短冊に書かれてあったのは、これだ。  
『この一年間の感想及び来年度への抱負』  
ハルヒがこんな面白くもなさそうなものを望むとは思ってなかった。  
いったいどういう心境の変化なんだろうな。  
 
「何か質問があるなら受け付けるわよ」  
ハルヒの表情からは、何もわからない。  
そんな俺をよそに、古泉が挙手する。  
「古泉くん、どうぞ」  
許可を受け、古泉はさわやかな笑顔をしながら口を開いた。  
「ホワイトデー当日は土曜日なのですが、どのような手段でお渡しすればよいのでしょうか」  
「あ、それを言ってなかったわね。あたしは別にバレンタインのときと同じ方法でもいいわよ」  
ハルヒはこともなげに言ったが、あんなことをするのは、一度きりでたくさんだ。  
イエスマン古泉もそう思ったようで、  
「女性方に肉体労働を強要させるのも忍びないですし、できれば別の手段が好ましいです」  
オブラートに包んだ言い方をした。古泉だからこそ映える言い回しだな。  
「そう? それなら、土曜日は不思議探しをすることにして、集まったときに渡してもらおうかしら」  
そう言ってハルヒは朝比奈さんと長門に視線を送り、  
「みくるちゃんと有希も、それでいいわよね?」  
「えっ? あ、は、はい。それでいいです」  
突然話を振られた朝比奈さんは慌てながら返事をし、長門は無言で首を縦に動かした。  
「わかりました」  
古泉もあっさりとその案を受け入れた。俺には振ってこない。  
用事がないと決め付けられるのも、もう慣れたね。  
 
「そういえば、みくるちゃんと有希は何を頼んだの?」  
自分の用件が済んだハルヒは、ほかの二人が気になったらしい。  
「あたしは、その……おまかせしようかなって」  
俺や古泉の顔をちらちら見ながら、答える朝比奈さん。  
はにかんでうつむき加減なのが初々しくていいね。  
だが団長さんはそう思わなかったようだ。眉をひそめる。  
「もったいない。頼めばなんだってお返ししてくれるのよ?」  
なんでも、というわけにはいかんが、朝比奈さんが望むなら少々高くてもお返しするだろうな。  
「みくるちゃん、謙虚すぎると背が伸びないわよ!」  
支離滅裂なことを言うな。大体、ハルヒにはわからないんだろ。  
自分のために、相手が悩んでプレゼントを選んでくれるうれしさをな。  
三人ともに三毛猫のぬいぐるみを贈ろうと思ってる俺が言えた義理ではないが。  
 
「もう! じゃあ有希もそうなの?」  
「そう」  
実にロスなく返答をする長門に、ハルヒは頭をかきむしり、天を仰ぐ。  
「あー、どうしてこう、遠慮する子が多いのかしら!」  
わけがわからないと言わんばかりに、  
「もしも選んできたものが、どうでもいいものだったらどうすんのよ!」  
言いたいことはわからんでもないが、選んでくる本人たちを目の前にして言う言葉じゃねえよ。  
自分が要求してきたのも、現国の作文みたいなものだろうが。  
心が荒んでくるのを感じたので、朝比奈さんを眺めて癒す。  
「ちょっとキョン! なに鼻の下伸ばしてんのよ!」  
俺の平穏はどこだ。  
 
それからしばらくぶちぶち文句を言い垂れたハルヒだったが、  
「じゃあ、ちゃんと土曜日、忘れずに持ってくること。いいわね!」  
と念を押すと、ミーティングの終了を告げた。  
そのまま団長席に腰掛け、マウスをカチカチ言わせ始める。  
「あっ、お茶淹れますね」  
朝比奈さんは初めて思い出したように席を立ち、湯飲みを並べだした。  
長門は無言で読書を続けている。  
古泉はかばんを漁ってクロスワードパズルの雑誌を出し、こっちを見る。  
やろうってことか。まあ構わんが。  
ようやく俺が渇望していた、いつもの日常が戻ってきたか。  
 
ぱたんっ、と長門が本を閉じ、今日の活動は終了だ。  
「おい、古泉。そのクロスワード懸賞が当たったら半分よこせよ」  
「それはもちろん」  
セコイ奴かと思うかもしれんが、俺の小遣いだって限られたものなのである。  
そういう意味じゃ、今回のハルヒの要求には助けられた。時間なら余ってる。  
「お金に困っているのでしたら、この間も言いましたが」  
「却下だ」  
古泉提供の怪しいバイトなんざやってられるか。内容が真っ当でも却下だ。  
肩をすくめる古泉を横目に、かばんを持ったハルヒが寄ってきた。  
「じゃあキョン、いっしょに帰りましょ」  
「ああ、そうだな」  
って、  
「なんでだよ!」  
 
「なんでって、ほっとくとあんた古泉くんにお返しの内容訊くでしょ」  
「そうまでして隠さなきゃいけないものなのか?」  
とてもそうは思えなかったが、ハルヒにとっては違うらしい。  
「そうよ。だから学校にいる間は、あたしがあんたを監視するから」  
なんのためのお返しなのか、わからなくなってくるぜ。  
「もちろん、携帯もね。古泉くん、キョンからメールや電話が来ても無視しなさい。いいわね?」  
「わかりました」  
古泉の唯々諾々ぶりがうらめしい。  
釈然としないまま、朝比奈さんの着替えを待たせるわけにもいかず、部室を出た。  
 
そして、今は坂を下っているところだ。もちろん横にいるのはハルヒである。  
すたすたと早足で歩く姿には、二人で帰宅してる情緒もへったくれもないな。  
「なあ」  
「なによ」  
そんなつっけんどんに返事しなくてもいいだろ。  
「なんで短冊にあんなこと書いたんだ?」  
「あんたがどっちを受け取ったのか知らないから答えない」  
たしかにそれはそうだな。俺が受け取ったのは、  
「ストップ、あたしにも言わないで。それも楽しみのひとつなんだから」  
「そうか」  
そう言われると、訊くこともできないな。  
黙り込む俺の顔を、ハルヒは何を思ったのかしげしげと見てくる。  
「なんだ?」  
問う俺に、ハルヒはこっそりいたずらを仕掛けた妹のような笑顔を返した。  
「なーんにも」  
 
家に帰った俺は、妹を適当にあしらい、シャミセンの面倒を押し付け、机に向かった。  
この一年間の感想及び来年度への抱負とやらを書くためだ。  
備品のノートパソコンもしばらく借りることにして持ってきた。さて、どこから始めるか。  
そうだな、やっぱ始めるならあの日からだろう。俺は指をキーボードの上に滑らせた。  
 
 
 正直な話、最初にハルヒの自己紹介を聞いたときは、高校生にもなって夢見る少女か、  
などと、俺は思った。現実と折り合いをつけて妥協していくのは、中学で習うことだと  
俺は思ってたからな。だが、連休明けからのお前の行動力には、舌を巻くしかなかった。  
文芸部室ごと長門を引き入れ、朝比奈さんをとっ捕まえ、転校生の古泉も仲間に入れて  
一気にSOS団を立ち上げたんだからな。バニーガールでビラを配って目をつけられたり  
コンピ研から、犯罪すれすれの行為でパソコンを奪ったのは、やりすぎだと思ったが。  
俺が「無いなら自分で作れ」みたいなことを言ったから、お前はやったのかもしれないが  
本当に形にしてしまったことに関しては、まあなんだ、少しだけ、すごいと思ったかな。  
 SOS団を立ち上げてからは早かったな。不思議探しに関しては、未だに意味があるのか  
よくわからんが、休日に集まってわいわいするってのもこれはこれでいいもんだと思う。  
野球やら部長氏行方不明事件やら団を挙げての活動もあったし、夏休みに入ってからは  
合宿をやったよな。古泉が気を利かせて面白い出し物をしてくれたが、たとえなくても  
俺は一生あの合宿を忘れないぞ。滅多に無い経験をさせてもらったと自慢し続けてやる。  
夏休みも過ぎるのは早かったが、遊び倒して、百年分ぐらいの夏休みを過ごした気分だ。  
最後の日の勉強会も、今振り返ると、いい思い出だ。  
 秋に入ってからも相変わらず突っ走られて、俺は少々息切れを感じていたかもしれん。  
ウェイトレスやバニーガール姿を披露させられた朝比奈さんは、少し可哀想だと思ったし  
その朝比奈さんや長門を備品扱いしたことに関しては、知ってのとおり怒ったりもした。  
それでも楽しくなかったわけじゃないぞ。楽しかったからこそ、言いたくもなったんだ。  
それがクリスマス前に出たのかな。楽しさのあまり、油断を欠いてしまっていたらしい。  
あのときは、本当に迷惑をかけた、すまん。  
 
全てを書けないってのは、もどかしい上にひやひやするな。  
果たしてこれでいいのか、さっぱりわからんのもなんとも言えん。  
まあ今日はこれくらいにして、また明日書くか。  
妹が晩御飯を知らせてきたのを機に、ディスプレイを閉めた。  
 
「おはよ」  
次の日、坂下で寒そうに足踏みして俺を待っていたのは、  
「遅いじゃない、あんたいっつもこんな時間に通ってんの?」  
ハルヒだった。ええと、登校のときから監視なのか?  
「そうよ。じゃないと何かの拍子に古泉くんと会うかもしれないじゃない」  
「そうかい」  
もう呆れ声しか出すしかないだろ。  
そのまま俺はハルヒと並んで、登校した。谷口や国木田に会わないことを願いつつ。  
 
幸い、俺の願いは叶えられた。  
教室に入ると、国木田と谷口が雑談していたのだ。  
「おっす」  
谷口が俺に声をかけてくる。  
ハルヒはそのまま俺の横をすり抜けると、自分の席に腰掛け、外を見だした。  
「うっす」  
並んで教室に入るぐらいはこれまでにも無くはなかったから、怪しまれずに済んだようだな。  
「おっはよ、キョン」  
国木田の声も届く中、俺は談笑の輪に加わるべく、歩みを進めた。  
たまには、普通の男子高校生らしいこともしたいじゃないか、なあ?  
 
しかし俺の普通の男子高校生生活は、あっさり瓦解を迎えてしまった。  
昼休み、いつものように谷口や国木田を席を囲んだ俺だったが、なぜか机は四つあった。  
四つ目の机の上に弁当を広げおいしくなさそうに食べてるのは、  
「なに?」  
ハルヒだった。今日は弁当なのか。  
「ええ、作ってきたわよ。普段は面倒だし、しないんだけど」  
そう答え、プチトマトを口に放り込む。  
「なんで急に涼宮が俺たちとメシ食うことになってんだ?」  
谷口の疑問ももっともだと思うね。そりゃ、誰だって知りたいだろう。  
ハルヒ、お前が責任もって答えろ。  
「ちょっとワケあってキョンを監視しないといけないのよ、今週一杯」  
「監視?」  
とこれは国木田。それでわかるわけないよな。  
しかし世の中には邪推をする人間というものが存在した。  
谷口がニヤニヤしながら、訳知り顔で言ってきやがったのだ。  
「へっ、なるほどな。キョン、ニクイねえ」  
「何がだ」  
「またまた。照れる必要なんかないぜ、色男」  
こいつは絶対勘違いしているに違いない。  
国木田も何、納得気にうなずいてんだよ。  
「僕らは席をはずしたほうがいいかな?」  
「そんなことせんでいい。こいつは置物かなんかだと思っとけ」  
ありがた迷惑だ。昨日の谷口じゃないが、なんだかむしゃくしゃしてきたぜ。  
俺は自分の弁当にやり場の無い怒りをぶつけることにした。  
 
冷やかされ続けた昼休みが終わり、放課後だ。明日もまたこうだと思うと嫌になるぞ。  
朝比奈さんの顔を早く拝まないと、俺は爆発してしまうかもしれなかった。  
だから、部室のドアをノックし笑顔で迎えられたときに感じた感覚は  
オアシスをついに見つけた行き倒れ寸前の旅人のようなものに近かったはずだ。  
愛らしい容姿と淹れてくれたお茶は、俺をなごませるのに十分以上だったしな。  
 
そして今日も長門の締めで解散、下校の運びとなった。  
古泉とクロスワードを解いてる最中に、聞き出す機会はいくらでもあった気がするんだが  
ハルヒがいると思うと、できなかった。というより、別に聞き出す必要もないだろ、もう。  
「ねえ」  
この横にいるハルヒの機嫌を損ねてまですることじゃない。  
「結局有希とは、なんだったの?」  
「かっ、げほっ、ごほっ、な、なんだよいきなり!」  
心構えする時間くらいくれ。思いっきりむせてしまったじゃねえか。  
挙動不審になってしまった俺に、ハルヒはさらに突っ込んできた。  
「眼鏡ないほうが可愛いって言われたって言ってたけど、あれって遠まわしな告白じゃないの?」  
「そんな意図で俺は言ってねえ。単に俺の好みがそうだっただけだ」  
ポニーテールとかな、と心の中で付け加える。  
「ふうん。じゃあ、なんで放課後にわざわざ教室で会ってたの?」  
相談ネタは雪山で使ってしまった。白昼夢扱いになっている出来事だが、ハルヒは覚えていた。  
あれをもう一度持ち出すのは、嘘ですと言ってるようなもんだろう。  
真実を言うわけにはいかない。となると、これしかないか。俺はハルヒを信頼して告げた。  
「悪いが言うことはできん。だが何かあったわけじゃないのは、団長のお前ならわかるだろ?」  
雪山では俺や長門の態度が不審だったから、問い詰められたんだ。  
あの時は、そんなことはなかったはず。頼むぜ、ハルヒ。  
ハルヒはさすがに訝しげな顔をしたが、それで済んだ。笑顔を作って、答えてくれた。  
「そうね、たしかにそうだわ。訊かないであげる」  
 
ハルヒとは駅前で別れ、しばらくして俺は家に着いた。  
今日はパソコンを起動する前にしなきゃならんことがあるため、そそくさと服を着替えて外に出る。  
 
一時間半後に帰ってきたとき、俺はラッピングされた袋を三つ手に提げていた。  
中身は、わかるだろ。三毛猫のぬいぐるみだ。ホワイトデーはもうあさってだからな。  
明日買いに行ったのでは、万が一品切れになっていたりするかもしれなかったから、念のためだ。  
よし、これであとは、ハルヒの分だけになった。晩御飯を済ませてから、続きに取り掛かった。  
 
 
 退院してすぐ、鍋パをしたよな。トナカイギャグは、我ながらつまらんかったと思う。  
鶴屋さんが大笑いしてくれなかったらどうなっていたことか。いくら感謝しても足りん。  
鍋パの後、長門の家でやった二次会も楽しかった。クリスマスを有意義に過ごせたのは  
いつ以来だろうな。まだサンタクロース氏を信じていた、ガキの頃まで遡るかもしれん。  
俺の友達がいきなり長門に告白しやがったこともあったな。あの時は勘違いさせてすまん。  
その次は、年末の冬合宿か。妹が紛れ込みやがったのには兄として謝らなきゃいかんな。  
雪山で白昼夢を見たのには大笑いだったが、遭難せずに無事降りてこれてほっとしたぜ。  
古泉の余興はみんなで楽しめたし、多丸さん兄弟や新川さん森さんもいい味出してたよな。  
映画撮影のときから仲間になったシャミセンも一役買ってくれた。俺には解けんかったが。  
夏の合宿とはまた別に、いつまでも記憶に残る出来事だったと思う。  
 新年は初詣にあちこち行きまくったほかは、スロースタートだったな。だが、ああいう  
日々も大切なんだと思うぞ。朝比奈さんはお茶を淹れ、長門は読書。古泉とはゲームをし  
お前は団長席にふんぞり返る。俺は、そういうときがいちばんSOS団の団員だってことを  
自覚するね。ありふれた日があって初めて、イベントが楽しくなるんだ。そうだろう?  
バレンタインはそういう意味じゃまさにサプライズなイベントだった。盛り上げるために  
色々考えてくれたよな。朝比奈さんや長門も徹夜してくれて、俺は団結を強く意識したぜ。  
あのとき俺が言った「SOS団を頼んだぜ」って言葉を実行してくれたのはすぐ後だったな。  
俺の小説の出来は割愛するとして、長門のため、SOS団のために、生徒会長に立ち向かう  
お前は、まあその、立派だったぜ。  
 この一年、俺にとってはまったく悔いの残らない日々だった。いや、成績は除くがな。  
高校に入学したときは、まさかこんな面白い一年になるとは、想像もできなかったぜ。  
月並みで悪いが、SOS団があったことを、今は感謝してる。ありがとよ、ハルヒ。  
 
これを俺が書いたのか。  
やべえ。読み返すと、異様に恥ずかしいことを書いてる気がする。  
だが推敲してる時間はあまりないな。よく考えたら、明日ノートパソコンを持って行って  
プリントアウトしなけりゃならん。急いで抱負のほうに取り掛からねば。  
今日は徹夜になるのを覚悟で、俺はキーボードを叩き始めた。  
 
「ふわーあ」  
徹夜にはならずに済んだが、それでもいつもの半分も寝てない。  
あくびをかみ殺しながら登校するのも、見逃してもらいたいね。  
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ」  
俺の頭を軽くはたきながら呆れ声を出してきたのは、ハルヒだった。  
「朝からテンション高いな、お前」  
「あんたが低すぎるだけでしょ」  
返す言葉も無い。そのとおりだからだ。  
ハルヒはしきりに目をしばたたかせる俺を見ていたが、声を投げかけてきた。  
「で、そろそろ用意できた? 明日よ、ホワイトデー」  
「ああ、まだちょっとやらないといけないことがあるが、大体できた」  
「ふうん」  
なにげない様を装っているが、どこか期待してる雰囲気を感じた気がした。  
あまり期待されても、それに応えられるかわからんぞ。  
俺の視線をどう受け取ったのか、ハルヒは目線を横にずらすと、  
「ま、せいぜいがんばんなさい」  
ぽつりとつぶやいた。  
それは激励と受け取っておくぜ。  
 
昼休み、谷口のからかいや国木田の好奇の視線の中、俺はさっさか弁当を片付けた。  
かばんを抱えて席を立った俺を、ハルヒが問いただす。  
「むぐ、どこ行くの?」  
口に物を詰めたまましゃべるんじゃありません。  
「部室」  
そう答えて立ったまま待つ。ハルヒもついて来るだろうと思って。  
しかしハルヒは手をひらひらさせただけで、再び弁当に集中しだした。  
「ついて来ないのか?」  
わざわざ朝から監視してるのに、ここでついて来なかったら片手落ちじゃないか。  
「部室なら平気よ、有希がいるはずだもん」  
卵焼きをつっつきながら、ハルヒが答えた。  
「それにね、古泉くんのほうにも、実は監視役を置いてるのよね」  
「誰をだ?」  
「みくるちゃん」  
今は鶴屋さんと三人で食事中じゃないかしら、とハルヒは付け加えた。  
古泉の野郎、そんなこと一言も言ってなかったぞ。  
朝比奈さんと登下校したり、会話を弾ませながら昼食を進ませている図を想像し  
またその姿がやけに似合っているようにも思え、無性に腹が立ってきた。  
さっさと部室に向かおう。それが一番だ。俺は教室を出た。  
 
ハルヒが言ったとおり、部室では長門が静かに読書をしていた。  
「よう」  
俺の軽いあいさつに目礼をすると、また視線は本の上に戻った。  
さて、プリントアウトしなけりゃな。俺はノートパソコンを取り出し、起動させた。  
 
ディスプレイの上に表示される文字列を、もう一度読み返す。  
推敲はもちろん、下手なことを書いてないか、確認するためだ。  
よし、特に問題はなさそうだな。印刷の指示を送り、プリンターが紙を吐き出し始める。  
手持ち無沙汰になった俺は、長門を眺める。黙々と本を読んでいる姿は、絵になるな。  
ああ、そうだ。事の顛末を報告しておいたほうがいいか。  
 
「なあ、長門」  
呼びかけると、視線を上向けてきた。目線で続きを促してくる。  
俺は昨日のハルヒとのやり取りを、身振り手振りを交えながら述べた。  
 
「……と、いうわけでハルヒは納得してくれたみたいだが、これで良かったか?」  
相づちぐらい打ってくれればもっと話しやすかったんだが、仕方ないか。  
「いい、と思う」  
長門は短くそう答え、さらに俺を見据えてきた。  
なんだ? まだ何か俺は言わなきゃいけないのか?  
続く言葉を探しあぐねていると、長門の表情が固まってきたように思えた。  
慌てて俺は付け加える。  
「ええと、これで全て言ったんだが、まだ何かあるか?」  
「なにも」  
そう言いながらも、俺をじっと見てくる。  
「長門?」  
「なに」  
「いや……」  
どうしろというのだ、この状況を。  
触れたら切り刻まれそうな視線を受けながら、俺は冬なのに汗を背中に感じた。  
 
長門の氷のような視線に最後まで答えられなかった俺は、チャイムの音に助けられ  
プリンターから原稿を取ると、部室を後にした。なんだかわからんがすまん、長門。  
教室に帰ったら帰ったで、ハルヒの視線に晒されるし、踏んだり蹴ったりだぜ。  
だが、教室には俺以上にぼろぼろの奴がいた。谷口だ。  
物理的にぼろぼろになっているところを見ると、谷口の奴、俺をからかうようなノリで  
ハルヒに声をかけたに違いない。いくらハルヒが優しい面を見せたからといって  
調子に乗ると、そうなることぐらいわかるだろうが。  
国木田と視線が合うと、俺の考えを補強するかのように、国木田は肩をすくめて見せた。  
 
「ごめんなさい、涼宮さんから口止めされてたんです」  
湯のみを置きながら、朝比奈さんが舌を少し出した。  
「いや、いいんですよ。朝比奈さんに含むところなどあるわけがありません」  
お茶を口に含み、俺にできる限り最高の笑顔を返す。  
ハルヒは団長席に座りネットをし、長門は昼のことがなかったかのように、静かに本を読んでいる。  
今日もSOS団は平和だった、少なくともうわべは。  
「それは、僕に含むところはある、と解釈していいのでしょうか」  
「当たり前だ」  
古泉には冷たい視線を返す。古泉は両手を上向け、肩をすくめた後で、  
「たしかに朝比奈さんと登下校をするのは、幸せなひとときでしたね」  
と流し目を朝比奈さんに送りやがった。朝比奈さんも顔を赤く染めてうつむかないでください。  
なぜこの僥倖に俺はありつけなかったのだ。世の中の不平等を嘆くぞ。  
「心外ですね。あなたも涼宮さんと登下校なさったではないですか」  
「だからなんだってんだ。心休まるときがなかったぞ」  
まあ、ちょっとはあったかもしれんが、朝比奈さんとは比べようにもならん。  
 
「キョン、あんた、あたしと登下校するのに文句あんの?」  
部室での会話をしっかり聞いていたハルヒは、下校中に蒸し返してきた。  
噛み付いてくるなよ、ハルヒ。大体、これは監視目的なんだろ?  
「む……ま、それはそうなんだけど」  
不承不承うなずくハルヒ。  
「そもそもだな、朝比奈さんとならなんの気兼ねも無く雑談できるが」  
と、俺は諭すように言葉を連ねる。  
「お前とだとどうしても話題がそっちに行っちまうだろ」  
「そうね。あたしもやっぱり気になるし」  
「えらく素直だな」  
「なによ、悪い?」  
「いーや」  
そうしてるお前のほうが、俺はいいね。  
「バカ」  
ハルヒは怒った顔を作った。もっとも本気じゃないのは、とっくに学習済みさ。  
こんな会話が続くのなら、ハルヒと登下校するのもいいかもな。  
 
そうして家に着いた俺を玄関で迎えたのは、妹だ。なんだよ、その物欲しそうな顔は。  
「キョンくん、明日なんの日かわかってるー?」  
あのな、催促してくるのはハルヒだけで十分だ。  
「あまり急かすと、やらんぞ、お前には」  
俺の言葉が効いたか、妹は両手で口をふさぐとコクコク首を縦に振った。  
「わかればよろしい」  
ったく、誰だ妹にホワイトデーまで教えやがった奴は。  
こっちは明日のことで精一杯だってのによ。  
 
朝食後にぬいぐるみを妹に渡したら、何もそこまで喜ばなくても、と思うぐらい喜ばれた。  
早速シャミセンと引き合わせてお見合いさせる妹に、ぬいぐるみがボロボロになるから  
やめとけ、と忠告しつつ、俺は内心まんざらでもなかったね。  
SOS団の三人も、喜んでくれたらいいんだが。  
 
「罰金だな、わかった」  
口を開きかけたハルヒの機先を制して俺は言った。口を開けたまま固まるハルヒ。  
「遅れてすみません。さて、喫茶店に入りましょう」  
朝比奈さんに声をかけてから、長門や古泉にも視線を送り、そのまま移動しだす。  
振り返った俺の背中に、怒鳴り声が聞こえてきた。  
「こらー! 団長のあたしを置いていくなー!」  
 
「それじゃ、早速例のものを出してもらいましょうか」  
俺のおごりである飲み物が出揃うや否や、ハルヒが宣告した。  
それに唯々諾々と従う気は俺には無い。  
「朝比奈さん、こないだはどうもありがとうございました。つまらないものですが」  
と、朝比奈さんにぬいぐるみの入った袋を手渡した。  
子犬のような目を返されたので、どうぞ開けてくださいと手を上向けて差し出す。  
袋を開けた朝比奈さんは、中身を見て笑顔をもらす。  
「わあ、かわいい猫さん。あ、これもしかしてキョンくんのおうちの?」  
「ええ、シャミセンです。かわいがってやってください」  
「ありがとうキョンくん。大切にしますね」  
妹みたいにはしゃがないが、それだけに感謝の意がやわらかに伝わってくる気がするね。  
用意した甲斐があったというもんだ。  
 
ハルヒの方向は見ないことにして、次は長門に袋を渡す。  
「長門、お前もありがとな。長門もこいつをかわいがやってくれ」  
袋を受け取った長門は口を開け、中身を確認すると、俺をじっと見てこくりと了承の意を示した。  
意思表示は相変わらず少ないが、俺の目には穏やかな顔をしているように見えたね。  
長門、この一年色々あったが、二年生になってからも、楽しい毎日を共に過ごそうぜ。  
 
さて、いい加減、正面に座っている人物と顔を合わせなければならないようだ。  
古泉も苦笑してるしな。お前はさっさと渡せばいいのに、なに傍観してんだよ。  
「ハルヒ」  
団長さんは怒っているのか寂しがっているのか、はたまた拗ねてらっしゃるのか、  
「なによ」  
ぶっきらぼうに答えた。その面に封筒を差し出す。  
「ほらよ」  
こっちもぶっきらぼうなのは、つられちまったからだな。そうに違いない。  
古泉もハルヒが俺のを受け取ったあとに、同じく封筒を差し出した。  
「涼宮さん、これでご期待に添えるかどうか甚だ自信に欠けますが、どうぞ」  
「ありがと、古泉くん」  
おい俺には感謝の言葉は無しかよ。というか、古泉も文書だったのか。  
「そうよ。だからお互い教え合わないようにしたんでしょ」  
辻褄の合っているような合っていないようなことを言って、古泉のほうの封を切る。  
そのまま、文章を黙読し始めた。  
 
ハルヒが読み終えるのを待つ間に、古泉は朝比奈さんと長門にプレゼントを渡した。  
朝比奈さんには、急須とお茶の葉を、長門には、えらく古そうな分厚い本をだ。  
数倍以上俺のぬいぐるみと値段に格差があるような気はしたが、考えないことにしておく。  
 
古泉の文を読み終わったハルヒはかばんにしまい、次いで俺のほうに取り掛かった。  
急須をためつすがめつ見ていた朝比奈さんや、早速ぺらぺらと本の中身を吟味する  
長門を視界にとらえながら、ちらちらとハルヒの表情を伺っていた限りでは  
古泉の文章に何か反応したようには見えなかった。  
うーむ、何が書いてあったのか気にならないと言えば嘘になるなあ。  
 
ハルヒは俺のも読み終えると、同様にかばんの中へしまった。  
「それじゃ不思議探しを始めましょ」  
まあないだろうとは薄々思っていたが、感想なしだとちょっとヘコむな。  
ハルヒは例によって爪楊枝を五本取り出し、手で先端を隠し、差し出してきた。  
正面の俺から引くのかと思ってたら、古泉に向けた。  
古泉が引き、朝比奈さん、長門と引いていく。ん?  
「全員無印ですね」  
古泉が言ったように、爪楊枝に印はついてなかった。  
「あたしとキョンか。ま、いいわ」  
あっさりと述べると、古泉のほうをハルヒは向いた。  
「古泉くん、みくるちゃんと有希は荷物を抱えてるから、近くをエスコートしてあげて」  
古泉はうなずきを返す。  
「わかりました。なんなら僕がお持ちしてもよろしいのですが」  
「受け取ったものを、くれた人に持ってもらうのも興ざめでしょ」  
まさかハルヒがマナーを説くとはな。そこまで気が回る人間だったのか、お前は。  
「うるさいわね。どうしても重ければロッカーを利用してちょうだい。経費は部費から出すわ」  
そしてハーブティを一気飲みすると、笑顔で言った。  
「よし、開始! お昼に再集合ね!」  
めいめい席を立ち、俺は伝票を取り上げた。  
 
「さて、あたしたちは身が軽いんだから、どんどん行くわよ!」  
有言実行とはまさにこのこととばかりにずんずん歩を進めるハルヒ。  
「おい、早すぎだ」  
ジョギングに近いぞ、その速度は。  
しかしハルヒは俺を無視し、さらに速度を上げだした。  
しょうがねえな。俺も足を速めてハルヒの背中を追いかける。  
追いつきかけたかと思ったら、ハルヒは走り出した。なんなんだよ。  
くそっ、そっちがその気ならこっちだってやってやる。俺は思いっきり駆け出した。  
 
「はあ、はあ、なにが、はあ、したかったん、だよ」  
運動神経抜群のハルヒに、ランニングで立ち向かおうってのは甘すぎた。  
数分後、俺は河川敷に備え付けられてあるベンチにもたれかかって、荒い息をついていた。  
「ふう、なによ、あたしの、勝手でしょ」  
同じく息を切らしながらも、ハルヒにはだいぶ余裕がありそうだった。  
「だからって、はあ、走り出すこた、ねえだろうが」  
「あたしだって、走ろうなんて、思ってなかったわよ」  
わけがわからん。とりあえず息を整えることを優先させよう。  
 
しばらくして息は整った。ハルヒは川の水面を眺めている。  
「ハルヒ」  
俺の問いかけにハルヒはただ川を眺めるだけで応えない。  
そう言えば、さっきからずっとハルヒは俺を見やしねえ。  
「いい加減にしろ!」  
俺は理不尽さのあまり、ハルヒの肩をつかみ、強引に俺の方向へ向かせた。  
 
「いきなりなによ」  
体は俺と向かい合う格好になったが、目線は合わせない。  
あからさまなその姿に、俺はピンと来た。  
「お前、なんか後ろめたいことがあるんじゃないのか?」  
「あるわけないでしょ、そんなこと」  
ハルヒは即答したが、目線を合わせない時点で有罪だ。  
「いーやあるね。それもついさっきのことだ」  
ビクっと肩を震わせたハルヒに、俺は確信を持った。  
「お前のことだから、まだ持ってるだろ。出せ」  
「なにをよ」  
「爪楊枝をだ」  
俺の言葉がとどめになったか、ハルヒは、しばらく黙っていたが  
ポケットを漁り爪楊枝を出してきた。五本、全部印などついていない。  
そんなこったろうと思ったぜ。  
 
「なぜこんなことをしたんだ?」  
ハルヒはうつむいたままだ。  
まあいい、時間ならまだまだある。長考させてやろうじゃないか。  
俺はどっしりとベンチに座り込み、ハルヒが口を開くのを待った。  
 
「……からよ」  
十分ぐらい経ちハルヒはその重い口を開いた。  
「なんだって?」  
問い返した俺に、ハルヒは叫んだ。  
「キョンと二人きりになりたかったからよ!」  
 
「……」  
次のだんまりは俺か。  
たしかにそれしか理由はないだろうが、ストレートに言ってくるとは思わなかった。  
ええと、どうしたらいいんだ? 俺は。  
「なんか言いなさいよ」  
ハルヒが視線を合わせずに言ってくる。俺も合わせ辛いぞ。  
「ホワイトデーだからか?」  
「違うわよバカ」  
「違うのか」  
話が続かん。ハルヒもそう思ったのか、語り始めた。  
「……最初の予定では、適当に歩いてから、読んだ感想を発表しようと思ってたのよ」  
ああ、あの文章のことか。忘れてた。  
「みんなの前で言うのも恥ずかしいから、爪楊枝を操作して、二人きりになって、ね」  
「古泉の分の感想は?」  
ハルヒは川のせせらぎを眺め、  
「古泉くんに最初に引かせたでしょ。午後は逆の順番に引かせようと思ってた」  
「なるほど。そうすりゃ、午後は古泉とペアってわけか」  
「そう。それで上手くいったところまでは良かったんだけど」  
「後ろめたくて走り出したってわけか」  
俺のあいづちに、ハルヒはかぶりを振った。  
「違うわ。走り出したのはね、キョンと二人っきりってことを意識しちゃったからよ」  
「……二人きりなら、昨日だって登下校といっしょだっただろ」  
あれだって二人きりであることには違いない。  
「昨日だって意識してないことはなかったけど、こんなにじゃなかったわ」  
 
「文章か?」  
「そう」  
素直に心のうちを述べ立てるハルヒ。  
「あの文章を読んだとき、あたしは本当にうれしかった」  
笑顔を作る。  
「あたしの想像以上に、キョンがSOS団のことを、こんなに大切に思ってくれてるんだ、って」  
川を見ていた顔を動かす。  
「SOS団を作ってよかったって心の底から思えたから」  
視線を俺に向けた。  
「そしてあたしのことも……なーんてね。これはホントだけど嘘」  
舌を出す。  
「どっちだよ」  
「どっちでもいいでしょ! そんなこと」  
笑いながら怒鳴りつけてきやがった。  
「俺にとっては良くない!」  
「あんたね、まだ四月から時間はいくらでもあるのよ。ここで終わらせちゃっていいの?」  
「それはどういう……?」  
「ふふっ、なーいしょ」  
いつものハルヒ節が戻ってきた。  
「キョン、大体あんた、抱負に四月からもがんばってSOS団を盛り上げて行こうって書いてあったじゃない」  
「たしかに書いたが、抱負は睡魔と闘いながら書いたから、ちょっとテンション高いんだよ」  
「そんなことあたしは知らないわよ。平の団員が団長に口答えしないの!」  
やれやれ、満面の笑顔が戻ったハルヒに勝てる奴などいないな。  
なんにせよ、ハルヒはこうでないとな。  
 
「さて、どうする?」  
まだ時間はけっこう残ってるぞ。  
「待って。まだすることあるのよ」  
「なんだ?」  
問いかける俺に、ハルヒは笑って答えた。  
「感想は言ったけど、お礼は言ってなかったでしょ」  
「ああ」  
ホワイトデーのことか。  
 
「キョン」  
俺の名前を呼ぶハルヒ。息を吸って、次の言葉を乗せる。  
「わがまま言ったあたしの願いを聞いてくれて、ありがと」  
初めての感謝の意だった。  
「それとあとひとつだけ」  
そう言うと、ハルヒはそのまま俺に抱きついてきた。  
腕が背中に回される。  
俺を見上げるその顔は、優しい顔をしていた。  
そしてハルヒはその言葉を、慈しむような笑みとともに言ってきた。  
 
「一年間おつかれさま、キョン」  
 
(おわり)  
 

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