梅雨の蒸し暑さの中、俺は、その不快さから、部室の長テーブルに突っ伏していた。
湿った空気が纏わり付いてきて、首筋を汗が流れる。
ふと、顔を横に向けると、いつものように涼しい顔でハードカバーのページを捲っている
長門の姿が視界に入った。
長門は暑いとか寒いとか感じることはないのだろうか。
いや、長門のことだ、例の情報操作とやらで、この鬱陶しさに対処しているのかも知れない。
汗一つかかずにページを捲る宇宙人製アンドロイドを見ているうちに、
喜緑さんの涼しげな微笑みを思い出し、次いで、生徒会室を連想した。
そういえば、生徒会室っていつも快適だよな、エアコンもないのに。
春先の機関誌騒動以降、何度か足を運ぶはめになった生徒会室を思い出す。
暑くもなく、寒くもなく、いつも快適な温度と湿度を保っているような気がする。
それに比べてこの文芸部室、いや、SOS団の溜まり場は、夏は暑く、冬は寒い。
今の季節は、蒸し風呂のようだ。
まあ、夏や冬の生徒会室がどんな状況かは知らんのだが、この鬱陶しい梅雨の季節に
あれだけの快適さを保っているんだ。だから十分に想像できる。きっと快適に違いない。
でも、なぜだ? 何だか不公平ではないか。
ぼんやりとした俺の視界の中で、長門が顔をあげ、こちらに視線を向ける。
「生徒会室は、基本的にエントロピーが減少する傾向にある」
「……何だって?」
「たぶん、喜緑江美里のせい。あれは悪魔の仕業」
喜緑さんの? 悪魔とはまた物騒だな。
まさか古泉の言ってた広域宇宙人とやらが絡んでるんじゃないだろうな。気になるじゃないか。
俺は上体を起こして長門に向き直った。
「どういうことだ?」
「喜緑江美里は、悪魔を使い、生徒会室内において、空気中の早い分子を排除し、
遅い分子を受け入れている。別に害はない」
害はない、と言う言葉にほっとする。
でも、喜緑さんは、お前と同類だろうなとは思ってたが、そんな魔法使いみたいなことを
してたとはな。
つか、悪魔って何だ? それってお前が使う情報操作なんちゃらのことじゃないのか?
というか、そもそも、分子を選択するなんてことが出来るのか?
いや、長門や長門の同類なら、出来ないことなんてないんだろうけどさ。
「で、それで一体どんな効果があるんだ?」
「生徒会室の室内温度は周囲より低く保たれる。冬は、そのプロセスを逆にすればよい」
「よく解らんが、それで快適な環境が保たれるってわけか」
宇宙人パワーをエアコン代わりに使うってのは、どうなんだ? それって何か間違ってないか?
そう思いつつも、しかし、それで快適になるのなら、ハルヒのいないとき位は、お願いできない
ものだろうか、などと思ってしまうのは、一介の高校生としては当たり前のことだと思う。
そうさ、俺は、聖人でも何でもないんだからな。ただ、いきなり、喜緑さんと同じことをしてくれと
頼むのは、人としていかがなものかと思わんでもない。しかし……。
まあ、訊いてみるだけなら罰が当たることもないだろう。
そう自分に言い聞かせて、何気なく長門に訊いてみる。
「お前は、喜緑さんと同じことは出来ないのか?」
出来るなら、きっと感謝されるぞ。俺だけでなく朝比奈さんや古泉からもな。
「できる。しかし、推奨できない」
なぜだ? 喜緑さんはやってるんだろ?
「喜緑江美里は、生徒会の書記だから」
すまん、意味が解らない。
「書記。英語で言うと、クラーク」
すまん、ますますわけが解らない。
そのときの俺は、かなり間の抜けた顔をしてたんだろうな。
少し伏し目がちになった長門は、何と言うか微妙に脱力した雰囲気を周りに漂わせつつ、
小さな声で呟いた。
「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」
「自慢じゃないが、さっぱり解らん」
しばらく俺を無表情で見つめていた長門は、ゆるゆると、手元のハードカバーに視線を戻し、
少しだけ肩を落とした寂しげな様子で呟いた。
「……そう」
その瞬間、室温が一気に10度は下がったんじゃないだろうか。
すまん、俺が悪かった。だから機嫌を直してくれないか?
ついでに、今の話のポイントを解説してくれると嬉しいんだが。
ああ、長門。そんな目で俺を睨まないでくれ、頼む。
ネタバレ解説