あたしの胸に居たのはジョン・スミスだけだったわ。高校に入学するまでは。  
彼と胸の高まるような日々を求めて北校へ入って、今までと同じ暮らしにガッカリして。  
これから退屈な三年間を過ごすのだと思った──彼と出会うまでは。  
 
 
あたしは言う。「さぁパトロールへ出かけましょ? きっと不思議な出会いが待ってるわっ」  
皆はいつものように駅前に集り、そしてSOS団の本分を果すべく街を歩く。  
 
 
最近の彼は言う。SOS団を結成してから、あたしの顔が変わったって。  
みくるちゃん、古泉くん、そして有希に出会って目に輝きが出てきたって彼は感心したように言うわ。  
 
 
でも違うと思う。あたしが変わったのは、目に輝きが出てきたのは、貴方に出会ったからよ。  
貴方が近くに居るから。夢よりも素敵な貴方に出会ってしまったから。  
 
好きよ、キョン。好きなの大好きなのよ何度もでも何度でも言いたいの素直に言いたいので  
大好きよ偽りなんかじゃないの本当に大好きなのよ、キョン。  
伝えたい言葉ばかりが溢れてくる。心の中が混乱しそうな程。  
 
 
キョンと二人で街を歩く。そんな機会は幾らでもあった。  
パトロールで組む相手を選ぶくじ引きで、何度も彼と二人っきりになる場面があったのだから。  
 
 
二人で公園を歩く。若草の萌える道を並んでいる。  
彼の顔を見ると時々思い出す、偶然出会った中学時代の同級生の台詞。  
 
 
「先週、涼宮さんと並んで歩いてた人いたじゃない? 貴女に不釣合いだと思ったんだけど。  
パッとしない印象だったし、クラスのどこにでも居る子って感じじゃない。  
言い寄って来た男子をずっとフって来た涼宮さんには物足りないと思う」  
 
 
昔のあたしだったら、「いきなり出会って、そういう台詞を言えるアンタの不躾さが信じられない。  
つまらない男にガツガツするくらいなら、まず自分の卑しさを何とかしたら?」  
といった言葉を放っただろう。  
 
 
でも今のあたしは違う。ううん、逆。とっても嬉しかったの。  
だって、だって、キョンとあたしがカップルだと思ってくれたのよ?  
あたしの気持ちは天にも舞い上がらんばかりだったわ!!  
 
 
その出来事と初夏の匂いと眩しい彼がいたから、  
──今日のあたしは、少しだけ勇気が出てきたのかもしれなかった。  
 
 
「どうしたハルヒ? 嬉しいんだか怒ってるんだか分からない顔してるぞ」  
キョンが声を掛ける。  
「だって……」あんたが原因だってーのってあたしは言いたかった。  
 
 
「『だって』って、何だよ?」  
「うん……」  
あたしは俯く。生半可な返事しか出来無くなる。  
 
 
『キョンが好きなの』  
そう一言を伝えられれば、どんなにあたしの気持ちが軽くなるだろう。  
自分の気持ちを素直に出せれば、どんなにあたしは楽になれるだろう。  
 
 
でも言えない、言いたくない。  
「は? 何カン違いしてんの、バカじゃね?  
俺はお前に話を合わせてるだけだから、そういう変な気持ちとか持たれるとマジ迷惑なんだけど」  
そう言われるのが恐かったから。  
 
 
キョンはあたしの唯一の人。誰も認めなくてもいい、誰が評価しなくてもいい。  
あたしは誰よりもキョンの事を知りたい、傍に居たい……触れ合いたい。でも嫌われたくない。  
嫌われたくないという怯え。  
 
 
──風が吹いた。あたしの髪がなびく。  
木々がサラサラと揺れる。木漏れ日が万華鏡のように照らされる。  
 
 
キョンは、あたしのその髪に触れた。  
「そうか。髪型を変えたんだな、ハルヒ」  
え、え? 確かに美容院へ行って髪をセットしてきたけど。  
キョンの好きなポニーテールじゃないし、普段と余り変えてないし。  
でも、あたしの今の気持ちはそうじゃなくて……  
 
 
けどその次に聞いた言葉で、あたしのその思いは吹き飛んだ。  
生涯忘られないであろう台詞だったから。  
 
 
「気づかなくて御免な、ハルヒ。  
似合ってる、とっても可愛い」  
 
 
彼のきごちない言葉。キョンはその言葉を放つと、顔を染めて横を面いた。  
で、あたしの顔はそれ以上に真っ赤になったと思う。胸の鼓動は蒸気機関よりも激しく高鳴ったと思う。  
だってキョンが、あたしの事を『可愛い』って!  
 
 
あたしは胸の底から熱くなって、そして涙を流した。  
小さな水滴から、大粒の涙になるのはすぐだった。  
 
 
「うぇぇーーーーん。キョン、キョンーーーーーー!」  
 
 
彼はすっかり面喰らっただろう。  
「ゴメン、ハルヒ。『可愛い』って言ったのはセクハラなんかじゃなくてだな」  
「ううん。違うの、違うの……」  
あたしは彼の胸の中で泣く。この機会が無ければ一生、自分の気持ちを伝えられないと思ったから。  
 
 
あたしの声は涙と鼻水で、ほとんど聞き取りにくかっただろう。でも、この思いは思う止められなかった。  
「嬉じぃのよ……ギョンが……あだしの事を……『可愛い』っで言でくれでぇ……。  
ギョンの事を思っでいだからぁ……嬉じがっだからぁあ……」  
 
 
あたしの鼻水が、涙が彼のシャツに付く。彼の白いシャツがベットリと汁だらけになる。  
それでもあたしは「ギョン、ギョォン……」  
と彼の胸の中で泣き続けた。  
 
 
彼の手が、あたしの腰に回る。  
いまの風のように、木々のように。  
優しく包み込んでくれた。  
 
「俺でよかったら、好きなだけ泣けよ」  
あたしは声を挙げて泣いた。  
 
 
──今のあたしの姿は、人から見ればとても恥ずかしいものだっただろう。  
でも自分の気持ちは違った。  
 
『キョンはとても優しいのに。あたしが望めば、もっと早く抱きしめてくれたのに。  
どうして迷っていたんだろう、どうして怯えていたんだろう?  
そしてキョンの事を信じられなかったのだろう』  
 
 
あたしは自分が恥ずかしいんじゃない、キョンの事を信じられなかった事が恥ずかしかった。  
無視されるとか、勘違いだと言うような人間である筈がなかったのだ。  
キョンは、あたしのキョンは誰よりも優しく、あたしの事を認めてくれる人だったのだ。  
 
「元気なハルヒも、泣いたハルヒも。素直になったお前が一番可愛いよ」  
誰よりも確かな声でそう伝えてくれてくる彼。  
 
 
もう一度、あたしは聞く。  
「キョン、キョン。ほんとうにあたしが可愛いと思うの?」  
「当たり前だ」  
「みくるちゃんや、有希よりも……?」  
「それは……正直迷う!」  
あたしは、正直なキョンの背中をつねった。  
「いってぇぇーーー!」  
「このあたしが、はっちゃけたのよ? キョンもはっちゃけなさい!!」  
「分かった……分かったよ。」  
 
 
ふわりと優しい風。ふわりとキスするように、あたしの耳元で彼がささやいた。  
「ありのままのハルヒがいい、それで世界一可愛いから」  
 
そして彼が顔を放した。そして言った。  
「これ以上は俺のキャラじゃない。正直カンベンしてくれ、終了!!」  
 
 
面喰らうあたし。嬉しさが可笑しさに変わった。  
だって、だって。  
 
 
──あたしの一番大好きな、いつものキョンなんだもの!!  
 
 
「あははははっっっっ、キョン、キョンってすっごく可笑しいぃぃぃい!」  
「ちょっ、何ぃ? 柄にも無い事を人に言わせておいてだなぁあっはっはははははぁはははっ!!」  
 
 
あたしとキョンはお腹を抱えて笑い始めた。大きな笑い声とよじれるお腹。  
公園中に響き渡るかと思わんばかりの声量で、あたし達は初夏の空の下で笑った。  
 
 
────────  
「……涼宮ハルヒの精神状態における変化を確認。錯乱的変動期から高潮へと変わり、  
いまは安定している」  
「やれやれ、彼女が泣き始めた時には正直動揺しましたよ。  
また神人が暴れだすんじゃないかと、ね?」  
「良かったです。結局はいつもの二人に戻ったようですね」  
 
長門有希、古泉一樹、朝比奈みくるが遠巻きに二人を見ていた。  
どれだけの期間かというと、始めからだった。  
 
有希の「涼宮ハルヒの心的ブレーカーが遮断されようとしている。  
このままでは心的錯乱から宇宙法則の構築が枠組から崩壊する危険性がある」  
との報告により、急遽尾行を行ってきたのだ。  
 
 
「これで当分は涼宮さんの精神状態は安定て事ですね。  
僕も機関に借り出されなくて楽が出来ますよ」  
「わたしも心安らかに未来への報告ができます」  
「……」  
三者三様、ほっとした様子を取った。  
 
 
と、なれば。  
 
「……でも涼宮ハルヒは恋愛を自粛すべき。貢献度を斟酌すると、  
彼はわたしの元へ来るのが妥当だと導き出せる」  
「まあそうですよねぇ。キョン君には涼宮さんではなく、僕がいるんですから。  
機関もそこら辺を酌んでくれると有難いですよね」  
「同意します。恋愛は禁則事項ですけど、  
キョン君となら何故か例外扱いだと解釈できると無理矢理思うんです」  
 
三人の間に走る火花。  
 
「……ホモホモ超能力者も、おっぱい未来人も、余り貢献していないと考えられる」  
「奇妙奇天烈ない世界人よりも、現代に生きる容姿端麗な僕を選ぶのは当たり前ですよ」  
「わたしの天然キャラと、おっぱいがあれば、乗り越えられない壁なんかないと思うんですよ」  
 
 
三人は擬似的閉鎖空間を作り出すと、キョン争奪戦を繰り広げるべく  
ファウンデーションの彼方、ではなくバトルフィールドの彼方へと消えていった。  
 
「……今日こそは彼をゲッツ」  
「同性の持つ無限の可能性を見せてあげましょう!」  
「大きなおっぱいの悪夢(ユメ)を見せてあげるんです!!」  
 
 
──────  
爽やかさを含んだ風が吹く。温かさと涼しさが混ざり合う、透明な季節の中にいる二人。  
あたしと、世界で一番大好きな彼は抱き合っている。見えない引力に惹かれあうように。  
 
「キョン。SOS団とあたしたちは、これからもずっとずっと無敵よっ」  
「了解だ、団長」  
 
きらり、陽の光が眩しい。きらり、新緑萌える公園で。  
あたしとキョンの季節は始まった。  
 
 
────  
了  
 
 

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