目の前に現れたモノの存在を、俺は信じていなかった訳じゃない。むしろ昔からよく知っていた。  
サンタクロースや悪の組織や宇宙的未来的超能力者的ヒーローといった、世間では空想の産物として扱われる  
モノではなく、それは間違いなく現実に存在していて然るべきモノだった。  
名前は子供でも知っている。漢字で表記すれば小学生でも――我が家の妹は残念ながら例外に加える必要はあ  
るにせよ――それが何を意味しているのか分かるだろう。日用雑貨や慣用句にも頻繁に登場し、十二年に一度  
はデフォルメされた絵柄のそいつを飽きるほど眺める羽目にもなる。  
それぐらい人口に膾炙した存在であるにも関わらず、実際に目の当たりにした途端、身体がその場に凍り付き  
指先一つ動かせなくなってしまったのはどうした事だろうね。これでも一応世界がひっくり返るような体験を  
何度も経て、それなりに危険な目にも遭って来たと自負している筈なんだが、もしかしたら目の前のそいつが  
危険な匂いを放っていたからだろうか。  
そう、匂いだ。  
荒い鼻息を鳴らして俺を真っ直ぐに睨め付けるそいつの強烈な匂いと敵意は、俺が立ち尽くす夕暮れの住宅街  
とは非道く不釣合いなものだった。  
何でこんな目に遭っちまったんだよ――  
金縛りを食らったように身体の自由が利かない分、心臓の鼓動と頭の回転が通常では想像もできないレベルで  
速くなっているのが自分でも分かる。十分過ぎる位のカロリーと酸素が脳の活動を活性化させたんだろうか。  
だとしたら試験の最中にシャーペン一つ動かさなければ、頭の中で百点満点の答案を作り上げる事も可能だろ  
うね。ただし答案用紙の採点欄にデカデカとゼロの文字が刻み付けられるのは確実だろうが――  
などと余計な事に考えを巡らせつつも、俺の意識はほんの数十分前から今現在までに起こった出来事を、最高  
画素の鮮明さと秒間三十フレームの緻密さという、ギャグみたいな無意味に高いクォリティでもって再生し始  
めた。  
 
普段通りの怠惰な、贔屓目に見ても部活動とは決して呼べないだろう非生産的な時間を潰し、分厚い文庫本を  
畳む物音を合図に全員が普段通り帰宅の準備を始める。全員一緒に帰宅する事もあれば、それぞれ勝手に帰る  
日もある。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースの長門も、未来人の朝比奈さんも、今  
日は何か用があるらしく、俺とハルヒを残して先に帰宅してしまった。  
古泉?忘れてた訳じゃない、あいつも用事だとよ。機関の仕事かプライベートで女子と宜しくやってるのかは  
知らん。  
どっちにせよ団長サマを俺一人に押し付けて、全く薄情な野郎だ。大体仕事というのなら、あいつの本業は神  
様の子守だろう。その神様を放ったらかしにするような用事って何なんだろうね。  
しかも当の団長は部室で唯一のデスクトップのモニターを凝視したまま、  
「まだやる事があるから先に帰ってて」  
とか抜かしやがった。何見てるのかは知らんが、あんまり帰りが遅くなったら危険だぞ。自分勝手で唯我独尊  
だが、お前だって一応女なんだから、夜道で変質者に狙われても俺は知らないぞ。もっともお前の場合、たと  
え路上で痴漢に遭っても逆に払い腰で容赦なくアスファルトに叩き付けるんだろうがな。そのままマウントポ  
ジションを取って、バカ力に任せて哀れな痴漢を滅多打ちにするお前の姿まで瞼に浮かぶようだ。  
「そこまで分かってるんなら放っといてよ。それよりキョン、あんたこそ余計なトラブルに遭うんじゃないわ  
よ。あんたが何かの事件に巻き込まれて、SOS団の名前が不名誉な形で世間に広まったらどうすんのよ。   
例えばあのいけ好かない生徒会長なんか、それこそ鬼の首でも取ったかのような勢いであたしたちを 潰しに  
かかったりするはずよ。そうでなくとも敵が多いんだから、脇の甘い奴は団員として――」  
自覚が足りない、だろう。その言葉は聞き飽きて耳にタコ焼きと明石焼きとラジオ焼きができちまったよ。  
それにあの会長さんなら、敵か味方かで言うと間違いなく後者だ。必要以上に仲良くすると骨の髄までしゃぶ  
り尽くされそうな雰囲気があるから、深いお付き合いはできるだけ遠慮したいがな。  
大体敵を作るのはいつだってお前からだろうが。生徒会に限らずコンピ研との因縁然り教師連中然り。SOS  
団を設立して以来、俺がどれだけお前のワガママに振り回されてその尻拭いに苦労して来たのか、お前は全然  
知らないだろう。  
「何それ愚痴のつもり?そんな下らない事を言う為にわざわざ残ってくれたって訳?バカじゃないの?子供じ  
ゃあるまいし、あたしに言われた通りさっさと帰りなさいよ。そんでご飯食べてお風呂入ってさっさと寝たら  
いいでしょ。大体あんたいっつも遅刻ぎりぎりの時間に登校するわ、授業中は寝てるわ――」  
授業中に寝るのが悪いと言うなら、お前だって人の事は言えないだろう。珍しく俺が授業に専念しようと黒板  
を凝視した瞬間、無邪気な愛らしい寝息が――愛らしさは寝息だけだったが――耳に届いた事を、俺は絶対に  
忘れないだろう。  
そもそも何で話が俺の生活態度に関する内容に摩り替えられているんだ。己を指して非の打ち所の一点もない  
模範生だと言い張るような厚かましさは持ち合わせていないが、それでもお前に俺の生活リズムを干渉される  
道理はないと思うんだがな。使い古されて黴の生えた陳腐な言い回しなのは承知してるが言いたい。声を大に  
して言いたい。  
お前は俺の母親か、と。  
 
だが執拗く言えばその分臍を曲げるのが、涼宮ハルヒという捻くれ女だった。おまけにあいつの弁舌の程は、  
三回くらい転生を遂げても俺じゃ到底勝てないな、と認めざるを得ない程に立つ女だ。これ以上反論した所で  
時間の無駄なのは判り切った事じゃないか。  
正直付き合い切れん。大体にして俺がこいつと一緒に下校する義理も義務も最初から無いのだ。  
去年の型式とはとても思えない、いまだに真新しさを誇る薄型液晶ディスプレイ越しに、なぜか潤んだように  
も見える瞳で俺を睨み付けたハルヒを残し、俺は部室を後にして閉門間近の校門を潜り抜けた。  
一人で下校するなんて何日振りだろうか。最近は団員全員で帰宅するのが半ば習慣と化していたし、そうでな  
い日も気が付いたら何故かハルヒと二人肩を並べて下校していた、なんて脳の病気を疑いたくなるような事も  
珍しくはなくなった。  
授業中はシャーペンの先で始終背中を突付かれるし、休み時間だってハルヒの奴が何をしでかすか不安で心休  
まる暇もない。俺が学校で安息を貪れるのは、放課後に朝比奈さんの淹れてくれた最高に美味い茶を啜りなが  
ら、長門が本のページを捲るペースで時の流れを計る束の間の平穏な空間だけだ。それも部室のドアが乱暴に  
開かれたと思う間もなく、ハルヒの奴がズカズカと足音を響かせて台風よろしくやって来て終わる。そんなハ  
ルヒはいつも眩く輝く百ワットの笑顔でもって、俺を困らせる案件ばっかり持ち込んで来るのだ。  
あいつと離れるだけで、精神的にも精神的にもかなり落ち着くのがわかる。下校途中の見慣れた道に人影は見  
当たらない。こんな時間に帰宅する暇な高校生と云えば、ハルヒという例外を除いて俺一人だった。  
明日の気温は夜半過ぎまで平年を上回ります、なんて昨夜の天気予報ではそう言ってたが、森田さんでも時に  
は予想を外す事もあるもんだね。街の方から吹き上げる風が妙に肌寒いじゃないかよ。  
道端の茂みが不意に揺れたのは、風の所為でも俺が偶々蹴り込んだ石ころの所為でもなかった。がさがさ、と  
物音を立ててその中から飛び出して来たのは、子犬くらいの大きさの動物だった。それも二匹だ。  
当然と言えば当然だが、そいつらに首輪あるいはその痕跡は見当たらなかった。見ているだけで荒んだ心も癒  
してくれる可愛い小動物が、トコトコと短い足を忙しなく動かして俺の眼前を往復する。  
だがそいつらの特徴である背中の縦縞を確かめた途端、高校に進学して以来磨き抜かれて来た俺の勘は、駅か  
らすぐ近くにある踏み切りの警報機よりもけたたましい音量で警鐘を鳴らした。  
 
こいつらは明らかに親離れもできていない子供だ。それが何を指すのかと云うと、すぐ近くにこいつらの親が  
居るという事になる。  
子を思う母親の情というのは、恐らく本能に根差しているんだろうな。小鳥ですら人間に雛を狙われたら、激  
しい攻撃で人間に手傷を負わせて撃退してしまう位なんだから。  
ましてや相手はか弱い小鳥ではない。人間に匹敵する体格を持ち、恐るべき突撃力で時には野犬をも殺してし  
まう、考えようによっては充分猛獣に分類されて然るべき危険動物だ。  
そいつが自分の子供を敵に狙われていると判断すれば、しかも俺をその敵に認定したとしたら、どんな事態が  
引き起こされるのか。想像するのは簡単だが、できれば断固拒否したい。  
もう指示代名詞で誤魔化している場合じゃない。そんな事をしていたら対応が遅れてしまう。今こそ現実と向  
き合わないと――  
どこだ、どこに居る――  
わざわざ自分から探し出す必要もなかった。触れただけで死ぬんじゃないか、とさえ思わせる殺気立った視線  
を後頭部に受け、滝のように流れ出る冷や汗を感じながらゆっくりと振り返れば。  
野生動物特有の強烈な匂いを発しながら、怒りに狂ったハルヒのさらに数倍凶悪な目付きで、母イノシシが俺  
を睨み付けていた。  
 
毎日の強制ハイキングコースが習慣となってから、いつかこういう目に遭遇するんじゃないかという微かな予  
感は俺にだってあった。何しろ北高は山の中に建っているし、その山は全国区の知名度を誇るおいしい水の産  
地と地続きだ。自慢じゃないが、人の手が入っていない自然もまだ多く残っている。地元のローカルニュース  
では殺人事件や交通事故に続いて多く放送されるし、何より強制ハイキングコースの途中にはこいつに注意す  
るよう呼びかける看板だって立て掛けてある。市内での目撃談だって、痴漢事件の噂よりも多く耳にする程だ。  
けれども俺の中では、自分の知らない海外の芸能人が誰と付き合っているのかというニュースよりも優先順位  
の低い事だった。ある一人の少女が手にした超人的な能力を巡って、俺の与り知らぬ場所で宇宙的未来的超能  
力者的な陰謀が渦巻くというシリアスともギャグとも付かない生活の中、当の我侭な団長サマの戯言に毎日振  
り回され、疲労困憊して帰宅するんだから、そいつの存在を頭の片隅に留め置くにもかなりの努力が必要なの  
は理解して欲しい。  
ターレスの故事を引き合いに出すまでもなく、要は足元を掬われた形になる。  
 
何が痴漢だ。痴漢だってハルヒなんかを相手にする筈がないだろう。痴漢よりも出没頻度の高い、かつ男女の  
性別に関係なく危険な動物を何故警戒対象に含めなかったのか、真に遺憾ながら不覚だったと認めざるを得な  
い。  
猪突猛進なんて諺があるぐらいだから、真っ直ぐ突撃してきた所を横にかわせば問題無いだろう。なんて思っ  
ている奴がいたら俺の前に来い。泣き喚いて許しを乞うまで殴ってやる。自然を舐め切った貴様の根性を修正  
してやる。  
生憎だが俺は、マドリッドで拍手喝采を浴びるトレロカモミロじゃないんだ。そんな才能も運動神経も俺には  
無いし、こいつとの鉢合わせさえ体験しなければ手に入れたいとも夢想しなかっただろう。仮に俺が闘牛士並  
みの回避能力を持ち合わせていたとしても、イノシシは諺とは違って横へも素早く移動できるのだ。だいいち  
野生動物が本気になったら、文明に囲まれた暮らしの末に弱体化した人間の反射神経で対応し切れるものじゃ  
ない。  
母イノシシが俺の一挙一動を絶対に見逃すまいと真っ直ぐ見つめて来る。遠からず俺に生じるであろう僅かな  
隙を見つけ、そこを容赦なく突撃する腹積もりのようだ。無駄な努力とは知りつつも指一本動かす訳には行か  
ない。そんな風に全身硬直した俺の視界を横切り、トコトコと嬉しそうに母親の元へ駆け寄るウリボウ二匹の  
可愛いこと。そいつらの無邪気な動作の、何とも憎たらしいこと。  
畜生め。文字通りの畜生めが。このいきもの。どうぶつ。アニモー。英語で言うとアニモー。  
 
心の中でイノシシの親子を罵倒した所で、俺の置かれた状況は決して好転なんかしないのは解っている。明日  
の朝刊の地方欄を開けば、その片隅にひっそりと目立たない記事になって掲載された俺の本名が見つかるんだ  
ろうな。俺はその記事をどこで目にする事になるんだろうか。  
自宅ならまだマシな方だろう。入院先のベッドの上で、なんて事態に陥るのは真っ平御免蒙りたい。あんな退  
屈で真っ白な空間で寝起きしたら、精神衛生上非常によろしくないからな。  
――あんたが何かの事件に巻き込まれて、SOS団の名前が不名誉な形で世間に広まったらどうすんのよ――  
確かハルヒはそう言ってたな。今頃になって、さっきハルヒの瞳が三十ワットに翳っていた事を思い出すなん  
てどうかしてるぜ俺も。  
ハルヒよスマン、どうやらお前の予感は最悪の形で的中するようだ。動物に襲われて怪我だなんて、ハルヒの  
言う通り恥ずかしくて人様に顔向けできる話じゃない。  
それにしてもなんでハルヒなのかね。長門ならイノシシなんて苦も無く退けるだろうし、古泉なら本人だけじ  
ゃなく組織の力を借りる事もできるだろう。どちらも動物相手に振るう力としては過分だがな。蟻一匹潰そう  
として核ミサイルを持ち出すバカと同レベルだ。却下。朝比奈さんだったら――我が命に代えてもお護り致し  
ましょう。イノシシ相手に怯って動けない俺じゃ、役不足なのは目に見えているが。  
ならば消去法で残った選択肢があいつだって事か。馬鹿な。あいつの力こそ長門や古泉よりも大袈裟な代物だ。 
核ミサイルどころか、太陽レベルのエネルギーと質量を伴った持った恒星を地球に衝突させるぐらい無駄に  
危険な選択肢だろうが。どう人生を間違えても、どんなに人の道に外れても、たとえ誰を人質に取られても頼  
っちゃいけない力だと、無意識の最深部まで徹底的に浸透させている筈だ。ならば本当に、何故ハルヒなんだ。  
不思議を探し歩いては俺を心配させる当の団長サマは――  
 
居た。夕闇の中でも見紛いようもない黄色いカチューシャを揺らし、大股でのしのしと母イノシシの背後の坂  
道を下りて来る。ああそうだとも、お前の力強い足音はイノシシにだって負けちゃいねえ。  
「ちょっとバカキョン!あんたこんな所で何遊んでるのよ?!雑用係の下っ端のクセに、団長の早く帰れって  
簡単な命令一つ守れないの?!」  
よく通る甲高い声が住宅街に響き渡り、母イノシシがびくりと大きく震えて振り返った。ウリボウ二匹が母親  
を見倣って回れ右をする。ハルヒお前近所迷惑だろうが、今何時だと思ってるんだ。いや違う、俺の間抜けな  
仇名と情けない待遇とを、全校生徒だけでは飽き足らず学校の周辺住民にまで知らしめるつもりか。ええい違  
うだろアホか俺は、今俺があいつに掛けるべき言葉は――  
な――  
「何やってんだハルヒ、危ないから近付くんじゃない!」  
「あんたこそ大声出してんじゃないわよ!何が危険なのよ!いい歳こいてライダーごっこか戦隊ごっこのつも  
りなの?!天下の往来で高校生がする事じゃないわよ!――って」  
ハルヒが異変に気付いた様子で坂道の途中に急停止した。そうだハルヒ、お前にもそいつが見えるだろう。俺  
が何とかするからお前は逃げろ――って  
くんくんと鼻をヒクつかせてハルヒは顔を顰めた。改めて訊くが、何やってんだお前。  
「うわ臭っ!臭いわよキョン、あんた本当に臭い!何よこの匂い、キョンあんた何時からお風呂に入ってない  
のよ!SOS団の構成員として、いやそれ以前に人間として、あんたの常識を疑うわね!ああ臭い!」  
大声で臭い臭いと連呼するんじゃない。ここは住宅街だぞ。百歩譲ってこの場の匂いに同意するとしても、俺  
の仇名と一緒に大声で叫ぶな。お前はどこまで俺の恥と悪名を広めたら気が済むんだ。ここを通らなきゃ学校  
にも行けないんだよ俺は。俺明日からどんな顔をしてここを通ればいいんだよ。マジで泣けて来るぞ。  
だいたい人体がこんな獣臭を発生させる事がありうると本気で思ってるのか。お前には匂いの発生源が目に入  
らないのか。前々からアホだアホだとは思っていたが、可哀相にお前とうとう脳味噌が芯まで腐り果ててしま  
ったんだな。  
 
それとも何か、お前わざとやってるのか。そうだな、そうであってくれ。だとしたらお前のボケセンスは間違  
いなく第一級のお笑い芸人をも凌駕してるぞ。よし決まった。お前の進路はお笑い芸人だ。今すぐ北口駅から  
東行きの特急に乗って、終点の大都市にあるお笑い養成学校の門を叩いて来い。抜群の美貌とスタイルと、そ  
れすら霞ませるボケの才能を持ったお前なら、一躍スターダムに伸し上がるのは確実だ。全国のお茶の間に涼  
宮ハルヒの名を轟かせる日は近い。SOS団の悪名を広めるよりずっと簡単だし、その方がお前の人生の為に  
もずっと生産的だ。  
「抜群の美貌とスタイルって何よ、エロキョン?!もしかして、あんた、まさか、いややっぱり、そーゆー目  
で団長であるあたしを視姦してた訳!前々からエロいエロいとは思ってたけど、可哀相にあんたとうとうあた  
しを妄想の中で獣欲の限り汚して犯して嬲り倒すような性欲魔人になり果てたのね!ヘンタイ!ケダモノ!こ  
のいきもの!どうぶつ!アニモー!英語で言うとアニモー!」  
食い付くのは美貌とスタイルって部分だけかよ。何だよエロキョンって。しかもお前は無駄に滑舌が良くて声  
もよく通るから、大声張り上げたら山中どころか駅前まで響くんだよ。バカでヒーローごっこが好きで殺人的  
に臭くて性欲魔人で間抜けな仇名を持った男子高校生、って俺は人間としてどこまで堕ちた存在になれば許し  
て貰えるんだ。  
頼むからもう勘弁してくれ。お前のボケが天から与えられた素晴らしい才能なのはイヤという程解ったから。  
もうお腹一杯だ。というかお前何で顔を真っ赤にして、自分の身体を抱き締めて「いや」とか「ダメ」とか呟  
いてんだ。お前のキャラには死ぬ程似合わないんだよその表情とポーズは。だいたいお前は何から身を守って  
るつもりなんだ。  
イノシシか。イノシシからなのか。だったらそんな防御の構えは紙より役に立たないぞ。  
「――イノシシ?ついに狼と化したあんたが、あたしを襲おうとしたんじゃないの?」  
お前の目は今の今まで何を映して来たんだ。俺か。俺だけか。俺だけしか目に入らないだなんて、今時の少女  
漫画にも登場しない、ベタで巫山戯けた事抜かすつもりじゃないだろうな。  
「あんたこそ男のクセに少女漫画に影響されて、気持ち悪い妄想を思い浮かべて毎晩あたしでオナってんじゃ  
ないわよ。このエロキョン。で、何なの?」  
だからエロキョン言うな。女の子がオナるとか下品な言葉を口にするんじゃない。というかお前ん中じゃ俺が  
お前に欲情してるのは確定事項か。坂の上に立ってるんだから上目遣いは止めろ。そうだイノシシだ。もう少  
し視線を下げれば、節穴にさえ劣るお前の目にも、喋り続ける俺たちを交互に見比べていたイノシシ親子が見  
えるだろう。  
って――  
本日二度目の嫌な予感を覚えてハルヒの顔を凝視する。それは銀河を満載して輝く瞳と百ワットの笑顔、とい  
う最悪の取り合わせで的中した。  
 
「うわ本物のイノシシだ、珍しいわね。こうして見ると中々可愛いじゃない」  
やっぱりハルヒも実物を見るのは初めてなんだろうね。常にあいつの中で充満して出口を求め続ける好奇心が 、 
全身の毛穴から溢れ返っているのが俺にも見て取れるぞ。まあ傲岸不遜なお前の口から、可愛いだなんて乙  
女チックな言葉が飛び出して来る方が珍しいと俺は思うがな。  
それよりもだハルヒ。  
母イノシシが今、お前の一言に合わせて警戒の度合いを強めたのがわかるか。ウリボウが母親との距離を詰め  
たのが見えただろ。お前がウリボウを攫おうとする敵だと認識したんだよ。だから俺はお前に近付くなって言  
ったのに、お前と来たら俺の話をまるで聞かないから――  
「うるさいわねキョン、それぐらいあたしにも判るわよ。だってこのお母さん、今あたしを睨んでものすごく  
鼻息荒くしてるもの」  
だったら話は早い。お前は逃げろ。後は俺が何とかする。こう見えてもお前のフォローには慣れてるんでね。  
「何がフォローよ。どうせあんたの事だから、イノシシ相手にビビって身動きが取れなかったんでしょうに。  
情けないったらありゃしない」  
大嫌いだ。勘の鋭すぎる女なんて大嫌いだ。勘の鋭すぎる当のハルヒが、母イノシシに視線を固定してに言う。  
「あんたは逃げていいのよ。ちょうど良い機会なんだから、か弱い女の子を置いてスタコラサッサと負け犬み  
たいに尻尾巻いて逃げればいいじゃない」  
その物言いからして俺をこの場から逃がすつもりなんて毛頭ないだろう、と反論を試みた俺は、ハルヒの声に  
僅かな違和感を感じた。どこに出しても恥ずかしいボケ女の声が、いつになく重みを増した低音に切り替わっ  
ていたのだ。  
ハルヒの足元によく目を凝らせば、両足を軽く開いて重量感たっぷりに立っている。両足が地面から生えてい  
るような、格闘技の素人にも力強さの伝わって来るいい構えだ。  
そして更に力強いのはハルヒの瞳だった。視線だけで人間を殺せるんじゃないだろうか、と思われる程の凶悪  
な目付きで、母イノシシを睨み下ろしている。俺に尻を向けた母イノシシの目付きは判らないが、しかしハル  
ヒと同じ目をしてるんだろうと容易に想像が付いた。  
母イノシシの足元で、ウリボウ二匹が落ち着き無くトコトコと走り回り出した。母親の対峙する相手はどうや  
ら只者ではない、と動物の子供ながら鋭敏に感じ取っているようだ。  
ハルヒお前まさか――  
 
本気でこの母イノシシと戦うつもりじゃないだろうな。それだけは止めろ。危ないから絶対に止めろ。  
確かにお前は猪突猛進、諺通りなら突撃力でイノシシと互角以上に渡り合えるかもしれない。しかしだなハル  
ヒ、それはあくまで諺だレトリックと云う物だ。お前は自然の恐ろしさを知らん。本質的に人間は大自然の前  
に無力な生き物なんだ。野生動物が本気になったら、文明に囲まれた暮らしの末に弱体化した人間の反射神経  
で対抗し切れるものじゃ――  
「あんたは黙ってて」  
ハルヒは殺人視線を保ったまま、俺を一瞥してピシャリと言った。はい済みません黙ります。  
母イノシシはとっくの昔に俺への興味を失っているようだった。そればかりかハルヒが自分から目を離したの  
を好機と見るや、前足でアスファルトを掻く始末。ウリボウ二匹は相変わらず忙しなく走り回っている。  
ハルヒが母イノシシに視線を戻し、両者再び不動の構えを取る。野獣対野生児の闘いにあって、俺は蚊帳の外  
ですかそうですか。しかし何だねウリボウたち。俺一人の時はどこも油断までして愛嬌を振り撒いていた癖に、 
ハルヒがいる時は怯えまくりますか。  
生物レベルで俺はハルヒの下に位置する動物なんですね。ええ解りますとも。ハルヒに逆らう事が、生命体と  
してどこまでも愚かな行為であると俺に教えてくれてるんですね。厳しい生存競争を生き延びる為にも、俺も  
古泉のイエスマンっぷりを見習わんといけないのですね。  
というか俺は君たちのさらに下層生物として位置付けられた存在なのですね。今まで畜生などと汚い言葉で罵  
って本当に申し訳ありませんでした――  
 
「何泣いてるのよキョン。やっぱり怖いのね。だから言ったでしょ、あたしを置いて逃げてもいいって」  
うるさい。この涙はイノシシが怖くて流れ出るんじゃない。お前に虐げられ、動物にも舐められる情けない身  
の上を思って泣いてるんだよ俺は。  
「意味わかんない。強がりならもう少しマシな言葉を選んで欲しいものだわ。でもあたしなら大丈夫、あんた  
が情けないのは今に始まった事じゃないから」  
何が大丈夫なんだ全然フォローになってないんだよ、という涙を交えた俺の反論をハルヒは掌で制した。再び  
アスファルトを前足で掻き出した母イノシシに視線を戻す。鋭い視線をずっと保ったまま母イノシシへと静か  
に語る。  
「あなたにとって本当に大事なのよね、その子たち。そうよね、お母さんなんだもんね」  
おいおいお前はいつから風の谷のなんとかになったんだ。なりきりか。だったら今のお前、世界一そいつに似  
ているって俺がお墨付きを与えてやる。俺の保証じゃ世間でどこまで通用するか知らないが、母イノシシがお  
前の一言に合わせて小さく唸ったのを俺は聞き逃さなかったぞ。動物レベルじゃマジで通じてるぞハルヒ。  
「でもあたしにも大事なものはあるの。あなたにとってのその子たちと同じくらいに」  
そんなの俺には初耳だぞ。と言うかだな、俺の思い過ごしかも知れんが、お前凄い事をサラっと言ってないか?  
ああ糞っ垂れが、こんな所で幸せ回路炸裂か。マジな話何やってるんだ俺は。仮にも生物学上女に分類される  
ハルヒを生命の危険に晒しておいて、自分はのうのうと高みの見物かよ。誰か俺に弾を込めた拳銃をくれ。母  
イノシシを撃ち殺した後で、俺も頭ブチ抜いて死んでやる。情けない俺の脳味噌を、下らない事を考えるしか  
能のない脳味噌を、この世から跡形も無く消し去ってやる。  
 
「アホゥ。あんたが死んでどーすんの。あんたの脳味噌なんて道路にブチ撒けたら人様に迷惑じゃない。何も  
できないのを悔しがるぐらいなら、あんたはせめて黙って最後まであたしの闘いを見届けなさい」  
今度は母イノシシから目線を逸らさずにハルヒは言った。チンピラヤクザ程度なら簡単に追い払ってしまうだ  
ろう、ドスの効いた迫力ある喋り方だ。古泉じゃあるまいしハルヒを賛美する結果に繋がるのは正直業腹だが、 
しかしあいつが生命体として頼りになる存在なんだと俺が認めざるを得なかったのは事実だ。俺を無視して  
ハルヒが続ける。  
「お互いにこの場を収めて家に帰りたいの。あなたもお母さんならわかるでしょ」  
お前はお母さんじゃないだろうハルヒ――なんてあいつの耳に届く筈もない。仮に聞こえたとして、あいつが  
俺の言葉に耳を傾ける訳がないのは解っている。ならばせめてあいつが言った通り黙ってろよ、俺。  
「それでも戦うつもりなら――わかるわよね」  
その時ハルヒが眉間に力を込めて作った表情を、俺は今後一生忘れる事はできないだろう。あれが俺に向けら  
れた物じゃなかったという事実に対し、俺は感謝しなければならない。さもなくば俺は眠りに就こうと瞼を閉  
じる度にハルヒの視線を思い出し、その後一睡もできない状態に追い遣られていただろう。早晩精神に回復不  
能な変調を来し「ここはどこですか開けて下さいよ」と爽やかにコクピットのキャノピーを叩く自我崩壊した  
己の姿なんか思い浮かべるのも御免蒙りたい。  
マジだった。明確な意思を瞳でもって宣言していた。  
殺す――  
そうハルヒは母イノシシに告げているのだ。ここで引かなきゃ、あの愛らしいウリボウ二匹を孤児にしても構  
わない。それがイヤなら引け、と威圧しているのだ。さっきハルヒを風の谷のなんとかに喩えたが、あれは俺  
の間違いだった。前言撤回。風の谷の姫姉さまと違い、ハルヒは最終的には暴力をも辞さない覚悟を持って事  
に臨んでいる。人々を感動させる話とは程遠いが、生命体としては姫姉さまよりずっと逞しい。人間世界じゃ  
単なる社会不適合者として片付けられてしまう、使い道のほとんど無い覚悟だが。  
そのまま数分が経過した頃だろうか。数秒かもしれないが、俺は正確な時間を把握できなかった。時間に煩い  
ハルヒに合わせて、あいつが言うように普段から腕時計はしているものの、そいつを見るのも忘れて固唾を呑  
んで静かなる野生の激突の行方を見届けていたからな。  
母イノシシもハルヒの両目から放たれる必殺ビームに怯まず、それを増幅して打ち返す。そいつをハルヒがさ  
らに増幅反射させて母イノシシに浴びせる。母イノシシがさらに返す――  
映画の時に長戸と古泉から説明してもらったっけ。レーザー発振筒の原理って奴を。古泉の描くヘタクソな図  
に登場した二枚の鏡と、激突する二者の瞳の位相関係が似てるような気もする。だとしたらいずれ殺意が溢れ  
出し、どちらか一方が大出力の殺人レーザーにやられちまうのか。まさかハルヒがハーフミラー役じゃないだ  
ろうな。退けるものならもっと早くに退いちまった方がマシだったんだが、もうハルヒは引き返せない所まで  
来ている。一部のパーツを除いて然程体格に恵まれている訳でもないのに、よくあの場で立っていられるな。  
常人の度胸じゃないぞ。やっぱりお前は普通じゃない。イザとなったらトンデモパワーを発揮して九回裏同点  
二死満塁フルカウントから押し出し逆転フォアボール、なんて椿事もこいつなら引き起こしそうだ。  
 
って、そっちの方が危険じゃねえかよ。まさか無意識の内にその力を発揮して、長門の言葉を借りれば情報改  
変をやらかそうって訳じゃないだろうな。世界を書き換えてしまおうってんじゃないだろうな。それだけは止  
めろ、止めるんだハルヒ。  
「あたしは負けない――どんな事をしてでも、この場は勝ってやる」  
ハルヒがそうぼそりと呟いた瞬間だった。  
ハルヒと母イノシシとの間を満たしていた熱気が急速に冷め、同時に超音波よろしく空気の振動を介して俺の  
肌をじわじわと焼き続けていた場の緊張感が消える。決着の時は俺が予想したのとは真逆の形で、しかもずっ  
と呆気なく訪れた。  
母イノシシが睨めっこ勝負の舞台から降りて左向け左のポーズを取った。ウリボウ二匹がすぐに母親の真似を  
する。ゆっくりした足取りで道端へと進む母イノシシの目が俺にも見えたが、最早そこからは何の感情も読み  
取れなかった。  
ただ何と言うか、アスファルトの上をノシノシと歩く足取りは非常に落ち着いていたから、別段ハルヒに怯え  
ていた訳でもないのだろう。あるいは徒に時間を浪費する結果しか生まない戦いの無益さを悟り、ハルヒに勝  
ちを譲ってやったぐらいの余裕の態度だったのかもしれない。恐るべきは野生動物だ。俺では何をやっても敵  
わないハルヒでさえ、野生動物から見れば所詮たかが人間一匹程度の認識でしかないのだろう。  
やれやれ。  
己の矮小さは理解しているつもりだったが、その事実を大自然とハルヒの両方からこれ見よがしに突き付けら  
れたんじゃ、正直切なくて堪らん。なるべく穏便に波風を立てず、という俺の信条は、やっぱり俺みたいに器  
の小さい人間が生き延びて行く上で、最良かつ唯一の選択肢なんだと改めて思うね。それでもトラブルに巻き  
込まれたら、大人しく諦める他はない。それが人生セラヴィだ。  
イノシシ親子の姿が茂みの中に消えたのを見届けて、俺はようやくハルヒに注目した。  
睨めっこの勝者となったハルヒは、不動の姿勢を崩してはいなかった。ただその目にはいつもの不敵な笑みを  
湛えていて、イノシシ親子の去った方向を見たまま勝ち名乗りを上げる。  
「ふん。世界のSOS団団長を相手によく戦ったものだわね。あなたの子供に免じて、今日はこのぐらいで勘  
弁しといてあげる」  
獣臭い残留ガスが海風に一通り流された頃、ハルヒはようやく俺に目を向けてぼそりと一言、  
「――怖かったわ」  
盛大にずっこけたよ俺は。眼力だけで危険動物を退けておいて、今更それはないだろう――  
 
「全く、あんたは高校生にもなってまともに一人で家に帰る事もできないの?!情けない、ああ情けないった  
ら!SOS団の団員として、いや人間としてあんたの将来を心配するわよ。大体あんたいっつも遅刻ぎりぎり  
の時間に登校するわ、授業中は寝てるわ――」  
一難去ってまた一難。イノシシの恐怖から解放された俺は、今度はイノシシをも退けた世界最凶のSOS団団  
長様から、有難いお叱りの言葉を頂く羽目になった。  
内容だって?部室でのやり取りと寸分違わない、同じセリフの繰り返しさ。太陽は既に西の山中に姿を隠し、  
住宅街からは美味そうなカレーの匂いが漂って来る。何で晩飯の匂いっていうとカレーなんだろうね。他の料  
理の匂いに打ち勝ってしまうからだろうか。ああ早く帰りたい。カレーの匂いって、空きっ腹には一番堪える  
匂いなんだよ。  
「ちょっと聞いてるのキョン?あたしが話してる時は、ちゃんとあたしの目を見て話を聞きなさい!」  
うるさい。お前こそ人の話は全然聞かない癖に、人が自分の話を聞かないと怒るのか。自分勝手にも程がある  
ぞ。そんなワガママがいつまでも通用すると――  
本気でハルヒは思っていた。そしてハルヒはワガママを通す為には実力行使も辞さない女だったのを忘れてい  
た。制服のネクタイをバカ力で引っ張られ、ハルヒの顔と真っ直ぐ向き合う形になる。いつものハルヒだ。こ  
の暴力女め。お前の言動は何から何まで理不尽だらけだ。目を逸らそうとしたらまた引っ張られた。俺は子牛  
か。お前に曳かれて市場で売られてしまう可哀相な子牛か。今は晴れた昼下がりじゃなんだぞ。  
「何が子牛よバカキョン!あんたは放っといたら自分に都合のいい話しか聞かないんだから!あたしの有難い  
教えから耳を背けて、耳障りのいい言葉ばっかり選んで聞いてたら、それこそ人間として堕落してしまうわ!  
あたしだって本当はこんな話したくないんだけど、あんたを見てたら言わずにはいられない!だってあんただ  
らしないし、見ていて本当に頼りないんだもの!あんたは甘ったれだから解らないだろうけど、世の中甘くな  
いのよ!あんたが困ってても、誰もあんたにちゃんとアドバイスしてくれる人なんていない!あんたの為を思  
って説教してあげるような人って、金輪際鐘や太鼓で探しても現れないかもしれないのよ!良薬は口に苦し、  
聞くのは辛いかもしれないけど、今は黙ってあたしの話を聞けっ!」  
女の子が喋りながら唾を飛ばすな。お説ご尤も、言ってる事は確かに一点の非の打ち所も無い正論だと俺も認  
めるが、お前の口から聞いたらギャグにしかならん。人の振り見て我が振り直せ。今お前が言った内容を、そ  
っくりそのまま返してやりたいよ。  
「だったらあたしを助けてみなさいよ。あたしが命の危険に晒されている時に、少女漫画のヒーローみたく颯  
爽と現れてあたしを助けなさいよ。あんたにできる物ならね。いいキョン、あんたが人に話を聞いて貰いたか  
ったら、まずはあんたが実績を作りなさい。雑用係のあんたと違って、あたしはこの一年でSOS団の団長と  
して輝かしい実績を築いて来たんだからね。それが今のあたしの自信を形作ってるって訳。今年はもっと頑張  
って、SOS団の実力を世に余す事なく伝え広めないといけないんだから」  
ふふん、とハルヒは勝ち誇った得意満面の笑みを俺に向けた。  
 
糞っ垂れ、言えるモンなら言いたいよハルヒ。お前の言う実績とやらが人様の役に立った試しがあると、お前  
は本気で思っていやがるのか。脳の構造からしてお前は実にオメデタイ奴だな。毎度毎度ただの思い付きで物  
事を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して後は知らん顔、そんなお前の思い付きのために、どれだけのヒトモノカ  
ネが動いて来たと思ってるんだ。俺がお前の後始末をする為だけに、どれだけ胃を痛めて来たと思ってるんだ、 
とな。  
だが詳細をハルヒに語るのは憚られる。自分の知らない間に、ほんの些細な自分の言動が全世界を崩壊の危機  
に晒して来た事を知ってしまったら、さしものハルヒも自我崩壊を免れないだろう。もしそうなっちまったら  
世界の終わりだ。世界云々以前に、俺はそんな風に壊れたハルヒを絶対に見たくはない。自分のちっぽけなプ  
ライドの為だけに何の益もない反論を行い、結果ハルヒを廃人に追い込む位なら、まだ好き放題言わせておく  
方が道徳的にも俺の気持ちの上でもよっぽどマシだ。  
しかしただ言われっ放しなのも癪に障る。だからせめてこんな質問をしよう。  
まさかとは思うが、お前も少女漫画なんか読む事があるのか、と。  
ようやくネクタイから手を離したハルヒが、何の気無しに平然と答える。  
「たまにはね、言っとくけど毎晩じゃないわよ。いくらあたしでも、世の中の事に全然興味ない訳じゃないわ。 
モノグサなあんたと違って、あたしは面白い事は自分で探す女なの。前にあたし部活が全然面白くないって 
言ったけど、全部の部活に入って自分の目で確かめて、それで初めて面白くないって言ったのよ。誰かから何  
か適当なものを与えられて、それに不満を溢してるようじゃ、あんたいつまで経っても雑用係を卒業できない  
わよ」  
お前らしい返事だよハルヒ。今さらだがお前という女がよく分かった、色んな意味でな。ハルヒがふん、と鼻  
を鳴らしてくるりと俺に背を向ける。俺の質問に隠された意図はバレなかったようだ。  
「ちょっと目を離すとこれよ。下校途中にイノシシに出食わすわ、去年は階段から落ちて入院するわ――」  
それだけ言ってハルヒの肩が硬直しちまった。おいハルヒどうしたんだよ。話し掛けても何も言い返さない。  
心当たりは一応あった。あれは俺にとっても、二度と体験したくない出来事だったな。俺の知らない間に三日  
間も付き合ってくれたお前がどんな気持ちだったのか、いつかお前の口から聞かせてくれ。それがもしお前に  
とって辛い記憶だったとしても、俺にはそれを聞いてやる義務があるような気がしてならないんだ。その時は  
全ての真相を伝えられないまでも、俺もお前を探し求めていた事だけは絶対に理解してもらうつもりだ。  
 
「――手」  
俺に背を向けたまま、ハルヒは俺の方に自分の左手を突き出した。自分の手を握れ、と言いたいらしい。言わ  
れて俺は右手を出そうとして、掌に張り付いた冷や汗に気付く。イノシシに出遭ってから緊張の連続だったも  
んで、手の汗を拭く余裕も無かったな。ハンカチを胸ポケットから探そうと慌てふためいていると、怖い叱責  
が飛んだ。  
「早く!」  
言われるまま細くて小さなハルヒの手を握ると、あいつはバカ力で握り返して来た。おいおい俺の手はそんな  
にキレイじゃないぞ、お前俺の汗なんか付いた手を握っても平気なのかよ。  
「下らない事気にしてるんじゃないわよ。さ、行くわよ」  
吐き捨てるように言うと、ハルヒは俺の手を引いて坂道を下り始めた。慌てて付いて行く俺の足取りはまるで  
さっきのウリボウだ。足の長さは身長に比例するはずだから俺の方が長い筈なのに、ハルヒはノシノシと大股  
で歩く分、俺はウリボウみたいに忙しなく足を動かしていなければならない。  
駅前までの道程はあっという間だった。黄色いカチューシャの下に揺れる黒髪に隠されて、道中ハルヒの横顔  
を確かめることはできなかった。辛うじて髪の下に見える唇が、何かを決意したように真一文字に結ばれてい  
た事だけ、最後になったが報告させて貰おう。  
それが俺にとって厄介なトラブルを持ち込まないかどうか、今さら心配しても仕方ないんだがな。  
 
――これは、世界をひっくり返すトンデモパワーを手に入れた涼宮ハルヒという爆弾女と、キョンという間抜  
 
けな仇名を持った平凡な俺と、宇宙的未来的超能力者的な仲間たちとが織り成す、突っ込み所満載の関西ギャ  
グ物語。  
どの辺が関西ギャグだって?よく読めば解るはずさ――  
<<終>>  
 

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