「おはよーす」
自分の席にカバンを置き、後ろの席の女に挨拶をする。
「……おはよ」
どうやら昨日に引き続きブルーな様子だな。
まるでクリスマス明けの朝、枕元の靴下に小難しい参考書がどっさり入っていたかのような様相である。
もっとも。今日は俺も何か釈然としない気分を抱えているのだが。
それというのも、昨日の午後、いや部室を後にした記憶はあるから夕方辺りからか?ともかく記憶があやふやというか、どうもハッキリしない。
昨日は確か朝下駄箱に呼び出しの手紙が入っていたから、恐らくはそれに従ってこの教室に舞い戻ったのだろう。
そしてここで「割りにショッキングな何か」が起こった、ような気がする。
そこなのだ。その後家に帰った記憶はあるし、風呂に入って妹を部屋から追い払って布団に入って眠った記憶はある。
部室を出てから学校を後にするまでの、ほんの数十分程の記憶だけが抜け落ちている。
「なあ涼宮」
「何よ」
腕に伏せた顔を少し浮かせ、ジト目でこっちを睨む目玉二つ。全世界にこの陰鬱が広まればいいのに、とでも考えてそうな目だぞ、コイツは。
「俺、昨日の放課後は何してたんだろうな」
「知らないわよ、私はすぐ帰ったんだから」
そらそうだ。俺の知らない俺の行動を早々に帰宅したお前が把握していたらちょいと怖い。
「知らない、ってそれ本気で言ってるの?」
と、横合いから懐疑心に塗り固められた声が割り込んできた。声の主は、
「ああ、朝倉か。おはよう。いや、俺昨日の夕方にこの教室に戻ってきてさ、それ以降の記憶がどうもハッキリしないんだ。お前、何か知らないか?」
「知ってるも知らないも、ホントに忘れちゃったの?」
ああ。どうやら忘れちゃったらしい。というかやっぱ何か知ってるのか。
「そりゃ知ってるわよ。だって昨日、……私が貴方に告白したんだもの」
はぁ。告白したんですか。いいね、青春の一ページ。いいかハルヒ、こういうのが普通の健全な高校生活の送り方ってもんだぞ
……ん?
「ちょっと、待て。誰が、誰に、告白したと?主語と目的語をハッキリさせてもらいたい」
「だから私、朝倉涼子が、貴方、キョンくんに、告白したのよ」
告白ってのはアレか、『刑事さん、私がやりました』ってカンジのか。何をやらかしたんだ朝倉。
「違う。もう、私に言わせる気なの?……結構恥ずかしいんだから」
うつむいて手をモジモジさせる姿は、なんだ、その、流石はAAランク+だ。
いや、これ以上そこには触れまい。して、俺は何と返事を返したのかな?
「『ああ、いいぜ』って。カッコよく答えた割りに照れ隠しでこっち見てくれなかったのよ?」
きゃー、なんて一人で思い出して悶えるクラスのアイドル。
いや待て、段々記憶がハッキリしてきた。
夕焼けの教室、朝倉涼子、ジリ貧な日本経済の建て直しについて、そして、『貴方を──』
「思い出してくれた?」
「おぉっ!?」
脳髄の奥から帰還すると、朝倉の顔が目の前にあった。
ヤバイって!唇同士がレッドゾーンまで近接してるって!
慌てて椅子ごと後退し、思わず窓に後頭部を強打する。痛ぇ。だがお陰で思い出したぞ、確かに昨日俺はここで朝倉に告白を受け、それを受諾したのだった。
「そういうこと。こんな事女の子に何度も言わせないでよね。けど、思い出してくれたならいいわ、許してあげる。でも、もう忘れちゃダメだよ?」
じゃあまた後でね、と満開の笑顔で自分の席に戻る朝倉を呆然と見送る俺。見ればもうHR2分前か。
ぬぅ、AA+だとかなんだとか抜きにマジ可愛かったぞ、今の表情。
「キ・ョ・ン・く・ん?」
自失気味に思考停止している俺を現に引き戻す男の声。
「なんだ谷口か、おはよう。国木田も」
「『なんだ谷口か、おはよう。今日もアホヅラだな』……じゃ、ねぇだろっ!テメェいつの間にAAランク+、朝倉さんを落としやがったぁ!?」
まるで生贄の女を確認したら入れ物の中で男とじゃれあってるのを目撃したヤマタノオロチのように怒り狂う谷口。や、そこまで言ってねぇだろ。
国木田はキョンの趣味もマトモになったねーとか失礼な事を言ってやがるし。
というか、俺にもさっぱりワカラン。正直今初めて聞いたような気さえする。
「くぉぉ、余裕かましやがって……!キョン、お前とは短い友情だったなぁ!」
両手で自分の額を押さえ付けつつ仰け反ると言うなんともステレオな苦しみ方をして声を絞り出す谷口。
ふと気付いて見れば、教室中の目という目(主に男子の)が俺を射抜いているではないか。
つーか他のクラスの男子まで居るぞ。廊下まで満員御礼か。上級生は混ざっていないようだが、それでもスゲーな、流石AA+。などとのん気に思考を巡らす間もなく、
「お前たち、やっちまえー!!」
血涙を流す谷口の号令の元、俺の意識は『ウオォォォォ!』と雄叫びを上げる男共の中で薄れて行った。
ところでなんで谷口がリーダー格なんだ?とかどうでもいい疑問が脳裏を掠めて消えたりした、その薄れ行く意識の中、何故かハルヒの呆然とした顔だけが焼きついて離れなかった。