部室でいつものように彼に無理難題を押しつけ呆れさせている涼宮ハルヒを眺める。いつもの風景。
私はここで彼女に割り振られた役割をこなしている。
ここが書き割りだらけの嘘だらけだと言うことは、恐らく知らないのは彼女だけ。何も知らずに彼を引っ張り回しているのだろう。
なんて無知。なんて愚鈍。なんて道化。哀れですらある。
いつものように、涼宮ハルヒが訳の分からない事を喚き散らしている。
好きな子ほどいじめてしまう。まるで小学生の恋愛のよう。
おそらく、これまで恋愛どころか人付き合いすらまともにしたことがないのだろう。
それでも彼は涼宮ハルヒを最後には受け入れる。子供の我が儘を聞いてやるように。
涼宮ハルヒは理解しているのだろうか?彼は別に涼宮ハルヒのことなど好きでもなんでもないという事に。聞き分けのない子供程度にしか思っていない事に。世界のため、仕方が無く彼女の厚顔無恥な振る舞いを黙認している事に。
いつか、涼宮ハルヒの能力や危険性が消えたときに、全てを包み隠さず彼女に教えてあげようと思っている。
それはきっと素晴らしい見物。私の密かな楽しみの一つ。
いつものように涼宮ハルヒがふんぞり返って支離滅裂な提案を彼に聞かせている。
彼は疲労と諦めの入り交じった表情で彼女の発言を諭す。
しばらくして、いつも通り彼が折れた。というよりも、彼の涼宮ハルヒに対する反論が実を結んだ事は殆ど無い。
それでも彼は涼宮ハルヒと関わる事を止めない。自分の言動が世界の存続に関わることを自覚しているのだろう。
私は彼がいてくれるのならば世界の一つや二つどうでもよいのだが、彼の自己犠牲の精神はとても貴いものだと思う。
「やれやれ」
彼が溜息混じりに呟く。彼がよく涼宮ハルヒに向ける言葉。呆れと優しさが入り交じった表情。私は彼のこの表情がとても好き。
でも、私にこの表情が向けられた事は無い。多分、これからも無いだろう。
しかし、何故、彼はこんな優しい顔をするのだろう。涼宮ハルヒに仕方が無く付き合っているのだから、もっと不愉快そうな顔をしているべきだと思う。
これでは余計に彼女が調子にのってしまうから。
彼女にあまり甘い顔をするべきではないと――――
「――――――――」
自分はあくまで涼宮ハルヒがその能力で用意した舞台装置、脇役に過ぎず主演はあくまで彼ら二人。
大丈夫。大丈夫だ。私はちゃんと理解している。自覚している。大丈夫――――
「雨、降ってきましたね」
彼が買い出しに出てすぐ、曇り空だった天気がゆっくりと傾き始めた。というのも、私がついお茶っ葉を切らしていることを口にしてしまい、それを彼女に聞かれてしまったのだ。
後はいつものパターン。団長命令に愚痴を言いながらも彼は近所のスーパーへと向かった。雨足は少しずつ強まっていく。
「キョン君、大丈夫でしょうか・・・・」
彼は確か傘を持っていかなかったように思う。今日は少し冷える。風邪でも引いてしまったら・・・
「大丈夫でしょ、近所だし。すぐ帰ってくるわよ。それより、こないだ撮ったDVDジャケットの現像が出来たのよ!ほら、これなんかなかなかきわどくて――――」
机の上にばらばらと写真を広げる涼宮ハルヒ。それにせっつかれるように彼と対戦中だったカードゲームを少し残念そうに片付ける古泉一樹、そして先ほどからメトロノームのように寸分違わぬ間隔で分厚い小説のページを繰り続ける長門有希
(彼が部屋を出入りする瞬間だけ微妙にペースが狂うのに気付いているのは多分私だけだと思う)。
彼が先日貰ってきた電気ストーブは無料同然で身売りされたにも関わらず健気に働き、部屋に一抹の暖をもたらしている。
それとは対照的な、寒色で覆われた外の景色を眺める。彼はこの雨の中歩いているのだろうか。独りぼっちで。
「あの、私傘届けに行ってきます。きっとキョン君困ってますから―――」
「もう、いいってばみくるちゃん。あいつはヒラの団員で我がSOS団の雑用係なんだから気にしなくて良いのよ」
―――表情には、出なかったと思う。その点では大いに自分を褒めてあげたい。
「どしたの、みくるちゃん?」
「いいえ、な、んでもないです・・・」
今、全て言ってしまいそうになった。目の前の傲慢な顔をあらゆる負の感情で歪ませてやりたくなった―――
以前は大丈夫だったのに、最近たがが外れやすくなってきている気がする。それが彼への想いが強まったからなのか、涼宮ハルヒへの嫌悪が強まったからなのかは分からない。多分―――その両方。
と、横からひょい、と大きめの男物の傘を差し出された。
「これをどうぞ。今からならまだ追いつけると思いますよ?」
「・・・・すみません」
感謝ではなく、謝罪。彼は人の情動にとても聡いところがある。多分、私が今考えていたことも少なからず把握されている。
その上で、これ以上涼宮ハルヒと私をこれ以上会話させるべきではないと判断したのだろう。
着替えている暇はない。彼から傘を受け取り、メイド服の上からコートを羽織ってマフラーを巻く。準備万端。
「あ、ちょっと、みくるちゃん!?」
「まぁまぁ、涼宮さん。団長たる者、団員の体調管理も仕事の一つであると、恐れながらこの副団長、進言致しますが?彼が風邪でも引いては困るでしょう?」
「むーーー」
相手にしないで部室から出て、走り出す。
「あっ!・・・・・もう。寄り道したら罰金だってキョンに言っといて〜!」
いい加減にして欲しい。
お世辞にも高性能とは言えない私の心臓が滅茶苦茶な16ビートを鳴らして一時休止を要求するが、無視して走り続ける。
何処まで行っても彼の姿は見えてこない。私の足が遅いということもあるだろうが、恐らく彼も雨に降られて目的地まで走ったのだろう。
案の定、ようやくスーパーまでたどり着いたところで店先で立ち往生している彼を発見した。
「キョンくーーん!」
「あれ・・・朝比奈さん?」
私は少しドジかもしれない。少しだけ。でも今は少しだけそれに感謝してもいい、そんな事を思った。
「あの、もう少し近づかないと。キョン君肩濡れちゃってます・・・」
「え、あ、はい、そうですね・・・」
言いながらほんの数センチだけこちらに近づくキョン君。相変わらず彼の肩は雨に晒されたまま。
そう、私は傘を一本しか持ってきていなかったのだ。つまり、私は届けるべき傘を差して、自分の傘を持たずに彼を迎えに来たのだ。
彼から指摘されてこのことに気付いたときは、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「―――えいっ!」
「なっ!あ、朝比奈さん?」
有無を言わさず彼の腕を抱き抱え、ぴったりと寄り添う。
「あ、あ、あの・・・」
「こうすれば、二人とも濡れません。・・・それとも、もしかしてキョン君、嫌でしたか?」
彼がもの凄く慌てている。少なくとも女性としては意識してくれているんだな、と思うと少し嬉しい。実は私も負けないくらい動揺しているのだけれど。
「いえ、そんなことは決して。でも、なんというか近すぎるのではと・・・もう少し、離れた方が・・・」
「駄目です。キョン君風邪引いちゃいます」
「でも・・・」
「だめです」
「・・・・・ハイ」
キョン君は、何というか、年上っぽくされると途端に押しに弱くなるところがある。そういう意味では、年上である私は少しだけ有利かも知れない。
何となく会話が続かず、二人して赤面したまま雨の中を歩く。どこかくすぐったいような、心地よい沈黙。
彼も私と同じように感じているのだろうか。そうであったなら、とても嬉しい。
不毛な事をしている事は分かっている。私達には先がない。決してハッピーエンドなどあり得ない。
私が彼を愛しているように彼が私を愛してくれたとしても、先にあるのは別れのみ。私がこの時代を後にするときには、間違いなく彼に対する記憶処理が行われるだろう。
―――好きな人に覚えていて貰うことすら出来ないのだ、私は。私は彼に何も残すことが出来ない。
私達を隔てるのは人種でも国家でも身分でもなく、ましてや物理的な距離でもなく、時間というシンプルにして絶対的な概念。
私が欲しいのは、世界の未来などではなく、彼との未来だというのに。一番欲しいものは絶対に手に入らない。絶対に。
「―――――――――っ」
「・・・どうかしましたか、朝比奈さん?体調でも・・・?」
「いえ、何でもないです、何でも・・・あの、もう少し、ゆっくり歩いて貰ってもいいですか?」
「・・・?はい」
抱きしめた腕、分厚いコート越しにかすかに伝わってくる彼の温もりを感じる。
―――今は、もう少しだけ、このままで。