「…ん… ぷ… ハァ……ふぅ……」
息苦しくなってきて唇を離す。お互いの吐息が熱い。
口の中全体にプリプリした小さな舌の感触がまだ残っている。
そして「彼女の味」
最初の頃にあった「自分の唾液を不快に思ってないだろうか?」などという不安はもう無い。
肉付きの薄い小さな唇を薄く開けたままコクンと喉を鳴らし、彼女は自分のものではない唾液飲み下してる。
表情に不快の意思は見えない。そう思う。不安なんかじゃないってば。
嫌じゃないよな、長門?
「……気にしていたの?」
まあな。
お前に嫌われることは、なるべくしたくないと思ってるわけだし。
その、なんだ
「……あなたはどうなの?」
俺? 俺は別に嫌じゃないさ。長門の口の中はなんというか、以外と気持ち良いし。
変な言い方だが長門の「味」は割と好ましい部類に入る、と思う。
「…………………」
なんだよ、そのちょっと上目遣いの『言葉が足りない』の表情は……。
ああそーですよ! 好きですよ! 長門の口の中を蹂躙するのが! 以外と生々しい味なのにもっと味わいたいと思ってますよ!
小さい舌を弄んだり、頬の裏側に舌を這わせたり、歯の小ささにびっくりしたり、長門の唾液の味を知ってるのは俺だけなんだとか思って興奮したり、キスするたびに幸せ一杯ですよ!
「……何を怒っているの?」
別に全然怒ってませんっ。
「……この世界の言葉で言う、照れている状態?」
聞かないでくれ、自分がド変態みたいで死にたくなる。
自分の顔に血液が集まるのがわかった。みっともないので顔を横に向ける。
ああ、この部屋よりも高い建物が近くになくてよかったなあ。
しかしすごいな、世のイチャイチャカップルというのは。
こういう状態でもまともに、いやまともじゃないんだろうが、普通に相手を見つめたり、思ってることを包み隠さず伝えたり、往来でキスしたり、あまつさえ外で
「……私は」
何だ? やっぱり嫌だったか? それならはっきり言って欲しいぞ。 頑張って少しなら自重する。
「あなたの唾液の味に不快を感じたことは無い。あなたと行う、それ、に対しても不快な感情を持ったことも無い」
長門さん?
「……」
長門〜さん?
「…………」
な〜が〜と〜さん?
「…………………………………………………キスは……好き」
よしよし、フェアに行かないとな。
恥かしいだろう? 耳まで熱くなるだろう? ちょっとだけ死にたくなるだろう?
窓の外見てごまかしても、横顔で照れてるのまるわかりだぞ?
いつもよりもほんの少しだけ強く結んだ唇。
片腕で長門の小さい頭を軽く胸元に寄せると、Yシャツを掴む手が少しだけ抗議の色を示す。
お前は本当に愛い奴だな。
「最初にこの話題をふったのはあなた……」
そうだな
「……ずるい」
そうかな?
「……そう」
そうか
ひんやりした長門の部屋。立ったまま身体を寄せる。
抱きしめるでもなく離れるでもなく。ただ、寄り添う。
長門の後ろ髪を指ですく。
シャラシャラとした感触が指の間を通り抜けてくすぐったい。
「…カレー」
そうだな、もう少ししたらちょっと遅いが晩飯にしよう。
もう少ししたら、な。
「……ん」
夜は長い。
「食後すぐに入浴するのは、消化吸収の妨げになる」
との忠告を受けて、風呂までの腹ごなしに時間を潰すことにした。
まあ食後すぐに『行為』に移ってもいいんだが、それじゃ長門に失礼だ。
成人君主を気取る訳でもないが、別に長門の身体だけが目あてなわけじゃないしな。
んで、ゲーム関係は勝負にならないので(主に俺が)ビデオでも見ようかという話に。
毎週日曜夜に長門の部屋に上がりこむようになってから3週間目あたりだっただろうか。
最初のうちは部屋に上がるなり欲望に任せ、長門と身体を重ねる時間ばかりが多かった。
だが、しばらくして冷静になった俺は欲望オンリー思考に反省し
「普通の恋人同士がする事」を積極的にしていこうと誓ったのさ。
そして次の週のパトロールで運良く長門とペアになった俺は
安物の16型ビデオ一体型TVを買い付け、この部屋に運び込んだって訳だ。
まあ実際に使うのは今回が初めてなのは多目に見て欲しい。
結構大変なんだ、ムード作りのビデオチョイスって。
「……何を見るの?」
「ん、見る前に一つ長門に約束してもらいたい事があるんだ」
小首をほんの2ミリほど傾げる長門に軽く萌えながら、少々大げさに答える。
「今日はお前の持っている情報を自由に出来る力や、例の情報何とか体のサポートとか
そういったものを一切OFFにして作品を見て欲しい」
「その場合、突発的事象に対応できない可能性がある。その提案は推奨できない」
「命に関わるような緊急事態になった時には使ってくれてもかまわんが…
とにかくこれから見る映画のデータを先に確認したりしないこと」
「……それだけなら」
「必ず守ること」
「……厳守する」
「よし。で、見るビデオはコレだ」
『サイコ』
アルフレッド・ヒッチコック監督の傑作サイコスリラー映画だ。
巨額の横領をした女性が逃亡中に立ち寄ったモーテルのシャワールームで惨殺される。
失踪した女性を追ってきた恋人の男性と妹が恐怖と狂気の事件に巻き込まれて…
というのが大まかなあらすじ。
詳しい内容については割愛させていただく。なぜなら俺の楽しみはそこではないからだ。
念の為に長門がこの映画や原作の本を見たり読んだりしてない事も事前に確認済みだ。
クライマックスやオチが判っているこの手の映画は「楽しみ」も半減以下だしな。
フローリングに直接置いたビデオTV。少し距離を置いて並べられる2つの座布団。
お茶と音の出ないお茶請けを用意して、いざ視聴開始。
最初の数分でバッチリ効果が現れはじめた。
座布団の上にきちんと正座し、モノクロの映像を凝視する長門。
その体中の筋肉が、俺にしか判らないLVで微妙に硬直し始めたのだ。
湯飲みを膝元に固定したまま石像のように微動だにしていない。文字通り微動だに、だ。
普段なら呼吸で胸が上下するのを確認するのは簡単だが今はそれすら難しい。
そして表情も…
「……っ」
よしよし怖がってる怖がってる。そのくせ内容に目が離せなくなってる。
ショッキングなシーンが映る度に
「……っ」
とか
「…っ…っ」
とか
「………っっ」
と、息を飲む反応が嬉しくてたまらない。
それだよ長門!
朝比奈さんのような女の子女の子したリアクションじゃなくてもいいんだ。
俺は長門の『それ』が見たかったんだ。
表面上は冷静にTV画面を見つめつつ、心の中でガッツポーズする俺。
そんな俺に気付かず長門は映画に夢中になって行く。
そして中盤、物語がクライマックスに入る前の「溜め」のシーンが来ると
俺はあらかじめ脳内でイメージしておいた通り、不意に席を立つ。
「っ……何?」
「ん、映画が終る頃、ちょうど風呂が沸いてるようにスイッチいれてくる」
あからさまにビクッとした長門に内心激しく萌えながらバスルームへ。
そして意地悪くも、ちょっと時間を掛けて風呂の準備をする。
すまんな長門。これもお前と俺の為なんだ。
数分して部屋に戻ると、一時停止画面を凝視したまま長門が固まっていた。
待っててくれるのはいいんだが、まばたきくらいしなさい。
「何だ、別に1人で見ててもかまわなかったのに」
「……できれば」
「できれば?」
「……できれば……2人で見たい」
画面を凝視したままの長門の横顔が、僅かに怯えの色を見せていたのを見逃す俺じゃない。
だがしかし、押し倒したくなる衝動に全力でブレーキをかける。
まだだ! まだ終っちゃいない!
「……何が?」
いやなに、こっちの話だ。
「さて長門さんや」
「……」
「なんでさっきまで横に並んでいた座布団が『縦に』並んでるのかな?」
「……」
「いや座布団ポンポンってされても」
「…………」
「それじゃ長門が画面見えないだろ?」
「………………」
「…長t」
「座って」
「はい」
2両編成の田舎列車のような構図で視聴を再会する俺達。運転手は俺だ。車掌は長門。
違う! 違うんだよ長門!
本来ならばこの後のクライマックスで、お前の肩をそっと抱き寄せる予定だったんだよ!
「……っ」
そんな俺のラヴカップルヴィジョンを尻目に、長門は映画を楽しんでらっしゃるご様子。
俺の右後ろから顔を半分だけ覗かせてクライマックスシーンを鑑賞なさっている長門さん。
その宝石のような黒い瞳にモノクロ画面がキラキラと反射している。
…いやまてよ? これも結構可愛いのではないか?
いつもより猫背気味になり、真っ白で小さくて柔らかい手が俺の右袖をそっと摘んでいる。
うむ、そこはかとなくキュートだぞ長門。
しかしなんだろう、この既視感…
ちくり、と少しだけ胸が痛む。
ああそうか、この摘み方… あの長門と同じなんだ…
俺が長門に好意を寄せていると気付いたのは、繰り返された夏休みの後。
その気持ちが確信にかわったのは、改変された世界での長門との「再会」
あの時は辛い思いさせて本当にごめんな?
決して「あの長門有希」を嫌っていた訳じゃないんだ。
むしろ長門の見たことの無い面、そして長門の俺への想いを感じる事が出来て
心の中じゃバカみたいに踊り狂うほど嬉しかったさ。
でもな、違ったんだよ長門… 俺が本当に側にいたいと思ったのは…
心から大好きだと思ったのは…
「………ふ…」
長門の小さな溜息で、二転三転する映画のクライマックスシーンを大幅に越え、
スタッフロールが始まっている事に気付いた。
いけね、ラヴカップル計画遂行中なのに脳内回想ムービー(スキップ不可)に見入ってしまった。
どこぞのゲームの凄腕潜入工作員か俺は。
「どうだ、面白かったか?」
長門はこくんっ、とぱっと見でもわかるくらい大きく頷いてくれた。
用意していたお茶もお菓子も結局手付かずのままだ。
本当に楽しんでくれたようだな。映画を選んできただけとはいえ俺も嬉しいよ。
「そいつは良かった。来週もなにか借りてこようか?」
「……できれば」
瞬きを忘れた瞳が、いまだ流れていくスタッフロールを興味深く見つめている。
きっと明日からスタッフや原作者の関係書物を漁るんだろうな。
外れる事の無いであろう予想を胸に一人ほくそえむ。
次はどんな方向から攻めようか、俺自身楽しみでしかたない。
「さて、風呂沸いてるだろうから、先に入っていいぞ。俺は布団とか出しとく」
「……わかった」
一切無駄の無い流れるような動作で立ち上がる長門。
約2時間正座しっぱなしだったのに足とか痺れないもんなのかね。
コツがあるなら教えてもらいたいもんだ。
トテトテと可愛らしい足音を立ててバスルームに向かう小さな足を見て思う。
と、ふいにその足がバスルームの扉の前で止まる。
視線をドアノブに集中したまま、長門はフリーズしたPCのように固まってしまった。
「どうした?」
「……」
10秒経過。 長いな。 でも待つぞ。 そして期待してるぞ。
「………に………ぃ」
「うん?」
「……できれば」
「うん」
「……お風呂に」
「うん」
「…………一緒に入って欲しい」
YES!!