「それにしてもさー」  
 
ここ半年弱の経験から、その言葉を聞いた瞬間に俺の身体に緊張が走る。  
こいつが何かを思いつくと厄介事が起こり、その後始末は例外なく俺たちに回ってくるからだ。  
ちなみに朝比奈さんはハルヒにマンツーマンで振り回されたせいなのかぐったりとしていてそれどころではなく、  
長門はカップに手をつけることもなく、午前中に図書館で借りてきた(例によって手続きは俺がやったんだが)本を読み耽っている。  
…俺の財布が軽くなる一因であるところのなんとかっていうハーブティーが冷めるぞ。  
小泉は機関とやらの用事で欠席している、朝方に電話があった。  
そんなことを考えている俺に気がつくこともなく、  
そいつ――言うまでもないだろうが我らが団長である所の涼宮ハルヒ――は  
すでに氷しか入っていないグラスをスプーンでガチャガチャと乱暴にかき回しながら  
 
「有希ってばなんで休みにまで制服を着てるの?」  
 
などと言い出した。  
…そのことを話題にするには半年ほど遅いんじゃないのか?  
この貴重な休日をつぶして毎週行われる集団での徘徊は5月から始まっており、すでに両手の指では数え切れないほど行われている。  
そして、朝比奈さんは毎回俺の心を潤してくれる可憐な服装で、長門は何時でも制服だ。  
 
「合宿のときは制服じゃなかったじゃないの」  
 
そういえばそうだったな…あの時のノースリーブは新鮮でよかった、うん。  
冒頭からここまでページをめくる以外は微動だにしていなかった長門がここでようやく顔を上げた。  
と、既に湯気もたっていないハーブティーを音も立てずに飲む。話に参加するわけじゃあないのか。  
ハルヒと長門の間に微妙な沈黙が漂い、机に伏せている朝比奈さんが居心地が悪いのかもぞもぞと動いた。  
放っておいたら話が進まないので横から口をはさむことにする。  
 
「長門のことだから校則を守ってるんだろ?」  
「明文化されていながら有名無実な規則なんて守る必要性は感じられないわっ!」  
 
お前はどんな規則だろうと守る気はないだろ。  
そう言った俺にハルヒがきつい視線を向けてくる。  
それから逃げるように視線をさまよわせると他の席の客と目が合った。  
 
ここで確認しておこう。  
見た目だけは抜群に良いハルヒと見た目も中身も良い朝比奈さん、  
さらにランクAマイナーとやらで無表情ながらも隠れた人気があるらしい長門…  
まあ、この面子が目立つなんて言うことはいまさら確認するまでもないことではあるのだが、  
それで目立っているのならばまだ良い、今回確認するのは別のことだ。  
先にも言ったが、今日は小泉が欠席なので男は俺一人だ。  
黙々と本を読んでいる長門はともかく、俺に向かって大声を張り上げているハルヒと、机に突っ伏している朝比奈さんとは…  
なんというか意味深に見えちゃったりするんじゃないのか?  
そう思うと急に周囲の視線が痛く感じられてきた、緊張のせいか喉が乾く。  
その視線から逃げるように、渇きを癒すようにコーヒーカップを持ち上げるが、中身はすでに空だった。  
 
出来ることならば今すぐ店から出たいところだが朝比奈さんはグロッキーだし長門は読書中だ。  
朝比奈さんを起こしてもハルヒに対抗できるとは思えん。  
やはり、長門に読書を中断させて話に参加させるべきだろう。  
 
「で、長門、本当のところはどうなんだ?」  
「…………」  
 
長門は俺に顔を向け…何か言えよ、話を聞いてなかったのか?  
 
「…ないから」  
 
ない…服を持っていないって事だろうか。  
確かに長門の住んでいる家は服どころか普通必要であろう生活雑貨が揃っているかも怪しかったが…  
と、猛烈なプレッシャー、宇宙で生まれるかもしれない新しい人類よりも性質が悪い。  
その発生源に顔を向けると、案の定プラズマ放電のように瞳を輝かせたハルヒが居た。  
 
「服を見に行きましょうっ!」  
 
まぁ、言い出すだろうとは思ったけどな。  
朝比奈さんという例があるだけに長門が今まで着せ替え人形にされてなかったのが不思議なくらいだ。  
と、ここで今回は自分に被害が及ばないらしいと察知したのか朝比奈さんがおずおずと顔を上げ、長門のことをすまなそうな目で見た。  
が、ハルヒのことだ、朝比奈さんの服も同時に見たてそうな気がするがね。  
自分で着てみりゃ良いのになあ、黙ってりゃ見てくれは良いんだから。  
 
思い立ったら即行動を地で行くのが我らが団長であり、普段はそれが疎ましいのだが今回に限ってはありがたくないこともない。  
ハルヒはまだ残っていた朝比奈さんのレモンティーを勝手に飲み干し、長門のカップにも手を伸ばしたが中身は空だった。  
…さっきの一口で全部飲んでたのか?長門よ  
 
長門も俺と一緒に集合に遅れたのにも関わらず俺が支払いを済ませ、4人でデパートへと向かうこととなった。  
なんだかんだでいっつも俺なんだよな、金だすの。  
 
しかし…服を選ぶんなら俺はもう帰っても良かったんじゃないのかね?  
婦人服のフロアだなんて俺は立ち入りたくはなかったぞ。  
という俺の台詞を聞きもせず、ハルヒは俺達が売り場に入るなり寄って来た店員さんを完全に無視して長門の服を選び始めた。  
この店にブラックリストというのがあるのなら、間違いなく俺達は書き加えられることだろう。  
俺は婦人服なんぞ買う機会もないから構わないのだが朝比奈さんあたりは困るんじゃないのかね。  
そう思って朝比奈さんを見ると、ハルヒを気にしつつも服が気になっているようだ。  
うんうん、あなたならどの服でもオーダーメイドにように似合うと思いますよ、朝比奈さん。  
まぁ、長門の服を選んでるのかもしれんがね。  
その長門は、と見るとエスカレーター脇のベンチで我関せずと本を読んでいる、どんな場所でも構わず読書をするやつだな、本当に。  
他の階を見に行くことをハルヒに禁じられた俺は、しかたない、自販機でコケコーラでも買ってから長門の横に座ることにした。  
本が積んであるせいでベンチが狭いぞ、長門。  
コーラを一気に半分ほど飲み干し、ようやく一息つく。  
 
ふと缶から長門に視線を向けると、長門は本を閉じこちらを見ていた。  
正確には俺の飲んでいる赤い缶の炭酸飲料が気になっているようだ。  
 
「………コーラ、飲んだことないのか?」  
「………」  
 
微妙な角度の首肯を確認。  
そういえば喫茶店でも飲む物全てが初めてのような感じだったな。  
こいつに炭酸飲料を飲ませたらどんな反応をするんだろう。  
いくらこいつでも初めてなら少しは表情を変えるんじゃあないだろうか?  
そんな悪戯心が湧き上がってくる。  
 
「飲んでみるか?」  
 
俺のそんな言葉に缶に集中していた視線が俺の顔に向けられる。  
俺の悪戯心なんか見透かしていそうなほど真っ直ぐにこちらを見据えてくる長門の黒い瞳…  
白皙の肌と相俟って美形と言って差し支えないであろう顔が、しかし表情を浮かべていない事によって冷たい雰囲気を放っている。  
ほんと、人形みたいなヤツだよなあ…  
数秒見詰め合った後、長門はまた微かに頷くと持っていた本を脇に置く。  
俺が缶をベンチに置き、長門のコーラを買うために立ちあがると…  
長門はその俺の飲みかけのコーラの缶を手に取り流れるような動作で口に運んだ。  
一瞬眉を顰めた後白い喉が動き、ああ、飲みこんだんだなあと分かる。  
 
「あ〜…」  
 
こいつなら俺の飲み掛けでも気にするようなことはまあ無いだろうと分かっては居たんだが…まぁ、良いんだけどな。  
で、初めての炭酸の感想はどうだったんだ?  
 
「……刺激が強かった」  
 
まんま状況のみ、だな…  
さて、一口で好奇心が満たされたらしい長門が俺に缶を返してくれたわけだが…飲んでもいいもんかね、これは  
そう考えつつ缶を両手で挟みこむように持っていたところ、ハルヒがフロア中に響き渡りそうな声で長門を呼んでいる。  
どうやら服を選び終えたみたいだな。  
長門は俺を一瞥してからハルヒの声がするほうへと歩いていく、俺にも来いってのか?  
 
ま、ついて行ってみるとしようか。  
コーラの缶も後生大事に抱えてたところでしょうがねえし、  
下手に持っていけばハルヒに奪われるような気がしてならねえ。  
一気に飲み干してゴミ箱行きだ  
 
温まって炭酸の抜けかけたコーラはただひたすらに甘かった。  
 
 
長門に遅れること一分とちょっと、くらいだとはおもうんだが、そこにはすでに長門の姿もハルヒの姿も見当たらなかった。  
…見当たりはしなかったが、その店の前に来た俺は、どこにハルヒと長門が居るのかが分かってしまった。  
3つある試着室のカーテンが全て閉まっているにも関わらずだ。  
何も透視能力なんていうわけじゃない、何度も言うが俺は正真正銘、何の特殊能力も怪しげな経歴もない一般人だ。  
そういうのは小泉にでも任せておいてくれ  
 
超能力者でもなんでもない俺が何故二人の居場所がわかるのか、というと…まあ、単純な話だ。  
目の前でもぞもぞと動いているカーテンの向こう側から、ハルヒの声が聞こえてくるからというだけのことだ。  
一つの個室に二人で入っているということらしい…例によって着せ替え人形にしている、ということか。  
朝比奈さんだったら大騒ぎするところなんだろうが、さすが長門というべきか、ハルヒが独り言を言っているようにしか聞こえんな。  
 
ハルヒの声と怪しい動きをするカーテンに気を取られて試着室の前に来るまで気が付かなかったが…  
この店はどうにも…ハルヒらしいチョイスといったところか、確かに長門なら似合うかもしれないがな。  
 
待つこと数分、レールから金具が弾けとぶような勢いでカーテンが開かれ、ハルヒが飛び出してきた。  
カーテンの開いた試着室に残された長門の予想通りの、しかし予想以上に似合う姿をみて、俺は言葉を失ってしまった。  
 
「どう、似合うでしょう」  
 
などと誇らしげにいうハルヒの顔が目に入らず、何故か社長秘書、という言葉が俺の頭をよぎる。  
そう、ハルヒが長門に着せたのは落ち着いた雰囲気のあるスーツだった。  
小柄な長門にはミスマッチなはずのスーツが何故かしっくりくる。  
確かに似合ってる、毎度の事ながらマニアックなチョイスで、魅力をきっちり引き出せる服を選ぶヤツだな。  
 
「ふん、これならみくるちゃんがどんな服をもってこようが勝ちはもらったわ!」  
 
俺の賛同を得たことに気を良くしたのかハルヒは満面の笑みを浮かべ朝比奈さん探しの旅に突っ走っていってしまった。  
いったいいつの間に勝負になっていたんだろうか、勝ち負けの基準はなんなんだろう、  
そして勝負にまけた朝比奈さんはいったい何をさせられるんだろうか…まあ、またろくでもないことだろう…  
等とぼやいたところでハルヒには聞こえないわけだし、朝比奈さんの心の平和を祈りつつ長門で目の保養をするとしようか…  
 
「長門、買うにしても買わないにしても制服に着替えてスーツを店に戻しとけ」  
 
上から下まで眺めたところで目に付いた値札をみて俺は背筋に冷たい物が走った。  
0が5つほど並んだ上にさらに2桁が乗っている、目の保養どころか俺の心が擦り切れてしまいそうだ。  
 
俺の言葉に長門はいつものように俯角3度ほどの角度で首を振り、  
ボタンを外し始め…たところで俺はカーテンを先ほどのハルヒと同じような速度で今度は閉めた。  
なんでうちの団員は揃いも揃ってこうも無防備なんだろうか。  
 
試着室の前で長門を待ち続ける俺に店員さんと他の客の視線がたっぷり突き刺さって居たたまれなくなった頃、長門が試着室からでてきた。  
ほら、そのスーツを店に戻して、ハルヒを探しに行こうぜ、俺にはここは居辛いんだ。  
 
そう言って長門の手を引っ張るものの長門はいつぞやの図書館のように動きやしない。  
その車さえ買えてしまいそうなスーツを買うつもりなのか?  
まさかと思って言った俺の言葉に長門はゆっくりと頷き、薄っぺらで飾り気のない財布から分厚い福沢さんの束を無造作に取り出した。  
店員さんが固まるのが見える。  
今時の学生の懐事情に驚いたのだろうか、それとも手品師もビックリのその光景に驚いたのだろうか。  
でも、気にしないでやってください、この程度の不条理ならよくあることです。  
 
清算を終えた長門と二人、ハルヒと朝比奈さんを探してフロアをうろつく。  
世間の目が痛いので本と服とは俺が持っている、長門に限って荷物持ちなんかは必要ないことだとは思うけどな。  
なあ、長門、頼むからその服で土曜の集会にこないでくれよ、世間の目がさらに冷たくなりそうだ。  
しかし、部室で着る分には一切問題はない、というかそれなら大歓迎だ。  
スーツ姿の長門とメイド服姿の朝比奈さん、ついでにバニーでポニーなハルヒがいたらそこは世界中で一番華やかな部室だろうよ、きっと。  
どんな部活かはわかりゃあしないが、気にすることはない。そんなことは初めからだ。  
 

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