とある夜、自分の存在領域から5メートルも離れていない場所で異常な情報展開が行われた事を察知し、スリープモードにあった有機体部位を強制的に活動可能領域まで引き上げた。
「ようするに、わたしの颯爽とした登場に驚いて目が覚めたって事ですね」
いつの間にやら全開の窓、よく見ると鍵穴周囲に円型の穴が開いている。………さて、不法侵入は何番だったか?
「ふふふふふ、ダメダメさんなご意見ですね、長門さん。わたし達インターフェイスに人間の法律が通用するわけないじゃないですか」
いけしゃあしゃあとのたまう不法侵入者もとい喜緑江美里に、努めて冷静な態度で問う。
「では、何なら通用する?」
「そう。わたし達は人に近いけれども人ではない、人にはなりえない、そんな存在」
大げさな身振り手振りで謎ベクトルへ突き進む喜緑江美里。
「そんな人外に通じるものとは何か! 法律? 小さい小さい! 道徳? ナニソレオイシイノ? 言葉? ワッカリマッセーン!」
………なんというか、その、どうしよう?
とりあえず使用するだけ情報処理能力の無駄である内容である事だけは理解できたのだが………。
「結局のところ、最後に残るのは一つだけ!」
理解はもう途中から放棄しているけれど、明らかに方向性が間違っている事だけはそれでも理解できてしまうダメナー系なノリのまま、喜緑江美里は言葉を続ける。
「そう! それが、愛」
………まあでも、そろそろ彼女を黙らせる方法を深慮した方がいいだろう。自爆するのは構わないけれど、わたしに被弾されると困る。
「と、いうわけで長門さん。さあ、お姉ちゃんと愛を語り合いましょう」
………被弾した。
笑顔でこちらに手を差し伸べる、宇宙から来た物体W。
………うん、さあ、素敵に愉快にコレを黙らせよう。………もう手遅れだという事後報告はなしの方向で。
「了解した。とりあえず目をつむって欲しい」
「いやですねえ、有希っち、だ・い・た・ん」
身の毛がよだつような体動を見せながらも、こちらの言うとおりに目をつむるコレを、
「大丈夫。痛いのは一瞬だから」
愛を込めて、全力で殴り飛ばした。
――――――――――
中辛口な夜はあなたと
――――――――――
「あうううー、痛いですよー。あっ、コブになっちゃってるじゃないですかー」
涙目の喜緑江美里に絶対零度の視線をもって『カ・エ・レ』と、暗に伝えてみる。
人と情報体の繋ぎ役である我等インターフェイスならば、この程度の情報など軽く読み取ってくれるに違いない。
はたして、喜緑江美里はわたしに向かって自信満々の笑顔で親指を立ててきたではないか。
明らかに情報不足なのに『あ、ダメだこりゃ』と確信できてしまうのは何故なのだろう?
………時間と能力の無駄なので考えないようにする、ダメだこりゃ。
「確かに受け取りましたよ。あなたからのラブボンバー!」
表情を変えずに、対象の顎を全力で蹴り上げた。
///
「はっ! 世界がいきなり真っ暗くろすけにっ!」
隣の部屋からそんなダメ臭漂う声が聞こえてきたのは、わたしが関係各所に通報を終え、軽めの夜食をとっている時であった。
ドアを開けると同時に『ポテリ』という擬音つきで喜緑江美里が天井から落ちてきた。
「え、あれ、何で? 天井? 穴? ………カレー?」
不幸な事故により天井に突き刺さっていたせいか、彼女の情報処理能力には一部混乱が見うけられるようだ。
ちなみにカレーは夜食である。反論は許さない。
とりあえず、もの凄く何か言いたそうにしている喜緑江美里を無視して話を進める事にする。
「喜緑江美里。あなたがここに来た用件は何?」
それだけでも聞いておかないと話が先に進まない。どっちに進むか分からないのは………仕様だ、多分。
「えっとぉ、用件っていうかぁ、ちょーしょーじきに言わせてもらうんだけどぉー」
キャラが違う。修正修正。
「はっ! 本官といたしましては今回の事件にはまことに遺憾の意をでありましてですねえ」
月まで飛びたい?
「ごめんなさい」
わたしの本気が伝わったらしく素早く素直に謝る喜緑江美里。
その後で少しだけ気まずそうにわたしの方を見上げながら、彼女はこう言った。
「えっと、今日って『あの日』じゃないですか」
彼女にしては珍しくわたしの予想通りだったその答えを聞いて、わたしは少しの間だけ両目を閉じて感傷とも言えない何かに浸る。
そう。今日は『あの日』。
『彼女』が消えた日。
わたしが『彼女』を消してしまった日だ。
「だから、お姉ちゃんとしてはいろいろと心配なわけで、………違いますね」
喜緑江美里は、彼女にしては珍しくいたずらっ気を含まない真摯な表情で、こう続けた。
「お姉ちゃんは今日一人になるのがイヤでイヤで、だから『妹と一緒に居たいなぁ』なんて思ってしまうわけなのですよ」
………確かに、一人がイヤだという事に反論する気はない。今日を一人で過ごす事がイヤで、それで部屋に戻ってすぐにスリープモードに入ったわたしに、それをどうこう言う資格はない。
だけど、………だけど、だ。
あなたが本当に今日一緒に居たいと思っているのは、わたしじゃないはずだ。
それくらいは言葉に出さなくても分かる。
イヤでイヤで仕方ないけれど、わたしはあなたの妹なのだから。
チャイムの音が鳴る。先程電話した時間から逆算すると、通話を終えてすぐ全速力で飛んで来た計算になる。
うん、それでいい。
「喜緑江美里。宅配業者が来た。代わりに出て」
わたしはカレーを煮込むのに忙しいから、と無理矢理彼女を玄関へと押し出す。
扉を開くと同時に固まる喜緑江美里。
うん、これでいい。
「………会、長」
「やあ」
そんな二人の声を聞きながら、味見をほんの少しだけ。
少し辛めのその味は、あまり美味しく感じられない。
でも、きっと、これでいい。
今夜はこんなにもどうしようもなく、中辛口な夜だから、
――― 一人になるのは、ひとりぼっちになってしまうのは、わたしだけで十分だ。
///
「じゃあ長門さん、わたし達は行きますね」
「失礼するよ」
わたしはカレーを煮込みながら、振り向く事無く二人を送り出す。
今の顔を見せるわけにはいけない。
別にひどい顔をしているわけじゃなくいつも通りの無表情なのだけど、見せたら多分気付かれる。
涙を流さず、それでも泣いているのに気付かれる。
まあ、見せても見せなくても喜緑江美里はとっくに気付いているのだろうけれど、これはもうわたしの意地の問題だ。
「大丈夫ですよ」
そんなわたしの事情をおそらく全て理解した上で彼女は言う。
「荷物を届けない宅配業者なんているわけないでしょう」
意味の分からない言葉に首を傾け、そしてそこで急停止。
扉の向こう側から聞こえてくる足音。
全速力でわたしの部屋へと向かっている、わたしが今夜、一緒に居たい人の足音。
///
「長門、こんな時間に一体どうしたんだ? ………カレー?」
「………」
困った。
確かに『彼と一緒に居たい』とは思うのだけれど、それをどう伝えたらいいのかが分からない。
『カレー、カレーなあ』と、目の前の彼が首をひねる。
まあ、夜中にいきなりカレー作成中の部屋に呼び出されたら誰だって混乱するだろう。
しかも呼び出した当人達は『後は若い者に任せて』と説明放棄、即逃亡。
………さて、どうしよう。
1.そばにいて欲しい。
:そんな素直に言えたらこんなに苦労しない。
2.カレーを食べて欲しかった。
:………こんな夜中に?
3.カレーの材料が切れたので買ってきて。
:わたしが相手なら絶対殴る。
4.なんとなく?
:ぶん殴る。
………ダメだこりゃ。
『どこか行くなら行くで、ちゃんと説明してからにして欲しかった』と、自分の口下手を棚に上げつつ責任転嫁。
そんなわたしの混乱を知ってか知らずか、彼は立ち上がりながらこう言った。
「まあ、何もないみたいだな。とりあえず安心したよ。じゃ、帰るな」
………それは、………ダメだ。
「んあ、どうした、長門」
彼の服の袖を掴んで引き止める。
「長門?」
『どうした?』なんて聞かないで欲しい。
そんなの、わたしが一番分からない。
どうしようもなくなって、ただ彼を見上げる。
1分ほど見つめあった後で、彼は優しい笑顔でわたしの頭を撫でながらこう言った。
「とりあえず、だ。腹減ったからそのカレー、食わせてくれないか?」
そのとき感じたものは何だろう? 安堵? 喜び? 感謝?
やっぱり、上手く言語化できない。多分わたしは出来損ないのインターフェイスなのだろう。
でも、それを、少しでも彼に伝えたいから。
だからわたしは彼に、せめてはっきりと頷いた後で、こんな不十分で出来損ないの言葉を告げるのだ。
「分かった。………ありがとう」
今夜はこんなにもどうしようもなく、中辛口な夜だから、
―――やっぱりひとりぼっちより、あなたと二人の方がいい。