「……雨、止まないわねー」  
 
ハルヒが本から顔を上げぽつりと呟いたが、反応を返したのは窓に貼りついて黒々とした空を眺めていた朝比奈さんだけだった。  
 
長門の部屋は文芸部室、駅前の喫茶店に次いでSOS団員の溜まり場である。  
本日は本来なら恒例のパトロールの日なのだが、昼過ぎから雨の予報だったために午前で切り上げ、  
今はこうして長門の部屋で無為にだらだらしている暇な高校生が5人いるばかりである。  
 
長門の部屋は高校生に似つかわしくなく、また一人暮らしにも不適切と言えるほどの広さを誇り、  
さらに家具や長門自身の私物の少なさが部屋の広さを際立たせている。  
 
その数少ない家具であるコタツ机の上には、トランプが散乱している。古泉が持ち込んだもので、  
先ほどまでババ抜きやらポーカーやらで全員で遊んでいたのだが、流石に2時間も3時間もやり続けられるものでもなく、  
ハルヒが「飽きた」と言った瞬間に全員で同意を示したものだった。  
 
(その後、ハルヒは長門と二人で「スピード」で対決をしていたが、惜しいところまで競るものの長門には勝てず、  
無駄にフラストレーションを溜めたハルヒがまたしても「飽きた」と言うだけなのであった)  
 
現在、時刻は午後4時をまわった。団員はもうグダグダモードに切り替わっており、俺とハルヒは長門に借りた本を読み、  
朝比奈さんは窓の外をぼんやり眺めているし、古泉はなにやら携帯をカチカチやっている。  
 
予報では夕方には晴れるという話だったが、外の雨は弱まるどころかバタバタと音を立てて窓ガラスにぶつかってくるほどの勢いに  
なってきており、時折大きな音を立てて窓際にいる朝比奈さんをびくつかせたりしている。  
 
「……予報では、夕方に晴れるって話だったのよね? キョン」  
「ああ」  
「どうも今夜中には止まないようですよ」  
 
携帯端末を弄っていた古泉が、ディスプレイをこちらに向けながら言った。手を伸ばしてそれを受け取ると、  
ネットの天気予報が表示されていて、青い傘のマークが連なっていた。  
 
「……マジか」  
 
沈黙。  
 
机の前で正座して本を読んでいる長門の、ページをめくる音だけが響く時間がしばらく続き、  
 
「あーもう! 気が滅入るわね!」  
 
突如声を上げたハルヒに、朝比奈さんがまたびくりとした。  
長門に借りた本を投げ捨て、ゴロゴロと床を転がるハルヒ。お前、ひとの借り物をなんて扱いしやがる。  
 
「キョンが悪いのよ! 夕方には晴れるって言うから傘は持ってこなかったのにっ」  
 
はぁー、と溜息。  
昨夜、天気予報を見て今日の午後から雨であることを知った俺は、気を利かせてハルヒに午後どうするかを電話で注進したのだが、  
中途半端なことはやめとけば良かった。どうせなら午後には解散しようぜと提案するべきだったぜ。  
 
俺の注進を受け入れたハルヒは長門の部屋かアーケード街をパトロールすることを提案、パトロールは正直飽きが来ていたため、  
ほぼ全員一致で長門の部屋に決定された。ほぼ、の理由はハルヒがパトロールをやりたがってたからである。  
 
「有希、傘ってある?」  
「一本だけなら」  
 
玄関に置いてあるな。安物のビニール傘が。  
そして、ここに傘を必要としている人間は4人である。  
 
また溜息。嬉しくもないことに俺とハルヒでユニゾン。  
 
「タクシーでも呼びましょうか?」  
「……いや、いいわ。お金が勿体無いじゃない」  
 
古泉が呼ぶタクシーと言えば、まぁ運転手の怪しいタダで乗れるタクシーだと推測できるが、あえて黙っておく。  
古泉も失敗した、って顔してるしな。タクシーと言わずに「迎えをよこしましょうか」とか言って、  
何食わぬ顔で荒川さんを呼べばよかったのに。……いや、どのみちハルヒに「機関」の存在を匂わせたら駄目か。  
 
「……仕方ないわね。有希、今日泊まっていってもいい?」  
「別に構わない」  
 
長門は本を読みながら即答した後、ハルヒのほうに向きなおし、  
 
「でも、布団はない」  
「別にいいわ。一晩中起きてるつもりだから」  
 
マジか。  
まぁ、明日は休みだからいいけどな……  
 
ただ、そうなると、問題が発生する。  
 
「長門」  
 
俺の呼びかけに、本に戻した視線をこちらに向ける。  
 
「食い物ってあるか?」  
 
長門は思い出そうとする素振りすらせずに、  
 
「ないことはない。カレーの缶が2つ保存してあり、冷蔵庫にはキャベツひと玉、炊飯器には白米が10合炊いてある」  
 
米も備蓄が充分にある、と加えて言った。  
うーん、量としては、5人が朝まで食いつなぐには充分だろうが、夜食がカレーっていうのもなんだかなぁ。  
多分追加で米を炊き直さなければならんし。一人暮らしで10合も炊いている長門がツワモノ過ぎる。  
 
「お菓子かなんか無いの?」  
「ない」  
 
長門は即答し、ハルヒはしばらくうーん、と唸って、  
 
「よし、鍋をしましょう」  
「はぁ?」  
 
カレー雑炊しか作れないと思うんだが。  
 
「無論、買出しにいくのよ。幸い一本だけ傘はあるんだし」  
「誰が行くんだ?」  
 
ハルヒはニッカリと笑い、テーブルの上のトランプを指差したのだった。  
 
 
 
まぁ予想通りの結果になったんだけどな。  
 
いつもは大抵の場合朝比奈さんと古泉が俺と最下位を争うんだが、今日はどういったことか前述の二人が最初に上がったために  
珍しくハルヒと俺が最下位を争い、結果俺がこうして安物の小さいビニル傘をさしてスーパーに向かっているというわけだ。  
 
しかし、鍋か……。クリパでハルヒ特製鍋を食べて以来のような気がする。  
そのときの味を思い出しながら、俺の気分は少し軽くなったはずだった。雨さえ降ってなければな。  
 
スーパーに到着した俺は、ジャンパーにかかった水滴を払い落とし、買い物を開始する。  
豆腐、水菜、にんじん、ごぼう、大根、しめじ、しらたき、白菜、肉はどうしようかな。鶏肉が安い。よし。  
味付けは……そういえば長門の部屋に調味料ってあったか?  
 
電話してみる。  
ぷるる。かちゃ。  
 
『……』  
「あ、長門か? 鍋の味付けなんだけどさ、お前の部屋に味噌とか醤油とかってあったっけ?」  
『ない』  
「そうか、じゃあ買ってくな。あとなんか希望のものとかあるか?」  
『特に無い』  
『有希、その電話キョンから?』  
 
ハルヒのバカでかい声が聞こえた。  
 
『そう』  
『代わって! ……もしもし?』  
「おう、どうした」  
『言い忘れたんだけど、あたし凍み豆腐好きなのよね。買ってきてくんない?』  
「わかった」  
『あと、お菓子とジュースね。忘れないでよ。あ、そうそう、カセットコンロのガスが無かったから、1本買ってきて』  
「へーい」  
 
 
さて、そろそろ一人で持って帰るには怪しい量に突入してるではないだろうか。  
長門の部屋には食器すら充分な数が無いので、スチロールの椀と紙コップ、割り箸も買っていく。  
ハルヒ希望の凍み豆腐は、豆腐コーナーではなく乾燥食品コーナーにあった。盲点。  
調味料は悩んだ挙句、最初から鍋に使う用に売られている合わせ出汁(醤油ベース)を使うことにした。一番確実だろ。  
お菓子を適当に選び、2リットルのジュースを2本。オレンジとお茶。  
ガスも忘れず購入。わはは、カゴ2つに収まりきらないわけだが。  
 
 
 
そういや傘もあるんだよな。  
5千円札と涙のお別れを果たし、ビニル袋に詰めているときは両手に2つずつ持てば何とかなるなとか思っていたが、  
出口に立って外を眺めて、濡れずに帰るには傘を差す必要があることにようやく気づいたのであった。  
っていうか、今思えば野菜が多すぎる気がする。  
 
片手に袋4つ……無理だな。  
仕方ない、傘を脇に挟んで、濡れながら帰るとするか。  
 
 
 
果たして長門のマンションに到着した頃、俺は濡れ鼠などという表現もおこがましい、何かの妖怪ではないかと言うほどに  
全身ずぶ濡れだった。髪も顔に貼りつき、顔色は悪く、寒さで小刻みに震えている。  
エントランスのカーペットの色が変わっていたように見えたのは気のせいではあるまい。  
エレベーターも順当に濡らしまくり、さて、妖怪湿気男を出迎えたのはたまたまトイレに廊下に出ていた朝比奈さんの悲鳴であった。  
 
「みくるちゃんどうしたのっ!? うわっ、何よこいつ。妖怪変化めっ!」  
 
その言い草はひどすぎる。いやまぁ、自分でもひどいナリとは思うが。  
朝比奈さんじゃなくても悲鳴くらいは上げるかもしれない。往来を歩いていたら即通報モノだな。  
 
事情を説明すると、ハルヒは意外にもねぎらいの言葉をかけ、シャワーを浴びろと言った。  
てっきりバカにされるかと思ったが、この雨の中わざわざ買い物に行った俺に鞭打つようなことはためらわれたらしい。  
 
「しかし、着替えが無いぞ」  
「……有希ー、フリーサイズのTシャツか何か持ってない?」  
 
長門が別室に動く気配がして、5秒ほど待つと、  
 
「……」  
 
玄関に現れた長門の手には、見慣れたジャージ。学校の指定ジャージだ。  
 
「サンキュ」  
「気にしなくて良い」  
 
 
 
シャワーから上がって長門のジャージを着ている俺だが、うーむ、いいのかこれ。  
はっきり言って俺と長門では体格が違うので、ジャージのサイズも当然小さい。  
そして、現在俺の衣服は下着を含めて乾燥機の中で回転中である。  
 
上下共に寸足らずで、袖もズボンの裾も大分手前で終点を迎えている。  
が、そんなことより、重要なことは、一言で表すと、こうだ。長門のジャージと俺の股間が直接触れ合っている。  
そしてこのざらざらとした感触が……なんとも。  
しかもこの生地に、普段長門が下着を押し付けてるんだよなー、なんて考えると、……こう。  
 
そこ、笑ってもいいし、変態と罵ってくれてもいいぞ。自覚はしてる。  
 
極力平静を装ってリビングに戻ると、ハルヒの大爆笑が俺を迎えた。俺は憮然とするしかない。  
 
「……」  
「すまん、長門。洗って返すから」  
「……別に良い」  
「いや、俺の気がすまないんだ」  
 
しぶしぶといった感じで引き下がる長門。  
俺がシャワーを浴びている間にだいぶ準備は進んでいたようだ。まぁ鍋なんて材料切って煮るだけだしな。  
 
「キョンあんた買い過ぎよ。10人前くらいあるわよ」  
「お前は7人分くらい食うかと思ってな」  
 
そんなに食うかっ、とハルヒは憤慨の様子だ。あれ、ちょっとデリカシーに欠けてたかな、俺。いやまぁ、ハルヒだしな。  
実際余ったとしても材料を冷蔵庫に入れておいて、明日の朝にでも食べれば良いのだし、問題は無いだろう。  
 
しかし今更だが、この季節に鍋ってどうなんだろう。  
 
「え? お鍋って季節とか関係あるんですかぁ?」  
 
普通は冬とか寒い日に食べるものだと思いますが。  
 
「私の家では季節に関係なく食べてるわよ。なによ、イヤ? イヤなら食べなくてもいいんだからねっ」  
 
嫌なわけが無い。俺の家でも季節に関係なく出るし、ハルヒ鍋の味は保証済みだ。  
 
「じゃあ文句言うんじゃないわよ。丁度いいじゃない。身体が温まって」  
「冷えた原因もこの鍋のためなんだがな……」  
「男の癖にぐちぐち言ってんじゃないのっ」  
 
……確かに皮肉が過ぎたかもしれない。反省。  
 
 
 
夜通し起きてるつもりらしいので、腹八分目にしておいた。満腹になると眠くなっちまうしな。  
ハルヒと長門はいつもの調子で食い続け、俺の皮肉を実現しそうになったので、  
夜中に腹減ったときにお菓子だけじゃ足りないかもしれないと注進し、適当なところで留めさせた。  
 
「はぁー、食った食った」  
 
腹をぽんぽんと叩くハルヒ。意図的に目をそらす。見ちゃおれん。  
 
 
 
そこからの俺たちは、特に細かな描写が必要なほどの活動を行わなかったので、ダイジェスト版でお送りしよう。  
 
鍋を一旦片付け、お菓子をつまみながらしばらく雑談。内容は、SOS団の今後の活動予定から昨晩のテレビの話、  
教師の悪口など多岐にわたったが、特に実のある内容ではなかった。  
そうこうしてるうちに、午前2時ごろかな、朝比奈さんがうつらうつらしてるところをハルヒが叩き起こす、  
というやりとりがしばらく続き、ついに朝比奈さんがリタイア。長門に頼んで隣の和室に布団を敷いてもらい、  
暇な高校生は4人組にグレードダウンしたというわけだ。  
そうやってぐだぐだしているうちに小腹が空いてきたので、余った材料で鍋会セカンドシーズン。  
あとは朝まで雑談とトランプをしていた。  
外からチュンチュンというベタな鳥の鳴き声が聞こえてきたあたりで朝比奈さんが起き出し、  
寝てしまったことを全員にぺこぺこと(特に、長門に対しては念入りに)謝罪し、  
全員揃ったということで、朝食を兼ねて鍋会ファイナルシーズンだ。  
残りの材料を全て投入、炊飯器の米も投入して雑炊にしたりして朝っぱらから満腹になった。  
最終的にはカレーを突っ込んだせいでカレーの味しかしなかったが。  
 
 
 
乾燥機に入れっぱなしだった服に着替え、袋を貰って長門のジャージを詰めた。洗って返すからな。  
窓の外はこれでもかと言うほどの快晴。もし晴れなかったら晴れるまでこのまま長門の部屋に居ただろう。  
 
「じゃ、そろそろ帰るわね。ごめんねー有希、朝までいちゃって」  
「別に構わない」  
 
片付けもそこそこに、ハルヒのいまさらすぎる謝罪の言葉。長門はいつもどおり。  
ハルヒは徹夜明けだってのにいつもどおりのテンションだし、  
しっかり寝た朝比奈さんも元気だ。長門が寝不足による体調不良を起こすとは考えづらく、  
したがって古泉と二人で憔悴した面持ちで団長と書記(お茶組係兼任)を見つめるばかりである。  
あくびを噛み殺しながら、エントランスホールに出るところで、手ぶらな事に気づいた。  
 
「長門のジャージを玄関に忘れちまった」  
「いいんじゃない? 別に。洗濯するでしょ」  
「俺の気が済まないんだよ」  
 
ハルヒのここで待ってるからさっさと行ってきなさいという言葉を背に受けつつ、長門の部屋に戻る。  
 
 
俺は寝ぼけていたのかもしれない。チャイムを押すことも忘れ、いきなり扉を開けてしまった。  
がちゃん。  
 
「長門ー、すまん、ジャージを忘れて……」  
 
長門は、玄関に正座をして、ジャージに顔を押し付けていた。  
 
…………。  
 
しばらく空白の時間が流れた。  
 
「……ジャ、ジャージを……」  
「必要ない」  
 
ぴしゃりと言い切られた。  
 
「特に汚れや悪臭などの発生は検知されていない。洗濯の必要は無い」  
 
そ、そうか、汚れとかのチェックをしてたんだよな? いや、でも、俺の気分としてだな、  
 
「必要ない」  
 
2回目。俺は黙り込むしかない。  
 
「どうしてもというなら、こちらで洗濯しておく」  
「そ、そうか、すまんな」  
「いい」  
「じゃ、じゃあな」  
 
と口ごもりつつもその場を退散した。  
が、ちょっと気になったので足音を忍ばせて戻り、そっと扉を開ける。  
 
長門は、またしても、玄関に正座をしたまま、ジャージに顔を押し付けていた。  
 
「…………」  
「…………」  
「…………」  
「…………再チェックをしていた」  
「長門。やっぱり俺が持って帰って洗ってくる」  
「必要ない」  
「頼む、俺に洗わせてくれ」  
「駄目」  
 
その後数分間の押し問答の末、俺の帰りが遅いことを訝しんだハルヒがエントランスからインターホンを鳴らし、  
それに長門が応対した隙をついてジャージを引っつかんで逃げてきた。  
 
「あれ、出てきた。何してたの?」  
「いや、なんでもない。長門がジャージを洗おうとしてたから、なんとか俺に洗わせる様に説き伏せてたんだ」  
「別に有希だって、気にしてないと思うけど。そう神経質なのも、かえって相手に失礼じゃない?」  
 
なんと言われようと、こればっかりは譲れないぜ。  
 
 
 
後日洗濯して長門に渡したとき、長門の視線が若干恨めしいものに見えたのは、気のせいだよな?  
 
 
終わり  
 

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