「よっ、キョン」  
いつもの坂を上がっていると、軽い掛け声とともに俺の肩が叩かれた。  
ま、振り返らずとも、そんなことをする人間には数名しか心当たりがなく  
声だけで誰かぐらい俺にでもわかるので、横に視線を送りながら俺は答えた。  
「よう、谷口」  
谷口はそのまま俺の横に並んできた。なんだ? いつもより足取りが軽いな。  
「なんかいいことあったのか?」  
俺の疑問に谷口はかばんをぽん、とひとつ叩くと、  
「おう。まあコトじゃなくてモノなんだがな。手に入れるのに苦労したぜ」  
にやりと笑った。どうでもいいが、あんま似合ってないぞ。  
「うるせえ。ごたごた言ってっと、見せてやんねえぞ」  
なるほど、そういうモノか。  
「すまん、悪かった。だから俺にも見せろ」  
「へへ、そうあせりなさんな。教室に着いてから、国木田といっしょに見ようぜ」  
俺が気付いたことに気付いたんだろうな。谷口は含み笑いでもしそうな顔だった。  
 
「なにさ、谷口。見せたいものって」  
教室に着いた俺たちは、国木田を伴って教室に隅っこに移動した。  
誰も気にかけてないな。ま、三人でだべるのは良くあることだしな。  
谷口はかばんからブックカバーをかけた本を取り出し、見せびらかした。  
「これだよこれ。あまりにもすごかったから、感動を共有しようと思ってな」  
国木田もさすがに何の本かわかったらしい。  
「そんなのを学校に持ってくるのは、あまり感心しないなあ」  
口ではそんなことを言いながら、別に見るのを拒絶するでもない風だ。  
谷口も、口だけなのは承知だと言わんばかりに、本を開いた。  
「おおっ」  
思わず声が出ちまったぜ。最初から丸見えで来るとは思わなかった。しかも無修正か。  
「これは、すごいな」  
そうとしか言いようがない。谷口、よくやった。  
「まあな。こっちのもすごいぜ」  
ページをめくる。いい胸だ。でももしかしたら朝比奈さんのほうが大きいかもしれん。  
そんな不埒なことを考えてたのが悪かったのか、出し抜けに声がかかった。  
「なに見てんの、あんたら」  
 
「わっ!」  
俺も驚いたが、谷口も相当驚いたらしい。  
本が手から滑り落ち、床に転がった。下向けなのは幸いだった。  
しかし、声をかけてきたやつがよりによって、その本を拾いやがった。  
「おい、見るな!」  
俺の忠告もむなしく、本をページがめくられた。ぱらぱらっと最後まで目が通される。  
一通り見てぱたんっ、と本を閉じたそいつ、というかハルヒは、一言告げた。  
「没収」  
それに食って掛かったのが谷口だ。  
「おい、涼宮、それは俺のだぞ! 返せ!」  
「あんたらね、こんなのはひとりで見ればいいでしょ。わざわざ集まって見るものなの?」  
正論だが、わかってないな。  
「谷口は、男の友情を守ろうとしただけだ。俺たちはその本によって友情を確かめ合ったんだよ」  
「キョンの言うとおりだ」  
俺と谷口の反論に、ハルヒはやや鼻白む。  
つうか、国木田。お前なにさりげなく他人のふりしようとしてんだよ。お前も言え。  
「涼宮さん、男はそういうものだから」  
しぶしぶ言った国木田の言葉がとどめになったか、  
「男の友情なんてうそ臭いこと言って! 勝手に見て興奮でもなんでもしてりゃいいでしょ!」  
谷口に本を投げると、肩を怒らせて自分の席に座った。  
やれやれ、たまには普通の高校生らしいことをさせてほしいぜ。  
 
授業中ずっと、ハルヒは不機嫌だった。放課後になって、SOS団の活動が始まってもだ。  
「なにかあったんですか?」  
声をひそめて聞いてきた古泉に、俺は全部を打ち明けた。古泉にしか話せんな、SOS団だと。  
話を聞いた古泉は、苦笑しながら、  
「なるほど。僕としては喜ぶべきなのでしょうか、涼宮さんらしからぬ普通の反応に」  
「あんな反応しかできなかったんじゃないか? それより古泉、見たかったらまた持ってこさせるぞ」  
いいものは共有しないとな。だが、古泉はにこやか笑いのまま首を左右にふり、  
「興味がないことはありませんが、謹んで遠慮させてもらいます」  
このさわやか人間め。  
「こらー! そこ男二人でこそこそ話してんじゃないの!」  
おっと、ハルヒ団長の癇に障ったようだな。くわばらくわばら。  
このときの俺には余裕があった。だってエロ本ぐらい見られても、なんかあるとは思わないだろ?  
全然そうじゃなかったことに気付いたのは、翌日のことだった。  
 
 
今日も今日でだるい坂をだるく上がっていた。  
はあ、これさえなけりゃ、もう少しは楽しい高校生活になりそうなもんなんだがな。  
何度ついたかわからない溜息をつくと、肩が叩かれた。  
「おはよっ、キョン」  
誰だ?  
登校中に俺の肩を叩く人間で、こんな声のやつはいないぞ。  
俺は訝しげに振り返った。するとそこに立ってたのは、俺の知らない女子生徒だった。  
わりと背が高くて、大人の雰囲気があるな。俺の周りにいるのは朝比奈さんを筆頭に  
かわいいという形容詞が似合う女子ばかりだが、眼前にいる女子はきれい、と言うべきだろう。  
「どうしたの? キョン」  
俺の顔を覗き込んでくる。近いぞ、ってそもそも誰なんだ?  
「は? キョン大丈夫? 友達の名前を忘れるなんて、まさかそんな薄情なこと言わないわよね」  
友達? まったく見に覚えのないことを言われても困るぜ。新手のナンパか?  
俺の返事にその女子は、俺を哀れむように、  
「ついにキョンもハルヒさんの毒に侵されちゃったのね。あんまり近づかないでちょうだい。うつるから」  
なんだよそれ、ってどっかで聞き覚えのあるセリフだな……まさか、  
「谷口?」  
「あ、覚えてんじゃん。良かったわね、正常で」  
そいつはにこにこ笑いを返してきたが、俺はそれどころじゃなかった。  
「谷口っ!?」  
俺の驚きようはとても筆舌には尽くせん。  
昨日まで男だったやつがいきなり女だなんて、誰が想像できるってんだ。  
「なに? わたしの名前がどうかしたの?」  
「い、いや、そういうわけじゃないんだが」  
「そこで止まってたら、遅刻するわよ」  
親切で言ってくれてるんだろうが、声をかけられるたびにますます混乱するぜ。  
「先に行っておいてくれ。ちょっと考え事があって」  
「ふうん。変なキョン。じゃ、教室で」  
谷口は手を上げ、高校へ向かっていった。  
さて、またハルヒの仕業なのか? どうなったんだ、今度は。  
 
いくら考えても結論など出るわけがなく、遅刻したらしたで丸損になるため  
俺は一気に坂を駆け上がった。走るとしんどいな。おかげで時間には間に合ったが。  
だが、教室の扉の前で、ためらう。もしこの扉を開けて、中のクラスメイトの性別が  
全員変わっていたら、俺はどうにかなってしまうかもしれん。  
逡巡しているうちに、担任の岡部が来ていたらしい。  
「そこで何してるんだ? ほらさっさと入った入った。ホームルーム始めるぞ」  
岡部は男だな。なら大丈夫か。心に少し余裕ができた俺は、後ろから入った。  
 
「なにやってたの? 遅刻寸前じゃない」  
「いや、ちょっと考え事をしてて」  
席に着いた俺に、後ろの席から声がかかった。振り返る。  
どっからどう見ても、女子生徒の制服を着た、ハルヒだった。安心したぜ。  
あまりにもまじまじと見つめていたせいか、ハルヒは戸惑いながら、  
「な、なによ。あたしになんか文句あんの?」  
いーや。なにもないぞ。  
「それなら、いちいちガンつけんじゃないわよ」  
顔見てただけでガンつけたことになんのか。ま、いいや。  
ハルヒが変わってなかっただけでも、俺の心の安定はかなりの度合いで保たれた。現金だな、俺。  
 
ホームルームはじきに終わり、次の授業への移動時間になった。  
しかし次の授業はこの教室でするため、要するに休憩時間ってわけだ。  
「それにしても、坂に突っ立ってて、何を考えてたの? キョン」  
谷口が寄ってきた。お前が女になっても俺たちはだべってるのか。  
ちらっとハルヒを見る。特に変わった様子もないな。  
「なんでもない。ちょっと世を儚んでただけだ」  
「なにそれ」  
意味不明というジェスチャーをする谷口。問われても俺も意味不明なんだから答えようがない。  
「へえ、そんなことがあったんだ。ボクも見たかったな」  
この声は国木田か。振り向きながら返事をする。  
「別にそんな面白い見世物でもな――」  
お前もか、国木田よ……  
 
国木田も女子の制服を着ていた。しかしだ。  
顔も声も髪も変わってないのは、どういうことだ? いや、似合ってはいるんだが。  
これじゃ、俺の目には国木田が単に女装しているように見えるぞ。  
「なに? キョン。ボクの顔になんかついてる?」  
「国木田、お前女装か? それ」  
「へ?」  
なにを言われたのかわからないといった国木田。しばらくして、  
「あのね、たしかにボクは胸も小さいし女の子っぽくないけど、それはあんまりじゃない?」  
谷口からも非難の視線が飛んできてるぜ。しくった。  
「すまん、なんか大ボケかましてしまった」  
「まあ、キョンの言いたいこともわからないでもないんだけどね」  
せめてもっと胸が大きくなればなあ、とぼやく国木田。  
「揉んでほしい?」  
意地悪く言う谷口に、  
「揉んでもらうなら、キョンにしてもらうよ」  
ってなんでそこで俺が出てくるんだ。  
「あはは、冗談に決まってるじゃん。そんなことしたら涼宮さんになにをされるか」  
ってなんでそこにハルヒが出てくるんだよ。  
「あれ、てっきりキョンは涼宮さんと付き合ってるんだと思ってたけど」  
「ハルヒのSOS団には付き合ってるが、ハルヒと付き合ってるわけじゃない」  
「ふうん」  
どうでもいいような声は出して欲しくないぞ。俺にとってはかなり重要な線引きだ。  
「なら、ボクにもチャンスはあるってことだね」  
は?  
一瞬、俺が国木田と腕を組んで歩いている姿を想像してしまった。  
「い、いや、国木田とは、ずっといい友達でいたいな」  
「キョン、それ普通、女が告白を断るときに使う常套句なんだけど」  
からかうな、谷口。国木田もなに微妙な顔してんだよ。  
こんな状況でも冷静につっこみを入れられる俺は、もう一般人じゃないのかもしれんな。  
 
谷口と国木田が変わった以外に別段変化はなく、授業も相変わらずつまらんものだった。  
それにしても、ここでの俺の立場はどうなってんだ? 女二人とだべる男って。  
「さあ? 少なくともナンパな人間だとか、女たらしだとは思われてないわよ」  
昼休み。俺のぼやきに、弁当をつつきながら、谷口が口を挟んだ。  
「たまたまボクぐらいしか前の中学で仲の良かった人がいなかったからね」  
コロッケを口に運びながら、国木田。  
それならいいんだが……いや、良くはないんだがな。  
ハルヒは相変わらず学食で食ってるのか、さっさと出て行きやがった。  
放課後が待ち遠しいぜ。  
 
SOS団の部室へ向かう道すがら、俺はなぜ谷口と国木田だけ変わったのか考えてみた。  
いや、考えるまでもないな。昨日のエロ本だろ、要するに。それしか思いつかん。  
あれにどんな意味があったんだ? ハルヒは平然と眺めてたぞ。  
それこそ、もうちょっと恥らってもいいだろ、とこっちが思ってしまうぐらいに。  
そこまで考えたところで、部室に着いた。考えるのをやめノックする。  
「はあい」  
朝比奈さんのかわいらしい声がして、ドアが開いた。  
「キョンくん、こんにちは」  
メイドさんの格好をした朝比奈さんが出迎えてくれた。何度見ても愛くるしいお人だ。  
奥には長門の姿も見えるな。当然、女子の制服だ。  
「どうも」  
かばんを机の上に預けて、パイプ椅子に腰掛け朝比奈さんがお茶を淹れてくれるのを眺める。  
見つめられているのに気付いたのか、朝比奈さんは顔を赤く染めながら、  
「あまり見ないでください。恥ずかしいです……」  
この反応だよ、ハルヒに足りないものは。あったらあったで変かもしれんが。口が滑らかになる。  
「すいません、つい見とれてました」  
「そんなこと言って、涼宮さんが聞いたらどうするんですか」  
さて、どうなるんだろうね?  
まあ、ハルヒのいる前でそんなことを言う度胸は俺にはないけどな。  
手を頬に当ててうつむく朝比奈さんと長門のページをめくる音が、しばらく部室を占めた。  
 
「おはよーっ!」  
とっくに午後になって久しいが。  
「うるさいわね。早ければなんでもおはようでいいのよ!」  
ハルヒは独特の解釈を持ち出し、ずかずかと団長席へ向かう。いそいそとお茶を用意する朝比奈さん。  
なんにせよ、変わらんな。谷口と国木田の件に関しては、今日の活動が終わった後で相談することにしよう。  
ええと、それでどこまで考えてたんだったかな。  
エロ本に対するハルヒの反応までか。  
そのあと、俺や谷口、国木田の反撃に合って、退散したんだったな。  
あれはけっこう傑作だったぜ。まさかハルヒに一泡吹かせることができるなんてな。  
谷口もエロ本そっちのけで、「涼宮も男の友情にはかなわなかったか!」って凱歌を挙げてたぞ。  
あいつのことだから、ハルヒとの長い付き合いの中で初めてだったんじゃないか?  
ハルヒに男の友情なんてわかるわけないんだがな。  
ん? 男の友情? まさか。  
そう思ったとき、ドアが開いた。  
 
「みなさん、お揃いでしたか」  
笑顔を浮かべながら、そいつは部室に入ってきた。  
ハルヒ的には、俺とこいつも男の友情でつながってると解釈されたのか。  
どこをどう見たらそうなるんだよ、おいハルヒ。たしかにあの二人の前か後に来るのは、こいつだろうが。  
せっかくの安寧をかき乱された俺は、机に突っ伏しそうになった。  
それを思いとどまったのは、長門の姿が視界に入っていたからだ。  
今までの最悪な事態に比べれば、今のところ俺の精神衛生上多少の問題があるだけだしな。  
まったく、俺の平穏はどこにあるんだ。  
 
いつまでも思考の堂々巡りをするわけにもいかん。そこにあるのが現実なんだからな。  
というわけで、俺は部室に入ってきたそいつを受け入れることにした。  
如才ない笑み、柔らかい物腰、楚々という言葉が似合いそうな雰囲気。  
認めるしかない。美人だった。ああ、美人だったとも。  
「遅いわよ、古泉さん。どこで油売ってたの?」  
「少し、クラスの業務がありましたもので」  
そいつが古泉だということを除けばな。  
 
内心の動揺を押し隠しつつ、俺はその日の活動を過ごした。  
とは言っても、なにがあるでもなく、ハルヒはただ団長席に座ってネットを見てるだけだったし  
長門は言うまでもなく読書、朝比奈さんもおいしいお茶の淹れ方という本を熱心にご覧になられていた。  
古泉と俺がやってたのは、昨日から続いていたナンプレの早解き勝負だ。  
普通のゲームなら勝てるんだが、こればっかりは歯が立たん。特別クラスの面目躍如ってところか。  
まあいい。いい気晴らしになったからな。  
 
「今日は終わり! また明日ね」  
長門の本を閉じる音で、ハルヒは解散を告げた。かばんをつかんで、台風のように部室から走り去った。  
せめてパソコンの電源ぐらい消していけ。いつも誰が消してると思ってんだ。  
軽やかな足音が消えたのを見計らって、俺は帰り支度をしていた残りの団員に声をかけた。  
「すまんが、ちょっと残ってくれないか。厄介なことが起こったんだ」  
「涼宮さんに関係のあることですか?」  
原因はハルヒだと思うが、関係があるのはむしろお前だ、古泉。  
古泉は、少し首をかしげ、  
「これといって思い当たるふしもありませんが」  
そりゃそうだろうよ。長門ぐらいじゃないか? 知ってるのは。  
そう思い長門を見ると、俺をじっと見つめていた。  
「あ、それじゃとりあえずあたし着替えますね」  
朝比奈さんはそう言って、俺のほうに視線を送る。ああ、出て行かなけりゃな。  
「おい、古泉出る……」  
古泉は、出て行かなくていいのか。くそ、今日初めて理不尽だと思わされたぜ。  
「なんでしょう?」  
聞き返してくる古泉がいまいましい。バツが悪い。  
「いや、なんでもない。それじゃ、着替え終わったら呼んでください」  
廊下へ出る。こんなことなら男の古泉のほうがよっぽどマシだ。  
 
「えっ、古泉さんは昨日まで男の人だったんですか? それにキョンくんのお友達も?」  
俺の話を聞いて、口に手を当て驚かれる朝比奈さん。そりゃ驚きますよね。  
ちなみにエロ本どうこうの部分はぼかしておいた。  
「大変興味深い話です。わたしにはそんな記憶はありません」  
笑顔で言う古泉。笑顔でいいのか、お前は。  
「特に女性であることを不便に感じてもいませんので」  
お前がそうでも、俺は構うんだよ。  
俺はこの事態を把握していると思われる人物に問いかけた。  
「長門、なぜこんなことになったのかわかるか?」  
長門は、ゆっくりとまばたきをし、口を開いた。  
「わからない」  
「は?」  
ちょっと待てよ、お前がわからなかったら、誰がわかるってんだ。  
しかし長門は、すぐに言葉を継いだ。  
「語弊があった。わたしがわからないのは、涼宮ハルヒが情報改変を行った原因の定義」  
「というと?」  
俺の問いかけに首を傾け、  
「男の友情って、なに?」  
うっ、それはわからなくても仕方がないかもしれん。  
朝比奈さんも全然わからないって顔をしてるし、古泉も肩をすくめてるな。説明しにくいぞ。  
「本かなにかで見たことないか?」  
長門はしばらく首を傾けたまま動きを止め、珍しく自信がなさそうに言った。  
「……河原で殴り合いながらいつの間にか笑い出し、打ち解けたあとに芽生えるもの?」  
そう、そんな感じだよ。さすが長門、ややステレオタイプな気もするが。  
それでも長門は納得がいかないらしく、視線を中空に漂わせたあと、  
「現場を再現、検証する。ちょっと待って」  
そう言うと、自分のかばんから白紙のルーズリーフを1枚取り出した。  
なにをする気だ?  
長門がルーズリーフに視線を向けると、紙切れは突如歪みだし、渦巻き状の物体になった。  
あれか、眼鏡を銃に物質変換させたときと同じことか。  
 
そうしてしばらくして出来たものは、  
「……本、ですね」  
古泉がつぶやいたように、ブックカバーに覆われた本だった。  
え?  
「検証する」  
「まっ、待――」  
俺の制止もむなしく、机の上に置かれた本が全開きになった。  
「ひえっ!?」  
朝比奈さんが悲鳴を上げる。  
「これはこれは」  
古泉は余裕の表情で中の写真を見ている。  
「…………」  
長門のいつもより長い沈黙がなぜか痛い。  
長門よ、この不意打ちはないぜ。朝比奈さんにこんなのを見てたなんてバレるとは。死にてぇ。  
その朝比奈さんは顔を真っ赤にして本から視線をどけると、  
「キョンくん、だ、大丈夫です。あたしは、あの、その、あまり気にしてませんから」  
フォローしてくれてるんでしょうけど、傷をえぐるだけです。  
「その、男の人が、こういう……もの、に興味があるのは、知っていますし」  
もう泣きたい気分だ。  
古泉と長門はそのまま最後まで丸々読み切り、  
「なかなか面白いものを拝見させていただきました」  
「これが、男の友情?」  
笑顔と疑問符、それぞれを浮かべる。古泉、お前、女になっても全然変わらんな。  
「そうとも限りませんよ」  
古泉は、女だからか男のときより数倍魅惑的に感じる微笑をし、  
「たとえば、男のわたしは、あなたに友情以上のものを感じていなかったでしょう」  
そりゃそうだろうな。野郎の古泉から愛の告白なんぞされたくないぞ、って、  
「古泉?」  
今、なんて言った?  
 
「端的に申し上げれば、あなたのことを好きだということですが」  
さらりと言うなさらりと。朝比奈さんが驚いてるぞ。長門も動きを止めている。  
ええと、なんでまたいきなり?  
古泉は寂しそうに、  
「長門さんなら、きっと世界を元に戻す方法もご存知なのでしょう。そうすればわたしは消えます」  
あ。まったく考えてなかった。  
古泉は俺の表情からそれを読み取ったのか、少し俺を責めるように、  
「できれば、わたしのいないところで事を済ませていただきたかったですね」  
「……すまん。いつもお前や長門、朝比奈さんに相談する癖がついてたんだ」  
いつかのあいつらも、自分がいなくなると知ったらどう思うか。配慮が欠けてたな、俺は。  
反省している俺を見て、古泉は笑みをたたえ、  
「冗談ですよ。わたしはいなくなりますが、古泉一樹がいなくなるわけではありません」  
それに、と古泉は言い、  
「かえって良かったかもしれません。立場上、絶対に言えないことを言えたのですから」  
晴れ晴れとした表情をした。さらにちらっと目配せを送った。  
俺にではないぞ。朝比奈さんと長門にだ。どういう意味合いなのかは、さてわからんね。  
なぜなら、この世界のみんなが記憶している俺と今の俺は、微妙に違ってるだろうからさ。  
 
「それで、どうすればいい?」  
湿っぽくなった空気を振り払わんと、俺は長門に聞いた。  
「男の友情の定義については、まだ考察が必要」  
「それは必要不可欠なのか?」  
こくん、と長門は縦に首を振った。  
「わたしにとっては。だが、今までの情報から類推すれば、今回の事態を対処するには十分だと考える」  
「じゃあそうしてくれ」  
「了解した」  
そう言うと長門は、古泉を憧れの上級生を見るような目で見ていた朝比奈さんのほうを向いた。  
「協力してほしい。わたしだけでは時間遡行は不可能」  
長門の要請に、はっと振り向く朝比奈さん。  
「あっ、は、はい。わかりました」  
 
「でも、申請しないと時間移動はできません。少し時間がかかります」  
朝比奈さんがおずおずと申し出た。長門はしばらくじっと朝比奈さんを見つめ、  
「代理で許可を取った。すぐに時間遡行できるはず」  
「えっ? うそっ……ほ、ほんとです。最優先コードとして処理されてます」  
信じられないという顔で長門を見る朝比奈さん。  
「通常ならばできないが、この改変された世界であれば可能」  
長門は簡単に説明すると、俺のほうを向き、  
「あなたには選択権がある。この改変された世界でのことを覚えておくか、それとも忘れるか」  
「選択権だと?」  
「そう。今回は前回のようにあなたが記憶しておく必要はないと考える」  
たしかにな。今回はハルヒの仕業だから、長門が情報改変後すぐに処理すれば済む話か。  
納得した俺は、しかし逆のことを口走っていた。  
「いや、ここでの出来事は覚えていたい」  
じゃないと古泉に失礼だろ、と心の中で付け加える。  
視界の隅で古泉がほっとした顔を見せたのは、たぶん一生忘れられないな。  
「了解した。朝比奈みくる、あなたは?」  
長門は次に朝比奈さんに振る。朝比奈さんは、きっぱりと言った。  
「いえ、あたしは覚えておきたくありません」  
「そう」  
あっさり納得する長門。  
「なぜですか?」  
思わず聞く俺に、答えたのは古泉だった。  
「当然でしょう。その朝比奈さんにとっては、最初からわたし、女の古泉一樹だったのですから」  
そりゃそうか。でも、改変されたこの一日だけの記憶を残すこともできるのでは?  
「可能」  
長門もそう答えてくれた。しかし朝比奈さんは、首を振った。  
「それでも忘れたいです。今の気持ちのまま、元の世界に戻りたくありません。ごめんなさい、古泉さん」  
「いえ、いいんですよ。たぶん、わたしの発言に端を発していると思うので」  
朝比奈さんの気持ちを汲み取ったかのように、古泉が答えた。  
 
それから長門に腕を甘噛みしてもらい、準備の整った俺たちは  
古泉が見守る中、出発しようとしていた。  
「目をつぶってください」  
朝比奈さんの声に目を閉じる。何度やっても慣れない時間遡行の衝撃に備える。  
……ん? おかしいな、まだか?  
「も、もうちょっと待ってくださいね」  
朝比奈さんがなぜか慌てながら言った。まさかトラブルですか?  
「いえ、そうじゃないです。もう、早くっ」  
声を潜めてなにが「早く」なんだろうか。気になって仕方がない。  
そう思った瞬間、右頬に暖かいものが触れた。ちゅっ、という擬音がする。  
「えっ?」  
目を開けようとした俺を強い衝撃が襲った。  
時間遡行が始まった。衝撃に耐え切れず、俺は気を失ってしまった。  
 
 
「キョンくん……キョンくん」  
声を潜めた呼びかけに目を開けると、朝比奈さんと長門がいた。  
ここは、俺の部屋か、ってベッドの上にもう一人俺が寝てるぞ?  
「そのあなたは、まもなく時空改変に巻き込まれ消失する」  
長門はそう説明したあと、  
「わたしはこれから涼宮ハルヒの家に行かなければならない。明日、学校で」  
足音をさせずに部屋を出て行った。部屋に残されたのは俺と朝比奈さんと寝ている俺だ。  
とりあえず朝比奈さんと向き合った。  
「ええと、朝比奈さんもあと数分で……?」  
「はい、消えます」  
そんなあっさり言わなくても。  
「いえ、いいんです。どうせいつかは似たようなことになるんですから」  
未来に帰るときのことか。この朝比奈さんの口から言われると辛いものがあるな。  
「今ここにいるあたしを大切にしてあげてください。でも仲良くなりすぎちゃダメですよ?」  
朝比奈さんはそう言って、下手なウインクをすると、  
「これはその約束代わりです」  
俺の左頬にキスをしてくれた。あ、キスと言えば。  
「あ、あの、時間移動の前にした感触は、もしかして――」  
言いかけた俺の口に左手のひとさし指を当て、右手のひとさし指を自分の口に当てると、  
「禁則事項です」  
そう言い残し、朝比奈さんは消えた。  
 
 
いろいろなことがありすぎて眠れないと思ったら、適度に心労を覚えていたらしくさっくり眠れた。  
そして翌日だ。俺にとっては、すでに過ごした一日なんだがな。  
「よっ、キョン」  
「よう」  
なんだか一日見なかっただけで懐かしいな、谷口の顔も。  
こいつが提供してくれる本には、今度から少し注意せねばならんな。  
 
「おはよ、キョン」  
谷口と適当にだべりながら教室に入ると、国木田がいた。  
やべえ、谷口は全然違うから重ねようもないが、国木田は女装姿が記憶にはっきりと残ってる。  
俺に気持ち悪いことを言ったこともな。  
「なに? キョン。僕の顔になんかついてる?」  
「い、いや、なんでもない」  
しばらくは笑いをこらえることとの格闘になりそうだぜ。  
この記憶だけ、長門に頼んで消してもらえば良かった。  
 
「うっす」  
「おっは」  
なんだ、眠そうな顔だな、ハルヒ。  
「ええ、ちょっと有希と長電話しちゃって」  
「長門と?」  
長電話なんて想像もつかんぞ。大体、何を話してたんだ。  
「男の友情」  
「は?」  
「おかげでだいぶ理解できたわ。男の友情っていいものなのね」  
なんか違う気もするが、まあいいか。おい、男の友情に憧れて自分を男なんかにすんなよ。  
「なに言ってんの。あたしが女だから、憧れるんじゃない」  
「……そうか」  
長門に何をハルヒに吹き込んだのか、あとで聞いておこう。嫌な予感がする。  
 
そして放課後だ。授業は同じことの繰り返しで異常につまらんかった。  
古泉とやってるのは、例によってナンプレだ。  
しかし二回目だからか、俺のほうが早く解けてしまった。  
「これは驚きですね。まさかナンプレで僕が負けるとは思いませんでした」  
「俺だってやるときはやるさ」  
実際は思いっきりカンニングみたいなもんなんだが。  
すると、古泉は声を潜めて、  
「昨日の本の件ですが、やっぱり持ってきてもらえるよう、頼んでもらえませんか」  
「ああ、あれか。構わんぞ」  
人間、正直が一番だ。だが、一体なんの風の吹き回しだ?  
「いえ、大したことではないのですが」  
と前置きした上で、  
「昨日の夢に出てきたんですよ。その本をみんなで見ているシーンがね」  
古泉はさすが、超能力者だった。  
 
(おわり)  
 

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