「やっぽーっ!」  
「あ、鶴屋さん。ども」  
「あれれ、キョンくんだけ? 他のみんなは?」  
「見ての通り、みんな掃除当番やら進路指導などでまだ来てません」  
「んー。ヒマそうだねえ」  
「それはもう。いっそこのまま帰ろうかと思ってたくらいですよ」  
「そっかそっか。んじゃ、あたしが暇潰しの話し相手になったげるよっ!」  
 
ということで、俺と鶴屋さんは他の連中が来るまで部室で雑談をする事になった。  
雑談、とはいっても俺のすることといえば主にはー、ふーん、へえー、ほおー等と  
ハ行の相槌を打つばかりで鶴屋さんは舌の根も乾かぬうちに次から次へと、文字通りの  
マシンガントークを繰り出して俺を楽しませてくれた。しかしそれも最初のうちだけで、  
俺の意識は次第に話に合わせて取る鶴屋さんの大げさなジェスチャーで舞い上がったり  
揺れたりする彼女のトレードマークともいえる長い髪の毛へと引き寄せられていった。  
ずっと思ってたんだが、鶴屋さんはどうして髪をここまで長く伸ばしたりしたんだろうか。  
この美しい状態を保つのは並大抵の事じゃないはずで、毎日の手入れは本当に大変だろう。  
そんな髪はきっと素晴らしい触り心地に違いない―――  
 
「わひゃぁっ!」  
「うわっ」  
俺はいつのまにか、鶴屋さんの髪を撫でていた。声に驚き咄嗟に手を離す。  
「キョンくん。いっ、いきなりどうしたっさ? あたしの髪に何か付いてた?」  
「い、いや、あの。鶴屋さんの髪がとても綺麗だったので・・・・・・」  
待て俺。そこは誤魔化す所じゃないのか。こら、口を閉じろ。おい。  
「とても魅力的に見えて・・・・・・思わず触ってみたくなって」  
「・・・・・・」  
「そう思ってて、気が付いた時には手が・・・・・・す、すみません!」  
取って付けたような謝り方で締める。これでは俺はただの変態だ。  
こんな事を突然言われたらさすがの鶴屋さんでも呆気に取られるだろうし、  
SOS団の連中、特にハルヒに知られたら最悪だ。最低でも変態呼ばわりは必至だろうよ。  
「・・・・・・キョンくん?」  
来た。ただでさえ変なあだ名だというのに明日からは枕に変態の二文字が加わるのか。  
それとも大笑いして無かった事にしてくれるのか、とやや現実逃避気味の思考を巡らす。  
 
「キョンくん、あたしの髪に触りたいの?」  
「あ、はい」  
反射的に間抜けな返答をしてしまったが、それより今鶴屋さんは何て言った?  
「いいよ」  
「えっ」  
「髪、触っていいよっ」  
 
そう言うと同時に鶴屋さんは勢いよく後ろにターンした。長い髪がまた揺れる。  
「い、いいんですか? 鶴屋さん」  
「うんっ。あ、でも引っ張ったりしちゃだめだよっ! 痛いのは勘弁だっ」  
「そんなことはしませんが・・・・・・」  
夢にまでは見てないが美しく長い黒髪が目の前で揺れる。だが、本当にいいのか?  
少し躊躇したが、俺は手を震わせつつ、肩口を流れる一部分をそっと手に取ってみた。  
さっきは無意識のうちだったので分からなかったが、想像した以上の柔らかさだ。  
そのまま手櫛を入れて引いてみると、まるで空気を掴んでいるように滑らかに毛先まで  
通ってしまった。今度は両手で持ってみる。優しく摘んでみたり、手櫛を引き、途中で  
戻したりというような事を何度も何度も繰り返す。十本の指と手の裏表全てを使い味わう。  
髪が揺れる度にかすかな風が巻き起こり、同時に届いた香りが俺の鼻腔をくすぐった。  
シャンプーの匂いともう一つ、人工物とは明らかに異なる鶴屋さん自身の匂いが。  
嗅いでいるだけで頭がクラクラして、思わず鶴屋さんの頭を強く抱いてしまいそうになる。  
だが、間一髪の所でそれは叶わなかった。  
 
ドンドンドンドン!  
『みくるちゃーん。いたらもしかしたら着替え中かもしれないから一応ノックするわねー』  
乱暴なノック音と一緒にハルヒが来やがった!  
「わ、わわっ。わわわわわっ!」  
俺は我に返り、思わず髪から手を離した。鶴屋さんも慌ててこちらに向き直る。  
『ま、もし本当にそうだったとしても別にいいわよね。入るわよー』  
ガチャリ、と扉が開いた。  
「あれ? なんだ、キョンか。それに鶴屋さん」  
「や、やあっ。ハルにゃんが来たならあたしはちゃっちゃと退散するっさ!  
キョンくん、もう寂しくないねっ! それじゃ、ばーい!」  
風のように鶴屋さんは去っていった。  
 
「鶴屋さん、どうしたの?」  
「あ、ああ。俺がヒマそうにしてたから話し相手になってもらってた」  
「ふうん。話をしてたにしては妙に息が荒いけど」  
なんて目ざとい奴だ。咄嗟に言い訳を考える。  
「盛り上がったんだよ。鶴屋さんの話が面白くて、それで腹を抱えて笑うくらいにな」  
これは半分本当だ。ハルヒは一瞬不審そうな目をしてたが、  
「ふーん? キョンがお腹を抱えて笑い転げるなんて珍しいわね。あたしも興味あるわ」  
どうやら通じたようだ。安堵する。にしても、ノックするなんて珍しいな。  
「気まぐれよ、気まぐれ。みくるちゃんのかわりがキョンなんて最悪だわ」  
悪かったな。ま、そのお陰でハルヒが来た事に気付けたのだから一応感謝しとくか。  
慌てた鶴屋さんなんてそうそう見られるものじゃないしな。  
それからすぐに長門や朝比奈さん、古泉がやって来て、普段より大分遅れたものの  
SOS団の活動はしめやかに行われ、終了した。  
 
 
翌日、いつものように俺は登校して授業も眠気と後方座席からのシャーペンアタックに  
耐えつつそれなりにこなし、やがて望もうと望むまいと放課後は平等にやって来た。  
ただ一つ昨日と違うのは、今日は俺が進路指導で呼ばれる日だということだ。  
岡部の何のこだわりなのか、順番が来るまで教室で待機するようにと言われ、しかも  
俺はよりによって一番最後。おまけに他の連中は大体十分くらいで戻ってきたのに  
なぜか俺に限って三倍の時間をかけるという暴挙をしやがった。なので、俺が  
教室に戻ってくる頃には夕日が世界を真っ赤に染めるくらいの時間となっていた。  
 
ハルヒの奴は終わり次第さっさと来い、来なかったら罰金と言ってたが、これだけ  
遅いとどう言い訳した所で財布が軽くなるのは確実だろうと考えながら、  
俺はもう誰も残っている者はいないであろう我が教室の扉を開けた。  
 
「遅かったね、キョンくん」  
夕日が眩しかったが、何とか目を前へ向けると・・・・・・鶴屋さん?  
どうしてこんなところに? ああ、そうか。あんまり俺の来るのが遅いから、  
痺れを切らしたハルヒがたまたま来てた鶴屋さんに頼んだんだな。  
「頼まれたのは本当だけど、違うよ」  
「?」  
「昨日の・・・・・・続き、して欲しいんだっ」  
俺の脳裏にあの光景がよみがえる。やわらかな髪の感触。  
昨日はハルヒが来たせいで中断せざるをえなかったが、もしあのまま続けていたら?  
「・・・・・・」  
鶴屋さんは笑顔のまま、それ以上は何も言わず後ろを向いた。  
俺も無言で近づいて、側まで来ると緊張しつつ手を伸ばす。  
 
はじめは昨日と同じようにただ手に取ったり手櫛を引いたりしていたが、髪で指輪を  
作ったり、掬った髪を少しづつ手から離したり、手で束ねた髪をパッと離して髪がバラける  
のを確かめたりと昨日とは違う触り方を試みた。俺たちは一言も言葉を交わさず、  
耳には髪の擦れる音と校庭から聞こえる運動部の掛け声しか入ってこない。  
風と一緒に、いい匂いが運ばれてくる。昨日とは少し違うような気がする。  
一旦意識してしまうともう振り払えない。昨日は邪魔が入ったせいで出来なかったが、  
俺は持った髪を顔に近づけ、鼻で直接鶴屋さんを確かめた。脳が揺さぶられる。  
次の瞬間、俺は両腕で鶴屋さんの頭を強く抱いていた。  
 
「え・・・・・・?」  
そして俺は右手で鶴屋さんの頭を撫でながら、同時に顔を髪へと押し付けた  
「あっ・・・んぅっ」  
ピクリと鶴屋さんの体が震えた。身をよじって逃れようとするが、その力は弱い。  
乱れた髪が俺の顔に纏わりついてくる。俺はそれを口に含む。  
「っぅ・・・だ・・・め・・・」  
まるで毛糸玉を弄ぶ猫のように頭を激しく撫で回す。  
「やっ・・・はぁ・・・っ・・・ぁっ」  
俺は無我夢中でむしゃぶりついていた。もはや力の加減すらできない。  
「鶴屋さん。鶴屋さん。鶴屋さん!」  
「はっ・・・ぁ・・・きょん、く・・・ん・・・ぅっ」  
かすかに残った俺の理性では、ただ目の前の人の名を呼ぶことしかできなかった。  
俺は、鶴屋さんを蹂躙していた。  
「や・・・あぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!」  
鶴屋さんは一際大きな叫びを上げた直後、全身の力が抜けたように崩れ落ち、  
俺もそのまま道連れとなって床に思い切り倒れこんでしまった。  
 
 
「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」  
少し落ち着いてから、俺は鶴屋さんの状態を確めようと少し前に乗り出した。  
そこで見たのは、頬を上気させ、目を潤ませている、普段では絶対に想像できない  
艶かしい姿の鶴屋さんがあった。  
俺はそれを見た時、目の前の人が堪らなく愛しく思えた。  
鶴屋さんの、思ったより軽い身体を強く抱きしめようとした。  
「だっ、だめっ!」  
俺の腕ははっきりと拒絶された。  
鶴屋さんはぱっと立ち上がり、出口の方へ走った。  
「ごめんね・・・・・・」  
去り際の顔はとても悲しそうだった。俺は完全に我に返った。  
教室に一人取り残された俺は、しばらく動くことができなかった。  
 
何とか立ち直って部室へ行くと、待ち構えていたハルヒにガミガミという擬音が  
この上なく似合う説教を聞かされることとなった。が、俺の思考は鶴屋さんのことで  
ほぼ占められていたので、その内容は耳から耳へと綺麗に流れていった。  
ハルヒも俺の様子がおかしいと思ったのだろう、説教は五分ほどで終了した。  
その後も何か言っていたような気がするがこれも記憶からすっぽ抜けている。  
かろうじて土曜、九時、駅前という単語が脳に留まった事は奇跡に値するだろう。  
しかしこんな状態でパトロールなんてできそうもない。だが仮にサボろうとすれば  
携帯は常に鳴り響き、挙句は家まで押しかけてきて誘拐されることだろう。  
次に気が付いた時、俺は自分の家の前にいた。本当にこういう事があるのか。  
 
夜になっても何もする気が起きず、なんとか食事と風呂は済ませベッドに倒れこむ。  
シャミセンよ、重いから背中から降りてくれと心の中で呼びかける。無論効果は無い。  
目を閉じていると、今日あったことが嫌でも瞼に浮かんできてしまう。  
鶴屋さんの柔らかな感触。鶴屋さんの姿態。――鶴屋さんの悲しい顔。  
どうして俺はあんなことをしてしまったのだろう。  
事が起こった後で実に虫のいい話だが、ただ謝りたかった。  
二度とあんな表情は見たくない。俺は笑っている鶴屋さんが好きだから。  
・・・・・・俺は、鶴屋さんのことが好き、なんだろうか?  
深く考えるより前に、俺の意識は闇の中へと沈んでいった。  
 

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