『涼宮ハルヒの黒日』注:なんとなく『涼宮ハルヒの白日』の続き  
 
好物のハンバーグが焼きあがるのを椅子に座って待つ妹より素直なハルヒがいたホワイトデーは過ぎ  
週が明けると、あのハルヒはなんだったのかと笑ってしまうぐらい、ハルヒはハルヒに戻っていた。  
ま、一年間の俺をねぎらうような言葉をかけたと思ったら、週明けに阪中が部室にやってきて  
最後とばかりに幽霊騒動を持ち込んできたから、立つ瀬がなかったのかもしれんな。  
もっとも俺の勘繰りすぎという可能性が一番高いのであって、ハルヒはおかまいなしに  
退屈しのぎになる、と暴走し、見事な空振りをシュークリームで埋め、金曜日の意外な展開に動揺し  
ワンコロの不調に憂鬱を覚え、溜息でもついたんじゃないかと思うぐらい意気消沈していた。  
長門とシャミセン、おまけで古泉の活躍によって、翌日にあっさり消沈ムードは消失したんだが  
ハルヒがただ元に戻るだけで我慢するはずはなく、実際はいるはずもない幽霊を探して  
夜中に集合をかけ、まだ肌寒さが残る中を散々歩きまわって写真をとりまくり、結果に嘘の憤慨を見せていた。  
幽霊なんぞいるわけがないとわかっていた俺は、現像した写真を部室で眺め、文句を楽しそうにこぼすハルヒを  
横目で見ながら、ハルヒが次に当たらずとも遠からずな宇宙人陰謀説を唱え始めないか心配してたわけさ。  
 
なんにせよ、あさっての修了式でいよいよ一年は終わりだ。  
そんな感じがしないのは、春休みの間もSOS団はずっと活動予定だからだろうな。  
今のところ春休み用の予定はないが、さて。ハルヒのことだから、何かするに決まってる。  
俺の懸念は、それがただ楽しいことなのか、苦労した上で楽しいことなのか、どっちなのかだ。  
 
「あっという間でしたね」  
長門の本を閉じる音はもはやSOS団にとって欠かせないものとなっており、これがなければ  
一日の終わりは来ないのではないかとさえ思える。そして朝比奈さんの着替えを待って  
集団下校することも、毎日ではないにせよ、最近はよくあった。男子二人は当然部室の外で待機だが。  
「なんだ急に。感慨深い声を出しやがって」  
俺は衣擦れの音を楽しみつつも、窓の外に視線を向けている古泉に言葉を返した。  
「いえ、ふとそう思いまして」  
窓から俺に視線を移し変え、古泉はニ割ぐらい憂いを含んだ笑みを漏らした。  
今のコイツの表情なら、十人に七人ぐらいの女子は心を動かされるんじゃないかな。  
「まだ二日ある。振り返るのはそれからだ」  
俺が言えた義理でもないのだが、とりあえずそう答えておいた。  
だが、答えながらも、俺は理不尽さを感じていた。なぜ修了式が水曜日なんだ。  
少しは融通を利かせて、先週の金曜で終わりにしてくれないかと思うんだが、そこは公立高の悲しさ。  
きっちり日程に沿うんだとさ。短縮授業期間は取り上げるくせによ。  
 
「ですが、僕にとっての一年は、ホワイトデーで終わったように思えるんですよ」  
案として生徒会長氏に直談判しに行くことを思いついたとき、古泉が口を開いた。  
俺も古泉を否定しない。ハルヒが終わりと言ったら終わりなんだろう、ある意味。  
「そういや、お前のテーマはなんだったんだ?」  
いい加減、時効も成立していると思われるので、問いかけてみた。  
古泉は憂いをあっさり引っ込め、苦笑をこぼした。  
「同じですよ、おそらく。涼宮さんの考えそうなことです」  
「ってことは、感想と抱負か」  
「ええ」  
やれやれ。テーマを教え合うなと監視してた理由は、自分のたくらみがバレないためだったのか。  
いかにもハルヒらしい、回りくどいやり方だ。素直に言えばいいものを。  
「素直じゃないのは、あなたもでしょう?」  
「古泉、何が言いた――」  
からかうような声を出す古泉に、思わず反応してしまった時だ。  
「お待たせしましたあ」  
部室の扉が開いて、声の持ち主の朝比奈さんではなくハルヒがまず出てきた。  
次いで長門、最後に扉を引いていた朝比奈さんがしずしずと廊下に出る。  
「さあ、帰るわよ!」  
鍵を確認して、ハルヒが元気よく声を張り上げ、俺の反応はうやむやになった。  
 
わざわざ再確認して問い詰めるほどのことでもないと俺は判断し、古泉もそれ以上何も言わなかった。  
そもそも、ハルヒがいる前でする話なのかどうかも、怪しいからな。  
そういうわけで、俺は普通に集団下校を楽しんでいたのさ。  
いつも古泉と話してばかりではなんなので、朝比奈さんの隣に並びかける。  
「朝比奈さん、春休みどうします?」  
天気の話から切り出さなかっただけ、マシだと思ってもらいたい。  
いや、もしかすると天気の話のほうが意味があったかもしれないが。  
朝比奈さんは、頬に手を当てて首を傾げ、困ったフリをした。  
「まだ考えてないんです。キョンくんは何か予定入ってますか?」  
まるで、考えてないのではなく、考える必要もない、と言いたげだった。  
「ありません」  
俺は正直に答えつつも、なぜか自分の言葉が白々しく思えた。  
なぜなら、  
「春休みの予定なんて、もう埋まってるじゃない!」  
先頭を進んでいたハルヒの耳に入っているに決まってるからだ。  
振り返ったハルヒは、喜色満面の顔で俺の鼓膜を揺さぶった。  
「春休みは短いんだから、一日一日を全力で行くわよ。あたしの中にはプランが山積みなんだから」  
わかっていたことではあるが、実際宣言されると、また格別の思いがあるな。  
どうでもいいが後向きに坂を下ると、こけるぞ。  
 
ハルヒは器用にもこけることなく、ずっと俺たちのほうを向いたままプランを披露してくれた。  
朝比奈さんが青くなったり赤くなったり目を白黒させていることから、内容は推測してもらいたい。  
俺には横の朝比奈さんしか表情を窺えなかったが、すぐ後ろにいるはずの長門は無表情だろうし  
シンガリをつとめている古泉は、笑みを浮かべたままだろうと容易に想像がついた。  
 
「ま、全部予定だから、実際は全然違うものになるでしょうけど、楽しみに待ってなさい」  
坂を下り終わる頃に、ハルヒはそう締めくくりやがった。  
それじゃ今までのプランはなんだったんだ、と文句は言わないわけである。  
いくら俺の成績が芳しくないとはいえ、一年も付き合ってれば学習するさ。  
 
「それじゃ、明日もちゃんと来なさいよ」  
「お先に失礼します」  
長門のマンション付近で、俺たちは示し合わせたように別れた。  
ハルヒは言うだけ言うと駆け足で、古泉はゆったりと歩いていく。  
「キョンくん、また明日部室で」  
こちらを見ながら手を振り振り去っていく朝比奈さんに、俺も手の左右で応えた。  
ハルヒに対抗してるのか、後向きに歩いてますけど、危ないですよ朝比奈さん。あ、転んだ。  
駆けていって手を差し伸べたくなったが、お尻をさすりながら立ち上がった朝比奈さんは  
恥ずかしかったのか俺に顔を合わせることなく、背を向けると、早足で歩いていった。  
大丈夫そうだからいいか。  
「じゃあな」  
傍らの長門に声をかけ、俺も帰ることにする。今日は自転車通学だ。  
長門はじっと俺を見つめ、首を縦に振ってから、マンションの中へ入っていった。  
 
チャリをこいで家路につく。なんのことはない一日だった。  
もっとも、楽しい一日だったんだがな。ハルヒがいる限り、大して何も起こらなかった日でも  
退屈に感じることだけはないだろうよ。いや、ハルヒだけじゃないな。SOS団という存在そのも――  
「っと」  
石でも置いてあったか、チャリが跳ねる。ふらつくチャリを制御して、転倒は免れた。  
「ったく、危ねえな」  
考え込んでた俺の前方不注意にも責任はあるのだが、悪態をついてしまう。後ろを無意識に振り返る。  
何を考えてたか忘れちまった。いい気分をつまらんことで害されると、一日全体にケチがついた気になるな。  
こんな日はさっさと風呂に入って寝るに限る。俺はチャリをこぐ速度を上げ、家を目指した。  
 
 
明けて火曜である。  
昨日は有言実行ということで、メシ食ってから風呂に入ってさっさと寝た。  
おかげで目覚めはこの上なく爽快だ。窓を開けて深呼吸するぐらい余裕があった。  
目覚まし時計も妹の乱入も必要なしに、はっきりと目を覚ますことができたのは、久しぶりかもしれん。  
それにしても、妹も四月から最高学年なんだから、そろそろ遠慮を覚えてくれてもいいんじゃないのか。  
なんの目的か知らんが、いつまで俺の部屋に入り浸るつもりだ、あいつは。  
 
「よっ、キョン」  
「よう」  
教室に入ると、谷口が声をかけてきた。  
どうでもいい返事をして、ああこれも明日でいったん終わりか、などと思ってしまう。  
ううむ、どうも変な感情が俺にまとわりついて離れてくれない。なんだこれは。まさか感傷か?  
いつから俺はセンチメンタルな人間になってしまったんだ。旅にでも出るか。  
 
どうやらこの感情は俺だけに巣食っていたわけではないらしい。  
谷口も人並みに感傷というものを持ち合わせているらしく、またお前と同じクラスだといいなと  
気味の悪くなるようなことを言い、すぐに合流してきた国木田にも同様のことを言っていた。  
クラスのそこかしこから同じような声が漏れ出て、まるで幽霊が集会でもやってるような有り様である。  
今生の別れでもあるまいし、これはちょっと大げさなんじゃないのか。  
「僕だってキョンと同じクラスだったらいいと思うよ。キョンは違うの?」  
そんなわけはない。国木田、お前や谷口とはできれば四月からも一緒がいい。  
そのような趣旨の返事をすると、谷口がにやにや笑いながらツッコミを入れてきた。  
「俺たちだけか? 誰か忘れてるんじゃないのか」  
「なんのことだ?」  
「いい加減、素直になれよ、キョン」  
いい加減も何も、俺は素直に生きてるつもりだ。  
「僕にでもわかるあからさまな嘘をついてもしょうがないって」  
国木田の追随に、俺は言葉に詰まってしまった。  
俺はいつからオオカミ少年になったんだ。  
 
いつまでも話していてはチャイムが鳴ってしまうので、そこそこで俺たちは席に戻った。  
俺の場合、教室に入ったとたん谷口に捕まってしまったため、戻るんじゃなく着くんだけどな。  
 
俺の席の後ろにいる女子生徒は、めずらしく別の女子生徒と談笑していた。  
そんな光景をクラスで見たことの無かった俺は、不思議な表情をしていたらしい。  
「なによ、キョン」  
座っているほうの女子生徒が口を尖らせてきた。  
触らぬ神にたたりなしの精神で、俺はかばんを机の横にかけ、着席しつつはぐらかす。  
「いや、何も」  
答えながら、奇妙な違和感を覚えた。だがそれがなんなのか、掴み切れずにすり抜けていった。  
 
俺をよそに立っているほうの女子生徒、たしかクラスメイトの阪中だ、が言葉を継ぐ。  
「それでね、昨日、ルソーを散歩に連れて行ったら、いつものコースを通ってくれたのね」  
「J・J、もう散歩大丈夫なんだ?」  
「うん、お医者さんもお墨付き。涼宮さんたちにはほんと感謝してるのね」  
阪中は涼宮ハルヒと俺を交互に見ながら、感謝の言葉を述べた。  
なんとなくそうせにゃならん気がしたため、振り返って阪中と涼宮ハルヒを視界に入れる。  
「幽霊がいなかったのは残念だけど、J・Jが元気そうでなによりだわ」  
阪中に答えた涼宮ハルヒは、照れ隠しなのか、ぶっきらぼうな口調だったが、顔は笑っていた。  
その表情に、俺は驚いていた。コイツ、こんなキャラだっけ?  
思わずまじまじと見つめてしまう。それを見逃してくれるほど、甘くはなかった。  
「さっきからなんなのよ、キョン。あたしの顔になんか文句あんの?」  
笑い顔から不機嫌へ急降下を遂げた涼宮ハルヒは、俺に突っかかってきた。  
俺ぐらいなら簡単に壁に押し付けそうな剣幕に耐え切れず、俺は素直に白状した。  
 
「涼宮が笑うところなんて、初めて見たから、つい」  
 
「は?」  
涼宮は、俺の言った意味がわからないとばかりに、俺を見たまま口を半開きにした。  
阪中も怪訝な顔で俺を見てくる。なんだ? そんなに俺は変なことを口走ったのか?  
 
自分の言葉を反芻して、もしかしてセクハラ発言だったのかと思い始めたとき、涼宮が口を開いた。  
「キョン、あんた頭大丈夫?」  
どういう意味なんだそれは。とりあえず文字通りに解釈しておくか。  
だが俺は至って正常だ。違和感の正体に気付くぐらいにな。  
「涼宮、そっちこそなんの心境の変化だ? 俺のことをキョン、なんてあだ名で呼んで」  
さっきの違和感はこれだった。  
明日で一年は終わりになるが、それまで一度たりともあだ名で呼ばれたことなんざなかったぞ。  
そもそも、席こそずっと近くだったが、そんなに親しい間柄でもなかったしな。  
質問に質問を返した俺に、涼宮は答えもせずに、また俺のあだ名を呼んだ。  
「キョン?」  
なんだよ、その宇宙人でも見たような不安げな顔は。  
ああ、涼宮にとっては不適切な比喩だったか。涼宮なら不安どころか喜ぶもんな。  
宇宙人のほかに、超能力者と未来人だっけ。なんかまだいたような気がするが、忘れた。  
 
涼宮と阪中の視線に晒されながら、さてなんと答えればいいのやらと思っていると  
担任の岡部が入ってきて、ホームルームと相成った。慌てて自分の席に戻る阪中を横目に  
俺も返事をうやむやにして、前を向く。岡部があと一日でどうたらこうたら言いだしたのを  
聞き流しながら、俺は後方から押し寄せる形容不可能なプレッシャーを背中に感じていた。  
 
修了式を明日に控えて授業があるわけもなく、本日の予定は大掃除だけである。  
酸素を求めて水面に上がってくる金魚の気持ちがわかるほど、息苦しさがピークに達していた俺は  
率先して教室の外に出て行き、あちこち掃除しまくった。掃除って、気持ちいいものだったんだなあ。  
俺は今なら、掃除好きの心情を理解してやってもいい気がした。  
 
掃除が終わり教室に戻った俺は、できるだけ谷口や国木田と話すことに時間を割いて  
じっとこっちを見てくる涼宮に気付かないフリをした。  
勘弁してくれ。  
俺が何をしたと言うのだ。  
 
 
やっと終わった。なんつう一日だ、今日は。  
「谷口、国木田、ゲーセンにでも繰り出すか?」  
居心地の悪い一日をなんとかやり過ごした俺は、かばんを提げ二人に声をかけた。  
本来なら校則違反だが、あいにく俺はそこまで校則を遵守する人間ではなかった。  
だからといって、わざと校則を破ってやる、などとも思っちゃいないけどな。  
 
俺の提案に、二人は変な顔を見せてくる。またこの表情か。阪中と同じだ。  
谷口が、口を開いた。  
「今日は例の活動はないのか?」  
「なんだそれは?」  
今日は、妙なことを言ってくる人間ばっかだ。  
活動ってなんのだ。俺にそんな情熱があるわけないだろうに。  
俺の疑問に答えたのは、谷口でも国木田でもなかった。  
「いいっ加減にしなさいよ!」  
その声とともに、俺の体が浮きかける。  
背後から制服の襟首をつかんで、俺を引っ張ったのは、  
「キョン、笑えない冗談を続けられても、こっちは全然面白くないの!」  
涼宮だった。  
「それに何? あんたSOS団をサボる気? あたしの目の黒いうちは、そんなことさせないわよ!」  
俺に抗議する間も与えないほど一気にまくしたて、制服ごと俺を引きずりだす。  
あっけに取られる谷口と国木田を見ながら、俺は抵抗しても無駄だと悟った。  
やれやれ、今日は厄日だ。  
 
制服が破れてはかなわないので、引きずられながら涼宮を説得し、立たせてもらう。  
手を離した涼宮は、重心を前に置いて歩き出す。肩を怒らせて、ずんずんと早足でだ。  
有無を言わせぬその背中に、俺もしぶしぶついていく。  
目的地? そんなのは俺が知りたいね。  
 
渡り廊下を越えたところで、俺にも目的地がわかった。  
足を運んだことはないが、たしかここは文化部の部室棟だな。  
涼宮は、立ち並ぶ扉のひとつで足を止めると、ノックもなしに開け放った。  
「あっ、涼宮さん。こんにちは」  
すると部室の中から、甘い声が聞こえてきた。俺も扉の前まで進み部室を覗く。  
そして目を疑った。  
「キョンくんも一緒だったんですか。いま、お茶の用意をしますね」  
メイド姿のかわいい女の子が、俺に微笑みかけてきたのだ。  
いや、女の子と呼ぶのは失礼か。小柄だが、小学生というわけではない。  
なにより、ゆったりしたメイド服の上からでもわかるふくらみが、それを否定していた。  
それに、彼女も俺のあだ名を呼ばなかったか? おい俺、いつ知り合ったんだ。  
 
ぼけっとしてると、涼宮が振り返って眉をひそめた。  
「そんなとこで突っ立ってないで、さっさと入りなさいよ」  
「あ、ああ」  
部室の中へ入る。メイド服姿の美少女にばかり気を取られていたが、中にはさらに二人いた。  
黙々と分厚い本を読んでいるショートカットの女子と、ぺらぺらの微笑を浮かべている男子である。  
二人ともパイプ椅子に座っている。そのうち薄いほうが声をかけてきた。  
「どうしたんですか? まるで今日、初めて知り合ったような顔をして」  
その通りなんだよ、と返事をしようとして、そうじゃないことに気付いた。記憶を探る。  
たしか、この優男は、  
「九組の古泉だったか?」  
先日の球技大会で、司令塔の位置に居座ってキラーパスを出しまくってた奴だ。  
名前を覚えていたのは、俺と同じディフェンス役だった谷口が悔しそうに何度も言ってたからである。  
谷口からの連想で、美少女の名前も思い出す。北高の女神こと、朝比奈みくるさんだった。  
メイド服姿なので、一瞬わからなかった。不覚。  
残り一名の女子生徒の名前は浮かばなかったが、いかにも影が薄そうだから仕方あるまい。  
影が薄くても同じクラスならわかるんだが、そうじゃないとこからすると、別のクラスだな。  
 
「たしかに僕は九組の古泉ですが……」  
古泉は安物の笑みを少し困ったように歪め、  
「涼宮さん、何かあったんですか?」  
正面向かって奥、いちばん偉そうな席に腰を下ろした涼宮に話を振った。  
「知らない」  
明らかに不機嫌とわかる表情で、涼宮は机に備え付けてあったパソコンをつけた。  
不機嫌になりたいのはこっちのほうだぜ。だから俺は言ってやったのである。  
 
「で、涼宮。なんで俺をここに連れてきたんだ?」  
さっき涼宮が言った名称を添えて。  
「SOS団だったか。宇宙人にテレパシーでも送るのが目的なのか?」  
 
部屋を沈黙が覆った。  
古泉は笑みを消し、俺を見たまま動かない。  
文学少女も本を読む手を止めて、俺に視線を注いでいる。  
朝比奈さんも、急須を傾けたまま、俺を見て固まっておられた。湯のみからお茶がこぼれる。  
そして涼宮はというと、席を立ち、無言で俺に歩み寄ってきた。  
身構える俺より早く、ネクタイをつかんで猛然と手前に引く。顔近いぞ。  
「それ本気で言ってんの、キョン」  
そう言った涼宮の顔はやや口元がひきつってはいるが、笑っているように見えた。  
しかし笑っているのではない証拠に、俺を覗き込む瞳は怒りに揺らめき、声も低かった。  
馬鹿力でネクタイをつかまれ苦しかったが、俺は声を振り絞って肯定の意を示す。  
「ああ」  
次の瞬間、ネクタイに加えられていた力が抜けた。踏ん張っていた俺は支えきれず後ろによろめく。  
体勢を立て直し、涼宮を再び窺うと、そこに浮かんでいた表情は、呆然だった。  
目を見開き、手はネクタイをつかんでいた姿勢のまま、中空にさまよわせている。  
そんな涼宮を見たのは、初めてだった。  
 
何か声をかけるべきなのか、言葉を探していると、不意に涼宮が動き出した。  
向かった先は本棚だ。そこから一冊、分厚い装丁本を抜き出し、俺に向き直った。  
何をするつもりだ、って、まさか。  
 
そのまさかだった。  
涼宮は、手に持った本を振りかぶると、俺の頭を目掛けて、振り下ろした。  
「うわっ!?」  
目測が誤っていたのか、それともわざとか、俺の前方を通過する。  
体を反らして回避しなくても、当たっていない距離ではあったが、俺は肝を冷やした。  
「どう、下手な芝居は止める気になった? 次は当てるわよ」  
涼宮の目はマジだった。思わず俺は声を張り上げる。  
「よせ、やめろ涼宮、死ぬって!」  
「涼宮さん、やめてください!」  
緊迫感のある声とともに、古泉が席を蹴った。パイプ椅子が倒れこみ、金属質の音を立てる。  
そのまま古泉は、再び本を振りかぶっていた涼宮を後ろから羽交い絞めにした。  
「放しなさい! 放せ!」  
抵抗する涼宮に、古泉はあくまで放す手を止めない。  
「いいえ、放しません。落ち着いてください、涼宮さん」  
「うるさい! これだけは、この悪質な冗談だけはあたしは許せない!」  
「彼がそんなことをする人でないのは、涼宮さんがよくご存知のはずでしょう!?」  
古泉の声も切迫していた。  
 
「つまり、彼はなんらかの事情によって、SOS団のことを覚えてないんですよ!」  
 
涼宮の動きが止まる。手から本が滑り落ちた。鈍い音があがる。  
「覚えて、ない?」  
古泉の言葉を反復した涼宮は、その言葉すらも信じられないように、俺を見てくる。  
「そうとしか思えません」  
諭すような古泉に、涼宮は顔を動かし、文学少女を見た。わずかな動きで首肯する文学少女。  
次に朝比奈さんに動かす。半泣きでおろおろしている。そして背後の古泉を見て、また俺に視線を移した。  
 
しばらく押し黙っていた涼宮は、急に明るい声を出してきた。  
「まさかそんなわけないわよね。昨日まで普通だったじゃない」  
無理をして作ったような笑顔で話しかけてくる。  
「ね? キョン、何か言いなさいよ。ほら」  
痛々しささえ垣間見える涼宮に、俺は応えてやりたかったが、嘘で繕うわけにもいかなかった。  
「すまん」  
俺の一言に、顔を硬直させる涼宮。口を動かすが、声をなさない。  
 
涼宮の瞳が揺れる。目がそっと閉じられ、糸が切れたように涼宮は古泉の腕の中へ、崩れ落ちた。  
 
 
「長門さん、これは一体、どういうことなんですか?」  
涼宮を保健室に連れて行った後。  
再び部室へ戻ってきた俺たちは、椅子にそれぞれ腰掛けていた。  
俺がおとなしく席に着いている理由は、どう考えても俺に関係することだからである。  
顔見知り程度の人間が、旧知の間柄のような態度を取ってきたら変だろ、普通。  
それに、知り合いも朝から俺を見る目がおかしい。これで変だと思わないほうがどうかしてる。  
さらに言えば、涼宮が気絶するなんて、天地がひっくり返ってもありえないと思っていた。  
疑問を処分する当てもない在庫のように抱えたまま家に帰っても、ひたすら寝つきが悪いだけだ。  
 
冒頭の発言は、古泉のだ。呼びかけた相手は、文学少女。長門さんと言うらしいな。  
名前を聞いて、なんとなく思い出したのは、文化祭のとき黒ずくめでギターを弾いていた姿だ。  
ボーカルが涼宮だったことで、しばらくクラスの話題を集めていた。たしか隣のクラスだ。  
 
同学年だから、呼び捨てにしておく。長門は古泉の問いかけに、口を開いた。  
「当該メモリがこの人の記憶領域から抜き取られている。この場合、当該メモリとはSOS団を指す」  
なんのこっちゃ。俺にはさっぱりだが、古泉にはわかったらしい。  
「単なる記憶障害とは違うということですか?」  
「そう」  
長門がうなずく。  
「いわゆる記憶障害は、物理的な働きかけないし加齢により、当該メモリにアクセスする能力が  
減退することを言う。アクセス先の情報が存在しなくなるわけではない」  
古泉を見たまま、話を続ける。  
「そしてこの人は、アクセス能力に問題は認められない」  
「なるほど。文字通り、記憶喪失というわけですか」  
なるほどなのは古泉、お前と長門だけだ。朝比奈さんも首をひねってらっしゃるぞ。  
と、俺は思ったんだが、朝比奈さんも話が理解できているらしく、神妙な態度で二人を見ていた。  
俺だけが部外者か。仕方ない、ここは我慢の一手だ。  
「ところで、このような手段を取ることができる存在というとやはり……」  
古泉の言いよどみに、長門が言葉を継ぎ足した。  
「情報統合思念体」  
 

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