長門に視姦されながら着替えるというプレイの後、俺はそいつと一緒に一階へ降りた。
台所のテーブルには、いつもの数+1の食器が置かれている。俺がいつもの席に腰を下ろすと、長門もそれに続いた……俺の隣に。
母親が古泉ばりのニヤケ面をしていたのを無視し、朝飯を食べる。味噌汁にご飯、目玉焼きや焼き魚云々に、昨日の夕飯の余り物といういつも通りの食事だ。
ちなみに、ここでも長門は見事な食いっぷりを見せてくれた。居候としてはどうかと思うのだが、メシを作った母親が大喜びで長門の茶碗に飯を盛り、おかずを薦めているのだからよしとしておこう。
その余裕が一週間持つように期待する。
母親から弁当を受け取り、玄関を出た直後、俺はあることに気がついた。
いくらなんでも、ふたり揃って登校するのは不味いだろう。普段の登下校の経路が違うとかいう以前に、なにせ相手は谷口ランクAマイナー、隠れファン多数の長門有希。
まず、いつもの坂道でその谷口辺りに目をつけられ、そのままハルヒの耳に入る気がする。そうなれば無駄に勘のいいあいつのことだ、俺を締め上げて事情を吐かせるだろう。
いや、俺としては別に事情話したっていいと思うんだ。長門が困ってるから助けてやってくれと言えば、あいつは全力で長門を助けてくれるに決まっているからな。
だけど、な。この隣の宇宙人が、そういうこと考えている俺を責めるように見つめるもんだから、そうもいかないんだこれが。
とりあえず俺は歩きながら、ふたり揃って登校することの危険性を説明することにした。表面上は素直に聞きながらも、怨むような視線をぶつけてくるこいつに解説するのは、少々骨が折れたぜ。
で、俺が一通り説明し終えると、代わりに長門が口を開いた。
「ここから学校へ行くルートは、あなたと大多数の生徒が通る坂道以外にもうひとつある」
ああ、たしか学校の裏門に続くほうだな。そっちは俺が毎朝通るきつい坂道と違い、ゆったりとした楽な道である。
だが、その代償に距離がちょっとばかし長いのだ。俺がそっちを登校に使おうとすれば、十分程度早く家を出る、もとい十分程度早起きする必要がある。
俺みたいな一般高校生にとって、十分の睡眠がどれだけ貴重か、改めて説明する必要も無い。
「わたしはそっちを使って登校する」
「ちょっと待て、けっこう長いぞ? 今から間に合うか?」
「問題無い」
こいつが問題ないといえば問題無いんだろうが。でもな、一応は女の子のこいつばかりに苦労させるのもアレだよな。
「わたしが登校ルートを変更しても怪しむ者は居ない」
寂しいことを言うが、事実だろう。実際、俺もこいつの登校姿を見かけたことがない。誰も居ないうちに登校して、部室で本でも読んでるんじゃないだろうか。
俺がそんなことを考えてる間に、長門は俺の登校コースから外れた脇道へと入って行った。そこからもうひとつのルートやらに行くつもりなのだろう。一瞬、俺もついていってやろうかと思った。
だが、俺のペースで今から長門ルートを選んでも、確実に遅刻するだろう。長門一人なら、なんとかするだろうが。
遅刻するだけでもハルヒのセンサーに引っかかりそうな気がするし、俺はいつものルートを選んだほうがいいか。ってか、こんなとこでグズグズしてたら、その短いほうのルートですら遅刻しそうな気がするぞ。
「じゃ、学校でな!!」
長門の後頭が、かすかに上下したように見えた。ただ歩いているために生まれる頭の上下だったかもしれないが、俺だけにわかる長門の返答だと思うことにした。
さて、いつものように後ろのハルヒを相手をしながら授業を受ける俺。後ろでなにやら、わけのわからんことを喚くこいつに適当に返事をする、といういつもの流れだ。
そう、いつも通り。とりあえず、今の所はこいつに感づかれていないと思う。
寝不足がたたり、夢うつつの状態で授業を受け続けていたが、気がつけばもう昼時だ。ハルヒと言えば、終了のチャイムと同時に教室を飛び出して言った。
十食限定の期間限定メニューがあるとか言っていたような気もするな。興味が無いわけでもないが、俺は母親の作ってくれた、昨日の夕飯と朝飯の残り物で出来た弁当で充分だ。さて、いつもの見飽きた二人組とでも一緒に………と、待て。
そういえば、今日はあいつも同じ弁当箱を受け取っていたな。
「悪い、ちょっと先約がある」
なにやらうるさく騒ぐ男二人を無視し、俺は弁当を持って部室に向かうことにした。
当然、目的は『文芸部の部室』の正当な主だ。授業時間以外なら、確実にここに居るだろう。そう思いながら、俺は習慣通りにドアをノックした。
「どうぞ」
ゲッという、文字通りの声が口から漏れた。
返ってきた返事は、舌っ足らずの朝比奈ボイスでも、声は無くとも伝わる長門三点リーダーでも、依頼を待ちわびるハルヒの声でもない。
せっかくのメシの前に嫌なもん聞かされたと後悔しつつドアを開ければ、俺を迎えるニヤケ面が。くそ、なんでこいつが居やがる。
「おや、あなたもここで昼食ですか」
いつもの指定席でパンをかじっている古泉を無視し、横の席に視線を移す。そこには、小柄な影がちょこんと座っていた。
代名詞である分厚いハードカバーは側に置き、代わりに弁当箱を広げている長門の姿だ。箸を肉じゃがに伸ばした体勢のまま、硝子玉の瞳が俺を見つめている。
さて、俺も弁当をさっさと食ってしまいたい所だが、余計なのが一人居る。いくらなんでも、構成が全く同じ弁当をふたり並んで食ってれば怪しまれるに決まってる。
どうやってこいつをココから追い出してやろうか、と考えていると。
「ところで、随分と楽しいことになってるようですね」
俺の心を見透かしたような口調で、古泉は言いやがった。こいつのニヤケ面を見てると、ひっかけやブラフではないことがわかる。
表情の分析は長門専門にしておきたいとこだけどな、こいつのニヤケ面の微妙な差異もわかるようになってきたってのは気に入らんな。
「機関の情報網を舐めてもらっては困ります。とは言っても情報戦で長門さんに勝てるわけがないので、彼女が物理的な意味でどこにいるのか、といった把握程度しかできませんけどね」
それさえも、長門さんが本気になれば見失うでしょうが、と続ける。
「もちろん、涼宮さんには黙っておきます。朝比奈さんは……教えないほうが無難でしょう」
ああ、隠し事できるような人じゃないからな。朝比奈さんには悪いが、朝比奈さん(大)の指示も納得できる気がする。
「僕があなたにこんなことを言うのは、困ったことがあればいつでも力になります、という意思表示ですよ。安心してください」
お前相手になにを安心しろっていうんだか。お前のニヤケ面も真剣な面も、俺にとってはでっかい不安要素だ。
「見返りというのもなんですけどね。僕が同じような状況に陥った時は」
「断る」
孤島の別荘、病院の個室をあっさり用意できる連中がなに言ってやがる。大体、お前のせいで俺は母親に、とんでもねえ勘違いされてんだぞ。
俺の答えに肩をすくめて苦笑、というポーズを見せると、『ごゆっくり』と言って小泉は消えていった。
ようやく、弁当にありつけるな。いつもの俺の席に腰を下ろし、弁当箱を開いた。
っと、今気がついたが、長門の体制は俺が最初に見た、肉じゃがに箸を伸ばした体勢のままだ。俺が古泉と話してる間、ずっと一時停止ボタン押してたらしい。
「あー、さっさと食おうぜ」
俺の声を再生ボタンとするように、長門の箸が再起動した。俺の弁当箱と同じメニュー、いやちょっとばかし俺よりサービスされてるかな、と思えるそれを、いつものペースでひょいぱく、ひょいぱくとつまんでいく。
その小さな口と細い体で、よくそこまで食えるもんだ。確かに、作ってる人間からすれば嬉しい食いっぷりかもなと思った。
「悪いな。たいしたもん出せなくて」
残り物に面積を多く占められた弁当を眺めているうちに、ついそんなことを言ってしまった。
「でも、あなたはこれを美味しいと感じている」
先ほどと同じように、今度は卵焼きに箸を伸ばした体勢で停止しつつ、口元だけ動かして俺に答えてくれた。
「まあな。昔から食いなれたもんだからな」
母親は料理が上手い方だとは思うが、世界一ではない。外食先でもっと美味い物を食った記憶はあるし、俺が食ったことの無い物にだって、母親の料理より美味い物はゴロゴロあるだろう。
ただ、それを踏まえたうえでも、一番落ち着くのは母親の作ってくれた料理だと思うんだよな。
「………」
箸を止めた体勢のまま、三点リーダーを発する宇宙人。どうかしたかと俺が聞く前に、長門が口を開いた。
「人類が、摂取物の危険性把握という本来の機能とはかけ離れた意味で味覚を活用しているのは知っている。人種、地域、文化、貧富、性別、それら以外にも個人の思考パターンといった要因のために、要求される味覚の刺激要素が大きく左右されることも」
どうした、いきなり何を言い出すんだこいつは。
「調査する必要があるかもしれない」
そう言うと、長門は再び箸を動かし始めた。もう言うべきことは全て言った、とでも言うように。
どういう意味なのか少し気になったが、俺がまだほとんど弁当に手を付けていないということを思い出した。このままでは昼休みが終わってしまうので、俺も食うことに集中する。
おかげで、その時は気がつかなかった。
長門が、何か考え込むような様子で、おかずのひとつひとつをやたらゆっくりと咀嚼していることに。
その日の放課後、長門は部室に居なかった。
古泉に尋ねると、『急用があったらしいですよ。ああ、機関からの報告は無いので、非常事態というわけではなさそうです』とのこと。
それから俺は、朝比奈さんのお茶を飲みながら、古泉とゲームをしつつ、わけのわからんことを喚くハルヒの相手という、いつも通りの放課後を過ごすことになった。
長門は基本的に本を読んでいるだけなのだから、居なくても俺のやることにたいした変わりは無いのである。
ただ、そんな奴でも居ないとなると部室が物寂しく感じるのはどうしてだろうね。
長門の本を閉じる音の代わりに、古泉の一声を合図としてSOS団の活動も終了。俺の耳元で、無計画と言える計画を立てているハルヒをあしらい、俺はさっさと学校を後にした。
長門が居ないせいで下校のタイミングを逃したのか、家に着いた頃にはけっこうな時間になってやがった。これなら、着替えたら即夕食ってとこだな。
そういえば、長門はもう帰っているのだろうか。何かあったのか、聞いておくべきだろうな。
「ただいまー」
と、言いつつドアを開ければ。
「おかえり」
と、俺を迎える宇宙人の姿があった。
ちなみに超クールな無表情はそのまんまだが、格好の方は見慣れた制服ではない。ぶかぶかシャツに裾の余ったジーンズという、長門にしては珍しい格好だ。まあ、長門が制服以外の恰好してるだけでも珍しいだろうがな。
「長門、その服どうした?」
「あなたの母親から貸し与えられた」
こいつのことだ、どうせ制服以外は持ってきてなかったのだろう。なんか見覚えがあると思えば、俺が中学くらいのときに着てた物だった。母親のステラレネーゼが初めて役に立った瞬間とも言える。
しかし自分の服を他人、しかも女の子に着られるってーのは、どうにもこうにもむず痒いものがあるな。おい、嫌だったら無理して着なくていいぞ。
「嫌ではない」
そうか、それならいいんだ。あ、そういえばお前、今日はなんで
「夕食ができている。早く来て」
俺が何かあったか聞こうとする前に、長門はリビングへと消えていった。
部屋に鞄を放り投げ、制服をばらまきながら着替える俺。鞄をきちんと決められた場所に置き、制服はしっかりハンガーにかけておくなんざ、古泉のすることだ。
リビングに下りれば、テーブルには母親と妹、そして長門がすでに座っていた。俺を待っていてくれたのだとしたら、感謝せねばなるまい。
テーブルの中央に置かれた大皿には、俺の好物の豚の生姜焼きが盛られている。『いただきます』と手を合わせてから、俺はそいつに箸を伸ばした。
うん、こいつがあればご飯何杯だっていけるぜって味だな。千切りキャベツと一緒に食っても美味いんだこれが。そう思いながら飯をかきこむ俺だったが、隣からの視線に気づいて箸を止めた。
隣の席の長門が、豚肉をくわえる俺をジッと見つめていた。そういえば、食欲旺盛なこいつには珍しく、未だ飯に手をつけていないようだ。なにか言いたいことでもあるのだろうか。
「ねえ、美味しい?」
そう聞いたのは長門ではなく、俺の向かいの席に座る母親である。なんだその、なんか企んでるような表情は。
「あ、ああ。美味いよ」
俺の答えを聞いた途端、母親がニヤリと笑った。
「やったわね有希ちゃん!!」
「……やった」
ゆるゆると伸ばされた長門の手に、母親がハイタッチ。どういうことだコレは。
「実はね、有希ちゃんに『料理を教えてほしい』って頼まれちゃったのよ。この生姜焼きは、そのテスト結果ってところかしら」
はあ? 長門が? 俺の母親に料理を? んで、俺の口の中にある生姜焼きは、こいつが作ってくれた物だと?
「とは言っても基本的なことはしっかり出来たから、味付けのコツくらいしか教えることが無かったんだけどね」
当然だ、ギターの演奏さえ一瞬でマスターできる奴だぞ。意味が間違ってるのは承知で言わせて貰うが、それは役不足ってもんだお母様。
「有希ちゃん、これなら今すぐにでもお嫁さんになれるわよ。ああ、うちの子みたいなだらしないのには、有希ちゃんみたいなしっかりした子がいいと思うんだけど、もらってくれない?」
おい、いきなり何言いやがるアンタは。ほら、妹が理解も出来てないのにお嫁さんお嫁さんって連呼してるじゃないか。
「それはできない」
盛り上がる我が家の女共に、釘を刺すかのような冷たい声。ああ、そうだ長門、この舞い上がってる連中をなんとかしてくれ。
「現在の日本の法律では、男子は18歳以上、女子は16歳以上から婚姻が可能とされている。ゆえに、わたしが彼と結婚するには一年と数ヶ月程待機する必要がある」
抑揚の無い長門ボイスでそう紡いでいったと思えば、最後にトンデモないこといいやがった、この宇宙人。
「既にわたしの方には婚姻を受け入れる準備はある」
長門、それは単に年齢のことで言ってんだよな。実際のお前はもうすぐ四歳ってとこだろうが、戸籍上の年齢は16歳だから、法律上は結婚できる年齢であるって言いたいだけなんだよな。
だがな、そんなまわりくどい言い方がうちの家族に通じると思ったら大間違いだ。ほら、母親とそれにつられた妹が万歳三唱し始めたぞ。
「長門、この人達は相手にしなくていいから、さっさと食べなさい」
長門の小皿に、生姜焼きを二、三枚移し、俺はそう言った。今の母親とまともな会話はできそうにない。さっさと飯食って風呂入って寝るのが一番だ。
「………」
「どうした?」
「なんでもない」
少しの間、生姜焼きと俺の箸を交互に見つめながら、長門はその小さな口に生姜焼きを放り込んだ。
さて、ハルヒにも劣らないほどのアッパー状態になってた母親を、適当にあしらいながらの夕食も終え、俺は風呂に入った。
朝比奈さんも今ごろ風呂かな、きっと可愛い鼻歌を歌いながら、あの魅惑的なボディを洗浄しているんだろうな。
そんなことを考えていたら長湯もしていないのにのぼせてきちまった。朝比奈さんは俺の清涼剤でもあるが、凍えた精神を温めてくれる保温材でもあったのだな。
で、風呂から上がって部屋に戻るとだ。
長門が死んでいた。
いや正確には、俺のベッドの上に、大の字でうつ伏せになっているだけなのだが。顔面を横に向けることなく、正面を向いたまま布団にうずめる恰好だ。呼吸できないだろ、それ。
あとついでに、シャミセンまでもが長門を真似るように脱力した姿勢で眠っていたが、こいつはいつもこんな感じだ。
俺の存在に気がついたのか、長門が体勢はそのままで、顔だけ俺の方に向けた。いつも通りの視線、いやなんか少しだけ呆としたような視線で俺の顔を見つめていたが、緩慢な動作で体を起こした。
ベッドから立ち上がると同時に、側で眠っていたシャミセンの首根っこを捕まえ、ひょいとつまみあげる。そのまま、スタスタと俺の側を通り過ぎ、廊下へのドアを開いた。
「えーと、長門」
「猫を探していた。あなたの妹からの要請。たった今目標は確保した」
なんか、言い訳くさく感じるのは、俺の気のせいか。っていうか、俺のベッドで死んでた説明にはなってないと思うが。
まあ、そんな説明だけ残して廊下へ消える長門に向かって、俺は風呂が空いたから、妹でも連れて入ってくれ、と伝えた。
「あなたの、残り湯?」
ああ、親兄弟でもない男の残り湯ってのは、女にとっては嫌なもんかもな。こいつでもそんなこと気にするんだろうか。
「いやなら、入れ直してくれたってかまわんが」
「必要ない。今から入る」
ドアが閉まり、長門の姿が消える。しばらくして、隣の部屋から妹の声が聞こえた。『お風呂お風呂』って、そんなに楽しいもんかね。
ふと、先ほどの大の字長門の姿を思い出す。あいつも、色々あって疲れてるのかもしれない。なんか、酔っ払ったような顔してた気がするしな。
「っと、そういえば」
あいつがなんで、ウチの母親に料理習おうとしたか聞くの忘れてたな。あいつからすれば、学ぶものなんて何もないだろうに。
いや、実際長門は、俺の母親から生姜焼きの作り方教わったんだよな。『俺の母親の作る生姜焼き』を。
俺が16年間食べ続けてきた、俺が一番好きな味の生姜焼きを―――――
って、ちょっと待て。
もしかして、これか? あいつが俺の母親から教わりたかったのは調理技術とかじゃなくて。
『俺が慣れ親しんだ味』だったのか?
つまり、『俺の好みの味』だったのか?
それを知りたいがために、わざわざ俺の母親に弟子入りしたってのか?
おいおい、それじゃまるで、あいつが俺のために
まさか、な。
自分の考えが随分とおめでたい方向に言ってるのに気がついた俺は、先ほどの長門のように、顔面を正面に向けたまま、大の字でベッドに横たわってみる。当然口も鼻も布団に埋もれて、苦しいだけだった。
呼吸もろくに出来ないので、さっさと止める。全く、あいつは何が楽しくてこんなことやってんだかわからんな。
ただなんとなく、布団から少しだけ長門の匂いが感じられたような気がした。
続く