エピローグ
「キョンくん朝だよーーっ!」
その声と共に妹がコーナーポストならぬベッド端から強襲し、俺のみぞおちにクリーンヒット。
痛みにのた打ち回りながら夢に朝倉が出なかったことを確認し、ようやく元に戻ったんだなと実感した訳だ。 なんとも痛々しい朝だ。
そして呼吸困難の原因を作った張本人は「おかーさーん、キョンくん起きたよー」と、そのまま両手を広げて俺の部屋を出て行った。 そろそろあの起こし方を止めてもらわんと骨折しかねんな。
念のため確認。 ハルヒの事も、昨日までの事も全部憶えてる。 あれだけの事があったのにもう忘れてるような奴がいれば、そいつはアルツハイマーか非常識に慣れてしまったかのどっちかだ。 あいにく俺はまだ慣れそうにもないんでね。
そんないつもと変わらぬ朝を迎えて安心してしまったのか、俺の体内時計はどうやら日本標準時間からバヌアツ共和国の標準時間まで大幅にずれてしまったらしい。 着替えながら時計を見ると、もう何というか…… 非常にやばい時間になっていた。
とりあえず焼きたて食パンを口にくわえ、オフクロのしかめっ面を横目で見つつ家を出る。
誰かのモーニングコールが欲しいな。できれば朝比奈さんあたりの。 もし頼んだとしてハルヒにバレたらモーニングコールの代わりにハルヒが妹と一緒にエルボードロップしてきそうだな。 それはそれで…… いや、何言ってんだ俺。
「キョン、始業式の時はゴメン!」
予鈴ギリギリで教室に入り、息を切らしながら席について聞いた第一声がコレだ。 まぁ珍しい事もあるもんだ。
「親父がいきなり「結婚記念日で旅行に行くからお前もついて来い」なんてガラにもない事をいきなり言い出すもんだから鶴屋さんの家にもいけなかったし、学校も休むハメになっちゃうし回りの意見も聞いて欲しいわ」
一瞬何の事か分からなかったが機能の鶴屋さんの言葉を思い出し、慌てて「結婚記念日ってお前のか?」、と言ったところで俺はマリアナ海溝よりも深く後悔した。 後とりあえずお前は父親似だ。
「んな訳ないでしょ。 まだ寝ぼけてるの? さっさと起きないと10分で目を覚ますスペシャルドリンクを作って飲ませるわよ」
どんなドリンクかは知らんが目が覚めるどころか気絶しそうな感じがするから遠慮しとく。
「とにかく! その分の話し合いも今日やっちゃうから絶対来てよね。 来なかったらあんたにイヌミミをつけてキョン犬として引っ張ってくから」
そのイヌミミをどこから引っ張り出すのかと心の中で突っ込んでいると、岡部が登場し会話は終了。 空気の読める教師っていないもんかね?
で、ぬきうちで出された数学のテストの出来を気にしながら昼休み。 ハルヒの奴は例によって居ない。
「なぁキョ」
「何だ谷口。 金なら貸さんしチェーンメールは無視する事にしてるんだ。ついでに言うとオフクロが弁当を日本国旗のように彩ってるんで結構機嫌が悪いぞ」
「まぁまぁ落ち着きなよキョン。 僕のだし巻き卵あげるからさ」
「んじゃ俺もレタスをやるか。 ありがたく思えよキョン」
国木田と谷口の弁当からおかずが輸送されて何とかコートジボアールの国旗レベルにまでおかずが増えた。 谷口、どさくさにまぎれて残飯処理をさせるな。
「で、何を言おうとしてたんだ?」
「あぁ、内容としてはお前が拒否ったチェーンメールなんだがな、あの鶴屋さんが誰かに振られたとかいうメールが流れてきたんだ」
「鶴屋さんってあの文化祭の喫茶店の元気な人だよね。 一緒に映画も撮ったし」
思わず俺は箸を止める。 別に弁当がまずいとかそんな事じゃなくて当然昨日の事を思い出してだ。 再改変で鶴屋さんの記憶も上書きされてたみたいだし、俺の事じゃないよな。
「あの映画は俺はもう思い出したくもない。 それはともかくとして確かにかわいい人だったよな。 誰が振ったか知らんが1発ぶん殴ってやりたいぜ」
「やめとけ。 どうせ上級生だ。 お前じゃ勝てるはずないだろ」
そんなことを言いつつも俺は内心ヒヤヒヤしている。 チェーンメールを誰が送り出したか知らんが、見つけ次第強要罪で訴えてやる。
珍しくハルヒも大人しく、マジで何も特筆する事もなく放課後がやってきた。
「先行ってて。 あたしは1年に変な奴がいないか探してくるから」
と、ハルヒはカタパルトで打ち出された戦闘機のような速度で走っていった。
俺も長門や朝倉の件で聞かなきゃならん事があるからな。 しばらくは探してもらえるとありがたい。 ただアイツの場合本当に変なプロフィールを持つヤツをつれてきそうなんだよな……
とまぁ、そんなことを考えても俺にハルヒの連れて来たヤツの入団を拒否するような権限は持ち合わせておらず、俺のできることはせいぜい朝比奈さんのありがたいお茶を飲みながら長門にソイツの不思議プロフィールを聞く程度だろうさ。 古泉は知らん。
とにかくこれ以上教室にいても仕方がないということで席を立ち、俺は足早に部室棟へと向かう。
ドアがなぜか開きっぱなしになっていたのでそのまま入ると朝比奈さんがいつものメイド服でポットのお湯を沸かしているところだった。
長門はいつもの席でパン屋がどうだとか天才ネズミの脳手術がどうとかという、よく分からない小説を読んでいた。
「あ、キョンくん…・・・ よかったまた会えた……」
振り返って俺を見た途端、朝比奈さんが汚れた川も一瞬にして綺麗な水になりそうな笑顔を見せてくれた。 若干目が潤んでたのは気のせいだったかな。
とりあえず椅子に座り、朝比奈さんのありがたーいお茶をすする。
「今日は朝比奈茶っていうのがあったんで買ってみたんですけど、どうですか?」
ゴポッ
思わず俺は吹き出しそうになり慌てて口を閉じたものの、少し手にかかってかなり熱い。
「あ、だだ大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫ですよ。 それよりも」
俺は一呼吸置いて、言い直した。
「それよりも俺に聞く事があるんじゃないんですか?」
朝比奈さんは俺の向かいに座り、膝に手を置いてこっちを見た。
「実はあのあと1日も経たないうちに際任務という形で戻ってこれたんですけど、キョンくんはなにか知りませんか?」
俺は朝比奈さんに今回あったことをすべて話した。 当然朝比奈さん(大)や少し大きい朝比奈さんのことは本人も誤魔化してとの事なので伏せてだが。
「そんな事があったんですかぁ…… またわたしお役に立てなかったんですね」
大丈夫です。 むしろあなたがいなければ何も解決しなかったほどですよ。
とまぁそんな事は言える訳もなく、俺はただ朝比奈さんの入れたお茶をからくり人形のように飲む事しかできなかった。
「本当はこんな事は言いたくないんですけどもしわたしが…… わたしが未来に帰るような事があっても忘れないで下さい。 キョンくんが困った時に絶対に助けに行きますから」
そりゃもう全力で憶えておきますよ。
「ところでキョンくん、このドア今日開けたら閉まらないようになっちゃったんですけど知りませんか?」
そういや今回の件で俺やハルヒがバタバタ開け閉めしてたからな。 あれで一気に寿命が縮まったか。 南無……
まぁそれはそうとして……
「長門」
「なに」
「今回の事で処分とかはないのか?」
俺の聞きたかったことその1。
「してもらいたい?」
長門は黒水晶のような目をこちらに向けた。
「そんなわけないだろ。 ただ12月の時はあったからちょっと心配になってな」
「今回の件については情報統合思念体自身も落ち度があると判断している。 特定の者に処分が下る事はない」
「そうか」
「そう」
「朝倉はどうなったんだ?」
俺の聞きたかったことその2。 長門がいうには消えただけらしいが、戻ってきたりはしないのか?
「朝倉涼子は情報統合思念体のもとで待機中。 今彼女を戻すと涼宮ハルヒの注目を浴びる。 それは非常に危惧すべき事」
まぁ目立たんに越した事はないが、用心しすぎな気がするな。
(その気になればまたナノマシンを介して話す事は出来るけどね)
脳内にいきなり朝倉の声が響く。 せめて一声かけやがれ。
(まぁいいじゃない。 たまにならこうやって話せるからよろしく)
(わかったから少し黙ってくれ)
はたから見てると自分の世界に入ってるアヤシイ奴にしか見えない訳だが。
「そういや長門、パソコンで何をやってたんだ?」
聞きたかったことその3。 というより実はコレが聞きたかったんだ。
「……秘密」
本に視線を固定したまま一言。
そういわれたら余計に気になるのが人のサガである。
「じゃあパソコンを見せてくれないか?」
俺は粘る。
「だめ」
「少しだけでいいからさ」
まだ粘る。
ふと長門は拾ってきた子犬を戻してきなさいと親に言われた子供のような目でこちらを見た。 その目、こっちがものすごい罪悪感に駆られるから。
「どうしても見るというのなら」
長門は視線をパソコンにやって、すぐに俺に戻した。
「MIKURUフォルダを涼宮ハルヒに見せる」
それは非常にまずい事になりそうだから勘弁してくれ。 つか気付いてたのかよ。
仕方ない、何をしてたかはこっそり長門がいない時にでも見るか、ヤシロアキのCDでも渡して教えてもらうか。
(あれは泣けるわね)
お前に渡すんじゃない。 まぁたとえこっそり見たとしても長門にはばれるだろうし、やっぱヤシロアキしかないか。
「おや、涼宮さんはどうされました?」
と、ようやく古泉が登場。
「おそらくお前の考えてる通りだ。 新入生を見に行ってるよ」
「やはりそうですか。 涼宮さんらしいですね」
「そろそろ落ち着いてもいいと思うんだがな」
「まぁ1年前と比べれば大分落ち着いたとは思いますけど」
「あ、そうそう。 今回の件については『機関』は詮索はしないようです。 まぁ今回全く対応できなかった事で『機関』の中ではなかったことになるんでしょうかね?」
『機関』の黒歴史が増えようが新川さんが急激に老けていこうが俺には関係のないことだ。
「みんなおっまたせーっ。 あれ、このドアどうしちゃったの?」
ようやくハルヒの奴が紙袋を持ってはやてのごとく登場。
「あうう…… それ今日あけたら閉まらなくなっちゃったんですぅ」
「ふぅん、まぁこれは生徒会にでも乗り込んで経費で直してもらうとして……」
また生徒会とひと悶着起こす気か。会長もおちおちタバコも吸えないな。 てかあの会長に戻ってるよな。
「とりあえずみんなこの前はゴメン。 お詫びとして今度の探索の時はお茶でも奢るから」
また前みたいにサイフを忘れたとかは勘弁してくれよ。
「その時に話そうと思ってたんだけどとりあえず我がSOS団を新入生にも知らしめる一環として、講堂でのクラブ紹介に乗り込む事にします!!」
そんな事をエクスクラメーションマークを並べて言うんじゃありません。 まぁ一応文芸部の枠で可能だろうとも思ったが、俺は言わない。 ガソリンスタンドでタバコをふかすような事はしたくないのさ。
「とりあえずキョン。 あんたはどのクラブがでるかを確認してうまく割り込めそうなところを見つけなさい。 あと交渉役と暴動鎮圧班ね。 古泉君と有希は…… とりあえずなにか考えとくわ。 それとみくるちゃんは……」
そう言ってハルヒがなにやら紙袋をゴソゴソしだした。 もう付き合いも長い。 何が入ってるかは言わなくても分かる。
「じゃーん、このイヌミミと尻尾をつけて出てもらうわ。 きっと似合うこと間違いなし。 3ステージ満員御礼確実よ!」
多分この場合の満員御礼は岡部以下教職員のことになりそうだが、似合うのは同意しざるを得んな。
……じゃなかった。 そんなことをしたら間違いなく親御さん呼び出し、下手すりゃ停学もんだぞ。 これは何としてでも止めなければ…
そんなどうでもいいんだかよくないんだか自分でも訳の分からないことを考えていると後ろからコンコンとノック音。
「やっほー、ハルにゃん元気かい? お、その耳めがっさカワイイねっ、ハルにゃんが付けるの?」
壊れたドアを叩いて鶴屋さんがニシシと笑っていた。
「あ、鶴屋さん。 これはみくるちゃんにつけるのよ。 何なら鶴屋さんもつけてみる?」
鶴屋さんは考えるかのように(顔を見れば考えてないのは明白だ)あごに指を当て、しばらく「うーん」とかうなっていたが一瞬こっちを見て、
「じゃあちょっと付けてみるよっ」
そして鶴屋さんはイヌミミを受け取り即行で装着。 なんとも可愛らしいもののけ姫、鶴屋サンの完成である。
どうやら鶴屋さんはこのイヌミミを大層気に入った様子で、
「そういやこれ首輪とかチョーカーとかないの?」
とか、
「しっぽはどこにつけんのっ? ここ?」
などとケタケタ笑いながらひっきりなしに質問していた。
「ところでさっハルにゃんこれが本題なんだけどねっ、次の休みにキョン君ちいっと貸してくんないかなっ」
「うーんそうねぇ…… まぁ土曜ならいいけど何かあるの?」
俺の自由意志のない今の会話にどうツッコミを入れようかと考えていると、鶴屋さんがあたまをポリポリかいて、
「そりゃあ恋人同士で2人でやる事といったらデートしかないにょろよっ」
え…… 室内の時間が数秒停止したように思えた。 その中でハルヒは俺感覚で9秒の時点で動き出し、
「な、キョ、キョキョーーーン、どういう事なのよそれはっ! 事と次第によってはただじゃおかないんだからっ! 鶴屋さん、さすがに冗談でもそれはウケないわよ」
そんな意気揚々と母親の買い物に付いて来て、何も買って貰えなかった子供みたいな顔で凄まないでくれ……
「ええええキョンくん鶴屋さんと…… え?え?」
朝比奈さんも可愛い顔でこっちと鶴屋さんを交互にチラチラ見ないでくれ。たまらん。
「ほう、それは馴れ初めをお聞きしたいものですが……」
古泉も一緒になって聞くんじゃない。顔が引きつってるぞ。
「…………………」
長門も長門でじっとこっちを見るな。
(これは予想通り面白い事になったわね)
(お前のしわざか、朝倉。 なんで鶴屋さんの記録が残ってるんだ? 鶴屋さんは世界改変の上書きであの時の記憶はないはずだろ)
(だってそっちの方が面白そうじゃない)
……はぁ。 まさか朝倉からハルヒと同じ台詞を聞く事があろうとは。 これが急進派の真骨頂という奴か。
そうこうしてる間にも鶴屋さんは早送りのように口を動かしていく。
「んで3日前にあたしの方から告ったんだけどさっ、もう速攻でOKをもらったよっ」
「キョン! あたしのいない間に何やってんのよっ! とりあえず弁解だけは聞いたげるから今すぐ硝酸を持ってきなさい。 溶かして外洋に投棄してあげるから!」
落ち着けハルヒ、何を言ってるか絶望的に訳が分からんぞ。
「ま、そういうわけだからさっ、今後ともめがっさヨロシクっ」
と鶴屋さんは長髪を翻し反転し、古泉ばりのニヤニヤで俺に近づいてきたかと思うと、
「あたしは諦めないっさ」と鶴屋さんが俺の耳元で囁いて人差し指で俺の頬をチョンとつついてイヌミミONで退室。 あとは太陽の重力並みに重い空気だけが残された。
「じゃあキョン。 ちょっとあたし達とお話しましょうかぁ……」
ハルヒがこわばった笑顔で近づいてくる。 その後ろが陽炎のようにゆらめいているのは気のせいだろうか……
さて、俺はこれからハルヒへの説明を可及的速やかに考えなければならないわけだが、それ以上に鶴屋さんという点火源をどうやって抑えるかも同時に考えなければならないハメになって、
俺の心境はノルマンディ上陸作戦の上陸用舟艇隊の一列目の部隊並みに動揺し、今すぐこの身を抹消したくなる気分だ。 透明人間にでもしてくれ。
まったく、俺の乗っかった風はどこに行くか分かったもんじゃないな。 ま、でももうちょっとだけ乗っかっててもいいだろうさ。
……あ、そういやあの日に喜緑さん忘れてたな。
fin