Prologue.  
 
 瞼で防ぎきれない光刺激に網膜を焼かれるような感触を覚え、朝倉涼子は目を覚ました。  
「ふにゃぁ、朝?」  
 日光という暴力に強制起床させられた涼子は、寝起きで上手く働かない頭を持ち上げようとして、ものの見事に失敗した。  
 枕に頭をぶつけるように、夢の世界へ再度轟沈。  
 ポフンという間抜けな音とともに、ピンと立ってた耳がつぶれて擦れる。頭をふにふにと動かして日光から逃げつつ、もっとも気持ちいい箇所を見つけ、そこで丸くなった、ふにふにぬくぬく。  
 『あたしくらいの高性能なインターフェイスになると寝起きの悪さまで表現できちゃうのよね』と、パタパタ耳を動かしながらのぼんやり思考。  
「えっと、確か今日って日曜日、よね」  
 ポツリと呟く。何となく違和感。  
 何故だろう? 何か余計なものがこびり付いているような体のだるさがある。  
「有機体部位が感冒にでもかかったのかしら?」  
 今日は日曜日である。単なる風邪なら情報操作を行なってまで無理矢理に治す必要性はないだろう。  
 そう考えた涼子は、とりあえず体を休めるために二度寝しようと思い、ちょっと寒気を覚えたので、寝ている間に蹴り飛ばしていた布団を尻尾を使って自分にかけなおした。  
「………ええっと」  
 そこで自分の体に少しだけ疑問点。  
 とはいえ、涼子は目が見えなくなってるわけでも耳が聞こえなくなってるわけでもない。手足もちゃんとある。こんなに立派な尻尾だってある。ピコピコ。  
「………」  
 無言で顔の前にソレを持ってくる。ブンブンと動かしてみる。ある程度涼子の意志で動くソレは、どうやら彼女のお尻から生えているようである。  
「そっか、尻尾が生えてるんだ」  
 疑問点が明らかになって晴れ晴れしい気持ちになった涼子は、ゆっくりと眠りにつこうとしたところで、  
「あれ?」  
 『………尻尾、尻尾、………尻尾?』と、今更ながらにそれの意味に気付き、  
「って、にゃによそれー!」  
 自分が異常事態におかれている事を手遅れぎみに理解して、猫尻尾をピコピコブンブン動かしつつ慌てて飛び起きた。  
「え、え、え、待って。ちょっとま、………え?」  
 反射的に頭に手をやったところで、ふにゅん、という感覚が涼子を襲う。  
「………」  
 ぱたぱた、と手が押しつぶしたものを動かしてみる。これもどうやらある程度、彼女の自由に動くものらしい。  
「………ネコミミ」  
 呟きながら目を閉じ、深呼吸を繰り返す涼子。  
 とりあえず落ち着いて、自分が置かれた状況を冷静に分析しようとしているようである。  
 やがて彼女はおずおずと目を開けながら、自分の目の前で揺れている尻尾を見つつ、ぽつりと呟いた。  
「………朝倉さんがネコになったようです?」  
 そのまんまであった。  
 そして彼女は自分に付いている異物(尻尾、ネコミミ)の情報結合を解除しようとして、それらの構造が読み取り不能となっている事に気付き、  
「にゃーーーーー!!!」  
 自分の置かれた状況の、あまりの意味不明さにとりあえず叫んでみる事にした。  
 これは彼女が最近覚えた技だ。  
 その名を現実逃避と言う、………ダメじゃん。  
 
 
―――――――――――――  
朝倉さんがネコになったようです  
―――――――――――――  
 
 
1.  
 
「と、いうわけで『何とかしてもらえないかなあ?』なんて思って長門さんを呼んだわけなんだけど………、えっと、………起きてる?」  
「………オキテル………ヨ?」  
「何で疑問系なのよー」  
 いつもほとんど変わらぬ無表情で通しているから分かりにくいが、実は長門有希は涼子よりもっと寝起きが悪い。  
 現状、有希の情報処理機構は1割も働いていない。実際、猫まっしぐらなこの現状だってほとんど理解できてないのだ。  
 まあ、そんな状態でも本気で『助けて』と言われたらこうして飛んでくるくらいには、二人の関係は良好という事であろう。  
 涼子もそれは分かっているようで、有希の寝起きでぼさぼさの髪を濡れタオルと櫛で整えながら、彼女がちゃんと起きるまで待つ事にしたようである。  
「あ、長門さん」  
「………ナニカ?」  
 その前に、彼女がちゃんと目覚める前に、伝えるべき事がある。  
 『照れくさいなぁ』と思いながらも、涼子はそれを口にした。  
「来てくれて、ありがとう」  
「………ドウイタシマシタ?」  
 
 ///  
 
「情報改竄の痕跡はある。でも痕跡だけ。実際にどのような改竄が行われたかは分からない」  
「………あふん」  
 ネコミミと尻尾を散々いじり倒して有希が出した結論は、涼子にとってあまり芳しいものではなかった。  
 ぐったりと床に倒れこんでいる自分を見て、心配そうに「………大丈夫?」、と聞く有希に対して、ときたまビクビクと痙攣しながら涼子は答える。  
「や、心配してくれるのは嬉しいんだけど、もう少し手加減というものを、………ね」  
 どうやら涼子にとってネコミミと尻尾は、………弱点に当たるらしい。  
「性感帯?」  
「女の子がそんな言葉使っちゃいけません!」  
 全くである。  
 『よいしょっ』と、抜けかけの腰を気合で伸ばしながら涼子は起き上がった。有希は何故自分が怒られたのか分からないらしく、かすかに首を傾けたところで停止している。  
「えっと、で、ね」  
 『ああ、可愛いなぁ、もう』と、明らかに間違った方向へ走り出しそうになった思考を軌道修正しつつ続ける。  
「とりあえず、この頭とお尻を何とかしないと外にも出られないわよね。ニート型ネコミミインターフェイス、………一体全体、どの層を狙うつもりなのかしら?」  
 『いっそ消しちゃおっかなー』と、自棄気味に続ける涼子に、有希はいつもと変わらない平坦な口調で言葉を返す。  
「因果関係が分からない状態で、構造物のみ消滅させてしまうのはリスクが大きい。わたしは推奨しない」  
 ようするに、それは大きさが分からない木を引っこ抜くようなものなのである。引っこ抜いた人が潰されるだけなら自業自得ですむだろうが、地盤沈下とか引き起こしてしまったら目も当てられない。  
 理解していたが認めたくなかった事実を友人の口から直接突きつけられたせいか、涼子は溜息をつきながら、「ねえ、長門さん。何かいい方法ない?」とグチ半分の答えを期待しないダメ元質問を行なった。  
「わたしが聞いた話によると、」  
 期待していない答えが、あった。興奮のあまりネコミミ尻尾をピコブンピコブン意味不明に動かしながら身を乗り出す。  
「おお、即答! さすが長門さんね。だてに物知り文学少女っぽいなりはしてないわ。で、続きは?」  
「こういうものは性的絶頂を経験すると満足して成仏するものらしい」  
「読んでる本はエロ小説だった!」  
 涼子は明らかに間違えている答えに脱力しつつも、『これ以上長門さんをダメダメな世界に引き込むわけにはいかないわ』と、委員長属性という名の妙な責任感をガソリンにして聞いた。  
 
「それ、情報ソースは某ワカメの人よね?」  
「ええ、わたしが長門さんに教えたのですが、何か」  
 答えは別方向からあった。しかし、それが指し示す意味に、委員長ロードを驀進している涼子は気付いていないようである。  
「やっぱりそうなのね。いい、長門さん。あんな海に浸かってふやけきった脳の人とまともに会話しちゃいけませんよ」  
「あら、塩水に浸けた方が美味しくなる事だってあるでしょう?」  
「ダメダメ、あの腹黒は塩水に浸けたケーキを客に出すタイプのインターフェイスよ」  
「新しい発見ですよね」  
「明らかな失敗じゃないの。浸けたいんなら自分のお腹を浸ければいいのに。そしたらちょっとは黒さも薄まるでしょ」  
 ピキピキ、という音が隣から聞こえてくる。気付かずに続ける。  
「あんな人としての常識に欠けてる人が何でインターフェイスなんてしてるのかしら? ていうか、あたしより彼女のほうが『ネコミミ生えてニートくん』になってくれれば良かったのに。ネコミミニートワカメ、あらおかしい」  
 プチン、という音がした。命綱が切れるような致命的な音であったが、それでも涼子は気付かない。  
 まあ、こんな状態になるまで気付けないのは涼子の悪癖の一つではあるが、今回も御多分に漏れず致命傷である、………合掌。  
「ところで朝倉さん」  
「あら、何かしら」  
「ふふふ、『俺の名前を言ってみろ』」  
「………」  
「うふふふふ、どうしました、朝倉さん?」  
 一気に顔中の血液を逆流させて絶句する涼子。  
 ようやっと、自分の隣で鬼人のごとき笑顔を浮かべている、ワカメこと腹黒こと喜緑江美里に気付いたようである。  
「あー、確かにさっきから長門さんと喋ってるわりにはレスポンス多いなー、って思ってたんだけど、えっと、お約束っていうかー、………あれ、もしかしてこれ、あたし、………死ぬ」  
 いろいろと手遅れなこの状況を理解するのを拒むように混乱する涼子に、満面の笑顔で純然たる殺気を放ちつつ、江美里は告げた。  
「イヤですねえ、朝倉さん。殺すなんて生ぬる、………ひどい事をこのわたしがすると思いますか?」  
「すみませんごめんなさい謝ります自分マジ調子乗って、ふにゃあっ! し、尻尾掴まないでー!」  
「うふふふふ」  
 江美里は右手で涼子の先端を揉みこみながら、左手を使ってその先端から根元までを一気に擦り上げた。  
「やあっ、そんなに激しくっ、も、まないでよおっ! ふ、やあっ!」  
 尻尾の付け根から脳髄へと電気が走ってくるような感覚に襲われ、散発的に意識が飛びかける。  
「や、だぁ、ちょ、長門さん! お茶飲んでないで助けてよぉ」  
 涼子はたまらず、さっきから我関せずと人の家の茶葉を無断使用している有希に助けを求めた。  
 その求めに対し、有希はコクリと一つ頷いてから二人の近くにとてとてと寄ってきて、  
 ぱくり、はむはむ。  
「って、どうしてネコミミを噛むのぉ。ダメ、ダメぇ、甘噛みダメぇ」  
 思わぬ裏切りを受けて一瞬頭が真っ白になる涼子。それを逃がさないように、  
「いっちゃえ」と、江美里がその尻尾に痛みを感じるくらいにきつく歯を立てた。  
「ふ、みぃ、うぅー」  
 今まで感じた事ないくらいのビリビリが全身を突き抜けたせいで、完全に腰を抜かした涼子はその場に倒れんだ。  
「う、みぅー」などと呻き、ときたまピクピクと痙攣しているが、その瞳が開く気配は全くない。どうやら完全に意識が飛んでしまったようである。  
 
 
2.  
 
 快楽という情報のオーバーフローにより一時的に機能を停止させている涼子を、いろいろいじってから元の布団に寝かせた後で、江美里と有希は現状を整理する事にした。  
「分かる?」  
「いえ、思念体も調査しているようですが、残念ながら」  
「思念体が我々を欺いている可能性は?」  
「低いでしょうね。『朝倉さんが、朝倉さんがー!』とのみ伝えた時のあの急進派のうろたえっぷりは笑えるほどに本物でしたし、………これはやはり彼女、『涼宮ハルヒ』関係の何かだとわたしは推測します」  
 日付が日曜である事を確認し、有希は少しだけ落胆した。今日は市街探索も休みであり、彼女には明日までハルヒと会う機会はない。SOS団団員ではない江美里にとってはなおさらであろう。  
 もちろん、無理矢理に会いに行く事も可能ではあるだろうが、『涼宮ハルヒ』が本当に今回の件に関わっている場合、下手な刺激は今以上の悪化を引き起こす可能性がある。安易な行動は控えるべきであろう。  
 とにかく与えられている情報が少なすぎる。現状できる事といえば、自然な情報収集が可能となる月曜まで、涼子がこれ以上ネコ化しない事を祈りながら待つだけである。  
「そうですね。わたしもその『月曜日に情報収集』というのが一番現実的な方針だと思いますよ」  
 そう話をまとめてから、江美里は立ち上がり玄関に向けて歩き出した。  
「帰るの?」  
「ええ、もともとわたしは呼ばれてきたわけじゃありませんから」  
 そう冷たく言う江美里であったが、その口調には冷たさとは別のとある感情が含まれていた。  
 そういったものをスルーする気遣いは、生きていく上で必要なスキルである。しかし、人生経験が足りないせいか元のキャラがそうであるせいなのかは分からないが、有希はついそれをそのまま指摘してしまった。  
「拗ねてる?」  
 有希のその疑問という形をとった指摘に対し「ふがっ!」と、奇声を発しつつ、顔を真っ赤にして固まる江美里。どうやら自分が拗ねているという事に言われて初めて気付いたようである。  
「そ、そんなわけないでしょう。こ、このわたしが、朝倉さんが心配で呼ばれてないけど様子を見にきたら、いきなりワカメとか腹黒とか言われてて、ちょっとショックだったとか、そんな事っ!」  
「ツンデレ?」  
「ふぐおっ!」と、また奇声。そしてさらに赤面。  
 誤魔化そうとして墓穴を掘るという、典型的な泥沼状態である。  
 ちなみに、涼子が江美里を呼ばなかったのは今日江美里に生徒会の仕事が入ってるのを知っていたからである。  
 まあ何というか、思いやりというやつは本当に、正しく伝わってくれないものである。  
「それはそれとして、お願いがある」  
「いや、………いえ、いいです。何でもどうぞ」  
 悪意なき言葉の暴力に完全敗北する江美里に、有希は自分がそれを行っている事に終ぞ気付かないまま、江美里からすると命令に近い、そんなお願いを告げた。  
「やってみたい事がある」  
 
 
3.  
 
「ん、………うう」  
 爽やかとはかけ離れた感覚を覚えつつ涼子は目を覚ました。尻尾とネコミミを動かしてまだそれらがある事を確認し、憂鬱な気分のまま布団をめくって起きあがる。  
「………」  
 真っ裸だった。ニート型ネコミミインターフェイスVer.MAPPAの爆誕であった。  
「あ、やば、泣きそう」と布団に顔をうずめようとしたところで、「あらあら」と言いながら江美里が部屋に入ってきた。  
「朝倉さん、ようやく起きたんですね、うふふ」  
「ひゃうっ!」と、特に何もされてないのに何故だか体が勝手にビクビクと反応してしまう。  
 そんな自分の状態に首を傾げる涼子に対し、さすがに殺気は消えたものの、まだ底の読めない笑顔を続けながら江美里は言う。  
「ああ、それはですね。おそらくですけど、朝倉さんの内部であなた特有の被虐嗜好因子が、わたしが今からしようとしている事を感じ取って活性化しているせいじゃないでしょうか」  
 少し考え、その言葉の意味をゆっくりと理解した上で、涼子はおそるおそる言った。  
「………もしかしてあたし、これからひどい事されちゃいますか?」  
「うふふ、しちゃいます!」  
「あふん」  
 めがっさいい笑顔で即答する悪魔。それに対してビクビクッと明らかに性的に反応する涼子ズボデー。  
(いや、待ってって、おかしいって。あたしにはこんなMを頭文字とするような性癖は無かったはずよ。喜緑さんに苛められるのだっていつもの事だし、どうしていきなりこんな、………あ)  
 そこまで考えて涼子は自分の付属品と化している尻尾とネコミミに思い当たり、叫んだ。  
「ちょ、待ってよ、喜緑さん! これはこの尻尾とネコミミのせいで」  
「朝倉さん」と、涼子の言葉をピシャリと遮ってから、江美里は真剣な顔でこう言った。  
「わたしはそんな事気にしません!」  
「すごくいい台詞なのに場面選択が最悪だ!」  
 ツッコミむなしく、結局そのまま押し倒される涼子であった。  
 さて、押し倒したとはいえ、江美里はそんなに強い力で涼子を押さえ込んでいるわけではないし、情報操作を行っているわけでもない。  
 今の状況は、涼子が本気を出せばすぐにでも抜け出せるものである。しかし、  
「はうぅぅ、やめ、てぇ」  
(ああ、あたし、ひどい事されちゃうんだー)と思っているせいか、江美里に触れられた部位から全身にしびれが走るように力が抜けていき、結果涼子は江美里のなすがままに弄ばれてしまう。くやしいっ、と思ったかどうかは定かではないが。  
 江美里は動けない涼子を自分の膝にうつぶせになるように固定する。  
「え、え、な、何されるの、あたし!」   
「レッツお仕置きターイム!」  
「えっと、体勢的には………お尻ペンペンとか、かなぁ」  
「お、なかなかに鋭いですね。では、レッツお尻ゴッゴッ、ターイム!」  
「何か鈍い音がしてるっ! それ躾じゃなくて虐待!」  
「レッツ粉砕骨折ー、かっこはあとかっことじ」  
「違った! 虐待じゃなく殺人だった」  
「違いますよ、朝倉さん。これは殺インターフェイスです」  
「前半を否定して欲しかっ、ひやぁん!」  
 パシン、と涼子に全てを言わせず、江美里は自分の平手と涼子のお尻を使って音を立てる。  
 
「や、そんな、いきな、ひにゃっ、あや、うやぁん」  
 パシン! パシン!  
 逃げようともがく涼子なぞお構いなしに、乾いた音が二度三度と響き渡る。  
「や、やだよう、あっ! あゃ、うんっ! やめ、てぇ」  
 パシン! パシン! パシン!  
 涼子の懇願を綺麗さっぱりシカトしつつ、江美里は涼子の耳元で囁いた。  
「うふふふふ、そんな可愛い声出しちゃって。ほら、長門さんが見ていますよ」  
 その言葉の意味を理解するのに5秒ほど費やした後で、「………え?」と間抜けな声をあげながら、顔を前方に跳ね上げる。  
「………なが、と、さん?」  
「………」  
 いつの間にか涼子の目の前に、その痴態を絶対零度の瞳で見つめている有希がいた。  
「や、やだ! やだ、やぁだぁ! 見ないでー! 見ないでよぉ!」  
 一瞬にして叩かれている臀部の痛みを忘れるほどのショックを受け、泣き叫び暴れる涼子。  
「うふふふ、む・だ・な・の」  
 そんな涼子を江美里は体重移動と右手一本だけで巧みに自分の膝上に固定しながら、休まずに左手を振るう。敵に回したくないと痛感させられるほどの満面の笑顔である。  
 パシィン! パシィーン!  
「ああ、や、だぁっ! やぁんっ!」  
 有希に見られているせいかスパンキングがじわじわと聞いてきたせいか、原因は分からないが、部屋に響き渡る音に湿ったものが混ざり始めていた。  
 もちろん緑色の悪魔がそれを見逃すはずがない。  
「あらあら、朝倉さん」と、江美里はスパンキングに使っていた左手を「見ないで、長門さぁん」と祈るように懇願している涼子の目の前に持ってきて、言った。  
「わたしの手、濡れちゃってますよ」  
「いや、ちがう、ちがうのぉ」と、涼子は目の前でニチャニチャと音を立てる江美里の左手を呆然と見つめながら呟く。  
 その瞳から光がなくなりかけているのを確認しながら江美里は続けた。  
「うふふふふ、可愛そうに。パニックに陥ってらっしゃるんですね。では、わたしが優しく教えてさしあげましょう」  
 江美里は聖母のような笑みで涼子の耳元に唇を寄せながら、やさしい口調で囁いた。  
「朝倉涼子は、叩かれて感じちゃう、痛いの大好きな『変態さん』なんですよ」  
「あ………」と、江美里の言葉に絶句する涼子。そしてその両目からぽろぽろと涙が溢れ出す。  
「やだぁ、うえっ、ちがう、ちがうのぉ。あたしは、ひぐっ、こんなじゃ、ああうう、なあいぃ」  
 そのまま1分ほど泣くに任せた後で、江美里は再度涼子の耳元で囁く。  
「大丈夫ですよ、朝倉さん」  
「ちがうぅ、ちがうのぉ」と泣き続ける涼子に言い聞かせるように、優しく伝える。  
「わたしは、受け入れますよ」  
「ふぇ」と、その言葉にすがりつくように江美里を見上げる涼子。  
 その視線をしっかり受け止めながら江美里は言った。  
「だってわたし達、姉妹じゃないですか」  
「喜緑さぁん」と泣きつこうとする涼子を「だ・か・ら・ぁ」と押し止める江美里。  
 涼子は江美里の笑顔の質がイニシャルS方向へと変わった事に気付き、手遅れである事を理解しながらも「ひっ」と声をあげて逃げようとする。  
 その腰をがっちりと固定しながら江美里は、  
「イっちゃいなさい、変態さん」  
 と言いながら涼子のむき出しの乳首を千切れろとばかりにひねり上げた。  
「や、いた、あっ!」  
 乳首からの痛み、裏切られたという悲しみ、そしてそれらが快感になってしまう自分への絶望。それら全てが涼子に快楽の波として襲い掛かり、  
「や、あ、あ、あ、あああぁーーー!」  
 そのまま、涼子の意識をどことも知れないはるか彼方へと押しやった。  
 
 
4.  
 
 またも意識を手放した涼子を布団に押し込んでから、有希と江美里は再度、先程の件も含めた『現在得られている情報』を整理していた。  
「どうですか?」  
「やはり完全な解析は不能。ただ、原因と思われる情報が一部だけ見つかった」  
「ふう、『朝倉涼子』というノイズがない状態でもそれが限界なんですね」  
 これが先程までの行為の意味である。  
 睡眠時でさえ働いている『朝倉涼子』という個体の意思、有機体部位を調べる上でノイズにしかならないそれを、『ある一つの事象』に集中させてそれごとカットした上で再度スキャンを行う。  
 有希が提案し、江美里が実行したその案は、涼子の心にトラウマを植えつけながらも、ある程度の成功は得たようである。  
(ああ、また嫌われたんだろうなぁ)と思いながらも、江美里は『有希が気にしてはいけない』と落胆を表情に出さないように注意していた。それでも結局、涼子のうなされている顔を見て、恨み言がポロリと口から転がり出る。  
「結局わたし、貧乏くじですよね」  
「そんな事はない。あんな風に笑顔で人を傷つけるような真似、わたしには多分一生できない。感動した」  
「止めてー! ヨゴレのお姉ちゃんをそんなキラキラした瞳で見つめないでー!」  
 針の穴を通す時くらいに注意して見ないと分からないが、確かに尊敬の目でこちらを見ている有希に対して本気混じりの冗談でそう答えつつ、江美里は原因となったと考えられる情報を自己領域内に展開した。  
 そこにあったのは生徒会会長と涼宮ハルヒが言い争う姿。  
「ふふふふふ、そうですか。あのパープー男が全ての現況ですか」  
 音声データは得られなかったので何を喋っているかまでは分からないのだが、どうやら江美里は『会長が全ての元凶である』という結論に達したようである。ストレスの発散場所を見つけた、とも言う。  
「では、ちゃくっと殴っ、………蹴り飛ば、………生まれてきた事を後悔させてきますね」  
「それは困る」  
 いつもと変わらないように見えて、実は取り繕いの言葉も出てこなくなるほど暴走直前の江美里を、あくまで冷静に有希は引き止めた。  
 どうやらとある仮面不良系高校生は生き長らえる事が、  
「消すのは必要な情報を全て引き出してからにして」  
 ………やはり出来なかったようである、アーメン。  
「それでは」と生徒会室という名の戦場と見せかけた虐殺予定地へ旅立つ江美里。  
 最後に振り返り、「ちが、うぅぅ」と、まだうなされている涼子を少しだけ悲しそうに見つめながら呟いた。  
「わたしが、わたし達が何とかします。だから、」  
 それはきっと、あの時の言葉の中で、本気で告げた言葉の一つ。  
「大丈夫ですよ、朝倉さん」  
 
 
Epilogue.  
 
 江美里が学校へ向かって少したったお昼過ぎ、本を読んでいる有希の膝に寝ぼけながら乗り掛かってくる未確認ネコミミ尻尾物体があった。  
 子猫ならまだいいが膝の上にある物体は一応高校生女子という設定である。重さと大きさが段違いだ。  
 有希が『コレは本を読むのに邪魔になる』と判断し、押しのけようと頭に手をやったところで、未確認ネコミミ尻尾物体こと涼子が「にゃふふふ」と気持ちよさそうに膝に頬擦してきた。  
「………」  
(猫化しているから仕方ない)と思い直し、有希は結局涼子をそのままにしておく事にした。  
 『涼子の温かさが心地よかったから』という甘えたいお年頃的な理由には気付かなかったようである。  
 それから30分ほどして、それまでページをめくる音以外は何も聞こえなかった空間に「ふに、やあぁぁー」と大口を隠そうともしない大欠伸を響かせながら、涼子が目を覚ました。  
 顔をかすかに下に向けて涼子の歯並びのいい口を視界に入れながら「………起きた?」と聞いた有希はそこで、彼女の瞳が妙に濡れている事に気が付いた。  
「………?」  
 何かおかしいと思った瞬間、  
「うなー!」と鳴き声をあげながら飛び掛ってきた涼子に、有希はそのまま押し倒された。  
 思わず情報結合の解除を申請しそうになる自分を懸命に抑えながら涼子の状態を観察する。  
「はっ、はっ、あふぅ、あん」  
 そこには、嬌声を上げながら有希の足に自分の陰唇、陰核を擦りつける涼子の姿があった。  
「ふ、ああんん、あっ、うん」  
「………」  
 たっぷり1分間思考停止した後で、有希は今の現状をポツリと呟いた。  
「………朝倉さんが発情したようです?」  
「はあっ、んんっ、やっああんっ」  
 よがりながら唇を求めてくる涼子の頭を手で押さえつけながら、とりあえずとっとと機能停止させようと尻尾に手を伸ばしつつ、有希は一言だけ口にした。  
「にゃー」  
 これはただの現実逃避用の言葉で、別に有希までネコになってしまったというわけではない。まあどちらにせよ、事態が好転していないのは確かであるが。  
 そうして、発情したネコと冷静な文学少女はしばらくの間、先程まで静寂そのものであった部屋の中でドタバタと騒がしく揉み合う羽目になった。  
 窓から差し込んでくる暖かな日差しがそんな二人を優しく包み込んでいた、と綺麗にまとめてみる。  
「や、はあっ、そ、こぉ」  
「早く………イって」  
 ………ダメじゃん。  
   
 

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