初めてSに会ったのはある夏の夜のことだった。
その頃の僕は、ぎすぎすした家を避け、毎晩当てもなく街を彷徨って過ごしていた。
かといって家出なんてする度胸はない。
どうやら僕は貴い血筋って奴らしく、かなり過保護に育てられた。
野宿なんか出来そうにもない。僕の内に残るわずかな野生は、働いたら負けだと思っているんだろうな。
数少ない友達は、そんな僕をからかって粗暴な(僕にはそうとしか思えない)遊びに連れ出しては、上手く出来ない僕を笑いものにする。
今にして思えば、些細なことでうじうじしていたものだが、とにかくその時の僕は、鬱屈した気分だったのだ。
そして何か面白いもの、見たことがないものを求めていたのだと思う。こんな毎日を吹き飛ばしてくれるような何かを。
Sが目に留まったのも、そんな心情が影響していたのだろうか。
家から少し離れた所にある小さな公園。そのベンチに誰がいようと、普段の僕はなら気にもかけなかった筈だ。
ただ、この時は違った。「わたし、この世に対して不満でいっぱいです」って顔のそいつが、何故か気になってしょうがなかったのだ。
「何してるの?」
気付いたら話しかけていた。自分でも驚いてしまったが、相手もいきなり話かけられたことに驚いていたようだ。
しかし、その当惑もほんの僅かの間に過ぎなかった。僕の姿を認めたそいつはこちらをじろじろと見てから突然聞いてきたのだ。
ひょっとしてアンタは宇宙人だったりしないか、と。
予想外の切り替えしに困惑する僕だったが、至って平凡な存在に過ぎないことを告げると、もうSの僕に対する興味は消えうせたようで、そっぽを向いて黙ってしまった。
さてこの後、思考回復した僕はそっけないSの態度にめげもせず、なんとか質問の意図を聞き出した。自分でもなんでこんな奴にこだわっているのか不思議だったが、気になってしまったものはしょうがないじゃないか。
端的に言ってしまえば、そいつは自分の世界が「普通」であることが嫌でしょうがないらしい。面白いものならなんでもいいから、遭遇したいようだ。じゃあ、どんな不思議がお好みなんだと尋ねたら、こう即答してきた。
「宇宙人、もしくはそれに準じる何か」
更に聞くところに拠れば、今までも不思議な存在を呼び出すために色々とやってみたという。
昨日も宇宙人へのメッセージを発信してみたそうだ。なるほどね。それでさっきの唐突な発言に繋がったわけか。
しかし宇宙人ね。そういえばうちのお姉ちゃんもテレビのUFO特番が好きだったなと思い出す。
僕もその隣で(時には寄り添って)、一緒に観たものだ。
彼女が出て行ってしまってから、うちもおかしくなり始めたのかもしれない、と湿っぽいことを考えつつも、僕はSにある種の憧憬を抱き始めていた。
僕は面白いものを求めているようなことを言いつつ、ほんとにそれを捜し求めようとは思っていなかった。
そんなもんあるわけない。でもあったらいいなぁ、と最大公約数的な逃げ道を選ぶだけ。
しかし、Sは行動した。その努力がほめられるべきものかどうかは分からないが、とにかく行動したのだ。
なおもSの主張は続いていたが、僕はそんなことを考えながら、Sを眺めていた。
すると、Sも僕の視線に気がついたのか、話を中断する。
そして、ちらっとこっちを見た後、視線を月に向けながら、何気ない口調で尋ねてきた。
「宇宙人っていると思う?」
ほんの少し迷ったが、僕も何気ない風を装って答えた。
「いるだろ、きっと」
いて欲しかった。目の前の馬鹿のためにも。
Sはしばらく黙っていたが、そっかとつぶやいて、こっちに向き直る。
そこにあったのは笑顔のように見えたが、実際にはどうだったんだろうか。
僕は未だにその表情が忘れられないでいる。
そうしてそのまま硬直してしまった僕を尻目に、Sはまた会うこともあるかもと言い残して公園を去った。
そこでやっと硬直がとけた僕は、何と無しに空を見上げる。月は雲に隠れて見えなかった。
それから何度かSと会う機会があった。大抵は、夜に例の公園でであったが、一度だけ僕の家族と一緒に遭遇したこともあった。
その結果分かったのだが、Sはその場にいる相手によっては口調が変わる。ネコを被ってるというのだろうか。
僕には何を言っているのかさっぱりだったけどね。こんなしゃべり方も出来るのかと驚いたことを覚えている。
ふたりの時は、ほとんどSが一方的に話した。相変わらず、いろいろと馬鹿をやっているらしい。
僕が話せることといえば、家族のことや友達のことくらいだ。Sにとってはつまらない話かもしれないが、突っ込むこともなく聞いてくれた。
その過程で気付いたのだが、どうやらSはほとんど友達がいないようだ。
なんというか毛色の違うSは周囲から浮いているし、Sも自分から溶け込もうとしていないように思えた。
まあ、珍種みたいなやつだしなと納得しつつも、どこか寂しい気持ちになった。
だからせめて自分だけでもと思ったのだろう。それが同情なのか恋心なのかは分からなかったが、僕はただSと一緒にいたかった。
それまでは何となく公園まで行き、Sがいればそのまま話をするという流れで、明確な約束をすることはなかったのだが、いつしか僕は約束もないのに、毎晩公園まで出向くようになっていた。
思い返せば、僕はどこかおかしくなっていたのかもしれない。
別れは突然だった。
風が少し冷たくなってきた頃、僕はいつもの公園でSと会った。都合5,6回目の邂逅だったろうか。
その日のSは、はじめて会ったときと比べても輪をかけて不機嫌だった。
不機嫌さと倦怠感を漂わせながら顔を伏せる様子に、どうしたらよいか戸惑っていると、Sは突然語り始めた。
自分が特別でないことに気付いたときの喪失感。世界が色褪せた瞬間。「普通」である周囲への失望。
非日常への願望。それを埋めるための足掻き。世界への訴え・・・・・・。
いつになく雄弁に語ったあと、Sは口を滑らしたことを後悔するように天を仰いだ。
Sの気持ちは何となく理解できたが、僕にはなんと言っていいのか分からない。
少し考えて、深刻な感じになり過ぎないように注意しつつ言葉を返す。
「普通がそんなに駄目なの?年頃なんだから、ただ異性と遊んだりするだけでもいいじゃない」
睨まれるか怒鳴られるか、ひょっとしたら肯定されるかと思ったが、Sは力なく返答してきた。
言うところに拠れば、どうやら恋愛は精神病の一種らしい。ただ、その後が不味かった。
「たまにそんな気分になることもある」、「身体をもてあます」
普段の僕なら、そんな言葉だけでそんな気持ちになったりしない。
ただ、僕だってお年頃だ。数ヶ月に一回くらいはなんともいえない気分になったりする。
それに、そんな言葉を口にするSの表情は、とても魅力的に映ったんだ。
気がついたら僕は、Sに襲い掛かっていた。
Sは一瞬何が起こったのか分からなかったようだが、僕の狼藉を理解すると顔を思いっきり引掻いてきた。
そうして僕が痛みにのたうち回っているうちに、Sは姿を消していた。
自分が何をしてしまったのか気がついて愕然とする。Sが僕に求めていたのは、そういう役割ではなかったのに・・・・・・。
どれだけ後悔しても、もう後の祭りだった。
それからしばらくの時間が経過した。
居心地が悪かった我が家もいつの間にか平穏を取り戻していた。
一時は家庭崩壊か、と思ったりしたものだが全く人間ってのは人騒がせなものである。
お姉ちゃんはある夜泣きながらうちに帰ってきて、僕を抱きしめながら泣き疲れて眠ってしまった。
何があったかしらないが、それ以来彼女はずっと家にいる。もう出て行ったりはしないようだ。
僕もまだSのことを引きずってはいたが、もう大分立ち直っていた。
そんなある冬の朝のことだ。このごろ僕は、朝から近所を散策するのを楽しみにしていた。
冬の空気は冷たかったが、どこか張り詰めた気持ちにさせられるし、見慣れた町も朝は違った表情を見せてくれる。
その日もいつものコースを回って、家の前まで戻って来たところで、久しぶりの顔を見つけたのである。Sだ!
Sは見覚えのある男と一緒だった。あれは確か裏の家の子だ。
キョンとかジョンとか言ったっけ。男は眠そうな顔をしてぼやく。
「何で、こいつと朝から一緒に歩かなきゃいけないんだ。運動不足とかいうなら、ひとりで勝手にしやがれ」
その言葉に、Sは相変わらずの仏頂面だったが、その奥には幸福感がにじみ出ていた。
あんなに何もかもが不満そうだったSのその表情に僕は何かが救われた気がした。
隣にいるのが自分ではないことにほんの少しだけ嫉妬を感じたが、あんなSが見られたのだから、我慢しよう。
すると、立ち尽くす僕に向こうも気付いたようで、ゆっくりと歩みよってくる。
あんな別れ方をしたのだ。口を利いてくれるかどうかも不安だったが、軽い口調で話しかけてくれた。
「久しぶり。元気だった?」
僕の見たかった、僕の望んだSがそこにはいた。感慨にふけりそうになるのを押し込めて、
「何だかとってもいい顔をしてらっしゃるけど、どういうわけ?あの男が原因かな?」
とからかう様な口調で聞いてみた。
Sはその推測を否定するが、僕は追及を続ける。
「どうだか。一緒に寝たりしてるんじゃないの?」
「確かに、寝るのは一緒の部屋だけど・・・・・・」
なんてことだ!僕がひそかにうらやましがっていると、Sが言葉を続ける。
「いま私が満足そうに見えるとしたら、それは周囲の人間たちが原因かな。
なんせ宇宙人と未来人と超能力者がそろっているからね」
僕が頭に?マークを浮かべていると、さっきから僕たちの会話が終わるのを待っていてくれたらしい男が、しびれを切らして言って来た。
「ほらっ、いい加減行くぞ」
まだ話し足りなかったが、どうやらご近所さんになったようだ。またいつでも会えるだろう。
そうして別れ際に、Sは自分の名前を教えてくれた。そう、実は僕はSの名前をこの時初めて知ったのだ。
去っていくSと男を見送りながら家の前に突っ立っていると、お姉ちゃんの声が聞こえた。
「あら、ルリちゃん。こんなところにいたの?ご飯できてるわよ」
わざわざ呼びに来てくれたらしい。意識して優雅な足取りでお姉ちゃんの方に歩みよる。
Sのことは言えない。僕も人間の前ではネコを被っているのだ。
大層な血統書つきでこの家にやってきた僕ですから、ちゃんと女の子らしくしなくっちゃね。
自慢の黒い毛並みをお姉ちゃんになでてもらいながら、Sの顔を思い浮かべる。
明日にでも、町内不思議探索に誘ってみよう。
そしてさっき教えてもらった、あいつの名前を呼んでやるのだ。
シャミセン、と。
(おわり)