「傘がない」  
 
 
「動け…うご〜けぇ〜…」  
いきなり何事かと思われるかもしれんが当人はいたって真剣だ。  
時は北高時間において放課後、場所は正確さを求めるのならば文芸部室。SOS団などという訳の解らない団体に不当占拠されて  
いるこの部室で、俺の目の前で北高の制服を着た女子生徒が長テーブルの上に置かれたひとつの物体にむかって一心不乱に言  
葉を紡いでいる。誰がどう見ても文芸部員の活動とは思わんだろう。俺の知っている文芸部員は窓側で椅子に座り俺の知らな  
いぶ厚い本を静かに読んでいる、そんなやつだ。そいつはまだ来ていない。掃除当番か?  
「動かないわねえ、これっ」  
不満を口にしたこの女はまさしくその物体を動かそうとしていた。いや、手を使って動かすとか、そんな当たり前の方法はこ  
いつには通用しない。いっさい触れずに動かそうとしているのだ。息で?とか言われる前に言っておく。つまるところ念力だ。  
超能力ってやつだ。  
「キョン、これ本当にあんたの言うおっさんの説明通りのものなの?このあたしの念力が発動しないなんてありえないわ」  
SOS団団長様は雑誌の袋とじの開封に失敗したような顔つきでのたもうた。  
「あのなあハルヒよ。始めてからまだ三分も経ってないぞ。カップ麺じゃあるまいし超能力とやらがそう簡単に目覚めてたまるか」  
なあ、と同意を求める相手がいればよかったが今この部屋には俺とハルヒしかいないのでハルヒとにらめっこすることにした。  
ハルヒのやつは笑う代わりにふんっ、と息を吐き、再び念力を発動させる儀式に戻った。  
やれやれ。  
とは言うものの今回は俺が持っていたシロモノをハルヒに見せちまったことが事の発端だ。ハルヒはやけに食いつきがいいが  
実際のところこの機械があのおっさんの言う通り超能力を育てるためのものなのかよく解らん。なにせおっさんとは昨日会っ  
ただけだからな。  
「動きなさいってば!」  
まだやってるよ。  
俺は鞄に入れたままにしておいたことを後悔しつつハルヒが早く飽きることを期待しながら、昨日のことを思い返してみるこ  
とにした。  
 
 
それは昨日、帰宅途中のことだった。  
部室で頂いた朝比奈さん特製シュークリームの柔らかい甘さを忘れてしまわないよう授業中の先生の講釈を頭の中から追い出  
す作業に勤しんでいたときだった。  
「マジか」  
人が倒れていた。夕方六時前といえど季節は秋真っ盛りで日も短くなってきているので当然もう薄暗く最初は人に見えなかっ  
た。そのため俺が先述の言葉を発したときは教室の俺の席の二つ前ほどの距離になっていた。  
「あの…大丈夫…ですか?」  
うつぶせで容態は解らないがとにかく声をかけた。返事がない。ヤバイのかこれ。  
「う…」  
う?声?  
「生きてる?」  
腕がピクリと動いた。  
「大丈夫ですかっ!」  
さっきより大きく声をかけてみた。  
「お…なか…」  
ゆるゆると顔を上げた。男だった。俺と目が合うと  
「食べ…もの…」  
これは行き倒れってやつか?  
 
 
「ありがとう。君は命の恩人だ」  
ついさっきまで虫の息だったこの男性は、俺が持っていた焼きそばパンで生気を取り戻していた。  
朝比奈さんのシュークリームが食べられるとあって昼メシを半分にしていたおかけだ。朝比奈さん、あなたの好意は今ひとり  
の男性の命を救いましたよ。  
「礼には及びませんよ」  
だがこの男性は焼きそばパン代だといって札束を出してきた。だがその札は見たことのないデザインをしていた。早い話日本  
の紙幣ではない。  
「あなた観光客ですか?」  
とりあえずお金のようなものを受け取るのは辞退した。しかし男性は何としてもお礼がしたいらしい。そんなことより早くこ  
の札を円に換金したほうがよいのでは。  
「…よし、ならこれを君にあげる」  
男性が自らの脇に抱えたバッグを全開にして取り出してきたのは、拳大の四角い物体だった。灰色がかっていて艶はなく、見  
たことのない模様が刻まれていた。  
「何ですかこれ?置物?」  
バッグの中にはカメラらしきものがあった。他にも見慣れないデザインの品物が目についたが、男性の次の言葉でそっちへの  
興味は消えた。  
「E.S.P.訓練ボックス。文字通りエスパーを育てるための機械です」  
 
沈黙。  
 
「…ははっ。何かのジョークグッズですか?」  
 
こんな返しでいいだろう…な?  
 
「違う違う真面目なもの。元々研究用に開発されたんだけどね、それを一般でも使えるように改良されたものなんだ」  
そうですか。そんな真剣な顔されてもなあ。俺の知り合いに超能力者はいるにはいますが、そいつはそんなもので訓練したと  
は言っていないので。  
「どう改良されたかというと、『念力』『透視』『瞬間移動』という超能力の最もポピュラーなカテゴリーに特化して能力を引  
き出させるようにしたんだ」  
俺は焼きそばパンをあげただけで喉を潤すジュース類は与えていないのだが男性の口はよく動いた。ここに鏡はないが俺の表  
情は話半分で聞いているに過ぎないしまりのない顔になっているだろうことは解る。  
しかし男性はさらにその機械の説明を嬉々と続け  
「とにかくお礼だからもらってよ。別に害があるわけじゃない。いつか役に立つよ」  
俺に手渡すと  
「それじゃ、またどこかで」  
焼きそばパン効果で軽くなった足取りで去っていった。  
「ちょ、待ってくれ」  
はっと我に返り男性の後を追った。しかし俺はついにその姿を確認することはできなかったのである。  
 
「見て見てキョン!動いたわ!」  
「なんだと」  
さて昨日このような出来事があったわけだが、とうとう団長様がやってくれたらしい。  
「見なさい」  
魚の骨を綺麗に取り除いた小学生のような喜び顔のハルヒの指差す方向には、5cmほどの高さに浮かぶいわゆるE.S.P.訓練ボ  
ックスがあった。  
「マジか」  
E.S.P.ボックスの下側に手を入れてみた。何もない。上に手をかざしてみた。紐で吊しているわけでもない。長テーブルは学  
校の備品だし穴を開けて下から空気を送って浮かばせているなんてことはまず考えられない。  
「ハルヒ」  
「なによ」  
「お前はさっきから動けって念じてたよな。頭の中では浮かぶイメージだったのか?」  
「さてどうだったかしら。特段イメージはしていないわ。ただその置物がビリヤードの球みたいにコロコロ転がるだけってのも  
つまらないってのはあったわね」  
それともうひとつ。  
「思念波を送り出してからどれくらい経った?」  
「はあ?なんでそんなこと気にすんのよ。それよりこのあたしが晴れてエスパーになったことを喜びなさいよ。エスパーハルヒ  
よ?ウハウハってやつよ。団員その1として無条件に祝福する忠誠心が欲しいわね」  
もともと忠誠心などない。  
「10分、てとこだな」  
お前の念力とやらが発動するまでのタイムラグが。  
「10分も遅れる念力なんてなあ」  
極力興味なさそうに振る舞う俺。  
「それにこうただ浮かんでるだけってのも」  
そう言いながら俺の頭の中ではこの新しいやっかいごとはいつものハルヒのトンデモ能力のせいだろうという考えが支配的に  
なってきていた。  
「むっ」  
左の頬をふくらませたハルヒは  
「うっるさいわね。なら見てなさい。次は瞬間移動よ!」  
空中のエスパーボックスに手をかざした。  
よけいなことはせんでいい。この遊びはこれでお開きにしよう。  
「邪魔すんなっ!」  
俺の眼前に掌を突き出して一喝。そんなに近くで見せても、俺は手相は解らん。  
「ところでハルヒよ。超能力を身につけて、何に使うつもりだ?」  
ハルヒはエスパーボックスから視線を逸らさないまま  
「宇宙人や未来人たちを見つけたとき逃げられないようにするためよ!」  
はっきり言い切りやがった。  
やっぱりこいつの変態能力だ。おそらくこいつは何回も不思議捜しの市内パトロールを行いながら宇宙人その他が見つからな  
いから自ら超能力を身につけて捕まえようと考えたに違いない。超能力者同士は引かれあう、という言葉もあるしな。昨日の  
夜ハルヒが見たという超能力特番がきっかけか?その話をされて思わずあの機械のことを思い出してしまったんだっけな。  
ん?  
 
「じゃあ、あのおっさんは?」  
思わず発した言葉の直後  
「消えた!」  
エスパーボックスが消えた。さっきよりタイムラグが短くなってないか?  
「見なさいキョン。あたしの実力が解ったでしょう?」  
あなた様のけったいな力はいやというほど見てきたさ。  
「さて。悦に浸るもいいが、どこに飛ばしたんですかい?」  
テレポート先の場所をイメージしただろう。  
ハルヒは眉を数ミリ下げて  
「あ…特になにも」  
「あのなあ」  
 
「あいたっ!」  
 
俺のものでもハルヒのものでもない第三者の悲鳴にも似た声は俺達のいる部室ではなく廊下から聞こえてきた。  
そしてその声は、昨日俺に天使のシュークリームを与えてくださったお方の声によく似ていた。  
「いまのみくるちゃんよね」  
俺とハルヒは思わず顔を合わせた。こういうときいつも使い慣れている言葉を俺が口にしようとした時  
「あれっ?えっ?どうしてこれがここに…ふええ、何でえ…」  
ドア一枚、壁一枚、どちらでもいいがとにかく隔てた廊下の様子がおかしい。  
「どうしたの、みくるちゃん」  
ハルヒに続いて廊下に向かうとエスパーボックスわまじまじと見つめる床にへたりこんだ朝比奈さんがいた。  
「ふひっ?涼宮さん…キョンくん…」  
朝比奈さんのおでこが少し赤くなっていた。バカ団長に代わり懺悔します。  
「ごっめーんみくるちゃん。痛かった?」  
言葉とは裏腹に全く悪びれる様子もない団長さんは  
「それあたしのだから。返してちょうだい」  
俺のだ。  
「…えっ?いえ、そのぅ…」  
目の前に差し出された後輩の右手をみた朝比奈さんの顔が狼狽する。くりっとした瞳がキョロキョロして、俺達と目線が合い  
そうになるとさっと逸らす。  
「もう。何してんの。さっさと返しなさい」  
まるで朝比奈さんに強奪されたかのような口ぶりでハルヒは実力行使に出ようとした。ところが  
「だっ駄目ですっ!こっこここれはお姉さんが没収しましゅっ!」  
朝比奈さんに伸びる魔の手が一瞬フリーズするほどの剣幕が返ってきた。俺もびっくりした。そしてそのまま、いやまさに「ピ  
ューッ」という擬音が当てはまるほどのスピードで俺とハルヒの元から走り去ってしまったのであった。  
「朝比奈さん…」  
遠ざかる朝比奈さんの耳には、俺の言葉がドップラー効果で引き伸ばされて届いているに違いない。  
「何なのよみくるちゃんったら」  
このバカ団長のことだから追いかけていくのかとおもいきや  
「まっ、いいわ。念力と瞬間移動はできたんだし、透視もそのうちできるでしょ」  
三つの超能力のうち二つを(10分ほど遅れて発動するが)身につけたことでコツでも覚えたか。やけに上機嫌だった。  
 
はっきり言おう。おれにとってはまっ、いいかどころか上機嫌にもなれなかった。  
 
 
その夜。駅前。  
 
団活を早々に切り上げたハルヒが夜中に市内パトロールをしようと計画したわけではなく、俺は朝比奈さんからの電話でSOS団  
御用達の駅前に来ていた。  
「こんな夜分にどうもすみません」  
お前に呼ばれて来たんじゃねえ。  
「…」  
怪しいニヤケ顔と無口少女もセットだった。長門はともかくなんでお前が俺より先にいるんだ。俺は俺を読んでくださったお  
方を目で追った。  
「キョンくん」  
秋も深まり夜はすっかり冷え込むようになって、朝比奈さんは白いダウンジャケットを羽織っていた。街頭に照らされた姿は  
妙に大人っぽい。俺が声をかけるより先に  
「放課後のこと」  
ぽつりと呟いた後  
「放課後のあの機械のことでお話を伺いたいのです」  
と言葉を繋いでいった。いつものハルヒ専属ドジッ子メイドさんではなかった。  
 
放課後のあの機械。そう、おれが焼きそばパンのお礼にと見知らぬおっさんから頂戴し、テレビの特番を見てはしゃいでいた  
ハルヒに思わずそれを見せてしまい、あろうことか超能力らしきものをハルヒに身につけさせてしまった一品である。  
朝比奈さんはあの機械をいつ、どこで、誰から手に入れたのか、そしてそれを何故ハルヒが持っていたのか、適度に間をおい  
て俺が正確に答えられるように質問してきた。そのお陰でやきそばパンで人一人救えたのは朝比奈さんのシュークリームのお  
かげだということを伝えることができた。  
が、  
「ううう…やっぱり…」  
シュークリームの部分には反応せず、がっくりと肩を落とされた。隣の長門はずっと無表情のままだし、古泉はニヤケ顔のままだ。  
朝比奈さんは意を決したように顔をあげると  
「キョンくんが会ったその男性は私と同じ未来人なんです」  
可憐な二つの瞳が俺の体を絡めていた。未来人?  
「えっと、その、未来人?」  
「そうです」  
それは、ハルヒの仕業なんですか?  
「違う」  
答えたのは北高の制服姿の長門だった。  
「今回のあなたの未来人との遭遇に涼宮ハルヒの能力は関与していない」  
な…んだと?  
「全くの偶然」  
んなアホな。  
「そのようです。機関のほうでも涼宮さんの変化は確認していません」  
古泉はそのまま  
「朝比奈さんが僕と長門さんをここに呼んだのも、そのことの確認のためなんですよ」  
と続けた。まあそうだろう。朝比奈さんがプライベートでお前を呼び出すなんて谷口のナンパが成功するくらいありえん。  
「じゃあ、ハルヒの超能力は?あいつは念力も瞬間移動もやってのけたぞ。あれはさすがにハルヒの願望実現能力のせいだろ」  
俺の主張はものの二秒で長門に否決された。涼宮ハルヒからは情報の変動は観測されていない、と。  
「キョンくんが会った男性の言う通り、あの機械は超能力を育てるために開発されたものなの。…だから涼宮さんがやった念  
力とかは、本物だと思います」  
と朝比奈さん。  
ハルヒの超能力は紛れも無い本物。そしてそれはハルヒの神様能力とは無縁である。  
 
「つまり、涼宮さんは一個人として正真正銘のエスパーになったのですよ」  
 
そのニヤケ面だと引導を渡された気になれんな。  
 
「それで」  
これからどうすればいいんだ。  
「懸念材料とすれば、エスパー能力と情報改変能力の連動ですね」  
古泉のニヤケ顔が五割引きになっていた。  
「以前にも話しましたが涼宮さんは普段の言動は一見エキセントリックに見えて、内面はごく常識的な考え方の持ち主です。  
不思議なことが起こってほしいという願望とそんなものあるはずないという常識論との均衡の上にかろうじて世界があるべき  
形になっているのです」  
その話は以前聞いた。  
「そこにエスパー能力です。涼宮さんが不思議なこと、この場合超能力になりますが、それがすぐそこにあると認識してしま  
ったら均衡が崩れ、世界が目茶苦茶になってしまうかもしれません」  
だからどうするんだよ。もうハルヒはエスパーなんだぞ。発動に10分かかるけどな。  
「そこですよ」  
人を指差すな。  
「まだ涼宮さんは超能力を完全に自分のものにしていない。不完全なままでいてくれるようにすれば、おそらくはすぐに均衡  
が崩れることは起きないでしょう」  
俺は押し黙ってしまった。そんなことで大丈夫なのか?そもそもこれは古泉たち、機関の理屈だ。  
「長門」  
もうひとつの勢力の意見も聞いてみよう。  
「おまえの親玉…なんとか思念体はどうなんだ?」  
長門は自分の主の正式名称を正しく言われなかったことに抗議しないまま  
「情報統合思念体は、今回の件には無関心」  
せめて瞬き一回くらいのリアクションは欲しかった。長門はその一言だけで沈黙した。俺はさらなる言葉を期待したが、返っ  
てきたのは俺にしか解らないくらいの角度で長門の頭が傾いただけだった。  
「さっきも述べた通り、今回の件に涼宮ハルヒの情報創造能力は関わっていない。情報統合思念体の関心事は涼宮ハルヒのそ  
の能力。それが関わっていない以上、思念体が積極的に関心を持つことはない」  
俺の想いが届いたのか、長門の小さな口が動いた。だが結局のところ静観、ってことか。  
「そう」  
宇宙人にしてみれば、人間の超能力なんてたいしたことじゃないのだろうな。  
「人間が通俗的に呼称する超能力という能力は、人間にとってさほど特別なことではない」  
朝比奈さんも古泉も、えっ、という顔をした。さらりとナニを言い出すんだ。  
長門は俺達の視線にも無表情のまま  
「人間は万物の摂理を1ミクロンも解読していないから」  
とだけ言葉を発した。  
訳が解らん。  
そして帰り際  
「キョンくん。明日学校が終わってから付き合ってもらえますか?」  
という申し出を朝比奈さんから受けた時の俺は、さしずめファウストの如きと形容しても差し支えないだろう。  
 
次の日。  
 
深夜の団長抜きSOS団緊急会議のためやや寝不足気味の俺の耳に届いてきたのは  
「透視はね、やめたの」  
「なんかズルい気がするのよね」  
さばさばしたハルヒの言葉だった。どんな心境の変化だ?  
「あんただってルパン三世にすら見つけられないだろうという自信のエロ本の隠し場所が実は見つけられていてそれを知らず  
に銭形のとっつぁんの警護を断っていたらとんだ恥さらしでしょう?」  
例え話でもエロ本の警護にインターポールの警部を呼ぶような酔狂な人間にしないでくれ。  
「ずいぶんと殊勝なことだな」  
俺としてはハルヒの超能力の駒が増えなくなったことをせめてもの収穫としたい。いやまあ全然事態は好転してないんだが。  
「だからあたしはまず自分で捜し出して、万が一逃げられそうになったらこの念力やら瞬間移動で捕まえるの!」  
この自信がどこからくるのか知らんが  
「そうかい」  
とだけ答えた。  
 
さて俺はハルヒはかつてバニー姿でSOS団のビラを配り歩いていたこともあるし超能力をこれ見よがしとばかりにクラス中、ひ  
いては学校中に実技つきで宣伝して回ると思っていた。だがハルヒは一切それをしなかった。なんでも「宇宙人たちに手の内を知られるとまずい」のだそう  
だ。そのためハルヒはSOS団団員だけにその超能力を公開した。  
「SOS団の新たな武器を発表します!」  
いやお前しか使えないし。などというツッコミは置いといて、ハルヒパワーのタイムラグは5分にまで短縮していたのだ。た  
った一日で半分だ。だが超能力で動かせるものがあの置物からパイプ椅子程度の重さの物にしかスケールアップしていなかっ  
たことは俺や古泉を安堵させた。  
「とは言っても、心配ですね」  
俺の隣で小柄な上級生が呟いた。  
「心配と言うとあのことですか?」  
朝比奈さんは髪をふわりとさせて頷いた。  
現在は団活後。昨日の約束通り俺が未来人と会った場所に向かっている。俺は今回未来人と接触したということで禁則事項が  
緩み、様々なことが聞けるようになった。そのひとつが「あのE.S.P.訓練ボックスで超能力を得るには最低三年かかる」という  
ものだった。  
「それをハルヒは30分もしないうちにタイムラグがあるものの身につけてしまった」  
今回ハルヒの神様能力が関与していないのだから、元々素質があったのかもしれない。けれど急激に能力を開花させたことで  
ハルヒの精神状態に歪みが生じるかもしれないと朝比奈さんは心配している。  
「けれど上のほうは何も指示してきません」  
相手が世界を変える力を持つハルヒだから下手に手出し出来ないのだろう。  
 
「ここです、朝比奈さん」  
朝比奈さんの上司は、もっぱら俺が会った未来人に注目している。それだけじゃない。未来の警察も動いているのだ。禁則が  
緩んだ朝比奈さんの口から聞いた情報によれば、過去の世界の人間にその時代に存在しないものを与えたり教えたりするのは  
航時法という法律に違反するらしい。さらに時間移動は許可制になっていて、持ち物検査がされる。  
にもかかわらず未来の道具が持ち込まれているということは密航者である可能性が高いとのことだ。  
さてこのあたりで何故俺が朝比奈さんと連れ立っているのか想像できるだろう。そう、捜査協力である。禁則が緩んだのもそ  
のせいだ。尤もこんなのは特例で、俺がハルヒの関係者だからだろうがね。  
「それでは、ちょっと下がっていてください」  
 
ピントを合わせた被写体のような声と共に朝比奈さんは北高指定のバッグの中から銀色のボールペンのようなものを取り出し  
た。そしてそれを地面に向けると、タオルに水が染み込んでいくように緑色の光が円錐状にゆっくりと照射された。その光は  
砂のような粒子でキラキラしていて、ちょっと見入ってしまった。  
「キョンくん」  
細い指先を辿ると、緑色の光に照射された地面が木版画のようになっていた。50センチ四方だろうか。いろんな形の、足跡の  
ような、いや足跡が浮かび上がっている。靴底のギザギザがある。  
「これは…」  
「この時代の指紋検出法の進化形と理解して下さい」  
朝比奈さんがボールペンのようなものを右に左に動かすと、地面に描き出された木版画の模様が変化していった。懐中電灯で  
照らしているのと同じで照射元が動いたから照らされている場所が移動しただけのことだった。  
刑事モノのドラマで鑑識さんが耳かきの綿の部分のようなやつを怪しいところにぽんぽん、とやっているのを見たことがある  
が、あれはアルミニウムかなんかの粉をつかっているんだっけな。この緑色の光は一体何でできているんだろう?  
これは禁則なのだろうか?と考え出した時  
 
ピッピッ  
 
電子音。  
朝比奈さんはそのままちょこんと座り、今度は先っぽが鹿威しのように斜めにスライスされたやっぱりボールペンのようなも  
のを取り出し、地面に浮かび上がるひときわ大きな足跡にちょん、と触れさせた。  
いや、それは足跡じゃない。こんなでかい足跡なんてない。第一木版画に収まりきれてない。未来人は倒れていた。その跡だ  
ろう。  
五秒ほど経って  
 
ピー  
 
電子音叉のような無機質な単音が鳴った。  
「うん、これでよし」  
朝比奈さん、これは一体?  
「この場所に残っていた未来人の生体情報を採取しました」  
生体情報?  
「最初の電子音は時空シールドに反応した音です」  
時空シールド?  
禁則が緩んでいる朝比奈さんは実に滑らかに説明してくれた。  
時間移動をする時は、目的の時間平面に移動するまでに各時間平面に干渉しないよう体にシールドを張る。シールドを張らな  
いとすべての時間平面に痕跡が残り、歴史への思いがけない影響が出てしまうかもしれない、というのが理由だそうだ。  
いつぞやのパラパラマンガの例え。  
ほんの一ページの隅っこの落書きは誰も気にしないが、それが何百ページにも渡って続いていたらさすがに気付く。そんなと  
ころだろう。  
ちなみに、TPDDは時空シールドとセットで作動するそうだ。そこまで慎重な決め事があるのに、いつの時代にも抜け道を  
探し出すやつはいるものである。  
「この生体情報を未来に送って照会してもらって個人を特定するんですよ」  
説明を終えた朝比奈さんは軽く息を切らせていた。  
よし、聞くなら今しかない。  
「朝比奈さん」  
「はいっ。なん、何でしょう」  
今なら答えてくれるかもしれない。  
「あなたの本当の年齢を教えてください」  
解答者は大きく深呼吸してから  
「禁則事項です♪」  
ウインクつきで答えた。ちくしょう。  
 
「照会がすんだら、顔写真などのデータが届くと思います。その時は確認のためまたお願いできますか?」  
今回のこの捜査協力には古泉も長門も同伴していない。もちろんハルヒには完全秘密だ。つまりおれと朝比奈さん二人で行動  
している。  
未来の情報も、俺だけに話している。  
そんなシチュエーションが今後も続くとなれば断る理由がどこにある?どこにもないね。ならばこう言おう。  
「よろこんで」  
 
 
翌日のハルヒは不機嫌だった。  
 
と、いうより、どことなくそわそわしている印象だ。ホームステイのため来日するスイス人を空港で待っているような、そん  
な感じ。  
だがこいつの奇人ぶりがヨーロッパにまで届いているはずはなく、届いていても永世中立国のスイスが関与してくることはな  
いから違うことでそわそわしているのだろう。  
「早く土曜にならないかしらね。総力を挙げて不思議を捜し出すのよ。野球にしろサッカーにしろ戦力の補強は優勝するため  
に行うんだからねっ」  
その戦力補強に一役買ったあのエスパーボックス。かの機械はとうにあるべき年代の世界へと回収されている。万が一ハルヒ  
が話題にしたときのためにダミー品を預かっているのだが、ハルヒのやつはもう興味ないようで朝比奈さんにも何も言わない。  
放課後の部室では  
「閉鎖空間は発生していませんね。涼宮さんはわくわくしているのではないでしょうか?」  
ハルヒ専属超能力者が言っているのだから、不機嫌ではないのだろう。  
しかしわくわくしているのは何故だ。まさか市内パトロールの時街中で念力やら瞬間移動やらかすんじゃないだろうな?  
「僕としましては、新しい懸案事項ができたのですが」  
古泉はゆっくり右手を挙げ、人差し指以外の指を畳んで  
「あなたと朝比奈さんの共同作業が気になりますねえ」  
ワイドショーの司会者のような口ぶりをしてきやがった。  
「なんだその意味ありげな物言いは。朝比奈さんはあの未来人の足取りを掴むためがんばっているんだぞ」  
考えてみたら今回こいつ何の役にも立っていない。そればかりかハルヒの超能力で世界が破綻するとか煽ってるだけだ。実際  
何も起こってないぞ。なんか腹立ってきた。  
古泉は肩をすくめ  
「念のための忠告です。くれぐれも涼宮さんに知られないようにしてください」  
んなこたぁ解ってる。あのおっさんばかりか朝比奈さんまで未来人なんて知られちゃ元も子もない。  
「それだけではないのですがね」  
何が言いたい。ははあん、お前俺が未来の情報に触れていることが羨ましいんだな。だが残念ながら教えることはできんのだ。  
守秘義務があるからな。  
なんと古泉は嘆息していた。本当に羨ましかったのか?  
「おまたせーっ!」  
俺がオセロでの勝利を確実にするマスに黒石を置こうとした時ハルヒが長門をつれて登場し、話しは打ち切られた。  
「みくるちゃんは?」  
古泉の視線を無視し  
「まだ来てないぞ。HRが長引いてるんじゃないか?」  
 
だがその日朝比奈さんは部室に来なかった。  
あの未来人のことで忙しくなったのだろうか。でも照会の件があるから何かしら連絡がくるだろう。  
ちなみにハルヒの超能力のタイムラグは一分半にまで短縮していた。が、動かせるものは相変わらずパイプ椅子程度だった。  
やはり実際に動かすとなると重さに左右されるようだ。  
「今程度の実力じゃ、宇宙人たちに石やら何やらぶつけて動きを封じることしかできないわね」  
おまえははるばる地球にやってきた宇宙人に石をぶつけるってのか。小学生かおまえは。  
「瞬間移動と組み合わせれば、どこから飛んでくるか解らないものね!」  
せめてカラーボールにしておけ。  
 
そんなこんなで団活も終わり、帰宅途中のことである。前方に見覚えのある方が立っていた。  
「朝比奈さん」  
朝比奈さんは北高の制服姿だった。鞄も持っているから学校を休んだわけではなさそうだ。俺の顔に優しい笑顔を向けてくれ  
たが、どことなく疲れているようだった。  
ごめんなさい、と今日の団活無断欠席を謝罪され、休んだ理由は例の件のことですかと俺が聞こうとしたその時  
「そ、その顔…」  
顔を上げた朝比奈さんは目の下にクマができていた。くっきりと。  
「ふええ、そんなにジロジロ見ないでぇ…」  
両手で顔を覆って背中を向けてしまった。今日部活にこなかった理由はこれか。  
「こんな顔で部室に行ったら、絶対涼宮さんに疑われますよう…」  
朝比奈さん寝不足なんですね。がしかしそんなあなたも絵になる!  
「こ、これを確認してくださいっ」  
顔を隠したままでは仕事が出来ないと悟った朝比奈さんは俯きながらファイルを取り出した。  
そのファイルには男性の写真が入っていた。正面、右横、左横、後。おも顔、垂れ目、ぴょんと跳ねた前髪…。俺にエスパー  
ボックスをくれた男性に間違いない。  
「朝比奈さん」  
俺は顔を真っ赤にしながら俯いたままの先輩の肩に手を置き  
「何をそんなに恥ずかしがる必要がありますか。その目のクマは朝比奈さんががんばった、努力した証でしょう?あなたのお  
かげで男性の特定もできたんです。俺の不始末のためにここまでしてくれて嬉しいです」  
そのクマを笑うやつがいたら俺が許しません。  
「キョンくん…ぐすっ」  
いつもの笑顔が戻ったと思ったら、涙ぐみだした。落ち着いてください、朝比奈さん。  
「ぐすっ…違うの。嬉しくて…。私は下っ端で、いつも上の命令に従うだけ。仕事の意味だって教えてもらえないこともある」  
朝比奈さんは肩に置かれた俺の手に自分の手を重ね  
「…だからキョンくん、ありがとう」  
視神経が見えそうなほど澄んだ瞳だった。  
その後朝比奈さんは未来人についての情報をさらに教えてくれた。  
 
男性は団体旅行でこの時代に来て、はぐれて取り残されてしまった。  
団体旅行会社は無登録業者で、業者はもう摘発された。  
男性はカメラのセールスマンで他にも未来の道具を持ってきている可能性がある。  
 
つまりあのおっさんは密航者などではなく、モグリの旅行会社を信用してしまったがために元の時代に戻れなくなってしまっ  
たひどく不敏な人だったのだ。そういうわけで未来の警察は今度は保護対象としておっさんの行方を追うとのことだ。  
「あとひとつ、気になることが…」  
朝比奈さんの声がだんだん小さくなる。  
「通常、団体・個人に関わらず時間旅行者が現地の時代の人間と接触しても、別れたあとその時代の人間から記憶を消去するよ  
うになっているはずなんです」  
何故キョンこんは記憶が消されてないのでしょう、と朝比奈さん。でも俺はあなたからあのおっさんの正体を聞かされるまで  
未来人だとは知りませんでしたよ。  
「その団体旅行会社はモグリだったんでしょう?そのあたりのセキュリティもいいかげんだったのでは?」  
ていうか記憶消去なんてことをしているということは、あのおっさんのようにこの時代に旅行に来ている未来人はけっこうい  
るのだろうか。俺達が忘れているだけで。  
朝比奈さんは黙りこくり何か逡巡しているそぶりを見せた。そして小さくかぶりを振って  
「そ、そうですねっ。考えすぎですねっ」  
えい、とガッツポーズ。俺もとりあえずガッツポーズ。  
「まあ、今は睡眠時間を充分にとってください。土曜の市内探索まで休むと、団長様が、ね」  
ペチ、と再び両手で顔を覆った朝比奈さんはやっぱり麗しかった。  
 
 
そしてついに土曜がやってきた。SOS団市内不思議探しの旅にして、俺に休日と金の無駄遣いをさせる日でもある。本日もその  
例に漏れず集合時間10分前に到着したのに俺以外のメンツは揃っていて時間に間に合っていても一番遅いからという無茶な理  
由でサイフからまた金が消えた。俺はこれだけこの喫茶店の売り上げに貢献しているんだ。二割引きのクーポン券でもくれっ  
ての。  
「セコいこと言ってるキョンはほっといて、班分けのくじ引きしましょう」  
俺のささやかな願いは団長様にセコいと無下にされ、班分けを決める。  
午前中の班分けは、俺とハルヒ。そして残りの三人であった。この組分けは人為的な気がする。いや宇宙為的か?長門の目を  
見るがピクリとも動かない。俺になんとかしろってことか?  
「いい?何か見つけたらすぐ私に電話しなさい。私の超能力で取っ捕まえるから!」  
上機嫌で目の前の宇宙人や超能力者や未来人に指示してハルヒはのっしのっしと歩きだした。一般人の俺も後に続く。古泉達  
は反対方向へ。  
そういえば今週は朝比奈さんフル回転だったし、午後もハルヒと別の組分けになってほしいものだ。古泉の言っていた世界の  
危機とやらも、あいつの杞憂で終わりそうだ。パイプ椅子持ち上げる程度ならなんてこともないだろう。ハルヒの考えている  
エスパー像はそんなもんじゃないはずだ。  
「っておい?」  
そんなことを考えていたらハルヒが立ち止まっていることに気付かずぶつかりそうになった。ハルヒは振り返らないまま  
「あんたさ」  
「みくるちゃんとなんかあった?」  
その発言は唐突だったが、口調はごく自然だった。  
 
「朝比奈さん?何の話だ?」  
ハルヒの後頭部に問い返す。  
「あたし、見たのよ」  
だから何をだ。  
「このあいだ、団活終わったあと」  
この言葉で事態に気付いた。まさかこいつ。朝比奈さんの未来道具を見たのか?  
「あたしね」  
俺の反応が二拍以上休止していることに痺れを切らしたのか、ぽつぽつとハルヒが話し出した。  
「今日の市内探索が待ち切れなくて学校帰りにひとりでその辺探索していたのよ。そしたらあんたとみくるちゃんが一緒にい  
るところに出くわしたってわけ」  
歩道の真ん中で立ち止まって顔も合わせず何やら喋っている男女二人の横を街行く人が怪訝そうに通り過ぎていく。ちょっと場所を変えようか、と声を掛けようとした時、ハルヒが髪をなびかせてぐるりと振り向いた。矢で射抜かれるような鋭い眼光で睨まれた。  
「みくるちゃん泣いてた。あんた、何したのっ」  
…泣いてた?…ってそっちか。  
「いや、その…」  
ちょっとホッとしてしまった俺がいた。とりあえず、朝比奈さんが未来人の痕跡を調査しているところを見られたわけではな  
い。ハルヒに見られた件にしてもこの時代に存在する一般的なファイルしかなかったし、仮にそれを目撃されたとしても何と  
か言い訳できるだろう。  
「ニヤケんなっ!」  
胸ぐら捕まれ。安心して顔がほころんでいたか。  
「あんたのことだから、みくるちゃんにエッチなことでもしようとしてたんでしょ。あんたはいつもみくるちゃんのおっぱい  
見てばっかいるものねえ。…まさかみくるちゃんが団活休んだのもあんたのせい?あんたいつからセクハラし始めたのっ。そ  
うよ、そうだったんだ。セクハラに耐え切れなくなって休んでしまったみくるちゃんを呼び出して脅迫していた…。最っ低」  
そろそろ何か言い返さないと強姦魔のレッテルを大衆の面前で貼られてしまう。だがその前に俺を呼吸困難にさせているこの  
手をどかさなくてはならん。  
ハルヒの腕をパンパンと叩き、ギブアップのサインをする。  
「お前にはこの俺が後輩の女子にお茶くみやらコスプレやら強制的にやらされているけなげな先輩をさらに肉体的に辱めるよ  
うな鬼畜に見えるのか?」  
呼吸を確保した気道が声帯を動かした。服を直しながら反論する俺をハルヒはまだ睨んでいる。  
「朝比奈さんとはお茶の話をしていたんだ」  
「茶?」  
「お前や俺達がいつも飲んでいるおいしいお茶だよ。朝比奈さんはああ見えてマメでな。評判のいい店とか本で探しているんだ」  
「それでな、その日も本で読んだ近くの店に出かけて行ったら売切れだったんだ」  
「待ちなさいよ」  
ハルヒは腕組みしていた。  
「そのこととみくるちゃんが泣いていたことと何の関係があるっていうのよ」  
ああ、場所を変えたい。通行人の視線が…。  
「解らないのか朝比奈さんの傷心が。部活をサボってまで俺達のためによりよいお茶を用意しようとしてくれていたんだぞ」  
自分と朝比奈さんとの心の器量の違いに気付け愚か者。いや実際一番がんばっているのは朝比奈さんなわけだが。  
「解るかっ!!」  
怒鳴り声。ああ、場所を変えたい。  
「どうせ嘘つくならもっと脚本を勉強しなさい。あんたの話は薄いのよ。そもそもなんでお茶の話を誰にも言わずにあんただけ  
に、さらに部室でも言えるのにコソコソ団活が終わってから会う必要があるのっ」  
毒でも盛るつもり?とハルヒ。  
 
「コソコソとはなんだ」  
コソコソ、という言葉が引っかかる。こいつには俺が帰りの途中たまたま朝比奈さんと会っただけ、という選択肢はないのか。  
ハナっから俺をレイプ魔と決め付けているのか。  
「お前の頭の中じゃもうストーリーが出来上がっていて俺の意見などどうでもいいのか?朝比奈さんは俺達のために、いや特に  
お前のために、一生懸命がんばっているんだぞ。俺はそのほんの一部分の手伝いしかできないがな。お前がそういう発想しか  
持てないことには心底呆れるよ!」  
もう周りのことなどどうでもいい。このひねくれ女を更正させないとならなくなってきた。  
「なによ…なによ…っ」  
ハルヒは急に俯いて、肩を震わせはじめた。  
「あたしだってがんばってるわよ…。あんたと特番の話して…あんたのE.S.P.ボックスで超能力が身についたことが嬉しくて…  
もっと完璧になればあんたも喜ぶと思って家でも練習してるのに…あんたは学校終わってもみくるちゃんの相手してるっての…  
あたしよりみくるちゃんなの…」  
何だ?声が小さくてよく聞こえない。  
「おいハルヒ、大丈夫か?」  
「触るなっ!」  
手を払われた。なんなんだこのやろう。  
ハルヒ、ともう一度声を発しようとした時。全身の毛が逆立つ違和感が起こった。  
ヒュン。  
小石がどこらから俺めがけて飛んできた。痛みはなかった。  
ヒュン ヒュン  
続けざままたしても小石が飛んできた。なんだなんだ。額に当たった。おい、普通に痛いぞ。  
「あんたなんか…あんたなんか…」  
犯人は目の前にいた。ハルヒだ。俺はお前の探している不思議じゃないぞ。  
などと余裕をかましている場合ではなかった。コントロールが目茶苦茶で、俺に当たらなかった小石が通行人や街灯や、その  
他もろもろに向かって飛んでいくようになっていた。  
ハルヒよ、お前は超能力は奥の手として最後まで隠しておくんじゃなかったのか?こんな大勢の人がいる中で堂々と使ったら不思議はみんな逃げて代わりにTV局が来ちまう。  
「おいハルヒ」  
通行人がざわつき始めたのを確認して顔を戻すと、ハルヒの姿がなかった。  
「え?」  
ハルヒだけではなかった。俺達に男女の別れ話のもつれか何かを見るような視線を送っていた通行人も消えた。そればかりか  
、街灯も木も建物も全て消えていた。  
 
俺の目の前には、どこまでも続く一面真っ青な空間が広がっていた。  
 
「ここはどこだ?またハルヒの閉鎖空間の中か?だが周りは青い。新種の閉鎖空間か?」というある意味訓練された考えが浮かぶ  
前に、俺の体は猛烈な風にさらされた。おまけに胃の中身が食道を登って来るような、そうだジェットコースターで一気に降  
下するときのような、降下?!  
そうだ、俺は落下しているんだ。ハルヒが消えたんじゃない。俺が消えたんだ。目の前に広がるのは青空だ。ということはこっちに姿勢を変えればー、  
やめりゃよかった。  
ネットで地図検索すると、航空写真に切り替えられるサービスがあるだろう。姿勢を変えた俺の目にはその航空写真の風景が広がっていたのだ。  
「うえええええ!?」  
俺はさっきまで地に足をつけて周囲の目を気にしながらふさぎ込んだハルヒを諭そうとしていたはずだ。  
瞬間移動。  
ハルヒの超能力で空中に飛ばされた?しかしあいつはパイプ椅子程度しか持ち上げられなかったはず。だが今はそれどころで  
はない。俺は万有引力の法則に則って、引力が俺より強い地球に引き寄せられている。俺は地球がどんな性格か知らないから  
怪我しないよう優しくキャッチしてくれるか解らない。いや、アスファルトやコンクリは人間が造ったものだからそれが人に  
優しくないことはなんとなく解っているつもりだ。  
「ハルヒーっ!」  
俺の口から漏れてきたのは絶望の絶叫ではなかった。  
 
「キョーンっ!」  
 
ぐへっ。  
 
胸元に何かが飛び込んできた。黄色いカチューシャが最初に目に映った。ハルヒ。  
 
「なんだ、どうした」  
「わかんない、急にあんたが消えて、あれっと思ったら」  
それよりそれよりそれより。  
「ハルヒっ。瞬間移動だ!」  
とにかく、クッションになるようなところへまっすぐGOだ。  
「く、クッション?」  
「そうだ今すぐ。このままじゃ俺達は卒業式で岡部のは泣きっ面を見る前に死んじまう。とにかくなんでもいい。衝撃を和らげ  
るクッションだ。早く!」  
高跳び用のマットでも布団でもいいから。  
「ハルヒーっ!!」  
 
ザッパーン!  
 
落下する感覚はなくなった。が、今度は息が出来ない。おまけに服に水が染み込んでくる。冷たい。ここはどこだ?  
「ぶはっ?」  
手足をばたつかせると抵抗があった。水の中だ。ゆらゆら輝く光の方向へもがいていくと、水面から顔を出すことが出来た。  
建物が見えたが、校舎ではなく一般の住宅だ。俺が漬かっているこの水も、学校のプールにしては緑色すぎるし第一魚なんぞいない。  
どうやらここは学校ではないようだ。  
「キョン」  
同じく水面から顔を出したハルヒが2〜3メートル先にいた。  
「とにかく、上がるぞ」  
 
桟橋に向かって泳いだ。服が水を吸って泳ぎづらかったがなんとかたどり着き、ハルヒを先に上がらせる。そして俺も上がり、  
ここが池だということを確認した。  
「ここっ前っ、映画、撮りに来たとこだなっ」  
「そっ、そうねっ」  
お互い息が上がっていた。  
「おお前っ。クッションて言われてっ、池を思いっ浮かべるかっ、ふつうっ」  
「うううるささいっ。水にっ飛び込めば大丈夫かなってっ思ったのよっ」  
高跳び用のマットって言葉は無視か。  
「たっ助かったんだからっ、いいじゃないのっ」  
こう話している間、俺達は顔を見合わせてはいない。二人とも両手を地面につけて顔を下に向けてぜいぜいと息を切らせてい  
るからだ。視界に入るものといえば、桟橋を形作る木材と、体から滴り落ちる池の水ぐらいである。  
「カチューシャはどうした?」  
ようやく顔を上げたときハルヒはまだ下を向いていた。紙が水を吸って重そうな頭には持ち主同様自己主張の強いリボン付き  
カチューシャが鎮座していなかった。  
「あれ?池に落ちたとき取れたのかしら?」  
俺達を受け止めてくれた池を見渡すと1メートルほど先にカチューシャが浮かんでいた。桟橋に上がるときにでも取れたか。  
「取ってきてやる」  
別にいい、というハルヒを無視し、俺は再び池に入った。もう全身濡れてしまっているから今更構わん。  
「それより俺が戻ってくるまでに服を絞って少しでも水を落としておけ」  
池に入る直前に  
「今日はスカートでよかったな」  
ハルヒは顔を真っ赤にして  
「バカッ」  
いや、服を絞りやすいからなんだが。  
 
「さむいさむい寒い寒い…」  
この秋真っ盛りに池に落ちたんだから当然といえば当然だが、急激な寒さが俺の体を襲った。ハルヒのやつも同様でがたがた  
震え出した。朝比奈さんや長門、ついでに古泉に連絡しようにも携帯は水にやられて二人ともオシャカになっちまった。  
「な、なあハルヒ。お前、携帯のアフターサービス入っているか?」  
「なななにそそれ」  
「何かののはじゅみでけ、携帯がイカれちまっった時に、無料でっなおしってけれるんだ」  
寒さでろれつが回らなくなっている。ざまあない。  
 
「そっそそんなもん知らにゃいわ」  
「ほう。俺はしっかっかり入ってるぞ」  
「キョ、キョキョ、キョンのくせになっ生意気よ。ふふっ」  
「あれ?水濡れの時は、た、たしきゃ少し金とられるんだっけきゃ?」  
「ふふっ。キキャンあ、あんたろ、れちゅがお、おか、しいわわよ」  
「おっおまえもな。キャンってな、何だ」  
ふふ、ふふ、と俺達は静かに笑った。が、だんだん笑いが止まらなくなった。ひょっとすると体の防衛反応で体を動かせて熱  
を奪われないようにしているのかもしれない。だが笑い続けた。  
「ちょ、キョン?」  
俺はハルヒを引き寄せた。体を密着させた。こうすれば少しは暖かくなるだろう、と説明する。ハルヒは背に腹は変えられぬ  
のか、おとなしくしていた。  
「移動するにも少し落ち着かないとな」  
以前自主映画の撮影で来たことのあるこの池は立入禁止の柵が張り巡らされていたし、そんな中で男女二人がずぶ濡れで肩を  
寄せ合っているところを見られたら不吉な事件かと騒がれてしまうだろうし、幸い人通りもないし早く体を温めて移動するし  
かない。  
その前に古泉達が来るかもな。確かこの近くに鶴屋邸があるはずだし。  
 
「ハルヒ、超能力をもうこれっきり封印しろ」  
 
俺の突然の提案に言葉がでないのかハルヒは何故、と目で訴えてきた。答えは簡単だ。  
「残念ながらお前の超能力はノーコンだ」  
ハルヒは下唇を噛んで  
「なっ。そんなことないわ。もっと練習すれば私だって−」  
俺はその抗議を制止して  
「まあ、俺の話をよく聞け。何故宇宙人や超能力者や未来人といった不思議たちは、なかなかお前の前に姿を現さないと思う?」  
ハルヒは俺の目をじっと見ていた。  
「それはな、自分達の力が世の中に与える影響を知っているからだと思うんだ」  
これから話す言葉に確証はない。  
「自分の力をコントロールできない超能力者がどんな結果をもたらすかは、今日のお前が身をもって証明してくれた。プロの超  
能力者はそれを熟知しているからこれみよがしに一般人の中では超能力を使わないんだ。宇宙人たちも同じだ。自分の力の大  
きさを知っているから、副作用のことを常に考えていてパニックにならないよう、めったに人前に出てこないんだ」  
うん、だいぶろれつが回るようになってきた。ハルヒとくっついているからそんなに大声出さなくてもいいし、これなら最後  
まで話せるだろう。  
 
「ふーん。あんた、そういうふうに考えてたんだ」  
不思議探索主催者は不満そうに目を逸らした。  
「それで、あんたの言いたいことは何?まさか不思議探しを諦めろって言いたいの?」  
おもいきり口を尖らせているのが見える。  
「そうじゃない。俺が言いたいのは、プロの超能力者を探して遊ぶんじゃなくて、超能力の正しい制御法を教えてもらえ、ってことだ」  
だからそれまでは不安定な超能力はいっさい使うな。  
「…それ、練習もするなってこと?」  
「そうだ。本屋に指南書があればいいが、残念ながら聞いたことがない。専門のコーチを捜すしかない」  
「ふー…ん」  
間髪をあけず  
「いい考えね!」  
目を大きく見開いた顔を向けてきた。曇り空から太陽が顔を出した時のような眩しい笑顔を作り  
「そうよ!あたしの超能力をレベルアップさせるためには、自己流だけじゃだめってことね!」  
いきなり立ち上がるから俺が倒れそうになる。ハルヒはそのまま  
「そうと決まったらSOS団の活動はさらに気合いを入れないといけないわ。市内パトロールの範囲も見直した方がいいし、もっ  
と範囲を広げるか…ううん、それだと手が回らなくなるかもしれないし…、とにかく不思議がありそうなポイントの洗い直し  
をしなきゃ駄目ね。そうだ、HPも改良してたくさんの人の目につくようにしましょう」  
桟橋から落ちるんじゃないかという勢いでぐるぐる立ち回るハルヒ。おい、俺の言った最も大事なことは−  
「解ってるわよ!超能力はしばらくお休み。ただこのあたしのコーチになるのだから世界クラスの超能力者を見つけないとね!」  
ハルヒはさらに、これから市内探索の集合時間に遅れたら罰金を倍にすると言い出しやがった。  
「これからは遅刻には厳罰でいくから!」  
 
勘弁してくれ。  
 
その後の顛末はこうである。  
俺の予想通り鶴屋さんが駆け付けたのは、ハルヒの豪快なクシャミによって俺の顔が唾だらけになったあとだった。「みくるか  
ら聞いたよっ」とだけ言って大判のタオルを差し出してきた。  
「ハルにゃん水もしたたるいい女だねっ」  
「も、もう鶴屋さんたら」  
女性陣を横目に頭を拭いていると、鶴屋さんはこの鼻水女と唾まみれ男を自宅に招き入れあたたかい風呂に入れてくれるとお  
っしゃった。  
「あたしたちが家に着くころにはみくる達も到着してるよっ」  
そうだった。まだ市内探索の途中だった。  
タオルを羽織り冷たい靴に耐えながら鶴屋邸に着くとSOS団の残りのメンツもそこにいて  
「これはこれは。水もしたたるいい男とはこのことですね」  
古泉の開口一番の言葉を華麗に無視して朝比奈さんに「ご心配かけました」と頭を下げる。当然だね。  
「いえっ。キョンくん何ともなくてよかったです。私は何も…。最初に気付いたのは長門さんです」  
北高の制服姿の長門を見る。  
「私は位置を教えただけ」  
それでもありがとうと言わせてくれ。  
 
鶴屋さんは俺とハルヒに風呂を用意してくれただけではなく、服も靴も洗濯して乾かしてくれた。至れり尽くせりである。  
「なーんにも気にすることないよっ!どーんとお姉さんに甘えなさいっ!」  
お姉さんは両手を広げて  
「ほら、あたしの胸に飛び込んできてもいいにょろよ?誰かの体に身を預けるのもたまにはいいっさ!」  
いたずらっぽく笑う。なんか、全てお見通しって感じである。なかなか魅力的なお誘いではありますがそこにいる特定の女の  
視線が痛いので遠慮しておきます。  
鶴屋さんの「ちえっ」という本気かウソか判断に迷う反応に戸惑っているところに長門が寄ってきた。  
「これ」  
俺の携帯。  
「直した」  
本当か?ハルヒのもか?  
「私にできるのは、これくらい」  
相変わらず便箋一行にも満たない言葉だが、気持ちは伝わってきたぞ。ありがとうな。  
「そう」  
長門は元の座っていた場所に戻っていった。  
「さてと!」  
体も暖まってまったりしていると団長が声を張り上げた。  
「市内探索再開するわよ!」  
はあ?ついさっき池に落ちて凍え死ぬとこだったんだぞ?  
「鶴屋さんのおかけで服も乾いたし元通り。まだ午前中よ。時間はたっぷりあるわ」  
ハルヒ専属超能力コーチの話しで新しいスイッチでも入ったか。どうでもいいがソファーの上で立ち上がるな。  
神様に異を唱えたのは意外な人物だった。  
「今日はもう市内探索は中止したほうがよろしいかと」  
古泉であった。  
「確かに涼宮さん達はお風呂に入り服も洗濯し表面上元通りになりました。しかし池は衛生的に問題があります。午後になれば  
冷えてきますし万が一ばい菌によって体に不調をきたしたらせっかくの鶴屋さんのご厚意が無駄になってしまいます」  
表面上いつものイエスマンだが、やけにハルヒに食い下がっていた。  
「でも…」  
 
珍しく古泉がノーマンになっていることに戸惑い気味のハルヒに  
「古泉くんの言う通りだよっ!」  
と鶴屋さん。  
「今日はお家に帰って体を温めてゆっくり休むっさ!なんたって池に落ちてがたがた震えてたんだ。意外と体力を消耗してるものだよっ」  
その通りです、と古泉。ハルヒが俺を見てきたので黙って頷いた。  
「…わかったわよ」  
ハルヒの同意を確認した鶴屋さんは  
「そうと決まったらお昼にしましょう!」  
半ば強引に俺達はお昼までご馳走になってしまった。どうやら鶴屋さんは客人をもてなすのが好きなようである。  
「…って寝てるよ」  
ハルヒはまだ皿を片付けていないテーブルに突っ伏して寝ていた。手には箸を持ったまま。  
「やっぱ疲れてたんだね」  
鶴屋さんの言う通りでしたね。  
「ん〜?それだけかなあ〜?」  
頬杖をついて俺の顔を覗き込んでくる。  
「ハルヒ、起きろ」  
読心術者と目が合わないようハルヒの鼻をつまんだ。  
 
 
そして月曜日。  
 
ハルヒの超能力開眼から始まった波乱の一週間が開けた放課後の部室は平穏としていた。朝比奈さんとの未来人捜索はあの日  
が最後で俺の役割は終わったようである。朝比奈さんは元々警察官ではないから、捜査への情報提供くらいしかできないそう  
だ。けれどもあの未来人の顔は知っているから、見かけたら朝比奈さん経由で通報しなくてはならない。  
つまりだ、あの未来人はまだ見つかっていない。どこにいるのだろう。また俺の前にでも現れてくれたらすぐに元の時代に帰  
れるよう手を打つのに。まあ空腹で倒れているところに再会ってのは御免だがね。  
「今日は涼宮さんは?」  
部室が平穏としている最大の理由は、ハルヒがいないことである。  
「あいつは風邪で学校を休んだ」  
なんでも日曜の夜に急に発熱したらしい。バカは風邪を引かないというのは迷信だったのだな。  
「ひどい言いようですね」  
対涼宮イエスマンが笑う。窓側では対有機生命体インターフェースが静かに本を読んでいる。朝比奈さんはまだ来ていない。  
「少し、僕の話にお付き合いいただいてもよろしいでしょうか」  
古泉がおもむろに口を開いた。  
べつに構わないが、短めに頼む。麗しの朝比奈さんのお顔を拝見したら、今日は早めに団活を切り上げるつもりなんだ。ハル  
ヒがいないときぐらい自分の時間を作りたいぜ。  
「お時間はとらせません」  
 
古泉は襟元を正し  
「僕が所属する機関が涼宮さんを『神』視している、という話を以前したことを覚えていますか?」  
ああ、あのヨタ話か。  
「今回の一件で、あなたこそが真の『神』ではないか、という見方が広まっています」  
そうかい。…って、なんだと?  
「すまん、もう一回言ってくれ」  
「あなたが『神』なんじゃないんですか?」  
古泉の顔はいつのまにか真剣な面持ちに変わっていた。俺が言葉を返せないでいると窓側のページをめくる音が止まっている  
ことに気付いた。長門は顔は本に向けたまま、確かに手は止まっている。  
「…それはお前個人もそう思っているのか?」  
お前の超能力は、ハルヒに与えられたものなんだろう?ハルヒが不機嫌になると閉鎖空間が発生してお前たち機関の人間がそ  
の中に入って神人を倒す。それによって世界が書き換えられるのを防ぐ。それぜんぶひっくるめてハルヒのトンデモ能力によ  
って導き出されるものだろう。  
「その通りです」  
見を以って神の力を体験しているお前らがあっさり改宗するってのか?  
「…少し違いますね」  
古泉の顔が緩む。  
「涼宮さんが情報改変能力をもっているのは紛れも無い現実です。ただ、この能力は誰かに与えられたものじゃないか、ということです」  
それが俺ってのか。  
古泉はなにもないテーブルの上でチェスの駒を動かすしぐさをしながら  
「神の御業は神本人によらず、依代をもって行われる、といったところでしょうか」  
こいつのうさんくささは顔だけかと思っていたが、いよいよ極まってきたか。  
「お前の言いたいことはいったい何だ」  
鞄に手を伸ばす。  
「今回の事件の因果関係を調べていくとすべてにあなたが関わり、かつ原因であることを自覚していますか?」  
自覚もクソもない。俺はハルヒにE.S.P.ボックスを見せただけだ。  
「ああ、あの超能力を三年がかりで育てる機械のことですね」  
こいつ。俺と朝比奈さんとの会話を。  
「不思議です。未来の世界の人間でさえ超能力の獲得に最低三年かかるのに、何故涼宮さんは30分もしないうちに身につけるこ  
とができたのでしょう。さらに、涼宮さんの超能力を目覚めさせるきっかけになったE.S.P.訓練ボックスはあなたが道端で偶  
然出会った未来人からもらったこの時代には存在しない品物です」  
古泉は「偶然」という部分を強調していた。いつもならそれはハルヒの無意識下において能力が、と言いたいところだが今回  
はハルヒはトンデモ能力を使っていないんだったな。  
 
「今回涼宮さんは完全に受け身です」  
いつのまにかページをめくる音が窓側から聞こえるようになっていた。  
「つまりお前と機関は、俺が内なる神の力を使って未来人をこの時代に足止めさせ、俺の住んでいる近所で空腹で倒れるよう  
誘導し、偶然を装って出会い、ハルヒに超能力を身につけさせるためにE.S.P.ボックスを受け取るというこの上なくめんどく  
さいことをこの俺がしたと、こう言いたいんだな?」  
頷く古泉。  
「そして三年も待ってられないから30分くらいでちゃっちゃとできるよう俺がコントロールしたと?」  
再び古泉は頷いた。  
「そう考えれば今回涼宮さんが待ち焦がれていた不思議が起こったのに世界に何の変化も起きないこと、涼宮さんの精神が不  
安定になることが何度もあったのに閉鎖空間が発生しなかったことに納得がいきます。すべてあなたのコントロール下にあっ  
たわけですから」  
俺は風船を割るほどの大きく深い息を吐いた。バカバカしい。こいつの話じゃ朝比奈さんのシュークリームまで彼女の善意で  
はなく俺の願望がそうさせた、とでもなってしまいそうだ。  
「機関とやらは相当想像力が豊かなようで」  
いや妄想だ。俺は伸ばしていた手を元に戻し  
「同じく想像力が豊かな古泉、お前に聞く。俺は何のためにハルヒをエスパーにしたんだ?」  
「おそらく涼宮さんにふさわしい能力の見極め」  
考え込まなかったところをみると機関のほうでも大方の見解がでているようだな。  
「世の中に退屈し不思議なことが起こってほしいと願う少女に願望実現能力を与えてみた。しかし少女は案外常識派で閉鎖空  
間というストレス発散場所を作った。僕たち神人を狩る者というガードマンまでセットして。ならばいっそ超能力という一番  
ポピュラーな不思議を与えてみたらどうなるだろうと考えたのでは?」  
おうおう、俺はずいぶんとハルヒにご執心なようで。  
「ま、実験は散々だったがな」  
俺が神ならこの寒い中池にダイブするか。  
「実験にアクシデントはつきものです」  
なんだその俺を励ますかのような物言いは。  
「しかしあなたの采配によっては僕は晴れて一般人になり、機関は用済みということになる可能性もあるわけですよね」  
朝比奈さんはハルヒに用があって来ているんだ。少なくとも朝比奈さんの時代までは大丈夫だろうよ。  
「安心しました」  
さて、俺はいつまでこいつの妄想に付き合っていればいいんだっけ。  
 
「僕としましては、涼宮さんに情報改変能力を与えた理由を拝聴したいのですが」  
「アホらし」  
今度こそ鞄を手に取り立ち上がった。  
「古泉よ、お前にしては簡単なことを見落としている」  
ハンサム面が反応するより先に  
「お前が言うように俺がハルヒに能力を与えたのだとしたら、俺の力もまた、誰かから与えられたものかもしれないということだ。どうやって俺をスタート地点に確定させるんだ?」  
俺を見上げていた古泉は視線をテーブルに移し一言、  
「…そうですね」  
やや低めの声を発した。  
俺はそのまま部室を出て、下駄箱へ向かう。朝比奈さんを待たずして帰ることにした。アホらしい。バカバカしい。つまり機  
関は理由が欲しいのだ。自分達が存在する理由。行動の理由。そして安心。  
間違いなく今まではハルヒを唯一神として崇め、そこに集結し活動していた。神人狩りなんていう裏付けもあるしな。  
「脆いもんだ」  
今回の俺の行動が機関に楔を打ち込んでしまったのか。自分達のよりどころに『?』マークがついたのか。  
「日本は八百万の神の国なんだぞ」  
自分で言って、自分で笑う。確かにハルヒは自分がそんな得体の知らない力を持っていることは知らないほうがいい。自分の  
双肩に名前も知らない連中のアイデンティティがかかっているなんていい迷惑だ。  
下駄箱から靴を出す。  
「もしハルヒと同じ情報うんたら能力を持った人間がもう一人現れたら、機関はどうなるかな」  
ちょっと見物だ。きっと蜂の巣をつつくどころの騒ぎじゃ済まないだろう。脆いもんだ。  
「…一般人か」  
ハルヒはどうして古泉を神人用超能力者にしたのだろう。  
 
あの空腹の未来人と出会った場所に通りかかる。意識してではない。自分の家に帰るために通らなければならない道だからだ。そこで朝比奈さんの言葉を思い出した。  
(なぜキョンくんは記憶が消されていないのでしょう)  
いや、その先だ。  
(そうですねっ、考えすぎですねっ)  
朝比奈さんは何を言おうとしていたのだろう。上の人間は俺を新種のヤマネコでも発見したかのように見ているのか。ものす  
ごく気になるが、どうにもならん。記憶を消去するのは未来人の都合だからだ。  
断じて俺がそのように仕向けたわけじゃない。  
長門は?  
長門は言った。「超能力は人間にとって特別なことではない」と。ならばハルヒが超能力を身につけたのは普通のことで、情報創造能力を必要としなかったってことになる。しかし 
長門の弁では俺にもエスパーの素質はあることになる。俺がダメでハルヒが超能力者になれたその差はなんだ?  
わからん。  
訳が解らん。  
ハルヒがいないおかげで早く帰れたってのに、頭が重いぜ。  
 
まあ、そんなことより。もし万が一俺に神的パワーがあるのかもしれないのなら、  
 
「小遣いを倍にすることぐらい訳無いよな?」  
 
空を見上げる。流れ星が横切るのを目撃した。  
 
 
 
 
 
おわり  
 

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