目を覚ませば、そこは見慣れた自分の部屋だった。当然、俺がいるのは慣れ親しんだベッドの上だ。  
 当たり前といえば当たり前なのだが、こうやって普通の日常が始まることに安堵する自分がいる。今までの俺の経験からすれば、それも仕方の無いことだと主張したい。  
 まあ、あの時のように、普通かと思ったら違う世界だったりすることもあるので油断はできんが。だったら、それに気づくまでは心穏やかな日常を満喫させてほしいものである。  
 どうせ、そろそろ母親に命令された妹が、ブランチャーでもかまして俺を起こそうとするのだ。高校生男子としては、たとえわずかな時間でもこの空間でマッタリと過ごしたい。そう決めた俺は、目覚めた頭を再び睡眠モードへと移行させた、わけだが―――  
 不意に、トントンと。寝惚けた頭では聞き逃してしまうようなノックが聞こえた。  
 なんだろう、これは。  
 妹なら喚きながら部屋に飛び込んでくるし、母親ならドア越しに『早く起きなさい』だのなんだのと言ってくるはずだ。つまり、俺の家族でわざわざドアをノックする奴など居ない。  
 だが、寝起きの俺にはその謎について考える余裕などなかった。あいにく、ハルヒや魔界探偵みたく謎に餓えてるわけじゃないんだ。  
 だから、俺は何も考えずに『どうぞ』とだけ言っていた。次の瞬間、音も無くドアが開く。  
 ふと顔をあげれば、ドアの向こうにやっぱり見慣れた小柄な影が立っていた。そいつはいつも通り、硝子玉のような瞳で俺を見つめてくれる。うん、あの世界のあいつではない、俺の知ってるあいつだ。  
 だったら何の心配もいらない。よし、安心してもう一眠りさせてもらうとしよう。そう思い、俺は頭まで布団を被り  
「起きて」  
 一瞬で眠気が吹き飛んだね。こりゃ、ハルヒのアホにあのアホ空間に引きずり込まれた時以来のサッパリ目覚めだな。  
 いや、無理もないと思うんだよ。何せ、目を覚ませば部屋に入ってきたのがスーパー宇宙人、長門有希だったんだからな。  
 あいつ自体には何もおかしいとこがなかったから、それだけで安心して気づくのが遅れてしまった。長門が、当たり前のような顔をして俺の家に居るということに。  
「な、な、な、なんでおまえがここに!?」  
 まさか、また世界が作り変えられたとかじゃないだろうな。また新しい朝倉の相手なんて、絶対に御免だぞ。  
 だが長門はと言えば、そんな俺の様子を見ても、いつも通りの口調で答えてくれる。  
「あなたの母親に、起こしてきてほしいと言われた」  
 ああ、そりゃ仕方が無いな。俺が『妹に俺を起こさせるな』と常々進言していたのを、母上はようやく聞き入れてくれたらしい。うん、たしかにおまえのおかげで眠気なんてすっかり消し飛んでしまったよ。  
「って、そうじゃなくてだな。なんでおまえがこの家に居るんだよ」  
 俺がそう言った瞬間、長門の視線がわずかに強くなったような気がした。これは睨む……いや、拗ねるなのか? 俺の推測など頼りにならないかも知れないが、こんな表情をされる覚えは―――――  
「あ」  
 思い出した。つい、昨夜の出来事を。  
 
 
 
 
『長門週間』  
 
 
 
 
 さて、話はその昨夜とやらに遡る。  
 夕食も食べ終えて、することも無く自室でボーッとしていた時のことだった。まあ、宿題だのなんだのは考えないようにするのが、模範的な北高生である。  
 ベッドでゴロゴロしつつ、このまま寝てしまおうかとでも思い出した頃。  
 ウーカンカン、ウーカンカンと、サイレンの音が聞こえた。  
 何事かと思い、身を起こす。窓から身を乗り出せば、赤い光が動いているのが見えた。サイレンの音からして、消防車だろう。  
 火事かなにかあったのか。そんなことを考えているうちに、赤い光は遠くへと行ってしまった。サイレンも、それに引きずられるようにして消えていく。  
 まあ、俺には関係の無いことだ。被害に遭われているだろう方の無事だけでも祈っておこう。  
「まさか、俺の知ってる奴の家だったりしないよな」  
 そう言って頭に浮かぶのは、SOS団の連中である。  
 後ろの席の大魔神、涼宮ハルヒ。マイスウィートエンジェル、朝比奈みくるさん。汎用人型決戦宇宙人、長門有希。どうでもいい古泉。  
 そういえば、この中で自宅を知っているのはあいつくらいだったな。あの生活感というものがさっぱり感じられない、超殺風景な空間を思い出す。    
 思い出してしまった。そして、思い出した瞬間、どうしようもない不安感に襲われる。  
「……まさか、な」  
 いや、ありえないだろう。   
 この町に、どれだけの家が存在すると思ってるんだ? その中の一人や二人に不幸があったって仕方がないだろう。よりによって、あいつのところに何かが起こるはずないだろうに。  
 そんなこと、理屈ではわかっている。わかっているのだが、一度思い浮かんだ想像は、俺の拙い頭脳をグルグルと回っている。  
 くそ、せっかくの食後のお気楽タイムが台無しになってしまった。  
「ちくしょう」  
 気がつけば、俺は家の前のママチャリに跨っていた。家を出るとき、妹がどこ行くのどこ行くのってうっとおしかったのを思い出す。  
 どうせすることも無いんだ。何事も無ければ、茶くらいご馳走になったっていいだろう。  
 あいつの茶は、朝比奈さんの茶の次くらいには好きなんだ。  
 急ぐ理由もないはずなのに、ママチャリを必死で立ちこぎしている俺。実に滑稽な姿だと思う。  
 こんなこと、何の意味も無いはずなのに。ああもう、古泉で我慢するから、俺のこと笑ってくれ。  
 笑い話で済む話だろう。俺がいつも通り、馬鹿な真似をしただけに決まってる。  
 交通法規をちょっとばかし無視してしまったせいか、あいつに呼び出されたときより早く、例の駅前公園が現われる。それを横目で見ながら通り過ぎ、あいつの住むマンションへと辿り着いた。  
 さて、茶でもご馳走になりにいくか。  
 さっきまで、俺はそう考えていた。  
 マンションの周りを、無数の野次馬が取り囲んでいるのを見るまでは。その中心部では、先程サイレンを鳴らしていたと思われる消防車もあった。  
「っ!?」  
 俺は野次馬を押しのけて、中心部へと走る。周りから罵声が飛ぶが、無視して俺は突き進んだ。  
 人間の壁の中にもがきながら、俺はマンションを眺める。  
 落ち着いてみれば、想像していたような大災害といえるような物でもない。消防車も放水してるわけではないし、玄関口からは出入りしている人も居る。  
 すでに火は消し止められているようだ。ある階のいくつかの部屋から、煙が立ち上っているだけで、他の階に被害は無さそうである。  
 だが、俺は気がついた。  
 今、未練がましく煙を吐いているあの部屋は―――宇宙人とテーブルで向かい合いながら話したあの部屋は。  
 そして気がついた瞬間、叫んでいた。部屋の主である、あいつの名前を。  
「長門ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」  
 
「なに?」  
 と、いつも通りの無感動な声が聞こえた。声の主は、いつの間にか俺の背後に立ってやがったチンチクリンの宇宙人。  
「な、長門……?」  
 あの煙を吐く部屋の主である長門が、俺の後ろに立っていた。部室で会ったときのように、ここに居るのが当たり前のような顔をして。  
 こんな顔をする人間は、俺の知っている長門しかいない。そうでなければ長門の幽霊だが、宇宙人は幽霊にはならないだろう。  
「お、お前……無事だったのか。部屋にいなかったのか?」  
「隣町に大型書店が開店した。そこの調査を行っていた」  
 ああ、どうせ図書館の時のように、本棚の前で根が生えたように立ったまま、辞書みたいな本を読み耽っていたのだろう。店員からすればいい迷惑かもしれないが、おかげで長門は火災を免れたというわけだ。  
「よ、よかったな……」  
「よくは、無い。火災発生の直前にわたしが居れば、未然に防ぐことも可能だった。今からでも可能だけれど、不特定多数の人間の目に晒された状態での情報変換は行うべきではないというのが、情報統合思念体の考え」  
 確かにそうだ。長門が居たほうが、よかったに決まっている。だいたい、火事くらいでこのスーパー宇宙人がどうにかなるタマかよ。  
 もちろん、ついさっきの俺だってそんなことはわかっていた。でもな、わかってたけどこうやってわざわざ長門のマンションまで来ちまったわけだよ。  
「なんであなたがここに?」  
 そんな理由、こっちが聞きたいね。古泉辺りならニヤケ面とともにわかりやすい答えを教えてくれそうだが、絶対に聞きたくない。  
「おまえの茶が飲みたくなった」  
「………」  
 あ、なんか微妙に驚いてるような表情だな。この顔見られただけでも、必死こいてママチャリこいできた甲斐があるってもんだ。  
「えーと。ところで、どうするんだお前、これから」  
「さっき、ここの管理人と会った」  
 管理人というのは、前にハルヒが朝倉のことを聞きにいった爺さんのことだろう。  
「出火原因は、わたしの部屋の二つ隣の部屋、そこのベランダに置かれていた荷物。一部に可燃性物質が含まれていた」  
 ああ、そういえば煙吹いてたのはベランダのほうだったか。それに気がついたついでに、もうひとつのことにも気がついた。とりあえず、俺がここまで急いで駆けつけた理由にくらいはなりそうなことを。  
「長門、それは俺達の敵、とやらの仕業じゃないだろうな?」  
 雪山の山荘、嫌味な未来人、誘拐犯の少女、といった連中のことを思い出す。奴らが狙うとすれば、SOS団の参謀とも言える長門を狙うことがあっても不思議ではない。  
「そういった反応は検出されてない。わたしの情報処理能力に対して完全なジャミングがなされているという可能性は否定できないが、だとすればもっと効果的な手段を取るはず。そこの住人のミスだと考えるのが妥当」  
 考えすぎだったか。俺の頑張りは無駄に終わったわけだが、それでもそのほうがいいに決まってる。  
「わたしの部屋の被害は、ベランダと内装の一部が損傷した程度。業者による修繕で対応可能」  
 なんだ、本当にたいしたことないんだな。もちろんそれが一番いいのはわかってるんだが、大声で長門の名を叫んだ自分が、どうしようもなく間抜けに感じられる。  
 ちょっとばかし落ち込む俺の内心などに気づくこともなく、長門は続けて言った。  
「その修繕作業に一週間ほどかかる予定らしい。その間、わたしには友達の家にでも泊まっていてほしいと言われた」  
「友達、ね」  
「そう、友達の家」   
 長門の友達と言えば、SOS団の連中くらいだろう。朝倉が健在なら、カウントしてもいいかもしれないが。  
 朝比奈さんはともかくとして、その友人の鶴屋さんなら、『みちる』のときのように快く応じてくれるはず。古泉も、機関とやらのコネを使えば、部屋のひとつやふたつ、用意できるはずだ。ハルヒはしらんが、勢いだけで解決してしまう気がする。  
 いや、こいつならそんなことしなくても、お得意の情報操作で住む場所くらいなんとかできるのか。  
 
「それなら、問題なさそうだな。どうするんだ長門? 誰かに頼むなら、携帯」  
 貸すぞ、と言うことができなかった。  
 チンチクリンの宇宙人が、俺の顔をじっと見つめていたからだ。まるで、視線で俺の両目を貫くように。  
 おもわず視線から逃れるように体をずらすと、長門も素早く視線を動かして、俺を捉える。  
「あー、長門さん?」  
「………」  
 三点リーダで答えながら、上目使いで俺を射抜く長門。なんだどうした、なにがあったおまえ。  
 なんか、蛇に睨まれた蛙、みたいな状況になってきたぞ。無表情の視線がこれほど恐ろしいものとは。  
「友達の家」  
 ああ、だからハルヒか朝比奈さん(っていうか鶴屋さん)か古泉にでも頼んで  
「………………………」  
 なんか、視線が三倍になった気がするぞ。俺がなに言った。なんでそんな視線で俺をぶち抜く。  
「えーとな、長門」  
「………」  
 ミラクル長門ビームの照射に耐え切れなかった俺は、ついつい言ってしまった。  
「よかったら、俺の家に来るか?」  
 あ、長門の体が一瞬震えた。ちょっと驚いているような気がする。  
 そのまま、いつもの沈黙とともに俺の顔をビームでじっくりと抉ること数十秒  
「行く」  
 と、言ってくれた。  
 
 
 
 
 と、これが半日前の出来事だ。  
「ああ、そうだ。そうだったな」  
 あの後、長門を連れて家に戻った俺は、母親に事情を説明して頼み込むことにした。  
 いきなり、女の子を居候させてくれって頼むのは自分でもどうかと思ったのだが、予想に反して母は二つ返事で快く了承してくれた。ちなみに妹といえば、『有希ちゃん有希ちゃん』って脳天気に喜んでるだけだ。  
 とりあえず長門の荷物(バッグひとつ)を、居候先の妹の部屋に置いて引越し完了。最初、当たり前のような顔をして、俺の部屋で荷物を広げだしたのは忘れておこう。  
 妹の部屋に泊まってくれって言った時に、また俺の顔にビーム放ってたような気がするのは気のせいか?  
 そういえば、後で母親が俺の部屋に入ってきて、こんなこと言いやがった。  
『あの子、夏休みにあんたの宿題手伝ってくれた子のうちの一人だったわね?』  
『そうだよ』  
『なるほど、あの子に決めたわけね。あのかっこいい男の子狙いじゃないかって冷や冷やしてたわ』  
『ちょっと待て、なんか物凄い勘違いしてるぞ。二つほど』  
『いい? これはチャンスでもあるけど、あの子が嫌がるようなことはしちゃだめよ?』  
『だから違うっての!!』  
 母親にこんなこと言われたせいで、長門の存在を変な風に意識してしまい、それからろくに眠れなかった。隣の部屋で、長門相手にギャアギャア騒いでた妹のせいもあるけどな。  
 そんなこんなで、今日の俺の頭はいつも以上に寝惚けている。つい昨夜の出来事をさっぱり忘れてたって仕方がないだろう。  
 だから長門、そんな風に視線で俺を責めるのは勘弁してくれ。  
「朝食ができている」  
「そっか、ありがとさん。すぐ下りるから」  
「あなたの母親から、目を離せば二度寝すると言う情報を得ている」  
 ちっ、上手く仕込んでやがる。伊達に十六年以上俺の面倒見てきたわけでもないってことか。  
「わかった。着替える。着替えるから」  
 布団を蹴飛ばし体を起こす。寝巻きを脱いで制服に……って、待て。そこに立ってる宇宙人。  
「長門、着替えるからちょっと出てくれ」  
「目を離すわけにはいかない。私の監視下を離れると同時に、睡眠状態へ移行する恐れがある」  
 確かに母親相手にそういったことは何度かあったが、今はお前のおかげできっちり目が覚めてるよ。だから、そんなに睨みつけるように俺の着替えシーンを監視しなくてもいいだろ?  
「気にしないで」  
 いや、いくら俺が男でも、そんなに着替えを凝視されるのはこっちが気にするというか、な?  
「いいから」  
 なにがいいんだ。  
 俺は説得をあきらめ、羞恥に耐えながら着替える道を選んだ。ああ、これ監視じゃなくて、視姦って言うんじゃないかね。  
 
 
 と、まあ。こういうわけで、俺と長門の一週間が始まった。  
 今度はあの時の三年とは違い、ずっと寝てるわけにはいかないんだよな。さて、どうなることやら……誰か教えてください。  
 
続く  
 

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