「お茶請けが欲しいわ」
SOS団の平常営業中。朝比奈さんのお茶をがぶ飲みしながらハルヒがこう呟いた。
長門は読書中、俺と古泉はチェスの最中。消去法を考えるまでも無く、朝比奈さんに向かって放った言葉だ。
時刻はおやつの時間をとうに回っているので、小腹が空いたのであろうハルヒの気持ちも分からんでもないが、
俺にとっては朝比奈さんの甘露さえあれば満足なので同意は控えとく。チェック。待ったはなしな、古泉。
「みくるちゃん、せんべいかなんかない?」
「おせんべいですか? うーん……」
朝比奈さんはお茶セットのあたりをひとしきり探り、しかし買ってないものはないので、
続いて雑貨入れ(ゴミ入れとも言う)を漁ってみたものの、やはり食べ物の類は見つからなかったようで、
「……ごめんなさい、ないです」
しょんぼりしながら、そう言ったのであった。
「なんか買ってきて」
「今からですかぁ?」
朝比奈さんは時計を見ながら情けない声を出した。5時ちょっと前。
学校の前には駄菓子屋があるし、通学路の途中にはコンビニがあるが……。
朝比奈さんがオロオロしているので、助け舟を出すことにする。早く投了しろ、古泉。
「もう解散の時間だろ。また今度にしろ、今度に。夕飯食えなくなるぞ」
「間食は別腹よ」
太るぞ。
「太らないわよ。自慢じゃないけどね、私は生まれてこのかた体型を崩したことが無いのよ」
なんとなく分かる気がするね。同年代の女子に比べて遥かに健啖と言えるハルヒの食事量だが、
普段の暴れっぷりから推測する必要エネルギーはその数倍量といったところだ。
おそらく通常人類の数倍のエネルギータンクを持っているうえにエネルギー変換効率も数倍なんだろうな。
余計な脂肪がつくようなエネルギーは残さないんだろう。
「けどまぁ、そうね。確かにもう帰る時間ね。みくるちゃん、お茶請けはまた明日でいいわ」
そのハルヒの言葉を待っていたかのように、長門がぱたんとハードカバーの本を閉じた。
その音を聞いて、いつものように俺たちは帰り支度をはじめるが、ハルヒは妙案を思いついたという顔をして、
「そうだ、有希、明日なんかおやつを作ってきてよ」
長門の黒い瞳がハルヒを向く。無表情だが、少しキョトンとしたようにも見えた。理解が及んでいないかのように。
ハルヒの無駄に大きい瞳が長門を覗き込んでいる。
「……おやつ?」
「そう、おやつ。バレンタインのときにケーキ作ったじゃない? ああいうのでもいいし、ゼリーでもプリンでもなんでもいいわ」
「………………」
長門はしばらく停止して、ハルヒの顔を覗き返していたが、
「了解した」
「じゃ、決まりっ。楽しみにしてるからねっ!」
長門の返答に、ハルヒは満面の笑みを浮かべたのだった。
翌日、掃除当番だった俺は部室に最後に登場した。
「キョン、遅いわよっ。こっちは有希のおやつが食べたいってのに、わざわざ待ってたんだからねっ」
そういうな。まだ掃除中だってのにオケ部の連中が入ってきて練習を始めるもんだから、
掃除がかえってはかどらなかったんだよ。
「ふん、言い訳するんじゃない」
「あ、あはは……」
朝比奈さんが苦笑い。
「で、有希。何を作ってきたの? 私、今日一日そのことだけを考えて過ごしてきたんだから」
長門はハードカバーを閉じ、立ち上がってこう言った。
「今から作る」
長門のその言葉にキョトンとしたのは、俺だけじゃなかった。
ハルヒも朝比奈さんも目が点になったし、古泉ですら少し目を瞬かせたのを見たぜ。
「作る? 今から?」
「そう」
ハルヒの疑問に簡潔に答え、長門は冷蔵庫の前に動いた。
中から出てきたのはスポンジケーキ、イチゴ、ホイップクリームだった。
それからの長門の動きは見てて惚れ惚れするものだったね。
どこからか取り出した小さな包丁で器用にスポンジを上下に分割すると、
泡立て器もボウルも使わず割り箸一本で紙パックのクリームを泡立てる神業を見せ、
あらかじめスライスされていたイチゴをスポンジの上に並べ、クリームを塗りたくり、もう片方のスポンジではさみ、
スポンジの上面にクリームを塗りつけ、イチゴと余ったクリームでトッピング。イチゴのショートケーキの出来上がり。
「完成」
この間わずか2分に満たなかった。呆気にとられていると、
「すごいわ! 有希!」
ハルヒが長門をハグして頭をナデナデしている。ちょっと羨ましい。
長門はハルヒを無視して、ケーキを切り分けている。包丁使ってる奴に抱きつくのはやめとけ、ハルヒ。
用意周到なことに紙皿とプラスチックのフォークまで準備してあった。余った分は雑貨入れへ。
材料を見る限りどこにも手を加えられそうになかったが、長門手製のケーキはどえらいうまさだった。
「はぐ、もぐ……うまっ、何コレ!」
「がっつくな、意地汚い」
あまりのうまさにハルヒが残りを全部食べそうだったので、阻止。結局5人で1ホール食べつくした。
ちなみにケーキは長門の器用な包丁さばきで10等分されていて、平等に2つずつ食べた。
小食の朝比奈さんですらぺろりと食べてしまっていたので、客観的に見ても相当うまかったと考察できる。
「…………」
全員の賞賛の言葉を受けても長門は無言だったが、どことなく嬉しそうに見えたのは決して俺だけじゃないはず。
帰り道がてら、なんでわざわざ部室で作ったのか聞いてみた。まとめると、こういうことだ。
生クリームは時間の経過でへたれやすいし、イチゴと触れていると悪くなりやすいんだそうだ。
イチゴも同様で、時間の経過で悪くなるらしい。
なので、仕込みを朝早起きして済ませ、部室の冷蔵庫に入れにわざわざ来たらしい。
どう考えても冷蔵庫を利用すれば一晩放置したくらいでは悪くならないだろうし、
店で売ってるケーキは作られた状態で丸一日クーラーに入れられてるんだから、
そこまで手間かけることないんじゃないか、と俺が言ったら、
「ダメ。許容範囲内であっても、微妙な劣化は避けられない」
長門には拘りがあったらしく、わずかでも味が落ちない最善の手法をとったらしい。
なんなら情報操作でもなんでもすれば良いじゃないかと思ったが、自制して口には出さないことにした。
わざわざ言うまでもない。もちろん長門は最初にその方法を思いついただろうが、敢えて放棄したのだ。
その意味を考えれば、言えるわけが無い。
「あー、ホントにおいしかったわぁ。有希、またよろしくね!」
長門が若干動揺したのも、俺には分かった。
それからと言うもの、文芸部室にはメイドの入れてくれるお茶のほかに、ケーキやらゼリーやらのおやつが出ることになったのだった。
おわり