さて。
人類の過半数にとって非常に残念な事実をお知らせしなければならない。
実は、このしたたるような悪意の連鎖にはまだ続きがあるのだ。
この事態をスルーする手段を知っていたら是非とも実践して頂きたい。
静かに発狂しつつある造物主の脳髄を撃ち抜ける銃があるなら俺達によこしてくれ。
「おや、あなたがそんな事を言うとはね。
さすがに、涼宮さんへの愛想も尽きましたか?」
そんなもん初めからない。
「だ、駄目ですよぅ!
正気に戻ってください! いくらなんでも、こ、殺すだなんてぇ!」
「……殺意もありません。今のは妄言です」
「殺害する判断の是非はまだ判断できないが、少なくとも現時点では推奨できない。
現在、この惑星に関与する全ての情報は膨大な情報フレアによって変質を続けている。
その発生源たる涼宮ハルヒの意識の消失は……恐るべき事態を引き起こす」
ああそうかい。ありがとうよ、長門。どんな怪談より怖い話だぜ。
傍らでは朝比奈さんが卒倒寸前だし、古泉も物凄い形相になっているしな。
しかし俺はといえば、長門ほどではないにせよ、冷静な状態で空を見上げていた。
不気味な真紅の光が、俺達と、俺達がいる駅前の広場を妖しく照らし出している。
黄昏よりも昏く、血の流れより紅いその光景は、ほとんど地獄絵図に近い。
なぁハルヒ。贅沢は言わんが、せめて太陽系のコペルニクス的転回は止めようぜ。
明らかに太陽でも月でもない天体を天球儀の中央に配置する事はないだろう?
そして、車一台も通らない静寂がさらに不気味さを引き立てる。
これはいっそ俺達以外に人類が存在するかどうかを疑うべき状況だ。実際疑った。
一応、俺の家では母と妹が寝てた。長門が近隣の民家を走査して人間の存在を確かめた。
すべからく寝ていた。起こそうとしても反応がない。もう二度と目覚めない可能性が高い。
現在時刻はと言えば、わからない。街頭の時計は分針が毎分1回転で逆走していた。
ちなみに俺の腕時計のデジタル表記は60時24分で固定。やっぱり安物は駄目だね。
「とりあえず」
と言って場の流れを変えたのは、あろう事か、長門だった。
どうもこの一大カタストロフは長門の人格にも甚大な影響を与えているらしい。
それとも以前からこういう性格で、単に命令されて鬱屈してただけなのだろうか。
「これから我々がどうするかを考えるべき。世界はまだ存続している」
「……それもいつまで続くか怪しいものですがね。
僕があなた方と合流するまでは普通の月夜だった。
それが次第に……おかしくなっていってる。おそらく現在進行形で」
「あの……」
と朝比奈さんが手を挙げた。長期的な目線で見ると意外と冷静だな、この人。
なんだろうね、そりゃ未来から特殊任務で来た人だし、見た目通りじゃないんだろうが。
まぁ泣き出されるよりマシか。現実的に見て一番の足手まといだしな。
……あれ、ひょっとしてその次に足手まといなのは俺か?
「私にも詳しい状況を教えてもらえませんか?」
ああ、そういう事か。もっとも話だった。
実を言えば、俺達はまだ朝比奈さんの無事を祝った直後なのだ。
「わかりました。どっか適当な場所で夜食……夜食か?
まぁ良いや。夜食でも食べながら相談しましょう。長門、古泉、それで良いか?」
「構いません。他にする事もありませんしね」
なんとか笑顔を取り繕い、しかし明らかに皮肉の毒が強い状態で古泉が頷いた。
長門は沈黙していたが、これは肯定とみなして構わないだろう。
「私もそれで良いです……あの、それと、これは些細な事なんですけど」
「何でしょう?」
「長門さん、どうして魔法使いの仮装をしてるんですか?」
「仮装ではない。これは情報操作のツールとして長年愛用している品。
極めて重大かつ難解な局面であるため、重要な所持品は全て携帯してきた」
「はぁ、なるほど……」
お前、いつだったか『産まれてから3年』とか言ってなかったか?
……いや、これは朝倉が勝手に言ってた事だっけか?
やれやれ、蛍光灯は良いね。この白さが今となってはとても愛おしいよ。
しかし半端な日常感がかえって重大な違和感を演出してるのは果たして俺の気のせいか。
ファーストフード食いながら会話する高校生なんぞ珍しくもなんともないが、
調理場でハンバーガーを自作しながらってのはそれ自体相当おかしいような気もする。
しかも店員はレジで卒倒したまま動かないと来てるしな。
というか、これならいっそコンビニの方が良かったか?
いや、まぁいいか。今更気付いても後の祭り、どこの店から何を窃盗したかが変わるだけだ。
「――というわけです。
つまり……言いにくい事ですが、あなたの属する未来は消滅してしまったのではないかと……」
「……いえ。そんな事は時間物理学の原則上、起こりえない事態です。
単に私達が涼宮さんの起こした時間振動によって閉じ込められたに過ぎません」
ここらへんは価値観の相違という奴だろうね。そもそも依って立つ哲学が違う。
「……」
セルフサービスでシェイクを啜りつつ、俺は不毛な議論を眺めていた。良い考えもまとまらんしな。
というか朝比奈さん、重要なのはあなたと古泉が自分の所属を見失ったという事実であって、
その背景で起きた物理現象が何なのかを問う事にはあまり意味がないと思うのですが?
「……」
「……」
やばい。口に出してたか。いや、えーと……すみません。
「……どちらの解釈でも目指すべき目的に差異はない。
消滅したのなら復元する事ができる。孤立したのなら脱出する事ができる。
涼宮ハルヒの引き起こした現象を巻き戻す。それが我々の成すべき事」
SOS団一同、その言葉には声もなかった。
すまんな、長門。お前がそんなリーダーシップ溢れる奴だとは思わなかった。
文芸部員としての孤独な印象ばっかり先走って全く気付かなかったぜ。
いっそハルヒでなくお前がSOS団を立ち上げたのであればどれほど良かったか。
「……えっと。わかりました。
つまり、涼宮さんが日常の世界を望むように……説得、すれば良いんですね?」
「……いえ、それではいけません」
古泉が断言し、そして紙コップのコーヒーに手をかける。
一気に飲み干して髪を掻き上げ、言った。
「説得。それは一番やってはいけない事です。
涼宮さんは、およそどのような状況でも説得に耳を貸す人間ではない。
いえ、そもそも説得では駄目なのです。
これは内面の問題なのですから、形だけ納得してもらっても意味がない。
本心から日常を望ませない限り全く意味はなく、
そして我々にそこまでの時間を費やす余裕も義理もないのです。わかりますよね?」
一瞬、こいつは精神の均衡を失ったのではないかと思った。
古泉の表情はまるで能面のようで、瞳には異様な鬼気が宿っていた。
そして、その視線は恐ろしい迫力で周囲を射抜いていた。
「え、えっと……それは、わかりますけど、え、え?」
「……理解した。他に方法はない。
次の問題は、誰が処置を行うのかという事。
私の情報操作で有機生命体の自我に対して精密な干渉を行うのは困難。
人間の心理に関する操作は統合情報思念体が直接行っていた。
周到に準備すれば不可能ではないが、時間がかかる」
「なるほど、それは残念。
そして僕の場合は、元より精神を操作する超能力など持ち合わせがありません。
今や僕が最後の構成員である『機関』にはそれを専門とする能力者がいましたがね」
古泉はいよいよ鬼気迫る表情で、半身を乗り出して朝比奈さんを見据えた。
さっき飲んだのはひょっとしてブラックライト・コーヒーではないかと疑いたくなる。
朝比奈さんはといえば、もはや涙目だ。これじゃ何を要求されてるかもわかるまい。
「なぁ二人とも、というか古泉。落ち着け。
お前らが何をさせたいのかはわかるが、朝比奈さんにそんな事できるのか?」
「……朝比奈さんにはできるでしょう。
未来人である貴方は、我々と比べて背後組織の助力を受けにくい立場にある。
だから、高校生としての立場を手に入れるために自らそれを行使する必要があったはずです」
「っ! だ、駄目です、禁則事項です!」
「その言葉が逆説的な証明です。その禁則事項は現状で効力を持たない。違いますか?」
……やれやれ。回りくどい事せずに素直に頭下げろよ、古泉。
それに悪いですけど朝比奈さん。状況は、多分、切迫してるんです。
そんな泣きそうな視線でこっちを見られても、罪悪感が募るばかりで辛いんですが。
「はっきり言います。朝比奈さん」
とうとう小さく悲鳴を上げてしまった朝比奈さんを見据え、
古泉は言った。はっきりと、有無を言わせずに断言した。
「涼宮ハルヒの記憶を直接改竄し、全てをなかった事にします。
朝比奈さん。あなたの手で、涼宮さんを洗脳してください」
さて、今日は高校の入学式である。
あの後もごねにごねた朝比奈さんをなんとか説き伏せた後、
具体的に涼宮ハルヒの自我と記憶をどのように設定するべきかでさんざん紛糾し、
数度の仮眠を挟んだ長期に渡るミーティングの末に重ねられた厳正な議論の末、
時間軸をその時点まで戻す事が最適であるとの見解を持ってなんとか一致を見た。
ちなみに紛糾した事柄は他にもある。
例えば俺達四人の自我を再度の世界改変からどう守るか、という問題だ。
これは俺達に関する(バイアスのかかった)情報を無意識領域に刷り込む事で解決した。
言い換えればこの新世界でもハルヒは確実に俺達へと目を付けるだろうという事なのだが。
まぁそれは止むを得まい。全世界を巻き込む台風から逃れるには、台風の目にいるしかない。
たとえそれが宇宙規模の台風エネルギーを管理する責任と表裏一体であるとしてもだ。
いっそハルヒの人格を大幅に改変してはどうかという意見も古泉から出たが、これは却下された。
俺達の中に臨床心理学の専門家はいないから、何が起こるか予測できないというのがその論拠だ。
その会議の間ハルヒはどうしてたかって?
さて、俺は知らん。
途中で意識を取り戻して何かしてたようだが、今となっては考えても意味のない事だ。
長門の力で捜索し、古泉が早業で気絶させて、朝比奈さんが沈鬱な表情で処置を施した。
そして俺は首尾よく翌朝を迎えてクラスメイトに二度目の自己紹介をしたわけだ。
「東中学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。
この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私の所に来なさい。以上」
その声を聞いて、俺は吹き出した。というか大爆笑だ。
主観時間上ではほとんど徹夜続きでハイな状態で、ハルヒのこの宣言。
そりゃ何もかも放り捨てて己の成した結果に酔うしかないだろうよ。
「く……くくくくっ、くははははっ!」
あーははは! あっははははははははははは、げほ、げほっ!
……あー。あはははは。馬鹿だお前! 最高に馬鹿だ! どうしようもねぇ!
くははははははははははははは、くはは、くははははっ!」
「……っ、笑うなぁ!」
俺はハルヒに蹴り倒され、それでも過呼吸を起こしながら笑い続ける事を止めず、
案の定、教室は喧々諤々の大騒ぎになった。
ああ、そう迷惑そうな顔で見るなよ朝倉。
というか、やっぱりお前もクラスにいなきゃ駄目か?
放課後。俺はSOS団のミーティングのために文芸部室を目指していた。
『涼宮ハルヒの恐るべき能力から世界を守るための団』、秘匿名称SOS団。
俺はその秘密結社の内陣に名を連ね、世界を守るために紛糾する羽目になっていた。
そりゃあ昔は宇宙人や未来人や超能力者の傍らで、
微力ながらその使命を補佐する立場に立てたら良いなぁ、なんて空想にも耽っていたが、
実際そういう立場になるとやってられないね。これが将来の不安というものか。
……ふと、昔恋仲だった少女の事を思い出した。
なぁキョン。今のお前が俺の立場を見たら、羨ましいと思うか?
などと感傷的に考えながらドアを開けると、先に来ていたのは長門だけだった。
まぁ、古泉はまだ転校してないし、朝比奈さんは二年だから何かあるんだろう。
というか長門、いい加減その魔法使いの仮装を止める気はないのか。
「悪い、長門。どうも俺、初っ端から大ポカやらかしたかもしれん。
何か問題起きるかも知れんから、先に謝っとく」
「わかった。詳しい事は後で聞く」
「おう」
そんな会話に潜む奇妙な連帯感を内心心地よく思いつつ、
俺はパイプ椅子で仮眠を決め込もうとした所で、長門は俺に呼び声をかけた。
ちなみに、長門がこの時間軸上で既に眼鏡をしていない事にその時点で気付いた。
「他の二人が来る前に、少し話がある」
「……何だ?」
「貴方の事。そしてキョンの事」
「なんだそりゃ。俺の事ならそりゃキョンの事だろう」
「そうじゃない。貴方が昔、キョン、と呼んでいた少女の事」
「……何処でそれを知った?
いや、愚問か。言ってみろ」
正直な所、俺は気分を害していた。
古傷とはいえ、他人に抉られるのは良い心地がしない。
「貴方には同い年の幼馴染がいた」
ああ、いたとも。
ポニーテールの良く似合う子で、人懐っこい性格だった。
そいつも渾名はキョン、俺もキョン、二人でキョンキョンだな、
なんてからかわれた覚えがある。
……いや待て、そうだったか?
確か俺の渾名に関しては何か別のエピソードがあったような気がするんだが。
まぁいい。
えーと、小学生も高学年、ちょうど性の芽生えの時期か?
だいたい幼馴染なんてのはその頃を境に疎遠になるものらしい。
俺達も究極的にはその例に漏れなかったが、そこに至る過程は異なる。
性教育って知ってるよな。あんまり役に立ってるとは言い難い面があるが。
実際、俺達にとってそれは余計な興味を掻き立てるだけのものだった。
まぁ、なんだ。結果として、俺達は一線を越えてしまった。
それなりの蜜月はあったさ。幸福も、まぁ、快楽もな。
ところで、一般的な日本人が適切な避妊法を知るのっていつ頃だと思う?
つまりは、まぁ、そういう事だ。
妊娠の事実が発覚して、両家のご近所付き合いには致命的なヒビが入った。
そして俺達は引き離された……というか、相手の方が遠くに引っ越しちまった。
引越し先を知る術は未だにない。今となっては再会する勇気もない。
それが、だいたい3年くらい前の事だったろうか。
「……で、それがどうした?」
「時期的に、一致する」
「何とだ」
「涼宮ハルヒの能力の覚醒。異常な情報フレア。時間断層。超能力者の覚醒。
全て、貴方のかつての恋人が別離に追いやられてから短い期間に起きていた」
「……待て。それはどういう事だ?
つまり、俺が当時の彼女と別れたからハルヒが覚醒したとでも言いたいのか?
あいつとハルヒの間に何かあったとでも?」
「今から話すのは、仮説。
貴方と引き離された少女は、よほど薄情でなければ、後悔や怨嗟を抱いたはず。
『どうして私が』『こんな事にならなければ』と幸福な未来を妄想したはず。
あるいは『もっと出会うのが遅かったら』『もっと別の形で出会えたら』と」
それは、そうだろう。俺にも多少は覚えがある。
一時的な鬱病みたいなもんで、いくらかのトラウマを残しただけだが。
「ここから先は落ち着いて聞いて欲しい。
例えば。涼宮ハルヒが自殺を決意しながら何かを願ったら、何が起こると思う?」
「それは……ハルヒはいなくなって、代わりにその願いが叶うだろうよ」
「さらに仮定を重ねる。涼宮ハルヒと同じ能力を持つ者が他にいたとして、
その人物が『自殺を決意しながら』『来世でまた会えますように』と願ったら?」
「……待て!」
「おそらくその能力の持ち主は再構築された世界で別人として輪廻転生する。
想い人と結ばれ得る環境が整うよう再構築された『来世』で」
「……」
前に『貴方は涼宮ハルヒにとっての鍵』とか言ってたのはそういう意味だって事か?
いくらなんでも暴論だろ。それは。
「あくまでも仮説。そもそも、あなたのかつての恋人は今も生きている。
『自殺を決意した』が『やはり死にたくない』と思っただけかもしれないけれど」
そこで長門はいったん言葉を切り、小首を傾げて突然話題を変えた。
「……会いに行きたい?」
「そうだな。
もう終わった話だが、機会があればまた会いたいとは思う」
「……そう」
長門は俺の一言に気分を害したようだった。
まぁ、宇宙人という立場でまともな人生送れるわけもないし、
淡い思い出とかそういう概念に秘めた悪意でもあるのかもしれない。
感情を持つ事があるなら、悪意があるのも当然の事だろうからな。
人の悪意が致命的な過ち(クリティカルエラー)を招くのも事実だが、人生そんなもんだ。
さて、これで話は一区切り付いたわけだが。
読者諸君、何か勘付いた事はないか?
ないなら、もう一度読み返してみてくれ。長門の言動に注意してな。
……ほらな?
何かあるだろう?
残念ながら俺にはこの違和感が何を意味するのか全くわからないんだが、
誰かわかる奴がいたら教えてくれないか?