いつからか巣に帰る動物達のように俺はまたも文芸部室に来ていた。もう日常の一部と言ってもいいくらいだ。
まあ大半は今日も相変わらず暇だな、という憂鬱感が占めているが、何が楽しみなのか、このドアを開く時は少しワクワクする。
いや何が、ではなく我が麗しの天使朝比奈さんの生着替えにさもうっかりを装って出くわすのを期待しているのかもしれない。
しかしそのような期待は我が良心のノックをしろという言葉によって掻き消された。無念。
コンコン。
「…………」
返事がない。つまり誰もいないって事か? 何だ暇人一番乗りかよ。
ドアノブを回し、いつものように中に入る。この朝比奈さんのような女性の匂いにも慣れたなぁ。
そんな匂いフェチ(俺は違うぞ)っぽい事を思っていると、誰もいないはずであった部室に宇宙人兼三点リーダー製造器の長門がいつもと同じ椅子でいつもより薄い本を読んでいた。
薄いと言っても俺なら漫画であったとしても読みたくないページ数である。
「みんなはまだ来てないのか」
見れば分かることなのだが、一応コミュニケーションを取りたくなったので聞いてみる。
「……来ていない」
そうか。
本当に長門は必要最低限以外の事は喋らないんだな。いつも思う。
もっと色々、せめてSOS団の中だけでも喋るべきではないだろうか。
その無表情な顔から表情を読むのは最近になって少し分かるようになったが、やはり完全には長門の心理が分からない。
いや、そもそも言葉のボキャブラリーが無いんだっけか。
そりゃあ、宇宙人が地球のしかもマイナーな日本という島国の言葉をしっかり使いこなしているというならそれは見事な日本マニアだ。
さて長門も自分の好きな事をしてるし(と言ってもいつもだが)、俺は絶対権力を持つ団長がコンピ研から奪って来たPCでネットを楽しむかな。
電源スィッチを押し、PC本体を起動させ、団長椅子に腰かける。
普段は有無を言わさず俺に奢らせる超監督がここに踏ん反り返っているのだが、今は俺の暇潰しに付き合ってもらおう。
モニターが自動で付き、ログオン画面になるまではしばらく待たなくてはならないのだが……少し眠いな。頭が勝手に机の上へと落ちていく。
いわゆる授業中にしていると怒られてしまう、机に突っ伏した状態になってしまった。
むむ。少しだけでも目を閉じていようなどと思ってしまえば、本格的に眠ってしまうであろう。
そうなるときっと我等が団長涼宮ハルヒが不機嫌になり、更に愚痴ってくるというコンボが待っている。
何としてでもそれは避けたい。……のだが、どうやら昨日の深夜番組が面白くて夜更かししてしまった事が睡魔を助けてるようだ。
耐えられない眠気が――
………
……
…
「さて、この寝顔写真ナンバー124だけどどうよ?」
「いいんじゃないですかねぇ。特に頬の色が」
「わ、私は123の方が好きです」
「……私は69がベスト」
ボンヤリとした意識の中、とんでもない会話が始まっていた!
どうやら俺が寝ている間にハルヒや朝比奈さん、古泉までもが部室に来ていたようで、今四人して怪しげな会話が繰り広げられていた。
ここは寝たフリをしてこの聞こえてくるおかしな話し声をやり過ごすしかないのだろうか。
「全く、気持ち良さそうに寝てるわね」
ぷにぷに、と頬に指で突かれる感触。恐らく声からしてハルヒだな。
まさかハルヒが俺の寝顔にこんな事をするなんて。普段の素行から、油性マジックで落書きするもんだとばかり思っていた。
「ず、ずるいですよ。涼宮さん」
「団長の権限よ。私は団員を好きにしていいの」
しかし、我等が団長はいつも通り傲慢な団長であった。ハルヒさんよ、それは絶対に間違ってると思うぜ?
その前に、朝比奈さんにずるいと言われたのは喜んでいいのだろうか。
あの朝比奈さんが俺の頬をぷにぷにしたい、と解釈して少しだけでも調子に乗っていいのだろうか。
「……なら私は親友の権限」
おわっ。背中に何かが当たった!
何となくだが、長門が顔を押し付けているのであろう。髪の感触がある。
「有希、やるわね。なら私はこうよ」
今度は何だ?
何か右腕に二つの柔らかい物体が覆いかぶさってるようだが。
「ほらほら。どうよ、有希では出来ないわよね」
「……彼は貧乳好き」
おいおい。いつから俺は貧乳好きのロリータコンプレックスに仲間入りを果たしたんだ?
ていうか、いきなり胸の話をしだしたって事は右腕に当たってる柔らかい物体はあのグラマーハルヒの胸って事か!?
それはそれはいつまで理性が持つものか……。
「いいえ。キョンはみくるちゃんの胸をじろじろと見まくってるれっきとしたおっぱい星人よ。ね、みくるちゃん」
「ふぇ? 確かにいつも顔より下に視線を感じてましたけど……」
すいません。朝比奈さん、正直見てました。
だがな、ハルヒ。朝比奈さんからの評価が下がるような事は言うな。明日から見づらくなるだろ?
「ほら、きっと巨乳が大好きなのよ」
「じゃあ、私もっ。やっ」
いやに重くて柔らかい二つの物体が左腕に……。
間違いない! これは朝比奈さんの胸だ!
ハルヒのが右腕に当たったままだから分かる。
しっかし、朝比奈さんの胸は柔らかいなぁ。ハルヒの二倍は柔らかい。
思わず下半身が熱くなってしまった。
「ああっ、まさかみくるちゃんまで積極的になるとは……。
でも、キョンは陰毛が濃い方が好きなのよ。だから、キョンにはみくるちゃんと有希はふさわしくないわね」
どこからそんな情報が。俺は普通でいいぞ、普通で。
ていうか、左腕、背中、右腕、と堪らない状態だな、俺。
「……彼は無毛好き」
ちょっと待て。さっきから長門は俺をロリコンに仕立て上げようとしているのか。
「わ、私は処理してるけどちゃんと残してますからっ……」
「分かってないわねぇ。キョンは濃い方が好きなのよ。中途半端に残されても興奮しないわ」
だから俺は普通がいいんだって。何処からそんな意味の分からない情報を仕入れて来たんだ?
「そうですね。彼はグラマーアンドセクシーが好きらしいですから」
ここで爽やかに今までの会話を聞いていた(多分)古泉が口を開いたかと思えば、ハルヒに訳の分からない事を吹き込んだのはお前だったのか。
まあグラマーは大好きだけどな。
「そうよね。みくるちゃんはグラマーはクリアしてるけど、セクシーってのはクリアしてないわ。
私が思うにセクシーっていうのは陰毛が濃い事なのよ。陰毛は性器を連想させるし、何となくいやらしいじゃない」
ハルヒが何やら耳元で語っているが、それは間違ってるんじゃないか。外国のAVなどではむしろパイパンが圧倒的に多いぞ。
古泉よ、前言撤回だ。ハルヒが勝手に勘違い(この場合は勘違いなのか?)しているだけらしい。
で、この状況はどうにかならんのか。狸寝入りがバレるのも時間の問題だ。
「そ、そんなぁ」
朝比奈さん、何故そこであなたが落胆するんですか。俺の性癖(四人が言ってるのとは全く違うが)に合わなかったからって関係ないでしょう。
そして早急に胸を当てるのをやめてください。理性が持ちそうにありません。
「ふっふっふっ、キョンは私のモノね」
何やら得意げな声で勝ち誇っているが、断じて俺はハルヒのような傍若無人な女性とは付き合いたくない。
ていうか、みんな俺の好みとかで言い合ってるけど、何がしたいんだ?
「……起きてる」
……!?
ふいに長門が全てを悟ったような声を出した。もしや俺の事か?
ヤバイ。非常にヤバイぞ。
「何が?」
おっと右腕に密着したハルヒの胸から動揺を感じる。
「……彼が」
「ふぇ? キョ、キョン君?」
「まさか……キョンー? 寝てるわよね?」
ここはどうすればいいのだろうか。テストでは平均点を軽く下回る脳味噌をフルに使って考えてみる。
考え一、このまま寝たふりを続ける。
これは即却下。長門にバレている時点で失敗が確定してしまう。
では、考え二。起きてダッシュで逃げる。
馬鹿か俺は。今まで起きてました、と自分から言ってるようなもんじゃないか。
これも却下。あー、駄目だ駄目だ。
最後になりそうだが考え三。
さも今起きたかのように演技をする。
んー、……これが一番妥当かもしれん。賭け要素が高いが、実行する前に失敗が確定してるかより幾らかマシだろう。
これを実行に移すか。
「んー」
長門の頭、ハルヒや朝比奈さんの胸を何事もなかったかのように退け、わざとらしく腕を前に伸ばして欠伸をしてみる。
「ふぁー、ん? どうしたハルヒ?」
光が眩しくて瞼を開けないのだが、取りあえず右にいるはずのハルヒに声をかけた。
「あ……、いや何でもないわよ」
少し声が慌てている。ハルヒのこんな声は珍しい。レアだな。
何とか慣れてきたので目を開けると、今まであまり見た事のない顔でハルヒが案の定、俺の右側に立っていた。
この表情もレアだな。
「そうか。で、何で朝比奈さんや長門まで俺の周りに?」
「ふぇ……何でもありません!」
今日の朝比奈さんは、ナースだった! ……いや、そんな事はどうでもいい。
いつもよりオドオドした様子で朝比奈さんは後ろにあるロッカーにぶつかった。
「ひっ、いたぁいですぅー」
狙ってるんじゃないかと思うくらいのドジっぷりである。ああ、朝比奈さん萌え。
「長門は?」
「何でもない」
こいつは全く動揺してないな。流石ハルヒが選んだ無口キャラだ。
微動だにせず、その何かを吸い込んでるんじゃないかという真っ黒な瞳を俺に向けていた。
「さ、さあ、今日はもう帰るわよ!」
何かに気付いたのかハルヒは古泉と俺がゲームに使用するだけとなった長机を俺に見えないように隠した。
いつもの機嫌の良いはずの顔には汗が流れていて、背中の後ろではこれまた何かに気付いた古泉と必死に何かを鞄に入れていた事は見なかった事にしよう。
「私着替えてますから先帰っててください」
はーいそうしまーす、と今日の出来事は心の奥にしまうつもりで天使の声に答えようとしたが、誰かが後ろで、
「待って」
と小声で引き留めてきたので、
「ああ、俺の教室で待ってる」
と残し、自分の教室に向かった。まあ誰かなんて既に分かってるんだがなぁ。
理由も分かってる、どうせまたハルヒ関連の厄介事だ。はぁ、溜息が出る。
しかし、まあ今日は何だったんだ。
俺に顔をうずめる長門、胸を押し付ける朝比奈さん、勝手に自分のモノにするハルヒ。
みんな変だったな。マジ何がしたかったんだ?
変な予感がするが、教室の扉を開いてもうこんな時間か、などと呟きながら自分の席に座った。
まさか朝倉が来るなんて事はないだろうなぁ? もう朝倉はいないって事は分かっているのだが、そんな事を考えてしまう。
若干夕暮れの教室がトラウマ化しているらしい。
――そして、窓越しの夕焼けをボーッと眺めているとものの三分もすれば、長門はやって来た。
「で、何だ? またハルヒか?」
「違う」
長門は漆黒の瞳で俺を飲み込んでしまった……なんて事はなく妙に不安そうな顔をしている。
いつか見たことのある別世界の長門を思い出させるような顔。
「じゃあ、何だ?」
「私はあなたの親友?」
一瞬、世界が完全にフリーズした。