「一秒の恋」  
〜ヒューマノイド・インターフェース「朝倉涼子」の消滅〜  
 
 
人気の絶えた廊下で、俺は深呼吸一つ。窓は磨りガラスなので中の様子はうかがえないが、西日でオレンジ色に染まっていることは解る。俺はことさら何でもなさそうに一年五組の引き戸を開けた。  
 
 
私は最後の瞬間一つの世界を造った。  
実験。  
「人」として造られた私たちが、純粋に「人」としてのみ活動できるように。  
そのとき何が起こるのだろうか。  
彼は私に何を見せてくれるだろう。  
 
 
「ねえ、なに考えてるの?」  
駅近くのバーガーショップ。俺はシェイクのカップを持ったまま、向かいに視線を戻す。  
少し拗ねたような表情の少女が一人。  
彼女はずっと話をしていたが俺はある記憶を脳裏によみがえらせていた。目の前に座っている、表情のくるくる変わる、明るい少女の記憶。  
「いや、おまえに初めて呼び出されたときのことをな」  
思い出していたのはあの光景。西日の差し込む教室にたたずんでいた、少女。  
「そんなに印象的だった?」  
俺が教室の扉を開けると、オレンジ色に照らされた端正な顔がこちらを向いた。少し、はにかんだ表情でほほえむ。  
忘れようもない光景だった。  
「そうだな。まさかおまえが俺を呼び出すなんて思ってもいなかったよ」  
「そうかしら」  
谷口言うところのAAランクプラスの美少女だ。  
しかも、  
『私とつきあってくれない?』  
と来たもんだ。  
「おまえが俺に告白するなんてなあ」  
「もう!」  
朝倉涼子は顔を赤らめて俺を叩こうとする。  
素早く身をかわす俺。くすくすと笑い出す朝倉。  
こんな、じゃれあうようなやりとりが楽しい。  
一緒に下校した俺達はここで時間をつぶしている。ここのところ毎日そうだ。  
俺達の仲が公認になって久しい。  
 
この事実はクラスの中へ驚愕と混乱と絶望をもたらした。  
男子の大半は事実の認識を拒み現実から逃避し、女子は朝倉への忠告(ほとんどが考え直せというもの)へと一致団結した。  
谷口なんて俺と朝倉が一緒に下校するのを見て、スターリングラードで捕虜になったドイツ兵のような目をしていたし。  
「しかし、また何で俺だったんだ?」  
「聞きたい?」  
朝倉は両手の上にあごをのせて、いたずらっぽく小首を傾げた。  
ちきしょう、かわいいじゃねえか。  
「ああ聞きたいね。おまえだったら他の奴からも交際、申し込まれてたんじゃないのか?」  
「そうね、告白されたわよ。断ったけど」  
やっぱりあったか。  
俺が言うのも何だけど、こいつ世話女房タイプで性格もいいし、可愛いし、モテ要素全開なんだよな。  
「ある人が気になっちゃって、ね」  
ぱちり、とウインク。  
……誰のことかな。  
「キョン君、涼宮さんに話しかけてたじゃない?あの人ずっと孤立してたし気になっていたのよ。でもきっかけがつかめなくて」  
まあ、あんな状態じゃあなあ。  
涼宮ハルヒはクラスで俺の後ろの席に座っている女子生徒だ。  
北高に入学してすぐに、電波な自己紹介でクラスをどん引きさせた。  
ただしルックスは超一級。  
成績もいいし、スポーツも出来る。しかし電波。  
なぜ俺がそんな奴に話しかけたかと聞かれれば、答えは一つしかない。  
下心があったからだ。何せ、口を閉じていれば一級の美少女なんだからな。  
その後も涼宮はいっこうにクラスに溶け込もうとしなかった。  
話しかければ「知らない」「うるさい」。  
ほとんどこんな調子。  
初めは男子生徒も女子生徒もいろいろ話しかけてはいたが、そのうち誰も相手にしなくなった。  
無理もない。  
朝倉はそんな涼宮を見かねて、いろいろ世話をしていた。  
本当に委員長タイプだ、こいつは。  
「なぜかあなたとだけは話してたのよね、涼宮さん」  
それは俺も不思議だ。  
話したのは他愛のないものばかりだったが、それでも会話が成立していたのは俺ぐらいだった。  
「そのうちクラスのみんなとも話すようになってきて。きっかけはあなたよ」  
その涼宮は今では何か目的不明の怪しげなクラブを立ち上げ、仲間と共に学校内を駆け回っている。  
楽しそうだからいいんだろう。  
「初めは何であなたとだけ話してるんだろうって思ったわ。それがきっかけ」  
涼宮がきっかけとはね。  
「ぱっとしない人だと思ったけど」  
 
上目遣いで俺を見る朝倉。悪かったな。だが、自分でもそう思う。  
「見ているうちにね、この人はどんな人でも受け入れることが出来るんじゃないかと思ったのよ」  
買いかぶりだと思うが。  
「あたしがいいからいいの」  
朝倉はまじめな表情で俺を見つめた。尻がむずがゆいぞ。  
「本気なんだから」  
朝倉は俺の手に指を絡めてきた。  
視線を外に向けているが首筋に朱がさしている。耳も赤い。  
うわ、破壊力抜群。  
俺は朝倉の指を両手で包むように握り返す。  
「……ねえ、今日暇?」  
「ん?」  
「あたしのうち、今日誰もいないの」  
え?!  
「お父さんもお母さんも、明日まで帰ってこないし」  
まさか、こんな台詞が聞ける日が来るとはね。今まで生きてて良かった。本当に良かった。  
「……いいのか?」  
「うん」  
視線を外したまま、指を強く絡めてくる朝倉。少し、手が汗ばんでいるのは緊張のせいか。  
俺達は手をつないで店を出た。  
 
駅からほど近い分譲マンション。  
前まで送ってきたことはあったが、入るのは初めてだ。  
手をつないだまま、エントランスに入りオートロックを解除。  
エレベータの動きがもどかしい。扉が開く。  
俺達は絡み合うようにエレベーターに乗り込んだ。  
叩くように閉ボタンを押す。  
朝倉が体をそっと押しつけてくる。柔らかな感触に俺はもう考えるのをやめた。  
背中に手を回し抱きしめる。潤んだ瞳が目の前にあった。  
そのまま唇を荒っぽく奪う。朝倉は抵抗するどころか、いきなり舌を絡めてきた。  
目を閉じて朝倉の口内をまさぐる。  
エレベーターが減速する。  
お互いの体の感触に未練を残しつつ、俺達は離れる。  
ドアが開いた。  
朝倉はほとんど俺の手を引っ張る様にして俺をドアの前までつれてゆく。  
ドアが堅い音を立てて閉まり、朝倉は後ろ手にロックをかけた。  
それを合図にするかのように俺は朝倉を抱きしめる。  
 
待ちきれなかった。  
玄関の三和土、まだ靴すら脱いでいない。  
お互いを貪るように長い長いキス。  
俺は制服の上から朝倉の胸をまさぐる。  
スカートに手を入れる。下着に手を指し込むと微かな茂みの中心は驚くほど熱く濡れていた。  
指を中心に這わせる。  
「んんっ」  
キスでふさがれた口から声があふれる。  
やっと朝倉は俺から体を離した。名残惜しそうに。  
「こっちに入って」  
調度品が置かれたリビングを抜け、隣の部屋へ。  
襖を開けると、いきなり布団が敷いてあった。  
「準備がいいな」  
「バカ、ちがうわよ」  
朝倉は真っ赤になって返事をする。それでも握ったままの俺の手を放そうとはしない。  
俺は朝倉を抱きしめたまま押し倒す。抵抗もせず、ふわりと朝倉は倒れた。  
下着をずり下げ、中心に指を這わせる。  
「あ、だめ、そんないきなり」  
言葉では言うが朝倉の抵抗は弱い。  
「ずいぶん濡れてるな」  
俺は朝倉の耳元でささやく。  
「もう」  
耳まで真っ赤になった朝倉は、顔を横に背ける。  
かわいい。  
愛おしくて愛おしくてたまらなかった。  
細い朝倉の体を抱きしめる。放したくない。  
欲望とは違う愛おしさが俺を突き動かしている。今この瞬間の朝倉のためだったら俺は何でも出来るね、誓ったっていい。  
スカートを外し、下着を下げる。大きく足を広げさせ、中心に舌を這わせる。  
「やあっ……」  
薄い茂みの下はあふれんばかりに濡れている。しずくが俺の唾液と混ざって流れた。  
中を探るように舌を動かし、クリトリスに微かに歯を立てる。  
「……んっ!」  
朝倉が背をのけぞらせて跳ねる。食いしばった歯の間から声が耐えきれずに漏れた。  
セーラー服の下から手を指し込む。  
細い体に似合わずボリュームのある朝倉の胸。  
「……全部脱がせて」  
俺は朝倉の制服をそっと脱がす。もどかしい。  
しかし目の前の朝倉は、乱暴に扱うと壊れてしまいそうなくらい、か細く見えた。  
 
ショーツとおそろいの薄いピンクのブラ。  
背中に手を回し、そっと外す。  
「や……」  
朝倉は恥ずかしげに胸を両手で隠す。  
俺は少し力を込めてその腕を開かせる。形の良い胸がぷるりと揺れた。  
「ずるい、私ばっかり」  
下から恨めしげな視線を俺に向ける朝倉。  
「あなたも全部脱いで」  
朝倉は俺のシャツのボタンに手をかける。俺は朝倉のされるままにする。  
そっと、空いた手で胸を愛撫。  
両手で包み込み、硬くなった乳首の先をなぶる。  
「う、んっ……」  
朝倉が切なげな声を出す。  
俺はすべての服を脱ぎ捨て、改めて朝倉を抱きしめた。  
膚と肌が直に触れあう感覚。滑らかで暖かい。  
肌を合わせているだけで、たまらなくなってくる。  
「ね、もうお願い」  
「もう、いいのか?」  
朝倉はこくりとうなづく。  
「……それとお願い」  
「ん、何だ?」  
「涼子って呼んで」  
俺の腕の中で恥ずかしさに顔を背け、消え入りそうな声で言う朝倉、いや……涼子。  
目がくらみそうだった。  
「涼子」  
「キョン君」  
泣けてきた。  
でも、もう端から見たら完全にバカップルだな。  
今まで人前でいちゃついてるカップルを見て、アホかと思っていたが、実際つき合うようになってみりゃこのざまだ。  
俺もバカだね。  
だがな俺の腕の中にいる涼子を見れば、誰だってわかるはずさ。  
こんな女の子が自分の彼女なんだから。  
俺はそっと涼子の中心にあてがう。  
「あ……」  
「いくぞ」  
俺は腰をゆっくりと進める。中に入るにつれ、涼子の顔がゆがむ。  
「つらいなら無理するなよ」  
「ううんいいの、お願い、そのままして」  
 
涼子が微笑む。  
中はとても熱い。そしてきつかった。  
「動くぞ」  
ゆっくりと腰を引き、ぎりぎりからまた入れる。  
「んんっ!」  
苦痛とは違った声が食いしばった歯の間から漏れる。  
「ね、お願い、中に出して」  
おい、いくら何でもそれは。  
「大丈夫、大丈夫だから、お願い……」  
涼子の瞳から涙が流れる。なぜそんな悲しそうな顔をする?  
「いいのか、本当に?」  
うなづく涼子。  
俺は覚悟を決めた。こいつが本気なら俺だってそれに答えてやるさ。  
一瞬、パパになってしまった俺の映像が脳裏に浮かぶ。  
でも、隣で子供を抱いているママが涼子ならいいや、と心の中で苦笑して腹をくくった。  
「わかった」  
俺は腰の動きを強くする。  
「あああっ!」  
朝倉は声を上げるが、絡めた足は放さない。むしろ俺の体を逃すまいとするかのように強く締め付ける。  
「涼子……」  
「だいすき」  
涙を流しつつ涼子は微笑む。俺は涼子を強く抱きしめる。  
二人は同時に達した。  
「あったかい……」  
涼子はいつまでも俺の体を離そうとはしなかった。  
 
「あたし、キョン君に謝らないと」  
なんだ唐突に。  
朝倉は俺の体にぴったりと寄り添っている。肌と肌が直接触れあうこと、体を寄せ合うことが心地よい。  
「あたしがキョン君に告白したのは興味半分だったの」  
そうなのか?  
「面白そうな人だと思ったのは本当。だってあの涼宮さんと長門さんが一緒にいるんだもの」  
ながと?だれだ?涼宮はともかく。  
「あたしね、ずっと統合思念体の命令で動いていたの。自分で考えることは出来たけど、決定権はなし。お人形」  
涼子は寂しげに微笑む。  
「自我を持ってから、三年間待機して、初めて学校へ行ったの。楽しかった。休日にクラスの子達と買い物に行ったり、食事したり、おしゃべりしたりね」  
自我を持ってから?話がどうも見えない。  
 
「普通の生活がとても楽しかった。でも私は長門さんのバックアップ。あたし自身が何かを望むことは出来ないし、そのことを苦痛に思ったり、考えたりすることすら出来なかったし」  
いや、その長門って誰だ?  
「私は観測者としての長門さんをサポートするための存在。それとあなたたち二人の監視も兼ねていた。自分の意志で初めて行った行動があなたの殺害」  
は?何ですか、その物騒な単語は?  
「自分の意志だと思っていた、が正しいわ。結局、統合思念体の影響下での行動だったんだし。今になって初めてわかったの。私は端末。行動を決定していたのは彼ら」  
二人って涼子と俺のことか?いまいち把握できないな。  
「だから最後の最後、私の存在が消えてしまう最後の時、統合思念体の影響から解放されたたった一秒の瞬間に、ある一つの実験をしてみたの」  
実験?  
「恋をしてみたかったの。女の子達と話していると半分は男の子の話よ?誰がかっこいい、彼は優しいって」  
それは男も同じだな。ただ男の方が欲望にまみれているが。  
「あたしも何人かに交際を申し込まれた。任務があるから断ったけどね。でも、みんながそんなに夢中になる恋って何なのかしらって」  
いやそんなこと言われてもなあ。  
「それであなたに告白したの。長門さんに消される寸前、最後の情報操作。これはあなたの見ている夢」  
部屋の中がオレンジ色に輝いている。西日が差し込んでいた。  
まて。おかしい。  
今日は試験期間で学校は半日で終わったはずだ。いくら何でも日没が早すぎる。  
「あなたの意識に接続して仮想空間を作った。たいしたものじゃないわ、すごくリアルな夢と思ってくれればいい。そこで私はあなたに告白したの。あのオレンジ色の教室で」  
涼子の白い裸身が朱く染まっている。  
「あなたは戸惑いながらも、OKしてくれたわね。本当の時間では私はあそこであなたを殺そうとしたんだけれど」  
俺は唐突に不安になる。涼子がどこかへ行ってしまうような気がして。  
「ただの実験。最後の好奇心。そのはずだった。いたずらのはずだったのに……」  
涼子おまえ泣いているのか?  
「こんなことしなければ良かった!バカだった、バカだったわ!……最後の最後でこんな……こんなに人を好きになるなんて」  
「涼子、変だぞおまえ」  
「ごめんなさい、キョン君。もうすぐこの世界は消えます。私が造った偽物の世界。本当の世界で私はあなたを殺そうとしたの。  
でも長門さんに負けちゃった。最後にちょっとあなたにいたずらするだけのつもりだった。この世界は私が消える最後の一秒間。  
その時間を引き延ばしてあなたに見せていたの。あの教室であなたを殺そうとしないで告白していたらどうなっていたかと思ったの。初めは面白かったわ、あなたが私の言葉一つ一つに反応してくれるんだもの」  
泣き笑いのような顔で涼子は俺を見る。  
「おまえのことが好きなんだから当たり前じゃないか」  
「そうね。今ならわかる。人が人を好きになるって言うことが。この世界で二ヶ月足らず、あなたと過ごした時間。  
あたしもあなたのことが好き。あなたしか見えない。人が何でセックスをしたがるかもわかったわ。だって本当に好きな人と一つになれるんだもの、こんな素敵なことはないわ」  
 
「涼子」  
俺は得体の知れない不安がわき上がってくるのを感じる。涼子が抱き合っていた体を反し起き上がる。  
涙がとめどなく頬をつたう。  
「この世界の二ヶ月は本当の世界の一秒。今私は長門さんに情報連結を解除されて、消えてゆくところ。ごめんなさいキョン君。この世界が消えれば、あなたも元に戻ります。さようなら」  
「おい!なにを言ってる、わからないぞ!どこかへ行ってしまうのか?だめだ、そんなのは!」  
涼子は顔を両手で覆う。  
「ごめんなさい、ごめんなさい……」  
俺は涼子を抱きしめる。  
「キョン君ありがとう。でも私との記憶は消しておきます。だって私なら耐えられそうにないもの、大好きな人がいなくなるなんて」  
「なに言ってんだかわかんねえよ!行くな涼子!行くなっ!」  
俺は涼子がいなくなるということだけを理解して、叫ぶ。  
「統合思念体は人を理解するために私たちを造ったの。観測対象を理解するために。でもね心を持つ私たちは人を愛することも知ったの」  
オレンジ色に染まった室内が白く反転する。腕の中の涼子が消えてゆく。  
「涼子っ!」  
俺は絶叫した。  
「さようならキョン君。私の大好きだった人」  
 
 
「それまで涼宮さんとお幸せに。じゃあね」  
音もなく朝倉は小さな砂場になった。一粒一粒の結晶はさらに細かく分解、やがて目に見えなくなるまでになる。  
さらさら流れ落ちる細かいガラスのような結晶が降る中、朝倉凉子という女子生徒はこの学校から存在ごと消滅した。  
 
 
俺はいつものようにSOS団の活動(と言ってもなにもしてない。古泉とゲームやりながら朝比奈さんの入れてくれたお茶を飲んだだけだ)を終えて下校するところだった。  
ふと、机の中に入れっぱなしになっていた本のことを思い出し、自分の教室に向かった。  
長門から借りた本だ。日本人作家のSFだったがだいぶ長いこと借りっぱなしになっている。今日のうちに読んで明日返そう。  
俺はぶらぶらと教室に向かう。  
日は既に傾いて西日が差し込んでいる。俺は教室の引き戸の前で立ち止まった。  
室内がオレンジ色に染まっている。  
嫌な思い出がよみがえる。どうも西日の差し込む教室は俺にとってトラウマになってしまったようだ。トラウマと言うよりPTSDか。実際死にかけたしな。  
力を込めて引き戸を開けた。誰もいない。当たり前か。  
俺はふとある位置の机に目をとめた。  
朝倉の席だった場所。  
あれから席替えがあり、もう既にそこには別人が座っている。  
視線を上げ、黒板を見る。あの時の記憶がよみがえる。  
 
どのくらいの時間立っていたのだろう。俺は呆然と黒板を見つめていた。  
頬を涙がつたう。巨大な喪失感。  
自分の半身をもぎ取られたかのような大きな悲しみが俺の中を荒れ狂う。  
……なんだこれは。  
思い出せない悲しみ。  
悲しいという感情だけが残っている。  
消えてゆく誰か。  
俺の腕の中にいた誰か。  
それは誰なのか。  
そんな記憶があるはずはない。  
この教室が始まりだ。しかしそれは誰だ?  
 
『さよならキョン君。あたし普通の女の子としてあなたに会いたかった』  
 
誰の声なのだろう、泣きじゃくる女の子の声。  
切なく悲しい。  
俺は座り込む。涙が止まらない。俺はただただ泣き続ける。  
「あら、キョンじゃない。まだ帰ってなかったの?」  
ハルヒの声がする。  
みっともないところを見られた。だが俺は立ち上がることも出来ない。  
片手で目を覆いうつむく。だが流れる涙はあふれ頬をつたう。  
「キョン、どうしたの?……泣いてるの?」  
ハルヒが横に立つ。しかし、俺は立ち上がることも出来なかった。  
「……すまん、しばらく放っておいてくれ」  
「キョン……」  
ハルヒは立ち去ろうとしない。俺のそばに立つ気配がする。  
そっと机の上の俺の手に、ハルヒの手が重ねられた。  
暖かい。  
「すまん」  
泣き続ける俺。  
ハルヒの手のぬくもりが空虚な悲しみを埋めてくれる。  
『涼宮さんとお幸せにね。でも長門さんのことも見てあげて。あの子は私と同じだから』  
オレンジ色の教室で俺はただ泣いていた。  
消滅した少女のために。  
 
 

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