。ホームヘルパーの気配ももうないみたい。や  
っつけ仕事ね、馬鹿ばばぁ・・・っ  
 
 ・・・こうやってると、なんか。あたしはたった一人でこの世界の中に取り残されたんじゃない  
か?なんていう考えが浮かんじゃう。  
 
 あれ?アレ?・・・あれ?  
 
 何か・・・胸が苦しい・・・目頭が熱くなって・・・寂し・・・あたし・・・寂しくな・・・ん・・・か。  
 
 
 
 いつのまにか、あたしは眠ってしまっていたらしい。なんかすごくやな夢を見てたような気  
がする・・・。ヤダ、汗まみれじゃないもう最悪!  
 
 手早く着替えて汗でぬれた前の寝巻きと下着を一階の脱衣籠にポンと入れる。途中に見えた  
ホワイトボードの文字は『本日の業務、特に異常なし』…。やっぱりボンクラね、あのおばさ  
んは。あたしは風邪ひいてるのに、四川料理を山と並べても食べられるわけないじゃない。  
 
 あー。でも風邪薬飲むならなんか食べないといけないんだろうな・・・でも、なんか何も食べた  
くない・・・こりゃ重症ね、あたし。ふらつく足を懸命に動かして、なんとか二階に戻ろうとする  
と・・・。  
 
   
 インターホンのなる音が聞こえた。ついでスピーカーから聞こえてきたのは・・・。  
 
 「すみませんー。俺、ハル・・・って違う!涼宮さんのクラスメイトの者ですけど」  
 
   
 ・・・え!?やだ、嘘!?  
 
 この声・・・まさか、まさかほんとにキョンなの!?信じられない・・・あたし、寝惚けてるのか  
な?それにもしかしたら良く似た声の他人かもしれないし・・・。  
 
 息を吸い込み、できるだけ落ち着いた声であたしはインターホンに話し掛ける。  
 
「…キョン…?」  
 
 「ああ、まぁ何だ…ほれ、昼に携帯に掛けても繋がらなかったから気になってな?」  
 
 昼間の携帯?・・・もしかしたら、あたしがいつのまにか寝てたときに?ってそんな事いってる  
場合じゃないわね?キョン、どうやってあたしの家の住所を知ったのかしら!?  
 
 内心の動揺を悟られたくないから、一息深呼吸した。それからできるだけ平常心で言葉を掛  
ける。さすがに門前払いってのも・・・馬鹿キョン相手でも酷ってもんだしね。ウン。  
 
 
 「…外は寒いから、入ったら?アンタ馬鹿だから風邪なんかうつりそうも無いし」  
 
   
 その後、内側のキーロックにパスコードを入れて門の開錠を済ませてから、七面倒な玄関の  
ロックをかちゃかちゃかちゃんと外して行く。毎回思うけど、警戒過剰なのよ。まったくもう!  
 
 で、玄関をあけて外に突っ立ってる相手を見たとき・・・嬉しいって思ったのは、風邪のせいよね?  
 
 
 「ボーっとしてないで入ったら?」  
 
 「あ、いや。ハルヒ。ほれ…いきなりクラスメイトとはいえ男が女の家に上がりこむとご家族  
のほうが色々とごた付きはしないか?普通は」  
 
 「…ホームヘルパーなら午前中で帰ったわ。親父も母さんも仕事の都合で今香港。別に気兼ね  
することもないでしょ?…一人で寝てるのも…つまんないだけだし」  
    
   
 あたしは淡々と事実を交えて説明する。そしたら、目の前のキョンの表情が変わった。心底から  
の驚愕の顔色に。  
 
「…って待て!看病とかしてくれる人は居ないのか!お前病院はきちんと行ったんだろうな?」  
 
 「…関係ないでしょ、そんなの。風邪なんかそんな大げさにしなくても寝てたら治るし、親父も  
母さんも忙しいし、こんな瑣末事で看病なんかされてもアレだし…」  
 
 
 あたし何いってるんだろ。こんな事情の説明なんか馬鹿キョンにしたって何も意味もないのに。  
でも、言葉はどんどん続いていく。  
 
   
 「仕方ないじゃない。親父も母さんも忙しいんだし、娘が風邪ひいた程度のことで足引っ張る訳  
にもいかないんだし、アタシは強いんだから一人で居ても寂しくなんか…っ」  
 
 
 言葉の最後のあたりで、ついに抑えてたセキが止まらなくなった。苦しい、息がうまくできない。  
でも、セキのせいだけじゃない。  
 
 あたし、もしかしたら今。寂しいって思ってて・・・それで涙、出ちゃったのかも・・・。  
 
 そしたら、そしたらね・・・キョンの奴。信じられない事をしたの!  
   
 目の前でわざとらしい態度で携帯を取り出して・・・こんな事をいってるのよ!?  
 
   
 「あー、悪い。俺だけどさ・・・うん。  
 
 クラスメイトが風邪をひいてて、そいつ一人で家の中で寝込んでたから、軽く看病していくので  
少し帰りが遅くなるんだわ。飯は取っといてくれるとありがたいけど・・・ああ。わりぃ、んじゃ」  
 
 瞬時に顔が赤くなる、な・・・なんで勝手にそんな事決めてるのよ!?あーどうしよう?風邪の  
せいだって思ってくれるよね?  
   
 あたしが軽くパニくって顔真っ赤だなんて、この馬鹿キョンは気が付いてないわよね!?  
 
 
 「セキは見て大体わかったが…熱はどうだ?」  
 「…そりゃ風邪引いてるんだから、少しはあるに決まってるでしょ?」  
 
 今、キョンとだけは視線合わせられない。もし万一にキョンの目を見ちゃったりしたら・・・。  
あたしは今世紀最悪の醜態を晒しかねない。キョンの目の前で・・・泣いちゃうかも知れないから  
 
 
すたすたと自室へ戻ろうとして・・・あたしはひとつ、とんでもない事を思い出した。  
 
 今のあたしの部屋の中には、我がSOS団の活動の記録映像の写真が大量に掲示されてる。その  
写真のほぼすべてには・・・キョンの姿が写ってる!そんなのこいつに見せたりしたら・・・ああ!  
もう!想像なんかしたくないわよそんな大醜態!  
 
 当然のように付いてこようとしてるキョン。その前でぱたと足を止めるあたし。一瞬、沈黙。  
 
 
  「…どうした?ハルヒ」  
 「…ここがアタシの部屋だから」  
 「そっか、んじゃお前はとっとと寝とけ。熱が上がったら本末転倒だろうが」  
 
 
 「…ちょっと外で待ってて!アタシがいいと言うまで絶対にドアあけちゃ駄目よ!無断であけ  
たら死刑だから!」  
 
 今のあたしにできるだけの渾身のパワーでドアをバターンと閉めて、キョンの奴を廊下に締め  
出す。急がないとまずいわ!コルクボードにまとめて掲示した記録写真はボードごとまとめてこ  
のクローゼットの奥に仕舞って・・・あ、これあたしの日記帖!間違ってもあの馬鹿にだけは見せた  
くないわっ!写真立てごと纏めて枕もとの施錠可能な棚にぽんと投げ込む。  
 
 もうすぐ30分以上たっちゃう・・・よし。なんとか間に合った!見られたらまずいものは全部偽装  
成功!ぐっじょぶよ!さすがあたし!・・・さて、もう呼んでも大丈夫・・・よね?  
 
 「は…入ったら?そこでアホみたいに突っ立ってるだけってのも何だし」  
 
 
 ドアをあけてそう声を掛けてやると、キョンの奴は苦笑しながらあたしの部屋の中にやってき  
た。あ・・・携帯の履歴。まだ見てないかも・・・。話、適当にあわせないと・・・。  
 
 昼過ぎに見たあの最悪の夢とか、ひとりぼっちの世界に迷い込んだような妄想とか・・・。  
 
 なんか、こいつにだけは知られたくないなって、あたしは思った。  
 
些細な会話だと思うわ。特に珍しい大発見があるでなし、第一今あたしが話してるのは即興で  
考えたカバーストーリーなんだから。  
 
 間違ってもさっきまで、すごく寂しくてどうにかなりそうだったなんて言いたくないし。  
 
 でも、あたしは。すごく気になった・・・だから、ちょっと聞いてみたくなった。  
 
   
 「……キョン」  
 「……なんだ?」  
 
 「…迷惑、じゃ、なかった?」  
 
 
 「病人は病人らしくしてろ。気にすることじゃないってんだろう?  
俺は勝手に押しかけて勝手に看病してるんだ、繰り返すが気にするな。調子狂うだろうが、ハルヒ」  
 
 
 もう限界。絶対今の顔だけは見られたくない!風邪よ!風邪のせいで顔真っ赤になったのよ!  
毛布を頭まですっぽり被って顔を隠す。氷嚢を取りにいくために部屋から出ていくキョン。  
 
 その背中に・・・ほんのささやき声程度。あたしは声を掛けてみた。  
 
 「ありがとう」・・・って。  
 
 
もうはっきり言い切るわね。  
 
 あたしは今、ほんとに自分が白昼夢でもみてるんじゃないのかって思ったわ。  
   
 だって、さっき片付けた日記帳の中に・・・あたしが気弱になった時に書いた妄言の中に・・・これ、  
絶対にありえないわよと思い込んでいた一文があって。  
   
 その文章の中身が「キョンがあたしに優しくしてくれるとイイナ」ってもんだったんだから。  
 
 いっそ、今起きてることは夢!とかいうなら・・・スッとするわよ?ほんとよ!?絶対に夢だった  
ことに落胆なんか感じないわよ!ってホントあたしって今だれに向かって喋ってるんだろ?  
 
 自己批判すると・・・やだ、ただの馬鹿じゃないのもう!この内心だけは、死ぬまで絶対キョンに  
だけは内緒の内緒!もし何かの手違いで内心で思ってることがキョンにばれたら・・・ああ!もう考  
えただけで頭ん中ごっちゃごちゃになるじゃないのっ!?  
 
 
 と、あたしが心の内側での葛藤とか動揺をなんとか片付け終えた頃・・・ふと、あたしは今この状  
況がどんなものなのかに気が付いてしまった。すなわち・・・。  
 
 
 観衆も他の団員も家族の目もない。ほんとのホントの意味で。  
 
 あたしとキョン、今この家の中で二人っきり・・・なんだ。  
 
 「・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」  
 
 その事実を自覚した瞬間、もう目の前が真っ赤というか真っ黒と言うかそんな色に染まるほど  
に一発で頭に血がぶっ飛んでたちのぼってったわ。もう光の速度も真っ青な速度で顔中見事にま  
っかっか。あたし一体どーなってるのよもうっ!?  
 
 熱のせいでも風邪のせいでもない・・・そこのとこは認めざるを得ないわね、もう。  
 
 心拍ばっくばくだし全身カッカして熱いの何の。別にあたしはキョンから視線でエネルギーを  
受け取ったりしてない筈なのにっ!もう何なのよ一体・・・とか考えてた矢先。  
 
 
 部屋の中に満ちてるのは、あたしの鼓動と身動きに合わせて擦れる毛布の立てる音・・・だけと  
思った所に。  
 
 唐突に新しい音が生まれた。  
 
 軽いノックがこんこんと二回。ドアの外でどっかの馬鹿の深呼吸。そして・・・。  
 
 
 「ハルヒ、俺だ。入っていいか?」  
 
 「……っ!ま…ちょっと待ちなさいっ!」  
 
 何!?今あたしなんでここまでパニくってるの!?何で今キョンの顔をみたら、自分が自分で  
わかんなくなるくらいにごっちゃになって泣き出しちゃいかねない!とか考えてるの!?  
 もう自分で自分が良くわかんないっ!これは全部・・・そう!風邪!風邪のせいなの!  
 
 必死に呪文のように、「これは風邪のせいで起きた気の迷い」って言葉をおまじないのように  
くりかえす。これで少しでも落ち着かないと・・・あいつに泣き顔なんか見られた日にはもう!末代  
まで語り草になるほどの超大醜態をさらしちゃうっ!落ち着け・・・落ち着けあたし!  
 
「…氷嚢取ってきたんだが…まぁ、入れるようになったら声掛けてくれ」  
 
 今のこの動揺が収まる前に、キョンに話し掛けるだけの勇気は・・・なんか知らないけど。  
 
 まったく、起きなかったりしたわ。・・・すこしそこで待ってなさい、馬鹿キョン!  
 
 
 結局、あたしがとりあえず鼓動を落ち着かせるまでの間に結構な時間がかかっちゃったのは。  
 
 まぁ、仕方が・・・ないの、かな?氷嚢、溶けちゃってなかったらいいけど・・・。  
 
 
 「もう良いわよ、入んなさい」  
 
 極力努めて、普段のあたしの口調でドアの外のキョンに声を掛ける。そうするとすぐにキョン  
が手にタオルに包まった氷嚢を持って入ってきたわ。結構な時間たってるのに、律儀に氷嚢を手  
で持って待ってたのかしら・・・だとしたら、悪い事したかも?  
 
 「ほれ、とりあえず頭冷やしとけ。…飯食えるだけの食欲はあるか?」  
 「…ん、なんか…あんまりないかも」  
 
 これにはスムーズに返事ができた。だって・・・食欲がどうこう言ったって。いくら味自体が絶品  
でも、あのやっつけ仕事のおばさんが用意したモノなんか、美味しく食べられる状態じゃないし。  
 
 『だから、気にしないでいいわよ』  
 
 と、あたしが心の声を構文して、そのままの台詞を口に出そうとした矢先。  
 
 あたしは、妙な違和感に気が付いた。キョンの様子が少しおかしい。なんと言うか・・・妙に芝居  
じみた口調になってる?いったい、なんのつもりなんだろ?  
 そう思い、怪訝な顔になる直前・・・キョンはこんな事を言い出したわ。  
 
   
 「そっか。だがな…なにも食わないまま薬を飲むのはかえって身体に毒だな、ハルヒ」  
 
「…何が言いたいのよ、アンタは?」  
 
 「まぁ、なんだ…お前の家のヘルパーほどの腕はないし、普段のお前ほどに料理達者でも何でもないのは確かだが、  
俺も普段から妹の風邪の看病とかで結構こういう時の風邪ひき用のメシの作り方くらいは知ってるつもりだ」  
 
 「……だから?」  
 
 「ついでに言うと、俺も慣れない道をチャリ飛ばして走ったり色々あって腹が減ってる。このままじゃ俺は家に帰り  
着くためのエネルギーも途中で使い果たして目をまわして倒れるかも知れん」  
 
 「……っ!?」  
 
 ちょっと!?何関係ない事を言ってるのよ!それにその視線はなに!?まるで・・・普段みくるちゃ  
んに向けてるような、後・・・学祭の後のある日の昼休みにあたしが見たことのあるような、その妙な  
・・・いえ。  
 
 すごく暖かくて、やさしい気持ちになれるような視線は・・・?  
 
    
 
 「まぁ、なんだ。俺もここでお前と一緒にメシ喰ってくわ。という事だ。作るのは俺だから味には期待するな?」  
 
 
 もう・・・その言葉がとどめになっちゃったと思う。  
 
 涙腺のダムが、今の一言で木っ端微塵に決壊して・・・洪水寸前までにたまり切ってた涙の奴が、もう  
あとからあとから溢れて来る・・・この顔だけは、キョンに見せたく・・・ない、のかな?  
 
 どっから湧き上がるのか良くわからない、胸を焼くような暖かさとか顔真っ赤になるような衝動  
とかがごっちゃになって・・・あたしは声を殺して、毛布の中で泣いてしまっていた。  
 
 
 ・・・らしくないわホントに。これじゃまるで子供みたいじゃないの。  
 
 
悲しくも寂しくもないのにどんどん湧き上がって塞き止められない涙の奔流が収まるまでに、結  
構な時間がかかっちゃったと思う。でも、今泣いてる時の気持ちは・・・嫌いじゃないと、思うわ。  
 
 さてさて・・・あたしがなんとかこのヘンチキリンな泣き虫モードからかろうじて通常の心理状態  
・・・じゃないけど、とりあえず最低限の落ち着きを取り戻した時に、部屋のドアがノックされて、  
それからがちゃかちゃ何かの瀬戸物がぶつかるような音がした後、ドアが開いて・・・。  
 
 キョンが、両手で大きなお盆を抱えて。その上に小さな土鍋を二個。あと机の上の点心を数点小  
皿にとりわけて入ってきた。やだ、なんかキョンの顔も・・・ほんのり、赤くなってない、かな?  
 
 
 「ほれ、俺も腹が減って死にそうだ。かといってお前が食わんのに俺だけがバクバク喰うのも気が引け  
る。っつーことで、喰え、ハルヒ」  
 
 
 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、丁寧に食器を枕もとまで配膳してきてから、キョンも床の上に  
トレイから取り上げた自分の土鍋と小皿を取り分けて置いた。  
 
 あ、これ・・・レンジで作れる手抜き粥ね?きちんとお粥くらい作れないのかしら?ちゃんとご飯を  
ほぐしてからレンジに掛けたらまだ少しはバレにくいのに・・・ちゃんとご飯散らしてないからすぐに  
手抜き粥ってわかっちゃうわ。味付けも塩とダシ入り醤油適量の・・・ちゃんとしたものでもなんでも  
ない、超絶ダメダメのお粥なのに。  
 
 恐る恐る匙ですくって、口にした時。  
 
 味覚は「正直及第点にも届いてない味」だと言ってたのに。  
 
 なんか、もうものすごく美味しく感じたわ。きっと・・・空腹は最大の調味料なのよ。間違いないわ。  
 
 
 なんと言うか、味覚では及第点以下の味なのに妙に美味しく感じられた手抜き粥をあっという間に  
食べ終えた後、キョンが用意してくれた適度な温度になったお白湯で薬を飲んで・・・。  
 
 その後、あたしは何とはなしにいろんな話をキョンにしてた。  
 
話が全部終わっちゃったら、きっとキョンは帰っちゃうから。  
 
 そしたら、きっとまた一人ぼっちの時間がやってきちゃうから。  
 
 パワーは普段の3割減程度になっちゃってるけど、あたしはひたすらキョンに色んな話をしていた。  
メインは日々の活動の回想録とか、最近のお勧め不思議スポットについてとか、まぁ、そんな内容  
だったと思うわ・・・内容に付いては、正直良く覚えていないのよね。  
 
 と、そしたらね?  
 
 あたしの話を聞いてくれてたキョンがね?  
 
 ・・・すごく、イイ笑顔で。すごく、暖かい視線で。  
 
 あたしをじっと、眺めてたの・・・視線がぶつかって、また息が詰まる・・・嫌な気はしないけど、これ  
正直、ちょっと戸惑う、かも。  
 だから・・・あたしはこの動揺をごまかすためにこんな事を言ってみた。  
 
 「…って、キョン?何ニヤけてるの?アンタ元々二枚目って顔して無いんだからニヤけ顔だと間抜けに  
見えるわよ?」  
 
 とたんにいつもの「やれやれ」って顔になるキョン。その反応の流れとかも、今のあたしにはくす  
ぐったく感じて・・・。  
 
 内心の動揺を隠したくて。あたしはぽふっと枕に身を沈めて見せた。目を閉じて、このどこか心地  
いいドキドキを胸に秘めたままで息を整えてみる、すると。  
 
 「やれやれ…」  
 
 って・・・!?  
 
 いつものお決まりの台詞をつぶやいた後。どこかひんやりしてて、でも意外に男らしく大きな手が。  
 
 ポニーテールにはまだ足りてない長さのあたしの髪に触れて・・・手櫛でもしてるみたいに、何度も。  
 
 キョンは、あたしの頭を撫でてくれた。  
 
 
 何なのよ、もう!それ、完全に反則じゃない!・・・なんでそんな暖かい目であたしを見るの!?  
 
 なんで、そんな・・・あたしをそんな目で、こんな風に見守ってくれるの?  
 
 
・・・もう自分の気持ちが、どうにかなっちゃったんだと思う。  
 
 
 キョンの手をすばやく握って、思い切り手前側に引き倒して・・・体勢を崩したキョンの胸板に額を  
押し付けるようにして・・・のこった手で背中をぎゅっと強く抱き止める。  
 
 こうしたら、こうしたら・・・泣いてる顔だけは、見せずにすむから。  
 
 涙が溢れて来る。悲しくもないのに、泣きそうな気持ちが止まらない。抱きとめたとこから感じ  
るキョンの体温が暖かくて、キョンがここにいることが嬉しすぎて・・・。  
 
 「…おい!?ハルヒ!?」  
 
 泡を食ったような声を上げるキョン。でも、今だけは離したくないな・・・顔を見られたら、泣い  
てるの丸わかりだし・・・。そしたらね?  
 
 「…落ち着くまで、お前が寝付くまで。今晩くらいは付き合ってやるさ」  
 
 そう言って・・・キョンの手が・・・あたしの肩に回された。もう口から心臓が飛び出すか、そのまま  
胸の中で心臓がパンッと破裂するかとおもっちゃったわよ!  
 
 「…うっさい。馬鹿キョン…っ!知った…様な…こ…っ」  
 
 あぁ、ダメ。もう涙が止まらないし頭の中ぐるぐるで考えも纏まんないし。ちゃんと台詞もいえ  
なくなっちゃってる。  
 あたしがそうやって軽くパニくってると・・・キョンの言葉が聞こえてきた。  
   
 
   
 「きつけりゃきついって言っていい。泣きたい時は泣きゃいい。甘える相手が欲しい  
なら、まぁ何だ…傍にいる相手をちっとは頼れ」  
 
   
 傍に・・・いる・・・あいて?  
 
 頼って・・・いいの?ほんとに?  
 
 「強いあたし」でなくっても・・・いいの?  
 
 もう、この言葉が完全にとどめだったわ。頭の中がまっかっかになって・・・あたしはこんな事を  
口にしてたの。  
 
 「キョ……。風邪の、せいだから」  
 
 「そっか」  
   
 「あたしは今日、風邪で体調を崩してて、もう調子狂いっぱなしなんだから」  
 
 「そっか」  
 
 「だから…気の迷いだから。これは」  
 
 
 
 逡巡も躊躇も何もない。甘えたい時だから『傍にいる相手』を頼って、いいんだよね?  
 
 全然、流儀もなにもない全力でのキス。唇だけ合わせるだけなんて・・・もう、絶対に無理。  
 
 キョンのすべてを感じたい。キョンから色んな物をもらいたい。  
   
 甘えていい、んだよね?あたし・・・もう我慢、しないよ?いいよね?神様?イイよね?キョン・・・。  
 
 
 
   
 煌々とした月明かりが妙に綺麗な、綺麗な夜の出来事。  
   
 このまま時間が永遠に続けばいいなんて考えたのは・・・きっと、あたしだけじゃ無いわよね?キョン。  
 
 
   
 
 さてさて、こっからは完全な余談になるわ。  
 
 キョンは朝方早くに、いそいそとあたしの家から帰って行った。多分思うんだけど・・・。  
   
 キョンはきっとこの時に、あたしの身体から風邪の素を奪って行ったんだと思う。なにせその日の  
昼下がりにはあのキツかった身体の倦怠感も熱もセキも、綺麗さっぱり消えうせてたんだから。  
 
 んで、その日の昼下がりの事。  
 
馬鹿が風邪ひかないってのは俗説ね。もう間違いないわ。だって・・・キョン、なんかダルそう。  
 
 多分、この風邪はあたしからキョンがもってったモノ・・・だよね?  
 
 あたしは別に特別どうこうとか言うのは無いわ?でも・・・なんというか、借りをつくりっぱってのは  
この涼宮ハルヒ的には、どうしても耐えられないのよ!  
 
 だから、あたしは旧館の渡り廊下を歩く途中で。無記名の腕章を壁に押し付けてから手早く  
自分の新しい役職名を記載して、一時だけ団長の座から一歩ひく事にした。  
 
 『超看護婦』涼宮ハルヒ。うん!悪くないわね、コレ!  
 
 SOS団の部室の中、あいつは今、間違いなくここで伸びてるわ・・・呼吸を整えて・・・せーのっ!  
 
 ドアを思いっきりバーンって押し開けて、勢いよくあたしは部室に飛び込んだ!  
 
   
 「…この馬鹿キョン!無茶して活動参加してぶっ倒れたらあたしの管理不行き届けになるじゃないの!」  
 
 管理不行き届けの団長ってのも締りが無いから・・・完治するまで、面倒くらい。  
 
 きちんと見てあげるわよ!この超看護婦にまっかせなさいっ!  
 

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