どうしてだろう。
彼に裸体を見られるのは嫌悪感がある。
いやむしろ、私の身体を見てほしいのは今ここに居る彼ではない。
イヤ 離して
古泉「ダメですよ。あなたはご自分がどんなに魅力的か、わかってないようですね」
あなたに見られるのは不本意
古泉「僕にとっては、本意なんです」
抵抗する腕が彼の腕に絡め取られる。
非力なこの肉体では彼に抵抗するのは極めて困難。
助けを呼ぶ――それは得策ではない。涼宮ハルヒの観測という任務に支障を来たす可能性がある。 助けを呼ばない――肉体ハードウェア的に最悪の事態に繋がる可能性大。
選択肢がない。どうすればいいのだろう。どうすれば。
突然、身体の上の圧迫が消えた。
「古泉ッ! お前何やってんだ!」
目に映ったのは私に襲い掛かっていた彼を蹴り飛ばしている彼。
怒気。初めて聞く、怒気を孕んだ彼の声。
私のために、こんなに激昂してくれている?
そう考えると、体の表面の温度が何故だか上昇し始めた。
心臓の心拍数も上昇している。顔面の毛細血管も制御を外れて膨張する。
「長門、平気か?」
彼の声。いつも他人を気遣ってばかりいる彼だが、今の彼の声は
本当に私のことを心配している声だ。
平気
肯きながら彼に言う。わからない。理由がわからない。心臓が機能限界まで
鼓動を早めている。涙腺の制御が利かない。
彼の匂い。彼の声。彼の体温。
全てをより深く知る必要がある。論理性のない思考が私の中で結実する。
「なっ……な、長門?」
やはり彼は困惑している。乱れた制服のまま、彼に抱きついているからだろう。
体温。平均値に近い。匂い。平均的な青少年のソレと大きな相違はない。
声。周波数的に異常は見受けられるが、感情の発露としてはまったく範囲内。
それなのに、それらを感知すると私の体機能は低下してしまう。
握力が低下している。肺での酸素交換機能が低下しているので呼吸が荒く速くなっている。
彼と触れ合った体皮から考えられないほどの痛みと痒みと心地よさを同時に感じている。
おかしい。おかしい。私の身体の機能に異常が発生している。
異常だ。私は狂ってしまった。
「平気」
意味のない繰り返し。さっき言った言葉を繰り返しているだけだ。
それでも、彼の違和感を取り除く必要がある。だから意味のない言葉を彼に
囁き続けなければならない。
「あなたが来てくれた。だから平気」
「だけど古泉が――」
「あなたが怒りを覚えてくれるのは嬉しい。でも私はあなたの粗暴な振る舞いを望んでいない」
論理的思考がだいぶ戻ってきた。この分なら――
突如、彼が胸元に私の頭をかき抱いた。
後頭部に感じる彼の掌。
顔面に圧迫される彼の胸。彼の胸の筋肉。体温。臭気。
再び私の体機能は機能不全寸前に陥る。
頬がワイシャツ越しに彼の肉体の温度を感知する。
彼と触れ合った体の部位が痺れるような感覚を検知している。
コントロール能力が低下している。
膝が体重を支えきれない。
次善策として私は低下した握力を駆使して彼の身体に手を廻し、背中のワイシャツを
全力で握り締める。
先ほどまで私を襲っていた彼、古泉が何かを言っている。
驚くべきことに、私の言語認識野はその解釈をすることなく、抱きついた彼の
全ての感触を全力で記録し認知し「味わって」いた。
多幸感。
男女が抱き合うことの意味、というものを私は始めて理解した。
創作物の中で幾度も登場してそのたびに人間の異常性を理解できなかった私が、
それを今はじめて理解することが出来た。
好きな異性と肌で密着することは幸福感を生成する。
今まで読んだどんな本からも読み取れなかった事実が私に去来する。
「ふざけるな! お前が長門を襲ってたのは事実だろうが!」
未だに激昂している彼。
彼の怒りを鎮めるにはどうすればいいだろうか。
人間の感情を描いたフィクションの中で登場してきた解決策が頭に浮かんだ。
すぐさまそれを実行する。
彼の唇は、彼の体臭を濃縮したような味覚がした。
「………」
呆然としている彼。
落ち着いて 私は平気だから
フィクションの中の登場人物と同じように、彼の瞳を真っ直ぐに見つめながら。