とある日の放課後。  
俺は古泉を呼び出した。  
指定の場所に行くと、あいつは校舎裏の木に背を持たれて待っていた。  
「よう、悪いなわざわざ」  
平静を装って声をかける。  
「いえいえ。それで、僕に用事とはなんでしょう」  
いつものスマイルを浮かべ、壁から背を離す古泉。  
「……お前、ハルヒに告白したって本当か」  
実を言うと、別に誰かから聞いたわけじゃない。  
俺はたまたま古泉がハルヒに告白しているところに出くわしたのだ。  
伝聞形なのは、その場にいたと知られないためだ。  
「ええ、本当ですよ」  
いつも浮かべている作り物の笑みのまま、ポケットに手を突っ込んだ古泉は言う。  
正気か?  
「以前にも言いましたが、僕はいつでもほどほどに正気のつもりですよ」  
そう言うと、古泉は俺から視線を外してあらぬ方へと目を向けた。  
「とはいえ、完全に僕の意思で告白したかというとそうでもありません。  
これは『機関』の意向でもありましてね」  
古泉の笑みが変わった。  
あいまいな微笑から、何か企んでいるような嫌な笑みへと。  
「涼宮さんの精神は確かに安定してきています。  
ですが、完全な安定には程遠いものです。主にあなたのせいでね。  
ならば僕自身がその安定の礎となればいい、『機関』の上層部はそう考えたようです」  
なんだそりゃ。  
久々に怒りがこみ上げてきた。  
長門の処分の検討を聞いたとき以来の怒りだ。  
「お前はそれでいいのか」  
「ええ。僕としても魅力的な恋人が出来るのは望ましいことですし。  
これでも若く健康な男子高校生なわけですから、それなりに欲望もあります。  
なにより、涼宮さんと僕がそういう関係になれば『機関』は間接的に涼宮さんを有することが出来る。  
膠着状態の様々な派閥が形成するパワーバランスの上に立てるのですよ」  
……ふざけんな。  
ハルヒを道具かなにかみたいに言いやがって。  
視界が一瞬赤く染まり、頭のどこかから何かか切れた音が聞こえた気がする。  
「―――ハルヒはてめえらの駒じゃねえっ!!!」  
気づいたときには叫んでいた。  
全身の筋肉を、縮められたバネに変えたかの如く、一直線に駆け出す。  
全力で握り締めた拳を振りかぶり、古泉の顔面目掛けて振り回す。  
ポケットに手を突っ込んだままの古泉が、不意に体を捻ったと認識した瞬間、  
 
―――俺の腹に、鈍い衝撃と痛みが襲ってきた。  
 
古泉の膝蹴りだと理解した瞬間、今度は左足に痛みが現れた。  
今度は古泉のロー・キック。  
それで完全にバランスを崩し、俺は無様に地面に転がった。  
「見くびってもらっては困りますね」  
余裕綽々のムカつく笑みを浮かべつつ、古泉が口を開く。  
「こう見えても僕は『機関』に入ってから三年間、訓練を受けているんですよ。  
足一本であなたを地に付けられるくらいには、ね」  
うるせえ。  
だからってこの状況で退けるか?  
確かに俺は面倒事は嫌いだけどな、意地の張りどころくらいはわかってるつもりだぜ。  
足は痛いが、立つのにも走るのにも差し支えはない。  
ついでに言えば、あの気に食わないニヤケ面を思いっきりぶん殴るまたとないチャンスだ。  
いくぜ、キョン。  
自分に一つ声援を飛ばし、再び古泉に向かって駆け出した。  
そこから先は、実を言うとあんまり覚えていない。  
おぼろげに覚えているのは、ことごとくかわされる俺の拳と、  
達人の振るうムチか何かのように、俺に容赦なく降り注ぐ古泉の蹴り。  
それと、まぐれ当たりであいつの腕や肩を捉えた拳の感触。  
気づいた時には、地面に大の字になって転がっていた。  
体中が痛い。  
息が荒い。  
左足なんかは集中攻撃されたおかげで、感覚が鈍くて動かしづらい。  
それでも、俺はまだ古泉に負けたとは欠片も思っちゃいなかった。  
「タフな人ですね、あなたも」  
最初に殴りかかったときとなんら変わらぬ笑みのまま、古泉は立っていた。  
生憎とハルヒに付き合ってたおかげで体力だけはついたみたいでな。  
命懸けの修羅場も数えるほどだがくぐってきたわけだし。  
体中の気力を総動員し、痛みを強引に無視して立ち上がる。  
まだ拳は握れる。  
足も動く。  
まだ、終わるわけにはいかないんだよ。  
駆け出す。  
今日一日で何回も繰り返したこの動き。  
体はあちこち痛めつけられているはずなのに、一番速く動いている気がした。  
拳を振りかぶり、顔面へと突き出す。  
その瞬間。  
左足の力が崩れるように抜け、体が大きく傾いだ。  
拳の狙いが顔面から大きく逸れ、初めて古泉の顔が驚愕へと変わる。  
ごりっ、と拳に何かを擦ったような感覚が伝わった。  
鳩尾に拳がめり込み、古泉はくの字に体を折った。  
頼む!  
一生分の祈りを左足に込めて踏ん張る。  
倒れこむ寸前で左足に力が戻り、揺らいだ体が安定する。  
そのまま左足を蹴って踏み込み、もう一度拳を振り上げ、  
 
古泉の顔面をこの上ない最高のパンチで殴り倒した。  
 
地面に転がり、先程の俺と同じ大の字になって倒れこむ古泉。  
起き上がろうとしないところを見ると、どうやら気絶しているらしい。  
それを見届けると、俺はその場に崩れるように腰を下ろした。  
……疲れた。  
ハルヒに関わって疲れる時の1.5倍くらいの疲れだ。  
体は痛いし。  
ん?そもそも何で俺は古泉と殴り合いなんぞしてたんだ?  
「あなたが殴りかかってきたんでしょう。『涼宮さんは僕らの駒じゃない』ってね。」  
気絶してたんじゃなかったのか、古泉。  
「完全に落ちましたよ。まあ、ほんの数秒ほどですがね」  
そう言って、古泉は大の字に倒れたままゆっくりと深呼吸した。  
「……『機関』から命令が来ていたのは事実です。  
ただ、それを実行するか否かは僕の自由意思に任されていたんです」  
……どういうことだ。  
「僕が涼宮さんに好意を抱いているなら僕がパートナーとなって安定させる。  
そうでないなら現状維持……それが僕に来た命令だったんですよ」  
すると何か?  
お前はハルヒに好意を抱いていたから告白したと?  
「そうです。僕としてもいい機会でしたので。  
『機関』の立場云々については僕の創作、嘘っぱちです。  
涼宮さんを有するようなことになればかえって不利になりますよ。  
他勢力が結託して総攻撃ということも在り得るのですから」  
騙された。  
その嘘っぱちに完全にキレた俺の立場はどうなるんだ。  
「ついでに言うなら、僕の告白は既に断られましたよ。  
僕のことは大切な友人ですが、恋愛対象にはなりえないそうです。  
……好きな方もいらっしゃるようですしね」  
聞いたのか?  
「ええ。どこがいいのかわからないけれども、とにかく好きなんだそうです」  
そうか。  
ま、俺には関係ない話だがな。  
あいつがまともに恋愛できるならめでたいことこの上ない。  
「……正気ですか?」  
お前じゃないが、俺はいつでもそれなりに正気のつもりだ。  
それともなにか?  
お前はハルヒが恋愛しない方がいいと思っているのか。  
そりゃ狭量ってもんだぜ。  
「そうではありませんよ……僕はあなたの鈍感さを見くびっていたようです」  
なんだそりゃ。  
「僕の口から言うのはフェアじゃありませんが……涼宮さんが好きなのはあなたですよ」  
………………マジか?  
「えらくマジです」  
脳が停止した。  
 
ああそうかと受け入れる自分がいる反面、最大級にパニクっている自分もいるという、  
なんとも面白い精神状態が俺の中で展開された。  
そう考えると納得のいくあいつの行動がいくつもあったり、  
しかしそれに反論する行動もまたいくつもあったり、ああよくわかんねえ。  
「あなたはどうなんです?いえ、聞くだけ無意味でしょうね。  
涼宮さんのためにあそこまで怒れるんですから」  
古泉のニヤけ面が気になるが、仕方ない。  
ああ、わかったよ認めてやる。  
俺はハルヒが好きだ。  
あいつのためにマジゲンカできるくらいにな。  
「やっと認めていただけましたか」  
何が悲しゅうてお前にこんな話せにゃならん。  
もういい、俺は帰るぞ。  
「涼宮さんは多分まだ部室にいますよ。  
別件で話したいことがあるから待っていて欲しい、と頼みましたから」  
ああそうかい、貴重な情報ありがとうよ。  
古泉に別れを告げ、痛む体を引きずりながら校舎裏を後にする。  
玄関と部室の分かれ道に来たところで立ち止まり――少し迷った上で、俺は部室へと足を向けた。  
別に古泉に乗せられたわけじゃないが、アイツに言いたいことがあるんでね。  
さて、どんな言葉で愛を囁くかなどとこっぱずかしい事を考えながら、俺は部室のドアをノックした―――。  
 
その後?  
体中の傷を散々問い詰められてえらい目にあったね。  
肝心の用件は……まあ、概ね成功だったとだけ言っておくさ。  
 
 

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