マンションの前でみくるちゃんと落ち合い、有希の部屋へ向かう。
有希の部屋には、何度かきたことがあるけど、何というか、いつも違和感を感じる。
生活感があるようで、無いような、そんな感じ。
リビングで、有希が淹れてくれたお茶を飲みながら、あたしは口を開いた。
「明日の宝探しの件なんだけどね」
「あっ、そうですよぅ、明日はバレンタインじゃないのに、急に宝探しするなんて言うから、
あたし、びっくりしちゃいました」
「そう、そのことなんだけどさ」
鶴屋さんの地図のお陰で、本格的な宝探しってことで、キョンや古泉くんに悟られずに、
チョコを探させることはできるんだけど、それじゃ、ストレートすぎてつまんないじゃない?
だから、二回、宝探しをしてもらうの。
みくるちゃんが、ぽかんとした顔であたしを見てる。
「一度探したところは、探さない」
ぽつりと有希が言った。
そうそう、それよ。
明日、キョンと古泉くんに宝探しをして貰うんだけど、実際、何も出てこないと思うのよ。
いくら本物の宝の地図だからって、そうそう、何かが出てくるとは思えないわ。
それに、地図には宝の場所も記されてなかったし、もし、本当に何か出そうなら、
鶴屋さんがとっくに掘り出してるはずよ。
で、彼らが探した跡に、チョコを埋めといて、バレンタインにもう一度、探して貰うわけ。
一度探した場所だから、彼らも無駄なことだと思うはずよ。
そこから何か、それはあたしたちのチョコなんだけど、が出てきたら、きっと驚くわ。どう?
「ふえ〜、そこまでするんですかぁ」
みくるちゃんが、丸い目をさらにまん丸にして、息を漏らした。
有希は、無言のまま、いつもの無感情な目であたしを見ている。
でも、どうやら、みくるちゃんも有希も、反対してるわけじゃないようだ。
「ってことで、明日は何も出てこないと思うけど、本番前の仕込みってことでよろしくね。
で、バレンタインチョコなんだけど」
そう言って、バレンタインチョコに話題を変える。
「安物は論外だし、バレンタイン用に売ってるやつも、今ひとつでしょ。
手作りって言っても、市販のチョコを溶かして固めただけじゃ、面白くないし。
だから、チョコレートケーキにしない?」
「え? チョコレートケーキですか?」
「…………」
「そう、チョコレートケーキ。三人で二つずつ作るの、キョンと古泉くん宛てに。
そうね、有希。ここのキッチン貸してくれると嬉しいんだけど。
ここならオーブンもあるし、三人で一緒に作れるでしょ?
作り方? うーんと、大体は解るんだけど、ま、解んないことがあれば、調べればいいでしょ。
愛情一杯の手作りチョコレートケーキよ? きっと、びっくりするわ」
「…………」
みくるちゃんも有希も無言のままあたしを見てる。なに? あたし、何か変なこと言った?
しばらくして、有希が、
「それでいい」
と言って、みくるちゃんも頷いた。
何か、有希の表情が柔らかくなった気がするけど、勘違いかもしれない。
みくるちゃんは、顔を赤くして頬に手を当てている。なにを考えてるのかしら。
「とりあえずバレンタインまで、まだ三日もあるし、
チョコケーキは、明日か明後日にでも一度みんなで作ってみることにしない?
ぎりぎりになってから作って失敗するのは、避けたいし。
明日はちょっときついかもしれないけど。そうね、また、連絡するわ」
そう言って、あたしは立ち上がり、慌てて立ち上がったみくるちゃんと一緒に、
有希の家を後にした。
宝探しの朝。風は冷たいけど、天気は悪くない。雨じゃなくてよかった。
用意していたシャベル二本を抱えると、あたしは、集合場所へ向かった。
待ち合わせは、やはりキョンが最後だ。本当に、あの男は、やる気あんのかしらね。
シャベルを古泉くんに渡して待っていると、待ち合わせ時間の五分前になって
ようやくやってきた。何かに悩んでいるような、気になることでも考えているような表情。
やっぱりバレンタインのこと、気にしてんの? ま、そのうち、びっくりさせたげるわよ。
みくるちゃんがキョンに話しかけ、キョンは締まりのない顔で応じている。
完全にピクニック気取りね。
それでも良いんだけどさ、何かこう、もう少し真剣になれないもんかしらね。
「あんた、今日の趣旨をちゃんと解ってんの?」
遊びじゃなくて、宝探しなんだからね、そうキョンに言って、バス乗り場に向かう。
そう、宝探しなのよ? 正確には、宝探しの仕込みだけど。
バスに乗って、鶴屋さんの山に向かう。三十分ほどの距離。
バスを降りて、地図を眺め、登道を見つける。ここから登ればいいか、そう見当をつけて、
歩き始めた。キョンは、何か考えているような感じで、ぼんやりと空を見上げている。
ほんやりと空を見てる場合じゃないのよ、きりきり歩きなさい。
本当に最近のキョンは、どうも様子がおかしい。何を考えているのかしら。
いや、考えていると言うより、心配事を抱えてるって感じ?
何を心配しているのか解らないけど、そんな心配は、近いうちに吹き飛ばしてあげるわ。
頂上について、宝探しを始める。
有希が持ってきたゴザに座り、キョンと古泉くんに掘る場所を指示する。
最初は、おとなしく言われた場所を掘ってたけど、そのうち我慢できなくなったのか、
キョンが、ぶつぶつ文句を言い始めた。何となく、キョンの気持ちも解る気がするわね。
でも、ここで納得しちゃだめなのよ。
「つべこべ言わずに、宝を目指しなさいよ」
そう、その苦労が大事なんだから。
その後、しばらく掘ってたけど、さすがに限界がきたのか、キョンがシャベルを止め、
不機嫌そうに、適当に掘っても宝なんて出てこないぞ、だいたい本当に宝が埋まってるか
どうかもあやしいぜ、とか言い始めた。
宝が出てこないことを知ってるような口ぶりじゃない? あんた何か知ってんの?
でも、確かにこの地図じゃ、そう思うのも当たり前か。大体、埋めた場所が解んないんだし。
キョンにしては、的確な指摘かもね。
「埋めてありそうなポイントを探してくるわ。あんたは、その辺を掘ってなさい」
そう言って、あたしは、登ってきた道と逆側の斜面に向かう。
藪の中を、下っていくと、少し開けた広場のような場所に出た。
見ると、まさに目印って感じの石が立っている。
ここがいいわ。何か、いかにもって感じじゃない?
あの石の下に本当に何か埋まってたりして。まさか、それはないか。
まあ、掘ってみれば解ることね。本当に何かが出てくるとシナリオが狂っちゃうんだけど。
そんなことを考えながら、頂上に戻ると、キョンがゴザに座って、お茶を飲んでいた。
目を離すと、すぐにサボるんだから。
「何よ、もう休憩してんの?」
そう言って、みくるちゃんに、お弁当にしましょう、と声を掛けた。
みんなでゴザに座って、みくるちゃんの作ってきたお弁当を食べる。
風は冷たいけど、眺めも良いし、いい気分。たまには、こんなイベントも良いものね。
食べながら、お宝について話を振る。キョンの反応は、あまりに即物的だ。
なんで、何でもするお金に換えようとするのかしら。
それじゃ、お宝もお金に換えられないものがいいわね、みくるちゃんもそう思うでしょ?
と、そうみくるちゃんに話を振ると、みくるちゃんは、驚いたように、もごもごする口元を
押さえて、曖昧なことを答えてた。
ニヤニヤ笑いが出そうになるのをできるだけ我慢して、
「いえ、絶対出てくるわよ。たからもの。あたしには解るの」
と言った。そう間違いないわ。だって、そうするんだもの。
キョンの『なに言ってんだ、お前は』と書いてある顔を無視して、別の話題に移る。
食事が終わり、あたしは、宝探し再開を宣言した。
そして、さっき見つけた場所のことを話し、そこで宝探しをすることを提案する。
みんなで、斜面を降り、先程の広場に着く。
やっぱり、あの石は目立つわね。ひょうたんみたいな石。
あたしは、その石を横倒しにしてから、その上に座り、宝探し第二部の開始を宣言した。
有希は、ちょっと離れたところにゴザを広げ、そこにみくるちゃんと一緒に座る。
古泉くんが掘り始めてるのに、ぼうっと突っ立てるキョンに、早く古泉くんを手伝いなさい、
と声をかけ、その辺を掘らせる。
あちこち掘っては埋め戻す作業。もう結構な時間も経っている。もう十分よね。
「うーん、見つかんないわねえ、埋蔵金」
そう言って、キョンと古泉くんに、これで終わりにしましょう、と、目の前の地面を指差した。
本当に何か埋まってるとするなら、ここが怪しいんだけど。
キョンと古泉くんが、あたしの目の前で地面を掘る。
何も出てこない。なんとなくほっとする。キョンの期待が外れたような顔。
なによ。あんた、何も出てこないって言ってたじゃない。
その通りになったのに、何で、そんな顔してんのよ。
そんなことを思いながら、あたしは作業終了を宣言した。
「じゃあ、帰りましょ」
これで、仕込みは完了。キョンや古泉くんの驚く顔を想像すると、にやけてしまいそうになる。
そのまま山を降って、道路に着いたところで、解散を宣言し、シャベルを受け取る。
その道は、そのまま北高の通学路に繋がっていた。
へぇ、こっちのほうが近いのか。じゃ、埋めにくるときは、こっちからの方が良いわね。
いつもの分かれ道で、あたしは、みんなに向かって言った。
「明日も駅前に集合してちょうだい」
有希を除いて、みんなぽかんとした顔をしている。
明日からは、チョコレートケーキの準備をしないとね。
これは、キョンと古泉くんのためなんだから。
「みんな遅れずにくるのよ。遅れた人は、罰金だからね!」
家に帰ったあと、有希とみくるちゃんに電話する。
どんなチョコレートケーキにするか、考えておくこと。
それから、明日の不思議探しで、キョンや古泉くんと一緒にならなかった組は、
一般的なチョコレートケーキの材料を買出しすること。
キョンと古泉くんがペアになってくれると一番良いんだけどね。
もし、午前に、都合よく組み分けできなければ、午後は、ズルすることにするわ。
全部の楊枝に印をつけて、キョンと古泉くんに引いてもらうの。
ズルはしたくないんだけど、仕方ないじゃない。じゃ、そういうことでよろしくね。
あと、このことは、キョンや古泉くんには、絶対内緒にしといてよ。
そう念押ししておく。有希は素直だから、訊かれたら答えちゃうかもしれないしね。
翌日の不思議探しツアー。待ち合わせには、いつもより遅く着いた。
でも、やっぱりキョンが最後。
今日のメインは、不思議探しじゃない。
だけど、キョンや古泉くんには悟られないようにしないと。
喫茶店に入って、くじの準備をする。
やっぱり、ズルはしたくないから、午前の組は、キョンと古泉くんになって欲しい。
そんなことを考えながら、みんなの前に爪楊枝を出した。
キョンの様子がおかしい。何か考え込んでいるようだ。誰かと一緒の組になりたいのかしら。
みくるちゃんは、印なし。有希も印なし。古泉くんは印あり。
残るはキョンね。印ありを引いてくれると嬉しいんだけど。
そんなことを考えていると、キョンが、ままよ、とか言って、あたしの手を払い、
楊枝を弾き飛ばした。
何でそんなに気合入れてんのよ。もしかして、何が何でも印なしを引きたいの?
そんなに、有希とみくるちゃんと一緒になりたいのかしら。むかつくわね。
あたしは、弾けとんだ一本の楊枝を掴みとり、テーブルに落ちたもう一本を見た。
テーブルの転がった楊枝は印あり。あたしが掴んだ楊枝は、印なしだった。
「なーんだ。男と女で分かれただけじゃん。なんだかつまんない分け方になちゃったわねえ」
そう言いながら、内心、ほっとしていた。とりあえず、希望通りの組み合わせね。
見ると、キョンもほっとしているようだ。
って、あんた、まさか、古泉くんと組みたかったわけ? そんな趣味なわけ?
……まあ、いいわ。
しばらく話をしてから、喫茶店を出る。有希とみくるちゃんを抱き寄せて、
「集合は十二時ジャストよ」
そう言って、あたしたちは、デパートに向かった。
とりあえず調査よ、調査。チョコレートケーキの実物を確認するしなくちゃ。
あたしたちは、デパートの食品売り場に向かい、チョコレートケーキを探した。
バレンタインが近いこともあり、チョコレートの特設売り場も用意されている。
しばらくうろついて、バレンタイン用のチョコレートや、チョコ菓子を見て回る。
みくるちゃんは、売り場の熱気に驚いているみたい。有希は、いつも通り無表情なまま。
今までバレンタインなんて興味なかったけど、何か凄いのね。
いいようにお菓子メーカーに踊らされてる気もするけど、でも、こう言うのも悪くないわ。
そんな感じで見て回ってると、お菓子の試食コーナーを見つけた。
何種類かのチョコレートケーキも試食できるようだ。
有希がとことこ歩いていって、一つを試食する。
「チョコ、ココア、バター、塩、砂糖、卵白、卵黄、薄力粉……」
有希が何か呟いている。何してんのかしら。成分分析?
あたしも一つ、口に入れてみる。うん、おいしい。こんな感じに作れるといいんだけど。
みくるちゃんは、別のを試食してるようだ。
あたしたちは、売り場の隅に移動して、相談することにした。
「とりあえず、チョコレートは、ここで何種類か買っておきましょ。それと包装紙や箱もね。
後は、参考になるレシピだけど、それは本屋さんで参考になりそうな本を買えばいいわ」
有希とみくるちゃんが、頷く。
じゃあ、最初に本屋ね。とりあえず、参考になりそうなレシピが載っている本を探して、
どんな種類のチョコレートがいいか調べてから、ここで、チョコレートを買いましょう。
そう言って、あたしたちは、デパートの本屋に向かい、何冊か立ち読みして、
参考になりそうな本を買った。
買ったのは有希で、本代を割り勘にしようと言っても、自分で払うと言い張った。
まあ、本好きな娘だし、こんな本でも、ちゃんと自分のものとして買いたいのかもしれない。
そう思って、有希に任せることにした。
その後、食品売り場に戻り、本に載ってた何種類かのチョコレートと、包装紙やリボン、
パッケージ用の箱などの小物を、割り勘で買う。
最後に、みくるちゃんが、お茶っ葉を見たいというので、有希とみくるちゃんをデパートに
残し、あたしは、買ったものを駅前のコインロッカーに預けに行くことにした。
こんなの持ってたら、いつ勘付かれるかわかったもんじゃない。
集合場所に戻ると、有希やみくるちゃんも、もう戻ってきていた。
まだ待ち合わせには時間がある。
「銀行の向かいに新しいイタリア料理屋さんが開店してて、ランチメニューがあるんだけど、
それにデザートも付いてるみたいなのよ。手作りケーキなんだけど、写真を見る限り、
チョコケーキみたいな感じだったから、お昼は、そこにしない?」
そのデザート、きっと参考になるわ。そういうと、みくるちゃんが、
「えぇー、そこまでするんですかぁ」
と言った。
何言ってんの、みくるちゃんっ! どうせ作るんだったら、常に一番を目指す、
それが、SOS団なのよっ!
それに、どうせなら、おいしく食べてもらいたいじゃない?
とりあえず、二人とも賛成してくれたようなので、その場でその店に電話し、
ランチメニューを確認する。
ランチは日替わりで、今日は、ドリアとサラダ、デザートとコーヒー。
デザートはガトーショコラらしい。今からでも予約できるか訊いて、五人分を予約する。
しばらく、有希やみくるちゃんと話をして、とりあえず、今日の探索が終わったら
有希の家に集まることにした。何か浮かれた気分。
みくるちゃんも、にこにこしてるし、有希もいつもと違う雰囲気のように感じる。
何か楽しそうな感じね。こういうのって、やっぱり有希も楽しいって思うのかしら。
そうこうしているうちに、キョンと古泉くんが戻ってきた。
お昼はイタリア料理屋さんのランチよ、予約しといたから、そう言って、店に向かった。
いつも通り、反論は却下だから。
運ばれてきたドリアランチを食べる。で、問題はデザートのガトーショコラ。
一口で食べれちゃうくらいの量なんだけど、有希やみくるちゃんも、ゆっくり食べている。
有希がゆっくり食べるなんて珍しいわね。
普段は、あまりケーキなんて食べないから、チョコレートケーキなんて、みんな同じだと
思ってたけど、結構違うもんなのね。
そんな感じで食べ終わり、あたしは、午後の部の組み合わせを決めるため、楊枝を用意する。
キョンと有希がペアになった。ふん。
午後は、古泉くんが一緒なので、いつも通りの不思議探し。
みくるちゃんと古泉くんとそのあたりを探し回る。でも、今日は、あまり熱中できない。
しかたないわね、みくるちゃんも上の空だし。古泉くんは普通だったけど。
結局、何も見つからず、待ち合わせ場所で待っていると、キョンと有希が戻ってきた。
喫茶店に入り、互いに報告する。報告って言っても、何もないんだけど。
有希の様子がちょっとだけ変だった。何か気落ちしてる感じ?
キョンも何かふてくされたような顔をしてる。何かあったのかしら。
いや、有希の様子では、そんなに変なことではなさそうだ。
キョンの行動パターンからして、有希の嫌がるようなことをするとも思えないし。
キョンの顔を覗き込む。
まさか、有希にバレンタインのことで何か絡んだんじゃないでしょうね、と言おうとして、
やめた。何もこちらからネタばらしすることもないし。
「ま、いいわ。明日よ明日」
そういって、解散を宣言する。キョンのことは、後で有希に訊いてみよう。
解散した後、有希やみくるちゃんと示し合わせた通り、駅前のコインロッカーの前で集まって、
荷物を取り出すと、有希の家に向かった。
リビングのテーブルに、買ったものを広げ、チョコレートとかは、キッチンの冷蔵庫に
入れておく。そして、どんなケーキを試作するかを話し合った。
あまり凝らない普通のチョコレートケーキって方向で、話がまとまり、本を見ながら、
試作してみる。無塩バター、砂糖、卵、薄力粉などを用意して、三人で作業分担して作る。
何度か失敗した後、三時間ほどで、綺麗な形にはならなかったけど、
そこそこ食べらそうなチョコレートケーキができた。
三人で試食する。何かが足りないわね。そういうと、有希が、
「ナッツ」
と言った。うん、ナッツね。アーモンドか胡桃か、何かそんなものか。
「それは明日調達ね。これでいけそうだから、明日の昼から本番よ!」
そういって、キッチンを片付けて、リビングでお茶を飲む。
そこで、今日、キョンと有希の様子がおかしかったことを思い出し、有希に訊いてみた。
「有希、今日、キョンと何かあったの?」
「…………」
有希が固まった。へ? もしかして本当に何かあったの? 何か妙な気持ちになるじゃない。
有希の視線がみくるちゃんに向き、みくるちゃんが、おろおろしている。
なんで、みくるちゃんを見てるんだろ。
しばらくして、有希が口を開いた。
「図書館で」
「図書館で?」
「あの人が寝てしまって、周りの人の注目を浴びた」
「は? なにそれ。寝言でも言ってたの?」
有希が頷く。
「少し恥ずかしかった」
まったく、なにやってのよあの男は。バッカじゃないの。
そう思い、静かな図書館で、居眠りしながら寝言を言っているキョンの姿を想像した。
みくるちゃんの名前でも呼んだのかしら。まったく、なに考えてんだか。
さぞ盛大に、注目を浴びたんでしょうね、そう思うと、なぜか笑いがこみ上げてきた。
見ると、みくるちゃんも、笑いを堪えているようだった。
そのうち、我慢できなくなって、みくるちゃんと二人で笑いあう。
有希は、何が面白いのか解らない、そんな顔で、あたしたちを見てた。
笑いが収まるまで、結構な時間がかかった。
そういえば、前にも、キョンと有希がペアになったとき、あれは、初めての不思議探しの
ときだっけ、あのときも、キョンは、図書館で寝てたんだっけ。
「ねえ、有希。あんた、キョンとペアになったとき、いつも一緒に図書館にいってるの?」
何気なくそう訊くと、
「たまに」
そう返事があった。
ふーん。不思議探しで図書館ねえ。でも、あんたから図書館に誘ってるわけじゃないんでしょ?
有希が頷く。つまり、キョンが誘ってるわけね。
キョンには、そのうち、なぜ不思議探しもしないで、図書館に行ってるのか訊いてみることに
するわ。答え如何によっては、教育的指導が必要ね。
そう言うと、あまり間を置かずに、有希が言った。
「図書館には、不思議が満ちている」
そう言った有希の視線は強く、あたしを射抜くように見詰めている。
そしてその顔は、いつもより輝いて見えた。何故か、少しだけ不安な気持ちになる。
その後、みくるちゃんと一緒に、有希の家を後にして、自宅に帰ったあたしは、
別に買っていたチョコを袋からだし、湯煎にかけた。
これは、あたしの好きなチョコレート。
フェアじゃないような気もするけど、別にこれは、そんな意味じゃないんだから。
今日、有希から感じた、あの強い視線を思い出しながら、そんなことを思い、
溶けたチョコを型に入れる。そして、冷やしながら、形を整えた。
その後、冷えて固まったそのチョコの表面に英字を掘り込む。四つのチョコに一文字ずつ。
その間、あたしは、五月に見たあの夢や、クリスマス前の病室を思い出していた。
やっぱりあたしは、キョンのことが好きなのかもしれない。
五月に見た夢。あたしは、SOS団より、キョンと一緒の不思議な世界を望んでいた。
でも、今は少し違う。キョンもSOS団もどちらも手放したくない。
そんなことを考えながら、出来上がったチョコを冷蔵庫に入れ、わたしは、自室に入った。
キョンと有希。やっぱり、あの二人、何かあったんだわ。
でも、キョンの有希を見る目は、そんな感じじゃない。
ただ、有希はそうは思ってないかも。
ん、明日は忙しくなる。変なこと考えてないで、今日は早く寝てしまおう。
翌日の日曜日。
いつも通り、駅前で待ち合わせ。キョンが最後にくるのもいつも通り。
キョンは、相変わらず不機嫌そうに何か考えごとをしているようだったが、
かまわず、喫茶店に入り、いつものように爪楊枝を引かせる。
組み合わせは、キョンと有希がペアにだった。
二人とも、いつもと同じで、特に何か示し合わせているような風にも見えない。
偶然にしては妙な感じ。でも、それはきっと、考えすぎだ。
昨日の有希の話を思い出し、みくるちゃんに耳打ちする。
「今日もきっと図書館ね、今度はいびきでもかいて注目を集めるんじゃない?」
思わず、ニヤニヤ笑いが出てしまう。みくるちゃんも、昨日の有希の話を思い出したらしく、
笑みがこぼれている。恥ずかしがる有希ってのも、一度、見てみたいもんだわ。
伝票をキョンに渡し、不思議探しを始める。
でも今日は、ナッツ類を探さなきゃ。古泉くんが一緒だけど、まあなんとかなるでしょ。
そう思い、いつものように不思議探しをしながら、それとなくデパートに向かう。
そういえば、有希が、図書館には不思議が満ちている、とか言ってたわね。
ちょっと本屋にでも寄ってみようかしら。
デパートの本屋に寄っているときに、キョンから電話があった。
『朝比奈さんがさらわれた!』
切迫した声。反射的に、みくるちゃんを見る。ここにいる。当たり前よ。
あんた何言ってんの?
「みくるちゃんなら、ずっとあたしの側にいるわよ。有希ならまだ話はわかるけど」
『違う、長門じゃない。朝比奈さんが……』
キョンは、そう言いかけて、そのまま絶句している。
イタ電にしても程があるわよ。減点1。そう答えて、電話を切った。
一体、何のつもりかしら。よりによってみくるちゃんがさらわれた、だなんて。
冗談にしても程があるわ。そう思っていると、古泉くんが声を掛けてきた。
「すみません。ちょっと手洗いに……」
そう言って、本屋を出て行く。そして、みくるちゃんが、
「今の電話なんだったんですか? 何かあったんですか?」
と、心配そうに訊いてきた。
たちの悪い冗談よ、そう返して、今なら買い物ができると思い当たった。
古泉くんがお手洗いに行っている間に、買い物を済ませましょ、そう言って、
みくるちゃんを引っ張って、食品売り場へ向かった。
アーモンドや胡桃、幾つかのナッツ類を買い、本屋に戻る。
古泉くんが見当たらない。携帯に電話すると、話中だった。
あたしたちがいなかったから、どっか別の場所に移動してんのかしら。
ま、もうちょっと経ったら、もう一度、電話してみよう。
見ると、みくるちゃんが、さっきの電話を、まだ気にしているようだった。
少し心配そうな顔をしている。
「キョンが変なこと言ってきたのよ。また、寝ぼけて変な夢でも見たんじゃないの?」
そう言って、寝ぼけたキョンが、図書館で大声を上げている姿を想像した。
笑いがこみ上げてくる。みくるちゃんは、きょとんとした顔をしていてけど、
あたしと同じことに思い当たったのか、笑顔を浮かべた。
二人で笑っていると、古泉くんが戻ってきた。
「すみませんでした。ちょっと別の用事を思い出しまして、遅くなってしまいました。
あれ? どうかしたんですか?」
笑っているあたしたちを見て、不思議そうな顔をしてる。ごめんごめん、なんでもないのよ。
そして、時間を確認して、集合場所に戻った。
あたしたちが集合場所に戻ってから、少し後に、キョンと有希が戻ってきた。
有希は普通だったけど、キョンの表情が優れない。
ふうん、やっぱり、図書館でうたた寝して、変な夢でもみたんじゃないの?
「ゆっくりだったじゃないの」
そう言って、有希の腕をとる。
「本当はずっと図書館あたりで、暖を取ってたんじゃない?
図書館に不思議なスポットがあるんだったらいいけどさ。あったわけ?」
そう、少し意地悪な気持ちで訊く。
「ねぇよ」
少しふてくされた感じで、キョンが答える。やっぱり、今日も図書館だったに違いないわ。
まったく、少しはまじめに不思議探しをして欲しいもんよね。
そう思いながらも、今度は、古書専門店なんかが良いかも、そんなことを言って、
あたしは、昨日のイタリア料理屋さんに向かって歩き始めた。
ランチを食べながら、キョンの様子を見ると、何かぼうっとしている。
何か悩み事でもあって、睡眠不足なのかもしれない。
そういえば、宝探しから変な様子だったものね。
バレンタインに誰からチョコレートを貰えるかとか悩んでんじゃないでしょうね。
何か悩み事でもあんの? それと、あのイタ電、あれ、何だったわけ? そう訊くと、
「ああ、それは、我ながら面白くない冗談だった」
と何やら神妙な様子で謝ってきた。そして、みくるちゃんに視線を向ける。
思わずあたしも、みくるちゃんに視線が向く。
なに? やっぱり、夢に見るほど、みくるちゃんが気になっているわけ?
でも、その気になってる娘が、あんたの夢の中でさらわれたってのは、どーなのよ。
夢の中なんだから、電話なんかしてないで、あんたが助けなさいよ。
そう思いながら、でも、そんなことがあったときに、真っ先にあたしに電話してきたって
ことは、悪い気はしないわね、そう思った。
みくるちゃんばっか気にしているとこには、むかつくけど。
次は、もっと笑える電話にしなさいよ、そう言うと、キョンは、驚いたような顔をした後、
悩み始めた。その姿も面白くて、みくるちゃんと視線を合わせ、笑いが止まらなかった。
さて、これで全ての仕込みは完了ね。これからが、本番よ。
そう思いながら、有希とみくるちゃんに視線を送る。二人とも微かに頷きを返してきた。
「じゃあ、今日は、これで解散」
家に向かう振りをして、少しぶらぶらしてから、有希のマンションに向かう。
マンションの前で、二人と落ち合い、それから有希の部屋に向かった。
「それじゃ、始めましょ」
あたしたちは、持参してきたエプロンをつけ、キッチンで準備を整えると、
それぞれ思い思いに、チョコレートケーキを作り始めた。
手が空けば、それぞれ互いに手伝いをしながら。
各人が一人で、キョンと古泉くん用に二つのケーキを作る。
あたしは、何種類か作ってみてから、よさそうなのをプレゼント用にすることにした。
やっぱり、自分が納得するものをあげたいじゃない?
みくるちゃんは、本に持っているオーソドックスなチョコケーキで行くらしい。
どうも、みくるちゃんは、ケーキ作りが苦手らしく、間違ったらやり直す時間がないから、
と、そんなことを言っていた。あんなにおいしいお弁当を作れるのに、ちょっと、意外な感じ。
有希は、色々試しながら作るらしい。
有希のことだから、キョンと古泉くんに、わざと違うものを作るつもりなのかもしれない。
何かあからさまに好意の違いを感じるような気がするけど、ま、いいわ。
一つ作るのに、一時間半から二時間ってとこかしら。夕方までにはできそうね。
そう考えていたんだけど、実際には、結構時間がかかった。
作り慣れていれば、一時間くらいでできるんだろうけど、あたしたちは、あまり慣れてない。
何回かの失敗の後、やっと満足できるものになったのは、もう夜になってからだった。
有希はほとんど失敗もなく、さっさと作って焼いていく。さすがは、有希ね。
この娘、何か苦手なものってあるのかしら。
一番大変だったのは、みくるちゃんだった。
ふえ〜、とか、ほえ〜、とか奇声を上げながら作っている。
見かねたのか、手の空いた有希が、付きっ切りで手伝っていた。
みくるちゃんには、イベント用のチョコもお願いしたんだけど、大丈夫かしら。
ま、でも、それは明日じゃなくてもいいし。
まだ、完成はしてないけど何とかなりそう。
そう判断して、キョンと古泉くんに電話を入れる。
キョンの携帯に電話しても繋がらなかった。
なにしてんのかしら、こっちは大変な目に会ってるって言うのに。
そう八つ当たり気味に考えながら、キョンの自宅の電話にダイヤルする。
妹ちゃんが出た。キョンに替わってくれる? と伝えて、キョンの声を待った。
『もしもーし』
キョンの能天気な声。少しエコーが掛かっているように聞こえる。
「あ、ひょっとしてお風呂にいんの?」
そう訊くと、その通りだが、変な想像すんなよ、と返ってきた。
お風呂。キョンの裸を想像して赤面しそうになる。うあ、キョンが変なこと言うからよ。
有希やみくるちゃんに見られないように、俯いたまま言った。
きっと、変な顔になってるわ。
「しないわよ。バカ」
とりあえず、さっさと用件を伝えることにする。
「いつもの集合場所に、明日の午後二時だからね。時間厳守よ、時間厳守」
そう言って、電話を切った。まったく、なんてこと言うのよ、バカキョン。
続いて、古泉くんにも、同じことを伝える。
そして、わたわたしてるみくるちゃんと、手伝っている有希に向かって言った。
さあ、ラストスパートよ。
それから何度か同じものを作りなおし、満足するものができたのは、日付が変わってからだった。
焼きあがったケーキを冷まして、中央付近を型抜きし、
二つの小さな円形のチョコレートケーキにする。
それをチョコでコーティングすれば完成なんだけど。そう思いながら、あたしは、
有希とみくるちゃんに視線を向けた。彼女らは、自分達の作業に集中しているようだ。
あたしは、ポケットから包装紙にくるんだ、小さな四つのチョコを取り出すと、
コーティング前のケーキの一つに急いで埋め込んだ。
そして、チョコでコーティングする。
ふん。ま、これくらいなら別にいいでしょ。探してる木は、森の中にあるんだから。
急いで、コーティングを終わらせ、ため息を一つつく。
そして、みくるちゃんを手伝うために、彼女の元へ行った。
完成したのは、明け方になってからだった。
最後に、それぞれのチョコレートケーキに、ホワイトチョコで一言メッセージを
書くことにした。
「あたしは、チョコレート、って書くことにするわ。有希は?」
「贈呈」
「うん、いいんじゃない。で、みくるちゃんは?」
「え、えーと、あの、その」
「何か気の利いたことは書いちゃダメよ。キョンが本気にするかもしれないから。
だから、そうねぇ、そう、義理、そう書きなさい」
「えぇー? 義理ですかぁ」
「そうよ、義理よ。それなら勘違いしないでしょ」
そして、それぞれのチョコレートケーキを箱にいれ、ラッピングした。もちろんリボンも。
「じゃあ、お宝を埋めに行きましょ?」
有希がクッキーが入っていた大き目の缶を持ってきた。
それに、それぞれケーキの箱を入れ、しっかりと蓋をする。
みくるちゃんの嬉しそうな、そして、楽しそうな笑顔。
有希も薄らと微笑んでいるようだ。
そして、あたしたちは、早朝の薄明の中、悪戯小僧のような気持ちで、スコップを手に
例の鶴屋さんの山へ急いだ。
宝物を埋めてきた後、有希のマンションに戻り、少し休むことにした。
みくるちゃんは、テーブルにうつぶせて、軽い寝息を立てている。
有希は、テーブルに向かって、正座したまま、テーブルの上に視線を落としている。
あたしは、床に寝そべっていた。
「ねえ、有希」
「…………」
「有希は、キョンが好きなの?」
そう訊くと、有希が、ぴくっと身体を動かした後、顔が上げ、あたしに視線を向けた。
「嫌いじゃない」
微妙に視線を揺らしながら、そう答える。
「ふーん。嫌いじゃない、か」
そう言って、あたしは、天井に視線を向けて話し始めた。
あたしは、有希がキョンのことを好きなんじゃないかと思ってるの。
だって、あんた、誰とも打ち解けない感じじゃない? 一線を置いてるって言うか。
みんなと一緒に行動してても、何か、心ここにあらずって言うか。
でも、相手がキョンの時だけは違うような気がするのよ。
最初は、キョンがあんたのことを好きになったのかと思ったんだけど、
キョンのあんたに対する態度を見ると、何か違うのよね。
キョンって、あからさまに、みくるちゃん命みたいな感じじゃない?
あんたやあたしの前でも、そんな態度なんだから、やっぱり違うんだなあってさ。
で、キョンは、ああ見えて結構やさしいから、もしかしてって思ったの。
あたしは、キョンに出会って、何かが変わったわ。
キョンに会って、SOS団を作ってから、毎日がそりゃ楽しいもの。
だから、キョンを気に入ってる。あんたもそうなんじゃないかって、そう思ったの。
有希やみくるちゃんが、キョンを好きになっても、別におかしくないと思う。
あたしの前でベタベタされると、むかつくけど。
キョンだって、普通の男の子だから、そのうち、誰かと付き合うことになったりするでしょ。
でも、そうなる前に、勝負を下りるのはいや。誰かが勝手に身を引くのもいや。
何か、納得できないから。
あたしは、たとえキョンが誰かと付き合うことになっても、SOS団は、このまま続けて
行きたいのよ。この五人で。でも、ま、決めるのはあいつだけどね。
「あの人が好き?」
そう有希が訊いてきた。
「嫌いじゃないわ」
そう答えると、薄らと有希が微笑んだ気がした。
「ちっ、違うわよ。ただ……」
ただ、何だろ、言葉が続かない。そのまま黙っていると、有希が言った。
「わたしは、あの人が好き」
何か穏やかな表情だ。見てると思わず頬が緩む。そうね、やっぱり有希も。
「あたしも、キョンが好きよ。でも、団内は恋愛禁止だからね」
そう言うと、有希は、薄らと微笑んだような顔で、ゆっくりと頷いた。
少し休みましょ。そういって、あたしは目を閉じた。
みくるちゃんがキョンに感じている感情は、ちょっと違うかもしれないけど、
有希がキョンに感じている感情は、あたしがキョンに感じているのと同じかもしれない。
それが何なのかは、ちゃんと考えたくないけど。
いや、さすがにもう気が付いてるんだけど、今は、何となく認めたくない。
キョンが誰かと付き合うことになっても、それで誰かがSOS団を抜けることは絶対許さない。
だから、もしそうなるなら、団の存亡をかけて、あたしと勝負よ。
その原因が、キョンの彼女なら、その娘と勝負ね。勝手に下りることは許さないんだから。
でも、きっと、キョンだってSOS団を大事に思ってくれてるはずだし……。
眠りに落ちる直前、有希が何か呟いたような気がした。
―おわり―