おじいさんは言いました  
 おお娘よ わが娘 お前はいっとう美しい   
 真珠の瞳に 絹の髪 ジノリの肌に 銀のドレス  
 お前が一度微笑めば 皆がお前に恋をする  
   
 綺麗な娘は言いました  
 ああ だけども お父様  
 私には 微笑むことすら 叶いません  
 
 娘は知っていたのです  
 
 自分が 人形だということを  
 
 
   
 冬の寒さが、まだ少しばかり残っていた頃の事だ。  
 週末の休み、俺たちSOS団は、唐突な(こいつは常に唐突なので、もはや予定調和的でもある)ハルヒの思い付きにより、長門の部屋に集まっていた。  
 ちなみに理由は「有希の家って、ご両親いらっしゃらなかったわよね?じゃあ皆で夜中までパーっと騒ぎましょう!」との事だ。  
 お前の頭が年中パーっとしているのは勝手だが長門に迷惑をかけるのは俺としては賛成できないね、という俺の提案は、長門の頷きによって政治家の過去のスキャンダル並に無かった事にされ、結局長門家にSOS団全員集合と相成ったわけである。  
 
「で、何して夜中までパーっと騒ぐんだよ?」  
 長門の部屋には、相変わらず殆ど必要最低限のものしか存在していない。  
 まさか、しりとりでもしようって言うんじゃないだろうな。多分俺は途中で寝るぞ。  
「キョン、あんたってばそんなんだから、いつまでたっても雑用係なのよ。私こと団長が、ばっちり夜中まで盛り上がれるものを用意してるに決まってるじゃない!」  
 無駄に大きな胸を張って、自信満々に言い切ったハルヒは、先ほど買い物してきたコンビニの袋の中から、大きな箱を取り出した。  
「じゃーん!黒髭危機一髪よ!」  
 どちらと言えばこいつの大脳の方が大分危機一髪なのだが、その箱の中身は、紛れも無く剣を刺したら黒髭のオヤジが飛び出してくるあれであった。  
「いやあ、なかなか楽しそうですね」  
 いかにもうわあ楽しそう、て感じの笑顔でそんな事を言い出す古泉。お前は常にハルヒ完全肯定派だな。権力の犬だよ。  
「あのー、これ、何なんですかぁ?」  
 奏でる声は美しい風の運びとなって千里をかける、でお馴染みの朝比奈さんがそんな声をあげる。未来にはこんなもん無かったんだろうな。  
「…………」  
 これは長門である。はじめて見るわけのわからないオモチャに視線が釘付けになっているようだ。意外と食いついてるな。  
 しかし、このままスルーさせるわけにはいかない。ここで唯一の常識人である俺の出番である。  
「おい、ハルヒ。そんなもんで夜中まで遊べるわけ無いだろう」  
 ハルヒは俺に対して、何言っちゃってんのよこのベンジョコオロギみたいな顔を向けながらため息をついた。  
「はぁ、本当にあんたは雑用係よね。雑用係オブフォーエバーだわ」  
 よく意味はわからないが、凄く嫌な響きだった。  
「いい、よく聞きなさい。剣を刺して、黒髭が飛び出したら一抜け。最後まで飛び出さなかった人はビリ。一抜けはビリに、何でも言う事を聞かせられるの」  
 王様ゲームじゃねえか。というか、普通飛び出させた奴が罰ゲームだろ。  
「こんだけ穴が開いてるのに、当たりは一つなのよ。それを引き当てた人が、勝者でなくてなんだというの!」  
 こいつの思考回路が常に停車駅を無視して突き進んでいることは、俺もいい加減気付いていたので、それ以上はもう何も言わなかった。  
 
 
 
 人の手から人の手へ 人形の娘は 旅をします  
 可憐な少女や村娘 貴族の花嫁や修道女  
 娘は少しも 笑いません  
 美しい屋敷も 貧しい小屋も 広い草原も 冷たい街も  
 真珠の瞳で 見つめるばかり  
 そして誰もが言うのです  
   
 こんな人形 いらないわ  
 
 やがて娘は 小さな丘へ  
 小さな畑と 少しの動物  
 そして カナリヤ色の髪の少年の待つ   
 小さな丘へ やってきました  
 
 
 
 そんな風に始まった黒髭危機一髪大会だったが、いざやってみると、これがかなりの盛り上がりを見せていた。  
 俺が鯉のぼりの真似をさせられたり、朝比奈さんが今週のCDシングルトップ10を全曲熱唱させられたり、古泉が長門に向けて情熱的な告白をさせられたりしている内に、本当に夜中になっていた程だ。  
 そうして、もうすぐ日付が変わろうとする頃、そろそろ帰らないといくらなんでもまずいだろうという事で、次が最後のゲームとなった。  
 これまで一度もビリになっていないハルヒか長門を、何とかして負かせてやりたいところだったのだが、終わってみると、長門が一抜け、次にハルヒ、朝比奈さん、古泉、そして俺が栄えあるビリである。  
「さあ有希、ガツンと言ってやんなさい!何なら四国まで遠泳とかでもいいわよ!」  
 金メダリストでもインポッシブルだ。あとお前二位だろ。なんでそんなに偉そうなんだよ。  
 当の長門は、そんなハルヒの声もどこ吹く風で、嬉しくもなんともなさそうな目で俺を見つめていた。  
 そういえば、長門が一位になるのって、これが始めてだよな。  
 どんな命令されるんだろうか。全く想像がつかん。  
 死ねとか言われたらどうしよう。長門にそんなこと言われたら、普通に悲しみで死んでしまいそうだ。まるでウサギのようだ。  
 まあ、こいつならそんなに無茶な事は言いそうにないよな。  
 長門は、瞬き二回分ぐらい考える様子を見せ、俺が少し不安になってきた頃、薄い唇を、小さく開いた。  
 
「明日、一緒に出かけて欲しい」   
 
 さて、俺は長門の言葉に対して「それはダメ!」と何故か俺の胸倉を掴みながら抗議しだしたハルヒを取り押さえ、とりあえず話を聞くことにする。  
 長門の話によると、新年度に入るにあたり、図書館の貸し出しカードの更新手続きを行なわなくてはならないらしい。  
 だが、一人ではどうすればいいかわからないかもしれないので、どうせなら俺について来て欲しい、との事だった。  
 滅多に聞くことのできない長門のお願いだ。  
 いつも世話になっている身としては、それぐらいの事なら喜んでやらなくては罰があたるってもんだろう。  
 俺は、何故か不機嫌そうにしているハルヒに対し、長門が一位で俺がビリという動かしようの無い事実関係を武器にしながら、十分間に渡って説得を続けた。  
 そうして、長きに渡る交渉の結果、何とかハルヒの了承を取り付けることが出来たのだ。歴史的勝訴である。  
「来週一杯、私の昼食はあんたの奢りよ」  
 俺の財布の中身を引き換えにして。  
 あれ?何で?  
 
 
 
 人形の娘に 少年は笑いかけました  
 とってもかわいいお嬢さん 僕の話を聞いておくれ  
 物も言えない人形の娘に 少年は毎日話しかけます  
 
 今年の葡萄は大きくて そしてとっても甘いんだ  
 今夜の空は晴れていて 星がとっても綺麗だよ   
   
 そうしてその日も 少年は娘に話しかけました   
 
 
 
 翌日。俺はマンションまで長門を迎えに行き、そのまま二人で市立図書館に向かった。  
 更新の手続きは、簡単な書類を書くだけだったので、割とすんなり終わらせることができた。  
 俺ってついてきた意味あるのか?と自分のレーゾンデートルに関わる考察を深めている俺に構わず、長門はそのまま本を物色しに行ってしまったようだ。  
 どうやら今日は、このまま図書館で過ごすつもりらしい。  
 俺は、この後どうすればいいんだろうか。  
 ……まあ、偶には読書も悪くないか。エアコンが効いてて過ごしやすいし。  
 適当な小説を手に取った俺は、近くの椅子に座り込む。  
 休日とあって、いつもより少しだけ人が多いようだが、それでも十分すぎるほど静かだ。  
 特に、いつも騒がしい奴が近くにいる俺にとってはな。  
 俺は、僅かな話し声と、本をめくる音が奏でる、小さな静けさに包まれながら、小説の主人公が初恋の人に告白するのを見届けたあたりで、ゆっくりと眠りに落ちていった。  
 
 何か夢を、見ていた気がする。   
 
 僅かに肩が揺さぶられるのを感じて、俺は目を開けた。  
 いつの間にか横の椅子に長門が座っている。  
 膝の上の本は、珍しく閉じられたままだ。  
「もうすぐ、閉館」  
 ああ、休みの日はいつもより早く閉館するんだったな。  
 俺は大きく背伸びをして体中の骨を鳴らし、結局三分の一も読めなかった本を元の棚に戻した後、長門をつれて図書館を出た。  
 
「本、今日は何も借りなかったのか?」  
 まだ夕暮れには早い時間。横を歩く長門の小さなトートバックは、来た時と同じ大きさだった。  
「……あまり見る事が出来なかった」  
 長門は前を向いたまま答える。  
 見ることが出来なかったって、結構長い時間いたと思ったんだけどな。読書に気が乗らなかったのか?  
 まあ、長門にもそんな日があるのかも知れん。  
 
 しかし、考えてみたら、今日の俺って本当について来た意味無かったよな。  
 せっかく長門が俺を頼ってきたのに、結局寝てただけだったし。  
 俺が再び自己の存在に疑問を持ち始めた時、小さな看板が目に留まった。  
 ふと、必要最低限の物しかない、一時間もあれば引越しができそうな長門の部屋のことを思い出す。  
 
「長門」  
 長門は、真珠のような瞳で俺を見つめてくる。  
「ちょっと、寄って行かないか?」  
 
 
 
 とってもかわいいお嬢さん 君はとっても素敵なのに  
 いつもちっとも 笑わない  
   
 その言葉を聞いて 娘は悲しくなりました  
 ああ あなたも私を 捨てるのね  
 だけど少年は 言いました  
 
 それでもちっとも 構わない  
 君はとっても 素敵だからね  
 
 そう言う少年の顔は とっても優しかったので  
 人形の娘は 恋をしました  
   
 
 
 狭い店内には、店員らしき小柄な女性が一人いるだけで、他に客はいないようだった。  
 周りには、鮮やかな色合いのソーサーセットや、小さな指輪、古そうな時計に、西洋風の人形やぬいぐるみが綺麗に並べられていた。  
 長門は、いつもより少しだけ振り幅を大きくして、目線を動かしているようだった。  
 ……おかしいな。看板には「お部屋の飾り付けに こだわりの小物を」と書かれていたから、てっきり雑貨屋か何かかと思ったんだが。  
 どう考えても高級アンティークショップっぽい感じだった。いまだかつて経験した事の無いブルジョア感である。  
 くそ、日ごろの感謝を込めて、何か部屋に置けそうなものを買ってやろうと思ったのに。  
 小さなカップを手にとってみる。値札はついていないが、俺の小遣いでは買えないということは、考えるまでもなく理解できた。  
 はあ、参ったね。本当にいいとこ無しだな今日は。  
 まあ、長門も少しは珍しそうにしてくれてるしな。それだけでもここに来た意味があったってもんさ。  
 そんな事を思いながら自分を慰めつつ前に目を向けると、何故か長門が隅のほうに置いてある人形とにらめっこをしていた。  
   
 長門と見つめ合っている人形は、まあ率直に言うと、古臭い上に薄汚れた感じのするもので、古びていてもどこか清潔さのある物ばかり置かれた店内では、少しばかり浮いている存在だった。  
 所々ほつれた、わけのわからない柄の服に、金の中に、煤けたように黒が混じる髪、かつては白かったであろう、薄く色褪せた肌。  
 それでも、美しい造形の顔の中で生き生きと輝く、黒い真珠のような瞳だけが、高貴な雰囲気を漂わせている。  
 生きているようなのに、気味の悪さを感じさせない、不思議な人形だった。  
 ……何となく、長門に似ているような気もするな。  
 
「それ、気に入ったのか?」  
 人形を見つめている長門に聞いてみる。  
「…………中に」  
 なかに?  
「……何でもない」  
 それだけ言うと、長門は視線を人形から外し、この店に対する興味を無くしてしまったかの様に、出口に向かって歩きだした。  
 なかに?なかにってなんだ?凄い気になるじゃないか。中西さんっていう人の作品とか、そういうことか?  
 しかし、とうとう俺の疑問には答えずに、長門は店から出て行ってしまった。  
 
 長門を追って店を出る前、念のため人形の値段を聞いてみたのだが、俺の全財産よりもゼロが二つほど多かった。  
   
 
 
 恋する人形の娘は 幸せでした  
 優しい少年が話してくれる とっても素敵なお話があったからです  
 
 やがて少年は青年になり 綺麗な花嫁を貰います  
 恋する人形の娘は 幸せでした   
 優しい青年にそっくりな とっても素敵な家族ができたからです  
   
 いつの間にか 青年のカナリヤ色だった髪は 象牙の色に変わっています  
 恋する人形の娘は 幸せでした  
 優しい老人は 最後まで笑っていたからです  
 
 
   
 次の日の学校で、俺は、私今日は不機嫌ですよオーラを背後からビシバシ浴びせられながら、昨日の長門のことを思い返していた。  
 結局あの後、俺と長門はそのままマンションの前で別れたのだが、その時の長門と言えば、これが全くいつも通りの様子だったのだ。  
 だからこそ、俺は余計に気になっている。  
 どうして長門はあの人形を見つめていたんだ?やっぱり、欲しかったんじゃないか?  
 いつもは、本以外は興味ありません、みたいな長門だが、ひょっとしたら密かに少女趣味的な部分を持っていたりしてな。  
 だけどあいつは賢いから、俺の経済力を察知して、ああ、これを欲しいなんて言ったら彼のプライドを傷つけてしまうわ、という感じで俺に気を遣ったのかも知れん。  
 長門、その気遣いがかえって俺を傷つけているぞ、といった所まで考えて、俺は一度だけ頭を振った。  
 いやいや、流石にそれは無いだろう。自分の想像力に少し引いてしまったぞ。  
 
 けれど、あの人形を見る長門の顔が頭から離れないのは、本当のことだった。  
 
 休み時間、俺は後ろを振り返り、昨日はさぞ楽しかったんでしょうね?この豚野郎が、みたいな目で俺を睨んでいるハルヒに声をかけた。  
「なあ、ハルヒ」  
「……何よ?」  
「昨日、長門と一緒にアンティークショップに行ったんだがなぐぉっ!」  
 セリフの途中でネクタイを締め上げられた。こないだ妹と見たサスペンス劇場と同じ構図だ。  
「あんたねぇ、昨日は図書館に行くんじゃなかったの?何?二人でデートのつもりなわけ?夜景の綺麗なレストランでディナー?部屋の鍵はもう取ってあるんだ、みたいな事?」  
 その想像力を少しでも世界のために役立ててくれ、と言いたかったが、俺の口からは穴の開いた紙風船から空気が漏れているような音しか出てこない。  
 視界が白く染まる。教室の中に雪が降っていた。あれ?今は春なのに。サンタさんが卒塔婆で俺の尻を叩いているよ。  
 もうすぐ白目を向きそうな俺の様子にようやく気付いたのか、ハルヒは俺のネクタイから手を離すと、椅子に座り込んでそっぽを向く。  
「ごほっ……お前な、偶には人の話を最後まで聞け」  
 ネクタイを緩めながら、酸欠気味の頭を左右に振った。サンタはもういないようだ。  
「他人のデートの話なんか聞いても、面白くも何とも無いわよ」  
「いや、だから……」  
 俺は、険しい顔で窓の向こうを睨みつけているハルヒに、昨日あった事を話しはじめた。  
 そして、俺が授業中ずっと考えていた事を。  
 
 
   
 やがて 大きな とても大きな戦争が始まりました  
 それでも 人形の娘は 幸せでした  
 優しい少年にそっくりな少女達が 別れ際にキスをしてくれたからです  
 
 きっと 迎えに来るからね  
   
 人形の娘は 家に一人ぼっち   
 だけどちっとも 寂しくありません  
 もう何度も布を継ぎ足され 元の銀色は殆ど無くなっていたドレスの中には いくつもの家族の写真が入っていたからです  
 そしてそこでは 娘が恋する少年が いつものように笑っていたからです  
   
 
   
 ノックもせずに部室の扉を開けると、いつものように窓際で本を読んでいる長門の姿があった。  
「長門」  
 長門は膝の上の本から目を離すと、俺の方に視線を向けてきた。  
「今週一杯は、SOS団の活動は休みだとさ。何でもハルヒの奴が、放課後に用事があるらしくてな」  
 黒く澄んだ瞳に、俺の顔を映している。  
「だから今週は、朝比奈さんも古泉も、この部屋には来ないってさ」  
 その表情は、いつもと全く変わらない。  
「多分、俺も、今週一杯は来れないと思う」  
 
   
 長門はいつも無表情だ。  
 ロボットのようだ、と知らない誰かが言っていた。それもそのはず、こいつは宇宙人特注のアンドロイドだからな。  
 だけどな、そんな事を言う奴は、何も分かっちゃいないのさ。  
 こいつは、別に俺たちと変わらない、どこにでもいる女子高生だっていうことぐらい、成績が常に学年平均を下回る俺だって気付いてるんだぜ。  
 まあ、一般の女子高生よりも、少しだけ変な力を持っていて、少しだけ強情なんだがな。  
 さらに言うと、俺たちの世代は、俗に言う思春期って奴だ。  
 身体も心も、成長真っ盛り。朝比奈さんなんて、着々とその悩ましいお姿を、より悩ましく変貌させており、男たちはみな彼女の足元に跪くであろう、みたいな感じだ。  
 長門だって、例外じゃないぞ。ひょっとしたら、その内朝比奈さんもビックリの、ナイスバディーになるかもしれん。  
 特に、身近にあのアホのような、周りを巻き込んだあげく、そのまま勢いで空まで飛んでいきそうな奴がいる場合は、嫌でも影響されちまうってもんさ。  
 
 だから、ひょっとしたら、と俺は思う。  
 いつでもないどこか、あのハルヒのいない世界で、俺に見せてくれた微笑みを、俺はずっと覚えているのだから。  
 そして、その微笑みを、俺だけじゃなくて、他の誰かにも見せてくれるなら。  
 皆がお前を、きっと、もっと好きになる。  
 
 そんな夢を、見た気がしたんだ。  
 
 
「……そう」  
 それだけ言うと、長門は本に目を戻した。  
「お前は、皆が来なくても、ここで本を読んでるのか?」     
 長門は頷いた。いつものように、とても小さく。  
「……そっか。じゃあ、俺ももう帰るから。来週には、ちゃんと皆来るからな」  
 ページをめくる音が聞こえる。  
「絶対、来るからな」  
 最後にそれだけ言って、俺は扉を閉めた。  
 
 さあ、労働は人を気高くする、ってな。  
 
 
   
 長い時間が過ぎた後 誰かが家にやってきました  
 彼の家族ではありません 娘は怖くなりました  
 けれど彼らは 優しい手つきで 人形の娘を手に取ります  
 娘は気付きました 自分がまた 旅に出なければならない事を  
 
 さようなら   
 
 作り物の真珠の瞳では 涙を流す事は出来ませんでした   
   
 人の手から人の手へ 恋する人形の娘は 旅をします  
 ドレスの中に 宝物を隠したままで  
   
 
 
 そしてようやく、次の週になった。  
 長門を除いた俺たちSOS団の面々は、自分たちの部室の前で泥棒のように声を潜めて話し合っている。正直通報されてもおかしくはない。  
「だから、ここは団長であるあたしから進呈した方が、有希も喜ぶに決まってるわ!」  
「で、でも、提案したのはキョン君ですし、やっぱりキョン君が渡した方がいいんじゃないですかぁ?」  
「まあまあ。皆でがんばったのですし、皆からの日頃の感謝の気持ち、という事でいいじゃないですか」  
 俺はそんな事を言い合う三人を横目に、もはやお馴染みとなった冷たいドアノブをひねって、一息に扉を開けた。  
 
 窓際では、長門が先週と全く同じ格好で本を読んでいた。  
「よお、長門。久しぶり」  
 俺が片手を上げると、長門も俺たちの方を見て、右手を肩のところまで上げる。  
「長門、実はな、渡したい物が……」  
「有希!喜びなさい!いつもSOS団の活動で優秀な成績を残してるあんたに、あたしからプレゼントを進呈するわ!」  
 ハルヒはそう言って、俺からもぎ取った人形を、大袈裟に両手で掲げてみせた。  
 そう、あの店の隅にあった、古臭くて薄汚れた人形だ。  
 俺たちが一週間バイトをして貯めた金で、何とか購入する事ができた。  
 いや、実は微妙に足りなかったのを、ハルヒが無理矢理値切り倒して何とかしたのだが。  
 
 しかし、その人形を見ても、長門は全く動かない。視線が少し上に向いただけだ。  
 俗に言う、ノーリアクションだった。  
 ハルヒが、油を三年間注していない自転車のサドルのような動きで首をまわし、俺を睨みつけてくる。  
「あんたねえ……有希が珍しく何か欲しがってるっていうから、私もみくるちゃんも身を粉にして働いたってのに……」  
 たしかに、この二人の客の呼び込みっぷりは凄かったらしい。スーパーの鮮魚コーナーがアイドルの出張ステージのようになっていたという話は、谷口から耳にしていた。  
 ちなみに俺は、古泉がどこからか見つけてきた、やけに時給の高い交通整理をやっていた。もちろん、古泉も一緒に。  
 その間、古泉が綺麗なお姉さんたちに声をかけられた回数は24回に及び、俺が怖いお兄さんにガンつけられたのは13回程度だ。  
 あらゆる意味で、俺は男を上げたといえるだろう。  
「全然嬉しそうじゃないじゃない!もうあんたは雑用係ですらないわ!草むしり専用員よ!大人しく校庭の草でも……」  
 いつの間にか、ハルヒの目の前に、長門が立っていた。  
 長門はそのまま手を伸ばし、キョトンとしているハルヒの手から、そっと、解けていく雪を抱きしめるような手つきで人形を受け取ると、俺たちに向かって、一言だけ呟いた。  
 
 いつもどおりいの無表情。  
 だけど、いつもより、少しだけ大きな声で。  
 
「ありがとう」  
   
 その日、膝の上に人形を置いたまま本を読んでいる長門を、俺たちはそれぞれの席で何となく眺めていた。  
 
 
 週末の休み、俺たちSOS団は、唐突な(こいつは常に唐突なので以下略)ハルヒの思い付きにより、長門の部屋に集まっていた。  
 ちなみに理由は「こないだは結構おもしろかったわね!だからまたパーっと夜中まで騒ぎましょう!」という事だ。  
 お前の頭は確かに年中パーっとしているがそろそろ長門も迷惑だろうから俺としては賛成できないね、という俺の提案は、長門の頷きによって多摩川のアザラシ並に無かった事にされ、結局長門家にSOS団全員集合と相成ったわけである。  
 
「で、何して夜中までパーっと騒ぐんだよ?」  
 長門の部屋には、相変わらず殆ど必要最低限のものしか存在していない。  
 余計なものと言えば、タンスの上で、古臭い人形が無愛想な顔でこちらを眺めているぐらいのもんだ。  
 
 俺は、少しだけ違和感を感じた。  
 あの人形って、あんな顔だったっけ?  
 確かに無愛想だったが、もうちょっとなんというか、親しみのある顔をしていたような気がする。  
 俺は「ちょっと待ってなさいよ!」とか言いながらコンビニの袋を漁りだしたハルヒを横目に、長門にひっそりと声をかけた。  
「なあ、長門。あの人形って、何か前と違わないか?」  
 長門は俺の目を見つめ返してくる。少しだけ、驚いているようだった。  
「……確かに、あの人形はあなた達から受け取った人形ではない。あれは私が、構成物質を模倣して作り出したレプリカ」  
「え、そうなのか?」  
 何でそんな事を?ひょっとして、あれって何かやばい人形だったのか?  
 長門は静かに首を横に振る。  
「そうではない。あの人形は、持ち主のもとから無断で持ち出された物。私が所有していていい物ではなかった」  
 盗品か何かだった、って事か?  
 ああ、長門はそれに気付いていたから、あの時人形をみつめていたのかもな。  
「オリジナルは、私が本来の持ち主の元に送り届けた。あなた達に、私が人形を破棄したと誤解されないように、代わりのレプリカを用意した」  
「……そうか」  
 
 古臭い人形が着ていた、継ぎはぎだらけの服を思い出す。  
 ぼろぼろになっても、直してくれる誰かがいるのなら、それは何より幸せなことなのではないだろうか。  
 綺麗なままの、お人形よりも。  
 
「まあ、長門がそれでいいんなら、それでいいさ」  
 人形が本物だろうと偽者だろうと、俺にとってそんなことはどうでもいい事だ。  
 俺たちを気遣って、レプリカまで用意してくれる長門の気持ちに、きっと嘘は無いだろうからな。  
 それに、人形が元の持ち主のもとに帰る事が出来たってのも、まあ、悪くはない話さ。  
 だったら、それで十分だろう?  
 
 
「どうして」  
 長門は、少しだけ訝しそうな目で、俺を見つめてくる。  
「どうして、あの人形が本物で無いと気付いたの?」  
 黒真珠のような、その瞳。  
「材質も設計も状態も、全くオリジナルと変わらない筈」  
 どうして、と呟く、無表情なその唇。  
   
 ああ、それは。  
 とっても簡単な事さ、お嬢さん。  
 
 
「前の人形の方が、お前によく似ていたからだよ」  
 
 
 
 そして 人形の娘は 自分にそっくりな少女に出会いました  
 真珠の瞳に 絹の髪 ジノリの肌に 不思議なドレス  
 
 少女は そっと つぎはぎだらけのドレスを開くと 娘の宝物を見つけます  
   
 ああ どうか   
 それは私の宝物 私の家族 私の恋   
 どうか私から 奪わないで  
   
 少女は 人形の娘を見つめると そっとドレスを閉じました  
 宝物は そのままで  
   
 人形は 澄んだ真珠の瞳で 少女を見つめ返します  
 
 ああ この子も ひょっとしたら  
 
 
 
 恋する人形の娘は そっと微笑みました  
 
 
 
 
 
 

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