俺と朝比奈さんの間には、互いに暗黙の了解の内に定められた境界線のようなものがあった。
俺は朝比奈さん(大)に釘を刺されていたこともあったし、朝比奈さんも未来人の規則なのか決して一定以上の関係に踏み込むことは無かった。
勿論、心情的なものもあるだろう。未来人にとっての最重要人物である涼宮ハルヒの最も近くに配置された以上、彼女はそれなりに優秀なエージェントなのだろう、とてもそうは見えないが。過去への派遣だって初めてでは無いかも知れない。
別れが決定された人間と深い親交を持つことは辛いことだと、彼女だって知っているはずだ。ましてや、それ以上の関係を持つなど―――
「駄目、ですよ。朝比奈さん、これ以上は・・・」
俺はとてもそんな無責任な真似は出来ない。ただ乳繰りあうのとは訳が違う、これ以上進めば絶対に互いの心身に決して消えない痕跡を残してしまう、そんな確信があった。
一度射精したからこその冷静な判断であることが情けないが、ここで踏みとどまれただけでも僥倖というものだろう。奇跡だと言ってもいい。
しかし、俺の矮小な思惑は―――
「・・・キョン君は優しいですね・・・・でも」
真っ向から―――粉砕された。
「とっても、残酷です」
後頭部に衝撃。目の前に火花が散った。鼻先をくすぐる栗色の髪に、自分が目の前の女性に押し倒されたことを理解する。
「あ、さひな、さん・・・?」
髪に隠れてその表情は見えない。ただ、こちらの胸元に置いた手が震えるほどきつく握りしめられている事に気付き、何もが言えなくなる。分かる。朝比奈さんは、何かとんでもないことをしようとしている。
「キョン君は―――」
押し殺したような声。
「キョン君は、私の気持ちを考えてくれた事ってあるんですか?いつも何も考えずにニコニコしてるとでも思っていたんですか?」
口が縫い合わせられたように開かない。誰か糸切り鋏持ってきてくれ、大至急だ。
「知らないですよね?あなたが涼宮さんと話をしている時、あなたが長門さんに優しくする時、私がどんなに嫌な事考えているかなんてキョン君は考えたこともないですよね?」
自嘲するように首を振る朝比奈さん。先ほどまで髪に隠れていた表情が露わになる。
「私、本当は凄く汚いんです」
それは、俺が初めて見る朝比奈さんの表情だった。嫌悪。それも、恐らくは自分に対しての。
「・・・・・ねぇ、キョン君は初めてですよね?」
震える声で俺に脈絡無く問いかける朝比奈さん。危うい。今の朝比奈さんは何か、危うい。感情のバランスが上手く取れていないように見える。
「―――だとしたら、何ですか」
探るように答える。ここから一手でも間違えたら、多分ロクな事にならない。
「私も処女ですから、許してくれますよね?」
何を、と疑問を口に出す暇も無かった。朝比奈さんは普段の5割増くらいの素早さで俺のみっともなく腫れ上がったイチモツを手に取り、自分の秘部に宛がうと、
「んぅ・・・・ッ!」
そのまま、一気に腰を落とした。
ぶつ、という何かを突き破るような感触。朝比奈さんは痛みに眉を寄せるがその動きを止めることはなく、そのまま重力に任せて陰茎を秘部へと迎え入れていく。
十分に濡れていたことも幸いし、間もなく朝比奈さんの柔らかなお尻が俺の腰に落ちると同時に亀頭が朝比奈さんの最奥をこつん、と叩いた。
「えへへ・・・・ぜんぶ、はいっちゃいましたね・・・」
そう言って、本当に嬉しそうに微笑んだ。
申し訳ないのだが、ここからは記憶が飛んでしまっているので詳細は説明が出来ない。
だから、後ろから朝比奈さんの形の良いお尻を鷲掴みにしながらめちゃくちゃに突いて泣くまで鳴かせた事も覚えていないし、
正常位で手を握りあって、名前を呼び合いながらSEXをしたことだって覚えていないし、
もちろん対面座位で抱き合って口元がぐちゃぐちゃになるまでキスをしながら朝比奈さんの膣奥を突き上げたことだって覚えちゃいない。
・・・何だよ。笑いたきゃ笑えよ。冒頭で境界線云々言ってた奴がなんて体たらくだ、って指さして笑ってくれよ。俺だって自分が情けなくて仕方がないんだ。
だが、あんただって俺と同じ状況に置かれたら人の事言えなくなるはずだぜ?いや、あんたがホモだって言うなら話は別かも知れないけどね。
で、今現在。朝比奈さんは丁度挿入した時と全く同じ体勢で、俺の上で腰を振っている。ぬちゃ、ぬちゃという粘着質な音と、ぱちん、ぱちんという肌を打ち合わせる音が交互に響く。
「キョンくん、すご、い、ですぅ・・・っ、私のいちばん奥、こつん、こつんってしてます・・・・ッ!」
何というのか、気持ちいいのだ、これがまた。このために金を払ったり、さらには犯罪に走ったりする人間が後を絶たないのも納得できる。
性行為とは取りも直さず生殖行為とイコールである。人間の場合は愛情を示す手段としての側面も持つが、避妊しなければその気がなかろうとも当然子供は出来る。
つまり何が言いたいのかというと、性行為というものはこの上ない快楽を得られる行為として人間の根幹にプログラミングされているのだ、間違いない。
だから俺が溺れてしまうのも仕方がない訳で。ああ、仕方がないんだ。
目の前で掴んでくれとばかりに揺れている実にわがままなオッパイを両手で捕まえる。
「っひ!キョン、くん、おっぱいさわってるぅ・・・」
胸を掴むと、それと連動するように膣が収縮する。信じられないほど柔らかな何かに陰茎をきつく締め上げられる、矛盾した感覚。ぶるぶると自分の腰が震える。もう少し、もう少しだけこのままで―――
こちらの都合などお構いなしに俺の上で跳ね続ける朝比奈さんに対抗するべく、今度は秘部に手を伸ばし、
「ちょっ、キョンくん、待ッ・・・」
陰核を摘み、軽くつねった。
「――――――――っあ・・・・!」
言葉もなく朝比奈さんが仰け反り、口元から小さな舌が覗いた。同時に、膣内が激しく伸縮する。射精を促し、受精するためのオンナのメカニズム。
不味い、と思った時にはもう遅かった。
朝比奈さんの一番奥に挿入した状態で、俺はありったけの白濁した欲望をブチ撒けた。
膣に絞り上げられ、性器が生殖行為という本来の役割を果たすべくびゅく、びゅくっ、と精液を吐き出す。
それこそ妊娠させかねない行為に、果てしない歓喜とどうしょうもない後悔が伴う。
そして体内の生気をあらかた放出してしまうような途方もない疲労感。俺が射精する度に俺の上で「あ、あ」とふるふると震える朝比奈さん。
射精が終わると同時に朝比奈さんは糸が切れたようにぱたん、とこちらに倒れてきた。
『・・・・・・・』
目が合う。何か答えを求めるような、そして同時に許しを求めるような視線。でも、何も言えない。気の利いた文句の一つも出てこないのか、俺は。
互いの荒い息づかいが部屋に響く。朝比奈さんのぐったりと脱力した体を抱きしめる。何となく、そうするべきだと感じた。
力なく、それでもしっかりとこちらの首に回される朝比奈さんの細い腕に、どうやらそれは間違いではなかったらしいことを悟る。
先に口を開いたのは、情けないことに朝比奈さんだった。
「・・・・キョン君、ごめんな」
これは別に誤植でも、ましてや朝比奈さんが突如として男言葉になったわけでもない。俺の手が口を塞いだのだ。
なんというか、この状況で謝罪をしてしまうのは間違っているような気がしますよ、朝比奈さん?
「・・・・んぅ」
口を塞がれながら、不承不承といった感じで頷く朝比奈さん。こういう場合は非は男性側にあるというのがセオリーなのだが。
どうも朝比奈さんの中では、自分が悪いことになってしまっているらしい。そういう考え方だと人生苦労しますよ?
ハルヒ程とは言わないが少し図々しさを持った方が良いかもしれない。
「むーーー」
と、何か明らかに不機嫌そうな視線でこちらを見ている朝比奈さん。少し怖い。な、なんでしょうか?
「今、涼宮さんの事を考えていましたか?」
―――俺はそんなに分かりやすいだろうか?どちらかと言えばポーカーフェイスの部類に入ると自負しているが。長門ほどとは言わないが―――
と、ここまで思考を進めたところで朝比奈さんの普段は穏和な曲線を描いている眉が逆ハの字につり上がるのを見てしまい、慌てて思考をストップする。
どうやら感情を隠せていると思っていたのは自分だけだったらしい。
だが、怒りながらも少し楽しげだった朝比奈さんの表情にふと影が落ちる。
「・・・・・ごめんなさい、キョン君。私、してもらえたからって、調子に乗っちゃって・・・私には、キョン君に文句を言う資格なんて無いのに・・・・」
それは多分、この先は無いであろう自分たちの関係とか、いずれ未来に帰るであろう自分の身分についてとか、(朝比奈さん視点では)なし崩し的に関係を結んでしまった事に対する、謝罪。
さっきまでの、どこか微笑ましい、凪のような雰囲気がかき消える。
俺は、やっぱり何も言えなかった。
「朝比奈さん」
「はい?」
腕の中にすっぽりと収まった朝比奈さんが答える。俺が朝比奈さんを後ろから抱きしめ、座り込んだような格好だ。実際その通りの経緯で今のような体勢を取っているのだが。
あの後、重苦しい空気の中互いの体に付着した諸々の汚れを拭き取り、服装を整え、帰り支度を済ませたところで、朝比奈さんは、俺に背を向けて、突然口を開いた。
「今日の事、忘れてくださいね?」
―――予想しなかったと言えば嘘になる。どうやら未来の方々は俺とハルヒをくっつけたがっているらしく、ならば朝比奈さんの今回の行動はとびっきりのイレギュラーなのだろう。
そう、こう言われることは予想していなかった訳ではない。だが、それでもかなり堪えた。
・・・・もちろん、はいわかりましたと頷くつもりなど、毛頭無い。
「ほら、私だって女性ですし・・・やっぱり、Hな事がしたくなっちゃう事ってあるんですよ」
処女なのにですか?
「でも、知らない人にこんな事頼むわけにはいかないじゃないですか?」
どちらかというと襲いかかったのは俺の方だと記憶していますが。
「その点、キョン君ならこういうことでも黙ってくれるかな、って」
その場限りの相手として適当だった、というわけですか。不名誉極まりないですね。
「そ、そんなつもりで言った訳じゃ無いです・・・」
大丈夫、信じてませんよ。
「え?」
「そんなに震えた声で、泣きながら言われても信用する奴なんていません」
俺は、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、スカートの裾を手の平が真っ白になるほどきつく握りしめていた朝比奈さんを、そのまま後ろから抱きしめた。
「ひ、えぐ・・・う、うぇ、うぁぁぁぁっ!ああああぁぁぁぁぁっ!」
子供のように泣きじゃくる朝比奈さんを、俺は何も言わずに、抱きしめ続けた。
髪や頬を撫でられる度にぴくりと肩を揺らす朝比奈さんはとても可愛らしかった。
「泣き顔きっとへんですから」という朝比奈さんのたっての希望で、後ろから抱いて座っている体勢の為その表情までは見えないが、時折首もとをくすぐる朝比奈さんの柔らかな髪や、俺の腕にそっと添えられた小さな手の感触はとても心地よかった。
―――いつまで、自分達はこうしていられるのだろうか。
「・・・・朝比奈さん」
「はい?」
いつ、帰ってしまうんですか?とは聞けなかった。返ってくる答えは、多分、想像通り。そして、俺はそれを聞きたくはなかった。
『禁則事項です』
幾度となく聞いた言葉。でも、今それを聞かされたら、朝比奈さんとの距離を否応なく認識させられてしまうような、そんな気がした。
「いえ、何でも、ないです・・・」
「・・・・・キョン君、あの、さっきのマフラー・・・すごいお気に入りだったりしますか?」
「え?いえ、そんなことは無いですけど・・・」
唐突な話題転換。朝比奈さんの意図が読めない。
「だったら、私に貸してもらえませんか?」
「構いませんが・・・」
「よかった。“いつになるか分かりませんけど、必ずキョン君に返しますから”」
言って、にっこりと、でも少し寂しげに笑う朝比奈さんに―――唐突に理解した。朝比奈さんはこう言っているのだ。
『いつ帰るかは分かりません。でも、帰るときには必ずキョン君に言いますから』
ぎり、と奥歯を噛み締める。
悔しかった。
自分が超能力者でなく、万能宇宙人でもなく、全てが思うがままの神でもないことを、俺はこの時、初めて悔しいと思った。
本当に、帰ってしまう事は必然なのか。本当に、俺には何も出来ないのか。
そして、何より―――朝比奈さんが、別れを必然として受け入れている・・・いや、諦めてしまっていることが何より悔しかった。
―――俺はこれから先の自分の言動をこの先何度も思い出し、羞恥のあまり何度となく転げ回る事になる。当然、当時の俺にはそれを知る由も無い訳だが。しかし、これだけは信じて欲しい。俺はこの時、正気じゃなかったんだ。本気ではあったが。
「朝比奈さん」
「はい?」
「朝比奈さんの上司の方達は、かなり非道だったりしますか?」
「え、えぇ?」
「具体的には、例えば規則や機密のためならば生まれたばかりの子供をその親と引き離してしまうこともやむなしとしてしまうような方達ですか?」
「ええと、そんな、ことは、ないと思いますけどぉ・・・」
尻すぼみに小さくなっていく朝比奈さんの声。俺の意図が全く理解でいないのだろう。ならば教える必要がある。
「俺と結婚して俺の子供を産んでくれませんか?」
朝比奈さんが停止した。
表情は後ろからで見えない。きっと呆れているのだろう。こんな方法、上手くいくはずがない。俺だってそう思う。
絵空事にも程がある。サラリーマンが出張先で結婚するのとは訳が違う。戸籍は。実家は。任務は。
朝比奈さんの向こうの生活はどうなる。俺が突然江戸時代に放り込まれたら耐えられるか。無理に決まっている。
考えられる障害は数え切れないほど。
大体、俺は一人で浮かれ上がっているがよく考えたら朝比奈さんに「好きです」とかそういった類の言葉を貰ったわけでもない。
心情的にも現実的にも怒濤の如き空回りである可能性は高い。
朝比奈さんは先ほどから微動だにしない。
ああ、やはりこんな馬鹿なことを言うべきでは無かった。気の迷いにも程がある。どう考えたってこんな理屈通るはずがない、ウチの妹にだって分かる道理だ。
よし、冗談だった事にしよう。今ならまだ間に合うかも知れない。笑いながら「なーんちゃって」だ、タイミングを外すなよ、3、2
と、朝比奈さんは突然振り返り、俺に抱きついて、俺の耳元で蚊の鳴くような声で
「 」
朝比奈さんは最後に何て言ったかって? そりゃ秘密だ。
何故かって?
だって、他人のノロケ話なんて聞きたくないだろう?