星空を分かち流るる天の川――
アマゾン河など遠く及ばぬ、数光年を悠に超える河幅を誇るミルキーウェイ。
その天の川に、今年も橋が架かる日がやってまいりました。
宇宙の果てからやってきた一羽の鶴が、真っ白な河に等間隔でケーソンを打ち込んでゆきます。
――って、鶴ですか?
天の川に橋をかけるのはカササギではないのですか? 七夕の国で、そう説明されていたはずですが。
「大丈夫さっ! 体は鶴でも、心はカササギさっ!」
どこからどう見ても鶴にしか見えないカササギが、自信満々に応じます。
本人がカササギって言うんだったら、それでいいか別に。
とにかく鶴にしか見えないカササギが、打ち込んだケーソンの上に突貫作業でタワーを組み上げます。
タワーとタワーの間に鋼鉄のワイヤーロープを張り巡らせ、橋げたを吊るせばほら完成。
明石海峡大橋もビックリの強靭な吊り橋が、天空の大河の両岸をしっかりと繋ぎました。
すげえよ鶴屋工務店。とんでもない技術力だよ鶴屋さん、いやカササギさん。
普通は着工から完成まで十年を要する大工事なのに、たった一晩で橋を作り上げてしまうのですから。
十年前だったら、ハルヒシリーズじゃなくて天地無用だったら、明石海峡大橋じゃなくて瀬戸大橋をネタにしてましたよ。
マジですげえよ鶴屋さん。
そこに痺れて、憧れるよ。俺はビリー・カタギリでもDIOでもないけど。
さてここで吊り橋を渡るのは、ご存知牛牽きの若者です。ずいぶんと覇気のない野郎だなオイ。
牛牽きですから、当然牛を引いています。ちっこいクセにおっぱいの大きな、とても愛くるしい牛さんです。
「キョンくぅん、あたしこの格好恥ずかしいですぅ」
面積の小さな牛柄ビキニに身を包んだ、牛みたいにおっぱいの大きな――牛だから当然か――娘さんが、
半ベソで牛牽きに文句を言いました。
牛牽きは立ち止まって、牛さんを振り返って平身低頭謝ります。
「すみません朝比奈さん、まさかあなたにこんな過酷な役を演じてもらう事になろうとは」
頭を下げて謝りながらも、牛牽きの目が不純な輝きを帯びています。
牛さんに気付かれぬように、牛柄ビキニからはみ出んばかりの豊かな胸を上目遣いに覗いてやがります。
――この助平野郎が。牛さんが気付ないのをいい事に、彼女を視姦しやがってからに。
「別にいいですけど、でもあたしが付いて来ても良かったんですかぁ? 今日は年に一度の――」
「皆まで言わんで下さい朝比奈さん」
「今のあたしは牛さんです。朝比奈みくるじゃありません。キョンくん役になりきってないので、減点1ですよ」
すみません牛さん、と牛牽きはえらく爽やかな口調で謝りました。
――死ぬ程似合わねえ仕草だな牛牽き、そんなの謎の転校生にでも任せとけやコラ。
「俺は牛牽きですから、牛を連れてないといかんのです。牛もいないのに『俺は牛牽きだ』って言っても誰も信じないでしょう?」
「だけどキョンくん、こんな格好のあたしと一緒にいたら、すずいや織姫さんが……」
むう、と牛牽きは牛さんの指摘に思わず唸ります。
確かにあの特定の女子ときたら、牛牽きが他の女性を目で追っただけで太腿をつねります。とんだヤキモチ焼きです。
しかし、と彼は自分を、そして牛さんを納得させます。
「牛牽きが牛さんを牽いて何が悪いんですか! あいつが文句を言って来たとしても、説き伏せる自信が俺にはありますよ。
だからあさいや牛さんも胸を張って、この橋を一緒に渡りましょう」
「キョンくん……わかりました」
牛さんはキリッと眉に力を入れて、それでもどこか抜けた愛くるしい表情を浮かべて、よちよちと歩みを進めようとします。
「行きましょうキョンくん」
「ああ、あさいや牛さん」
思い出したような牛牽きに呼び止められ、牛さんは立ち止まって「ほえ?」と尋ねます。
「役になりきれって仰るのなら、俺のことをキョンとか呼ばんで下さい。俺には牽牛という名前があるんですから」
「ええ? でもそれって、名前じゃなくて役割なんじゃ……」
「牽牛です。俺の名は牽牛です。大事な事なので二回言いました」
死んでもキョンだなんて呼ばれて堪るかい。
有無を言わさぬ迫力できっぱりと宣言した牽牛に対し、牛さんは何も言い返せませんでした。
こんな楽屋ネタと、もしもシリーズで構成された、しょうもない会話を挟みながらも、牽牛と牛さんは無事に吊り橋を渡りました。
目的地まであと少し。吊り橋の端に見えた影は、おそらく牽牛の待ち人でしょう。
けれどもその影がだんだんと人影を為し、手足そして表情がはっきりと見えるにつれ、牽牛の顔から血の気が失せていきます。
宇宙一の美貌を誇る織姫が、般若のごとき怒り浮かべて、ずかずかと牽牛に歩み寄ります。
牽牛の首元を乱暴に掴み、彼の死人のような土気色の顔を自分の顔に引き寄せて、織姫はお決まりの文句を浴びせました。
「遅い、罰金」
「どこが遅いんだ、ちゃんと約束した日に来ただろうが」
勘弁してくれ、と泣き出さんばかりの情けない表情で、牽牛は力なく抗議します。
冷静に考えれば、織姫の怒りに火を注ぐ行為でしかないのですが。
「一時間も遅刻したじゃない! 一時間来るのが遅れたら、その一時間分だけ会える時間も減ってしまうのよ!
普通一時間もデートの待ち合わせに遅れたら、相手は怒って帰っちゃうものよ!それでも待ってたあたしに対して、感謝の言葉はないの?
大体あんたいっつもそう! 時間にルーズで、人の時間を平気で盗んで、それも三日も……」
一年に一度しか会えない妻に詰られながら、牽牛は河の流れから時間を読み取ります。
牽牛は一時間遅刻したどころか、約束の日時よりも六時間も早く織姫の下へと到着したのです。
なのに何故非難されなければならないのだろうか。織姫の理不尽な怒を嘆きつつ、牽牛はどうどう、と織姫を宥めます。
牛使いですから、怒った牛みたいな織姫を宥めるのも得意です。
「そうは言うがなハルヒ――」
「減点その2、あたしは織姫です。さっき牛さんと話してたでしょう、あんた役に成り切るんじゃなかったの?」
牽牛の首根っこを掴んだまま、織姫が冷静に宣言します。
牽牛と牛さんとのやり取りを、彼らが橋の上にいた時から逐一チェックしてたんですね。このツンデレ妻は。
咳払いを一つして、牽牛は自分に与えられた役柄に戻りました。
「なあ織姫よ、俺らは恒星だ。寿命だって数十億年ぐらいあるじゃないか」
牽牛の言う通りです。牽牛と織姫の寿命は、人間の一億倍ぐらいだと考えてもらえれば結構かと。
だとすれば人間の感覚に合わせれば、だいたい数千万から一億分の一年に一回会っている計算になりますね。
筆者が人間の感覚に換算したところ、だいたい0.3秒から0.6秒に一回は相手と逢瀬を重ねていることになります……
何が七夕だ。一年に一回だ。
人間のカップルでも、一秒ごとに相手を意識することすら至難の技だっつーの。タッチよりもすげーよお前ら。
――この、バカップルめが。
しかし人間には辿り着けない域に達したバカップルの片割れ、織姫にとっては、それでも相手に対して不満タラタラだったようです。
「甘いわよキョン! 一時間どころか一分一秒を大事にしない奴は、あっという間に白色矮星になっちゃうのよ!そうでなくても……」
理不尽な妻が、不意に夫を拘束から解放します。
呼吸を貪って咳き込む牽牛に対して、織姫は憐憫の眼差しを夫に向けました。
「白色矮星になるよりも、あんたがハゲる方が先よね……」
神をも恐れぬ禁句を、織姫はさらりと口にします。ハルいや織姫だからしょうがないけど。
「あんた将来絶対にハゲる。ううん、あたしがそんな事させない。今からあんたがハゲないよう、あんたをしっかりハゲましてあげないと――」
「ハゲハゲ言うなお前! お前わかってて言ってるだろ! ハゲって単語を選んで使ってるだろ!」
一番気にしている事をさらりと話題に出され、声を荒げて抗議する牽牛をほったらかして。
織姫は牽牛の牽いてきた牛さんの背後から抱き付いて、面積の小さな牛柄の布地に覆われた豊かな乳房をオモチャにしていました。
「あ、みくるちゃんだ。生まれてきてくれてありがとう!!そして育ってくれてありがとうっ!!」
余程触り心地が良いのか、織姫は執拗に牛さんのおっぱいを触り倒します。
手触り、ボリューム、そして反応。全てが一年前のそれよりもレベルアップを果たしていると、織姫の手に残る去年の感触が教えてくれます。
「育ってるネ!!去年より育ってるネ!!」
「ちょっ、やっ、あんっ!」
弄られているのがちさとちゃんだったら、今すぐ織姫を黒板に叩き付けていたことでしょう。
女の、女どうしの。
ヤバい光景に一瞬だけ意識を奪われた牽牛は、けれども本能に流されるばかりの男でもありませんでした。
「おいハルいや織姫! お前ええ加減にせえや! あさいや牛さんはお前のオモチャとちゃうやろが、ああ?!」
素に戻った只ならぬ牽牛の剣幕に、たちまち織姫はしおらしく牛さんを解放しました。
涙に滲んだ牛さんの視界に映るのは、怒り心頭の牽牛と、やりすぎたと後悔の念を浮かべた織姫のアヒル口。
「……みくるちゃんのおっぱいをエロい目つきで見てたクセに。あたしの胸はそんな目で見た事ないクセに」
図星を突かれたか、牽牛が慌てて取り繕いました。
「いや見てない、お前の胸以外に興味は……」
自分の発した言葉の意味する処に気付いて、牽牛は口を噤みました。
そんな牽牛の隙に付け込む形で、織姫は軽蔑の眼差しを牽牛に向けます。
「ふうん。キョン、あんたあたしの事をそんなエロい目で――」
見てねえよ、という意志を視線で語ろうとして、牽牛は再び呼吸を止めます。
もし牽牛の理性が一歩及ばず、そのまま言葉に出していれば、織姫の機嫌を恒久的に損なっていたでしょう。
愛する妻が屈辱ゆえに浮かべる涙か、それとも彼女が勝ち誇って浮かべる軽蔑の眼差しか――
究極の選択でしたが、牽牛は迷わず妻からの軽蔑の眼差しを選びました。情けないかもしれませんが、世界が滅ぶよりはマシです。
さすが牽牛、あの傲岸不遜な織姫の夫を買って出るだけの器量はあります。筆者はわずかながら、牽牛の器量を認めることにしましょう。
「すんません、お前の胸をエロい目で見てましたハルいや織姫さま」
「やっぱりね、あたしの勘に狂いはなかったわ。このエロキョン」
なぜか不敵な笑みを得意げに浮かべ、織姫は勝ち誇ったように腕を組みます。彼女の腕の中で、形よい胸がぷるん、と揺れました。
というか先程から牽牛のことをキョンって言ってますが、それで大丈夫なの織姫さん?
「キョンはキョンよ。あたしがそう決めたの、だからこいつはキョンなの!」
政治家として立候補した夫の応援に馳せ参じた妻みたく、織姫は牽牛の首根っこを掴んで全宇宙に誇示します。
というかハルいや織姫さん。
あんたがしょーもない事やらかしてる間にも、あなたと牽牛とが愛を育む時間が浪費されてますけど。
「そうだった。この宇宙には不思議が山と詰まってるのに、その不思議を見逃してしまう処だったわ!」
慌てて夫の首根っこを引きずり、宇宙を駆け回る織姫さん。天の川に橋が架かっていて幸いでしたねえ。
というかあんた牛さんはどうしたんだ、つい先刻までおっぱい触ってただろ?
「みくるちゃんのおっぱいなんて、その気になればいつでも触れるわよ! それより宇宙の不思議があたしを呼んでるわ!
宇宙の法則が乱れたり、ホワイトホールで石化したり、発狂してメテオとかアルマゲストとかグランドクロスを乱発したり!」
――涼宮ハルヒがFF5をプレイする機会ってあったっけ?
――とゆーかNすけ先生よろしく、クルルレベル1一人クリア(即死攻撃禁止縛り)にでも挑戦しない限り、
ネオエクスデスの発狂モードとか気にする必要皆無だと思うけど。
そんな疑問を浮かべた筆者を一顧だにせず、織姫は彼女の最愛の理解者たる牽牛を煽ります。
「キョン! こんな楽屋ネタと、もしもシリーズ的な会話を繰り広げてる場合じゃないわ!
しょーもない話を進めている間にも、この宇宙で不思議な事が発生してるかもしれないのよ!って……」
首根っこを掴まれたまま、牽牛は言葉を失った妻の視線を伺います。妻の視線の先に見えたのは――
金星。見る者全てを虜にする、女神イシュタルの名を冠した惑星。
「そーじゃなくて」
夫の太腿を思いっきり抓り、織姫は夫の視線の先にあった惑星の傍らへと注意を向けさせます。
「その隣の青い星よ。ほら、あたしたちに向けたメッセージが見えないの?」
「そう言えば……」
牽牛は太腿の痛みを堪えて、妻の視線が捉えていた青い星に注目します。
さすが織姫、面白い事に対して働く勘は鋭いというか何というか。
「なあ織姫、今年はあの星にでも行くのか? 確かにあの青い星は面白そうだが」
「当然でしょキョン! あたしの発見の価値が分からなきゃ、あんたは減点100なんだから――」
自分の発見が、宇宙の全てを覆す程の価値を持っている。根拠はないが、そんな気がしてならない。
自信に満ち満ちた織姫は、牽牛の手を掴んでそのまま青い星へとまっしぐらに向かいます。
全ての銀河を満載した時よりも明るく眩しい光を、彼女の両眸に宿らせて。
「待って、すずいや織姫さあん!」
二人に置いてきぼりにされたら敵わんとばかりに、牛さんが天駆ける織姫と牽牛の背後を必死に追いかけました。
さて。
織姫と牽牛が目指した青い星がどこであったのか、今さら言葉を要するものでもございません。
ただ、これだけは理解して頂ければ幸いかと。
世界を、いや宇宙をも変える力を持った一人の少女が、全力でもって己の存在を主張したことを。
そしてそんな少女の心を受け止める器量を持った少年が、本当の意味で初めて彼女に出会ったことを。
織姫と牽牛に勝るとも劣らぬ絆で結ばれた二人が力を合わせ、全宇宙に向けてこのようなメッセージを送ったことを。
「私は、ここにいる――」
<<終>>