嫌な事態ってのはどうして立て続けに起こるんだがねぇ。  
SOS団結成2年目の6月はまさにそんな状態だったぜ。まったく、何で俺ばっかりなんだっての。  
それにしてもまぁ……うん、酷い雨の日だったよ。ついでに湿気のせいで蒸し暑い、月曜日の事。キャラメルコーンが美味しい日だ。  
「………しまった」  
俺が思わずそう呟いたのは我らが部室で勉強会を開いている時だった。  
別に勉強会を開いたのに他意は無い。朝比奈さんは今年で3年生である。つまり受験の年だ。  
たまたま部室にやってきた鶴屋さんを見てそんな事を思い出した俺はハルヒに期末試験が近い事を理由に勉強会を提案した。  
普通なら却下とか言いそうなハルヒは何故かそれに2つ返事で了承。かくして勉強会が開催された。  
 
そして、ここまでは良かったのだが……。  
俺のノートのページが無くなるという事態が発生した。やはりこの前買っておくべきだったと反省。  
かと言って……。この面子にノートを借りれるかというとそうではない。  
例えばハルヒ。そんな事を言えば何かと癇癪を起こすに違いない。断言しよう。長門は貸すよりも作りそうだ。  
朝比奈さん。恐れ多くて言えません。古泉。何か悪い気がする。鶴屋さん。もっと何か悪い気がする。  
「ノートが無くなったんで新しいのを買ってくる」  
そう言って席を立つが、何故か古泉以外の全員が俺に注目していた。要は、女性陣全員って事だ。  
何だろう、俺は何か悪い事でもしたか? 俺がそう思いかけた時、ふと思い立った。  
「……解った。ついでに何か甘いもんでも買って来てやる。リクエストは何だ?」  
その言葉に、一同は呆気に取られたような顔をした。  
が、それは俺の思い違いだったのだろう。古泉を除く全員から様々なリクエストが飛んできたのだった。  
古泉、お前は自費で買え。  
「……冷たいですね」  
やかましい。お前は黙ってろ、ややこしくなるからな。  
俺は古泉に言い放ってから部室を出ようとした時だった。  
「………長門?」  
長門と目が合った。だが、長門はすぐに視線を教科書に戻した。  
「……気を付けて」「そ、そうか」  
俺はそう返事をすると、部室の外に出た。  
 
雨の中、傘を差してあの坂を上り下りするというのは考えてみるとかなりおっくうな事だ。  
だが、行かなければノートは手に入らないし、団員達に何か奢る事を約束した以上、行かなければならない。  
そう思いつつ、歩を進めていく。ふと、北高の制服を着た女子が、道の先で立っているのに気付いた。  
「こんな雨の中、傘も差さずに何してるんだ? 風邪ひくぞ」  
俺はそう声をかけ、その女子に近づく。その女子は下を向いていた。ずっと下を向いていた。  
「なぁ、大丈夫か? おい?」  
「平気よ」  
その女子がそう答えた。何処かで聞き覚えがある――――いや、俺はこいつを知っている―――!  
「久し振り。そして、すぐにさよならね」  
「朝倉………!」  
俺が傘を落しかけると同時に、朝倉の手にアーミーナイフが出現する。  
あの時と同じ。いや、あの時よりも、ずっと距離が近い。そして、長門の助けも入らないだろう。  
限りなく近い死の恐怖が、俺に迫る。  
 
マズい。これはマズい。  
「くそっ!」  
慌てて後ろを向き、ついでに傘を畳んでしっかりと止める。  
これでも少しは武器になる筈だ。どっかのチャイナ宇宙娘よりは下手だろうが。無いよりマシか。  
「(やはり、武器なら木刀が欲しいよな)」  
「逃げられないわ」  
朝倉のその発言と共に、校門が一瞬で壁になる。そう言えばコイツらはそういう芸当が出来たな。  
「………やるしかないか」  
「そうね。でも、あなたは死ぬだけ」  
朝倉がそう言いつつ、ナイフを片手に迫ってくる。  
その斬撃を、傘で弾いた。  
 
「やるわね」  
朝倉は手の中でナイフを回転させ、次は上から迫る。だが、遅い。  
その斬撃は、見え見え過ぎる。以前は対応出来なかった。唐突すぎたからかも知れない。だが、今なら可能だ。  
「朝倉……俺の事、覚えてるのか?」  
「もちろんよ。統合情報思念体の指令で再構成された時、メモリーの上書きを行ったもの」  
ナイフと傘という微妙な武器同士の鍔迫り合いの中、朝倉は俺の問いにちゃんと返事をした。  
なるほど、そして俺をまた殺しに来たと……何とも忙しい奴だな。  
「……しかし、朝倉。お前、前よりも動きが悪いな? なんだ? 生理中かぁ?」  
「セクハラで訴えるわよ? あなたも前よりも逃げてないわ」  
「これは……そう、アレだ。イメチェンだよ、イメチェン」  
俺のその言葉の直後、朝倉が大きくナイフで薙ぎ払ってくる。  
切っ先が擦り、千切れたネクタイが地面に落ち、同時に僅かに噴き出した鮮血が紅い波紋として落ちて広がった。  
「(本物だ……!)」  
この斬撃は間違いなく本物。こっちの傘はリーチはあっても、殺傷力は突きでも無い限りかなり低い。  
それに、こういう突きというものは当てにくいと相場が決まっている。  
「(ヤバい、どうする………誰か、助けに……)」  
そうは思っても、さっきの出血のせいか、朝倉の攻撃を防ぐのが精一杯で、攻勢に出られない。  
校門であった壁に追い詰められた。そして――――斬撃の後、俺の手から傘が飛んでいき、そして。  
「……これで詰み、ね」  
朝倉の手が、傷口を圧迫して、更に痛みが走る。止血にはなるだろうが、込めている力が強すぎて逆に痛みを覚える。  
「………じゃあ、死んで」  
朝倉のナイフが、俺の首元へと迫る。それが、あまりにもスローに見えて―――――。  
 
「うおらあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!」  
 
絶叫と共に、俺の背後の壁から人影が高く躍り出た。  
その掌の上に、いつぞや見た紅い球体が浮かび、人影はそれを思いきりスパイクする。  
「くっ!」  
朝倉が離れると同時に、朝倉の足下に紅い球体が直撃。盛大な音と共に爆音が広がった。  
「古泉……!」  
「大丈夫ですか!? 長門さんから、すぐに後を追うように言われて……」  
古泉が俺の手を引いて助け起こす。そうか、長門があんな事を言ったのは……。  
「これはいったい、どういう事だ?」  
「詳しい説明は後です。正直、相手を倒し……」  
そう言った古泉が固まった。何だ、と思いつつ俺が古泉の視線の先を見た。  
 
朝倉の姿は消え失せていた。だがしかし、もっと別のものが現れていた。  
昔、スプラッター映画を見た事があった。その時に出て来た殺人鬼は麻袋を被っていた。  
 
文字通り、麻袋を被った殺人鬼がたくさん迫ってきていた。  
しかも正面だけでない。学校の塀の上や、庭にも現れているのが見える。  
「……古泉。どうすれば元へ戻れる?」  
「長門さんは部室まで戻ってくれば消滅すると言ってました……ですが、これほどとは………」  
そう言った古泉の声が震えているのが解る。そりゃそうだろう。  
「……部室まで戻ったとしても、原因を取り除かなきゃこの異常事態は治らないんじゃないのか?」  
「それもそうですがね……」  
ま、確かに後は長門が何とかして………。  
俺がそう思った時だった。見えてしまった。ある人物が。  
 
「……………!」  
橘だった。何故、こんな所にいるのかという念より先に。橘の周囲に例の麻袋装備の殺人鬼が取り囲んでいる。  
「………くそっ。古泉、お前、部室までどうにか突破して長門の助けを請え!」  
「きょ、キョン君!?」  
「いけ好かない奴だが、見捨てたらな……見捨てたら、俺の中で何かが間違うかも知れない。だから、助けに行く。それだけだ」  
俺は古泉のその場に置いて、橘目指して走りだした。  
さっき落した傘を途中で拾う。なんかの役に立てばそれでいい!  
「うおりゃあああああああああああああああっ!!!!!!!!」  
「きょ、キョン君!?」  
橘が驚きの視線を向ける。俺はそれに指をあげて返すと、傘でまずは薙ぎ払う。  
だが、傘の一撃で怯む敵なら苦労は無い。2撃目、3撃目と立て続けの打撃。  
「くそっ、数が多いってんだよコノヤロー! 橘! お前もこっち来い!」  
「だ、だって人が多いんですよ、無理ですよぉ!」  
「しょうがねぇ奴だな! お前は超能力者じゃねーのかコノヤロー」  
俺の叫びは殺人鬼の叫びにかき消された。傘の一撃でもう一度吹っ飛ばす。  
だが、倒しても倒してもキリが無い。やっとの思いで、橘に辿り着こうとした時だった。  
 
「本当に、間抜けよね」  
 
橘の姿が、朝倉に変わった。  
俺が驚くより先に。アーミーナイフが、突きを放った。  
 
ザクッ……という音とともに、鮮血が溢れ出して。俺の意識が、地に落ちた。  
 
頭上で、話し声が聞こえる。  
ボンヤリと意識を取り戻して、目を開くと天井が飛び込んできた。どうやら、保健室なのか。  
「おや、目覚めましたか?」  
古泉が顔を出す。その脇には長門がいる。朝比奈さんやハルヒはいないようだ。  
「お2人は先に帰られました。鶴屋さんもです」  
そうか。ところで、古泉。俺はどうしてたんだ?  
「ええ、さっきの件ですが………長門さんと喜緑さんに助けて頂きまして」  
そっか…………後で謝っておこう。  
「いえ、それより……信じられない事態でした、あれは」  
古泉がそう言って首を振り、長門がその後に続けて口を開いた。  
「あの事態は、まさに天文学的な確率から発生した異常事態」  
長門が淡々と語りだした。  
「統合情報思念体でもなく、天蓋領域でも無い未知の情報体……地球に偶然舞い降りた彼らが、ある人物との接触を行った」  
「ある人物? それって誰だ?」  
「それが、あなた」  
長門の言葉に、思わず口が開いた。  
「……俺?」  
「そう」  
信じられん。古泉が言ってた信じられないってのはそういう事だったのか。  
「未知の情報体は貴方にその情報の一部を移す事で、ある種の異空間を発生させた。そしてその中で、貴方と、それに近しい存在の恐怖となりうる  
 対象を複製したものを見せた。貴方の傷が消えているのはそれが異空間内での傷であるため」  
長門はそう言い放つと、俺の額を撫でた。  
「だが、今後も注意して欲しい。恐らく、未知の情報体はあなたを初めとする誰かにこれまで以上に干渉をかけてくる可能性がある」  
ふむ。それは用心しておこう。  
しかし、どうにも何故あの時橘が出て来たのが解らないが……。  
「……………」  
あー、長門? 何で睨んでるんだ? 怖いんだが。  
「………あなたの短慮さに呆れている」  
うう、すまん。だから睨むな、本当に。  
 
 
長門の言葉少ないけど的確に突いてきた説経から解放された俺は、帰路についていた。  
古泉は送っていくと言ったのだがそれは丁重に断った。幾ら何でも自分で帰るぐらいの事は出来る。  
 
もっとも、俺の足は自宅では無く自然と駅へと向いていた。  
あんな事があったせいか落ち着かないせいだろう。そんな俺でも、センセイならちゃんと見てくれるのが嬉しいところか。  
「………長門はともかく、古泉とか朝比奈さんに、そういう人はいるのか?」  
何となく気になる。ほぼいつでも、相談に乗ってくれるような、身近な人が。他の面々にもいるのかどうか。何となく気になっていた。  
 
「まぁ、いいか……」  
俺はそう呟くと、ホームへと滑り込んできた電車に乗り込もうとして――――視界の隅に、誰かが飛び込んできた。  
 
そいつは、見慣れた北高の女子の制服を着ていた。  
そいつは、ポニーテールで。俺を、睨んでいるようにも見えた。  
 
瞬きをした後に、奴の姿は消えた。だが………それでも、俺の記憶にその姿を刻みつけるには充分過ぎる時間だった。  
 

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