長門はハルヒに着せ替えをさせられる朝比奈さんのようにされるがままだった。  
 されるがままといっても俺に洗われてるだけなんだが。  
 なんとなく顔が紅潮しているような気がするのを除けばいつもの無表情のままだ。  
 鶴屋さんの命により長門の体の隅から隅までの洗浄に専念しているのだが  
 さっきから邪な考えが三ツ矢サイダーの泡のようにふつふつと浮かんでくる。  
 つい数分前までは長門たちの奉仕を享受するばかりだったので今度はこちらが  
 そのお返しというか攻め手に回りたいのだが、いま与えられている絶対命令を  
 放棄するわけにはいかず、なんとなくパブロフだかパワプロだかの犬のようだ。  
 とりあえず別のことを考えて気を紛らわそうか。  
 ああ、シャミも風呂に入れてやるときこれくらいおとなしかったらいいんだがな。  
 それが悪かったのか  
「あぅ…」  
 やや喘ぐような声を上げた長門を見てぎくりとする。  
 うっかりスポンジを持つ指をなだらかなふくらみの先端にかすめてしまった。  
「う、すまん長門」  
 鶴屋さんはそのやり取りを湯船の淵に肘を置きながら若いもんはええのう  
 と初々しいカップルを眺めるご隠居の目で見守っている。完璧に玩具にされているな。  
 
 
 さて。俺としてはこの長門、鶴屋さんのダブルスポンジは言う事無しのサービスだったが  
 僅かに引っかかる所があるといえばあるので敢えて言ってみる事にした。  
「なあ長門、そろそろ教えてくれるか? どういった意図でこういうことをしてるのかを。  
 鶴屋さんはサービスと言っているが、それだけではないんじゃないか?」  
 長門は俺の顔に目を向けるがやはりというか何も答えてくれない。  
 代わりに湯船のほうから声がした。  
「それはねぇ、キョンくんと長門ちゃんが色々するの見たいからさっ」  
 単に見世物ですか? なんとなく違うような気がしますよ。  
 鶴屋さんは推理劇のときに見せた愉快な顔でとぼけてみせる。  
 だがそれも意味がないと悟ったのか続けられた言葉は突拍子もないものだった。  
 
「キョンくん長門ちゃんのこと好きなんでしょっ?」  
 言葉が出なかった。  
 確かに俺は長門のことをいつも気にかけている。  
 こいつには何度も助けられたし、もしこいつに助けを求められれば迷わずそれに応じるだろう。  
 こいつのために何かしてやりたい。この気持ちは嘘ではないよな。断じて。  
 俺が答えに躊躇しているとさらにこう続けた。  
「それとも…」  
 鶴屋さんはいつもの笑みを浮かべているが、あの改変世界で朝比奈さんに狼藉を  
 働こうとした俺を咎めたときと同じエクスカリバーの切っ先のような目をしていた。  
「みくるかなっ?」  
 朝比奈さん。  
 未来からのわけのわからん指令に振り回され、しかしそれを必死でこなそうとしている。  
 健気で危なっかしく、俺たちで守ってやりたいと思う。そう、思う。  
 さっきまでの微笑ましいムードから一変、浴場は十分に暖かいはずなのに  
 なぜか寒気のようなものを感じた。  
「キョンくんは優しいからね。それはとってもいいことだと思うよっ。  
 でもさ、そのままずーっとってわけにはいかないのさっ」  
 鶴屋さんの言おうとしている事はなんとなくわかる。  
 だが、鶴屋さんの言う『好き』とは恋愛対象としてのものだろう。  
 それがわからない。  
 そもそも愛だの恋だのは高校生にもなって声高に語れないが、俺にとってはまだ未開地域だ。  
 ちなみに国木田が勘違いしている中学時代の出来事はあまりにもお門違いで  
 フロンティアの拡大にはまだまだ人生経験が足りなさすぎる。  
 恋愛とは男女間の友情に性的衝動が加われば成立するとかどこぞの  
 精神論を説いたTV番組で聞いた事もある。  
 だが、そんな単純なものなのか?  
 
 いま俺の目の前には長門がいる。  
 思えばハルヒ消失事件以来俺の頭の中のほとんどは長門によって占められていた。  
 朝倉の作ったおでんをちまちまかじっていた姿も俺の袖をつまんできた姿も  
 目に焼きついて忘れる事ができない。  
   
 もしかして。  
 
 もう答えは出ているのか?  
 
 
 ザバッと大きな水音がして我に帰ると鶴屋さんが俺たちのすぐ近くに来ていた。  
 さっきまでの鋭さを感じさせる空気はいつのまにか霧散していた。  
「まーねっ。あたしが見込んだキョンくんなら悪いようにはしないって信じてるよっ。  
 だからさ、そーんな怖い顔して考えなくてもいいよん? わははっ」  
 いつもの聞く者を快活にさせる声で笑いながら浴場の出口へペタペタと歩いていく。  
 張り詰めていた体が熱せられたバターのように蕩けていく。なんでこんなに緊張してたんだ俺?  
 相手が朝倉ならともかく鶴屋さんだぞ? なぜ王様に謁見する冒険者のような心境になってたんだ?  
「おおっと忘れてたっ!」  
 その声を聞いて俺の緊張は-196度で瞬間冷却された。  
「新川さんがねっ、昨日に続いて今日も夜に館内の見回りをしたいって言ってたんだけどさっ、  
 この別荘にはあたしたちしかいないし、その中にも夜部屋から抜け出して夜更かししたり  
 良からぬことしちゃったりするような人誰もいないでっしょ? だから見回りは結構ですって  
 伝えたんだよねっ」  
 もしや牽制されているのか? まあそんな事考えなかったわけではないがいやしかし…。  
「でもっ! それをいいことに誰か女の子の居る部屋に潜り込もうなんて考えないようにねっ。  
 わかったキョンくん? わははっ。それじゃあお先に失礼するよっ」  
 そう言い残して鶴屋さんは脱衣所のすりガラスの向こうに消えていった。  
 鶴屋さんの言葉をそのまま受け取ればそのままの意味だろう。そりゃそうだ。  
 だが、なんとなく正反対の意味を含んでいるような気もする。  
 まあ鶴屋さんの神託は保留事項としていまは自分のできる事をやらないとな。  
 とりあえずさっきから巣穴から顔を出したプレーリードッグのように俺を見ている長門をどうにかするか。  
 

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