「おっかえりー」  
今日は完全に俺を待ち構えていやがったな。  
にこにこ顔の妹を見て俺がまず思ったのはそれだった。  
そして例によってまた抱きついてきた。  
今日は鶴屋さんにしなだれかかられたぐらいだから、匂いなんざ残ってないだろ。  
「あれ?」  
妹が首をかしげる。俺に女の匂いがついてないとなんか不満でもあんのか。  
どんな高1なんだ、俺は。  
妹はしばらく首をひねったりまた顔を突っ込んだりしてたが、俺を見上げて指差してきた。  
「……キョンくん、それなーに?」  
人を指で差しちゃいけません、と注意してから、妹の指の方向を見極める。  
肩、いや首筋か。首筋……ってまさか。  
妹の質問には答えず、洗面所へ駆け出し鏡を見る。うっ。  
俺の首筋には赤いキスマークが堂々とついていた。鶴屋さん、口紅つけてたのか、やられた。  
洗顔料で浮かしてタオルで必死に拭き取る。なんとか口紅は取れたが、アザみたいになってるな。  
というか、こんなものつけながら俺は帰ってたのか。古泉もまず間違いなく見たよな……最悪だ。死にてぇ。  
「キョンくん、それってもしかしてこれ?」  
一部始終を洗面所の入り口を見ていたらしい妹は、自分の唇を指差す。  
なんでおちょぼ口にしてんだ、お前は。目を閉じるな目を。顔を上向けるな、気色悪い。  
「ひっどーい! キョンくんなんかもう知らない!」  
ぷんすか怒った妹はそのままぱたぱた走っていった。  
 
夕食も俺とは顔を合わせてくれず、当然風呂にも乱入して来ない。  
シャミセンも何があったのかと、にゃあと鳴いていた。  
妹の機嫌は多少気になるものの、まあ寝て起きれば直ってるだろ。  
今までの経験則から断言できた。  
だから俺はさっさと寝てしまったのさ。明日も忙しいしな。  
 
俺が起きて用意をあれこれして駅前に向かうべく家を出るときになっても  
妹は惰眠をむさぼっているのか、部屋から出てこなかった。  
うーむ。気にならないと言ったら嘘になるな。仕方ない、あとで謝るか。  
 
駅前の自転車預かり所で自転車を預け、集合場所の駅前広場へ向かう。  
駅前広場集合では、知り合いにかち合う可能性もあるな。次回は別の場所を考えておこう。  
そんなことを思いながら向かった先には、  
「あ、キョンくん」  
控えめに手を振っておられる朝比奈さんがいた。  
「朝比奈さん、おはようございます」  
あれ、いるべき人物がいないような。  
「長門さんでしたら午後からです」  
いつの間にかそう決まっていたらしい。俺は三人で行動するのかと思ってた。  
朝比奈さんはかわいらしい眉をひそめて、  
「キョンくん、あたしは仕方なく長門さんの案に妥協しただけで、できるなら独占したいんです」  
けっこう、積極的なことをおっしゃられた。そしてにっこり笑いながら、  
「あまり浮かれてると、あたしどうなるかわかりませんよ?」  
シャレにならないことを言ってくださった。本気だ。俺は戦慄を覚えた。  
その笑顔は下手な対応を取り続けていると、『愛憎のもつれか』という見出しとともに  
メディアに晒されてしまう、そう思わせるほどだった。  
「行きましょ」  
そんな雰囲気はみじんも残さず、朝比奈さんは元のかわいい女の子になった。  
なんかそのうち女性恐怖症になってしまいそうだ。  
 
「どこに行きます?」  
長門のことは絶対話題にしないよう堅く誓いながら聞いた。  
朝比奈さんは顔を赤く染めた。さっきのがなければ素直に抱きしめたくなるんだがなあ。  
「あたしの口から言わせないで」  
朝からですか。  
 
とはいえ、俺も健全な高校生であるので、朝比奈さんの案を受け入れるのにやぶさかではなかった。  
朝比奈さんはここ数日の出来事にかなりのストレスを感じていたようで  
部屋に移ってからはいままでの鬱憤を晴らすかのように、何度も何度も求めてきた。  
気をやってしまう朝比奈さんなんて初めてみたぜ。いや、気絶だけなら昨夏にあるけどな。  
 
そろそろ昼だ。しかし時間のことを露骨に告げたら、朝比奈さんの機嫌が悪くなりそうだな。  
いくら俺でも、それくらいの学習はしてるさ。  
とりあえず、横で寝ている朝比奈さんの肩をゆする。  
「朝比奈さん」  
「ん……もういっかい、ね?」  
ゆるゆると顔を上げ、俺の胸に乳房を押し付けてくる。腰をすりつけ、脚をからませる仕草には  
なんともいえない妖しさがあった。顔が童顔なだけに、なおさら情欲をそそられる。  
その童顔も、いまは大人の女性顔負けの淫靡さに満ちていた。  
朝比奈さんはそのまま俺の頬に手を這わせ、口づけをそっとすると、舌を入れてくる。  
舌がからみあう音を背に、這わせていた手を頬から胸、胸からさらに下へと感触を楽しみながら  
触れていき、目的のものへ達すると、いとおしむかのように撫でまわす。  
ごめん朝比奈さん、たまりません。  
俺は朝比奈さんの懇願を受け入れることにした。  
 
その1戦が終わったあとで、さすがに時間だと朝比奈さんも思ったらしい。  
不満たらたらの表情ではあったが、  
「長門さんのところへ行ってください」  
としぶしぶ言った。ええと、駅前広場でいいんですか。  
「いえ、長門さんの自宅です。そこで料理を作って待ってるはずです」  
ぶすっとした顔をしている。そのまま後悔の言葉を継ぐ。  
「最初のほうが早くキョンくんに会えていいと思ったけど、こんなこと言わなきゃいけないなら  
あとのほうが良かったかも」  
でもあとならあとで、なんらかの愚痴を言いそうだな。もちろんこれは心の中のつぶやきだ。  
「キョンくん、あたし待ってますから、長門さんが終わったあとでまた来てください。しましょう、ね?」  
出掛けに魅惑的なことを言ってくださり、俺を見送ってくれた。  
 
朝比奈さんの自宅から長門のマンションまではそう遠い距離でもなかった。  
当たり前だよな。進学校でもないただの公立高に通ってくる範囲なんざたかがしれてるってもんだ。  
お二人にとっては、高校から遠くに住む必要性もまったくないしな。  
 
ほどなくしてマンションについた。  
インターホンを押すと、すぐそばに立っていたかのようなタイミングで  
『入って』  
と入り口のオートロックが解除された。  
長門の部屋は708号室だったな。  
エレベータに乗り、長門の部屋の前に立つ。すると足音でも聞き分けたのかゆっくりとドアが開いた。  
長門がいつもの無表情で立っている。制服の上にエプロンをつけている。  
「よう」  
「……」  
俺の言葉に長門はすっと身を引き、中に入るよう促した。遠慮なく入らせてもらった。  
中からいい匂いがしてくる。これはカレーか?  
「そう」  
「そうか」  
ちょうど腹をすかせていたところだ、早く食べたい。  
「座って待ってて」  
そう言うと長門は台所へ消えていった。  
場を持たせるために部屋を見回す。以前は殺風景だった部屋もカーテンがかかり  
クリスマスパーティで持ち込んだがらくたが隅を占めていると、印象がけっこう変わるもんだ。  
あの年末で俺の長門に対する印象は大きく様変わりを見せたな。  
もう一人の長門のところまで思考が飛んだところで、  
「お待たせ」  
長門がお盆に二人分のカレーとサラダ、それと水を載せてやってきた。  
料理を載せたお盆を持ったまま、しばらく止まっていたが  
「横に座っていい?」  
との言葉を俺が快諾したことで再び動き出し、料理をテーブルの上に並べ、俺の横にちょこんと座った。  
 
レトルトじゃないな、この作りは。サラダも色とりどりのきちっとしたやつだ。  
一目見てそう思った。ずいぶんと手の込んだ作りになっている。  
「いただきます」  
さかんに腹の虫が自己主張し始めたので早速いただくことにする。  
スプーンですくって口に運んだ。  
「うめぇ」  
信じられん。これは本当にカレーなのか? カレー特有の辛さを補うようにじわっとした  
甘さが舌を優しく包み、水がなくても何杯でもいけそうな塩梅になっている。  
米もカレールウに合うように、絶妙なかたさを維持し、ジャガイモやニンジンも  
大きく切ってある割に歯をたてなくてもすっと口の中で溶けていく。  
角切りの牛肉に至っては、外から見た限りではしっかり焼けているのに中はミディアムレアだ。  
安物のリポーターみたいな言葉を連ねてしまったが、つまりそれだけおいしいってことさ。  
いったいどんな作り方をしたら、こんなんができるんだ。  
「知らない」  
次から次にカレーを口に運びながら、俺に寄り添った長門が答える。  
「ふつうに作っただけ」  
無表情で言われると、ほんとに普通に作ったらできましたって感じがするな。  
しかしそれではなんかもったいないから、俺のために精魂込めて作ってくれたってことにしとくぜ。  
「そう」  
心なしかうれしそうなトーンになる。意外とがんばったのかもな。  
 
長門と二人でせっせとカレーを食べ、腹はもう満腹だ。  
「さて、どうする?」  
食後のお茶を飲みながら、長門に問いかけた。  
同じく湯のみを抱えていた長門は、湯のみをテーブルの上に置くと俺を見上げ、  
「……」  
首をわずかに傾ける。なんだその意思表示は。俺に任せるってことか?  
「それでもいい」  
首を縦に動かし、  
「あなたがいるのであれば」  
俺を見つめながら言った。  
 
どうすっかな。いきなり押し倒してもいいんだが、なんか違うだろ。  
俺の思考を読んだのか、珍しく長門から言葉を発してきた。  
「一昨日の事は、想像外」  
「想像外?」  
「そう。朝比奈みくるとあなたがそこまで、」  
ここで少し言葉を探すような間をあけ、  
「進んでいる、とは思ってなかった」  
思ってなかったのか。ということはつまり……  
「わたしは肉体関係を迫る気はなかった」  
そう言えば、朝比奈さんにしたのと同じ事をしてくれ、と言っただけだったな。  
しかしそれなら、  
「俺がやろうとしたとき拒絶すれば良かったんじゃないのか?」  
「いずれしていたこと。順序の問題」  
まあ、そうかもしれん。  
「じゃあ、今日は順序よくデートでもするか」  
俺の提案に、長門はこくっと首を縦にふった。  
 
それから俺たちは外へ繰り出し、カップルがするようなことを一通りやった。  
と言っても、近場にそんなデートスポットがあるわけでもないので  
川のほとりを散策したり、ウインドーショッピングをしたり、ゲーセンで  
長門が指差すぬいぐるみを取ってやったり、まあ高校生らしいことをした。  
 
そして最後に向かった先は、長門の希望で図書館だ。  
ここに来るのも久しぶりだった。昔はともかく、今の俺は本などそう読まないんでね。  
本の山を目の前にして、長門は磁力で引き寄せられるように奥へ向かっていった。  
デートだし、俺も長門についていってやるべきだろうな。  
そう思って足を動かそうとすると、  
「あれ、キョン?」  
後ろからどこかで聞き覚えのある声がした。  
 
心臓が一瞬止まった。そう表現しても大げさじゃないだろ。  
だってその声はハルヒのなんだからな。  
朝比奈さんのときは又聞きだったから、ギリギリごまかせたが  
現行犯だとどうしようもないぞ。しかも用事があると偽ってのデートだ。  
幸い長門は奥に行っていない。なんとかやり過ごさねば。  
「よう、ハルヒ。お前も図書館に用か?」  
振り返りながら、声を返す。  
「やあキョンくん、久しぶりっ!」  
ってなんでハルヒと鶴屋さんが並んでるんだ。これ以上俺を驚かせないでくれ。  
鶴屋さんは何やら目配せをしていた。ああ、昨日のことは内緒ってことですね。わかりました。  
「あれ、鶴屋さんもですか。珍しいですね」  
「まーねー。ちょっとハルにゃんと偶然そこでばったし会ってさ」  
あからさまに嘘っぽいことをおっしゃる鶴屋さん。  
「それよりキョン、あんたの用事って図書館だったの?」  
ハルヒが声をかけてきた。  
「いや、図書館に来るのも用事のうちだが、さっきまではデパートで買い物してた」  
「ふうん」  
あまり興味のなさそうな声を出す。  
「ま、そうね。パトロールしてたら図書館閉まっちゃうし」  
パトロール中に図書館に行くことはできるんだが、まあそれは置いておこう。  
「あれっ、キョンくんかわいいの持ってるね?」  
鶴屋さんが指摘してきたのは、さっき長門に取ってやったぬいぐるみだ。  
「ああ、これですか? 妹とケンカしちゃって、仲直りのためにと」  
「妹くんとケンカしたの?」  
「ええ、なんだか背伸びしたい年頃らしいです。よくわからないことで怒って」  
これだけは本心だ。  
「妹ちゃん、大切にしなさいよ」  
ハルヒが付け加えてくる。お前に言われなくてもわかってるさ。  
 
明日忘れずに来なさいよ、と言ったハルヒは鶴屋さんを伴って右側の一般図書コーナーへと向かった。  
ふう、長門がいるのは向かって左だ。なんとかなりそうだな。  
奥で本を読んでいた長門に仔細を話し、図書館から一刻も早く出ることを提案すると  
長門は少々不満げだったがうなずいてくれた。  
それから俺は長門を送ることにして、自転車を引き取り、後ろに長門を乗っけた。  
いつかのように自重をゼロにすることを提案してくれたが、それだと長門を乗せている気分に  
なれないので断った。そもそもそんなことしなくても、長門は十分に軽いからな。  
おずおずと腰に腕を回してくれた長門の感触を楽しみつつ、軽快に自転車は進んでいった。  
 
マンションの前で別れることにして、長門を下ろす。  
「じゃあな、今日は楽しかったぞ」  
そう言ってこぎ去ろうとした俺に、視線を投げかけてくる。  
「ん? どうかしたのか?」  
「そっちはあなたの家に向かう方向ではないはず」  
ぎくっ。  
「い、いや、朝比奈さんの家に忘れ物をしたから取りに寄ろうと」  
「……」  
うっ、朝比奈さんの名前を出したのは失敗だったか。  
無表情は変わらないが、さっきまでの柔らかさは影を潜め、痛さを感じる。  
長門はそのまましばらく沈黙していたが、  
「そう」  
端的に言葉を発すると、そのままマンションの中へ入っていった。  
 
俺は朝比奈さんの家に向かうは向かったが、何もせず謝り倒して帰宅した。  
さすがに、あんな長門を見たあとでぬけぬけとよろしくやる根性はない。  
というか、やったら長門に何をされるかわかったもんじゃない気がしてな。  
不機嫌な顔をする朝比奈さんを前にして、俺は心底思った。  
なんかどんどんダメ人間になってないか、俺。  
 
家に帰ったら、妹がミヨキチの家に泊まりに行ったことを聞かされた。  
謝るのは翌日に後回しだな。明日はパトロールか。  
古泉の忠告は気になるが、ま、みんないるし大丈夫だろ。  
その考えが逆に甘かったのを知ったのは、翌日になってのことだった。  
 
 
「遅い! 罰金!」  
集合時間十五分前に着いたんだが、やっぱ無駄だった。  
新年になっても変わらないものは変わらんな。  
「おはようございます」  
古泉が声をかけてきた。だいぶ調子も良くなったようだな。  
「ええ、おかげさまで。それよりあなたのほうはどうなんですか?」  
不思議なことを言ってくる。  
「俺のどこが不健康そうに見えるんだ?」  
「調子が悪いようにはみえませんね。ですが……」  
とちらっと後方を確認するような仕草を取る。なんだ? 古泉の肩口から覗き込む。  
 
……帰ってもいいかな、俺。  
朝比奈さんと長門がかなり険悪なムードでたたずんでいた。  
一触即発、というほどではないにせよ、とにかく怖い。  
なんでハルヒが気付いてないのか不思議なぐらいだ。  
「僕が来たときにはもうあんな感じでした」  
声を潜める古泉。  
「なにをなされたんですか?」  
「いや、どうも口が過ぎたらしい」  
そう言うのが精一杯だった。古泉は、肩をすくめ、  
「どうやら、涼宮さんの提案を断って正解だったようですね」  
「結局なんだったんだよ、それ」  
古泉は一人だけ肩の荷を下ろしたようなさわやかな笑いとともに言いやがった。  
「じきにわかります」  
 
俺のおごりで各自適当に注文する傍らで、ハルヒは例の爪楊枝を取り出した。  
「さあ、選びなさい!」  
俺が引いたのは印入りの爪楊枝だった。古泉、長門、朝比奈さんと引いていく。  
おや? ハルヒの手に残ったのは……  
「ふうん、キョンとか。ま、いいわ。それじゃお昼に再集合よ!」  
ハルヒと二人でパトロールなんて久々だった。  
 

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