『青ジャージの長門』
それは、世界の運命を救うという偉業を成し遂げた後の話。
正確には、ハルヒのアホのせいで参加する羽目になった野球大会において、長門イリュージョンで相手チームのプ ライドをズタズタのボロボロにぶっ壊した後の話だ。
ファミレスでの祝勝会も終わり、SOS団+物好き三人とも別れて、家に帰る最中のこと。一緒に連れていた妹が、アイスを食べたいなどとわめき出したのだった。
いつもなら引きずってでも家まで連れて帰る所だが、まあこいつも大人?に混じって頑張ってくれたのだから、そ れくらいは譲歩してやってもいいだろう。
敗北要員として連れてきたのが思いっきり仇になったのは、気にしないことにする。結局、俺も素の状態では妹と 同じ程度にしか役に立っていないのだから。
そんなわけで、俺と妹は帰り道にたまたまあったスーパーへと脚を運んだ。
「100円のにしておけよー」
そんな俺の台詞を聞くわけも無く、妹はアイス売り場に突っ込んで行った。
ちなみに、上ヶ原パイレーツによる臨時収入は、あの祝勝会のせいで、っていうかハルヒの宣言のせいで大半が吹 っ飛んでいる。もちろん、それなりには残っているが、これからもこういった事態が起こることは容易に想像できる ので、なるべく倹約せねばなるまい。
……ってなんで、俺がハルヒに奢らされることを前提にしなきゃならんのだ。
あのアホ以上に、奴隷根性丸出しの自分への怒りを感じた瞬間、見慣れた奴の、見慣れない姿が視界に入った。
レトルトのカレーを持ったまま、微動だにせず呆然と立ちすくむ小柄な陰。本日のMVP、トリックスター長門有希だ。
その硝子球のような目は、レトルトのパッケージに記された原材料名や製造者名、栄養成分表、その他諸々の誰も読まないような説明書きに向けられている。
あいつは活字を見ると読まずにはいられない習性でもあるのだろうか。
ちなみに、その姿は俺が今日始めて見ることが出来た、制服以外の服……といってもただの学校指定のジャージで ある。
「よう、長門。また会ったな」
声をかけると、その視線を俺に向けた。そのまま頷くようにして、視線をレトルトに戻す。
部室での挨拶とかわらないやり取りに、むしろ安心した。
「今日は、世話になったな。なんだかんだでお前が一番頑張ったわけだし」
「必要なことをしただけ」
そう呟くと、別のレトルトに手を伸ばしてパッケージを読み始めた。レトルトのカレーのくせに500円もするそれが、どこの肉で何種類のスパイスを使っているかという文章を読み続けていた。
こいつの手にかかれば、バーコードだってなにかの文章として読み取れそうだ。
「キョンくーん!! これ買ってこれー!!」
妹がアイスを振り回しながら俺を呼ぶのに気がついた。くそ、ハーゲンダッツなんか持ってやがる。やっぱり人の話聴いてなかったようだ。
とりあえずガリガリ君とでも交換させねばなるまい。
「じゃあな、長門。また明日」
返事は無いが、いつものことだ。そう思いながら『キョンくんキョンくん』と連呼する妹の所に向かおうとしたが ――――
不意に、俺の口からこんな台詞が出た。
「……そういえば始めて見たけど」
「お前、ジャージ似合うな」
野球と祝勝会で、俺の頭もけっこう疲れていた、いやイカレていたのだろう。なぜかこんな台詞を吐いてしまったわけだが。
既に長門に背を向けていた俺には、あいつがどんな反応をしていたかなどわからなかった。
翌日、月曜日の放課後。
昨日の後遺症(ただの筋肉痛)に全身を蝕まれながらも。俺はSOS団の部室へと向かっていた。
ちなみにハルヒはと言えば、いつも通りのバカテンポだ。才能もルックスも体力も、無駄にあり余ってるのがあいつだからな。
ドアをノックすると聞こえてくるのは、『はぁい』といった可愛い可愛い朝比奈ボイス。これだけで筋肉痛が消し 飛んで行く気がするね。
まあ、俺を迎える古泉のニヤケ面のせいで、倍になって戻ってきたような気がするが。
それを無視して視線を移せば、俺のために今日もお茶を用意してくれる、朝比奈さんの姿。
そして別の席には、鈍器になりそうなハードカバーを広げた長門の姿があった。
そこのニヤケ面も入れていつも通りのSOS団御三家……かと思いきや、ひとつだけ違う姿があった。
長門だ。
本を読んでるのはいつも通りだが、問題はその格好である。それは昨日の野球大会と同じ、青いジャージの姿だっ た。
小さな体をぶかぶかのジャージにくるまれた姿は、それなりに和むものがある。だが、その格好でいつもと同じ文学少女を演じるのは無理がないか。
最後の授業が体育だったりしたのだろうか。それにしても、運動部じゃないんだからさっさと着替えればいいものを。
「ちょっといいでしょうか」
小泉がいつの間にか俺の背後に立っていた。そのニヤケ面を、俺の耳元へ近づける。
ここでぶん殴っても正当防衛だよな。そう思った俺にぼそりと呟いた。
「今日の長門さんは、登校時も授業中もあの姿だったようですよ」
「は?」
「ちなみに、長門さんのクラスでは体育は無かったそうです。あまりにも堂々としているので誰も理由を聞けなかったと、彼女のクラスの方が教えてくれました」
耳に当たる不愉快な吐息の感触も忘れ、もう一度長門を見た。
「長門、制服どうした?」
「着てない」
いや、だから見りゃわかるんだよそんなこと。
「今、この場には無い」
「じゃあ、家にはあるんだな?」
「そう」
「じゃあなんでそんな格好してるんだ?」
そんな俺の言葉に、長門はゆっくりと俺に視線を合わせて
「あなたが、似合うと言った」
と、答えた。
昨日のアレか。あのたった一言か。
「いや、そういえば言ったけどな……」
ちょっと待て、前にもこんなこと無かったか。
かって朝倉涼子に殺されかけ、長門に命を救われたとき。
たまたま眼鏡の再構成とやらを忘れたあいつに、『してないほうが可愛いと思うぞ』などと、今どき漫画でも言わんような台詞を吐いてしまっ
たのだった。単に、わざわざ 無くなった物を作り直さなくていいだろうと思ったのに加えて、それまでの出来事で頭がテンパってたから言ってしまったような物なのだが。
こいつが眼鏡をしてこなくなったのはそれからなわけだが、それと同じことが今起こっているってわけなのか。
「ちょっと待て、長門。誰かに可愛いとか似合うとか言われただけで、格好変えてたらキリ無いだろ?」
「その言い方は正しくない」
長門がいつもの無表情で、俺を見つめる……っていうか睨まれているような気がするのは錯覚か。
「私が外観の構成情報を変換するのは、『誰か』といった不特定多数の意見に影響を受けてのことではない。私が構 成情報の変換要素として取り入れる意見は、あなたの物だけ」
ちょっと待て、俺の頭で長門流の台詞を理解するのは難しいんだ。それはわかりやすく言えば―――
「わたしは、あなたの嗜好の充足を最優先としている」
俺のレベルに合わせるかのように、そう言った瞬間、背後で『きゃっ』と朝比奈ボイスが聞こえた。見たくも無い が、古泉辺りがニヤニヤしながら肩をすくめているような気がする。
古泉はともかく、朝比奈さんがどんな可憐な仕草をしているのかは興味があったが、今はそれより気にすべきこと があった。
つまり、目の前の宇宙人は。
「あなたにだけは、美しく、可愛らしく見られたいと言うことですね。いやあ、僕の意見などは眼中に無いというの は悲しいことです」
くそ、おまえ流の台詞で訳すんじゃない。
「なんでだ、それ。親玉からの指令……じゃないよな?」
「この件に情報統合思念体からの介入は無い。他のあらゆる組織も、涼宮ハルヒの存在も無関係。わたしは、自身の 意思でそうしている」
まあ、確かに俺の好む格好にしろ、なんて命令する奴はいないと思ったが……そうすると、こいつは本当に自分の 意思で、自分がやりたいからやってるだけなのか。
なんで、そんなことを。
「理由はわからない。でも、それを行動理論の上位として設定した以上、私は従うだけ」
呆気にとられる俺を無視し、再び本を読むことに集中する。答えは全て言ったとでも示すように。
俺はと言えば、相も変わらずの小難しい台詞に、そうでありながら長門自身の意思が強く伝わるそいつに、どうし ようもなくこっぱずかしい気分になってきやがった。
きっとこいつは、俺が『メイド服が似合うな』とでも言えば、目の前の朝比奈さんに襲いかかってメイド服を剥ぎ取ろうとするのではないだろうか。うっかりライダースーツが似合うなとか言えば、ザビーの資格者がまた変わって しまうかもしれない。
これからは、迂闊に可愛いとか似合うとか言わないほうがいいだろう。元々、古泉みたくそんなことをヘラヘラ言うキャラでもないので、難しいことではないと思う。
まあ、とりあえず今やれることは。
「長門。お前にはやっぱり制服が似合う」
この宇宙人に、なるべく普通の格好をしてもらうことだろう。
だが、これだけではこいつは、体育の授業まで制服で出ようとするだろう。この頑固なお姫様を、どうやって説得すればいいか、考えるだけで骨が折れそうだった。
この時の俺の戦いが功を奏したのか、それから長門は格好については割と柔軟性を見せるようになってきたと思う 。
夏休みの合宿では私服を、祭では浴衣も見れた。冬の合宿ではスキーウエア姿だったな。そういえば、海やプールではスクール水着以外の水着も見ることができた(『あなたはスクール水着のほうが好きなはず』とか言い出したときは焦ったが)。
さて、俺はと言えば。
あいつに対して、素直に可愛い、似合うといった言葉を簡単に言うことが出来ないといったジレンマに陥っていたりする。たまには古泉みたく、何の照れも無く言ってみたいものだ。
なにせ長門は、どんな格好しても可愛いわけだから。