さっきの続き
私の名前は朝比奈みくる。
今日も今日とて、「はきゅう」とか「わきゃあ」とか可愛らしく呻く日々。
馬鹿どもが。こんな声を出す奴が現実にいるわけねぇだろ。演技だよ、演技。
くだらない授業をふけ、不良のたまり場の王道、校舎裏でタバコを吹かす私。
涼宮ハルヒのおかげでたまり溜まった苛々も、ここで一服すれば全てが煙のように掻き消えていく。
それにしてもここのところ財布がピンチだ。食料を買う金もなく、近所の野良猫とゴミ箱の縄張り争いを繰り返しているが、そろそろ限界だ。
第一給料が安すぎなんだよ、守銭奴上司が!
日給100円ってなんだよ、100円って。今のご時勢近所の餓鬼のほうがもっと大金を持ってるぞ、畜生め。
私は三本目に突入したタバコに火をつけようと、胸の谷間のライターに手を伸ばす。
「……朝比奈さん?」
そこにいるはずのない愛しい青年の声を耳が聞き拾った。
幻聴だな、うん。こんな時間にこんなところに彼がいるはずがねぇ。
絶対いるはずがねぇ、うん、ありえない、マジで。
あぁ、なんてこった。 いるはずねぇのに視界の隅に体操服を着た男子生徒らしき姿が見えるな、おい。
これは目の錯覚だ、ほら、あれだよ、えっと、なんとかの法則っていうか、その、
わかった! 谷口だ! 谷口だな! よし、ブッ殺す!
「な、なにしてるんですか、朝比奈さん……?」
キョンくん、キタコレ。
タバコを持った私の右手がガタガタと関東大地震顔負けに震えだす。
彼の目線は真っ直ぐにタバコへと注がれている。
きっとキョンくんの中では私が作り上げてきた無垢な清純美少女のイメージが音もなく崩壊していってるのだろう、彼の顔を見れば分かる。
混沌と化していく頭の中でホモ泉の声が響く。
『予想外の出来事といいますか、こういうことを因果応報といいましてね、嘘というのは積み上げていくうちにやがて積めなくなって一気に崩れ去るものなんですよ。この世界はそういった理論の中で成り立ち、共生しているのであって……』
なげぇよ、ボケ。分かりやすく要約しろ。
『キョンくんの貞操はいただきます』
畜生、なんて時代だ。
ゲームオーバーだ。もしこれが何者かの精神攻撃なら、それはまんまと成功している。
誉めてやるぜ。
「もしかして、それ、タバコ……」
「ううん、違うの! これはタバコじゃないんですよ、キョンくん!」
「でも、それどうみてもタバ……」
「違う! 違う! 全然違うよ! 詳しくは禁則事項だから言えないけどタバコじゃないよ! 解ってくれたかなぁ!?」
我ながら醜い言い訳だ。笑うなら笑えよ、鶴屋。
「朝比奈さん。 それタ――」
「違う違う違う違う!! こ、これは未来の、えーと、その、ああああああ!!」
そこで閃いたナイスな案。そうだ、証拠隠滅すればいいんだ。
思いついたら即決行。
躊躇なく右手のタバコを口の中へと放り込み無理やり胃へと流し込む。
カンタンなんだよこんなの。
「あ、朝比奈さん!?」
「うぇ!? ぐぇ!? き、禁則事項どぅえす!」
正直、私自身、何をやっているのか理解不能。思考は真っ白。
そういえば長門さんってトイレ行くのだろうか?
とりあえず胃の中に入ったタバコが溶け始めたのか、ニコチンとタールが仲良く手を組んで吐き気を召喚し始めた。
胸を押さえながら倒れこむと、目の前がグルグルと揺れ始める。
「朝比奈さん!? 朝比奈さん!? しっかりしてください!?」
悲痛な声をあげるキョンくん。
心配しないでキョンくん。未来人の胃袋はたぶんスゴイから。
途端意識が薄れてきた。ああ、これが死か。
ごめんねキョンくん。たとえ未来人でも胃袋の強さは大して進化してなかったみたいだよ。
私の意識は闇へと沈んでいった。
私は不快な甲高い声で目覚めさせられた。
こんな黒板をひっかいたようなクソッタレな声の持ち主は一人しかいない。
「みくる! もうお昼だよ! お寝坊はよくないなぁ!」
やっぱりテメェか、鶴屋。
ってかキョンくんの前以外ではその口調で喋るなってあれほど言っただろう、このド低脳がッ!
あぁ、目覚めて早々腹が立つな。キョンくんの前じゃ友達面してけっこうだが、それ以外じゃ私のパシリ兼下僕なんだから偉そうにすんな。
もう一度、誰が主人で、誰が犬かわからせねぇといけねぇみたいだな。
だけど、そこで私は不意に思い出した。
「あれ? 鶴屋さん掃除箱の中にいなかったけ?」
「はぃー? へぇー? いったいなに言っちゃってるのみくる? まだ寝ぼけてるのかなぁ?」
とことんウゼェなこの野郎。こいつは神経を逆撫ですることを天然で心得てやがる。
今度はその無防備なデコをとことん定規で叩いてやるから覚悟しとけよ。
にしてもコイツの態度といい反応といい、何かがおかしい。
いつもなら私がひと睨みすれば半泣きで怯えながらデコを隠すのに、今日の鶴屋は私に対する恐怖が微塵も感じ取れない。
デコ叩かれすぎて開き直ったか?まぁ、コイツのことなんてどうでもいい。
私は眉をしかめるデコをシカトして教室を後にした。
背後から「みくるがイカレちゃったー! まいったね、これはぁ」とか聞こえてきた。
死ね。
気分は最悪だが、今から部室でキョンくんと一緒に食事ができるかと思うとヨダレが垂れてくる。性的な意味で。
のほほんと廊下を歩いていた私だけど、なにか違和感を感じた。
決してパンツを履いていないとかそういうのではない。
何かがおかしい。異常な何かが起こっている。
頭を捻りながら、後ろを振り返ってみた。
やはり何の変哲もない。一組からずっと教室が並んでいて順々に二組、三組と続いているだけだ。
「あれ?」
壁にかかっているプレートを見ると、それは八組でぱったりと途切れているんだよね、これが。
そう、あのナチュラルホモの古泉一樹のクラス、一年九組が忽然と無くなっていたのだ。
「そ、そんな……!」
私はショックを隠しきれず、その場にへたり込む。
走馬灯のように古泉との血生くさい日々が脳裏をよぎっていく。
確かに気に食わない奴だった。ホモだし。
だが、決して悪い奴ではなかった。ホモだが。
古泉、いったいどこに消えてしまったのか。
私は心の底から叫ぶ。
「いっよしゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ざまぁみろ、ホモ泉!
日ごろの行いが悪いからクラスごと消えるはめになるんだ、バーカ。
私は腹をかかえながら床を叩いて爆笑した。通りすがる奴らが奇異な目で見てきたが、別にいっこうにかまわない。
これでキョンくんと私の恋路に邪魔する奴はいなくなった。ありがとう涼宮ハルヒ。
たぶんお前が私の都合よく世界を改変してくれたのだろう。
さっきまでの欝蒼としていた気分もどこのその。私はご機嫌で部室へと向かった。
ドアの前で心を落ち着かせ、いつもの自分を取り戻す。
そして一呼吸したあと、ドアノブを回した。
「こんにちはー。 キョンくん、もうきて――」
「いらっしゃい!! やっと私以外の人がそのドアを開けてくれたわ! 正直、毎日毎日毎日開くことの無いドアを見て過ごすツマラナイ部活動だったけど、このさいもうどうでもいいわ!
ねぇ、あなた入部希望者よね!? ううん、いわなくても分かってる! 顔にかいてあるものね! なになに、『文芸部に入りたい』?
オッケー! もちろん! オフコース! さぁ、ようやく始まるきらびやかな青春の一ページ! 来たのがあの人じゃなかったのは残念だけど、これから末永くよろしくね!
はい、んじゃ、この入部届けに名前からなんやらあなたの個人情報書きまくっちゃって!」
眼鏡をかけた、恐らく、長門さんらしき人は、満面の笑顔で入部届けを私の顔の前に突きだした。
ゲームオーバーだ。もしこれが何者かの精神攻撃なら、それはまんまと成功している。
誉めてやるぜ。
つづく