目を血走らせたハルヒのギロチンチョークは俺の喉笛を圧し折るに十分なほど完璧に決まっていたし  
俺自身抵抗する気もさらさらなかったのだが、どうやらハルヒの深層心理は俺を殺すよりも生かす事を  
望んでいたらしく、それはそれでどこか嬉しくもあるのだが、いっそそのまま殺してくれと願っていた  
俺にとっては寧ろ十字架を背負いながら遥か遠くの処刑台へと向かう聖職者の心情に近かった。そりゃあ  
俺がしでかしたのは聖職者の奇跡じゃなく、ただの変態野郎の所業だって事ぐらい分ってるさ。それでも、  
俺の生殺与奪の権利を手にしたハルヒは、慈悲深いのか意地悪いのか俺に生き長らえることを求め、  
今もこうして限界まで距離を開けていつつも同じベッドで寝ているんだからしょうがない。  
 それにしても、気まずい事この上ないな。俺はハルヒに背を向ける形で寝返りを打った。  
 一般的に言って、気になる女の子と二人っきりでラブホテルのベッドで布団に包まるというのは、  
心臓がカーニバルを始める嬉し恥しドキドキワクワクイベントであるはずなのだが、良くも悪くも今の  
俺の精神状態は一般的とは掛け離れており、少なくとも自覚できることと言えば「嬉し恥し」のうちの  
「恥し」部分だけであって、それもただの「恥し」ではなく限りなく「生き恥」に近い形で俺のガラスの  
ハートを苛んでいるのであった。  
 ちなみに、この部屋にはカラオケとかテレビゲームとかハルヒの興味を引きそうな遊び道具は各種  
揃っていたので、普段のハルヒなら「今夜はオールナイトフィーバーよ!」などと俺が「お前はいつの  
時代のナウなヤングなんだ」というツッコミを入れたくなるようなボケをかましてくれるんだろうが、  
さすがのハルヒも、そんな気分にはなれなかったようだ。それに、あの後ルームサービスを頼んだりも  
したのではあるが、何を頼んだのかもいつ来たのかも何を食ったのかもどんな味だったのかもさっぱり  
覚えていない。かと言って、精算の時にチェックを確認しようとも思わないし、それ以前にこのホテル  
から無事脱出できるのかどうかすらも怪しい状況なんだよな。  
 
 そう、問題はそこにもある。  
 どこの悪趣味な連中だか知らないが、俺とハルヒをこのホテルに閉じ込めて、偽ハルヒを俺に宛がい  
見事に暴走した俺のあられもない姿をよりにもよってハルヒに見られてしまった状況を作り出した奴らに  
一発ブチかましてやらないと気がすまないのだが、所詮無知で無力で無節操な俺にできる事と言えば……?  
……何だ今、どこか微妙に誤りがあったような――……分んねえや。  
 いずれにしても、足りない頭で分らんことを考え込んでいてもやっぱり分らないものは分らないし、  
となればそれは時間の無駄以外の何物でもないのでやめることにする。……そのうち何とかなるだろ。  
どっかからヒントが降ってくるさ。そうでもなければ、ふと天啓のようなナイスアイデアが湧いて出て  
くるだろ。なるようになる。それが今までの経験から学んだ事だ。だから今の俺がすべき事と言えば、  
いざという時の為に気力と体力を温存すること以外に無い。となれば、寝ちまうのが一番だな。  
 ハルヒの方は――夢って事にしよう。俺が風呂から上がった時ハルヒは寝てたから、そこから次に  
目覚めるまでは全部夢。風呂入ったのも、飯食ったのも、身悶える全裸の俺の姿も、ぜーんぶ夢。幻。  
 俺としても本気でそうしてしまいたい。あの閉鎖空間を超える史上最低の悪夢だったってことで。  
 よし決まった。もう、寝るしかないね。明日起きたら何事もなかったかのように「おはよう」とでも  
ハルヒに言ってやることにしよう。そん時には、モーニングコーヒーぐらいサービスしてやるか。  
 じゃ、おやすみ……。  
 …………。  
 ……。  
 
「……キョン……起きてる?」  
 …………寝てるよ。  
「起きてんじゃない」  
 ……いや、寝てるってば。  
 
「じゃあ…… 起 き ろ !!」  
   
 ハルヒは、一生懸命夢の世界へと旅立とうとする現実逃避気味な俺が端っこを掴んでいた掛け布団を  
乱暴に剥ぎ取り、独楽の要領でベッドの真ん中に転がした。そんな低血圧な主人公を叩き起こす暴力系  
幼馴染みのような起し方はやめてくれ。  
「これでも加減してるのよ。それとも鈍器のような物で殴った方が良かった?」  
 ……ああ、悪かったよ。お前に新婚夫婦の朝の風景を期待するほうが間違ってるな。少なくとも、  
幸せな家庭はこんな風に朝一番から嫁さんが旦那に馬乗りになって胸倉掴んだりしないしな。多分。  
「あんたさ、そんなアホな戯言の他にあたしに言う事無いの?」  
 ……さあな。何のことだ?  
「あたしが10数えるまでに真摯な態度で反省の辞を述べなさい。そうすれば情状酌量の余地もある  
 かもしれないわよ」  
 ……。  
「……10……9……8……」  
 ……。  
「……7……6……5……」  
 ……。  
「…………4…………3…………2………………」  
 ……。  
「……………………………………1」  
 ……。  
「……………………………………キョン」  
 ……何だ?  
 
「いいから謝れ!!」  
 
 ごめんなさい。  
 
 条件反射的に、俺は謝罪の言葉を口にしていた。弱過ぎ!とか言わないでくれよ?  
 命令口調なくせにどこか悲壮感に揺らぐハルヒの瞳に睨まれても白を切り続けることなんて、父親の  
目の前で桜の枝を斧で切りながら「これは宇宙人の仕業です」としらばっくれるのより100倍難しいと  
思うぜ。  
 当然、この謝罪によって俺が当初計画していた「夢オチ作戦」はその何の捻りも無いネーミングを  
披露する事も無く没となってしまったわけなのだが、  
「そうよそう! 始めっから素直に謝っていればあたしだってこんな手間掛けなくて済んだんだから!  
 あたしの懐の深さに感謝しなさい! さっきの……アレのこと、無かったことにしてあげるわ!」  
 薄暗い部屋でも眩いほどに輝くハルヒスマイルに当てられたら、もうどうでも良くなってくるね。  
 それに、無かったことにしてくれるなら、無理に夢オチにする必要も無いしな。  
「……というわけで、賠償金として今年度いっぱい、全部あんたの奢りって事で手を打ってあげる」  
 無かったことにすんじゃなかったのかYO!  
「見たモノの記憶は無かったことにするの。精神的苦痛に対する賠償はちゃんとしてもらうから。  
 その辺SOS団の風紀にも関わるからね。団長としては是々非々の態度で臨むべきなのよ、うん」  
 ……やられた。あらゆる意味でハルヒに都合がいい結論になっている。全く、かなわんよお前には。  
「ふふっ、下克上なんてあんたには500年早いのよ」  
 満足げな笑みを浮かべたハルヒは、コロンと横になった。  
 ……ギョッとした。  
 腹の上の重しが無くなったのは良いんだが……なあ、おい、いいのかこれ?  
 ベッドに寝転がったハルヒの頭の下には、どうも大の字になっていた俺のっぽい左腕があったりする  
のだが。いわゆるひとつのこれは、腕枕というやつではなかろうか?  
 わざとか? それとも無意識なのか? 本気で気づいていないのか? いやいやそれとも、またもや  
コイツは偽ハルヒなのか?  
 俺の頭の中で、様々な疑問がスクランブル交差点並に錯綜していると、ハルヒが口を開いた。  
    
 だが、言葉が発せられるには、当たり付き自動販売機のルーレットが回りきるぐらいまでの時間が  
必要だった。それまでの間、ハルヒは何度か深呼吸したり、あらぬ方向を見たりと、自分の中で言葉と  
気持ちを整理している様子だった。何だ。何を言うつもりなんだ。俺はただ、そんなハルヒを黙って  
見つめることしかできなかった。  
 やがて、ハルヒは意を決したかのように軽く顎を引いて、  
「……一回しか言わないから、ちゃんと聞いてなさいよ」  
 俺の顔を、ちらりと上目で盗み見た。  
 
「あたしが小学校6年の時、家族と野球場に行ったって話、覚えているわよね?」  
 ……ああ、確かお前の脱線のきっかけだっけか? 企画した奴には、もれなく俺の感謝状をくれて  
やりたいね。   
「そう、ね。きっと喜ぶわ……ってそうじゃなくて! あたしね、実際中学に入ってからいろんなこと  
 してみたの。面白い事は待っててもやってこないんだからね。だから、自分で探してやろうって」  
 それは前に聞いた。結局、何もなかった、て。  
「……ええ、そうね。……そう言えば、その頃からだったのかな。できるだけ他の人とは違う道を選ぶ  
 ようになったのって。だって、みんなと同じほうに行っても全然面白くなかったんだもの」  
 それも前に聞いた。  
「……あれ? 話したっけ……確か、あれって雪――」  
 ――ような気がするだけだったよ。悪い。  
「……そう。で、なんだっけ……あーもうっ、変な茶々入れるから分かんなくなっちゃったじゃない!  
 ……あー、こっからが本題ね。あたしもね、ずっと平気でそんな事出来たわけじゃないのよ。途中で  
 諦めかけたことがあったわ。どこにもそんな普通じゃない特別な人生を送っている人間なんていない  
 んじゃないかって思って……」  
 ほう。それは初耳だな。お前の辞書に諦めなんて文字が過去には存在したのか。  
「そんな時、ある人に出会ったの」  
 
 ……ある人?  
「……あたしもね、いい加減疲れてきちゃってたわ。まだ中学1年生だったしね。いつまで経っても  
 周りに変化ないんだから焦っていたのもあるかも。だから、最後の賭けに出たの」  
 まさか、星に願いを、なんて言わないだろうな?  
「……よく分かったわね。そのまさか、よ。七夕の夜に中学校の校庭に忍び込んで、宇宙に向けての  
 メッセージを描いたの。谷口から聞いたことあるでしょ? ラインカーで校庭に丸とか四角とかの  
 図形を描いたってやつ。これでもダメならもう諦めちゃおうと思って。で、ある人ってのは、その夜  
 あたしを手伝ってくれた変な高校生の事」  
 やっぱ、手伝った、なのは既定なんだな。ほとんどは俺が描いたのにつーか変な高校生かよ!  
「その人、こんな事言ってたわ。宇宙人は間違いなくいるし、未来人も見た事ある、超能力者は吐いて  
 捨てるほどいるし、異世界人ともそのうち会う予定だ……って。これってつまり、少なくとも宇宙人  
 未来人超能力者には心当たりがあるってことでしょ? 凄いって思わない?」  
 何か、俺の発言が随分と歪曲されているが……確かに、そんな発言するのは間違いなく変な人だな。  
 爽やか頭さん認定してやりたいところだが、自分をあんまり卑下しちゃ可哀想だよな、俺。  
「その日はそのまま別れちゃったんだけど、次の日になってから、その人がもしかしたらあたしが  
 求めていたモノの鍵なんじゃないか、って思ったのね。もし、もう一度その人に会えたら、あたし、  
 この退屈な日々を変える事が出来るんじゃないかって。もっと毎日が楽しくなるんじゃないかって」  
 鍵……ね。昔長門にも同じ事言われたような気もするな。  
「で?」  
「うん、その人北高の制服着てたから北高を調べてみたの。校門で待ち伏せしたり、学校に忍び込んで  
 生徒名簿を探したりして。あたしに声掛けてきたバカもいたから、その特徴を話してみたけど……」  
 いなかった、か。  
「……ええ。全く手がかりなし。だから……」  
 ……だから?  
 
「宇宙人と未来人と異世界人と超能力者を探す事にしたの」  
 
 クラッときたね。寝転がっているのに立ちくらみとはこれいかに。  
「だってその人宇宙人とかと知り合いだったのよ? 宇宙人とかに片っ端から当たって行けばそのうち  
 また会えると思ったの」  
 今更だが、敢えて言わせてもらおう。お前の志向性のベクトルは間違いなくおかしい。  
「分かってたわよそんなこと。でもっ……それでも、もう一度会いたかったの!」  
 ……ハルヒよ、ひとつ訊いていいか?  
「何よ」  
 それって、お前の初恋か?  
 
「……………分かんないわよ…………そんなこと…………バカ」  
 
 嘘だ。ハルヒは分かっている。  
 その変な奴――昔の俺――に対し、自分がどんな感情を抱いていたかを。  
 そして、俺は理解した。  
 ハルヒが、恋愛を気の迷いと言って憚らない本当の理由を。  
 
 それは、きっとハルヒがハルヒであるための――  
   
 ……いつしか外の豪雨は止んでいた。優しげな月明かりがハルヒの横顔を照らし出している。  
 それにしても初めて見たな。軽く握った手を口元に当てて俯くこんな……可愛い過ぎるハルヒは。  
それが、俺の腕に幼子のように身体を預けている事実に、また心臓が大きくステップする。  
 いろんな感情が圧縮された水素原子のように暴れまわり、このまま抱きしめちまいたい衝動に駆られ  
ながらも、ハルヒの独白が途中だった事を思い出した。  
 
「それで話は終りか?」  
 ハルヒは身動ぎするように頭を振った。  
「……去年のクリスマスに言ったわよね。あたし、すっごい楽しい一年だったって」  
 そう言えばそんなこと言ってたな。  
「結局宇宙人にも未来人にも超能力者にも……その変な高校生にも会えなかったのにね」  
 安心しろ。その全部に出会ってるぞ……なんて事は言えないのがお約束だ。なんとも、もどかしい。  
「それってやっぱりあ……SOS団の皆に出会えたからだと思うの」  
 ……いま、意識的に言い換えたような気がしたんだが、まあ、それはスルーしてやる。  
「有希、みくるちゃん、古泉君……で、ついでにあんた」  
 ハルヒが顔を上げる。  
 それは、心の純粋な部分だけを濾過してそれを凝縮させたような、そんな透明で穏やかな笑顔だった。  
 ついでの俺にもそんな極上の笑みをくれるとは、今日のお前は随分と気前がいいじゃないか。  
「皆と出会ってから過ごした日々。愉快で楽しくて毎日がジェットコースターみたいにあっという間に  
 過ぎ去っていったこの一年。あたし、絶対に一生忘れない。だから……感謝してる。こんな素敵な  
 毎日をくれた皆に。文句一つ言わずについて来てくれた皆に……」  
 ……俺は、団員の苦情受付総合窓口担当として、逐一お前に意見を具申していたはずだが。  
「あんたには感謝してないから」  
 ……。  
「冗談よ。あんたにもちゃんと感謝してるから安心しなさい」  
 そりゃよかった。これで俺だけ除け者にされたらストライキも辞さないぜ。世論もきっと俺の味方を  
してくれるはずさ。  
「そうかもね」  
 目を細めながら、くすくす笑うハルヒ。  
 
 ここまでくると、俺の目はハルヒの一挙手一投足どころか、唇の動き、睫の揺れ、瞬き一つにすら  
釘付けになっており、ハルヒの頭の向こうでは今か今かと出番を待つマイレフトアームがドーピング  
されたイソギンチャクのようなワキワキした動きを続けているのだが、全身の理性の力を総動員して  
それを押しとどめる。もはや俺は、神か聖人の域に達しようとしているんじゃないかと本気で思うね。  
「あたしね、たまに思うんだけど」  
 ハルヒがまた少し、俺の腕に顔を沈め、瞼を伏せる。  
「もしかしたら、これ全部夢なのかもしれないって。こんな楽しすぎる毎日過ごせるなんて、高校入る  
 前は思わなかったもの」  
 ……そうか。  
「だから、怖いの。夢って結局覚めなきゃいけないじゃない? その時、あたしはあたしでいられるか  
 不安でしょうがないの」  
「……ハルヒ……」  
「SOS団の皆がいるこの生活が、永遠に続いていて欲しいって本気で思う。ずっと、このままで……  
 いたい……皆……変わらないで……あたしも……」  
 
 俺は――ハルヒを抱いた。  
 
 それは無意識とか脊髄反射とかじゃなく、ただ精一杯に自分の想いを伝えようと。  
 そしてこれは、夢じゃないという証の為に。  
 腕の中のハルヒは、混乱する以前に驚きで頭の中が真っ白なのか抵抗する様子は見せなかったが、  
このままでいればそのうち死に物狂いで暴れ始める事だろう。  
 その前に、俺はハルヒの芳しい黒髪に鼻を埋めさせながら、  
「そりゃ無理ってもんだハルヒ。長門にも朝比奈さんにも古泉にだって、それぞれの事情ってもんが  
 あるんだからな。いつかお前から離れていく日が来るはずさ」  
 少なくとも現時点で、朝比奈さんとはいつか別れる事が判明しているんだ。残り二人だって同じだろ。  
 
「むー! むぐー!」  
 
 ハルヒの抗議の声が俺の胸元を通して伝わってくる。だが、俺が思いっきり抱きしめているためか、  
言葉にならずくぐもった振動にしかならない。こりゃ好都合だ。  
 俺は、死んだペットに縋り泣く子供に言い聞かせる親の口調で言う。  
「永遠なんて、無い。そんな夢のような事考えるな。もっと現実を見ろ」  
「むぐぐー! むぐー!」  
 夢見る少女というにはあまりにお転婆すぎる暴れっぷりで、俺の言葉を、俺自身を拒絶しようとする  
ハルヒ。だが、コイツを目覚めさせるのは俺しかいないって事は分かってる。ついでに言えば、他の  
ヤツにこの権利を譲るつもりも毛頭ないね。  
「ずっと同じだなんて有り得ない。いいか、時が経てば人も変わる。環境も変わる。気持ちも変わる。  
 いつまで経っても同じヤツなんていやしねぇんだよ。いたらそいつはバカ以外の何物でもねぇ」  
 あの長門だって、出会った時から全然変わってきてるんだぞ。俺だって成長してきたつもりさ。  
 お前は違うのか? ……いや、そんなことは無い。一番側でお前を見てきた俺が保証してやる。  
「むぐー!!」  
 ハルヒの動きが俺から離れようというものから、俺に対する直接攻撃に変わった。超至近距離での  
レバーブローや急所への膝蹴りを被弾しつつも、俺はハルヒの信じられないほど華奢な身体を離しは  
しなかった。我ながら素晴らしいファイトだ。今の俺なら世界ランカーの攻撃すら耐え切れるような  
気がするね。  
「……でもな、よく聞け。俺も一回しか言わねぇからな」  
「むぐぐぐー!!」  
 
「俺は、ここにいる」  
「……」  
 
 ハルヒの呻き声が消え、俺の身体に襲い掛かっていた凶暴な衝撃も無くなった。  
 俺は続ける。  
「俺はずっとお前の側にいる」  
「……」  
「お前が嫌がろうが逃げ去ろうが地球の裏側でも銀河の果てでも追いかけて、必ずお前を見つけ出す」  
「……」  
「お前がどう変わっちまっても、俺自身がどんなんなっちまっても、俺はずっとお前といる」  
「……」  
「それに、俺以外に誰がお前の面倒みてやれるって言うんだ。宇宙人でも未来人でも超能力者でも  
 異世界人だってお手上げに決まってるだろ。断言してやるぜ」  
「……」  
「……それともう一つ」  
 腕の力を抜き、ハルヒの肩に手をあてる。  
 最後の一言は、ちゃんとハルヒの顔を見て言いたかったのだが、ハルヒはバスローブの胸元にしがみ  
付いたまま、顔を上げようとしない。  
「……おい、どうし――」  
 言いかけて、ハルヒの肩が寒さに震える子犬のように小刻みに震えていることに気が付いた。時折  
その背中がしゃくりあげるようにビクッビクッと痙攣している。  
 視線を虚空に巡らせ頭の中を整理した後、俺は、もう一度ハルヒを抱く。  
 今度は力任せではなく、悪夢に怯える少女を安心させるかのように、肉親が無条件の愛を子に与える  
ように、最愛の存在を優しく包み込むかのように、互いのぬくもりを確かめあう恋人同士のように……  
そんなイメージで。……ったく、調子狂いっぱなしだぜ。  
 ビクンッと脊髄に電気が走ったかのように、一瞬全身を硬直させたハルヒ。  
 俺は焦らなかった。そのままの姿勢で、ハルヒが落ち着くのを待つ。  
 
 ――十分ぐらいしただろうか、漸くハルヒの震えは止まった。腕の中の少女に声を掛ける。  
 
「大丈夫かハルヒ?」  
「…………何がよ、この……バカキョン」  
 大丈夫そうだな。  
「最後の、言い残しがあるんだよ」  
 もぞもぞと、巣穴から出てきたプレーリードックのようにハルヒが俺の腕の中から頭を出した。  
 睨み付けるような上目遣い。だが、そこに怒りや憎しみとは全く違うものが含まれていることに、  
俺はもう気づいている。  
 身体をずらして、ハルヒの顔を正面で見据えた。少し腫れぼったい目元。明るい所で見れば真っ赤で  
あろう瞳。水鳥のように唇を突き出したって、今の俺には何の威嚇にもならないぜ。  
「ハルヒ」  
「……何よ」  
 
「俺もお前に感謝している。お前と出会えた事。お前と過ごした日々。そしてこれから起こる出来事。  
 俺は絶対忘れないし、楽しみで仕方が無い。それに、SOS団なんて愉快な連中と出会えたのも、  
 間違いなく、お前のおかげだ。俺は神なんて存在信じてないから、もし感謝を捧げるとしたら、  
 お前以外に思いつかないな。ありがとう、ハルヒ。そして……これからもよろしく」  
 
 多分ハルヒは、その時の自分の顔を見られたくなかっただろうから、俺は瞳を閉じた。  
 
 どうかな。ハルヒは瞳を閉じたのかな。……作法は守れよハルヒ。  
 
 どちらからともなく生じた唇の温もりに沸騰しかけた頭で、そんな事考えていた。  
 
 
 
 閉鎖空間。    
 
 二人だけの場所。  
 
 二人きりの時間。  
 
 二人分の吐息。  
 
 二人のための闇と月光。  
 
 二人の鼓動――  
 
 
 
 ……この時が永遠に続いたらいいな、なんて頭の片隅で思ってしまったのは、絶対に秘密だ。  
 
 
 
 
『エピローグ』  
 
 古泉じゃないが、俺は一つの仮説を立てた。  
 俺の背を押してくれたあの偽者のハルヒについて。  
 あれはもしかしたら、ハルヒの深層心理が生み出したもう一人のハルヒだったんじゃないか、と。  
 根拠? まあ、敢えて言えば。  
 
 『愛』かな?  
   
 ……あーいかん。惚気るつもりは無かったんだ。谷口のバカが伝染しちまったかな? そういえば、  
谷口はちゃっかり復縁したらしく、今まで以上の蕩け具合だ。近いうちに下水に流した方がクラスの  
環境とクラスメイトの精神衛生上いいんじゃないかと本気で考えている。  
 まあ、それは置いといて。  
 あの偽者については、やっぱり俺としては「ハルヒドッペルゲンガー説」を推したい。  
 根拠は、あのホテルは実際に存在していたってこと。念のため後日インターネットで検索してみたら  
ちゃんと見つかったのだ。それだけで、長門の親戚犯人説の反証になるんじゃないかと思う。  
 よくよく考えてみたら、俺は状況が似ているって言うだけで「閉じ込められた」と思い込んでいた。  
翌朝精算を終えたらあっさり外に出れたんだから、鍵はちゃんと確認はすべきだとつくづく思ったよ。  
 まあ、ドッペルゲンガー説を推すのは、単に俺達の営みが誰かの策略に嵌った結果だと思いたくない  
ってのもあるんだけどね。  
 余談としては、そのホテルを検索中、いつの間にか俺の背後にいたメイド姿の朝比奈さんに  
「キョ、キョン君! ぶ、部室で、えっちなのはいけないとおもいます!」  
 と、説教を食らったって事ぐらいかな。でも、半分以上聞いてなかったけどね。顔を真っ赤にして  
一生懸命俺に人の道を説く朝比奈さんの姿は、見ている人を反省させるより幸せにしちゃうのだから。  
これでエロサイトでも見てたらどうなるのだろうか。そのうち試してみたいと思う。ハルヒに内緒で。  
 
 さて、その後のハルヒはというと――  
 
「こらキョン! 今日は大事な会議だって朝言ってあったでしょ!」  
「しゃーねーだろ。掃除当番だって俺だって言ったじゃないか」  
「うるさい! 反論があるなら文書で提出しなさい! 言うだけなら九官鳥でもできるわ!」  
 
 とまあ、相変わらず旧文芸部部室のSOS団団長席で暴政を敷き続けている。  
 ったく、あの日のしおらしさはどこ行っちまったのか。  
 ま、いきなりころっと恋する乙女になられてもこっちが困るけどな。  
 
 ひとまずハルヒ以外の皆に「遅れてすまない」と挨拶し、三者三様の返事に満足しながら、いつもの  
定位置にパイプ椅子を設置。  
「で、その議題とやらは一体何なんだ?」と、椅子に腰を掛ける。  
 その俺の目に、ハルヒの勝ち誇ったような笑みとホワイトボードが飛び込んできた。  
 そして、毎度毎度のハルヒ宣言。  
 
「今日は、文化祭の出し物について話し合うわよ!」  
 
 ……随分と気が早いな。そう思わんか古泉?  
「いえ、涼宮さんはきっと制作期間を十分に確保して超大作映画を作りたいとお考えなのでしょう。  
 先の文化祭の際には常に時間に追われていましたからね。その反省を活かしているのですから、  
 僕としては何の異存もありませんよ」  
 でもな、結局また面倒事が今度は長期スパンで……って何でお前映画を作るって知ってるんだ?  
「さあ?」  
   
 古泉は、ババ抜きでジョーカーを上手く相手に引かせたかのようなニヤケ顔で肩をすくめた。  
 ……何だよその意味深な笑いは。  
「そこぉ! 会議中は私語厳禁よ!」  
 へいへい。  
「ふん……さて、今度の文化祭ではSOS団はこの映画を上映するわよ!」  
 ハルヒはホワイトボードを引っ叩き、ぐるんと半回転させると、そこには既に朝比奈さんのものと  
思しき丸まっちい字が並んでいた。  
 俺の目がおかしくなければ、そこにはこう書いてあった。  
 
『SOS団文化祭出展作品 自主制作映画:人魚姫 主演・監督・演出・脚本:涼宮ハルヒ』  
 
 ……驚いたね。いや、もう決まっているって事自体はいつもの事だからいいんだけどね。  
「お前……監督だけじゃ満足できないのか?」  
「何言ってんのよ。某コメディアン出身文化人の作品なんてほとんどが主演兼監督じゃない」  
 ……そりゃそうだけどさ。ま、それも勘弁できない事は無いが……問題は、その下だよその下!!  
「いえ、僕は適任だと思いますよ。僕には恐れ多くてこんな大役演じきれるとは思えません」  
 まるで二人の前途を祝福する友人代表のような満面の笑みを浮かべる古泉。  
 貴様、知っててさっき……っつーか、この状況だと知らなかったのって俺だけってことか?  
 あの、朝比奈さん……いいんですか? 今回はあなたがヒロインじゃないみたいですよ?  
「ええ勿論。それに、隣国の王女様なら素敵なドレスも着れそうですね。楽しみです」  
 あー、そうですか。  
 おい、長門。お前もいいのか? なんだか意地悪な魔女役らしいぞ。  
「いい」  
 ……だろな。  
 
「こらキョン! 往生際が悪いわよ。これは厳正な審査の結果多数決によって決まった結果なの。  
 あんた一人が反対して部室を占拠したって、民主主義のルールに逆らう事は出来ないのよ!」  
 マイノリティに対する配慮の欠けた民主主義なんて衆愚政治の温床になるだけだぞ。  
「無駄な詭弁で時間を浪費するのは止めなさい。あたし達には限られた時間しかないの。今この時  
 この瞬間を大事に生きなきゃいけないのよ。永遠に時間が続くなんて妄言はあたしが許さないわ!」  
 ……このアマ……。  
「さあ、どうするのキョン? 尤も選択肢なんて無いけどね」  
 ハルヒは実に、実にいい笑顔で俺に迫る。  
「キョン君?」  
 朝比奈さんは相変わらずぽわぽわした笑顔を俺に向ける。  
「これはもう、腹を括るしかないですね」  
 古泉の顔は見る気がしない。  
「……」  
 長門は相変わらずハードカバーを読んでいる。  
 何てこった。皆そろいも揃ってグルなのか(長門はいまいちよく分からないが)。  
「ま、安心なさい。ちゃんとコメディータッチのハッピーエンド用意してあげるから」  
 ……なんじゃそりゃ。  
 ハルヒは、それでも返事を渋り続ける俺の胸元にちょんと指先で触れ、上目遣いで俺を見上げる。  
訳もなく緊張に強張る俺の頬。  
 
「それに……あたし、あんたには期待してるんだからね。ちゃんとあたしの期待に応えてよ……」  
「……わ、わかった」  
 
 ……何やってんだろね俺。  
 
 押しだけじゃなく引きを覚えて益々手のつけられなくなったハルヒが、無邪気な笑顔を浮かべて  
作品の構想を身振り手振りを交えながら語り始めるのを見つめながら思う。  
 
 また、きっとトンチキな事件が起こるんだろな。  
 
 だが、それを自分で選んでしまった以上、これから先は自己責任だ。だれに責任転嫁するわけにも  
いかない。最後まで付き合うって、そこから先まで面倒見るって約束しちまったんだ。  
 ならば。  
 やるっきゃないか。  
 
 でも、まずは……  
 
「何ボケッとしてんのよキョン! 海行くわよ海! 意識失うまで盛大に溺れなさい!」  
 
 ……どうやってこの窮地を乗り越えようか?  
 
 
                                        (おしまい)  
 
 

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