「では、行きましょう。キョンくん。これからが本番です 」
朝比奈みくるの異時間同位体が彼に呼び掛ける。
彼は疲れたようなやるせない表情を見せながらも頷いた。
先程時空連続体へのアクセスを申請したが、同期は叶わなかった。そうしたのはわたし。情報統合思想体の意思は関係ない。
何故なら別の時間平面からやってきた彼等を時間凍結させた時、エマージェンシーの申請許可は下りたのだから。
彼はこちらを向き、言った。
「ありがとな」
その一言が妙に温かい。今まで感じたことのない感覚がわたしの中を走る。
礼ならいい、と言おうとしたが唇が動かなかった。声が出ない。
悟られてはいけないと背筋を伸ばし、冷静な顔を崩さないようにする。
この言葉では言い表せないような感覚はなんだろう。
同期した瞬間わたしに流れ込んだ、胸を締め付ける思い。
わたしは寂しい、と感じている。これから三年ものの間、ずっと一人で待機することが。…彼に会うことができないのが。
そう。わたしは望んでいるのだ。いかないで、と。出掛けの母親にすがりつく子供のように。
「また会おう、長門。しっかり文芸部で待っててくれよ。俺とハルヒが行くまでさ」
行くのなら最後にわたしを抱き締めてほしい。一度だけでいい。わたしの、そばにいてほしい。
あなたをなくしたわたしは、こんなにも弱くて脆い。だけど、わたしにはそれを言う許可は出されていない。
「待っている」
よかった。ちゃんと言えた。声も震えることなく。上出来。わたしの役目は観測。それ以上それ以下でもないのだから。
だからあなたが待てと言うのなら、わたしは三年でも十年でも一万年でも待とう。
あなたが来てくれるのが既定事項ならば。わたしは待ち続ける。わたしの自律行動が続く限り。
彼が目を閉じる。朝比奈みくるが彼の肩に手を乗せた。そして黙ってこちらに一礼する。
時空改変者は紛れもなくこのあたし。これから彼はその現場を見に行くことになる。
…彼はどう思うだろう。時空を改変させたわたしを見て。優しい彼のこと、軽蔑はしないだろう。
だけどわたしが誤差動を起こした原因が自分だと知ったら…彼は何て言うだろう。
彼のことを考えた瞬間、わたしは異変を感じて胸を押さえた。息が苦しい。
やり場のない悲しみは、小さな嘔咽となって口から溢れる。
さようなら、と言いたかった。ありがとう、と言いたかった。
二人は、この時空から完全に消滅した。もう言えない。少なくとも、三年後までは。
彼のわずかな残り香。そこにいたという証拠。彼のそれを両手いっぱいに抱き、わたしはその場に崩れ落ちる。
さようなら、が言えなかった。ありがとう、が言えなかった。
頬を滴が伝い、先程まで彼が立っていた所に落ちる。
ああ、この涙の線のように、わたしの思いは真っ直ぐなんだ。
間違いじゃない。幻じゃない。彼はわたしのそばにいる。わたしはずっとあなたを待っているから。
そしてあなたにありがとう、と言うから。
いつか……必ず。
そして最後になってようやく、わたしは彼に恋をしているのだと気付いた。
(終わり)