「どーしたのー? 」
いつの間にか、とても可愛らしい顔が不思議そうに覗き込んでいた。
「えっ? 」
わたしは、薄紅色のセーラーを着た、髪の一房を結んだ少女の顔と、
自分のてのひらを交互にみながら、われに返った。
「ミヨちゃん。何かへんー 」
「ごめんなさい」
わたし、吉村美代子はいつものように親友である彼女の家におじゃま
していた。
今日もゲームをしたり、彼女のお母さんから頂いたお菓子を食べたり、
雑誌を読んだりして、いつもと変わらない事をするつもりだったけれど。
「もしかしてー キョン君の事考えてる? 」
「そんな事…… 」
彼女の鋭い言葉にどきりとさせられる。声をあげそうになって慌てて
口に手をあてた。
ちなみに、キョン君というひとは、彼女のお兄さんでもうすぐ高校二年生
になる。
穏やかな笑顔がとても印象的で、彼女の家に遊びに行った時に、食事を
一緒にしたことも何度かある。一年前には、とても見たかった映画に
付き合ってくれたりもした。
その時は、わがままなお願いにも関わらず、いろいろと気を遣ってくれて、
とても優しかったことを、今でもはっきりと覚えている。
気になる? ときかれれば、はいと答えてしまうけれど、残念ながら
彼には親しい女性がたくさんいる。
しかも、とても綺麗なひとばかりだ。日曜日に駅の近くで笑いながら
話していたあの人たちを見かけたにも関わらず、声をかけそびれてしまった
ことがある。
たぶん。髪が黒くて、黄色いカチューシャをつけた活発そうな瞳をした
ひとが恋人なんだろう。
思い出すたびに胸が苦しくなる ――
「ミヨちゃん!? 」
「あっ、その…… 」
よそ事を考えていたことをごまかそうとしたのかどうかは分からない。
ただ、反射的に、わたしは思いもかけないことを口走っていた。
「あのっ、キスとかしたことある? 」
「んーっとね。ないよー 」
あっけらかんと言う彼女に何故かほっとする。
わたしたちは、もうすぐ小学6年生になる。クラスの女子の間からは、
そういう思わず顔を赤らめてしまうような話題が、既に出始めている。
ただ、二人の間で話題にのぼることは、今までは全くなかったのだけど。
「ミヨちゃんはしたいの? 」
ストレートすぎる質問。
正直、興味が無いと言えば嘘になる。彼女の小さな唇に触れてみたい。
でも早すぎるし、普通は男の子とするもの、という『常識』が臆病な
自分をひどくためらわせる。
「あのねー 女の子どうしはカウントされないんだよ」
「本当? 」
「うんっ 」
信じたかっただけかもしれない。それでも、未知な事への不安より期待が
上回ったのは確かで、わたしはこくんと頷いた。
「じゃあ。いくよー 」
細い両足を伸ばして床に座っていた少女が、起き上がりながらゆっくりと
迫り、わたしの震える両肩はつかまれる。
心臓の音は跳ね上がり、頬は赤く染まる。動揺がおさまらないうちに距離が
限りなくゼロに近づき――
唇が触れ合った。
置き時計がかちこちと鳴る音がやけに大きく聞こえ、前の道を一台のバイクが
通り過ぎる。
予想と違って味はほとんどしない。けれど、とっても滑らかで柔らかくて
頭と心の中がひどく乱される。
緊張に耐えられなくなって、小柄な彼女の背中に手を回してぎゅっと抱きしめる。
「ん…… 」
吐息が軽く鼻腔にかかり、つぶっていたまぶたを開いてしまう。
「んあっ 」
視線がまともにぶつかった。急に恥ずかしくなって、つながっていたわたし
たちは再び離れる。
「ぷはっ 」
彼女は大きく息を吐き出した。そして、呆然としているわたしに向けて無邪気に
微笑みながら、人差し指を唇にあてて片目を閉じる。
「キョン君にはないしょだよー 」
唇の上には、ひどく鮮やかな感触だけが残っていた。
(了)