小さい頃からの賢(さか)しさで損ばかりしている。
幼稚園の頃から一年に一度しか現れない出不精な赤と白の衣装の爺さんの存在を疑っていた。自作自演で盛り上げる両親に対して心のそこで冷ややかに思いつつ敢えて何も言わなかったのもその賢しさの現れだったのだろう。
しかし、そんな小賢しい俺も理解不能な何か──例えば、宇宙人や未来人や超能力者がいてくれればいいな、と思う自分がいることを否定できなかった。いないと分かっていながらも期待するぐらいは許されるだろうさ。
後に実際に遭遇することになるとは思ってもいなかったのだが。
そんなこんなで今までの常識を根底から覆されながらもしっかり学習した俺は、もう滅多なことでは驚かない。むしろ驚けないと言ってもいい。
谷口に彼女ができたと言われても何を驚くことがあろう。ハルヒというほどの女が存在するくらいだ。谷口を気に入る女だって世界中探せば何人かはいるだろうよ。
もうクラスメイトに命を狙われようが、でかいバッタでもカマドウマでもイナゴでも(ゴキブリは勘弁してもらいたいが)現れようが驚くに値しない。
驚くとしたら長門がとびきりの笑顔で小難しくない話をしたり(俺の願望が混ざっているが気にしない)することか──あるいは今俺が直面しているこの状況くらいだ。
「あたしにキスしなさい!」
雑多な物に溢れて薄汚れた部室によく通る声が響いた。
手の届く範囲に鏡が無くて良かった。今の俺はおそらく見たら自ら頭を撃ち抜きたくなるほど間抜け面をしていることだろう。
対して奇っ怪な命令を告げたこの女はいつものように偉そうに腕を組み、不機嫌なのか怒っているのか判り難い顔で仁王立ちしている。
「……いつの間に酒を飲んだんだ?」
「飲んでないわようるさいわね!」
念の為確認してみたが、つまりなんだ、さっきの言葉は自分の意思で発したということか。にしても薮から棒にキスとは一体どういう魂胆なんだか。
「……なによ?文句あるの?団長命令よおとなしく従いなさい!」
黙ったままの俺の態度に業を煮やしたのか、ハルヒが急き立てる。
ハルヒにキス、という行為事態に自分はあまり抵抗をもっていないことに気付き、複雑な気分になりながらも一瞬横切った「面倒だからさっさとしちまうか」という考えを打ち消す。
なにしろ俺の一挙手一投足に世界の命運がかかっている、らしいからな。
場所はいつのように文芸部室。常識外れの三人組は何故か「用事」だそうで、今現在この空間にいるのは俺と、この涼宮ハルヒだけだ。
古泉と朝比奈さんはともかく、あの長門までいないとは普通じゃあない。古泉のやつの説明を借りるなら「ハルヒが二人きりになることを望んだからそうなった」というところか。
で、そのハルヒ自ら望んだ舞台に上って挨拶も早々にキスしなさい、と。
頼りの長門は事前に特に警告も発してないし、世界の平和の為にはやかましく騒がれる前にキスの一つくらいしてしまうべきなんだろうな。
しかし俺も一介の男子高校生だ。夢(のようなもの)の中で既に体験済みとはいえそう軽々とキスなんてのもいかがなものか。
いや、ハルヒが嫌いかと言われればそれは間違い無くNOと言えるが好きかと訊かれれば……
いや、とにかくなんでそんなことをしようとするのかくらい知る権利はあるだろう。
「……別になんとなくよ」
じゃあ俺もなんとなく嫌だから拒否するとしよう。
「…………夢で見たのよ」
なにを。
「あんたと二人で閉じ込められた……ん、なんか違うわね……まぁいいわ。とにかくこの学校に二人だけしかいなかったのよ」
「…………」
「そんで、あんたにキスされたの」
「……それで?」
「それだけ」
まったく理由になってない、というか理論的でない理由だな。たぶんあの時のこと……なんだろうな。大分省略されているが。
「ハルヒ」
心の中で大きく溜め息を吐きながら、真っ直ぐ見上げてくるハルヒの肩を抱き寄せる。
唇が触れる直前、ハルヒが目を閉じるのが強く印象に残った。
「我らが団長殿の眠り姫振りに困ったものですね」
という声と共にニヤケ面が視界に入ったときには本気で殴り飛ばしてやろうかと思った。この野郎盗撮でもしてやがるのか。
「なに、少しカマをかけてみただけなんですが、あながち間違いでもなさそうですね」
聞いてみれば久々に現れた閉鎖空間は俺が以前に話したときのものと状況が瓜二つだったと、それだけの推理だった。
「しかし眠り姫程度ならまだたいしたことではないでしょう」
どういう意味だ。
「そのままの意味ですよ。あ、それから僕は今日も用事ができましたから部室へは行けません。朝比奈さん、長門さんも理由までは聞いてませんが同じく。では」
俺はこの時まだこの日の放課後古泉の言葉の意味を理解し、同時に十数年間守ってきた貞操をやぶることになることを知る由もなかった。
(省略されました。続きを見るにはめがっさにょろにょろと書き込んでください)