「うっさいわね、谷口の分際で」  
俺が教室の扉を開けてまず聞こえてきた言葉が、それだった。  
見ると、自分の席に座ったハルヒが見上げながら谷口をにらんでいる。  
めずらしいな、ハルヒが谷口と会話してるなんてよ。  
石ころじゃなかったのか。まあ、最近ハルヒも落ち着いてきたからかもしれん。  
「なんだと」  
谷口も売り言葉に買い言葉だな。何があったんだ?  
「それがさ」  
遠巻きに二人を眺めていた国木田が寄ってきて、事情を説明してくれた。  
 
なんでも、最初に声をかけたのは谷口だったそうだ。  
そりゃそうだよな。こんなまだ寒い時期に野球大会があるでもなく、映画撮影も予定してない。  
文芸部の機関誌だって、先日作り終わって全てはけた。谷口はオモシロ日常エッセイだったか。  
SOS団的になんの用事もなく、したがってハルヒが谷口と関わることなど何もないはずだった。  
「ほら、谷口って彼女にフラれちゃったじゃない?」  
ああ、そんなこともあったな。  
「いつかキョンに言ったと思うんだけど、谷口ってキョンのこと相当うらやましがっててさ」  
それはずいぶん前の話だな。映画撮影のときか。谷口の奴、予定をキャンセルしてまではせ参じたんだっけ。  
「そうそう。それでね、涼宮さんに原稿料を要求するうちにぽろっと言っちゃって」  
原稿料? ずいぶんと無駄なことを要求しやがったもんだ。  
「で、なんて言ったんだ?」  
国木田は谷口の口調を真似て、  
「キョンにはチョコをあげたくせに、俺にはなんの見返りもなしか、って」  
「……」  
谷口よ、そこまで病んでいたのか。すまんな、近くにいたのにわかってやれなくて。  
いつか言った、干支が一回りする間くらいに素晴らしい女と巡り合えるだろう、ってのを  
高校卒業くらいまで、に訂正しておくぜ。俺にできることはそれぐらいしかない。  
ちなみに断っておくが、ハルヒからチョコをもらったなんて、俺は誰にも言ってないぞ。  
 
「それでこの状況か?」  
「うん」  
はて、ハルヒらしくないな。図星ですと言ってるようなもんじゃないか。  
「僕でもわかってたよ、キョンが涼宮さんからチョコもらったことは」  
そうかい。それでもだな、ハルヒなら無視するはずなんだが。  
不思議に思った俺は国木田に向けてた顔を動かし、なおも言い争っている二人を見た。  
 
「あんたなんかただの部外者じゃないの。団員と同待遇を受けられると思ったら大間違いよ」  
ハルヒがにべもなく谷口に告げる。  
「団員だからやったってことか?」  
「そうよ。団長が団員をねぎらうのは当然でしょ」  
なんか文句ある? と言わんばかりの態度だ。  
谷口が気圧されたのも無理のないことだと思うね。  
「だ、だがな、無報酬で毎回毎回、俺や国木田を巻き込んでんじゃねえよ」  
勝手に僕を含めないで欲しいな、と横の国木田がぼやく。  
「なによ。ヒマそうなあんたらに時間の有意義な使い方を提供してあげたんじゃない」  
どこまでもハルヒは強気だった。  
「それとも呼ばなかったほうがよかった?」  
「ぐっ……」  
谷口の敗色は濃厚だな。口でハルヒに勝てるわけがない。  
そもそも、始めからして谷口の暴走だからな。勢いが止まれば終わりだ。  
 
「なんかまだ言いたいことある? なければこれで終わりね。当然、原稿料なんて出さないから」  
ぴしゃりと言い放ったハルヒの締めで、どうやら谷口の負けは確定したようだった。  
傷心の谷口を慰めてやるか。個人的には敢闘賞をくれてやってもいいぐらいだ。  
そう思い、歩み寄ろうとした俺の耳に、肩を落とした谷口の声が聞こえてきた。  
「……くそっ、結局俺は涼宮に振り回されたままか。ドッキリに始まって野球、映画、会誌。  
キョンと付き合って少しはマシになったかと思えば、これだ」  
そのまま谷口は声に自嘲の色をにじませ、  
「呼ばれたくなかったのかと言われれば、そりゃ呼ばれたかったさ。涼宮の笑顔なんて  
見る機会、中学時代にはなかったからな。でもこれじゃ貧乏くじの引きっぱなしだぜ」  
 
突然シリアスになった谷口に驚いているのは、俺だけではなかった。  
ハルヒが口を半開きにして谷口を見上げている。あのハルヒがだ。  
「谷口?」  
「あん?」  
ハルヒに呼ばれて顔を上げた谷口は、遅ればせながら自分が何を口走ったか悟ったらしい。  
「あ、いや、何言ってんだろうな、俺。思ってもねえことを」  
慌てて弁明する谷口を見ながら、そういやこいつとハルヒの付き合いは俺より長いんだよな、とふと思った。  
古泉もいつか言ってたし俺もこの目で見たが、中学生のハルヒは無愛想なガキだった。  
高校に入学してしばらくのハルヒと思ってくれればいいだろう。たぶんずっとああだったに違いない。  
そんなハルヒといっしょに3年間同じクラスで過ごした谷口にとって、今のハルヒは別人なんだろうな。  
なぜだかわからないが、俺は谷口のことが少しうらやましくなった。  
 
谷口の弁明が一通り終わると、ハルヒは開いていた口を動かした。  
「……まあいいわ。キョンとあたしがどうこうってのは、聞かなかったことにしてあげる」  
そう言うと、席を立ち、谷口の肩をポンと叩く。  
「次もよろしく」  
「あ、ああ……」  
次に呆然とするのは、谷口の番か。  
ぶっきらぼうな言い方だったが、ハルヒにそう言ってもらえるなんて相当なもんだぜ、谷口。  
俺は自分の記憶を探って、ねぎらいの言葉をかけられたことがあるか検索してみた。ねえよ。  
俺が忘れてるだけかもしれんが、「おつかれさま」とか「ありがとう」と言われたためしがない。  
行動や態度でそれとなく示してもらったことなら、あるんだがな。  
「勘違いするんじゃないわよ。あんたがそれなりにSOS団に貢献してくれたことを感謝したんだからね」  
ハルヒが付け加えた言葉に微笑ましいものを感じていた俺は、次のハルヒの発言を聞き逃しそうになった。  
「ところで、ドッキリってなんのこと?」  
ドッキリ、ドッキリね。なんだったかな。言われたような記憶はあるんだが。  
立ち直った谷口は訝しげな顔を作り、  
「そりゃ、あのことだろ。放課後、俺が教室に入ったらキョンとなが――」  
「だああああああああああああっ!」  
 
なんのことか思い当たった俺は思わず叫んでしまった。教室中の視線が俺に集まる。  
しかし周囲を気にしている場合ではない。  
「おい谷口! それは言うな!」  
そう言って俺は駆け寄る。何も考えずに谷口の口を封じようと思ってのことだったが、邪魔が入った。  
ハルヒのやつが俺の進路を塞ぐように立ったかと思うと、速度を落とした俺に合わせるように  
ステップをひとつ送って横にどき、足を引っ掛けてきやがったのだ。  
「うおっ!」  
あまりの体さばきに反応しきれなかった俺は、前のめりに無様に転ぶ。  
そしてハルヒは床に転がった俺の上に乗しかかり、体重をかけてきた。そのまま谷口に声をかける。  
「言いなさい」  
谷口は、俺とハルヒを交互に眺めた。言うなよ、谷口。視線に力を込める。  
 
結局、言わないわけにはいかないまでも、俺の意を汲み取ってくれたらしい。  
「だから、教室に入ったら、キョンと長門がいたんだよ。俺を脅かすドッキリじゃなかったのか?」  
肝心な部分はぼかしてくれた。助かったぜ、谷口。  
ハルヒは、谷口の問いには答えず疑いを発する。  
「何してたの、その二人」  
「それは――」  
踏まれたまま谷口の代わりにうまいこと言おうとした俺だったが、さらに体重をかけられて黙らされる。  
「キョン、あんたには聞いてない。あたしは谷口に聞いてんの。で?」  
「さあ。何か話してるみたいだったな。俺は慌ててすぐに出て行ったから、内容まではわからん」  
嘘とホントを交えながら言う谷口。  
「ふうん。それっていつのこと? 十二月?」  
十二月と言ってやれ。それならすべては丸く収まる。  
年末の冬合宿で山荘に閉じ込められたとき、長門から相談を受けたと俺は言ったからな。  
だが、谷口にそこまで期待するのはさすがに無理だったようだ。  
「ドッキリに始まって、って言っただろ。五月の終わりか、六月の最初か。とにかくそのへんだ」  
「なるほどね。ありがと、谷口」  
げっ、ハルヒが谷口なんぞに感謝の言葉を述べてやがる。俺は猛烈に嫌な予感がした。  
その後ハルヒは、初めて俺の上に乗っかっていたことに気付いたかのようにすっくと立ち上がり  
ほこりを払いながら同じく立った俺に、ニヤリと不気味な笑いをひとつくれた。  
 
その日の授業は最悪だった。  
不気味な沈黙を守ったハルヒを背にしながら、授業に集中できるわけないだろ。  
休み時間のたびに教室から出て行ってくれるのは、救いだったが。  
 
「あんなんで良かったのか?」  
昼休み。いつものように机をつき合わせ、谷口や国木田と昼飯を食っていると谷口が言ってきた。  
ハルヒは学食だからいない。  
「ああ、ありがとよ」  
とりあえず礼を言っておくか。言い方によってはどうなっていたことか。  
「それっていつか谷口が言ってた、教室でキョンと長門さんが絡み合ってたってやつ?」  
口を挟んできた国木田にうなずく谷口。食べていたものを飲み込むと、  
「まさかホントのことだったとはな。俺はてっきり涼宮のドッキリかと思ってたぜ」  
そう言い、俺を見る。なんだよ、その視線は。  
「二股とはいいご身分じゃねえか。よく今までバレなかったもんだ」  
「誰が二股だ。谷口、お前は勘違いをしているようだが、断じて俺とハルヒは付き合ってなどいない」  
それにだ、  
「お前が見た俺と長門のことだって、あれは恋愛沙汰なんかじゃねえんだよ」  
詳しく説明すると俺の脳が疑われそうなので、できないがな。  
こんなあいまいな説明でも、案外納得してくれるものらしい。  
「キョンに二股なんてできる度胸があるわけないって」  
国木田がウインナーをほおばりながらそう言うと、谷口も、  
「それはそうなんだがなあ。ま、がんばれや」  
投げやりだな、おい。朝のシリアス感は、どこへ行ったんだ。  
「いいんだよ。あんときはむしゃくしゃしてたが、涼宮の言葉で吹っ飛んだぜ」  
現金な野郎だ。  
だが、あのときのハルヒは、たしかに好感が持てた。  
よくよく考えると、谷口はハルヒの口から名前が出る、数少ない人間のうちの一人だ。  
昔の俺が憧れてたポジションにいる男、それが谷口なのかもしれんな。  
 
放課後、部室に入ると、すでに全員が顔を揃えていた。  
「遅かったじゃない、何してたの?」  
遅いも何も、俺は普通に歩いてきただけだ。  
パトロールのときもそうだが、みんなが早いのであって俺が遅いのではない。  
ハルヒにとってはどうでも良かったらしく、あっさり先に進めた。  
「ま、いいわ。みんな揃ったことだし、ミーティングを始めましょう」  
「ミーティングだと?」  
俺が聞いていないのは言うまでも無い。  
「そ、ミーティング。あ、でもその前にひとつ」  
と、ハルヒが顔を向けた先にいるのは、  
「有希、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」  
本を読んでいる長門だった。長門は文面を追っていた顔を上げ、ハルヒを見る。  
 
「なに」  
「あのね、去年の五月の終わりから六月初めのことなんだけど」  
そのことかよ。  
「放課後、一年五組の教室でキョンと会わなかった?」  
「会った」  
あっさり肯定する長門。それはいいんだが、どうやってごまかす気なんだ?  
「何を話してたの?」  
「眼鏡属性について」  
「は?」  
あっけに取られるハルヒだったが、それは俺もそうだ。そう来るとは思わなかったぜ。  
朝比奈さんもなんのことかさっぱり話が見えないようだし、古泉は苦笑している。  
「眼鏡をしてないほうが可愛いと言われた」  
「……あんた、ホントにそんなこと言ったの?」  
ハルヒがじとっとした視線を送ってきた。これは正直に答えるしかないんだろうなあ。  
「ああ」  
仕方の無いこととはいえ、無性に恥ずかしいぞ。  
「ふうん。それで有希、眼鏡をつけなくなったのね。謎がひとつ解けたわ、ありがと」  
俺のほうをにらみながら言うセリフじゃないだろ、それ。  
長門は長門で役目は終わったとばかりにゆるゆると読書の続きに戻るし、俺はどうすりゃいいんだ。  
 
ハルヒは何やら言いたそうな顔だったが、とりあえずこの場は不問に付してくれたようだ。  
「その件は今日のところはいいわ。本題に入りましょう」  
そう言うと、ホワイトボードにでかでかと文字を書き始めた。  
二文字目ぐらいで俺はなんのことかわかってげんなりする。古泉に目をやると  
また苦笑してやがる。まあ苦笑するしかないよな。ついに来たかって感じだ。  
そうか、朝のハルヒが谷口につっかかってたのは、これが理由かもしれんな。  
 
「今日のテーマはこれよ!」  
手の平でホワイトボードを叩く。ばんっといい音がする。  
 
『ホワイトデー』  
 
その文字が書かれてあった。笑いながら怒鳴りつけてくる。  
「キョンも古泉くんも、まさか忘れてたわけじゃないでしょうね?」  
忘れてなんかいないさ。むしろお前が忘れてたのかと思ったぜ。  
お返しに何が欲しいか考えておく、なんて言っておいて、もう三月だしな。  
朝比奈さんや長門も何も言ってこなかったが、それはこっちの自由意志に任せるという意味だと解釈し  
一丁前にチョコなんぞ渡してきやがった妹へのお返しと同じ、三毛猫のぬいぐるみを渡す予定だった。  
「もちろん、忘れるはずがありません。何を所望されるのか、ずっと待っていました」  
端的に俺の言いたいことを古泉が言ってくれた。  
ハルヒはその返事に気をよくし、  
「そう! 色々考えたんだけどね、どうしてもふたつから絞れなくて。それでね」  
と、七夕のときに使った短冊の余りを二枚、二つ折りにして握り、差し出してきた。  
「引いて出たのを、プレゼントしてちょうだい。お互いに見せたり教えたりしちゃダメよ」  
つくづく、くじ引きの好きなやつだ。  
「それではお先に失礼して」  
断りと共に、古泉が一枚短冊を引いた。それから俺が余りを引いて、中身を読んだ。  
「ん?」  
なんだ? これは。これを本当にハルヒが書いたのか?  
同じく中身を読んでいる古泉の表情を伺う。貼り付いた微笑は変わらないな。  
もう一度見直す。一字一句読む。さっきと同じだ。  
ハルヒ、お前はいったいどういうつもりなんだ。  
 

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