「ハルヒ、椅子はどうする」  
 外見上は全く変化が無い氷の様に見え、その実ドライアイス級の熱と低温を併せ持つ長門を  
一瞬だけ視界に入れつつ俺は尋ねる。もし今の状況を漫画で表すのなら、さぞかし長門の背景には  
おどろおどろしい心理描写が描かれていることだろう。  
 その手にある「完全失踪マニュアル」を読んでどうするつもりなのかも興味の的だ。  
色々と怖いので絶対に尋ねたりはしないがな。  
 
「必要ないわ。わたしもアンタもね」  
 いまだ顔から朱が取れず、動揺と焦燥と混乱をあわせたかのようなステータス異常状態に陥っている  
朝比奈さんが、その解毒と沈静をかねてお茶を淹れる。  
 手元がおぼつかなく色々な惨事の末、ようやく淹れたお茶を飲み落ち着こうとした所で、  
ハルヒにそのお茶を横から奪い取られ、一気に飲み干された。  
 ハルヒは急須を朝比奈さんに返すと、勢いをつけたまま俺に近づいてくる。  
 その表情はこれから始まる行為に恥じらいとときめきを期待しているちょっと純情な女子高生……  
等というものからは遠くかけ離れた、まるで戦国時代に決意の末旗揚げした場末の武将の様な  
ものになっていた。一体誰と合戦するつもりだ。  
 いや、答えなんて聞く必要は無いな。  
 
「俺もって、それだと色々つらいぜ?」  
 その心中がどの様な勢力分布になっていようとも、表向きにはあくまで爽やかな表情を浮かべる  
古泉は、ハルヒの指示によって二つのパイプ椅子を退避させていた。  
 古泉もまた長門とは違う意味でのポーカーフェイスなのだが、アイコンタクトという画期的な  
通信手段により俺とのコミュニケーションには困っていない。そんな古泉が言わんとしている事は  
ただ一つ。マジで空間できる五秒前だそうだ。ネタが古いぞ。  
 
「大丈夫。――キョン、机に座って」  
 言われるままに机に腰掛け、両手を支え代わりに脇に置く。  
 なるほど、これなら多少前かがみになっても辛くない。  
 じゃんけんの結果、俺がポッギーを咥えハルヒが齧る事になった。  
 
「ほらよ」  
 ポッギーの先を咥えてハルヒを待つ。  
 なるたけ平坦な感情で告げたつもりだったがどうだっただろうか。  
 チョコの甘さが先ほどまでの二人との行為を思い出させ、俺の思考をゆっくりと霞ませてきた。  
 まるで麻薬だ。暫くはポッギーを封印する必要があるだろう。  
 ハルヒが俺の目をじっと見つめてくる。いつぞやの元気注入、ではない。むしろ俺から何かを  
奪い取っているような、そんな感じだ。一体何を奪い取ってるんだ。勇気というか元気というか  
俺のガッツがどんどん無くなっていくから止めてくれ。  
 ハルヒが一瞬俺の後ろにいる絶対無音魔女へ視線を流し、さらに右に立つ現代に舞い降りた天使、  
左にいる笑う超能力者をそれぞれ確認した後、もう一度俺を覗き込むと両手を俺の肩に置いて、  
 
「……行くわ」  
 唇を軽く震わせながらポッギーを一齧りし、ゲームの開始を世界に告げた。  
 
- * -  
 最初にポッギーゲームを考え出したのは一体誰なんだろうね。  
 ポッギーのメーカー元はソイツに対して感謝状と金一封を送るべきだ。  
 何故ならこんなチョコ味のビススティック一本で  
「ほら……アンタの番よ」  
 あの天上天下唯我独尊、いや独占だったか? まぁいい、ネロやカエサルも裸足で逃げ出す  
女帝ハルヒをここまで反則的に可愛らしく映し出すことが出来るんだからな。  
 えっとあれだ、正直に言えばこんな風にちょっとひねた表現でもして心を落ち着かせない限り、  
正面切ってハルヒの顔を見ることができない。  
 バックに点描が描かれる状態というのはこんな雰囲気だったんだな。  
 
 精密機械さながらに頭を上体ごと数ミリ単位で動かし、口元でさくっといわせる。  
 本体が折れないよう気をつけながら数回噛み、ツバと共に飲み込む。  
 色々とシンクロしているのだろう、俺に合わせてハルヒの喉も鳴った様な気がした。  
 俺の視点はポッギーでも周りでもなく、ハルヒの瞳ただ一点に集中している。  
 ハルヒもまた俺の目をじっと覗き込んでいる。  
 瞬きの回数もかなり落ちているのか、目を瞑るたびに一瞬だけ視界が潤み、それがまたハルヒの  
姿を淡く幻想的に引き立ててくる。  
 悪とはいわないが、俺もハルヒもヤバイ循環に陥ってるのは確かだった。  
 
 五センチ。  
 四センチ。  
 そして三センチ。  
 
 ハルヒが近づくにつれ、俺の肩へハルヒの重さがかかってくる。手が小刻みに震えているのは  
バランスを取ろうとしているだけではないだろう。  
 俺の手も震えており、机に付いた両手は既に汗で湿っている。指先に力を入れ、極力手のひらに  
体重を落とさない事で手が滑るのをこらえている。余裕なんて全く無い。  
 両指以外の全感覚全神経は、三センチ向こうから寄りかかってくるハルヒに集中している。  
 部屋の三箇所から感じるそれぞれ異質なオーラについては随分前から無視していた。  
 
「……ん、ふぅ」  
 ハルヒの息が俺にかかる。その吐息の音にくすぐったく感じ、息の熱さにシナプスが痺れる。  
 長門の時と同じだ。このままではお互いの息でお互いがやられてしまう。  
 それはハルヒも感じ取ったのだろう。  
 申し合わせたかのように、俺とハルヒはゆっくりとお互い右へ首をほんの少しだけ傾けた。  
 
「……ぁぁっ、キョ、キョンくん、そそそそそ、それはぁっ……」  
「静かに……ゲーム中です」  
「ぁ、ふぇ……ふぅ……」  
 
 朝比奈さんと古泉の声が鮮明に響く。何だ、どうなっているんだ。  
 そういえば長門のときに朝比奈さんが何か言っていたよな。アレはなんだったか。  
 ゆっくりと噛み近づくハルヒをぼんやりと眺めながら、俺は霞みがかった思考を回していた。  
 
「キス」  
 
 小気味良い音で、静かな一言が告げられた。  
 あぁ、そうだ。確かキスするみたいだったと言ってたんだ。  
 そうか、キスか。言われるとそうかもしれないな。  
 だったら俺の流儀にのっとらねばとゆっくりと目を閉じ、更に一口噛み進めたところで  
 
 
 ────キス、だと?  
 
 ようやくその甘く危険な言葉が俺の思考まで届いた。  
 
- * -  
 全ての思考が繋がり、閉じた目を思わず見開く。  
 鼻が擦れそうな位置にまで近づき、瞳を俺の姿で埋め尽くしていたハルヒも突然色を取り戻す。  
 流石に全身がびくっと大きく動いた。その振動は俺の肩からハルヒの腕を抜け、ハルヒ本体に  
まで届く。  
 ハルヒの声無き叫びに合わせ、両肩に体重が一気にのしかかる。俺は思わず両手から体重を  
逃がそうと手をつき、じっとりとかいていた汗によってその手を滑らせ、一気に身体のバランスを  
崩してハルヒもろとも机に倒れこみ、その机もまたバランスを崩し、結果俺とハルヒは絡み合いながら  
床へと二人勢い良く倒れこんでしまった。  
 
 下にいてハルヒを受け止める形となった俺は、背と腹の両面からの突然の圧力に、今まで以上の  
甘い感覚を口に感じながら、思わず車のタイヤで潰れたカエルの様な声をあげた。  
 
「ぐげろぇっ!」  
「キョ、キョンくん! 涼宮さんっ!」  
「二人とも、大丈夫ですか!」  
 
 天井と黄色いカチューシャをつけた頭が見える視界に、声と同時に三人が覗き込んできた。  
 朝比奈さんと古泉が揃って顔を青くしている。凄い貴重なシーンなのではないだろうか。  
 
「キョ、キョンきゅん! 大丈夫ですかぁっ!」  
「動かしてはダメ。どう、わかる?」  
 
 あぁ、長門。三本指が立ってるぜ。  
 とりあえず意識は目覚めたが、別の意味でまだ世界が回ってるみたいだ。  
 長門が頷くと、顔を上げて何やら指示を出し始める。  
 
「飲み物」  
「あ、ふゃい!」  
「長門さん、二人をそちらに。机をどかします」  
 
 結局その後は俺とハルヒの外傷内傷、意識の正常を長門中心で確認し、問題ないとわかると  
そのまま少し落ちついてから今日は解散となった。  
 ポッギーゲームの結果は、ハルヒとのポッギーがいつ折れたか、そして最後どうなったのかが  
わからなくなってしまった為、結局誰が勝ったかとかは決める事はなかった。  
 
 五人で下校し、ハルヒと朝比奈さんとは駅前で別れる。  
 俺は古泉と長門と三人で、自販機の傍で少したむろう事にした。  
「お疲れ様です。おかげさまで閉鎖空間が発生することも無く、涼宮さんは精神を安定させました」  
 そうか、それは良かったな。そう思うならそこのジュースぐらいおごれ。  
「喜んで。閉鎖空間消失のお礼がジュース一本でよろしければ、僕は毎日でもおごりますよ」  
 そう言って古泉が百パーセントジュースを一本買うと俺に差し出してきた。遠慮なく受け取ろう。  
「実のところ、あなたと涼宮さんが倒れるあの瞬間まで世界はずっと緊張状態でした。  
 今日は仲間達と徹夜でバイトだと、僕はずっと覚悟していましたからね。  
 ですが、あなたのおかげで今夜はゆっくりと眠れそうです。本当に感謝しますよ。  
 ……ところで、結局あなたと涼宮さんは何センチまで近づいたのでしょうか」  
 知るか。んな事お前が知っても仕方ないだろ。とっとと帰って低反発安眠枕でも使って寝てしまえ。  
 
「それがそうでもないんです。ある理由のためにね。そしてその理由のために、僕はこうして  
あなたの進言どおり帰るという行為をせずに、あなたとここで話しているのです。  
 そう、一つだけ僕がやり残しているある事をしてからでないと、今日の僕はSOS団の活動を  
終えることが出来ないんですよ。ですからこうして長門さんにも証人として残ってもらいました。  
 すみませんが、迷惑ついでに僕に協力してもらえませんか?」  
 何だよそれは。何をやり残したんだ?  
 俺が聞くと、古泉はカバンからポッギーを取り出し、一本口に咥えた。  
「これですよ。では、どうぞお手柔らかに」  
 
 古泉の咥えたポッギーを手で掴みおもむろに中ほどで折ると、俺はそれを一気に食べつくした。  
 
 
- * -  
 古泉が帰った後、俺はまだ俺の傍で本を読む長門に声をかけた。  
「何か飲むか? 介抱してくれた礼に、何かおごってやるよ」  
「……」  
 俺の問いに長門が瞬きを数回向けると、俺の持つジュースを目線で示した。  
「それでいい」  
 そうかと俺がジュースを傍らに置き財布を出そうとしたら、長門は俺が置いたジュースを  
手に取りコクコクと飲み始めた。  
 ……まぁ、お前が良いならいいけど。元々古泉におごってもらったやつだし。  
 
 そのまま古泉が置いていったポッギーを二人で食べる。ゲームで使ったやつの残りだ。  
「それで? 長門、お前は何でまだ残ってるんだ?」  
 古泉への無駄な付き合いならもういいんだぜ。  
 さっきお前も見た通り、優勝者はともかくアイツの負けだけは確実だってわかっただろ。  
 だが俺の問いに長門は小さく首を振り否定すると、ポッギーで口をもぐもぐさせながら  
「あなたに聞きたい事がある」  
 そう告げてきた。  
 
 長門が俺に? 珍しいな。俺で答えられる事なら聞いてくれ。  
「そう」  
 長門はポッギーを食べつくし、手に付いたチョコを軽く舐める。  
 
「唾液には食物を溶解し、味覚を促進させる効果がある。  
 唾液を混在させる事で体感する味が変化したり、本来より強く味を感じたりする事もある」  
 
 ……? 長門、一体それは何の話だ?  
 俺の疑問には答えず、長門は人差し指を立てると、軽く開いていた俺の唇へ押し付けてきた。  
 軽く舌に触れたのか、ポッギーより少し強い仄かな甘さが口の中に広がった。  
 
「あなたは今日の行為中、全て同じ菓子を食べた。菓子自体の甘さに違いは無い。  
 だがもしあなたが通常と違う甘さを感じた時があったのなら、それは味覚を感じるべきあなたの  
心境が大きく影響したか、あるいはあなた以外の唾液が混入されたからと考えられる」  
 
 思考が追いつき、長門の指をどかす。  
 これは何事かと長門に尋ねようとしたが、それより先に長門が数ミリほど首を傾げて聞いてきた。  
 まさに不意打ちの一言を。  
 
 
 
 
「────より甘かったのは、どっち?」  
 
 

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