彼女と交わした言葉は、実はそう多くはありません。  
 
自分が饒舌になりがちであることは承知していますし、反面彼女の口数が、僕を相手にとは限らず、極端  
に少ない部類であることは初対面時から余り変わっていませんしね。  
僕が滔々と紡いだ長文に対する彼女の反応は、大概が無視か、端的な肯定否定。つまらない世間話でも振  
ろうものなら、寄越されるのは意気込んだ熱も冷めるような徹底した沈黙です。彼女は顎を引いて書物に  
釘付けの視線を揺るがしもしない。  
これが涼宮さんや「彼」ならば、また、話は違うのでしょうけれど、「彼女」――長門有希との間に僕の  
獲得した立ち居地といえば、そんな風でしか有りませんでした。  
 
つまりはそこは、私情の全く通わぬやり取りであったわけです。義務と、利害の一致にようやく成立する  
会話のキャッチボール。各々の立場を鑑みるなら、別段、こだわる程のことでもない。非常時にいかに連  
携を取れるかが最優先すべき課題であって、馴れ合いはその範疇に含まれないのですから。  
至って当然の帰結。けれど、それで締め括ってしまうにはあまりに寂しいとも、思うのですよ。感傷は幼  
き日の自分が夢見ていた、ごくありふれた「宇宙人に会ってみたい」「タイムトリップしてみたい」なん  
て、純然とした由来からなんですがね。  
自分自身が超能力者じみたものになってしまった、今にそんな夢話を口にすること、笑われるでしょうか?  
サンタクロースを、僕は信じていました。  
つまりは、そういうことです。  
 
 
初めは任務による監視、興味故の観察でした。  
未知の思念体が派遣した、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース。好奇心がなかった  
といえば嘘になります。機関で任務のための一通りの資料を手渡されて、そこに宇宙からの使者たる長門さ  
んの存在を認めた折も、胸騒ぎはしたんですよ。子供の頃の馬鹿みたいに純粋な憧れが、蘇ったような気さ  
えした。  
けれどもう非日常が当然の毎日になってしまっていましたから、叩き込まれた「思念体」「機関」「未来人  
」の勢力図を思い浮かべれば自由に心躍ることもできず――寧ろ心労の心配をしましたね。なにせ、機関が  
神と崇める涼宮さんに接近するのです。失敗は赦されない、神の不興を買うことを回避しなければならない  
。彼女の人生への絶望が世界の終わりと同義であるということ、神人倒しに時を費やしてきた僕が、見誤る  
ことはできない。  
 
実際、団に加入する運びまでも緊張の連続でした。そうは見えなかったなら、自分のはったりと演技もたい  
したものだ、ということにしておきましょうか。  
何はともあれ僕は無事涼宮さんに見出され、文芸部室に招かれました。  
そして僕は其処で初めて、  
生身の『宇宙人』と、会いました。  
 
 
 
言葉は交わしませんでした。僕は少なからず彼女を警戒していましたし、彼女も同じだったでしょう。人間  
の涼宮ハルヒの腰巾着風情取るに足らない、と宇宙人的な見解如何により、警戒のレベルは天と地ほどの開  
きがあったかもしれませんがね。  
それから――それから、そうですね、随分色んな事がありました。野球大会に出て、孤島でサスペンス劇に  
興じ、カマドウマの異空間に侵入し、エンドレスサマーを潜り抜け文化祭の映画の撮影をして。雪がちらつ  
き始めた冬、「彼」が階段から転げ落ちたあのクリスマス間近の一日。  
今でもよく覚えています。朝比奈さんの泣きじゃくった顔、彼に寄り添い続けた涼宮さんの狼狽ぶりも、…  
…長門さんの、無表情に湛えられた微細な痛みの色も。  
 
――変化は、いつからだったのでしょうね。  
 
彼女の超然とした空気、傍に在ったとて種自体の差異を明示するが如く、放たれていた隔絶した雰囲気が薄  
らぎ始めたことを肌に感じたのは、実はそれほど最近の話ではありません。彼女の瞳が多く、「彼」を映す  
とき微かにその冷然さを押し下げるのを、当の「彼」は気付いていたものやら。  
長門さんが彼に向ける感情の示すものは、僕には明白に思われました。  
けれどそれを見知った上で、僕は、彼女の想いを成就させる味方にはどうあってもなれなかった。立場的に  
も心情的にもです。僕は涼宮さんのことをとても敬愛していますし、幸せに生きて欲しいとも願っている。  
彼も、涼宮さんのことを憎からず想っているのは、当人は気付いていないようですが――まあ、傍からする  
とバレバレです。二人を結びつけることは僕の悲願であり、機関の意向でもありました。  
僕は不器用な宇宙人の側にはどうしても立てなかった。  
 
罪悪感とは違います。長門さんが彼に向け始めた好意を汲み取った瞬間から、始まっていたことだったのか  
もしれません。些細なことで誰かを意識し始める、よくある展開でしょう?僕にとっての始まりが「それ」  
だった―――ただ、それだけのことでした。  
 
 
笑い掛け、挨拶をし、下らない話題を持ち出して、返らぬ言葉に苦笑して、それから長門さんが頁を捲る白  
い手を眺める。SOS団の活動の内のほんの一幕、そんな一方通行な行為が次第に楽しみに変われば、不毛で  
も中々やめる気にはなれませんでした。密かな趣味、というとお前はマゾヒストか変態かと罵られそうで戦  
々恐々ですが、それでも本当に、そんな瑣末な時間が楽しかったんですよ。  
長門さんが読書を淡々とこなしている間、異空間で敵と相対している間、「彼」を前にしている間、朝比奈  
さんを前にしている間、涼宮さんを相手にしている間……その差異を、ほんの僅かにも知ることができたと  
きの喜び。彼女のミリ単位で調節されたような瞬きの頻度に、機嫌を推し量るときのささやかな興奮。  
顔に表出しない程度に抑えるよう計らいつつも、彼女を「見守る」ことが日課の一つになっていました。  
いやはや、僕の視線には長門さんもとっくに感づいていたでしょうから、内心では「ウザい」で一刀両断さ  
れているのをキャラじゃないから自粛した、くらいには煙たがれていたかもしれませんね。  
 
僕は彼や涼宮さん、『宇宙人』や『未来人』が一同に介するあの部室が好きでした。僕にとって、明確に帰  
る場所だと、臆面もなく発言できる唯一に成りえる場所でしたから。  
そして僕はそんなホームにあることで、人間らしさを得てゆく『宇宙人』に、興味を抱いていたのです。そ  
れ故に彼女に惹かれていると、そう、思っていたんですよ。  
 
幼い日の夢の延長の、『宇宙人』が物珍しくて、愛しかったから。  
それゆえの感情だと信じて疑わずにいた自分がいました。  
 
 
 
―――何もかもが間違っていたことに気付いたのは、雪山での、たった数分、数秒でのことです。  
 
 
 
遭難し、奇妙な館に誘い込まれ、時間感覚の狂った、望めば何もかもが出現する空間。明らかに本人とは性  
質を逸したおかしな偽者が部屋に唐突に現れて、嵐のように去った後。  
首を傾げ、顔を合わせる彼らの中、床に倒れ付した長門さんの存在に、僕は身動ぎ一つできませんでした。  
情けないことに、咄嗟に走り出せたのは涼宮さんひとりだったのです。  
 
それほど予想外でかつ衝撃的な光景でした。――暫く焼き付いて、離れないほどに。瞼を閉じ、ぐったりと  
した肢体は、金属的な宇宙人を通り越した人形に映りました。  
情報戦の末に疲弊したかのような彼女は、不自然なほどの熱でした。触れた先から、冷えた指先が逆に熱を  
帯びて感化されてしまうような高熱。涼宮さんの采配で長門さんを抱き上げてすぐも、僕はその熱の高さと  
少女の身体の重みに、平静さを保とうとする理性に反した、……らしくなく落ち着かずにいる自身の心を、  
禁じ得ませんでした。  
 
 
僕は以前、市営プールに行く途中に自転車に乗せた長門さんが羽のように軽かったと、将棋を挿す合間に彼  
から漏れ聞いていました。天蓋領域との情報戦に、自身の体重を操作するゆとりもなかったのでしょう、抱  
えた長門さんは標準よりはずっと軽いものでしたが、それでも羽一枚には成しえないだけの重量が腕にかか  
り、……「それ」が契機になりました。  
 
だから、そう、ここはだからとしか言い様がありません――抱えた小さな身に確かに重さを――生きている  
分だけの凭れ掛かる重みを感じたとき、僕は本当に、どうしようもなくなってしまったんです。おかしな話  
だとお思いですか?けれどまったく、僕にとってそれは青天の霹靂だったんですよ。  
 
力を喪失した、封じられた彼女は酷く無防備でした。生きている熱を持っていた。苦しみ、悶える熱さ体内  
に抱いていた。  
 
『宇宙人』は、人間だった。  
 
昏々と眠る彼女は、例えようも無く人間で――だからこそ僕は、自分の過ちに気付きました。  
僕が惹かれていたのは長門有希であり、  
心は、疾うに、『人間』への思慕を――恋という分かり易い言葉を、知っていたのだということを。  
 
 
 
 
……ああ、随分長々と喋ってしまいましたね。悪い癖だとよく指摘されるのですが、このポジションが僕の  
アイデンティティでもありますから、ご容赦下さい。  
それからのことについては、……ご存知のとおり、現状に何ら変化はありません。  
僕は己の愚かな間違いに気付き、彼女は依然僕の勘違いについてすら与り知らない。それだけの関係が続い  
て、これからもきっと、終わらぬまま進むでしょう。  
 
――ただ一つ、自惚れていることもあります。  
雪山の、脱出の鍵となった数式問題。解ける要員は、あの場には――涼宮さんと、僕しかいませんでした。  
そして涼宮さんに超常現象は伏せておきたい事情を踏まえれば、消去法として、あれを解けるのは僕だけだ  
った。  
それを長門さんから僕への信頼の証と、勝手に受け取って調子に少し乗っている男が、古泉一樹。  
 
惚気にもならない、ささやかな、自慢話です。  
 
 
 
「――ありがとうございます。大切に食べますよ」  
笑顔に付け加えて感謝を述べた折にも、気恥ずかしさを掻き消すようにひたすら喋り続ける涼宮さんや、満足気に、照れ  
臭そうに微笑む朝比奈さんや、――無表情を動かさぬ長門さんが誰を見ているのかを、僕は一人遠望の効く地にいるかの  
ような心地のままに眺めていました。彼女等が徹夜までして仕上げたという六つのチョコレートケーキの、一体どれが義  
理でどれが本命の意を込められているかなんてことは、考慮する必要すらない事でした。これまでの経緯を鑑みれば、誰  
にだって行き着ける回答でしょうからね。  
長門さんが彼の手元を見つめている様に、僕が苦笑を走らせたのは一瞬の事でしたから、恐らく誰にも悟られてはいない  
だろうと思いますが。……悔しかったか、と問われても、僕はノーと言わせて頂く他ありません。ご相伴に預かれるとい  
うだけで身に余り過ぎる程の光栄なのですから、其処に詰められた三者の想いの差分は致し方ないでしょう。  
与えられるだけでも栄誉なことを、それ以上に望むのは欲が張り過ぎているというものです。  
 
……ああ、哀しかったか、と聞かれるのですか。  
そうですね。  
其の事につきましては、発言を控えさせて頂くとしましょう。――それが答と受け取られるなら、それも、構いません。  
 
………話を戻しましょうか。  
実に涼宮さんらしい遣り方であったと称するべきでしょう、古地図を持ち込んでまで尤もらしさをアピールし、宝捜しを  
捻って、手作りチョコレートの受け渡し場所を山頂に指定するという演出には、僕も物の見事にしてやられました。薄々  
事の次第を感付いていた僕でさえ企画を実行せしめた彼女達に感嘆していたのですから、どうやら本気で今日という日を  
失念していた様子の彼には想像以上に有効な記念日になったようです。  
それにしても実際、非常に珍しい且つ貴重な光景だったと言えます。何時も憮然とした表層を貫いている彼が、返す言葉  
も見つからず、驚きと感動の余りに声を喪っている姿なんていうのはね。此の度の朝比奈さんの誘拐騒動も一段落を終え  
て、彼も気を抜いていた頃合であったでしょうから、その影響もあったのでしょう。  
正しく理想的な。  
美しい青春の在り方を、体現したような日でした。……これは、本心からの言葉です。あれほど愉快なバレンタインデー  
を経験したことはありませんでした。その後日談を含めさせて頂くなら、「僕にとって」――忘れられないバレンタイン  
デーであったということを、付け加えます。それがどんな意味を持っているのかは、また、別の話なのですけれどね。そ  
れからの話を、少しさせて頂くとしましょう。  
 
解散の後、僕は帰宅してから受け取った三つの箱を開封しました。あしらわれた華やかなラッピングは棄てるには惜しい  
もので、丁寧に包装された紙を破らないよう気を遣ってです。御存知の通り、僕は機関所属になって以来独り暮らしなの  
ですが、これは余計な補足ですね。箱の中にあるプラスチックケースには、円形と、星形と、ハート形のチョコレートケ  
ーキが慎ましく座っていました。それぞれに「チョコレート」「寄贈」「義理」の端正な文字がホワイトチョコレートで  
描かれており、優れた出来栄えを主張するような特有の甘い香を纏いながら、チョコレートでコーティングされている。  
朝比奈さんのメッセージが「義理」なのは、彼宛てのチョコレートに涼宮さんから無理に書かされた朝比奈さんが、公平  
性を考えて僕の方にも同じような文句を書いたものだと見なしました。真実のほどは彼に訊ねてみなければ明言出来そう  
にありませんでしたので、判断は保留にしておきましたけどね。  
この時の僕には、気を取られる事柄が他にあったのです。  
洋菓子店のショーケースに並んでいても遜色のない造形を保たれたケーキ、彼女等三人の手製なら味の方は初めから保障  
されているようなもの。彼は何だかんだと普段は悪態を突いていますが、これらのケーキは一口ずつを味わいながら大切  
に食べるのだろうことを想像して、僕もフォークを手に取りました。そこで試食の一番手に選んだのが彼女の、――長門  
さんの「寄贈」チョコレートケーキであったことは――まあ、取り立ててお話しするのも今更というものですね。  
 
 
掬い上げたチョコレートケーキの欠片を、……今だから言いますが大いに期待に満ちた弾んだ心持で口に含んだ僕は、  
 
正直に言って、全くもって予想だにしなかった味に、盛大に咽る事になりました。  
 
 
――想像して貰えれば、この際の僕の衝撃が如何なものであったかをお分かり頂けるかと思います。あなたの目の前に、  
瑞々しそうな桃が剥かれて身を取り出され、食べ易いサイズに切られて置いてある。あなたはそれを桃であると何の疑い  
もなく口内に放り込み、強烈な唐辛子の味に舌を焼かれる訳です。……辛いものである、と初めから認識しある程度覚悟  
してから食するのとでは、まるで違うショックであることが分かるでしょう。油断し切っていたところに背後を突かれた  
ようなもので、其の時の僕は、この様な解説する余裕もありませんでした。  
 
水でひたすら喉を冷やし、落ち着いてから冷静な眼で食べ比べてみれば、激辛のチョコレートケーキは長門さん製作のも  
のだけでした。涼宮さんと朝比奈さんのチョコレートケーキは至って普通の、とは言っても素材を生かした極上の出来で  
あったことは特筆させて頂きますが――つまりはスタンダードなチョコレートケーキでした。  
お陰で僕は何故長門さんの特製ケーキだけが「こう」であったのかを、一晩を掛けて悩む事になった訳です。単純に嫌悪  
の対象を明示する行為、要するに「わたしはあなたが嫌い」という意思表示にこのようなケーキを手掛ける、という考え  
方もあるにはあったのですが、それは彼女らしい思考とは世辞にも言い難い。  
ああ、別段僕が誰よりも彼女に関して認知している、なんて自惚れているわけではありませんよ。彼が長門さんの微細な  
表情の変化を読み取り続けてきたように、僕もまた、彼女を観察しその雰囲気の変遷を見つめ続けてきた。そんな己に、  
それなりの自負を抱いているというだけのことです。  
刺激物そのもののケーキを、口に含むと交互に水を呷る事で消化しながら、夜が明けるまであらゆる可能性を思索し続け  
ていた僕自身、今思えば、意地になっていたのかもしれませんね。  
愚かな話です。  
涼宮さんの捲くし立てていた一連の台詞を思い出したのは、明け方に差し掛かってから、だったのですから。  
――気が付いた時には、それが正答か否かも埒外で、笑ってしまいました。笑うしかなかったのですよ、本当に。余りに  
馬鹿馬鹿しい推測の結末も、想いを打ち明けないことを課しながら、振り回されている自分自身のことも。  
 
 
 
翌日の部室、涼宮さんが朝比奈さん手製三個目のチョコレート争奪戦の開催を決定したことのみ知らされていた僕は、早  
々に召集があるだろうことを察知して事前準備の為、早くに部室を訪れました。  
涼宮さんも朝比奈さんも彼も、まだ来ていない文芸部室で、長門さんは当たり前のような自然さで、窓際の定位置にて頁  
を繰っていました。此方には見向きもせずは何時も通りで、僕はそんな彼女の横顔を見つめ、かつて上司から投げ掛けら  
れた台詞を思い返していました。  
――人は、浮かれ騒いでいられる内が華ですよ。恋も愛も刹那の祭、そういうものです。  
熟達した人の諦観交じりの忠言。青春は今生きる自分達だけのものだから、大切になさいと、彼女は笑っていました。  
彼女もそんなアドバイスを下さるほど枯れた年代には遠いと思うのですがね。  
エキセントリックな団長の言動も「彼」の付き合いも、見慣れれば微笑ましい夫婦漫才のようなもので。一触即発とまで  
はいかなくとも、決して本音を晒して付き合うまでには至れそうになかった各勢力の集いすら、良好な関係を築き上げて  
いける自信を持った今。  
 
僕は長門さんの白い相貌に視点を合わせて、ただ、思っていました。  
恋も愛も刹那の祭。ならば僕は、神輿担ぎにすら尻込みして乗り切れず、遠巻きに誘いをはぐらかして笑っているしかで  
きない、ただの見物客。主役達が楽しげに踊るのを会場の隅にて見届ける傍らで、パレードの舞台裏で駆けずり回ってい  
る端役でしかない。そんな端役が、物語の展開に力を握るような少女を好きになったとして、そこに生まれる話は誰かの  
眼に触れる意味の、価値のあるものでしょうか?  
 
僕はまだ、そんな言い訳を捜しています。往生際の悪いことは百も承知ですが、こればかりは明断も出来かねます。好意  
を寄せている自分が、その不毛さをも承知済みで一喜一憂する。僕なら、退屈な噺になるだろうと分かっていて聞き手に  
回ろうとはとても思いません――そこに連なるのは、報われぬ結末と知っているから。  
それでも。  
それでも変わることは、伝えられることはあるのでしょうか。砕け散って粉になり、砂に紛れて形も見えなくなるだけと  
決まっている、こんな想いでもいつかは。  
『ホントは唐辛子でも入れようかと思ってたんだけど、しなかったけど、何よっ、その目っ!』  
――長門有希。彼女なりのコミュニケートが、異物混入をして反応を見守るという遠回しな遣り方を用いた「冗談」なの  
か、「彼」に宛てた物を単に取り違えたのか、それらの推測をひっくるめたそれすら恣意的な彼女の思惑に拠るものなの  
か。  
最早どうでもいいことでいた。  
何にせよ、僕が彼女に投げ掛ける為の言葉は、昨晩から決まっていたのでね。  
 
 
「長門さん」  
呼び掛けに、少女は応じました。す、と浮かんだ瞳は揺らぎのない闇を湛えて、僕を常に射抜くように見ている。夜の深  
淵のような双眸に映された僕は、叶う限りの泰然さを装った微笑を浮かべました。  
紳士的な振る舞いを絶やさずに、礼儀を持っての心からの、謝礼を。  
「昨日は有難うございました。……頂いたチョコレートケーキ、とても、美味しかったですよ」  
 
笑うだけ笑っておけば、こんな日に限って長門さんは「そう」と俯きました。それから間もなく書を捲る手を再開させて  
ゆく。僕は涼宮さん達が訪れるまでの間を椅子に腰掛け、長門さんが紙を擦る小さな音に耳を傾けていました。謡うよう  
に一定のリズムで鳴る紙響きは、とても優しいものでした。  
この見る者によれば些細な事の顛末に、僕の収穫したものといえば、たった一つ。  
……そうやって読書をする彼女の口の端に淡い微笑みがあったような。そんな幻覚に現を抜かすか錯覚かをするくらいに、  
古泉一樹がおめでたい人間であるらしいということ、――それだけです。  
 
 
 

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