ここまで確認したところで、古泉は俺に向き直った。  
「昨日の、そうですね、午後四時以降のあなたの行動を教えていただけませんか?」  
馬鹿丁寧な奴だな。タメに敬語を使わんでもいいだろうに。  
だが、その前にだ。  
「なんでもいいから、俺がSOS団とやらにこの一年いたという証拠を見せてくれ」  
いくら俺でもはっきりさせておきたいことはある。  
百聞は一見にしかず。涼宮が気絶しようと、この目で見るまで確信はできなかった。  
 
俺の質問に反応したのは、朝比奈さんだった。  
「えっと、あの福笑いはキョンくんが昨年末に自分でやったものですけど」  
指差した先に貼ってあるのは、たしかに俺の特徴をよく捉えている福笑いだった。  
ですけど朝比奈さん、顔がぐちゃぐちゃで、これだけじゃ確証にはなりませんよ。  
「それじゃ、ええと……あ、写真がたくさんあるのを忘れてました」  
と言って、朝比奈さんは黒板に俺を誘導する。  
たしかにそこに貼ってある写真のうちの何枚かには、俺が写っていた。  
俺の寝顔、古泉と水着姿で並んでる俺、得意満面の涼宮と敷かれてる俺。  
ハイタッチしてる俺と谷口に微笑みかけているチア姿の朝比奈さんと、ダグアウトにいる長門。  
打ち上げと銘打って、ウェイトレス姿の朝比奈さんを囲んでいる俺たち。妹まで写っている。  
「それと、こんなのもあります」  
朝比奈さんがおずおずと差し出してきたのは、冊子だった。文芸部の機関誌か。  
「文芸部と書いてありますが、実際に作業を行ったのはわたしたちSOS団です」  
たしかに編集長涼宮ハルヒとあった。中身を見てみると、俺の名前が執筆者の一人として記載されてある。  
該当ページを読んでみた。三ページ目ぐらいで俺が書いたものだと確信して閉じる。  
というか、どういう経緯で俺はこの恥ずかしいエピソードを披露することになったんだ。誰か教えろ。  
「ありがとうございます。朝比奈さん」  
俺がSOS団にいたことは疑いようもなかった。おかしいのは俺で間違っていないようだ。  
記憶がなかったとは言え、涼宮には悪いことをしたな。あとで謝ろう。  
 
 
全面的に協力する気になった俺は、椅子に座りなおすと、古泉に話しかけた。  
「昨日の午後四時以降だな、わかった」  
そうだな、昨日も短縮授業だったから、谷口や国木田と昼メシを食った後、ぶらぶらして  
別れたのが四時ぐらいだったはずだ。チャリをこいで帰ったのが四時半前。見覚えのない  
ネコが家にいて、妹がシャミセンとか呼んでたのが記憶によく残ってるな。  
その後、メシを食って風呂に入って、さっさと寝た。九時過ぎには寝てたな。  
「こんなもんだが、どうだ?」  
我ながら中身のない説明を終えた俺に、間髪入れず古泉は問い返してきた。  
「なぜ、そんな早くに就寝したんですか?」  
「なぜって、それはだな」  
なんだったか。思い出したくない部類だった気がする。ああ、そうだ。  
「チャリが石を踏んで、一日にケチがついた気がしたからだ」  
それを聞いて、古泉は長門に目配せを送る。古泉を見つめる長門。  
「その場所へ僕たちを案内できますか?」  
「アバウトな位置でいいなら」  
通学路だから、アバウトと言っても、かなり正確だとは思うけどな。  
だが、石を踏んだことぐらいがなぜ問題になるんだ。  
「世の中は、意外となんでもないことが重要だったりするんですよ」  
古泉はまったく説明になってないことを言うと、  
「ああ、そうでした。あと少々、言っておかなければならないことがあります」  
気持ちの悪いことにウインクをしながら人差し指を立て、自分の唇に当てて、ポーズをとった。  
「涼宮さんと僕たちの秘密について、です」  
 
 
「……それを、信じろと?」  
数分にわたる説明のあと、俺が最初に発した言葉がこれだった。  
「できれば。最低でも、涼宮さんの部分だけは信じてもらわなければなりません」  
答えた古泉ではなく、朝比奈さんを見る。真面目な顔をしていた。  
長門はどこを見ているかわからない。自己紹介も辛辣だったしな。  
「わかったよ」  
記憶喪失を自覚している俺がいるぐらいだ。超能力者や未来人や宇宙人がいても不思議じゃないさ。  
 
 
「それでは、まず涼宮さんを起こしにいきましょう」  
俺たちを引っ張る役は、どうやら古泉がするようだ。  
「涼宮さんを必要以上に刺激しないためにも、あなたは先に帰ったことにします」  
「それで大丈夫なのか?」  
俺のことはどう説明付けるつもりなんだ。  
「大丈夫です。僕たちがフォローしますから。それに一両日中には解決してみせます」  
右手で自分を、左手で朝比奈さんと長門を紹介しながら、古泉は自信を持って言った。  
さらに付け加えてくる。  
「念のため、携帯電話の電源は切っておいてください。合流するまで自宅にも帰らないように」  
「わかった。どこで何時に待ち合わせだ?」  
「四時に光陽園駅前でどうでしょう」  
古泉の提案に、俺は即答しかねる。  
「四時まで時間潰せるかな」  
駅前で暇つぶしに使える場所はコンビニぐらいしかなく、昼過ぎの今から四時まで  
居座れる根性は、俺にはなかった。涼宮と遭遇する可能性が消せないのもマイナスだ。  
 
仕方ないか。少し足を伸ばして、北口で時間を潰そう。そう思ったときだった。  
「わたしの家で待てばいい」  
口を開いたのは長門だった。俺に視線を合わせず、そのままつぶやく。  
「集合場所にもなる。合理的」  
古泉に俺は無言の視線を向ける。どういう意図なんだ、この発言は。  
肩をすくめる古泉。朝比奈さんは口に手を当て、顔を赤く染め驚いてらっしゃるようだ。  
「お前は俺を嫌ってるんじゃないのか?」  
自己紹介といい、決して目を合わせない態度といい、そうとしか思えん。  
長門はあさっての方向を見たまま答える。  
「嫌悪感を抱いているわけではない。無関心」  
自分を宇宙人と紹介した女子生徒は、無表情で俺の心を再度えぐってきた。  
「あの人と情報を共有していないこの人は、わたしにとっては他人に等しい」  
末期ガン告知をする医者でも、もう少し温かみを持って話しかけてくると思うぐらいの淡々さだ。  
「この人には、わたしはいかなる葛藤も生じない。提案はそれが最も妥当であると判断したため」  
 
明らかに俺に対する返答なのにこの人この人、って繰り返されると、辛いものがあるな。  
俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、長門はかばんから鍵を取り出すと、古泉に手渡した。  
古泉経由で俺に渡ってくる。マンションの場所と部屋番、暗証番号も教えて、いやつぶやいたのが耳に入った。  
 
「あとひとつだけ。あなたの涼宮さんに対する呼称は涼宮ではなくハルヒです」  
部室から廊下に出ながら、古泉が声を差し伸べてきた。  
「その点だけ留意してもらえれば、不意に遭遇してもやり過ごせると思います」  
安い笑顔でも、面を向かって話してくれただけで救われた気になるから不思議だ。  
では、と手をひらひらさせて背を向けた古泉とそれに従う二人を見て、疑問が湧いた。  
「待った。俺からもひとつ質問させてくれ」  
足を止める三人。うち二人が俺に向き直った。  
「なぜ涼宮、いやハルヒは気絶したんだ?」  
例えば谷口が俺と同じ状態になったとして、俺が気絶するかと言ったら、断言してもいいが、しない。  
ましてあの涼宮だ。朝比奈さんが気絶するならともかく、俺には理解できない。  
 
「涼宮さんにとって、SOS団とともにあったこの一年間はかけがえのない、大切なものだったんですよ」  
と、古泉。  
「それを反古にされたときの衝撃は、察するに余りあるものがあります」  
そこでいったん間を切って、可笑しそうに言葉を付け加えた。  
「ということにしておきましょう」  
「なんだよ、それ」  
ただの作り話か、今のは。  
「いえ、作り話ではありませんよ。ただ、全てではないだけです」  
「じゃあ、全部教えてくれてもいいじゃないか」  
問いただす俺に、古泉は含みを持たせた笑顔を見せてくる。  
「今のあなたに全てを教えるのはフェアではありません。それで納得してください」  
そう言うと、古泉は、朝比奈さんに目配せをした。  
目配せに目配せを返すと、朝比奈さんはこちらをとろけさせるような微笑みを向けてきた。  
「ごめんなさい。あとのことは」  
人差し指を立てて、唇に当てる。茶目っ気とわかる表情で、そっと吐息を音に変えた。  
「禁則事項です」  
 
 
普通の人間ならパンクしてもおかしくないぐらい、奇怪な状況に立たされているはずだが  
釈然としない部分を抱えつつも冷静さを保っている俺は、やっぱりあっち側なのかもしれんな。  
実は俺も何か特殊能力的なものを抱えた人間だったりして。なわけねえか。  
でも朝比奈さん可愛かったなあ。さっさと記憶を取り戻したい。  
きっと今、俺の記憶にある一年より、数千倍も魅力があるにちがいないからな。  
しかし腹減った。弁当はあるから、コンビニで飲み物買ってから行くか。  
坂を下りながら考えてたのは、こんな支離滅裂なことだったのさ。  
 
708号室。それが長門の部屋だった。鍵を差し込み、ドアを開ける。  
「おじゃまします」  
慣習が口を突いて出た。靴を脱いで上がる。突き当たりに殺風景なリビングがあった。  
カーテンは掛かっているが、見事にテーブル以外何もない。いや、それは不適当か。  
テーブルの上に三毛猫のぬいぐるみが置いてあったのと、壁に何かが丸めて立てかけてあった。  
興味が湧いた俺は、かばんをテーブルのそばに置いて、丸められてるものを広げてみた。  
「ツイスターゲーム?」  
なぜ唯一あるものがこれなんだ。一瞬、長門がひとりで黙々と体を動かしている図を想像してしまう。  
無表情のまま、指示に従って、手足をあちこちに付く長門。きわどい姿勢になって――  
「ありえん」  
シュールすぎる。とにかく、長門が持ち込んだものではないな。それはわかった。  
丸めて、元の位置に立てかける。メシ食うか。  
 
メシを食ったあと、手持ち無沙汰になった俺は、かばんから冊子を取り出した。  
朝比奈さんに頼んで貸してもらった文芸部、もといSOS団製作の機関誌である。  
俺が何を書きやがったのか不安だったのと、書いたものを読むことで  
少しでもSOS団メンバーの性格や、俺の立場が理解できるんじゃないかと思ったから持ってきた。  
まずは、俺の作品から読むか。どこまで書いてあるか気になって仕方がない。  
機関誌と呼ぶには分厚すぎるその冊子に手を掛けると、俺はページをめくり、読み始めた。  
 
 
俺の恋愛小説とやらは、無難な出来だった。  
ただ、ミヨキチの本名やあだ名、学年や年齢までそのまま書いてある点が気になった。  
この俺は何を考えていたのだろうか。プライバシーを侵害しまくりな気がするんだが。  
それに口コミでミヨキチの両親まで伝わったら、ミヨキチが叱られることになるぞ、これだと。  
まあ、たかが高校で出した機関誌にそこまで心配する必要はないか。  
 
勝手に納得した薄情な俺は、ほかの作品も読み進めていった。  
朝比奈さんの絵本は、絶対誰かの手が加わってるな、こりゃ、と思えるシロモノだった。  
微笑ましい作風に戦記物っぽい要素をぶち込んだのは誰だ。出て来い。台無しだ。  
長門は意味不明なポエム、古泉は笑顔同様、安っぽいミステリだった。  
涼宮に至っては、文字どころか数学の公式みたいな記号の羅列だからどうしようもない。  
驚きだったのは谷口や国木田まで寄稿してあったことだ。ま、どうせ書かされたんだろうな、きっと。  
一番楽しめたのは、鶴屋さんなる二年生による、冒険小説だった。  
他人の家にいながら、思いっきり笑い声を上げてしまった。この人はいったい、どんな人なんだろう。  
 
あまりにも面白くて、鶴屋さんの小説を何度も読み返している最中だった。  
インターホンが客の到来を知らせる。部屋に何もないからか、澄み渡るような音がこだました。  
「はい」  
受話器を取って普通の応対をしてから、思わずしまったと舌打ちしたくなった。  
古泉たち以外なら、どうすりゃいいんだ。女子生徒の家に一人でいる男子生徒。怪しすぎる。  
だが、それは杞憂だったようだ。  
『古泉です。降りてきてもらえませんか』  
受話器越しに聞こえてきた声は、安普請の家の壁ぐらいの薄さだった。  
「わかった」  
返事もそこそこに、かばんに機関誌をしまって長門の部屋をあとにする。  
いつの間にか、時間は四時過ぎになっていた。  
 
マンションの外へ出た俺は、真っ先に長門に部屋の鍵を返した。  
「ありがとよ」  
長門が手を差し出す。その上に鍵を置こうとしたら、指の間をすり抜けて鍵は地面に落ちた。  
それを拾う長門、って待て。今、わざと落とさなかったか? 俺から直接受け取りたくないってわけか。  
さすがに温厚な俺も、顔がひきつるのを感じた。というか、どこが無関心なんだ。  
言ってることとやってることが全然違うじゃないか。  
 
「それでは、案内してもらえますか?」  
俺の内心をよそに、古泉が声を出した。気持ちをなんとか静め、飲み込む。  
「とりあえず、自転車置き場に行こう」  
 
ほかの三人はチャリ通ではないらしく、手押しで通学路を進んでいく。  
「涼宮の容態はどうだったんですか?」  
古泉と会話するより、朝比奈さんと話したほうがいいに決まってる。  
そう思う俺に同意する男子は、九割以上に違いない。  
「キョンくん、涼宮じゃなくてハルヒです」  
朝比奈さんは俺の言葉尻をとらえて訂正したあと、  
「目覚めた当初はぼーっとしてましたが、突然『あたしどうして保健室なんかにいるの?』って」  
愁いを帯びた表情を見せる。  
古泉が横から会話に割り込んできた。  
「どうやら、涼宮さんも記憶障害に陥っているようでした。もっとも」  
ちらっと長門に視線を送って、  
「記憶障害ではなく、長門さんの言葉を借りると、自覚的なアクセス拒否だそうですが」  
視線を送られた側は淡々と、  
「いつまでもアクセス拒否を先延ばしにはできない。先延ばしにすればするほど、反動がくる」  
「反動とはなんだ?」  
物騒な言葉の説明を求める。端的に長門は答えを導いた。  
「原因となるデータの記憶領域からの消失」  
長門は前方を見ながら、言葉を足す。  
「つまり、早急にこの人の記憶を取り戻し、対処しなければ」  
少し間を置いて、ぽつりと言った。  
「涼宮ハルヒはあの人の記憶まで忘れてしまうことになる」  
 
古泉は大げさに両手を広げ、天を仰ぐ。  
「そうなっては、世界の終わりです」  
言ってる内容の割には、深刻そうではなかった。  
「もっとも、そうならないように僕たちがいるんです」  
 
「この辺だ、たしか」  
会話している間に、目的地に着いていた。  
アスファルトで舗装されてはいるが、歩道もない、車がギリギリ二台通ることのできる道だ。  
近くにあった自販機にチャリを横付けする。  
「なんか見つかったか?」  
古泉に問いかける。古泉は俺の視線を反射して長門に送る。  
長門は地面の一点を、見つめていた。  
「な、何があるんですか?」  
朝比奈さんが俺の後ろに隠れつつ、凝視して動かない長門に声をかける。  
「位相空間へ移行する」  
長門はそれだけ言うと、とてもじゃないが聞き取れない速度で、何かをささやいた。  
視界が歪んだと思うと、突如として澄み渡る。  
次の瞬間、俺たちは見渡す限りの草原にいた。  
 
「ひええっ!」  
朝比奈さんが俺の腕にしがみついてきた。当たってますよ、朝比奈さん。  
しがみつかれたまま、周囲を見回す。くるぶしぐらいまでの長さの草が広がっているだけだ。  
「また、この空間ですか」  
古泉は手に赤い球体を出現させ、それを眺めていた。  
疑うつもりはなかったが、古泉と長門って本当に超人だったんだな。  
「今度は、何が出てくるんですか?」  
古泉に答える代わりに、長門は指を前方に向ける。  
空間に亀裂が走り、割れたように思えた。  
徐々に実体化する物体を見て、俺は声を上げる。  
「ショウリョウバッタ?」  
 
「どうやら、そのようですね」  
実体化したのは、平べったくて細長いバッタだった。大きさは比じゃないが。  
「あれは任意の情報を管理、保全する情報生命体の亜種。本来であれば無害」  
「今は有害なのですか?」  
赤い球体をもてあそびながら、古泉が質問する。  
「馴致可能なため、飼い主である情報統合思念体の思惑次第。今回の場合、有害だと思われる」  
と言った長門は、視線をバッタからあさっての方向へそらす。  
俺も、つられてそっちを見る。  
 
さっきまで何もいなかったところに、北高の制服を着た女子生徒が立っていた。  
当然、俺に見覚えなどあるはずがない。  
ふんわりした髪を中分けしてヘアピンで留めている女子は、これまた  
ふんわりした笑顔とともに、俺たちに挨拶をした。  
「こんにちは、みなさん」  
 
「喜緑さん……?」  
俺にしがみついたままの朝比奈さんが、疑いを含んだ声を漏らした。  
朝比奈さんは知っているらしい。古泉もそのようだ。長門が口を開く。  
「喜緑江美里、状況の説明を求める」  
「状況の説明だなんて、そんな」  
長門の追及を、喜緑江美里と呼ばれた女子は軽くいなした。  
「わたしは、上の指示通りにやっているだけです」  
罪悪感の欠片も感じられない、無垢な笑みだった。  
長門は動じず、追及の手を緩めない。  
「あなたの派閥の?」  
「いいえ、長門さん。主流派のです」  
喜緑さん、と呼んでおく、のその言葉に、長門は動きを止めた。  
古泉が眉根を寄せて、考え込む仕草をする。  
朝比奈さんは、首を傾けた。  
 

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