「なぜなら俺は、SOS団の団員その1だからだ」  
俺は指を伸ばし、エンターキーを押し込んだ。  
その直後、  
「うわっ?」  
強烈な立ち眩みに襲われ、俺は思わずテーブルに手を付こうとして、そしてぐるりと世界が回り…  
キンキンいう耳鳴り。三半規管がどうにかなったのかという位の激しい眩暈。誰かの呼び声がえらく遠くから聞こえてくる、内容までは解らない。視界がどんどん暗くなっていき、やがて眼の前が……  
 
「ちょっと、ジョン!どうしたのよ!起きなさいよ!」  
はっ、として気がつくと、ハルヒの大音声が耳にこだましていた。  
俺はふらふらとした足取りで、椅子に手を付きながら何とか床から立ち上がる。  
どうやら一瞬気を失っていたらしい。  
朦朧とする意識を覚醒させるために頭を軽く左右に振り、改めてまわりを確認する。  
 
長い髪をポニーテールにして問い詰める様な瞳で見つめている、ハルヒ。  
俺の体操服を着て、困り者ですと言わんばかりの表情の、古泉。  
ひどく不安そうにぶるぶる震えている、朝比奈さん。  
…そしてメガネをかけてえらく動揺した表情の、長門。  
 
うむ、断言しよう。世界は何も変わっていない。  
 
 
失われた世界  
 
 
ちょっとまて、緊急脱出プログラムはどうなったんだ?  
俺は机の上に置かれている古臭いPCを凝視した。  
そのPCはガタガタとうるさい音を立てながら、ようやくOSが立ち上がってきた所だった。  
俺は念のためにPCの電源を切り、もう1度入れたりしてみたが、再び長門からのメッセージが現れたりはしなかった。  
「どうしたの?ジョン。いきなり倒れこむなんて、びっくりするじゃない」  
俺にもよく解らんのだが…エンターキーを押したら急に立ち眩みがしてな。  
「このPC漏電でもしてるんじゃないの?ずいぶん古い奴だし」  
ハルヒはPCをバンバンと叩いていたが、急速に興味を失ったようで、  
「さて、それじゃあSOS団を結成する事にしましょうか!」  
と、100Wの笑顔を振りまきながら高らかに宣言を行った。  
 
ハルヒは机の上に仁王立ちすると、例のSOS団設立に伴う演説を開始した。  
俺にとっては2回目の拝聴となるだろう。あの宇宙人未来人超能力者を見つけ出して、云々というあれである。  
いま何が起きているのか、いまいち理解出来ていなさそうな朝比奈さんと長門の前で、SOS団結成式はつつがなく進行して行く。  
さて、本来ならば文芸部を乗っ取ってこの場所にSOS団のアジトが構築される事になるのだが、さすがに通ってる学校が違うとあってはそれも無理のようで、  
「教師の言う事なんか無視して北高受けとけば良かったわ。こんなおあつらえ向きのいい部屋があるのに」  
ハルヒにとっては偏差値だとか学校の学力レベルなどという物は、学校選択の際で考慮に値する事では無いらしい。  
「仕方が無いわね、やっぱり時間を決めて駅前の喫茶店に集まるべきよ。とりあえず第1回のミーティングは明日、放課後に全員直行すること」  
ハルヒは当然だと言わんばかりに周りを見渡して、  
「こないと、死刑だから!」  
と、にこやかな顔で言い放った。死刑て。  
 
世界は再改変される事も無く、そのまま時が過ぎているようだった。  
「成功する保証は無い」と、あのメッセージには書いてあったのだが、この事態は失敗を意味しているわけなのだろうか?  
 
…やれやれ、まあそれならそれでもいいのかもしれん。  
 
おかしい。なんでさっきまでの俺は、あれほどまでに向こうの世界とやらに帰りたがったのだろう。  
どうやら先ほどまでの俺は、この世界は俺のいるべき世界ではなく、向こうの世界こそが俺のいるべき場所だと考えていたようだ。  
だが今の俺にはそのようには感じられない。  
この世界こそが俺のいるべき場所で、向こうの世界とやらは俺のいる場所ではない、そう感じられるのだ。  
何故このように俺の意識がガラリと正反対に変化したのか、理由がわからない。  
 
「先ほどのPCに現れたメッセージ、あれがあなたの言うこの世界からの脱出プログラムというわけですか?」  
北高からの帰り道で、古泉が俺に話しかけてくる。  
ああ、そうらしいぜ。だが、エンターキーを押しても何も変化は無かったように見えるが。  
「可能性としてはいくつか考えられますね」  
ほう。言ってみろよ。  
「1つは純粋に脱出に失敗した場合。脱出プログラムを作った人とて神ではありません。プログラムをミスする事だってあるでしょう」  
長門に限ってその可能性は低いと思うがな。だが確かに成功の保障は無いとも書いてあった。  
「もう1つはパラレルワールドが発生した場合です。並行世界、とでも言いましょうか」  
並行世界?  
「文字通り、並行して存在している世界、と言う意味です。あなたの言う元の世界、つまり宇宙人や未来人や超能力者がいる世界が存在し、それに横並びでそんな者がいない世界、  
つまり、いま僕達が会話しているまさにこの世界が存在している場合ですよ。この場合、僕たちは向こうとこちらとで1セットずつ別々に存在している事になるのでしょうが」  
なるほどね。  
つまり向こうの世界の俺は向こうに帰り、元からこの世界にいた俺はこの世界に止まっている、というわけか?  
「そうなります。ならば、一体いつパラレルワールドが発生したのか…。あなたがエンターキーを押した瞬間かもしれないし、改変者とやらがこの世界を作った時からかもしれない。  
あるいは、元から存在した並行世界をその改変者が利用しただけなのか。まあ、どちらにせよ、それを確かめる術は僕達には無いわけですが」  
俺のこの世界に対する意識の変化もそれで説明がつくのかもしれんな。  
向こうの世界の俺は向こうに帰り、この世界の俺はここに残った。元々俺がいた世界なのだから違和感を感じない。  
納得する事はできるかもしれん。  
 
「…さらにもう1つの可能性があります。僕としては、この可能性が一番高いのでは無いか、と考えているのですが」  
なんだそれは。  
「あなたが涼宮さんの気を引くために、適当な話をでっち上げたのではないか、という考えです」  
よせよ、誰が好き好んでハルヒの気を引くと言うのだ。物好きにもほどがある。  
「おや。実際、涼宮さんはもうあなたの事が気になって仕方が無いようですが。それにあなたの方も、涼宮さんと会話する時の顔、まんざらでも無い様に思えますが?」  
そりゃ久しぶりに会えたからな。…だが、それだけだ。それ以上でも以下でもないね。  
俺がそう答えると、古泉の奴は「ふうん?」とでも言いたげなスマイルで俺の顔を一瞥しやがった。  
全然俺の話を信用していないらしい、まったく、何でわかるんだ。  
 
ところでハルヒ的にはSOS団はこれで立ち上がったことになるのだろうが、はたして第1回ミーティングとやらには何人が参加することになるのだろうね。  
「あなたは、出席なさるのですか?」  
ああ、死刑は嫌だからな。そういうお前はどうなんだ。  
「僕は彼女の行くところになら、どこへでも参上しますよ。特に、あなたが出席するとあらば、参上せざるを得ないでしょうね」  
意味が解らん。  
長門、お前はどうなんだ?  
「…あなたが、出るのなら」  
長門は顔をうつむかせながら、  
「私も出たい…」  
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、そう言った。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
翌日。  
いきなり授業を抜け出した俺に対する教師からの説教などのどうでもいい話や、相変わらず俺の後ろの席で熱心にノートを取っていやがる朝倉への警戒感などは省略し、時間は放課後へ。  
俺はなんとなく一緒になってしまった長門と共に駅前の喫茶店へと向かう。  
朝比奈さんを誘うべきかどうか、どうしようか迷ったが、昨日までの出来事を考えるに俺は良い印象を全く持たれていなさそうなので、自重する事にした。  
というか、朝比奈さんは来ないかもしれない。  
未来人の朝比奈さんには、ハルヒの監視役という仕事があったからこそ、あの部室に律儀にもやってきたのだろうが、普通の一般人の朝比奈さんがわざわざやって来たりなどするだろうか?  
が、俺の予想は良い方向で間違っていた。  
朝比奈さんはちゃんと喫茶店にやって来ていた。但し鶴屋さんを伴って。  
 
どうやら俺と長門が最後に喫茶店に到着したようだ。  
「もう、ジョンおそーい。これから一番遅い人は罰金にするから。今日はあんたのおごりね、ここ」  
坂の下にある分、お前の学校の方が有利なんじゃないか?それ。  
「つべこべ言わないの。団長のあたしが決めたんだから、平団員のあんたはそれに従いなさい!」  
じゃあ長門は…と言うのも気が引けたから言うのは止めておいた。  
 
各自飲み物を注文し、飲み物に口をつけながらSOS団ミーティングと称したハルヒの演説を拝聴し、やがてこの世の不思議とやらを探すべく、全員で出発する事になった。  
今回は第1回目というわけなのか、爪楊枝による班分けは無し。全員で街を練り歩く事になった。  
 
それにしても朝比奈さんは良くやって来たもんだ。場に流されやすい性格、という事なのだろうか?  
鶴屋さんは朝比奈さんの護衛として、この怪しげな団体を見極めるべくやってきたようだったが、ハルヒと会話してあっという間に意気投合してしまったようで、  
今では楽しそうに談笑を交わすまでになっていた。ハルヒの人望値は三国志で言うなら劉備玄徳に匹敵する事だろう。  
当の朝比奈さんはまだ警戒心が抜けない様子で、鶴屋さんのそばを離れないように歩いていた。  
長門は、というと、始終無言のまま俺の傍をとぼとぼと歩いている。  
楽しんでいる…とは言い難いかもしれないが、あのまま文芸部室で孤独に本を読み続けるよりは、どんな形であれ友人を作るのは長門に取って悪い事ではないはずだ。  
それにハルヒも朝比奈さんも鶴屋さんも古泉も、友人としては極上、とまではいわないが、良い部類に分類されるべき奴らだと俺は思うぜ。  
 
「それにしても、なんなのですか。この団体は」  
古泉が俺の傍へ来て話しかけて来る。  
何といわれても、ハルヒのいう通りこの世の不思議を探して一緒に遊ぶ団、と言う事だろう。  
「ええ、それをあなたに言われて、作ってしまったわけです。しかし、見ようによっては羨ましい集団ですよ、女性4人に男性2人の仲良しグループ、と傍からは見えるでしょうから」  
…まあ、それは否定せん。  
 
いわずもがなの事だが、ハルヒの言う不思議とやらはもちろん見つかる事も無く、第1回不思議探索は終了となった。  
この世界には不思議とやらは存在しないし、ハルヒの世界改変パワーも存在しない。だからいくら探したって見つかるわけは無いのだ。  
俺としてはハルヒに不思議を見つけられてしまわないように右往左往する必要は無いわけだから、楽と言えば楽ではある。  
しかし、…ハルヒが何も起こらないこの世界に退屈してしまう可能性はある。  
退屈してストレスを溜めると例の…って、閉鎖空間も存在しないのだから、いくら溜めてもらっても別に差し支えは無いわけだ。  
それによくよく考えてみると、向こうの世界のハルヒも自分のまわりに「不思議」が存在する事など全く知らずにすごしていたわけで、  
こっちの世界のハルヒが「不思議」を見つけられずにすごしていても、ハルヒの視点から見れば、向こうもこっちも何の差も無いのかもしれん。  
 
 
 
さすがに毎日喫茶店に集合するわけにはいかないから、集合するのは週に数回と土曜日と言う事になった。  
 
はたして、この世界のSOS団はどのようになっていくのだろうか。  
 
 
<未完>  
 

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