先週俺とハルヒが観覧車に乗ったことを覚えているだろうか。俺はなぜか、再びあの
観覧車に乗っているのである。しかも、今回は長門と2人きりで。
前回観覧車に乗った日の翌日、放課後の部室において、ハルヒは少し得意げに長門と
朝比奈さんに対して観覧車からの眺めの素晴らしさを延々と語っていた。
ところで朝比奈さん、そんなに聞き入らなくてもいいんですよ。どこにでもある普通の
観覧車です。貴女だって1回くらい乗ったことあるでしょう?
「わたし、観覧車って乗ったことないんですよぉ」
ははぁ、そうなんですか。それじゃあ仕方ないですね、って未来には無いんですか?
「禁則事項ですっ」
相変わらず朝比奈さんのウインクは優雅だった。話を中断された形のハルヒが視線で俺を
刺してくる。痛い。痛いよハルヒ。
助けを求めるかのように長門を見たが、微かに首をかしげてこっちを見つめるだけであった。
そういえば、こいつは乗ったことあるのだろうか、観覧車。
「長t
「ない」
まだ何も言ってないぞ、長門よ。
「何?みくるちゃんも有希も観覧車に乗ったことがないの?ふーん……じゃあ、今度の
週末にまた行きましょう。いいわね?」
ちょっとまて、俺の意見は無視か。
「何よキョン。キョンのくせに何か文句あるの?」
「考えてみろ、あの観覧車は4人乗りだろう。SOS団は5人じゃないか。俺と、お前。
朝比奈さんに長門。それに……」
「僕のことも団員だと認めていただいているのですね」
急にしゃべるな気色悪いんだよ。しかし、忌々しいが認めざるをえないだろう。
「そうね……4人乗りのゴンドラに5人か……わかったわ」
そうかわかってくれたかハルヒ。お兄さんはそういう物分りのいい子が好きだなあ。
「キョン。あなた立ってなさい」
前言撤回っ。
「安心してください。今週末はちょっと用事があるので僕はご一緒できません。
どうぞ、お気になさらずみなさんで観覧車に乗ってきてください」
古泉よ。お前はなかなか話の分かる奴じゃないか。そうすると俺は朝比奈さんと長門、
そしてハルヒという3人と同じゴンドラで15分をすごすことになるんだな。学校の奴らに
見つかったら命がいくつあっても足りないだろうね。
「古泉、今回は恩に着る」
「そうですか。そう言っていただけると幸いです。代わりといっては何ですが、今度僕と2
「却下だ」
俺も長門のことは言えたもんじゃないな。
さて、話は進んで今日である。先週と同じように午前中は不思議探索パトロールで、
同じように俺の奢りで昼食を摂り、同じように電車を乗り継いで目的地へと向かった。
違いといえば、今回は買い物をしなかったのと、そのおかげでまだ昼間だということだ。
観覧車に乗るために順番待ちをしている間、ハルヒは用意していた爪楊枝を取り出し、
座席を決めようと言い出した。あのー、午前中のときよりも皆さん気合が入っているような
気がするんですけど。
結局、俺と朝比奈さんがペアになり、ハルヒと長門が対面に座ることとなった。俺の横に
朝比奈さん。正面にハルヒ。その隣に長門である。前半は、俺と朝比奈さんが外側だ。
「わぁぁ、とても高いですねぇ」
早速朝比奈さんは外の景色を楽しんでいる。その声に釣られて横を見ると、俺は自分が
朝比奈さんの胸の谷間を見下ろすことのできるベストポジションを占めていることに気が
ついた。ああ、貴女はそんなところにゴンドラを2つも隠し持っていたのですね。
正直に告白しよう。俺は眼のやり場に困ってはいなかった。脳内みくるフォルダを開き、
急いで保存。危うく脳内で拡大したり編集したりするところであったが、都合4つの視線が
俺にそれを許さなかったのである。
「キョン……いい度胸ね。ここから落としてほしいのかしら」
まて、話せばわかる。
「……」
そうやって無言で見つめられるほうが苦しいんだぞ、長門。
「凄いですねぇ、歩いている人がとても小さいですぅ」
貴女の無邪気さはときに凶器になるんですね。
そうこうしているうちに頂点に近づき、ハルヒは不機嫌そうな顔のまま、後ろの景色を
眺めていた。俺はそういうハルヒの顔は見たくないんだけどな。自業自得か。
長門はというと、何事もなかったかのように横の景色を見ていたのだが、俺にはわかっていた。
気づいているか? 図書館にいるときと、今お前は同じ眼をしているんだぞ。
観覧車を降りると、ハルヒはしばらく自由時間だと言った。そして、朝比奈さんを捕まえ、
「みくるちゃん。新しい衣装を買うからついて来なさい」
と微妙に引きつった顔をしてどこかへ消えていった。朝比奈さん。貴女は悪い人ではないの
ですが、貴女のお乳上がいけなかったのです。本当にごめんなさい。
そして、俺はといえば、しばらくとはいつまでなんだと考えつつ、これからどうしようか
途方にくれようとしているのだった。しかし、とりあえず、と一歩を踏み出そうとしたとき
俺は袖に微妙な力が加えられていたことを知った。
「……」
「どうした長門」
「……」
「ここには図書館はないぞ。本屋にでも行くか?」
「……もう一度」
「ここには図書館はないぞ。本屋にでも行くか?」
「そうじゃない」
「じゃあなんだ」
「観覧車」
「観覧車? あれにもう一度乗りたいのか」
「……」
やや間をおいて、俺にしかわからないような角度で長門が頷いた。
「わかったよ。もう一度乗ろう」
そう言ったときの長門は、嬉しそうな顔をしていた。少なくとも、俺にはそう見えた。
なんだ。結構かわいいところもあるんじゃないか。谷口、俺は長門をAランクプラスに
格上げすることを要求するぞ。
というわけで、本日2回目の観覧車である。さっき乗ったのと同じだったりするのだろうか。
「それはない。前回乗ったゴンドラは前方13台目を進行中」
さようなら俺の儚いロマンチシズム。
さて、俺は観覧車の中の2人は向かい合うものだと当然に思っていたようで、2人用の座席の
真ん中あたりに腰を下ろしたのだった。しかし、そんな俺の常識は俺個人のものでしか
なかったらしく、長門は俺の横にわずかに空いたスペースに体を移動させたのである。
長門の体はその狭いスペースにきっちり収まったのだが、俺は予想外の出来事に驚いたのと、
その刹那的な時間の中でかろうじて申し訳なさを感じたため、自分の体を少し横に動かした。
だがしかし、再びできたそのスペースを、なんと長門が埋めてきたのである。いつの間に
そんなスペースを埋める動きを覚えたんだ、長門。
思わず長門を凝視してしまった。
「……何?」
「急に長門が来たので……いやすまん、何でもない」
「……」
「……」
気まずい。非常に気まずい。周りの風景が刻々と移り変わっていくのと対象的に、この限定的に
発生した閉鎖空間の中では時が止まっていた。横を向くことすらできない。
俺はこの状況を打破すべく、何とか話題を見つけられないかと四苦八苦した挙句、ようやく
口を開いた。
「なあ長門……」
ところがである。俺が口を開くのと時を同じくして、長門が俺にもたれかかってきた。
再び長門を凝視してしまった。
「……嫌?」
「嫌じゃない。ただ心の準備が出来ていなかっただけだ」
「そう」
俺の腕にかかる重さが少し増えた。それに気づいた俺も、ようやく肩の力を抜くことができた。
「それにしても長門、意外だったぞ」
「不思議」
それは答えになっているのか? と思ったら続きがあるようだった。
「私は貴方といると、地球上の言葉で言うところの安心感を覚える」
「私は別に不安を感じているわけではない。それなのに、貴方といると、安心する。不思議」
「この観覧車という乗り物は、外界と遮断された狭い空間の中で、2人きりになることが可能」
「とても良い」
えらく饒舌な長門がそこにいた。なるほど、それでもう一度観覧車に乗りたかったのか。
「長門、少し頭を浮かせてもらえるか」
俺の腕にかかっていた重さが消える。俺は、腕を長門の肩に回し、その小さい体を引き寄せた。
一瞬だけ長門の体が固まったのを俺は見逃さなかったが、すぐにより深く俺に体を預けてくる。
心地よい重さが広がる。俺は何とも言えない優しい気持ちに包まれていた。
長門よ。俺はお前の顔を見ることはできない。しかし、もしもお前がいま眼を閉じてくれている
ならば、こんなに嬉しいことはないだろうと俺は思う。
心なしか、外の景色の動きがゆっくりになったのは、やはり気のせいなのだろうか。
ゆったりとした時の流れの中、観覧車は4分の3ほどの行程を終えていた。
「なあ長門。あと5分ほどで着くが、その後はどうする?」
何の気なしの一言であった。
「……」
答えない長門。まあいいだろう。
しかし、
ガタンッ
軽い揺れとともに、観覧車の方が止まってしまった。思わず下を見ると、係員らしき人たちが
慌てているようだった。この高さだと、動き出すまではここにいるしかないようだ。
「故障かな」
「……」
「しかし閉じ込められたままというのも困る。長門、どうにかならんか」
「……」
「長門?」
「……」
怪しい。俺は一つの疑念を口にした。
「長門……もしかして、お前がやったのか?」
「……」
「こっちを向きなさい」
前を向いていた視線が俺から遠ざかるように斜め下に落ちる。どうやら当たりのようだ。
「長門、どうしてこんなことをしたんだ」
「……」
「俺たち以外にも乗客はいるんだぞ」
「……」
「聞いているのか長門」
「……もう少し」
「何だ?」
「もう少しだけ、貴方とこうしていたかった」
「このようなやり方を貴方が嫌うことは知っている」
「それでも、私は貴方とこうしていたいと願ってしまった」
「だから……」
俺を見上げる長門。その瞳は、少し潤んでいるように見えた。頼むからそんな顔をしないでくれ。
怒るに怒れなくなってしまった俺は、さっきよりも強く、長門を抱き寄せた。
「わかった。もう何も言わん。だがなるべく早く元に戻せ」
長門は頷き、今度ははっきりと眼を閉じた。長門の言葉が途切れずに残った余韻。
その三点リーダが2人を包み込んでいったというのは、言いすぎだろうか。
10分程度たっただろうか、観覧車は再び動き方を思い出したように、ゆっくりと移動を始めた。
長門が俺から離れるときの動きは、観覧車よりもゆっくりだったよ。
下に着くと、係員らしき人から観覧車の無料乗車券を8枚ほど貰った。お詫びのようだ。
貴方たちは悪い人ではないのですよ、悪いのは……と言ってあげようかとも思ったが、
どうせ信じてもらえないだろう。ありがたく頂戴することにした。
すべての乗客を降ろし終えた後、30分ほど無人のまま観覧車を動かし、どうやら大丈夫の
ようだと判断したのか、営業が再開された。先ほど貰った無料乗車券のうち、早くも2枚が
なくなってしまったことは秘密だ。
3度目の観覧車から降りてしばらくすると、朝比奈さんとハルヒがやってきた。
朝比奈さん、貴女は何に怯えているのですか。周囲を窺いすぎです。
「へっへーん、明日が楽しみねみくるちゃん」
ハルヒよ。お前は俺の守備範囲の広さを知らないようだな。
「……」
「長門、また乗りたくなったら言うんだぞ」
ハルヒには聞こえないように、そっと長門に告げる。しかし、お前も素直じゃない奴だ。
一緒にいたいなら、もう1回乗ればよかったじゃないか。ハルヒがうつったみたいだぞ。
次の日、放課後部室で俺を待っていたのは、バスガイドに扮する朝比奈さんであった。
盲点だった。無線機のようなマイクや、「SOS団」と書かれた三角形の小旗に俺の知らない
萌え要素があったとは!