「さて、クローゼット、クローゼット……」  
 
俺が今朝起きたこの部屋は、ドアから見て左手に押入れ、正面にクローゼットがある。  
押入れと同様、クローゼットも家の構造の一部になっている収納スペースだ。  
空間を贅沢に使った仕様である。というかもはや設計ミスと言って良い様な気もする。  
きっとシナリオを書いた奴と部屋を作った奴がきちんと意思疎通できてなかったんだろう。  
 
「その前に部屋の鍵を閉めていただけますかね。  
 今の僕と一緒にいる所を涼宮さんに目撃されると恐ろしい事態が予想されるので」  
 
閉めたはずの押入れが再び開かれ、そこから古泉が這い出してきた。  
その腰には何故か毛布が巻かれていた。  
何故かって? 他に何も着るものがないからだろうよ。  
そう、こいつは押入れの中で膝を抱えていた時も全裸だったのだ。  
 
そんな状況で鍵を閉めるのもそれはそれで恐ろしい事態が予想されるが、  
俺は苦渋の末にSOS団的な友愛の絆に殉ずる決断をせざるを得なかった。  
 
「で、なんでお前全裸なんだよ変態古泉」  
 
「おそらく、『原作』のシチュエーションを再現したのではないかと」  
 
「そうやってシリアスに決めたいんだろうが残念だったな変態野郎せめてパンツ穿け」  
 
「……ごもっともですが、誤解しないでくださいよ? 僕のせいじゃないんですから」  
 
クローゼットからトランクスとシャツを取り出す古泉を努めて無視し、  
俺も俺で素材不明のダサいSF風制服(恐ろしい事に学校の制服らしい)を身に着けた。  
古泉も俺と同じ制服に着替えていた。ツラの良いこいつが着てさえ神経を疑う服装である。  
ふと思ったが、これはひょっとして古泉が俺の下着と服を着ている事になるのだろうか。  
仮にそうだとすると心底ぞっとしない話なので、俺はそこで考えるのを止めた。  
 
「で、原作がどうしたって?」  
 
「昨夜プレイした『Misteric Sign』ではこうです。  
 主人公が押入れを開けると、そこには何故か全裸の美少女がいました。  
 その美少女は、状況が状況なので主人公の姿を見て黄色い悲鳴を上げました。  
 そこに主人公を起こしにきた勝気な幼馴染みが悲鳴を聞きつけてさあ大変。  
 と、そういうシチュエーションだったのですが。覚えてませんか?」  
 
思い出したよ。ところで今回のキャスティングを考えた奴は誰だ。くびり殺してやる。  
 
「そいつを殺して涼宮ハルヒの出方を見るのもたいそうハレ晴レユカイな話でしょうが、  
 その前にまずする事があります。朝比奈さんと長門さんと、合流しなければね」  
 
そこで会話を終え、古泉は部屋の窓に手をかけた。  
 
「では、変態野郎は退散する事にします。また会いましょう、贅沢者の主人公くん!」  
 
そう言って爽やかに決めて、古泉は器用に窓から出て行き街路に身を投じた。  
残念ながらというかなんというか、本当に変態野郎にしか見えない挙動だったが。  
 
 
 
 
今日の朝食はトーストと即席スープだった。どうやらハルヒが作ったらしい。  
 
「……何よ」  
 
そのハルヒだが、俺に負けず劣らずイカれたデザインのセーラー風コスプレ衣装の上に、  
何故かエプロンを巻いていた。率直に疑問を述べるが、何故エプロンなのだろう。  
いやぶっちゃけた話、この程度の調理で服が汚れるとかいう事を気にする必要もないし、  
逆説的に言えばわざわざエプロン巻いといてこの手抜きっぷりって一体どういう事だ、  
と問うべき状況だという事でもある。声に出して言いたい。なんだこりゃ。  
 
「文句言うくらいなら食うな。あるだけありがたいと思いなさい。  
 あんた自分じゃ何もできないくせに。何のために毎日作ってやってると思ってるのよ」  
 
もう一度思う。今回のキャスティングを考えた奴は誰だ。  
毎日も何もハルヒに朝食など作ってもらった覚えなど俺には全くないし、  
身に覚えのない経緯からノビ太君扱いされるのも正直なところ我慢がならない。  
……いや、キャスティングじゃなくてシナリオだろうか、この場合。  
幼馴染み役が朝比奈さんだとしても、俺の忸怩たる思いはベクトルが変わるだけだろう。  
あのエンジェルボイスで「何も出来ないくせに」とか言われるのもそれはそれでキツい。  
 
「……やれやれだぜ」  
 
「ちょっとキョン、何してんの?」  
 
「料理だ。料理だとも。お前に本当の朝食というものを教えてやる」  
 
奇妙な冒険的ニュアンスで宣いつつ、俺はキッチンに立って包丁を手にした。  
何故最初に包丁を取るかと言えば、冷蔵庫の中にパンプキンモンスターがいた時のためだ。  
……こういう心配を本気でしなければならないという辺りで俺の心労を察して欲しい。  
前後の文脈は全くわからんが、そういうCGを見た事だけは妙に印象に残っていた。  
 
だが幸いな事にパンプキンモンスターは煮付けにされたのが少し余っていただけなので、  
俺は心置きなくベーコンエッグとサラダを作り、鼻歌など歌いながら林檎を剥いたわけだ。  
 
「ほらよ。朝食っつってもこれくらいは欲しいもんだろ」  
 
と言って差し出すも、ハルヒは文句を言い返すでもなく、ひたすら憮然としていた。  
 
「なんか……すごい違和感がある……。ねぇ、あたしさ、本当に料理下手だったっけ?  
 本当はきちんとやれる子じゃなかったかしら、あたし。  
 毎日これくらいしっかり朝ごはん食べる主義だったような気がするのよね……」  
 
そうだな。お前はきっとそうなんだろうし、俺も今日の朝食はしっかり食べたいね。  
これからひたすら疲労を募らせるような一日が始まると知っているだけに。  
 
なお、ハルヒの中の違和感は朝食を食べ終わってもなお続いたらしく、  
キャスティングから考えると異常なほど穏やかに俺達は家を後にする事になった。  
 
ちなみにその家だが、閑静な住宅街に佇む瀟洒で白い二階建ての一軒家だ。  
前述したように内部設計はかなり狂っているのだが、外観はよく取り繕われていた。  
むしろ取り繕われすぎていて生活感がない。よく見ると雨風に曝された形跡もない。  
ひょっとして新築なんだろうか。だとすればこの家の所有者はどこにいったのか。  
新築の物件に自分で住みもせずガキだけを住まわせる神経というのはよくわからない。  
 
「ほらキョン、急ぐわよ!  
 朝ごはんの分だけいつもより……いつも? まぁ良いや、遅れてるんだから!」  
 
きっと愛人に億ション買ってやってそこに入り浸るお大尽か何かなんだろう、  
といった辺りで『俺の両親の設定』に関する考察を片付け、ハルヒと共に進む事にした。  
長い、長い坂道を。異常に長い坂道を。俺達以外の誰も見かけない閑散とした坂道を。  
 
……なんだこのゴーストタウン。都市計画に失敗したとかいう次元じゃないぞ、これは。  
 
「なぁハルヒ。ここは何処だ。そして俺達は何者で何処に向かっているんだ」  
 
「……本当にもう。あんたさっきから何言ってんのよ。  
 登校よ、登校。学園に行くの。他に何があるってのよ」  
 
その学園って一体何の学校なんだろうね。中学か、高校か、大学か、専門学校か?  
制服から考えるとEMP能力者の隔離施設や宇宙船クルー養成所って線も有りそうだが。  
きっと全寮制で外出許可も滅多に出ず、自宅から通学する者もほとんどいない閉鎖社会だ。  
 
「馬鹿言ってないの。学園は……あれ、学園は……?」  
 
まるでMIBに脳を研磨されたかのように忘却の彼方に取り残されるハルヒだった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、ハルヒや俺の疑問も虚しく、学園の謎が明らかになる事はついになかった。  
というのも、俺達は学園に辿り付く事すらないままストーリーを終えてしまったからだ。  
 
酷いチート行為もあったもんだが、そもそも俺達にはゲーム世界を楽しむ意志などなく、  
それ以前にこれがゲームであるという認識も最後まで持てなかったわけなので、  
そりゃ終わらせる手段があれば飛び付くに決まってる。どんな反則でも関係ない。  
ゲームのルールってのは当時者が反則を厭わなくなった時点で既に破綻しているから、  
つまりは最初からゲーム的ストーリーが展開される余地などなかったのである。  
 
それでも、物事が破綻する時には最初のきっかけというものがある。  
何がきっかけだったか、言い換えれば誰が最初に確信犯的な反則を始めたかと言えば、  
これは確信を持って言える。  
 
朝倉涼子だ。  
 
「おはよう。キョン君に、涼宮さん。お久しぶりね」  
 
そう。  
どうでも良い事を(どうでも良い事だっただろ?)考えながら曲がり角を曲がったら、  
以前自分を殺そうとした挙句に長門と死闘を演じて果てたはずの女が立っていたのだ。  
両手を背中側に隠して。  
 
ここで咄嗟にハルヒを背中で庇ったりすればさぞかし格好良いんだろうが、  
あいにくハルヒより俺の方がよほど危険な状況なのでそんな発想は微塵も働かなかった。  
 
「あさ……くら?」  
 
どうか臆病者などとは言わんでくれ。  
マジでくたばる五秒前まで追い詰められた経験は後にも先にもあの一度だけなのだ。  
……などと思いつつ近い将来に入院沙汰に見舞われそうな嫌な予感もするわけなのだが、  
とにかく俺の脳裏を支配していたのは『どうやって時間を稼ぐか』という命題だった。  
 
「えっと。あたし見覚えないんだけど、キョンの知り合い?  
 ひょっとして元カノとかかしら。あんたいつの間にこんな娘ひっかけてたのよ」  
 
朝倉の存在に何を感じたのか、ハルヒの揶揄も妙な声色だった。  
もっとも、当の朝倉はそれに気分を害する様子もない。むしろ面白がっているようだった。  
 
「自我は保全しておくものね。涼宮さんが私に返事するなんて初めてじゃないかしら。  
 残念ね。こんな状況でなければゆっくりと話し合いたい所だけど、別件があるの。  
 ……ねぇ、キョン君」  
 
笑みを消して、朝倉は俺に問うた。  
 
「この世界の事、どう思ってる?」  
 
「……まだ2時間と滞在してないうちに結論を出すのもどうかと思うが、狂ってるな」  
 
「そう。良かった」  
 
さっきまでよりずっと深い笑みを浮かべる朝倉。  
そこには先ほどまでの薄ら寒さはなく、同胞に出会った秘密結社員のような風情があった。  
 
「ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャンはさぁ、  
 『そもそもゲーマーは良いゲームと悪いゲームの区別も付かない豚なのだ。  
  ゲームデザイナーとして成功するためには屠殺場を通過する必要がある』  
 って言ってるでしょ。これ、どう思う?」  
 
「そのコスティキャン氏とやらの経歴や人生観も微妙に気になるが、  
 あのゲームが豚の血を搾る手段として適切とは思えん……って、そういう問題か?」  
 
「あれは酷いゲームよね、って苦笑しながら話すのもお互いの慰めになるでしょ?  
 ……でもそうね。そろそろ本題に入りましょうか。察しのとおり、私は朝倉涼子。  
 このゲーム世界を管理するために徴発されたゲームマスターの一人よ」  
 
衝撃的だが、それ以上にスポイルに満ちた告白に、もはや完全に毒気を抜かれた俺だった。  
 
「なんというかさ、もうちょっと仕事選べよ」  
 
「そこを選べないのがヒューマノイド・インターフェースの辛い所なの。  
 涼宮さんの監視というのもそれはそれは遣り甲斐のない仕事だったわよ?  
 他にもニュージーランド沖合南緯47度9分西経126度43分の海底探査とか、  
 1999年のあの夏にバングラディシュで炸裂した遺失核爆弾に関する調査とか、  
 大いなるヤヌスの十二使徒に属する転生者達にポイズンラジオウェーブを照射するとか、  
 サボテンエネルギーの可能性について研究するためにひたすらサボテンを育てるとか、  
 次元と時空を貫通して数多の異世界を焼き払い続けるミクルビームの観測とか、  
 本当にろくな仕事がないの。上司のセクハラも酷いし、現場はいつも過酷だわ」  
 
俺達の関知しない所で世界に何が起きているのか非常に不安になる種類の愚痴だった。  
アメリカ大統領が泥酔しながら前後不覚でわめいてもここまで異様な発言にはなるまい。  
 
「それはそれとして。ごめんなさい涼宮さん。話についていけなかったでしょう?」  
 
振り向くと、ハルヒはなんというか、いわく言いがたい表情で固まっていた。  
声に出して言えばこうだろう―――あんたたち頭大丈夫?  
ハルヒにだけは言われたくないが、しかし俺達が正気かと問われればそれも疑問ではある。  
 
「ふふ。非常識って嫌? 身近な人が急に理解不能な事をやりだすのって怖い?  
 私にはあなたの常識の概念がどういうものか未だによくわからないんだけど……」  
 
「……いい加減にしなさいよ!  
 さっきからわけのわかんない事ばっかり!」  
 
ハルヒが吼えた。  
そして吼えかけられた朝倉の笑みは歪に攻撃的に変質する。唇が高速で振動した。  
 
俺は咄嗟にハルヒを背中で庇う。今度はできた。さぞかし格好良かっただろうね、俺。  
しかし残念ながらもう手遅れだったので俺の英雄的行動には何の意味もなかったのである。  
 
何が起きたかって?  
そうだな、まずは窓のガラスにヒビが入ってフレームが軋んだ時のような嫌な音がした。  
といっても何が割れたわけでもない。強いて言えば、空気が割れる、とでも言おうか。  
それを本当に『音』という概念として理解して良いのかどうかも実はよくわからない。  
 
「……おっと、危ない危ない」  
 
次いで朝倉がそう呟き、再び超高速言語で何やら詠唱を始め、  
それに連動して坂道のアスファルト、民家、果ては空までをCG的グリッドが走り回る。  
檻が形成された。世界を軋ませる“何か”から、世界を隔離するための檻だ。  
 
「あ、あ……ああぁぁぁあぁぁぁぁっ!?」  
 
「……っ!?  
 おいハルヒ、どうした、しっかりしろ!」  
 
ハルヒはうずくまって絶叫する。  
端的に述べればハルヒに情報爆発を誘発させた所で空間を封鎖して情報の拡散を防ぎ、  
それによって飽和状態に陥った情報の乱流がハルヒの精神に影響を及ぼしていたのだが、  
もちろん俺にそんな宇宙のデバッグモード的な裏事情がわかるわけもなかった。  
 
だが幸いな事に混乱はすぐに収まった。  
ハルヒは俺の腕を支えに立ち上がり、ふらついた頭で朝倉を見つめて言った。  
 
「朝倉さん……よね。確かカナダに転校したんじゃなかったっけ?」  
 
俺はさぞかしぎょっとした表情を浮かべていた事だろう。そして朝倉はやはり笑っていた。  
 
「おかえりなさい、本当の涼宮さん。幼馴染みごっこは楽しかった?」  
 
「ここは何処? これはどういう事? あんた何者? 今すぐ教えなさい!」  
 
状況も把握できてないのに無駄に強気なハルヒに対して、朝倉はやはり笑っていた。  
……益体もない事に、俺は五月頃のまだクラスメイトだった朝倉を思い出していた。  
 
「詳しい事はSOS団の誰かにでも聞いて。私にはそんな時間がないから。  
 ……ほら、空を見て。気付かれたみたい」  
 
俺達三人は雁首そろえて上を向き、そのうち二人は絶句する。  
何時の間にやら、天空はよくわからない生き物で埋め尽くされていた。  
 
「なんだ……これは」  
 
「私のせいでプロットが破綻してる事にようやく気付いたんでしょう。  
 おそらく、原作ハーレムルート終盤の決戦イベントのフラグが立てられたのね。  
 町中全てのミステリックサインからミステリックシングの大軍が押し寄せてくるわ」  
 
「悪いが言われても因果関係がわからん。原作は序盤だけやって投げ出したんだよ、俺」  
 
「それは羨ましいな。きっと今後一生やらずに済むのよね。私もやりたくなんてなかった。  
 ……本当に、嫌な仕事。次に産まれた時はもっと人情味溢れる仕事がしたいなぁ」  
 
そこでハルヒが悲鳴を上げた。というのも、朝倉の体が分解され始めていたからだ。  
 
「黒幕はご立腹。せっかくの……どこらへんがせっかくなのか私には理解不能だけど、  
 それはともかくせっかくのストーリーを台無しにした私を許してはおかない。  
 というわけで、私はここでデッドエンド扱いなのよ。SOS団の勝利を祈っているわ。  
 ……そうそう、これから貴方達が真相に辿りついたら、この言葉を思い出して」  
 
あっという間に首だけになった朝倉が、静かな口調で遺言を言った。  
 
「―――『かみはバラバラになった』」  
 
坂道を沈黙の妖精が駆け抜ける。遠く空の彼方で怪物達がめいめい勝手に鳴いている。  
俺達の感傷は一瞬で粉々だが、朝倉はそれに傷つく様子もなく光の粒子に還っていった。  
同時に、最後まで背中に回されていた手から何かが取り落とされ、それは必然的に落下し、  
その刃でアスファルトを溶けかけのバターのように粉砕しながら地面に突き刺さった。  
 
落下したものの正体は、宇宙的にブーストされていると思しきチェーンソーだった。  
 
「……えーと。ねぇキョン。これ、どういう事?」  
 
昔のジョークだよ。しかも笑えない。宇宙人は共通性質として冗談が下手らしいね。  
 
ところでふと思ったが、ひょっとして今回のキャスティングを考えたのも朝倉か?  
 

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