俺はともかく古泉が大変そうだな。あの二人を伴って行動するのは。  
こっそり同情しつつ、駅前で別れた。  
「で、どこに行くんだ?」  
「そのへんをぶらぶらしましょ」  
おい、そんなんでいいのかよ。パトロールなんだろ?  
「いいのよ。今までちょっと探すのにやっきになりすぎてたわ」  
いつものわけのわからない理論か。  
「気を抜いてやるぐらいが、謎を捕まえる最適の条件なのよ!」  
ま、いいか、行くか。  
 
朝比奈さんの話によるとハルヒは早足で疲れる、とのことだったが  
別段そんな感じもしないな。歩幅と基礎体力が違うからかもしれんが。  
川沿いを北上していると、不意にハルヒが口を開いた。  
「ねえ、キョン」  
「なんだ?」  
「あんた、みくるちゃんと有希が変なの気付いてた?」  
やっぱ気付いてたのか。  
「そりゃ、あれだけ不機嫌オーラを巻き散らかしてたら気付くだろ」  
「なんであんな風になったのかわかる?」  
本当のことは言えん。  
「いや、さっぱりわからん」  
ハルヒは難しい顔をして、  
「うーん、団長として由々しき事態だわ。まさか団員同士で不仲になるなんて」  
SOS団のことになると真剣になるな、ハルヒは。  
「やっぱり聞いてみるのが一番よね。相談に乗ってあげたら解決するかもしれないし」  
「いや、そうとも限らんと思うぞ」  
「なんでよ?」  
そりゃ、ハルヒ主導で解決すると俺の最期とともに世界も終わってしまうかもしれないから、とは言えず、  
「なんとなくだ」  
口を濁した。  
 
 
あっという間に昼になった。  
しかしもっとこう、色々あるのかと思ったら、ずいぶんあっさりだったな。  
俺とハルヒだけという状況に古泉の言葉が引っ掛かって、何かあるんじゃないかと  
警戒していたが、特に怪しいこともなかった。これからあるのか?  
 
集合場所に向かうと古泉が手を振って迎えてくれた。あからさまにほっとした顔だ。  
古泉を挟むように朝比奈さんと長門が立っていて、それぞれ反対方向を向いていた。  
「気が休まるときがありませんでした」  
第一声がそれか、古泉。  
「ええ、そう言いたくなりもします。いつつかみ合いが始まるのかとヒヤヒヤものでした」  
あの二人がつかみ合いなんてしてる姿は想像つかん。  
「でも本当にしそうだったんですよ」  
古泉はとても冗談を言っているようには見えない。  
俺のせいで二人の仲が悪くなったんだろうし、なんとかする責任があるよな。  
横目でハルヒの表情を伺う。こちらも普段とは違い、難しい表情をしていた。  
と、ハルヒが口を開いた。  
「とりあえず昼食にしましょ。今日は予約を取ってあるの。こっちよ」  
ハルヒの先導でぞろぞろと移動する。  
 
向かった先はこぎれいな和風レストランだった。ハルヒがカウンターの人に  
予約してあることを言い、しばらくして案内された先は個室だった。  
カラオケセットが置いてある。料理までコース料理を予約してあるらしい。えらく高そうなんだが。  
「いいのいいの、今回は特別に文芸部の部費で落とすから。はい座って座って」  
とんでもないことをさらりと言いやがった。さすがハルヒだぜ。言葉もない。  
 
料理は高いだけあってうまかった。長門カレーにはもちろん及ばんぞ。あれは別格だ。  
運び終わった料理を片付けながら、俺は二人の様子を確かめる。  
相変わらず朝比奈さんは不機嫌そうで、長門も無表情に磨きがかかってるな。  
どうしたもんだか。とりあえずパトロールが終わってからなんとか……  
だが、このときすでに二人の我慢は極限まで達していたらしい。破綻は目前だった。  
 
きっかけは長門が水の入ったコップをこぼしたことだった。  
「……」  
料理には幸いかからなかったが、テーブルの上に水たまりが広がり、端から落ちていく。  
「有希、これ」  
ハルヒが長門にふきんを渡す。水を黙々と拭き取っていく長門。  
「あっ」  
朝比奈さんが声を上げた。こぼれた水が服に少しかかってしまったらしい。  
「拭く」  
長門がふきんを手に近寄るが、朝比奈さんは硬い表情で拒否する。  
「けっこうです」  
「拭かせて」  
「イヤ」  
「なぜ」  
「それは」  
朝比奈さんはコップを手にとり、  
「長門さんだからです!」  
中に入っていた水をいきなり長門へ浴びせかけた。  
「……」  
頭から水をかぶり、長門は沈黙した。まずいぞ、これは。  
「ちょ、ちょっと、みくるちゃん。何もそこまでしなく――」  
「涼宮さんは黙っていてください!」  
朝比奈さんのものすごい剣幕に押されて、ハルヒは口をつぐむ。  
俺と古泉も初めて見る朝比奈さんに圧倒されていた。  
水滴を垂らしたまま動きを止めていた長門は、ぽつりと、  
「……なぜ」  
「なぜですって? よくもそんなことをぬけぬけと!」  
朝比奈さんの怒りは止まらない。  
「あたしから大事な人を奪っておいて、どの口が言うんですか!」  
 
「その件は彼を二人で共有するということで収まったはず」  
長門が冷静に言葉を出す。  
「それだって元を正せば、彼を脅迫したからでしょ!?」  
「……」  
「脅迫?」  
ハルヒがまさか、という声を上げる。  
「共有とか体のいいことを並べていても、あなたが脅迫材料を持っている限り  
要求はどんどんエスカレートしていくに決まってます!」  
「そんなことは、」  
「いいえ、そうに決まってます。あたしの彼が優しい人だからってそれに付け込むにちがいありません!」  
「……」  
やばい。長門も目が据わってきた。  
「あなただって約束を破っている」  
長門が反撃し始めた。  
「なっ!」  
「昨日、あなたの番は午前中だけだったはず。それをわたしのあとにも  
あなたの元を訪れるよう、彼に働きかけていた」  
「そ、それは」  
「契約不履行は卑怯」  
「あなたに卑怯だなんて言われたくありません!」  
「わたしもあなたに一方的に言われる謂れはない」  
「この、減らず口!」  
「もう少し頭を冷やすことを推奨する」  
と言って、コップの水を朝比奈さんにぶっかけた。  
「きゃっ! よっ、よくも!」  
「先にしてきたのはあなた」  
「うるさい!」  
「うるさいのもあなた」  
「こ、このっ――」  
ついに長門につかみかかろうとした朝比奈さんを後ろから羽交い絞めにして止める。  
「やめるんだっ、朝比奈さん!」  
「離してください、キョンくん!」  
「いいえ、離しません。落ち着いてください」  
「これが落ち着いていられますか? 悔しくないんですか、キョンくん!?」  
 
「キョンくん?」  
ハルヒが不思議そうな声を出した。  
「えっ、あっ――」  
朝比奈さんの表情が固まる。  
「……」  
長門も完全に止まる。俺も朝比奈さんに加えていた力が抜けた。  
「キョン……?」  
ハルヒが俺に問いかけてくる。俺は振り返ろうとして脚がすくんでいる自分に気付いた。  
顔だけなんとか動かし、声を返す。  
「……なんだ?」  
「いや、聞き間違いかもしれないんだけど」  
聞き間違いであって欲しい、という願望を含めているような前置きとともに、  
 
「もしかして、みくるちゃんと有希が言ってる彼"ってあんたのこと?」  
 
時間が止まった。  
いや、止まったのは俺か。  
誰か時間を巻き戻せるなら巻き戻してくれ。巻き戻せ。  
……無理か。  
「……そうだ」  
倒れそうになる体を支えて、声を振り絞る。  
ハルヒはまだ信じられないような顔で、  
「で、でもさっきのパトロール中にみくるちゃんと有希の不仲の原因はわからないって」  
「あれは嘘だ」  
俺の言葉にハルヒはひるむ。一転、明るい声を出して、  
「ほら、昨日図書館にいたじゃない? だからデートなんかできるわけないわよね?」  
「あれは長門とのデート中だったんだよ。お前と話してたとき長門が奥にいた」  
黙る。間を空けておそるおそる、  
「それじゃ、あんたとみくるちゃんが土曜日が空いてないって異口同音に言ってたのは……」  
「あのときもうデートすることが決まってた。お前の疑いは正しかったんだよ」  
ハルヒは完全に口を閉ざした。  
 
ハルヒがうつむいている。まさかこんな光景を見ることになるなんてな。  
「……すまん」  
俺は頭を下げて謝った。  
「……わよ」  
ハルヒは唐突に顔を上げ、  
「ひどいわよ! SOS団の風紀を乱すなんて! それに、」  
またうつむき加減になって言った。  
「それに、あたしの気持ちをも踏みにじって……」  
ハルヒの声は震えていた。  
「……本当に、すまん」  
「土下座しろっ!」  
顔をうつむかせながら叫んだ。  
「あたしの前で、いますぐ土下座しなさい!」  
土下座でもなんでもやってやるさ。それでお前の気が済むならな。  
俺はハルヒの目の前で膝を着くと、  
「すみませんでした!」  
と思いっきり土下座をした。  
ハルヒはまだ顔をうつむかせたまま、  
「……ぷっ」  
ぷ?  
「あっはっはっはっはっはっは! 大成功っ!」  
大爆笑し始めた。  
「こっ、こんなに上手くいくなんて、ぷぷっ、キョン最高!」  
笑い転げるハルヒにあっけにとられてなんも考えられん。  
「みくるちゃん、有希、名演技だったわよ!」  
え?  
「その場の勢いで水かけちゃいました……長門さん、ごめんなさい」  
「いい。わたしのほうこそ、ごめんなさい」  
は?  
古泉が拍手しながら、  
「いやいや、楽しい余興でしたよ」  
余興?  
土下座の体勢のまま、俺はひたすら固まっていた。  
 
ひでえ。ハルヒの奴がネタばらしをしたところによると、  
最初にこのことを考え付いたのは、俺と朝比奈さんがデート未遂事件を起こしたときだそうだ。  
そのときの罰ゲームとして、今回のイタズラを思いついたらしい。  
まず、朝比奈さんに俺と改めてデートするように仕向け、それを長門が目撃したことにして  
俺を脅迫、長門と朝比奈さんの共有関係に持ち込む。  
朝比奈さんと長門が部室で言い争いしてたのも、ハルヒの差し金だそうだ。  
 
「実は古泉くんにも頼んだんだけど、断られちゃって」  
当たり前だ、アホ。  
「さすがの僕も、あなたを取り合って朝比奈さんや長門さんと争うだなんて、想像したくありませんので」  
そりゃそうだよな。  
 
そして、土曜日のデートもハルヒの指示だそうだ。  
午前中に朝比奈さんを、午後に長門を置いて、長門には必ず最後に図書館へ行くよう仕向けたらしい。  
どうりで都合よくハルヒが出てくると思ったぜ。  
日曜、つまり今日だな、朝比奈さんと長門の関係が険悪だったのもすべてハルヒの仕業だ。  
そして俺とハルヒがパトロールでセットになったのもハルヒがやった。  
 
「あんたがあのとき素直に白状していれば、ここまでやる気はなかったんだけどね」  
くそっ、あのときの質問はそういうことかよ。  
 
いま思えば、ここが防音の個室であることも怪しむべきであった。  
すべてハルヒの手の上で踊らされてたってことかよ。死にてぇ。  
 
「そ、それにしてもあの土下座したときのキョンの表情、ぷぷっ」  
くそいまいましい。なんとでも言ってくれ。  
ん? ということは、鶴屋さんのあれもハルヒが頼んだのか?  
「そうよ、というか、そこに来てるわ。かわいい協力者といっしょにね」  
かわいい協力者?  
 
「やっほーっ、キョンくん、お疲れ様っ!」  
個室の扉を開けると、そこには鶴屋さんと、  
「キョンくん、えっち」  
妹がいた。えっちなんて言葉を意味もわからず使うんじゃありません。  
ハルヒのほうを振り返る。  
「鶴屋さんはともかく、妹はなぜだ?」  
「妹ちゃんは、計画がちゃんと上手く行ってるか連絡してくれる係よ」  
「えへんっ」  
胸を張る妹。  
「ああ、あの女の人の匂いがどうこうってやつか?」  
「そ、匂いなんて嘘っぱちよ。妹ちゃんが見てたのはあんたの表情」  
将来役者になれるぜ、妹よ。  
「あたしもうまく行ったらみくるたちとキョンくん争奪戦に参加してたんだけどさっ」  
と、鶴屋さん。  
「シリアスなのは向いてないっ! あたしには無理だっ」  
そうでしょうね。  
妹が俺の袖を引っ張った。  
「ねえ、キョンくん、ぬいぐるみは?」  
「ぬいぐるみ?」  
「ハルにゃんが言ってたよ。わたしにくれるって。仲直りのプレゼント」  
「あー、あれは長門のために取ったぬいぐるみだから」  
「ないの?」  
「すまん」  
「ひどーい! ハルにゃんにあれを言いふらしてやる!」  
怒った妹がハルヒのもとにとてとて歩いて耳打ちする。ハルヒの表情が変わった。  
 
「キョン?」  
「なんだ?」  
「妹ちゃんが、風呂場であんたのをこすって白い液体が手についてわたしは舐められたって言ってるんだけど」  
は?  
「どういうことなのか、説明してくれるんでしょうね?」  
「ちょ、ちょっと待て、なんか言葉が足りんぞ、それ」  
朝比奈さんや長門、鶴屋さんも眉をひそめて俺を見てくる。妹はあっかんべーをしてるな。  
古泉だけは同情の視線を送ってくれてる。  
「なにが足りないってのよ?」  
う、聞き耳持たないって感じだ。  
「お、お前だって朝比奈さんや長門に謝るべきだろ?」  
「なにを?」  
「身体まで使わせることないじゃないか」  
「は?」  
朝比奈さんが必死にダメってジェスチャーしているが俺は止まらなかった。  
「リアリティーを持たせるためか知らんが、篭絡させる必要はなかっただろと言ってるんだ」  
「あたしは、デートしろといっただけで、そんなことは言ってな――」  
ハルヒは途中で言葉を止め、朝比奈さんに振り返る。  
「みーくーるーちゃーんー」  
「ひええええっ」  
 
どうやら修羅場はこれからが本番のようだ。  
 

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