ある月曜日。朝からハルヒは何やらメランコリックだった。  
珍しく何かを考え込んでいるような表情で、話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。  
おとといの市内探索ではいつどおりのテンションで団員たちを一日連れまわし、  
いつもどおり結局何も見つかりはしなかったが、解散する時のハルヒはそれなりに満足げに見えた。  
あれから何かあったのだろうか? などと一瞬思索を巡らせたが、こいつが何も言わないことには始まらない。  
とりあえずは様子見だ。  
できれば勝手に自己解決して、放課後にはいつもどおりのアホ団長に戻って欲しいもんだ。  
 
だがその日のハルヒは本格的におかしかった。  
部室でも何かを悩んでいるような様子で黙り込んだままで、さらに妙によそよそしい。  
お茶を運んできた朝比奈さんにかしこまった様子で控えめながらお礼まで言っている。  
いつもはファミレスで出されるお冷のごとく当然のことのようにお茶汲みさせているあいつがだ。  
今までにも不機嫌な時は幾度となくあったが、そういう時はむしろ周りに当り散らすのがあいつの性分で、  
こんなことは機嫌の良し悪しに関わらず過去に一度も無かったことだ。  
 
団員の40%がひたすら無言に徹する室内はいつもに増して謎の集まりだった。  
朝比奈さんは様子のおかしいハルヒに視線を向けては背けを繰り返し、  
古泉は俺とすごろくをしながら例によって不気味なアイコンタクトを送ってくる。  
いい加減俺がおまえの目配せには応答しないということを学習してほしいもんだ。  
長門はいつものように読書に励んでいて何かを言いたげな素振りは無い。  
傍から見たら何を思って放課後にわざわざたむろしているのか理解に苦しむであろう光景はこの日延々と続いた。  
 
心做しか普段よりも早く長門が読書を終えて帰り支度を始めたので、SOS団の本日の営業はこれにて終了。  
しかしハルヒが一言「じゃあね」と言い残してさっさと部屋を出て行ったので、その場で自動的に残業に移行する。  
まずは今日ずっと不快な視線を送り続けている古泉の話を聞いてやることにする。  
「あなたが何かご存知なんじゃないですか? 涼宮さん、今日はただならぬ様子でしたが」  
ずっと何かを言いたげだったから何かと思えば、俺に話を振ってきやがるとは。俺がそんなこと知るわけ無いだろ。  
「えっ、そうなんですか? 私もキョンくんなら知ってる思ったんですけど…」  
朝比奈さんまで俺を疑ってるんですか。  
というか俺とあいつは断じてそういう仲では無いと言う事を声を大にして断っておきたい。  
休日に2人で会ったことすら無いのも知っているだろうに、どうしてそういう話になるのかまったく理解に苦しむ。  
「そうですか、心当たりはありませんか。困りましたねえ、涼宮さんがあれほど精神を乱す理由が他にあるとも思えないんですが」  
まだ言うか。大体俺よりお前の方があいつの精神には詳しいんじゃなかったのか?  
「はい。しかしそれはあくまで大まかな精神状態が分かるだけで、具体的な思考などはほとんど伝わってはきません。  
 例えば涼宮さんが食事をして大変満足しているという感情は感じ取れても、  
 その際のメニューが何だったのかという情報は僕たちには全く分からないんです。  
 ですから今も、ナーバスな心理状態だということは分かってもその原因が何なのかは残念ながら不明なんです」  
まあここで自分はハルヒの心の声まで聴こえてると言われた日にはこいつとの付き合い方も考え直さなければいけないわな。  
「でも、おとといの夕方には変わった様子はありませんでしたよね?」  
「はい、僕が涼宮さんの精神に異常を感じ取ったのは昨日の午後3時ごろです」  
そういう重要情報はまず最初に言えよ。古泉の情報出し惜しみには毎回イライラさせられる。  
「それはすみません。出し惜しみをしているつもりはないんですけどね」  
つまり昨日の午後3時ごろに、あいつをドン底に落ち込ませるようなイベントがあいつの身に起きたということか。  
俺はふと親父にこっぴどく叱られて俯いているハルヒの姿を思い浮かべた。  
「『落ち込む』というのはちょっと違うと思いますね。感情を言葉で正確に表現するのは難しいんですが、  
 今の状態は『緊張』と言うのが最も適していると思います。  
 感覚としては…そうですね、出来の悪かったテストを親に見せずに黙っていて、  
 いつ見せろと言われるかとおっかなびっくりしている、あの感じです」  
優等生のお前にそんな経験があるのか実に疑わしい。皮肉のつもりか?  
 
「それってつまり涼宮さんが何か隠し事をしてるってことですか?」  
「それは確定的ではありませんが、ただ何かを恐れている、ということは間違いないと思います」  
ハルヒが何かを怖がって他人の前で沈み込んでるなんて俄かには信じがたい話だ。  
一体どうしたらそんな風になるというのか。やっぱり家族内のゴタゴタの線が濃厚な気がするんだが。  
「それが昨日の午後3時ごろ、涼宮さんは自宅にはおられず、ご家族ともご一緒ではなかったんです。  
 機関の者の報告では1時ごろに1人で自宅を出て駅周辺の書店や洋服店を巡り、特に何も買わず3時半ごろに帰宅しています。  
 その間知人に会うことも無く、変わった所は見て取れなかったそうです。  
 もちろん暴漢やひったくりのような犯罪にも遭遇していません」  
休日にまでハルヒの行動観察とは、機関の方々にはまったく恐れ入る。  
しかしそれが本当ならいよいよ何が何だか分からないじゃないか。  
「そうなんですよ。しかし観察員の報告は信用に値するものです」  
すると買い物をしていたら突然何かに不安になり、一晩寝てからもずっとその状態だっていうのか?  
そんなことがあるものだろうか。いや、この場合疑った方がいいのは…  
「僕もそう考えます。観察員には認識できない現象が起きていた、もしくは観察員の記憶を改竄された可能性です。  
 外出中何度かケータイを操作する様子が見られたということで、あるいはと思ってあなたには確認したんですが、  
 どうやら面倒な方の事態のようですね」  
俺がどんなメールを送ったらあんな風になるというのか問いただしたいところだが、今はスルーしておこう。  
だが自分も考えていたこととはいえ、改めて他人の口から聞くとやはり突拍子も無い説に聞こえてくる。  
本当に常識的な原因だとは考えられないのだろうか?  
自分のことを思い返してみれば、突然の不安に襲われることなんてそんなに珍しいことではない。  
ふと自分の将来の事なんて考え出してしまえば思考は大抵ネガティブな方に行ってしまうし、  
じいさんやばあさんの事を思い出せば、あと何回会えるだろうと要らぬ事を考えてしまう。  
しかしそんな状態を学校や部活(部ではないが)にまで持ち込むだろうか?  
現実に立脚しない、思い付いたような悩みなんて解決しようもないものだ。  
恋愛を精神病と言い切るドライな感覚の持ち主ならそんなことは俺よりも分かってるだろう。  
なんてことをあれこれ考えていたのだが、異空間や情報操作ときたらまず確認しなければいらない相手がいるのを思い出す。  
一度カバンにしまった本を再び取り出して、事も無げにいつもの姿勢を維持している長門に俺は尋ねた。  
「なぁ長門。お前は何か知ってるのか?」  
「……」  
意外に長い間だ。長門が今までのやり取りを聞いていない筈はないんだが。  
「涼宮ハルヒ、及びその周辺に対する外部からの干渉は観測されていない」  
この回答に虚を衝かれたのか、古泉が少々アップトーンの声を上げる。  
「本当ですか!?」  
「本当」  
自分の推理が空振ったのが悔しかったのか、古泉は長門に食い下がる。  
「あなたの観測に妨害が行われていた可能性はありませんか? 雪山の時のようにあなたに負荷を加えたりして」  
しかし長門と事実の正確性を争っても無駄なのは言うまでもない。  
「おかしいですねぇ…」  
なんでこいつは残念そうなんだ? 意外とハルヒの非日常願望に毒されてるのかもな。  
「もう4年近く涼宮さんの精神と繋がっていますからね。全く影響を受けていないということは無いと思います。  
 いえ、でも今の場合は残念とかそういうことではありませんよ。  
 長門さんの言うとおり何も無かったとすると、涼宮さんの今の状態の説明がつかないものですから」  
室内を沈黙が包む。確かに不可解ではあるが、長門が違うと言うのだからやはりハルヒの内面の問題なのだろう。  
「まぁひとまず帰ろうぜ。そろそろ時間やばいし」  
 
帰り道、古泉は長門にまだ何か突っかかっている。意外にしつこい性格なのかもな。  
俺はそんな2人の後ろで朝比奈さんと並んで歩いている。  
「私、明日はちゃんと涼宮さんに話を聞いてみます」  
彼女が時折見せるこの上級生らしい凛とした表情は朝比奈さん(大)を髣髴とさせる。  
ああやっぱり同じ人だなあ、などとちょっとした感慨に耽ってしまう。  
「キョンくん…、本当に何も知らない…んですよね?」  
あれあれまたそれですか。さっきの話、聞いてなかったわけでは無いですよね? 朝比奈さん?  
俺は朝比奈さんと同じく一昨日の夕方以来、週末あいつとは会ってませんし、  
メールも電話もFAXもテレパシーも交わしてません、と何度言ったら分かってもらえるんだろうか。  
「あ、うん、ごめんなさい。でもやっぱり気になるの…」  
どうして朝比奈さんと古泉は2人してそんなに事件性のものにしたがるのだろうねえ。  
家庭のことを思い出して悩みこむことだってあるだろうに。むしろそっちの方が自然だ。  
現に俺も進級が近くなって最近ますます進路のことにうるさい母親のことを考えると、家に帰るのも少々躊躇われるくらいなのだ。  
ハルヒの悩みも酷く現実的なものに違いない。そのうち時間が解決してくれるさ。  
朝比奈さんも相談に乗ってくれるというのだから心強い限りだろう?ハルヒ。  
宇宙人や未来人の悪戯では無いことが分かった以上、俺たちがやることは何も無い。今日のところは解散だ。  
俺も明日はもうちょっとまともに話を聞いてみるかな。憂鬱なハルヒなんて見ている方まで憂鬱になる。  
3人と別れて俺は家へと歩を進める。まあいろいろあるんだろ、ハルヒにも。  
 
家で夕食を済ませた俺は自分の部屋に引き上げた。  
特に何かすることがあるわけでもないが、リビングにいると母親のボヤキが飛んでくるので避難している次第だ。  
こんな時に動物は実に重宝する。特に変わったことをするわけでもないのに毎日見ていても飽きることがない。  
俺はカーペットの上に寝転んで、同じく丸くなったシャミセンンを眺めて食後のひと時を過ごしていた。  
「何でもかんでも超常現象のせいにすればいいってもんじゃないよなぁ?シャミ?」  
などと今は普通の猫となった愛猫に話しかけるほどに俺はリラックスしていた。  
しかし、ふとシャミセンは何かの気配を感じ取ったように顔を上げ、両耳を立ててドアの方を見ている。  
そして部屋のドアがノックされる。  
この家で俺の部屋のドアをノックする習慣があるのは母親だけだが、ノックだけで無言ということは無い。  
何だ? 階段を上がってくる音は聞こえなかったし、妹はまだ下にいるはずだが。  
「はい?」と俺が応えてもドアが開く気配は無い。  
俺は妹のピンポンダッシュかと思い、妹の部屋に行こうと立ち上がり、ドアを開けたのだが、  
そこで俺は言葉が出ないほどの驚きを味わうことなった。  
「なっ…」  
そこにはなんと長門有希が立っていた。  
いつもとなんら変わらぬ表情の長門なのだが、見慣れた風景の中にいるせいでものすごい違和感がある。  
「あなたに話がある」  
何の話か知らないが、どうして突然わざわざ家まで来るんだよ。  
夜中に女子(比較的可愛い)が1人でやってきたという状況は俺としては家の中でかなり体裁が悪い。  
不愉快な笑みを投げかける両親の映像が不意に頭をよぎって、焦る。  
「あなたの家族には秘密。私がいることは知らない」  
なんでそんな回りくどいことをするのかよく分からないが、とりあえず俺にはうれしい配慮だ。  
そうと分かればさっさと部屋に入っていただくことにする。誰かに気づかれたら終わりだ。  
 
「何か飲むか? お茶は怪しまれるだろうからあれだが、ジュースみたいなもんなら持って来るぞ?」  
長門には座布団を宛がい、俺はベッドに腰掛ける。  
「いい」  
ようやく落ち着いてきたが、よく考えたら家族に内緒で女の子を連れ込んでいるという状況も十分マズイ。  
正直いつ妹が長門の脇で丸くなってるシャミセンと遊びに部屋に飛び込んでくるんじゃないかと気が気じゃなかった。  
「心配ない。この部屋から音は漏れない。誰か来たら私は身を隠す」  
そういえばこいつは透明人間にもなれるんだったな。  
「そうか。それで話って何なんだ?」  
わざわざ俺の部屋まで来るような用事だ、何か良からぬ事なのは間違いあるまい。  
「涼宮ハルヒに私の正体を感付かれた可能性が高い」  
まさか!? ハルヒは勘の鋭いやつではあるが、  
殊に自分の引き起こした超常的な出来事に大しては何故か異常なまでに鈍感なのだ。  
最近の事では雪山で迷い込んだおかしな館が、集団催眠によって起きた幻だったとあっさり信じてたしな。  
いつも本を読んでいるだけの長門を見てどうしてそんな疑いを持つというのか。  
「今日彼女の精神が不安定だった理由もおそらくそのため。私の方を見る時、心拍に若干の乱れがあった」  
「どうしてそんなことになったんだ?」  
「私が自動車と衝突する寸前だった女性を回避さたのを、涼宮ハルヒに目撃された」  
長門が見ず知らずの人間を助ける様子を想像して多少の違和感を覚えたが、  
少し考えてみればやはり長門ならそんな時は何とかしてくれそうな気がしてくる。  
「いつ?」  
「昨日の午後3時ごろ」  
どういうこった。昨日は人間から見てもお前から見ても何も無かったと夕方は言ってたじゃないか。  
「古泉一樹の組織の人間を含む、目撃したと思われる周囲の全ての人間の記憶に修正を加えた」  
犯人はお前かよ! しかしそれならどうして夕方言わなかったんだ? いや、そういう事は無かったと否定までしたじゃないか。  
「だから“外部からの”干渉は無かったと言った」  
長門の目からイタズラを成功させた悪ガキのような雰囲気が感じられたような気がした。  
しかしそれは屁理屈だろ長門…。  
「私の軽率な行動は古泉一樹、朝比奈みくるのどちらの組織からも警戒される。だから言わなかった」  
「どういう意味だ?」  
「涼宮ハルヒに関心を持ついくつもの勢力はそれぞれ思惑は異なるが、  
 彼女の保全というただ1点においては現時点で目的を同じくしている。  
 その一環として、彼女に自分たちの存在や能力を察知されるこを最も瑕疵とする。  
 故に彼らが積極的に涼宮ハルヒにコンタクトを仕掛ける事はほとんどない」  
古泉が以前言っていた事を思い出す。  
ハルヒが超常現象を当たり前のものだと認識してしまうと世界がグチャグチャになってしまうとかいうあれか。  
正体を隠すのが至上命令だなんて、いかにも宇宙人・未来人・超能力者らしいな。  
それも実はハルヒが望んでいることなんじゃないのか?  
「つまりお前は相当にまずいミスをやっちまったというわけか。  
 でもそれならハルヒの記憶も修正しちまえばいいじゃないか」  
我ながらとんでもないことを言っているとは思うがね。まあ仕方ない。  
「事故後すぐに情報統合思念体に涼宮ハルヒの記憶の修正の許可を申請したが許可されなかった。  
 ごくわずかな可能性ではあるが、彼らは涼宮ハルヒの脳への干渉によって、  
 彼女の能力に良からぬ影響が出ることを恐れている」  
統合思念体っていうのは人間よりも高度な存在ならしいが、やってる事は随分お役所的なんだな。  
正体がバレるのは困るけど自分で何かをして悪い方に転ぶのも嫌。だからとりあえず放置してみる、なんてな。  
そんなはっきりしない態度だといつか本当に朝倉みたいのに寝首を掻かれるぞ。  
 
「それで俺に何をしろと?」  
「彼女が見たものを彼女の勘違いだと思い込むように仕向けてほしい。過去の例から考えてそれは可能なはず」  
そういうのは俺よりも古泉の得意分野なんだが、この場合は俺がやるしかないのか。  
だがどうやって話を切り出そう。まずはハルヒの口から説明を受けないといけないわけだよな?  
「ハルヒのやつが俺にそんな話してくると思うか?」  
「今日はまだ思考の整理がついていなかったが、近いうちに誰かに相談したい心理状態になると予想される。  
 そしてその相手にはあなたが選ばれる可能性が高い」  
まあハルヒと長門の共通の友人って言ったらかなり限られるしな。俺、朝比奈さん、古泉、それに鶴屋さんぐらいか。  
しかしどうだろう。ハルヒはああ見えて結構友達思いなやつだ。  
特に長門に対しては自分の妹のように労わっている節がある。  
そんなやつが親しいからといって、いやむしろ親しい相手にこそ「あの子おかしいのよ」などとは言わないのではないだろうか。  
「その可能性も否定できない。しかしそうならば逆に友人が不可解な存在であることを信じたくないという心理も働くはず。  
 あなたに話し、あなたに否定されることで自身の中での決着をはかろうとするとも考えられる。」  
そう来るか。でもそれなら話が速くて助かるな。  
「分かったよ。とりあえず明日ハルヒに話を聞いてみるわ。それでいいんだろ?」  
「いい」  
そういうと長門はシャミセンをひと撫でして立ち上がった。  
「もう帰るのか?」  
「帰る」  
用が済めば即帰宅か。なんとなく寂しい気がしないでもない。  
「送って行こうか?」  
「……いい。今日あなたに会ったことを誰にも知られたくない」  
「そうか。じゃあまた明日な」  
ドアを開け、一度俺の方を振り向いてから長門は部屋を出て行った。  
部屋のドアが閉まった後階段を降りる音も玄関のドアが開く音もしなかったが、さして驚く事でもない。  
 
さて、結局また面倒な事になってしまったわけだ。  
長門がハルヒの前で非人間的な動作を見せてしまい、ハルヒはそれ以来長門のことでおっかなびっくりしている、と。  
確かに前説無しにあの魔法を見せられたらビビらない人間はいるまい。  
ましてそれがか弱い(と思っている)女友達だったりしたらなおさらだ。  
しかしどうやって誤魔化してやろう?  
長門は車に轢かれそうな女性を助けたと言っていたが、そういえばどんなシチュエーションだったのか聞いていない。  
まあ詳しいシチュエーションなんて知らない方が自然な振る舞いができるだろうから別にいいんだけどな。  
俺は長門ほどポーカーフェイスではないし、古泉ほど人を煙に巻くのがうまいわけでもないから。  
こういう場合自分であれこれ考えても仕方が無い。  
とりあえず明日、ハルヒにさりげなく話を聞き出す。文字通り話はそれからだ。  
 
次の日、ハルヒは昨日と同じ物憂げな顔だった。声をかけても昨日と似たような反応だ。  
頬杖をつき、視線は窓の外に固定。これは骨が折れそうだ。  
「やれやれ」と心の中で呟きながら、話をするなら昼休みがいいかなぁなどと考えていた。  
 
しかし少し意外な展開が昼休みには起きた。  
「あんたヒマでしょ? ちょっと来て」  
長くない昼休み中に飯を喰わなければならないのだから決してヒマではないのだが、当然ここは言われた通りにする。  
谷口の生暖かい視線を背中に感じながら、俺はハルヒと2人で教室を出た。  
2人とも笑顔のかけらも無いこの状況が楽しい青春の1ページに見えるのだとしたら、相当病んでるぞ、谷口。  
ハルヒが俺をどこかへ連行するときは必ずどこか体の一部を掴まれているような気がするが、  
今日は俺の前を振り向くことなくただ歩いている。ちょっと調子が狂うな。  
着いた場所は屋上だった。誰もいないのを確認したハルヒは端まで進み出て手すりに前向きに寄りかかった。  
俺もその横で同じ姿勢を取る。  
どうでもいいが屋上に出る扉は普通は鍵がかかってるんだけどなあ。  
「どうしたんだ? 昨日から元気ないみたいだが」  
ここにきてまた黙ってしまったハルヒを俺は促す。  
ハルヒは俺の顔を一瞬見た後、前に向き直りようやく話を始めたのだが、  
俺は予期せぬその内容にフリーズしてする。  
「…ごめんなさい…」  
「(!?)」  
「妹ちゃん、変わった様子とか無い?」  
なんだ? 何故俺に謝る? どうしてここで妹が出てくる?  
「ん? 何の話だ?」  
当然俺はこう答える。それを聞いたハルヒは驚いた顔で振り向き語調を荒げた。  
「聞いてないの!?」  
「だから何をだよ? 俺は何も聞いてないぞ」  
ハルヒは目を丸くしている。本気で驚いているようだ。  
「そうなの…」  
そう言うとハルヒは何か考え込んでしまった。  
俺の方もそうだ。長門の話が来ると思っていたのに肩透かしを食らった格好だ。  
どのくらいだろうか、1分近く沈黙が続いたような気がするが、実際にはもっと短かったかもしれない。  
平静を取り戻したハルヒがようやく口を開いた。  
「このあいだの日曜日、一昨日ね、あんたの妹さんに会ったのよ。駅前の本屋のあたりで。  
 通りの向かい側を1人で歩いてるのを見かけて、声をかけたの。  
 そしてたら妹ちゃん、止まってた車の前を通って道を渡ろうとして、  
 そしたらその…、走ってきた車に轢かれそうになって…」  
なんと! 長門の言ってた女性っていうのがうちの妹だったのか!?  
「それで有希に助けて貰ったって話は聞いてる?」  
「…いいや、知らん」  
ここは素の反応だ。  
「そう…。道に飛び出した時、偶然妹ちゃんの近くに買い物に来てた有希がいて、  
 道に飛び出した妹ちゃんを歩道に引き戻してくれたみたいで…。有希がいなかったら…」  
「そんな事があったのか」  
歳のわりに幼くて、外で何か危ない目に遭ってないかと時々不安になることはあったが、  
まさか車に轢かれかけていたとはね。  
「だからごめんなさい…。私が声かけたりしたから…」  
ハルヒはいつになく神妙な面持ちだ。だが話を聞く限りハルヒが気に病むことじゃないのは明らかだ。  
「おまえのせいじゃないだろそれ。道路に飛び出す方が悪いに決まってる。  
 そのくらい幼稚園児でも弁えてるべき事柄さ」  
「…」  
ハルヒは俯く。慰めでも何でもなくこの場合うちの妹が一方的にマヌケなのだ。  
そのせいでこんな風に思い詰めさせてしまっているのは、兄として実に心苦しい。  
「おまえのせいじゃないよ…」  
「…」  
 
ハルヒは応えなかった。  
再び沈黙が訪れる。実に空気が悪い。  
俺もこれ以上何を言えばいいかよく分からないし、ハルヒもだんまりだ。  
一万歩譲っておまえ過失があったとしても、結局は何も無かったんだ。  
妹は怪我もしなかったし、今日も元気に学校に行ってる。  
そりゃ一言謝るのは筋かもしれないが、そんなに気にされても俺は困るばかりだ。  
勝手な言い方かもしれないが、そんな風に落ち込んでるおまえを見せられる俺のことも考えてくれ。  
どうにもならない事をうだうだ悩みこむなんで、おまえらしくないんだよ。  
「何よあたしらしくないって。それよりあんた、あの子のお兄さんなんでしょ!?」  
全然似てないとよく言われるが、まぁそうだ。  
「しっかり見ててよね。妹ちゃんまだ子供なんだから。一人で遠くに買い物なんて行かせちゃだめよ?」  
自分が小学5年生の時はもうなんでも出来たような気がして、妹の動向に気をつかってなかったのは確かだ。  
今度のことを聞けばその認識が甘かったのは否定しようがない。  
「ああ。すまなかった」  
「頼んだわよ?」  
「ああ」  
ハルヒの顔から緊張の色が引いていった気がした。  
「今度あんたの家に行くわ。妹ちゃんにも謝らなきゃ」  
家に来るのか!?  
「何か都合悪い事でもあるの?」  
ハルヒの顔がぐっと近づいてくる。  
何か悪いことをした訳でもないのに咎められてるような気がするのは何故だろう。  
「いや、別に無いが…」  
「じゃあ決まりね。今日の帰りに寄らせてよ。早い方がいいから」  
よりによって今日かよ! まさか長居はしないだろうな? 今日は親父も普通にいる日なんだが。  
いや侮れない。妹は妙にハルヒに懐いてるし、下手したら晩飯を食べて行くように薦めるやもしれん。  
しかしハルヒもいくらなんでも空気を読むか…?  
「何ブツブツ言ってるのよ。さっ、もう戻りましょ!」  
そう言うとハルヒは屋上のドアの方へズカズカ歩き出した。  
まったく、こっちの事情なんてホントはどの程度考えてるのかねぇ? この娘は。  
しかし俺は内心ホッとしていた。  
ハルヒはこうでないければハルヒじゃないよな。  
 
これで一件落着だろう。  
話を聞く限りハルヒは長門があらぬ動きをしてうちの妹を助けたのには気づいていないようだし。  
「長門には後でお礼を言っとかなきゃなぁ」  
階段を下りながら俺は独り言のつもりで言ったのだが、ハルヒから応答があった。  
「私も。妹ちゃんの様子も確認せずにあそこから逃げ出しちゃったから…。  
 あの時有希と目が合って、あの子に責められてるような気がして居たたまれなって…」  
それで長門は自分の正体がバレたと思い込んだのか。  
方々に迷惑かけまくりの妹で益々申し訳ない。  
「ところでおまえ、これから学食行くのか?」  
「行くわよ? 何で?」  
昼休みはあともう20分ちょいしか無いのに行くのか。  
まあ実はその答えを期待してたんだがな。  
 
俺たちは校舎内に戻り、階段を下りたところで別れた。  
軽快な足取りで駆けていくハルヒを見て俺はようやく肩の荷が下りた気がした。  
普段は大体こっちが迷惑を被る側なのだが、今回ばかりすまなかったと思う。  
帰ったら妹にはきっちり言い聞かせておかないと。  
おそらく長門に記憶を消されているのだろうが、だからこそ言っておかねばなるまい。  
 
そして俺も早足で部室にやってきた。  
全て杞憂であったと報告する意味合いもあったが、  
それよりもあいつに言っとかねばならない事と聞いておきたい事があったからだ。  
ドアを開けると長門はいつもの場所でいつもの読書に励んでいた。  
「ハルヒに話聞いてきたぞ。おまえのした事には気づいてなかったみたいだ」  
「聞いていた」  
どうやって聞いていたのか知らないが、話の速い限りだ。  
「それより妹のことだけど、ありがとうな」  
本来はもっと丁重に礼を述べるべきなのだが、すまん、こんなので一杯一杯だ。  
事故の現場に居合わせていたらばちょっとは違うんだろうけどな。  
「いい」  
今頃妹が病院で管を繋がれて眠っていたり、あるいは棺桶に入っている様子を思い浮かべ、  
今になって俺は事の重大さを認識し始めていた。  
長門がいてくれて本当に良かった。  
「それで、何でうちの妹だってこと言わなかったんだ? 隠してた理由が分からないんだが」  
聞きたかったのはこれだ。ハルヒと話せばどの道分かる事なのに、何故昨日言わなかったのか。  
俺は何か深い理由があるのだろうと思っていたのだが、長門の返答は今日2番目の驚きだった。  
「…特に理由は無い」  
理由が無い? 長門のすることに限ってそんなはずは無い気がするんだが。  
「本当に何も無い」  
疑念は残ったが、長門にまっすぐ見据えられてこう言われては納得する他無い。  
家族の命の恩人の言うことを疑うのは大変に気が引けるしさ。  
それにもう済んだ事だ。細かいことを気にしてもしょうがない。  
ハルヒはあの様子なら放課後にはいつもどおりの傍若無人ぶりを見せてくれそうだし、  
長門の大失態は取り越し苦労だったわけだし。  
あとは俺がうちのバカな妹に交通安全についての集中講義を開けばいいだけだ。  
ついでに街の悪いお兄さん対策の補講もやるべきかもしれん。  
「悪かったな。うちの妹のせいで余計な面倒かけて」  
「いい。あなたの妹が無事で私もうれしい」  
 
放課後。部室には俺と朝比奈さんと古泉の3人だけしかいない。  
俺は朝比奈さんが入れて下さったお茶をいただきながら、居残りの2人に今回の事の顛末を説明していた。  
結果的にハルヒには長門の能力は全く知れてはいなかったので、話しても問題ないとの長門のお達しだ。  
元はといえばうちの妹のせいでこの2人にも心配をかけたのだから、俺が誠意を尽くさないとな。  
古泉は心配というより難しいパズルを預けられて喜んでいるような雰囲気ではあったが。  
「そういうことでしたか。それであなたや長門さんにに責められるのではないかと不安を感じいた、と。  
 確かに、僕の感じていた涼宮さんの精神の感覚を過不足無く説明できるシチュエーションです。  
 それで今、お二人はどこに?」  
ハルヒは長門を連れてどこかへ外出中だ。昼の言の通り長門に礼を言いに行ってるのだろう。  
あいつが悪いわけではないのだから、当然俺としては複雑な心境だ。  
「それにしても、あなたの妹もうっかり者ですが、長門さんも迂闊でしたね。  
 涼宮さんの位置も行動も常に把握してるんですから、彼女に見られることは予測できたはずです」  
確かにそうだ。長門でも「ミス」なんてものをするのかな。  
「やはり『あなたの』妹だったから危険を覚悟で助けたのでしょうか?」  
長門は俺たちよりもよほど人間の出来たイイ奴だ。  
目の前で人が傷つきそうになっていたら、赤ん坊だってヤクザだって助けたに違いない。  
別に知ってる奴だったからじゃない、俺はそう信じてる。  
「ずいぶん彼女を買ってるんですね」  
「悪いか?」  
「いえ、とんでもない」  
古泉は両手を上げて「撃たないで」のポーズ。なんだかからかわれた気がする。  
「キョンくんは妹さんが事故に遭いかけたことは知らなかったんですか?」  
今まで聴きに徹していた朝比奈さんがようやく声を発する。  
「はい。妹の記憶も消したと言ってましたから。あぁ、ハルヒと話が合うようにまた修正するみたいですけど」  
おかしな友達だらけの兄を持ったばかりに頭の中を何度も弄られる羽目になって真に申し訳ない。  
しかしそんなに簡単に記憶を書いたり消したりできるなら、  
俺も長門に頼んで英和辞書の1冊や2冊書き込んでもらえないものかと真剣に考えていた。  
そこでふと俺の中にまた、長門が妹のことを隠避していた疑問がぶり返す。  
長門は理由は無いと言っていたが、妹の記憶を消していたことと関係があるのかな?  
「キョンくん……本当に分からないんですか?」  
朝比奈さんが呆れたような、というか奇特なヤツを心配するような表情で俺を見ている。  
何か俺はおかしいことを言っているのだろうか? 全く心当たりが無い。  
横では古泉がいつもの透かした笑みを浮かべて「ヤレヤレ」のジェスチャーをかましてやがる。  
「あなたはそういう事には疎いですからね。まあそれが魅力ともいえるのですが。ふふふ」  
2人で顔を見合わせて笑ってないで、俺にも分かるように説明してくれ。  
「あの〜、朝比奈さんには分かるんですか?」  
「えっ? あ、あの、その…、本気で言ってるんですか?」  
そんなこと言われても、俺は朝比奈さんと話すときはいつも程々に真面目のつもりなんですが。  
「はあ…。キョンくんって、ちょっとアレですよねぇ…」  
朝比奈さんの視線がいつに無く冷たく感じた  
 
 
2人の心配事 -完-  
 

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