「……」  
「あ、長門先生! ようこそおいでくださいました」  
「どうぞどうぞ。こちらの席にお座りください」  
「……」  
「あの、よろしければこのプログラムを診ていただけませんか」  
「……」  
「い、いつ見てもすごい」  
「僕たち全員集まっても敵わないのも納得だ」  
「脆弱性を改善しておいた」  
「ありがとうございます!」  
「……」  
「長門さん、"W"のことなんだけど、中立軍を入れようと思っているんだ」  
「……」  
「試験的に作ってみたから、試してもらえないかな?」  
「そう」  
 
「思考ルーチンが甘い」  
「ホーミングミサイルのように両軍を追跡する点を是正すべき」  
「これでは知性があるように見えない」  
「索敵が行われている様子が見られないのも不自然」  
「それと戦力を抑えた方がいい」  
「中立軍の出現時期によっては、両軍が中立軍に壊滅させられてしまう」  
「海賊、他国軍、宇宙生物など属性をつけてパラメータ調整を行うことを推奨する」  
「……あ、ありがとう、長門さん。がんばってみるよ」  
 
「……」  
「お帰りですか?」  
「また来てくださいね!」  
「……」  
 
 
『長門有希さんの消失』 注:長門さんのイメージを壊したくない人は読まないほうがよいです  
 
バタンっ。コンピ研の部室の扉が閉まる音がした。  
あーもうふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなっ!!  
原始的な情報システムをぴこぴこするために来てるんじゃないのよ! そりゃあね  
女神様みたいに扱われて、少しはうれしいなって内心思ったりもなくはないわ。  
愚民を啓蒙して味わう快感ってのも、これはこれで乙だったりするしね。  
でもね、いないの。  
 
コンピ研には、キョンくんが、いないのよっ!  
 
なのになんで足しげく通ってるかって言ったら、あてつけよあてつけ。  
わたしが部室からいなくなることで、キョンくんにわたしの重要さを再認識してもらって  
『やっぱり俺にはお前がいないとダメだ』的な思いに駆られて夜も眠れなくなったキョンくんが  
唐突にわたしを抱きしめてきて、『行かないでくれ、長門』って耳元にささやいてくるはずだった。  
ハルにゃんも悔悟の涙を流しながら、『ごめんなさい、有希。あたしが間違ってた。許して!』と  
コンピ研の部長さんと組んであたしを追いやったことを反省して、許しを請ってくるはずだった。  
みくるんも、見せ付けるような巨乳を小さくしてくれる、ってこれは無理か。  
いっちーは、えっと、別にないわ、ごめん。  
ともかくそう、そんな青写真を描いていたのに、いたのにっ!  
 
「……」  
SOS団の部室に戻ったわたしを迎えたのは、ちらっとこっちを見るキョンくんといっちーだった。  
二人はわたしであることを確認すると、何事もなかったかのように、盤上に視線を戻した。  
みくるんは横を向いて、ヤカンに温度計を差し込んで真剣なまなざしで温度を測っている。  
わたしが戻ってきたことに全く気付きもしない。  
ハルにゃんはパソコンの画面を見たまま、マウスをカチカチ言わせている。同上。  
つつっ、とわたしは自分の席に歩み寄り、座って、読みさしだった本を広げた。  
 
ページをめくってもめくっても、わたしの頭の中に内容は入ってこなかった。  
 
 
わたしの本を閉じる音で今日の活動はおしまい。  
何も起こらない、普段のSOS団でのわたしの役目は本を閉じて時間を知らせることだけ。  
わたしって、なんなんだろうね。目覚まし時計?  
 
「あのう、もう鍵をかけて帰りますけど」  
服を着替え終わったみくるんが、座ったままだったわたしに声をかけてきた。  
「いい、先に帰って。わたしがかける」  
「そうですか? それじゃ、よろしくお願いしますね。また明日」  
机の上に鍵を置いて、みくるんも部室を出て行った。  
 
ひとりになったわたしは、目を中空に泳がせる。  
もうダメなのかな……苦しいよ。  
以前なら空気みたいな扱いでも平気だったわ。  
だってわたしの役目は、ハルにゃんを観測すること。それだけだったから。  
でもあの夏休みを経て、芽生えたこの思考パターンと折り合わなきゃいけなくなった。  
最初は制御できると思ってた。そして実際制御できてた。  
キョンくんを好きなことだって、なにも夏休みから始まったわけじゃないもの。  
眼鏡のないほうがかわいいと言ってくれたときから、思えばそうだったと思う。  
閉鎖空間にいるキョンくんへメッセージを送ったときには確信してた。  
今みたいに、あふれるほどではなかったけれど。  
 
問題なのは、思考パターンを表出したいと願う気持ちを抑えられなくなってきたこと。  
制御がいつの間にか我慢にすりかわってた。気付いたときには、ストレスという名のエラーが  
メモリに蓄積していた。読書をしたり、心の中で毒づいたり、さりげなくキョンくんを眺めたりして  
エラーを削減していったけど、削減が蓄積に全然追いつかない。  
このままじゃわたしは誤作動を引き起こしてしまう。  
 
この思考パターンになってから毎日が楽しかったけど、わたしは辛さにまだ耐えられなかったみたい。  
一度、戻そう、思考パターンを夏休み前の自分に。少しずつ覚えればいいよね。  
「異時間同位体の当該データへアクセス許可申請」  
ごめんね、キョンくん。  
 
「……?」  
同期不能。  
「異時間同位体の当該データへアクセス許可申請」  
同期不能。  
な、なんで……?  
どうやっても、以前のデータと同期することができなかった。  
昨日の思考パターンとすら互換できない。理由もわからない。  
あ、それなら未来は?  
「異時間同位体の当該データへアクセス許可申請」  
こっちは通った。日にちが進むにつれ、不安と焦りが増していく。  
そして十二月十八日、再び同期不能になった。  
 
「……」  
いつかは誤作動を起こすと思っていたけど、こんなに早いなんて思ってもみなかった。  
不安と焦りを抱えたままでいたくなかったから、とりあえず元に戻す。  
未来から現在への同期は問題なし、と。  
って、意味ないじゃん!  
思わずひとりツッコみを入れてしまった。一瞬だけ不安や焦りは消えたけど  
メモリに十八日のことやそういう思いを感じたことが残ってる。そして過去にアクセスはできない。  
あーどうしよどうしよどうしよどうしよ。  
……どうしようもないわ。  
わたしにできることは、現状維持のまま十八日を迎えることだけ。  
何が起こるかわからないけど、わたしはわたしを信じたい。  
たとえ誤作動を起こしても、キョンくんを愛してるって。  
もちろん、SOS団のみんなも! ごめんこれは微妙。  
 
 
「寒っ!」  
なんでわたしこんなとこにいんの?  
ここ校門の前じゃん。あ、散歩か。そっかそっか。  
「でもおっかしいなー。ダッフルコートぐらい着ててもおかしくないのに」  
着てるのは制服だけ。辺りも真っ暗だし、かよわい女の子が出歩くなんて普通ない。  
はあ、もしかして恋煩いが高じて、夢遊病にでもかかったのかしら。  
クリスマスはもうすぐだもんね。相手はいないけど、トホホ。  
ああ、あのとき図書館で会ったいとしの君。あなたと過ごせたらどんなにいいことか。  
引っ込み思案だったわたしは、あなたと出会ってから、変わりました。  
元気になったわたしだけど、あなたに声をかけることだけは勇気が持てず、ずるずると。  
いつかきっと、いつかきっと、独自ルートで入手したあなたのあだ名とともに告白するの。  
 
「キョンくん、図書館で会ったときから、好きでした!」  
 
夜空にわたしの叫び声が響き渡った。深々と冷え込んだ空気がなぜか痛い。  
「……帰ろ。風邪引く」  
むなしくなったわたしは、坂道を下っていった。  
 
そして今は放課後。今朝は家に着いたら、朝の五時でびっくりしちゃった。  
ホントに夢遊病なのかなあ。今日は大丈夫だったけど、わたしみたいな女の子が  
ふらふら出歩いてたら、いつ襲われるかわかったもんじゃないわよ、ったく。  
 
文芸部。それがわたしの所属している部。  
本を読むのが好きだから入ったんだけど、部員はわたしだけ。ま、気楽にできるからいいけどねー。  
 
『キョンくん、わたしのこと好きですか?』  
『ああ、もちろんさ。最初図書館で会ったときから、有希、君のことを片時たりとも忘れたことはなかった』  
『うれしい……わたしもあなたの虜ですわ』  
 
「こんなことわたし言わないって」  
前時代モノのパソコンのディスプレイに表示されてるのは、世にも恥ずかしい自作の妄想小説だった。  
しかも主人公キョンくん。ヒロインわたし。ひたすらわたしとキョンくんが愛を語り合うだけの話だ。  
毎回途中でアホらしくなって、パソコンの電源を切ってしまう、保存はするけど。今日もそうだった。  
「本、読も」  
あーあ、なぜかいきなり扉を開けてキョンくんが入ってきたりしないかなあ。  
そう思って、本のページをめくりながら扉を見たときだった。  
 
 
バタンっ!  
「……」  
わたしはあんぐり口を開けることしかできなかった。  
だってそこにいたのは、  
「いてくれたか……」  
きょ、きょきょっきょっきょ、キョンくん!?  
えっ、マジ? もしかしてわたしに告白するために部室にってそれどころか  
今この部屋にいるのはわたしとキョンくんだけでありまして、このままなし崩しに  
キョンくんといっしょに天城越えなんてこともあるんじゃないでしょでしょ!?  
あーもう頭がパニクってなにがなんだかわからないよお。  
 
そんなわたしをよそに、後ろ手で扉を閉め密室を作ったキョンくんは声をかけてきた。  
「長門」  
長門さーん。ご指名ですよ。キョンくんからご指名なんてうらやましいっ。  
わたしにもキョンくんから指名される方法を教えてよ、って、それわたしの名前だ。  
「なに?」  
あう、わたし何言ってんの。これじゃ最初の頃のわたしじゃないの!  
言うのよ有希。キョンくんのことが好きでしたって。言えっ!  
でもわたしの喉は緊張でカラカラに渇ききってて、言葉が出てこなかった。  
「教えてくれ。お前は俺を知っているか?」  
「知っている」  
もうダメ。口が自分の口じゃないみたい。  
口ベタは直ったと思ってたのに、こんな肝心なときにぶり返すなんて。泣きそう。  
「実は俺もお前のことなら多少なりとも知っているんだ。言わせてもらっていいか?」  
 
キョンくんの話は荒唐無稽で何がなんやらさっぱりぱりだったけど、  
わたしもそれどころじゃなかったから、手拍子でぱくぱく返すだけだった。  
わたしが全然ダメだから、壁に押し付けてきたときはこのまま勢いでキョンくん  
やってくれないかなって思ったけど、口を突いてでたのは「やめて……」という意思と反する言葉。  
もう自己嫌悪のしっぱなしだった。  
 
 
自作の妄想小説を見られそうになって焦ったりもしたけど事なきを得  
パソコンをいじってがっくりしたキョンくんは、  
「邪魔したな」  
と行って部室から出て行こうとした。  
この機を逃したら、もうキョンくんには永遠に会えないような気がした。  
長門有希、あなたこれでいいの? いいならそのまま、違うなら言いなさい!  
「待って」  
奇跡的に声を出すことに成功した。キョンくんの足が止まる。  
「よかったら、持っていって」  
震える手で文芸部の入部用紙を差し出す。キョンくんは受け取ってくれた。  
 
「ばっかばかばか有希のばかーっ!」  
キョンくんが出て行ってからたっぷり数分後。  
わたしは自分の頭を殴りまくっていた。  
「いたたたたた」  
うう、どうして言えなかったんだろ。  
あのキョンくんが! 自分から! 部室に! 来てくれたのに!  
遠くから見つめることしかできなかったキョンくんが来てくれたのにい。  
「ぐすっ、ひっく」  
自分が情けなくなって涙がぽろぽろ出てきた。  
 
わんわん泣いたあと、過ぎたことは仕方ないと思うことにした。  
じゃないとやってられないもん。  
明日、またがんばろ。キョンくん来てくれるかわかんないけど。  
 
 
来てくれましたっ!  
神様はやっぱりかわいい女の子の味方だったんだわ。  
昨日はいきなり告白しようとしたから焦って言葉がつっかえたんだよね。  
だから今日は告白は置いといて、とりあえず入部してもらうのよ!  
 
そして大胆にも、今わたしはキョンくんと下校中なのであります!  
やればできるじゃない、わたし。カタコトのままだったけど。  
 
部室に来たキョンくんは、本から滑り落ちたしおりについて質問してきたり  
わたしをじっと見つめて、はわわわわな気分にさせたりしたけど、  
「なあ長門、お前一人暮らしだっけ」  
この言葉にもう、わたしの頭の中は妄想で埋め尽くされてしまいました。  
 
『なあ長門、お前一人暮らしだっけ』  
『そうなの。キョンくんがいない、寂しい部屋にひとりきり』  
『なら俺が一緒に住んでやってお前の寂しさを埋めてやるよ』  
 
こっ、これはわたしの妄想小説No32の展開ではないですか!?  
まさか妄想が現実になるなんて、そんなことあっていいのかしら。  
まあ、この展開は設定が大学生だからありえないけど。高1で同棲なんてないない。  
でもわたしはキョンくんの言葉に背中を押されて、言っちゃったのです。  
 
「来る?」  
「どこに?」  
「わたしの家」  
 
そういうわけで二人で下校中なんだけど、よく考えたらふしだらな女だと思われたかもしれないなあああ。  
入部勧誘とか告白とか全部すっぽかして、いきなりうちに誘うなんて。  
しかも一人暮らしであることに答えた上で。  
いまさらながら自分のしたことが恥ずかしくて、下校中はキョンくんより前を無言で歩いてた。  
 
「…………」  
「…………」  
きっ、気まずい。  
うちに誘ったぐらいだからなんでもできると思って、キョンくんと会った経緯について話したんだけど  
キョンくんは黙ったまま、寂しそうな目を向けてくるだけだった。  
話の終わりに告白しようと思ってたのに、まさかキョンくんが図書館のことを覚えてなかったなんて  
そんなのアリなんですか。春先からずっと想ってたことは、ただのひとり芝居だったんですか。  
こんな残酷な結末でいいんですか。  
 
気まずい雰囲気に手を差し伸べてくれたのは、インターホンの音だった。  
そそくさと立って、応対する。  
「はい」  
『わたしわたし。おでん作ったから、いっしょに食べよ』  
うひゃ、朝倉涼子ちゃんだ。キョンくんのクラスの委員長で、わたしの独自ルート。  
同じマンションに住んでる、仲の良いお友達なんだけど。  
「え……でも、いまは」  
ちらっと振り返ってキョンくんを見る。  
『どうしたの? 有希ちゃん』  
「ううん、なんでも。待ってて」  
キョンくんと二人きりだと、またさっきの気まずい雰囲気に戻っちゃいそう。  
それなら、涼子ちゃんを招いたほうがいいとわたしは思った。  
 
キョンくんがいることを知った涼子ちゃんは、わたしにアイコンタクトをとってきた。  
涼子ちゃんはわたしがキョンくんを好きなことを知ってるから、お邪魔だったかしら、とか  
そういう意味だと思う。わたしも目で、そんなことないよ全然、と返しておいた。  
それで納得したらしい。  
「作り過ぎちゃったかしら。ちょっと熱くて重かったわ」  
涼子ちゃんは両手に抱えた鍋をコタツの上に置いて手をふーふーさせる。  
わたしはお皿を取りに、台所へ向かった。  
 
「有希ちゃんっていい子だと思わない?」  
おでんの入った鍋がどん、と鎮座するコタツを囲みながらする食事中  
涼子ちゃんはしきりにキョンくんへ声をかけていた。  
なんだか、キョンくんは落ち着かない様子で、生返事に終始つとめてる。  
涼子ちゃんと何かあったのかな、キョンくん。涼子ちゃんもいつもと微妙に違うし。  
数日前、涼子ちゃんが風邪で休む前に涼子ちゃんとお話したときは、そんな話題出なかったんだけど。  
うーん。  
あ。  
ま、まさかキョンくん、涼子ちゃんに告白したんじゃ……  
涼子ちゃんかわいいもんね。家事万能だし、わたしが男ならほっとかないよ、絶対。  
それで涼子ちゃんに断られちゃったんだ、きっと。  
もしかして、そのとき涼子ちゃんが、口を滑らせちゃったのかも。  
『あなたを好きな子は長門有希さんよ』って。  
だから文芸部室に来たんだ。そうよ、なんか激しく違う気がするけど、そうに違いないわ!  
うう、涼子ちゃん、言わないでって念を押してあったのに……  
わたしはじーっと涼子ちゃんを見つめた。  
「ん、有希ちゃんどうかした? それにいつもはもっとおしゃべきゃっ!」  
足で涼子ちゃんの足を蹴飛ばしてやった。もちろんキョンくんには見えないように。  
ずっとカタコトで話してるのに、いまさらキョンくんの前で地を出すわけにはいかないでしょ。  
変な女だと思われるのがオチよ。少しずつ打ち解けていくしかないの。  
 
一時間ぐらいの食事が終わって、涼子ちゃんは腰を上げた。  
キョンくんもそれに倣って帰ることにしたらしい。でも、帰り際にわたしにささやいてくれた。  
「明日も部室に行っていいか? 放課後さ、ここんとこ他に行くところがないんだよ」  
うれしかった。自然と顔が微笑んでいたみたい。キョンくんは少しびっくりしていた。  
図書館のことはともかく、これから始めていけばいいんだよね、わたしたちの関係を。  
 
二人が帰ったあと、わたしはキョンくんの言葉を反芻していた。  
うれしさでいっぱいになるとともに、ちょっぴりエッチな気分にもなった。  
「キョンくん……」  
ごめんなさい神様、有希はいけないコです。  
 
 
「わたし待ーつーわ、いつまでも待ーつーわ」  
そんな歌を熱唱するぐらいに、キョンくんは放課後来なかった。  
「嘘つき……」  
個人的に言ってみたかったセリフ第八位も飛び出ちゃいました。  
茶化してるけど、辛いよう。なんで来ないのキョンくん、ねえ?  
実は短縮授業になったと思ったのはわたしだけで、今授業中とかそんなオチ?  
……ま、まさか不慮の事故に巻き込まれて病院に担ぎ込まれてるところとか!?  
とんでもないことを想像してしまって、わたしはいてもたってもいられなくなった。  
どどど、どうしよ。ええ、ええと、びょ、病院の電話番号ってこの部屋に電話帳なんかあるわけないし  
そもそもキョンくんがどこの病院に行ったのかもわからないしあうあうあうあう。  
テンパって椅子から立ち上がったわたしの耳にノックの音が聞こえた。ストンと椅子に腰が落ちる。  
本を手にもつ。眼鏡の位置を調節する。スタンバイオッケー。  
 
「よう、長門」  
扉を開けて入ってきたのはキョンくんだった。  
よかった、わたしの心配が杞憂で。でもただの杞憂では終わらなかったみたい。  
「え」  
キョンくんに続いて入ってきたのは、女の子二人に、半ズボンの男子だった。  
抱えられてる女の子には見覚えのある気もするけど、残り二人は記憶にない。  
どういう意図でこの人たちを文芸部室に連れてきたのか、さっぱりわからなかった。  
 
「すまない、長門。これは返すよ」  
そしてわたしは呆然と目の前の紙切れを眺めていた。  
キョンくんが差し出したそれは、文芸部の入部用紙。わたしが一昨日渡したやつだ。  
返すって言ってる以上、当然白紙で名前は書かれていない。  
震える手で受け取る。ダメ、こらえきれない。涙が頬を伝って流れ落ちる。  
「どうして……」  
キョンくんはわたしの涙に顔を仰け反らすぐらいに驚いていたけど、  
「だ、だがな。実は最初から俺はこの部屋の住人だったんだ。なぜなら、俺はSOS団員その1だからだ」  
早口でまくし立てると、キーボードのエンターキーを、押した。  
 
 
「寒っ!」  
なんでわたしこんなとこにいんの?  
ここ校門の前じゃん。あ、散歩か。そっかそっか。  
「でもおっかしいなー。ダッフルコートぐらい着ててもおかしくないのに」  
着てるのは制服だけ。辺りも真っ暗だし、かよわい女の子が出歩くなんて普通ない。  
はあ、もしかして恋煩いが高じて、夢遊病にでもかかったのかしら。  
クリスマスはもうすぐだもんね。相手はいないけど、トホホ。  
ああ、あのとき図書館で会ったいとしの君。あなたと過ごせたらどんなにいいことか。  
引っ込み思案だったわたしは、あなたと出会ってから、変わりました。  
元気になったわたしだけど、あなたに声をかけることだけは勇気が持てず、ずるずると。  
いつかきっと、いつかきっと、独自ルートで入手したあなたのあだ名とともに告白するの。  
 
「キョンくん、図書館で会ったときから、好きでした!」  
 
顔を上げて叫ぶと、目の前にキョンくんがいた。  
 
「え?」  
頭の中が真っ白になった。  
目を閉じる。オーケーオーケー長門有希。今のは幻覚よ、そう幻覚。  
目を開ける。キョンくんがいた。  
「#&%$&#&#!?」  
声にならない悲鳴を上げる。聞かれちゃったああああああああ。  
しかも叫び声で! 雰囲気も何もあったもんじゃないわ!  
わたしの妄想小説はなんのためにあったのよおおおお。  
「ばっかばかばか有希のばかーっ!」  
思わず頭を両手で叩きまくった。  
「いたたたたた」  
頭を抱えてうずくまる。何やってんだろ、わたし。  
 
冷たい夜風が肌に当たる。物音ひとつ立たない。  
しばらくしくしくと泣いてたわたしは、ふと顔を上げた。  
やっぱりそこにいたのは、キョンくんだった。彫像みたいに固まってるけど。  
 
「キョンくん?」  
不安になって呼びかける。もしかしてよく似た別人?  
キョンくんは口を大きく開けたまま、わたしを見たっきりだ。本人としか思えない。  
そんなにわたしの告白がショックだったんだろうか。なんかヘコむ。  
「きょ、キョンくん、キョンくん。こ、この長門さんはもう別人ですから」  
キョンくんの肩を揺すってそう言ったのは、大人の女性だった。  
真冬だというのにブラウスとミニタイトでいかにも寒そう。  
キョンくんがいることに目を奪われてて、気付かなかった。  
 
「そ、そうでしたね、朝比奈さん」  
その女の人は朝比奈さんと言うらしい。  
あれ?  
キョンくんの上半身は冬だというのに、ワイシャツだけだ。  
そして上着のジャケットは、寒そうな格好の朝比奈さんにかけられている。  
ってことは、つまり……  
「なが――」  
「あなた、キョンくんとどういう関係なんですか!?」  
「え?」  
何か言葉を言いかけたキョンくんをさえぎって、わたしは朝比奈さんに詰め寄った。  
「このジャケット、キョンくんのですよね!?」  
「あ、え? え、ええ」  
うなずく朝比奈さんに、わたしは顔を覆いながらよろよろと後しざる。  
「うっ、ううっ、キョンくん、ひどい。わたし信じてたのに……」  
女子高生が淡い思いを募らせている間に、年上の女性とよろしくやってるなんて!  
「キョンくんなんか」  
思いっきり叫んでやった。  
「キョンくんなんか死んじゃえ! ばかあああああああああああ」  
「キョンくん! 危な……! きゃあっ!!」  
 
わたしが叫ぶと同時に、誰かがキョンくんの体に突進した。  
「ひっ!?」  
腰が抜ける。キョンくんの脇腹に刺さってるそれは、ナイフだった。  
そしてそれを刺したのは、  
「りょ、涼子ちゃ……ん?」  
同じマンションに住んでる、キョンくんとクラスメイトの朝倉涼子ちゃんだった。  
「そうよ、有希ちゃん。わたしはちゃんとここにいるわ」  
そ、そんな……  
「有希ちゃんを裏切るような物はわたしが排除する。死になさい」  
涼子ちゃんはナイフを引き抜くと、振りかざし――  
 
戻れた。ありがとう、キョンくん。  
 
「目を閉じて、キョンくん」  
みくるんの異時間同位体の指示により、キョンくんは目を閉じた。  
その隙を見計らって、キョンくんを気絶させる。ぐったりキョンくんワンペア完成。  
「なっ――」  
わたしとわたしは、驚くみくるん(大)に詰め寄って、同時に発言する。  
『朝比奈みくる(大)』  
「ひいっ! な、なんですか? というか、かっこだい……?」  
『先程のわたしのことを口外したら』  
みくるんの肩に片手ずつ置く。  
『……』  
「ひえええええっ!? な、なんなんですか!? 何か言ってください!」  
『……』  
みくるんは今にも泣き出しそうになる。  
『ってかさ、いつまでもいとしのキョンくんのジャケットを羽織るな。返せ』  
「はうわはうあうあう」  
ぶるぶる震えながら、キョンくんのジャケットを差し出してくるみくるん。  
『もちろん、これも口外したら』  
「わかってますわかってますごめんなさいごめんなさい!!」  
涙しながらぺこぺこわたしに謝るみくるんとともに、巨大な時空震が起きた。  
 
 
行ってしまった。  
あとに残ったのは、ぐったりキョンくん一名とわたし。  
とりあえず、みくるんから奪い返したジャケットをかけてあげる。  
エラーは全消去されたみたいだけど、どうしよっかなあ。  
まずは時間的な矛盾を解消しないとダメか。  
キョンくんには悪いけど、しばらく操り人形になってもらいましょ。  
ずっとは無理だから、今日の午後、キリのいいところまで。  
よし、決行!  
 
そうしてキョンくんを午後まで操り、その後、意識不明にした。  
本当はもっと穏やかな方法を取りたかったんだけど、主流派であるわたしの失敗に付け込んで  
観測対象の変化が見たいと急進派がごり押ししてきたことにより、病院送りと相成った。  
首を振ったら情報連結解除されそうだったし、未来からわたしが来てたってことは  
この案をしぶしぶ受け入れたに違いないからね。ごめんね、ハルにゃん、みくるん、いっちー。  
そしてキョンくん。  
 
「……」  
二十日の午後三時、キョンくんが意識不明になってから、丸二日が経ったことになる。  
お見舞いは交代ばんこで行うこととなり、今はみくるんが行ってるはず。  
ハルにゃんはずっと泊り込みで看病してる。  
そしてわたしが今、どこにいるのかというと、図書館だった。  
懐かしの図書館。キョンくんとの思い出が詰まった場所。  
キョンくんが目覚めて、時空改変を行ったあと、わたしは情報連結解除されてしまうかもしれない。  
その可能性を匂わされたのは、キョンくんを意識不明にしてすぐだった。  
情報統合思念体が検討しているらしい。  
そりゃそうだ。誤作動を起こしたインターフェイスだもんね、わたし。  
情報統合思念体は、再び誤作動を起こさないという確証を提出するよう求めてきた。  
そうしなければ、情報連結解除だってさ。しかも、以前のデータと同期するだけではダメだときた。  
時間的な延長線上にある限り、対策を講じないことには一緒なんだって。ま、それはそうだけど。  
どうすればいいんだろう、わたし。  
 
 
「おやっ、そこにいるのは有希っこじゃないかい?」  
図書館の椅子に腰掛けて考え込んでいたわたしに声をかけてきたのは、鶴屋さんだった。  
「……」  
「どうしたのさ? 考え込むような顔をして」  
「なにも」  
はあ、鶴屋さんみたいに表裏なさそうな人なら、エラーもそう溜まらないんだろうけど。  
みくるんの異時間同位体に凄んだときは、すかっとしたもん。気分爽快だったわ。  
「嘘言っちゃダメだよっ。おねえさんに言ってみなさい!」  
「……」  
言っちゃおうか? その考えが沸いて出た。  
もちろん、情報統合思念体どうこうじゃなくて、この思考パターンのことを。  
もしいつかみたいに拒絶されても、情報操作すればいいし。決めた。  
「場所を替えたい」  
「いいよっ、さあ行こうっ」  
 
わたしたちは適当な喫茶店に入った。パトロールでいつも来てるところとは別ね。  
「これは内緒にしてほしい」  
飲み物が来てから、話を切り出す。鶴屋さんは眉をひそめる。  
「まさか、キョンくんのことじゃないだろうね?」  
鶴屋さんもキョンくんが意識不明であることを知ってるみたい。みくるん経由かな。  
「違う。わたしのこと」  
「有希っこがどうかしたの?」  
「わたしの思考パターンは、現在表出しているようなものではない」  
鶴屋さんが首をひねる。  
「もうちょい簡単な言葉で言ってくれないかい?」  
「わたしの考えていることは、もっとユニーク」  
端的に言ってみた。付け足す。  
「それを表に出したい願望を持っているが、SOS団ではそれはできない」  
やったら実際拒否されたし。  
「つまり、その面白い有希っこ、ってのをあたしに見せてくれるんだね?」  
「そう。そして秘密にしておいてほしい」  
「なんだかよくわからないけど面白そうだからオッケーっさ!」  
 
「それでは」  
「こーいっ」  
鶴屋さんがどんっ、と胸を叩いた。  
「……」  
恥ずかしい。というより、自分から発話することが多くないから何を言えばいいのやら。  
「先に何か言って」  
「ふえ? うーん、それじゃさ、SOS団のことどう思ってる?」  
「SOS団? ああ、あのハルにゃんが作ってわたしが所属させられた同好会未満の存在のことね。  
SOS団っていう名前はけっこうどうでもいいんだけど、そこに集まってくる人には興味があるわ。特にキョンくん!  
もうね、わたしはキョンくんがいなかったら、今ここにこうして存在することすらできないってぐらい  
キョンくんに対する想いには並々ならないものがあるの。みくるんのそれなんか比較にもならないし  
ハルにゃんにだって勝ってるかもしれない。いっちーなんかこの話題に入ってくる必要もないけど、まあ  
一応含めてあげたら、ぎりぎりわたしが勝ってるでしょうね。接近してる時間ではボロ負けだけど。  
だいたいさ、わたしのSOS団での役目が本を閉じてその日の活動終了を知らせるだけってどういうことよ?  
わたしは時計かなんかかっつーの。片隅で本を読んでそれで満足してると思ったら大間違いよ!  
あーもう、思い出したら腹立ってきた。わたしだってキョンくんとゲームしたり、キョンくんに  
お茶を淹れてあげたり、キョンくんを頭ごなしに命令してみたいわ!……こんなところでどう? 鶴屋さん」  
 
鶴屋さんを見ると、わたしを見たまま固まっていた。  
あちゃー、やっぱダメだったかな。そう思った瞬間だった。  
「ぶ」  
鶴屋さんの肩が震う。  
「あっはっはっはっはっははははは! わっはっははは! す、すごっははははっ!」  
悶絶物の爆笑をし出した。  
「わはははっ! 有希っこ、あんた最高っ!」  
「うわーなんか褒められてもうれしくないー」  
「ぶははははっ! とっ、止まらなひっあはは」  
「ちょっと、鶴屋さん、笑いすぎ!」  
「ご、ごめっ、でもダメっあはっはははっはひっ、お腹いたいっ」  
なんにせよ、受け入れてくれるってことかな?  
 
散々笑い倒した鶴屋さんは、秘密を守ってこれからもちょくちょく  
電話や会話してくれることになった。これで懸案事項は解消されるかなあ。  
鶴屋さんと話しただけでも、ものすごい量のエラーが削減されたから  
たぶん大丈夫だと思うんだけど。あとで提出しておこ。  
 
「なんだって?」  
翌日の面会時間後。わたしはキョンくんと会ってた。  
夕方五時過ぎに起床するよう、セットしておいたため、キョンくんはきっかり目を覚ましてた。  
そして、わたしがここにいる理由は、こんな事態を引き起こしてしまったことを謝るためと、  
「わたしの処分が検討されている」  
わたしのことだった。鶴屋さんのことは提出しておいたけど、まだ返事はなかった。  
もしかしたら、却下される可能性も含みつつのキョンくんへの報告だ。  
 
「くそったれと伝えろ。お前がいなくなったりしたら、俺は暴れるぞ」  
キョンくんは素直に怒ってくれていた、わたしのために。  
「つべこべぬかすならハルヒと一緒に今度こそ世界を作り変えてやる」  
情報統合思念体にケンカを売ることも辞さずに。  
「あの三日間みたい……に……?」  
あれ、なぜか言葉が尻すぼみになっちゃった。  
「長門」  
「なに」  
「いや、あの長門はなんだったんだろうな、と思って」  
うっ、みくるんの口は封じたけど、キョンくんの記憶にまだ残ってたか。  
「わたしは知らない。改変中のことは覚えていない」  
嘘ついちゃった。あの記憶を改竄するのも、ちょっともったいないし。  
「そうか。ともかく情報統合思念体とやらに伝えてくれ」  
うれしかった。キョンくんがわたしのことを想ってくれてるんだ、ってひしひしと感じたから。  
……ちょっとぐらい、いいよね?  
 
「伝える」  
うなずきを返す。  
 
そしてわたしは、かすかに、ほんの少しだけ微笑みを浮かべると、心の底からキョンくんにお礼を言った。  
 
「ありがとう」  
 
(おわり)  
 

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